人の世むなし、応仁の乱。 ※「ひとのよむなし」で、1467年。
戦国時代の百年前、京都を中心に大きな争いがあった。
西の指揮官はは、山名宗全。
彼は、この出石(いずし)に、各地の兵10万を集めた。
そうして、京都に向かい、今の西陣の場所に、陣を構えた。
出石は、そんな形で、歴史に登場している。
出石に向かう途中、風穴があった。
中には入れない。
穴の中が涼しいため、出口辺りに風が生まれる。 それで、風穴。
穴の中の壁に隙間があり、そこからひんやりした風が出てることがある。
このために、風穴と云うと思っていた。
長野県松本市にあった、風穴を利用した貯蔵庫。
出石は、豊岡市にある。
現在地と書いた下にある、蕎麦屋に車を置いた。 食べたら、無料。
駐車場は、どこも有料。
桂小五郎が、ここに潜伏していたことがあった。
禁門の変で、長州勢は幕府軍と戦う。 京都御所の中で。
戦いが不利になった時、桂小五郎は下のように動く。(Wikipedia)
彼は、剣の達人だから助かった。
このとき小五郎は、因州藩を説得し長州陣営に引き込もうと目論んだ。
因州藩が警護に当たっていた猿が辻の有栖川宮邸に赴いて、同藩の尊攘派有力者である河田景与と談判する。 しかし河田は、時期尚早として応じなかった。
説得を断念した小五郎は、一人で孝明天皇が御所から避難する所を直訴に及ぼうと待った。
しかしこれもかなわず、燃える鷹司邸を背に一人獅子奮迅の戦いで切り抜けた。
幾松や対馬藩士大島友之允の助けを借りながら、潜伏生活に入る。
会津藩などによる長州藩士の残党狩りが盛んになって京都での潜伏生活すら無理と分かってくると、
但馬出石に潜伏する。
幾松は、小五郎の彼女。
小五郎は、禁門の変の直後、5日ほど二条大橋周辺に、乞食の姿となって隠れ潜んでいた。
食事を届けたのは、幾松。
幾松も幕府側から見張られていたから、行けない時は、別の人に頼んだ。
幾松は、すぐには小五郎のいる出石には、危険なため行けなかった。
出石で再び会えたのは、禁門の変の翌年の4月。
2人一緒に、城崎温泉とかに寄りながら、萩に向かった。
この2人の旅は、龍馬とお龍の旅より1年早い。
だから、こっちが、日本最初の新婚旅行とも言われる。
幾松は京都の芸妓。 桂小五郎をどれだけ助けたか分からない。
2人は、明治に入って、正式に結婚する。
※ 萩の旧宅 幾松の錦絵(旧宅にあった。複写)
こんな道を歩いた。 右は、土壁の酒蔵。
ツバメの巣。 雛が見えた。 5羽か6羽いた。 親ツバメは、いそがしい。
あるお寺への道。 有料だったので、入らなかった。
苔が半分乾いたのか。
出石明治館。 明治20年の建物。 役所。
ここは、伝建地区。 兵庫県は、3ヶ所。 丹波篠山と神戸市内に。
この人達が、記念写真を撮ろうとしたら、人形の顔の口が開いた。
びっくりして、逃げた。
不思議だなってながめていた。
店の中を見たら、おじいさんが、こっそり紐を引っ張っていた。
いたずらして、楽しんでる表情だった。
色んな店がある。 また、平日だけど人が多い。 バスの団体かな。
これって言う見所は特にないのに。 不思議だ。
辰鼓桜。 明治の初めの物。 時計も古い。
出石城跡。 隅櫓が復元されていた。 安っぽい復元に見えた。 ただ形だけ。
天守は、山の頂上にあった。(今は跡だけ)
山名宗全の城だった此隅山(このすみやま)城跡は、ここから3㌔北にある。
出石市街地。
出石家老屋敷の長屋門に、屋台があった。 江戸時代の物。 残っているのは、これ一つとあった。
江戸時代の後期、出石藩では、仙石(せんごく)騒動というのがあった。
その中心人物は、仙石左京。 ここは、その人の屋敷があった跡だと云う。
この建物は、いつ建ったのかな?
ここは、2階。 右の押し入れから、屋根に脱出できる。
上の三角の所から、出られる。
永楽館と云う芝居小屋。
公演は、月に一回か、その位。
昔は、ここで映画も上映した。
この映画は、YouTubeにある。 ここでは、予告編。
小豆島には、もう一度行って、子供たちが歩いた道を、全部歩いてみたい。
舞台の下の奈落。 これを回したら、舞台が回転する。
11月に、歌舞伎の公演がある。
片岡愛之助が出る。 この人は、海老蔵の代役をやった。
出石の町並みは歩いて楽しい。 それが魅力かもしれない。
蕎麦が美味しい。 出石蕎麦。 信州から伝わった。
温泉もある。
ただ、他の伝建地区と比べたら、どこに行ってもお金がかかる。
広い有料の駐車場に、乗用車が2、3台。
今後、いろいろ工夫して、変わって行くでしょうね。
【道の駅】 丹波マーケス
【明日の予定】 京都に入ります。 墓参りをしましょうか。
祇園で和泉式部、知恩院で江の娘の千姫、そして、今日出てきた2人。 龍馬も。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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戦国時代の百年前、京都を中心に大きな争いがあった。
西の指揮官はは、山名宗全。
彼は、この出石(いずし)に、各地の兵10万を集めた。
そうして、京都に向かい、今の西陣の場所に、陣を構えた。
出石は、そんな形で、歴史に登場している。
出石に向かう途中、風穴があった。

中には入れない。
穴の中が涼しいため、出口辺りに風が生まれる。 それで、風穴。

穴の中の壁に隙間があり、そこからひんやりした風が出てることがある。
このために、風穴と云うと思っていた。


長野県松本市にあった、風穴を利用した貯蔵庫。
出石は、豊岡市にある。
現在地と書いた下にある、蕎麦屋に車を置いた。 食べたら、無料。
駐車場は、どこも有料。

桂小五郎が、ここに潜伏していたことがあった。


禁門の変で、長州勢は幕府軍と戦う。 京都御所の中で。
戦いが不利になった時、桂小五郎は下のように動く。(Wikipedia)
彼は、剣の達人だから助かった。
このとき小五郎は、因州藩を説得し長州陣営に引き込もうと目論んだ。
因州藩が警護に当たっていた猿が辻の有栖川宮邸に赴いて、同藩の尊攘派有力者である河田景与と談判する。 しかし河田は、時期尚早として応じなかった。
説得を断念した小五郎は、一人で孝明天皇が御所から避難する所を直訴に及ぼうと待った。
しかしこれもかなわず、燃える鷹司邸を背に一人獅子奮迅の戦いで切り抜けた。
幾松や対馬藩士大島友之允の助けを借りながら、潜伏生活に入る。
会津藩などによる長州藩士の残党狩りが盛んになって京都での潜伏生活すら無理と分かってくると、
但馬出石に潜伏する。
幾松は、小五郎の彼女。
小五郎は、禁門の変の直後、5日ほど二条大橋周辺に、乞食の姿となって隠れ潜んでいた。
食事を届けたのは、幾松。
幾松も幕府側から見張られていたから、行けない時は、別の人に頼んだ。
幾松は、すぐには小五郎のいる出石には、危険なため行けなかった。
出石で再び会えたのは、禁門の変の翌年の4月。
2人一緒に、城崎温泉とかに寄りながら、萩に向かった。
この2人の旅は、龍馬とお龍の旅より1年早い。
だから、こっちが、日本最初の新婚旅行とも言われる。
幾松は京都の芸妓。 桂小五郎をどれだけ助けたか分からない。
2人は、明治に入って、正式に結婚する。


※ 萩の旧宅 幾松の錦絵(旧宅にあった。複写)
こんな道を歩いた。 右は、土壁の酒蔵。

ツバメの巣。 雛が見えた。 5羽か6羽いた。 親ツバメは、いそがしい。

あるお寺への道。 有料だったので、入らなかった。

苔が半分乾いたのか。

出石明治館。 明治20年の建物。 役所。

ここは、伝建地区。 兵庫県は、3ヶ所。 丹波篠山と神戸市内に。

この人達が、記念写真を撮ろうとしたら、人形の顔の口が開いた。
びっくりして、逃げた。
不思議だなってながめていた。
店の中を見たら、おじいさんが、こっそり紐を引っ張っていた。
いたずらして、楽しんでる表情だった。

色んな店がある。 また、平日だけど人が多い。 バスの団体かな。
これって言う見所は特にないのに。 不思議だ。

辰鼓桜。 明治の初めの物。 時計も古い。

出石城跡。 隅櫓が復元されていた。 安っぽい復元に見えた。 ただ形だけ。
天守は、山の頂上にあった。(今は跡だけ)
山名宗全の城だった此隅山(このすみやま)城跡は、ここから3㌔北にある。

出石市街地。

出石家老屋敷の長屋門に、屋台があった。 江戸時代の物。 残っているのは、これ一つとあった。

江戸時代の後期、出石藩では、仙石(せんごく)騒動というのがあった。
その中心人物は、仙石左京。 ここは、その人の屋敷があった跡だと云う。
この建物は、いつ建ったのかな?
ここは、2階。 右の押し入れから、屋根に脱出できる。

上の三角の所から、出られる。

永楽館と云う芝居小屋。

公演は、月に一回か、その位。

昔は、ここで映画も上映した。

この映画は、YouTubeにある。 ここでは、予告編。
小豆島には、もう一度行って、子供たちが歩いた道を、全部歩いてみたい。
舞台の下の奈落。 これを回したら、舞台が回転する。

11月に、歌舞伎の公演がある。
片岡愛之助が出る。 この人は、海老蔵の代役をやった。

出石の町並みは歩いて楽しい。 それが魅力かもしれない。
蕎麦が美味しい。 出石蕎麦。 信州から伝わった。
温泉もある。
ただ、他の伝建地区と比べたら、どこに行ってもお金がかかる。
広い有料の駐車場に、乗用車が2、3台。
今後、いろいろ工夫して、変わって行くでしょうね。
【道の駅】 丹波マーケス
【明日の予定】 京都に入ります。 墓参りをしましょうか。
祇園で和泉式部、知恩院で江の娘の千姫、そして、今日出てきた2人。 龍馬も。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
永楽館
出石。という芝居小屋はまだ現役みたいですね。四国にもありましたね。内子座。意外と各地に芝居小屋が残っています。嘉穂劇場、山鹿市の八千代座。坂東玉三郎は毎年、八千代座で歌舞伎を披露しています。芝居小屋に惚れたそうです。もう20年くらい続いているようです。
Re: 永楽館
やっと、このような芝居小屋が、大事にされる時代になりましたね。
最近というより、もう少し前からでしょうか。
新しいものばかりを追う時代ではなくなった、と云うことでしょうか。
公演は、どこも多くは無い状態です。
でも、地域の人達の発表の場としても使えばいい。
ここも、実際に使っているようです。
のんびりとした時間が流れる。
そんな所でした。
最近というより、もう少し前からでしょうか。
新しいものばかりを追う時代ではなくなった、と云うことでしょうか。
公演は、どこも多くは無い状態です。
でも、地域の人達の発表の場としても使えばいい。
ここも、実際に使っているようです。
のんびりとした時間が流れる。
そんな所でした。
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