飫肥(おび)は、九州で最初の重伝建地区。
この町は、古い家並みの大事さに気づくのが早かった。 そういうことですね。
魅力が大きいから、歩いている人も多い。
アイディアいっぱいで、観光客を迎えていた。
今日の歌は、あさみ ちゆき です。
※ ※ ※ ※
飫肥(おび)は、日南市飫肥。
飫肥の飫は、飽きるほど、とか、たくさん の意味。 こんな漢字。 飫
無料の広い駐車場が用意されていた。
案内所で、7ヶ所の見学と、5ヶ所でおやつとかがもらえるチケットを買った。 1000円。
※ 見学だけのは、600円。
飫肥城跡に向かった。
城の近くに武家屋敷。 商人は、城の下の方に。
飫肥藩の城が飫肥城。 藩主は、伊東家。
この建物は、松尾の丸。 藩主が住んでいた御殿。 昭和54年に復元。 飫肥杉をつかっている。
※ 元々天守はない。
なかったのに、天守を作ってる所があるが、飫肥はそういうことはしてない。
在来工法での復元。 それがいい。
どこでも、雛人形を飾っている。
※ 子供が大きくなると、どこの家もいらなくなる。 飾ってもらって、幸せ。
右は、殿様のお風呂。
飫肥は、島津氏と伊東氏の戦いが長く続いた。
最後は、伊東 祐兵(いとう すけたか)が、秀吉の元で活躍したことで、飫肥の藩主として確定する。
関ヶ原も家康に味方して、乗り切る。 明治時代が来るまで続く。
本丸への道。
本丸跡には、飫肥杉が。 いつの日か、本丸が復元できたらいい。
飫肥城歴史資料館。
伊東家代々の物が陳列されていた。 ガラス越しだが、どれも本物。
右は、出かける時の食事を入れる。 花見もこれかな。
百人一首。 もちろん、手づくり。 女流歌人のが2枚あった。 中央下と右下。
伊勢大輔(いせのたいふ)
いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな
大弐三位(だいにのさんみ)
有馬山 猪名(いな)の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
※ 追記 真ん中に、もう一人いた。
儀同三司母(ぎどうさんしのはは)
忘れじの ゆく末までは かたければ けふをかぎりの いのちともがな
大手門から出る。
豫章館(よ しょうかん)。 明治になって、伊東家が住んだ。
敷地がとにかく広い。 伊東家は、明治に入って、この地方の知事になっている。
敷地の奥に、茶室。
小村記念館。 飫肥は、小村寿太郎の出身地。
ポーツマス講和会議。 全権は小村に。 左側中央。
※ この会議で、ポーツマス条約が、ロシアと結ばれる。
日露戦争の後始末の会議。 日本が勝ったから優位に。
この時、樺太の北緯50度以南の領土を、永久に日本へ譲渡する、となった。 それで、樺太に日本人が行った。
いつも、小さな白い水仙だったが、これは大きく黄色。 右は、脇道。
商家がある方に向かっている。
明治の豪商、山本家。
さらに、南に。(商家の方に)
商店街通り。 この道は、広げた。 この辺り一帯に、商家があった。
伝建地区になったのが早いから、町並みはすっかり、それなりの雰囲気になっている。
飫肥城下町地図。
商家資料館。 元は、豪商の建物。 移築復元。
商人として成功したら、殿様とは言わないが、いい生活が出来た。
大八車は、8人分の仕事をするとあった。 初めて知った。
高橋家。 国の登録有形文化財。
ふすまや壁に絵があった。 描いたのは、江夏 英璋 ( えなつ えいしょう )という、宮崎出身の画家だそう。
カタツムリがいた。 写真の真ん中。
鏝絵(こてえ)があった。 壁は新しいもの。 建物は古い。
職人を、大分や福岡の方から呼んだという。
そばにお店があった、串団子を食べた。 最初の券で。
※ おやつは、お菓子や鳥を揚げたのをもらった。 フクロウの置物も。 もらえる店が、いっぱいある。
最初にも書いたが、5ヶ所でもらえる。
こんなのも、ゲット。

神社、そして、武家屋敷の方に向かった。
武家屋敷通り。 後で、通る。
小さな武家屋敷。 伊東家。
旧藩校、振徳堂。
1831年開校。 小村寿太郎も学んだ。 ちょうど閉めたとこだったけど、開けてくれた。
説明の中に、教授は清武からとあるが、清武は宮崎の近く。
※ 伊東家は、飫肥が秀吉から与えられる前、清武が領地になっている。
見終わって、小さな通用口から出た。 初めてかな。
八幡神社にちょっと寄ることに。
クスノキの大木。 400年。
珍しい建物。 屋根が、前に流れている。 以前、どこかで見た。 その時、名前を知ったんだが・・。
石垣は、下の石の形に、上の石を合わせる。 大変でないかな。
武家屋敷通り。 この辺り一帯が、伝建地区の中心。
振り返って撮影。
小村寿太郎の生家。
飫肥城に戻ってきた。
大手門。
少し下って、右に行ったら、駐車場。
ゆっくりのんびり見たら、1日かかる。 見所はいっぱい。 退屈しない。
1000円で、見て食べて楽しめる。 面白いアイディア。
食べなければ、600円。 無料の建物の見学と散歩なら、お金はかからない。
どれだけ使うかは、自分の判断。 駐車料金無料がいい。
伊東氏は飫肥を、執念で島津氏から奪い返した。
その喜びははかり知れなく、それがあって、飫肥の地を大事にし、これだけの城下町を作り上げた。
そんなふうに、想像します。
【今日の歌】
ふるさとの木の下で
※ 画面をクリックしたら、YouTubeに行きます。
彼女の歌は、吾亦紅(われもこう)の、すぎもとまさと が書いてるのかな。
この人については、別の機会にくわしく。 (時間が無くなりました)
青春のたまり場 ※ いい動画があったのですが、なくなりました。
あさがお
【道の駅】 なんごう
【明日の予定】 油津を歩こうかなと
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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この町は、古い家並みの大事さに気づくのが早かった。 そういうことですね。
魅力が大きいから、歩いている人も多い。
アイディアいっぱいで、観光客を迎えていた。
今日の歌は、あさみ ちゆき です。
※ ※ ※ ※
飫肥(おび)は、日南市飫肥。
飫肥の飫は、飽きるほど、とか、たくさん の意味。 こんな漢字。 飫
無料の広い駐車場が用意されていた。
案内所で、7ヶ所の見学と、5ヶ所でおやつとかがもらえるチケットを買った。 1000円。
※ 見学だけのは、600円。
飫肥城跡に向かった。

城の近くに武家屋敷。 商人は、城の下の方に。


飫肥藩の城が飫肥城。 藩主は、伊東家。
この建物は、松尾の丸。 藩主が住んでいた御殿。 昭和54年に復元。 飫肥杉をつかっている。
※ 元々天守はない。
なかったのに、天守を作ってる所があるが、飫肥はそういうことはしてない。
在来工法での復元。 それがいい。

どこでも、雛人形を飾っている。
※ 子供が大きくなると、どこの家もいらなくなる。 飾ってもらって、幸せ。
右は、殿様のお風呂。


飫肥は、島津氏と伊東氏の戦いが長く続いた。
最後は、伊東 祐兵(いとう すけたか)が、秀吉の元で活躍したことで、飫肥の藩主として確定する。
関ヶ原も家康に味方して、乗り切る。 明治時代が来るまで続く。
本丸への道。

本丸跡には、飫肥杉が。 いつの日か、本丸が復元できたらいい。

飫肥城歴史資料館。

伊東家代々の物が陳列されていた。 ガラス越しだが、どれも本物。
右は、出かける時の食事を入れる。 花見もこれかな。


百人一首。 もちろん、手づくり。 女流歌人のが2枚あった。 中央下と右下。

伊勢大輔(いせのたいふ)
いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな

大弐三位(だいにのさんみ)
有馬山 猪名(いな)の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

※ 追記 真ん中に、もう一人いた。
儀同三司母(ぎどうさんしのはは)
忘れじの ゆく末までは かたければ けふをかぎりの いのちともがな
大手門から出る。

豫章館(よ しょうかん)。 明治になって、伊東家が住んだ。

敷地がとにかく広い。 伊東家は、明治に入って、この地方の知事になっている。

敷地の奥に、茶室。

小村記念館。 飫肥は、小村寿太郎の出身地。


ポーツマス講和会議。 全権は小村に。 左側中央。

※ この会議で、ポーツマス条約が、ロシアと結ばれる。
日露戦争の後始末の会議。 日本が勝ったから優位に。
この時、樺太の北緯50度以南の領土を、永久に日本へ譲渡する、となった。 それで、樺太に日本人が行った。
いつも、小さな白い水仙だったが、これは大きく黄色。 右は、脇道。


商家がある方に向かっている。

明治の豪商、山本家。


さらに、南に。(商家の方に)

商店街通り。 この道は、広げた。 この辺り一帯に、商家があった。
伝建地区になったのが早いから、町並みはすっかり、それなりの雰囲気になっている。

飫肥城下町地図。

商家資料館。 元は、豪商の建物。 移築復元。

商人として成功したら、殿様とは言わないが、いい生活が出来た。


大八車は、8人分の仕事をするとあった。 初めて知った。

高橋家。 国の登録有形文化財。

ふすまや壁に絵があった。 描いたのは、江夏 英璋 ( えなつ えいしょう )という、宮崎出身の画家だそう。


カタツムリがいた。 写真の真ん中。

鏝絵(こてえ)があった。 壁は新しいもの。 建物は古い。
職人を、大分や福岡の方から呼んだという。
そばにお店があった、串団子を食べた。 最初の券で。


※ おやつは、お菓子や鳥を揚げたのをもらった。 フクロウの置物も。 もらえる店が、いっぱいある。
最初にも書いたが、5ヶ所でもらえる。
こんなのも、ゲット。

神社、そして、武家屋敷の方に向かった。


武家屋敷通り。 後で、通る。

小さな武家屋敷。 伊東家。

旧藩校、振徳堂。

1831年開校。 小村寿太郎も学んだ。 ちょうど閉めたとこだったけど、開けてくれた。

説明の中に、教授は清武からとあるが、清武は宮崎の近く。
※ 伊東家は、飫肥が秀吉から与えられる前、清武が領地になっている。


見終わって、小さな通用口から出た。 初めてかな。

八幡神社にちょっと寄ることに。

クスノキの大木。 400年。

珍しい建物。 屋根が、前に流れている。 以前、どこかで見た。 その時、名前を知ったんだが・・。

石垣は、下の石の形に、上の石を合わせる。 大変でないかな。

武家屋敷通り。 この辺り一帯が、伝建地区の中心。

振り返って撮影。

小村寿太郎の生家。

飫肥城に戻ってきた。


大手門。

少し下って、右に行ったら、駐車場。

ゆっくりのんびり見たら、1日かかる。 見所はいっぱい。 退屈しない。
1000円で、見て食べて楽しめる。 面白いアイディア。
食べなければ、600円。 無料の建物の見学と散歩なら、お金はかからない。
どれだけ使うかは、自分の判断。 駐車料金無料がいい。
伊東氏は飫肥を、執念で島津氏から奪い返した。
その喜びははかり知れなく、それがあって、飫肥の地を大事にし、これだけの城下町を作り上げた。
そんなふうに、想像します。
【今日の歌】
ふるさとの木の下で
※ 画面をクリックしたら、YouTubeに行きます。

彼女の歌は、吾亦紅(われもこう)の、すぎもとまさと が書いてるのかな。
この人については、別の機会にくわしく。 (時間が無くなりました)
青春のたまり場 ※ いい動画があったのですが、なくなりました。
あさがお
【道の駅】 なんごう
【明日の予定】 油津を歩こうかなと
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
Re: タイトルなし
そうです。 伝建地区として、成功しましたね。 町づくりの取り組み方が良かった。
他の町は、参考になります。
飫肥天は食べてない。
今いるところは、桜は散ってしまった。
ここ数日は、夜も暖かいです。
他の町は、参考になります。
飫肥天は食べてない。
今いるところは、桜は散ってしまった。
ここ数日は、夜も暖かいです。
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もう宮崎の方は暖かいことでしょう。