これほどの石垣を見られるとは、思わなかった。
きっと、外泊(そとどまり)の人達は、日常的に石を積んでいた。
そうでなければ、こうはならない。
山の上どこまでも、そして隅々まで、高く積みあげた石垣だった。
高知から愛媛に入ったら、愛南町(あいなんちょう)。 愛媛の南だから、愛南か。
外泊(そとどまり)は、半島の西の端に近い。 ※ 半島の名前は、西海半島。
外泊の家は、急な斜面に、へばりつくようにあった。 石垣が、確かに目立つ。
(写真は、クリックで大きくなります)
全体の写真を撮りたいので、高い所を探した。
山に向かって、左側の斜面に登って行った。 写真を撮りたいと思う所は、すぐに現れた。
家の周りは、石垣しか見えない。 高さは、1㍍や2㍍ではない。 斜面が急だから、石垣が高くなる。
この写真は、全体ではなく、もっと下にも、上にも家はある。
山の上の方。 家がなくなっても、石垣はある。
後で知るが、ずっと上まで。 上の方の畑が使わなくなったため、木が生えた。
下に降りて、谷(沢)の川が流れる部分を、上に歩いた。 この道が、メインストリート。 車は、途中まで。
石垣が高い。 コンクリートで、固めてない。
横への脇道に入って、下を見たら、海が見えた。
海だけ見たって美しいのに、石垣が、額縁のように引き立てていた。
石は大きくない。 ほとんどは、一人で持てる大きさ。 それを、積んでるだけ。
でも、崩れたことはないと言う。 垂直に近いのもある。
この石垣の集落は、江戸時代の終わりから作り始めたと言う。 明治の10年頃には、出来上がった。
誰が作ったかだが、隣の集落の、2男・3男だと言う。
住む所が狭くなったが、土地はどこにもなかった。
でも、山の斜面ならあった。 それで、こんな石垣の集落を作った。 発想は、地区の指導者。
※ 明治に入って、住む所がないから、北海道に行った人も多い。
私の先祖もそう。 秋田から北見に。
この辺りだったでしょうか。 特に美しいと言う石垣があった。
「七蔵垣」と呼ばれていた。 七蔵という男が17歳の時に築いたそうだ。
※ 小柄な男とあった。 どうしてこの事を、言うのか。
力が弱いけど作ったと、それを言いたいのか。 余計なことでは。
こういう時は、なぜその男が作れたのか、そこを調べて、
「賢く、発想豊かだった」とか、この男の良さを、後世に残すのがいいと思う。
家がなくなったら、畑がある。 ずっと、山の中腹まで。 上は使ってないから、木が生えた。
イノシシも猿も出ると言う。
石はどこから持って来たか。 ここにあった。
土地を平らにしようとしたら、石は土の中から、いくらでも出てきた。
それを自分たちで積んだ。
自分たちは素人でも、七蔵というような技術のある者がいたから、学べた。
写真の、だんだん館に行った。 案内所、兼、喫茶店。
このブログの情報源は、ほとんどが、ここ。
これが昔。 家の上は、どこまでも、段々畑。 今は、10段くらい上から林。
細い畑もある。
畑の世話は、女の人の仕事。 男は海で漁。 (写真は、案内所で撮影させていただいた)
家の周りの石垣が、今より高い。 屋根近くまでの所も。 風除け。
現在は、低くして、見晴らし良く、日当たり良くした。
それだけ、この地方も、風が強い。 ※ 室戸岬の近くにあった、風除けの石垣。
崩れないのが不思議。 ただ石を積み重ねただけ。 積んだ石の内側にも工夫があるのか。
誰でもが積んだから、複雑な技術では、きっとない。
再び海に。
海に色は、ここだけの色。 そんな色。
空き地は、こう。 塀のような石垣の上を歩いても、崩れない。 どうしてだろう。
車が通れないから、昔のままの姿が残る。
道が狭いのもいい。 すれ違う人と、挨拶をしないで通り過ぎることは、できない。
上の家は、石の塀が高い。 窓の所だけ開けた。 海の様子が見えるように。 船が戻って来たのが分かる。
名前があって、遠見の窓。 この窓の向こうに、家の台所がある。
石段の左に、祠が見える。
それが、これ。
魚を獲る網に、石が入ることがある。 ※ 地曳網などか。
不思議なことに、入った石を捨てても、また入ることがあると言う。 時には何度も。
その時は、縁のある石と考え、祀った。 それが、下の写真の「屋敷神様」。
写真中央少し左に、石垣が見える。 港への風除けだと言う。
外泊の集落は、魚の養殖で栄えている。
生活の基盤が大丈夫だから、ここの石垣の風景は、残りますね。
これだけの石垣だから、残すだけでも、価値がありそう。
(※ 国からの補助金がでてもいい。)
※ 写真は、まあまあ、撮れたでしょうか。 まあまあか。
※ 今まで見た中では、三重県松阪市の深野が良かったか。 ① ②
いい石垣を見ました。
2男・3男の、意地とプライドが、この素晴らしい風景をつくった。
と、いうことかな。
【道の駅】 みしょうMIC 昨晩に同じ。
【明日の予定】 この辺りをもう少し探してみる。 宇和島に向かうのかな。
【動画】
外泊へ
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【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で8位です。 放浪の旅は34位です。
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きっと、外泊(そとどまり)の人達は、日常的に石を積んでいた。
そうでなければ、こうはならない。
山の上どこまでも、そして隅々まで、高く積みあげた石垣だった。
高知から愛媛に入ったら、愛南町(あいなんちょう)。 愛媛の南だから、愛南か。
外泊(そとどまり)は、半島の西の端に近い。 ※ 半島の名前は、西海半島。
外泊の家は、急な斜面に、へばりつくようにあった。 石垣が、確かに目立つ。
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全体の写真を撮りたいので、高い所を探した。
山に向かって、左側の斜面に登って行った。 写真を撮りたいと思う所は、すぐに現れた。

家の周りは、石垣しか見えない。 高さは、1㍍や2㍍ではない。 斜面が急だから、石垣が高くなる。
この写真は、全体ではなく、もっと下にも、上にも家はある。

山の上の方。 家がなくなっても、石垣はある。
後で知るが、ずっと上まで。 上の方の畑が使わなくなったため、木が生えた。

下に降りて、谷(沢)の川が流れる部分を、上に歩いた。 この道が、メインストリート。 車は、途中まで。
石垣が高い。 コンクリートで、固めてない。

横への脇道に入って、下を見たら、海が見えた。
海だけ見たって美しいのに、石垣が、額縁のように引き立てていた。

石は大きくない。 ほとんどは、一人で持てる大きさ。 それを、積んでるだけ。
でも、崩れたことはないと言う。 垂直に近いのもある。

この石垣の集落は、江戸時代の終わりから作り始めたと言う。 明治の10年頃には、出来上がった。
誰が作ったかだが、隣の集落の、2男・3男だと言う。
住む所が狭くなったが、土地はどこにもなかった。
でも、山の斜面ならあった。 それで、こんな石垣の集落を作った。 発想は、地区の指導者。
※ 明治に入って、住む所がないから、北海道に行った人も多い。
私の先祖もそう。 秋田から北見に。

この辺りだったでしょうか。 特に美しいと言う石垣があった。
「七蔵垣」と呼ばれていた。 七蔵という男が17歳の時に築いたそうだ。
※ 小柄な男とあった。 どうしてこの事を、言うのか。
力が弱いけど作ったと、それを言いたいのか。 余計なことでは。
こういう時は、なぜその男が作れたのか、そこを調べて、
「賢く、発想豊かだった」とか、この男の良さを、後世に残すのがいいと思う。

家がなくなったら、畑がある。 ずっと、山の中腹まで。 上は使ってないから、木が生えた。
イノシシも猿も出ると言う。

石はどこから持って来たか。 ここにあった。
土地を平らにしようとしたら、石は土の中から、いくらでも出てきた。
それを自分たちで積んだ。
自分たちは素人でも、七蔵というような技術のある者がいたから、学べた。
写真の、だんだん館に行った。 案内所、兼、喫茶店。
このブログの情報源は、ほとんどが、ここ。

これが昔。 家の上は、どこまでも、段々畑。 今は、10段くらい上から林。
細い畑もある。
畑の世話は、女の人の仕事。 男は海で漁。 (写真は、案内所で撮影させていただいた)

家の周りの石垣が、今より高い。 屋根近くまでの所も。 風除け。
現在は、低くして、見晴らし良く、日当たり良くした。
それだけ、この地方も、風が強い。 ※ 室戸岬の近くにあった、風除けの石垣。

崩れないのが不思議。 ただ石を積み重ねただけ。 積んだ石の内側にも工夫があるのか。
誰でもが積んだから、複雑な技術では、きっとない。

再び海に。

海に色は、ここだけの色。 そんな色。

空き地は、こう。 塀のような石垣の上を歩いても、崩れない。 どうしてだろう。

車が通れないから、昔のままの姿が残る。
道が狭いのもいい。 すれ違う人と、挨拶をしないで通り過ぎることは、できない。

上の家は、石の塀が高い。 窓の所だけ開けた。 海の様子が見えるように。 船が戻って来たのが分かる。
名前があって、遠見の窓。 この窓の向こうに、家の台所がある。
石段の左に、祠が見える。

それが、これ。
魚を獲る網に、石が入ることがある。 ※ 地曳網などか。
不思議なことに、入った石を捨てても、また入ることがあると言う。 時には何度も。
その時は、縁のある石と考え、祀った。 それが、下の写真の「屋敷神様」。

写真中央少し左に、石垣が見える。 港への風除けだと言う。

外泊の集落は、魚の養殖で栄えている。
生活の基盤が大丈夫だから、ここの石垣の風景は、残りますね。
これだけの石垣だから、残すだけでも、価値がありそう。
(※ 国からの補助金がでてもいい。)
※ 写真は、まあまあ、撮れたでしょうか。 まあまあか。
※ 今まで見た中では、三重県松阪市の深野が良かったか。 ① ②
いい石垣を見ました。
2男・3男の、意地とプライドが、この素晴らしい風景をつくった。
と、いうことかな。
【道の駅】 みしょうMIC 昨晩に同じ。
【明日の予定】 この辺りをもう少し探してみる。 宇和島に向かうのかな。
【動画】
外泊へ
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コメント
石垣の里
外泊
外泊へは3年前くらいに行きましたが本当に立派な石垣でした。越中八尾も2回行きましたが大好きな場所のひとつです。
この近くだと外泊の先の高茂岬や紫電改の展示館なんかが見所です。石垣繋がりで宇和島の遊子にある段々畑?は有名です。
この近くだと外泊の先の高茂岬や紫電改の展示館なんかが見所です。石垣繋がりで宇和島の遊子にある段々畑?は有名です。
Re: 石垣の里
先人の苦労ですね。
コンクリートの中で暮らしていると、なお、温かみを感じる。
八尾の石垣は知りません。
八尾に近づいた時、また、教えてください。
コンクリートの中で暮らしていると、なお、温かみを感じる。
八尾の石垣は知りません。
八尾に近づいた時、また、教えてください。
Re: 外泊
紫電改の展示館、実は見たんですよ。 写真も、少しだけ撮った。
でも、良くは書けないから、ブログには載せなかった。
宇和島の、遊子ですね。 道が細くなかったら、行ってみます。
でも、良くは書けないから、ブログには載せなかった。
宇和島の、遊子ですね。 道が細くなかったら、行ってみます。
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都会にない風情があり、先人の苦労と、偉大さを感じました。これが機械的にコンクリートだったら、
興ざめしますね。積み重ねた石に温かみを感じます。デザイン的にもすばらしい。大事にしたい日本の風景です。