北原白秋が生まれたのは、南関町(なんかんまち)だった。
※ 柳川市と思っていた。
そこは母親の生家であり、末裔(まつえい)の方と話すことができた。
三池炭鉱は、三池郡にあったから、三池炭鉱だった。 ※ 三池という町や市ではなかった。
万田坑を中心に、多くの産業遺産が残っていた。
久しぶりに、柳原白蓮に出会った。
今日は、銀河宙太さんに案内していただいた。
※ ※ ※ ※
最初に行く南関町は、印の所。 白秋が生まれた所も、印から近い。
大牟田市、荒尾市は、海の近く。
ここが、白秋の母の実家で、石井家。 白秋は、ここで生まれた。 1885年に。
庭に女性の方がいた。 ※ 後で知ったが、石井家の方で、嫁いできた人ではない。
建物は当時の物だが、屋根の部分とか、変更した所もあると言った。
ハクモクレンや彼岸桜の大きな木があった。
それは、白秋の時代にあったもの。
「月と胡桃(くるみ)」という童謡集に中で、
「お母さまは木蓮 白い気高い木蓮」と詠んでいる。
女性の方は、例えば、桜の木について聞くと、
花は小さいんですよ、と云うように謙遜していつも話した。
白秋は、母の古里が好きで、亡くなる前年にも来ていた。
※ 外目は、ほかめ、と読む。
役場の近くにあった、白秋素麺(そうめん)歌碑。
ここは、南関御茶屋。 1852年完成。
藩主が、参勤交代や領内巡視の時に、休憩・宿泊に利用。
※ 南関は、熊本藩(肥後藩とも)。 藩主は、細川氏。
雛人形が飾ってあった。
御茶を御馳走になった。 藩主が座る場所に座って。 (入館料は200円)
※ 白いお菓子は、細川家の紋。
ちょうど、並べ終わったところ。
白秋が育った地は、柳川。 母の実家から、20㌔程でしょうか。
遊びに来る時の交通手段は、何だったんでしょう。 歩いて来るのも可能だが。
白秋の歌。
左は、篤姫の肖像画。
新幹線の新大牟田駅。
像は團琢磨(だんたくま)。 三井三池炭鉱の経営を行い、成功する。
普光寺の、ろうばい。 花の時期は、そろそろ終わる・
※ 漢字で書くと、蝋梅。 梅の字が付いてるけど、梅ではないそう。
大牟田市の市街地。
石炭産業科学館。 大牟田市にある。
三池炭鉱を支えた、巨大な機械が並んでいた。
三池炭鉱万田坑跡。 産業遺産として、国の重要文化財。
大正・昭和初期の、三池炭鉱の中心。 突き当たりは、縦坑。
深さ276㍍。 今は、土で埋めてある。
手前の乗り物に乗って、下に降りる。 こんなのが、2つある。
地下深くに行くのは、不安でないのかな。
※ 戦後最悪の炭鉱事故は、三池炭鉱で起きている。 ここの坑道ではないが、1963年に。 犠牲者、458人。
世界遺産認定を目指しているため、廃墟なんだが、整備されている。
石炭のメインの層の厚さは、5㍍程。 その上下に、いくつかの薄い層がある。
層の全体は、斜めに傾いていて、深い部分は、海の下にある。
これで、縦坑の乗り物を、巻き上げたり下ろしたりする。
左下に、1分間に270㍍とある。 1秒間に4.5㍍。 きっと、耳が変になる。
顔はまっ黒。 坑道の中の空気は、どうなっているんだろう。 気温は高いのかな。
ここは、宮崎兄弟の生家。 荒尾市。 ※ 大牟田市も荒尾市も南関町も、お互いすぐ近く。
宮崎兄弟のことは、初めて。
みんなそれぞれ活躍してるが、
宮崎 滔天(みやざき とうてん)が、孫文を助けるという大きな仕事をしていた。
市役所の人が、説明してくれる。 ※ 市が管理。
※ 中国の清朝は、辛亥革命(しんがいかくめい)によって、倒される。(1911~12年)
その革命の指導者の中心が、孫文。
※ 途中、日本に亡命することがあった。 そこで、宮崎 滔天との関わりが出てくる。
歴史が複雑なため、分からない部分が多い。
今回は、ここまで。 いつか機会があったら、また調べてみます。
なんで、柳原白蓮なんだ、と思った。 ※ やなぎわら びゃくれん。
上に書いた、宮崎滔天の息子に、宮崎龍介がいた。
柳原白蓮は、明治44年、27歳の時に、炭鉱王 伊藤伝右衛門と再婚した。(望んだ結婚ではない)
大正10年、彼女は宮崎龍介と、逃避行。 お互い好きになった。
彼女は、恋に生きた。 「恋は はかない」には、ならなかった。 幸せに生きる。
柳原白蓮は、歌人として、そして、美人としても知られている。
もう一つ、知られているのが、大正天皇といとこ同士ということ。
大正天皇の母は、柳原愛子(やなぎわら なるこ)。
白蓮の父は、柳原前光。 前光は、愛子の兄。
※ 歌を2つ紹介。
「ひるの夢 あかつきの夢 夜の夢 さめての夢に 命細りぬ」
「月影は わが手の上と 教へられ さびしきことの すずろ極まる」
この建物が、宮崎家の昔からの家。
孫文が来た時のを、蝋人形で再現。
家の前で撮影。
最後に、宮原坑跡。
柳川を通る時、宙太さんには、いつもお世話になっている。
柳川文芸の人だから、詳しい。 私は、退屈しない。
柳原白蓮の歌については、魅力いっぱいの歌を見つけたい。
そして、正確な解釈を。
思い出した。 彼女は、こんな歌を作ったことがあった。 分かりやすい。
【今日の歌】
北原白秋の、作詞です。 城ヶ島の雨。
森昌子 MORI MASAKO - 城ヶ島の雨 JOUGA SHIMA NO AME
※ 宙太さんと、こんな話をした。
北原白秋は、「この道」など、たくさんの童謡を書いた。
でも、数年間結婚して一緒に暮らした江口章子(あやこ)がいなかったら、作れなかったかも知れないねって。
つまり、白秋が、童謡を書き始める時に、一緒にいたのが、江口章子。
白秋の童謡をつくる才能を開花させたのは、きっと彼女だ。 彼女は書いていた。
結婚した当初、白秋はまったく売れていなかった。
※ 関連ブログ 若き日の白秋を支え、恋に生きた詩人、江口章子 ~彼女の故郷、香々地を訪ねて~ 他 (2010/4/15)
【道の駅】 おおむた
【明日の予定】 山鹿市
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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※ 柳川市と思っていた。
そこは母親の生家であり、末裔(まつえい)の方と話すことができた。
三池炭鉱は、三池郡にあったから、三池炭鉱だった。 ※ 三池という町や市ではなかった。
万田坑を中心に、多くの産業遺産が残っていた。
久しぶりに、柳原白蓮に出会った。
今日は、銀河宙太さんに案内していただいた。
※ ※ ※ ※
最初に行く南関町は、印の所。 白秋が生まれた所も、印から近い。
大牟田市、荒尾市は、海の近く。
ここが、白秋の母の実家で、石井家。 白秋は、ここで生まれた。 1885年に。

庭に女性の方がいた。 ※ 後で知ったが、石井家の方で、嫁いできた人ではない。
建物は当時の物だが、屋根の部分とか、変更した所もあると言った。
ハクモクレンや彼岸桜の大きな木があった。
それは、白秋の時代にあったもの。
「月と胡桃(くるみ)」という童謡集に中で、
「お母さまは木蓮 白い気高い木蓮」と詠んでいる。
女性の方は、例えば、桜の木について聞くと、
花は小さいんですよ、と云うように謙遜していつも話した。
白秋は、母の古里が好きで、亡くなる前年にも来ていた。

※ 外目は、ほかめ、と読む。


役場の近くにあった、白秋素麺(そうめん)歌碑。


ここは、南関御茶屋。 1852年完成。
藩主が、参勤交代や領内巡視の時に、休憩・宿泊に利用。
※ 南関は、熊本藩(肥後藩とも)。 藩主は、細川氏。

雛人形が飾ってあった。

御茶を御馳走になった。 藩主が座る場所に座って。 (入館料は200円)
※ 白いお菓子は、細川家の紋。


ちょうど、並べ終わったところ。

白秋が育った地は、柳川。 母の実家から、20㌔程でしょうか。
遊びに来る時の交通手段は、何だったんでしょう。 歩いて来るのも可能だが。
白秋の歌。

左は、篤姫の肖像画。


新幹線の新大牟田駅。
像は團琢磨(だんたくま)。 三井三池炭鉱の経営を行い、成功する。

普光寺の、ろうばい。 花の時期は、そろそろ終わる・
※ 漢字で書くと、蝋梅。 梅の字が付いてるけど、梅ではないそう。


大牟田市の市街地。

石炭産業科学館。 大牟田市にある。

三池炭鉱を支えた、巨大な機械が並んでいた。

三池炭鉱万田坑跡。 産業遺産として、国の重要文化財。

大正・昭和初期の、三池炭鉱の中心。 突き当たりは、縦坑。
深さ276㍍。 今は、土で埋めてある。
手前の乗り物に乗って、下に降りる。 こんなのが、2つある。

地下深くに行くのは、不安でないのかな。
※ 戦後最悪の炭鉱事故は、三池炭鉱で起きている。 ここの坑道ではないが、1963年に。 犠牲者、458人。

世界遺産認定を目指しているため、廃墟なんだが、整備されている。

石炭のメインの層の厚さは、5㍍程。 その上下に、いくつかの薄い層がある。
層の全体は、斜めに傾いていて、深い部分は、海の下にある。
これで、縦坑の乗り物を、巻き上げたり下ろしたりする。
左下に、1分間に270㍍とある。 1秒間に4.5㍍。 きっと、耳が変になる。

顔はまっ黒。 坑道の中の空気は、どうなっているんだろう。 気温は高いのかな。


ここは、宮崎兄弟の生家。 荒尾市。 ※ 大牟田市も荒尾市も南関町も、お互いすぐ近く。

宮崎兄弟のことは、初めて。
みんなそれぞれ活躍してるが、
宮崎 滔天(みやざき とうてん)が、孫文を助けるという大きな仕事をしていた。
市役所の人が、説明してくれる。 ※ 市が管理。

※ 中国の清朝は、辛亥革命(しんがいかくめい)によって、倒される。(1911~12年)
その革命の指導者の中心が、孫文。
※ 途中、日本に亡命することがあった。 そこで、宮崎 滔天との関わりが出てくる。
歴史が複雑なため、分からない部分が多い。
今回は、ここまで。 いつか機会があったら、また調べてみます。
なんで、柳原白蓮なんだ、と思った。 ※ やなぎわら びゃくれん。
上に書いた、宮崎滔天の息子に、宮崎龍介がいた。
柳原白蓮は、明治44年、27歳の時に、炭鉱王 伊藤伝右衛門と再婚した。(望んだ結婚ではない)
大正10年、彼女は宮崎龍介と、逃避行。 お互い好きになった。
彼女は、恋に生きた。 「恋は はかない」には、ならなかった。 幸せに生きる。

柳原白蓮は、歌人として、そして、美人としても知られている。
もう一つ、知られているのが、大正天皇といとこ同士ということ。
大正天皇の母は、柳原愛子(やなぎわら なるこ)。
白蓮の父は、柳原前光。 前光は、愛子の兄。


※ 歌を2つ紹介。
「ひるの夢 あかつきの夢 夜の夢 さめての夢に 命細りぬ」
「月影は わが手の上と 教へられ さびしきことの すずろ極まる」
この建物が、宮崎家の昔からの家。

孫文が来た時のを、蝋人形で再現。

家の前で撮影。

最後に、宮原坑跡。

柳川を通る時、宙太さんには、いつもお世話になっている。
柳川文芸の人だから、詳しい。 私は、退屈しない。
柳原白蓮の歌については、魅力いっぱいの歌を見つけたい。
そして、正確な解釈を。
思い出した。 彼女は、こんな歌を作ったことがあった。 分かりやすい。

【今日の歌】
北原白秋の、作詞です。 城ヶ島の雨。
森昌子 MORI MASAKO - 城ヶ島の雨 JOUGA SHIMA NO AME
※ 宙太さんと、こんな話をした。
北原白秋は、「この道」など、たくさんの童謡を書いた。
でも、数年間結婚して一緒に暮らした江口章子(あやこ)がいなかったら、作れなかったかも知れないねって。
つまり、白秋が、童謡を書き始める時に、一緒にいたのが、江口章子。
白秋の童謡をつくる才能を開花させたのは、きっと彼女だ。 彼女は書いていた。
結婚した当初、白秋はまったく売れていなかった。
※ 関連ブログ 若き日の白秋を支え、恋に生きた詩人、江口章子 ~彼女の故郷、香々地を訪ねて~ 他 (2010/4/15)
【道の駅】 おおむた
【明日の予定】 山鹿市
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
Re: タイトルなし
お世話になりました。
平山温泉が気になるので、今調べておりました。
調べ終わった時、コメントに気付きました。
いい温泉のようです。
山鹿は、夜に燈籠がともるようです。
時間があるので、平山温泉に行ってきます。
今は、街の中の駐車場です。(2時過ぎ)
ブログに、江口章子の記事を付け加えました。
平山温泉が気になるので、今調べておりました。
調べ終わった時、コメントに気付きました。
いい温泉のようです。
山鹿は、夜に燈籠がともるようです。
時間があるので、平山温泉に行ってきます。
今は、街の中の駐車場です。(2時過ぎ)
ブログに、江口章子の記事を付け加えました。
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写真、きれいに撮れています。寒い日でしたが、午後から晴れていい旅日和でした。
南関お茶屋跡での、一服の抹茶は美味しゅうございました。座敷で、南関富士を目の前にして、感動のひとときでした。
版画を写しておられますね。これは、元町長で、白秋といとこの故石井了介氏の版画です。晩年画かれたものです。白秋の歌を素に版画にされました。画集がでています。ほかにも南関町の中に残っています。
山鹿市は、夏の山鹿灯篭が有名です。今も冬の百華百彩があっていることでしょう。近くの平山温泉が今人気があります。田園の温泉ですが、温泉湯がいいです。