道の駅「阿賀の里」から、京都に近い、道の駅「ガレリアかめおか」まで、565㌔。
1日では無理か。
出発は、11時になった。 ※ ブログを書いたので。
新潟市を通らないで、国道8号線に出た。
海沿いのその道を、ずっと南下した。 何度も走った道。
新潟トヨタ上越店に、午後3時に着いた。
オイル交換。 これをすると、車は喜ぶ。
宮城トヨタ気仙沼店が残っていたら、そこでする予定だった。
でも、会社がどこにあったかさえ分からなかった。
1時間ほどかかって、4時過ぎに出発。
富山市、金沢市、福井市の順に通る。
夜遅くなって、大型トラックが多くなった。
それに挟まれて、怒濤のように走った。
12時過ぎて、疲れた。
道の駅「マキノ追坂峠」で、停泊。
470㌔走って、残り95㌔。
明日、亀岡の道の駅では、元の旅に戻すための、態勢の立て直し。
車の掃除。 中も外も。
それから、洗濯。 床屋も。
晩は、京都で息子と食事。 預かってもらっていた自転車を受け取る。
今日は、どこも見学できなかったので、明日は、どこかを見て写真を撮りたい。
動画を1つだけ撮ったので、載せます。
親不知海岸です。
【道の駅】 マキノ追坂峠
【明日の予定】 道の駅ガレリアかめおか で、車の掃除や洗濯。 夕方、京都にでる。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は10位、 旅行全体で33位です。 放浪の旅は35位です。
記事は役立ったでしょうか。
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出発は、11時になった。 ※ ブログを書いたので。
新潟市を通らないで、国道8号線に出た。
海沿いのその道を、ずっと南下した。 何度も走った道。
新潟トヨタ上越店に、午後3時に着いた。
オイル交換。 これをすると、車は喜ぶ。
宮城トヨタ気仙沼店が残っていたら、そこでする予定だった。
でも、会社がどこにあったかさえ分からなかった。
1時間ほどかかって、4時過ぎに出発。
富山市、金沢市、福井市の順に通る。
夜遅くなって、大型トラックが多くなった。
それに挟まれて、怒濤のように走った。
12時過ぎて、疲れた。
道の駅「マキノ追坂峠」で、停泊。
470㌔走って、残り95㌔。
明日、亀岡の道の駅では、元の旅に戻すための、態勢の立て直し。
車の掃除。 中も外も。
それから、洗濯。 床屋も。
晩は、京都で息子と食事。 預かってもらっていた自転車を受け取る。
今日は、どこも見学できなかったので、明日は、どこかを見て写真を撮りたい。
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親不知海岸です。
【道の駅】 マキノ追坂峠
【明日の予定】 道の駅ガレリアかめおか で、車の掃除や洗濯。 夕方、京都にでる。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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「また元の旅に戻っても、被災者に勘弁してもらえるかな」
今は、そんなふうに思っている。
自分のしたことは、多くの人達と一緒に、被災者に少しだけ手を差し伸べた、そんな感じでしょうか。
被災者の苦労はまだまだ続くので、自分の中に満足感はない。
ただ、ブログの読者を中心に、多くの人に支えられ、ボランティアを無事に終えることができた。
そのことに感謝。
最後の仕事は、海に近い農家のお家の、瓦礫の撤去。
一輪車と軽トラで、津波が置いていった土砂やゴミを運んだ。
京都や神奈川からの若者が20人いた。 家族の人達も、総出。
作業は進み、3時過ぎには終わった。
奥さまが、あのビニルハウスが命の恩人と言った。 ※ ビニルは無く、骨組みだけ。
津波は、1㍍の深さで、突然襲ってきた。
ビニルハウスにいた人みんな、骨組みの上に登った。 助かった。
南相馬市の原町区ボランティアセンターの裏。 ここで、道具を洗ったり。
右の人達と一緒に仕事をした。
この後すぐ、新潟に向かう。
九州の椎葉村を出発して、どんな足取りだったのか、少しだけ整理しておきます。
○ 3月17日 椎葉村を出発。 北に向かう。
○ 22日 遠野市に入る。 釜石市を紹介してもらう。
○ 23日~ 釜石市で、ボランティア スタート。 (荷物運び、炊き出し)
○ 28日~ 大船渡市 (泥出し作業 等)
○ 4月 4日~ 陸前高田市 (風呂焚き、靴の仕分け)
○ 11日~ 南三陸町 (写真の泥落とし、物資の運搬 等)
○ 21日~ 亘理町 (泥出し、瓦礫の撤去 等)
○ 29日~ 相馬市 (遺留品の展示 道具洗い)
○ 5月2日~7日 南相馬市 (瓦礫の撤去、避難所のお手伝い)
思い出の仕事を一つ、と言われたら、陸前高田市での風呂焚きでしょうか。
社長さんの行動に感動した。
自分も家を流されたけど、みんなのために風呂を作った。
4月7日のブログに一部。
※ 最初の風呂は、3月20日の午後2時頃から作り始めた。
従業員と共に徹夜で作り続け、次の日の朝に完成した。
トラックにドラム缶を積んで、川の水を運んだ。(上流に家の無い所の)
ドラム缶4本で、水を沸かした。 廃材を燃やした。
社長さんの動きを知った農協が、水のタンクを提供してくれた。(2トンと4トン)
地下水も使わせてくれた。
何とかまとめたいと思ったブログは、これでしょうか。
最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
YouTube にいい動画があったが、著作権の関係で、消えて行っている。
自分は、小さな集落を中心に130ヶ所、動画を撮った。 YouTubeに載せた。
アクセス数が多かったのは、釜石市の鵜住居(うのすまい)。
報道が入らなかったためと思う。
釜石市に戻る時、道を間違えて入って行った。 津波被害 釜石市鵜住居(YouTube)
忘れられない写真は、これ。 関連ブログ 亘理町鳥の海 「ごめんな」~女川町の男性の写真は、読売新聞で・・・~ 他 (2011/4/24)
私は、ボランティアの場所を動いた。
だから、この1ヶ月半は、ボランティアの旅だった感じもする。
※ こんな気持ちもあった。
私は仕事をしていない。
このボランティアの期間は、自分も仕事をしており、みんなと同じになった。
復興には、まだまだ時間がかかる。
でも、東北の人達の強さや逞しさは、何度も見た。 ※ 泥出しの3人の女性も。
亡くなった人たちに、もう一度住んでみたいと思ってもらえる町を、きっとつくる。
その町を見に、出会った人達に会いに、また来なければならない。
こんなところでしょうか。
私は九州に戻って、山に登ります。
震災で亡くなった多くの人のご冥福を祈り、子供たちにそして被災地に、笑顔が戻ることを願っています。
、
【動画akkamui】
R459。 磐梯山の麓を通って、新潟へ。
R49。 道の駅「阿賀の里」まで、あと少し。
【道の駅】 阿賀の里(新潟県)
※ 阿賀野川の畔(ほとり)にあり、新潟市まであと少し。 晩遅くに着いた。
【明日の予定】 京都に向かう。 途中で、車のオイル交換。
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そのことに感謝。
最後の仕事は、海に近い農家のお家の、瓦礫の撤去。
一輪車と軽トラで、津波が置いていった土砂やゴミを運んだ。
京都や神奈川からの若者が20人いた。 家族の人達も、総出。
作業は進み、3時過ぎには終わった。
奥さまが、あのビニルハウスが命の恩人と言った。 ※ ビニルは無く、骨組みだけ。
津波は、1㍍の深さで、突然襲ってきた。
ビニルハウスにいた人みんな、骨組みの上に登った。 助かった。
南相馬市の原町区ボランティアセンターの裏。 ここで、道具を洗ったり。
右の人達と一緒に仕事をした。
この後すぐ、新潟に向かう。

九州の椎葉村を出発して、どんな足取りだったのか、少しだけ整理しておきます。
○ 3月17日 椎葉村を出発。 北に向かう。
○ 22日 遠野市に入る。 釜石市を紹介してもらう。
○ 23日~ 釜石市で、ボランティア スタート。 (荷物運び、炊き出し)
○ 28日~ 大船渡市 (泥出し作業 等)
○ 4月 4日~ 陸前高田市 (風呂焚き、靴の仕分け)
○ 11日~ 南三陸町 (写真の泥落とし、物資の運搬 等)
○ 21日~ 亘理町 (泥出し、瓦礫の撤去 等)
○ 29日~ 相馬市 (遺留品の展示 道具洗い)
○ 5月2日~7日 南相馬市 (瓦礫の撤去、避難所のお手伝い)
思い出の仕事を一つ、と言われたら、陸前高田市での風呂焚きでしょうか。
社長さんの行動に感動した。
自分も家を流されたけど、みんなのために風呂を作った。

4月7日のブログに一部。
※ 最初の風呂は、3月20日の午後2時頃から作り始めた。
従業員と共に徹夜で作り続け、次の日の朝に完成した。
トラックにドラム缶を積んで、川の水を運んだ。(上流に家の無い所の)
ドラム缶4本で、水を沸かした。 廃材を燃やした。
社長さんの動きを知った農協が、水のタンクを提供してくれた。(2トンと4トン)
地下水も使わせてくれた。
何とかまとめたいと思ったブログは、これでしょうか。
最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
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自分は、小さな集落を中心に130ヶ所、動画を撮った。 YouTubeに載せた。
アクセス数が多かったのは、釜石市の鵜住居(うのすまい)。
報道が入らなかったためと思う。
釜石市に戻る時、道を間違えて入って行った。 津波被害 釜石市鵜住居(YouTube)
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私は、ボランティアの場所を動いた。
だから、この1ヶ月半は、ボランティアの旅だった感じもする。
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私は仕事をしていない。
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復興には、まだまだ時間がかかる。
でも、東北の人達の強さや逞しさは、何度も見た。 ※ 泥出しの3人の女性も。
亡くなった人たちに、もう一度住んでみたいと思ってもらえる町を、きっとつくる。
その町を見に、出会った人達に会いに、また来なければならない。
こんなところでしょうか。
私は九州に戻って、山に登ります。
震災で亡くなった多くの人のご冥福を祈り、子供たちにそして被災地に、笑顔が戻ることを願っています。
、
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R49。 道の駅「阿賀の里」まで、あと少し。
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