渡し舟に乗れるという。 鶴江(つるえ)の渡し。
それだけで、行かなければ。
・ ・ ・ ・ ・
江戸時代に、姥倉(うばくら)運河ができた。
島ができて、橋1つでつながっている。
場所によっては、橋が遠いところが。
それで渡し船。 昔は3か所あった。
※ ※ ※ ※ ランキング
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・ ・ ・ ・ ・
左の赤〇に、鶴江の渡し。 島の部分は山なので、鶴江台。
道の駅から歩いた。

道の駅、萩しーまーと。 右に、大きな漁港市場。
右写真、左の細い道に入って、広い道の下を通って右に。

姥倉運河に出た。 川の水をこっちに流すために江戸時代に。(洪水防止)
向こうの港と道の駅の港との近道でも。
途中から漁船などが。 漁港のように。 右写真の船は釣り船。

平和橋。 橋はこれだけ。
右写真、橋の上から。 向こうから右岸を来た。

橋の上から。 右に渡って。
家並の中の道。 あっちこっちから運河沿いの道に出られる。 10㍍ほど。
先の方で、運河は左からの松本川に出る。

細い海のよう。 ここは運河でなく、松本川。

向こうから来た。 大きな橋は松本川の雁島(がんじま)橋。 最後に通る。 右から。
少し先に薪(まき)が見える。 そこにいた人と、5分ほどお話し。
渡船は昔は3つあったと。 ここらの人は、さっきの橋を渡る。 ここは島だと思っていると。
暖房は薪。(やわらかな暖かさ) のこを研いでいた。 畑の垣根の枝を切る。

鶴江の渡しについた。 対岸のあそこに。 船は下に。 誰でも無料。 帰りに乗る。

すぐ近くに上への道。 神明(しんめい)社。(伊勢神宮との関りが)

上がってきた。 ぽこんとした指月山(しづきやま)。
左ふもとに萩城跡。 長い間そこは長州藩の拠点だった。(のちに、拠点は山口市に)

ほぼ山のうえに。 鳥居の隣に、見ざる聞かざる話さずの像。
後ろに猿田彦大神。 ※ 庚申信仰とのかかわり。 猿田彦は天照大神をこの世に案内した神でしたね。 旅の神でも。

拝殿。 左に、休憩所があった。 お参りの後、お茶を飲むのか。

※ 右となりは分かりやすい。 享和元酉八月朔日。(1801年8月1日 酉(とり)年)
灯篭の字は読めない。 一番上は文かな。 年数のところは2文字の広さ。 戌(いぬ)年。
上のように考えたら、それに合うのは、下の年でした。
文化11(1811)年正月吉日でした。(予想で)

鶴江の渡しに戻ってきた。 管理人さんは、いつでもいいよって。

ライフジャケットを着た。 (なかった時のために、自分のリュックには4㍑のポリタンク)

この方が。 慣れた手つき。 観光客が来るんですよと。 学生さんも。 ※ 橋をまわってきたら30分はかかるか。
風を感じて。 ※ お嫁さんが乗ったことあるか聞いてみればよかった。(橋の無い時代はきっと・・) 鶴江の花嫁。

漁船がやってきた。 こっちが優先だという。 ここは市道の一部。
近づいて停まった。 そして、後ろを通って行った。

着きました。 快適。

また戻る。 お世話になりました。

対岸の道を行く。 給油船が通った。

上面に姥倉運河。 右から、松本川。 この後、橋を渡って。

渡ったら、昔の国道かな。 古い家並み。

登り窯(がま)が。 平成3年まで使用と。 焼きあがるのに48時間。

左に曲がって、着きました。

渡し舟は、日本に何か所あるのでしょう。
めったに乗れません。 いい経験でした。
【駐車場】 道の駅から歩いた。
【記事紹介】 小豆島にある渡し舟。 瀬戸の花嫁の舞台?
討幕の中心地、萩を歩く。 小さな火山だった、萩の笠山。
【道の駅】 萩しーまーと。
【明日の予定】 西に。 長門市のある半島に。 初めて。 途中寄れるところがあれば、そこに。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-H1 XF 18-135mm f 3.5-5.6
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
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今までの記事には、この2枚だけ。
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左の赤〇に、鶴江の渡し。 島の部分は山なので、鶴江台。
道の駅から歩いた。


道の駅、萩しーまーと。 右に、大きな漁港市場。
右写真、左の細い道に入って、広い道の下を通って右に。


姥倉運河に出た。 川の水をこっちに流すために江戸時代に。(洪水防止)
向こうの港と道の駅の港との近道でも。
途中から漁船などが。 漁港のように。 右写真の船は釣り船。


平和橋。 橋はこれだけ。
右写真、橋の上から。 向こうから右岸を来た。


橋の上から。 右に渡って。
家並の中の道。 あっちこっちから運河沿いの道に出られる。 10㍍ほど。
先の方で、運河は左からの松本川に出る。


細い海のよう。 ここは運河でなく、松本川。

向こうから来た。 大きな橋は松本川の雁島(がんじま)橋。 最後に通る。 右から。
少し先に薪(まき)が見える。 そこにいた人と、5分ほどお話し。
渡船は昔は3つあったと。 ここらの人は、さっきの橋を渡る。 ここは島だと思っていると。
暖房は薪。(やわらかな暖かさ) のこを研いでいた。 畑の垣根の枝を切る。

鶴江の渡しについた。 対岸のあそこに。 船は下に。 誰でも無料。 帰りに乗る。


すぐ近くに上への道。 神明(しんめい)社。(伊勢神宮との関りが)


上がってきた。 ぽこんとした指月山(しづきやま)。
左ふもとに萩城跡。 長い間そこは長州藩の拠点だった。(のちに、拠点は山口市に)

ほぼ山のうえに。 鳥居の隣に、見ざる聞かざる話さずの像。
後ろに猿田彦大神。 ※ 庚申信仰とのかかわり。 猿田彦は天照大神をこの世に案内した神でしたね。 旅の神でも。


拝殿。 左に、休憩所があった。 お参りの後、お茶を飲むのか。


※ 右となりは分かりやすい。 享和元酉八月朔日。(1801年8月1日 酉(とり)年)
灯篭の字は読めない。 一番上は文かな。 年数のところは2文字の広さ。 戌(いぬ)年。
上のように考えたら、それに合うのは、下の年でした。
文化11(1811)年正月吉日でした。(予想で)

鶴江の渡しに戻ってきた。 管理人さんは、いつでもいいよって。

ライフジャケットを着た。 (なかった時のために、自分のリュックには4㍑のポリタンク)

この方が。 慣れた手つき。 観光客が来るんですよと。 学生さんも。 ※ 橋をまわってきたら30分はかかるか。
風を感じて。 ※ お嫁さんが乗ったことあるか聞いてみればよかった。(橋の無い時代はきっと・・) 鶴江の花嫁。


漁船がやってきた。 こっちが優先だという。 ここは市道の一部。
近づいて停まった。 そして、後ろを通って行った。


着きました。 快適。

また戻る。 お世話になりました。


対岸の道を行く。 給油船が通った。


上面に姥倉運河。 右から、松本川。 この後、橋を渡って。


渡ったら、昔の国道かな。 古い家並み。

登り窯(がま)が。 平成3年まで使用と。 焼きあがるのに48時間。


左に曲がって、着きました。


渡し舟は、日本に何か所あるのでしょう。
めったに乗れません。 いい経験でした。
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討幕の中心地、萩を歩く。 小さな火山だった、萩の笠山。
【道の駅】 萩しーまーと。
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柿本人麻呂の百人一首の歌。
「あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」
・ ・ ・ ・ ・
はるか遠い昔の歌なのに、どこかで聞いたことありますね。
流れがいい。 すらすらっと読めます。
代表的な歌として、これも。
「東(ひむがし)の 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」
人麻呂は、石見に役人として来ていて、そこで亡くなったと言われる。
自分は、初めて知った。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
・ ・ ・ ・ ・
万葉公園は、益田市の市街地の南に。

柿本神社は、公園の東の端に。

駐車場から南側を。 国道9号のバイパスが見える。 津和野、山口を通って下関へ。

神社へ行く途中、北側が見えた。 益田市の市街地。 遠くに昨日見た高島が。

道が迷路のようにある。 神社へ向かう案内は、少しだけ。 迷いそう。
スマホの地図で、やっと。

万葉植物園が途中に。 右写真は、石の広場。

左にお店。 万葉植物園に入ってきた。

人麻呂の歌を中心に。 あちこちにいっぱい。 いくつか紹介。 解釈はネットから。
「笹の葉は み山もさやにさやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば」
解釈 笹の葉は、この山にさやさやと(心乱せというように)風に吹かれて音を立てているけれど、私は妻のことを
一筋に思っています。別れてきてしまったので。
妹(いも)は、妻のことを指すことが多いようです。 妻は都に。 単身赴任。
歌にしなくてもいいのにと・・。 でも、こんな歌ばっかり。?。

「秋の野の、尾花が末(うれ)の、生(お)ひなびき、心は妹(いも)に 寄りにけるかも」
解釈 秋の野の尾花の先が(風に)なびくように、私の心はあの娘になびいてしまったのですよ。
何かに例えての表現ですね。 独身の時に歌ったのかな。

「春されば まづさきくさの 幸(さき)くあらば 後にも逢はむ な恋ひそ吾妹」
解釈 春が来ればまず真っ先に咲く三枝のように 幸いならばまた逢えるだろう。
そんなに恋焦がれないでくれ わが愛しい人よ。
恋の歌が多いですね。 平安時代の歌もそうでした。
他に考えることないのかって。 酒がうまいとか。
※ 幸の字は、古い時代には「さき」と読みましたね。 幸(さき)くとばかりに歌うなり。(蛍の光)

あちこちで紅葉。

「あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも」
解釈 あかね色をおびて日輪は今日も輝いているのだが、太陽にも似た皇子は、
ぬばたまの黒々とした夜空を渡る月のように隠れてしまったことが惜しいよ。
草壁皇子が亡くなったときに歌っています。 彼は天武天皇と後の持統天皇の間に生まれた皇子。
次の天皇はだれにするとか、大変な時代。

別の人のを。 大伴家持。 大宰府から都に帰るとき。
「鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相(あひ)見し妹は 忘らえめやも」
解釈 鞆の浦の磯のむろの木を見るたびに、一緒に見た妻を忘れることはないだろう。
鞆の浦は瀬戸内にある港町ですね。 この記事に。
彼の歌は鹿児島県の長島で見ています。 この記事の最後に。
旅人の百人一種の歌はこれです。
「かささぎの 渡せる橋におく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」
※ 北海道は下の句かるた。 小学校の高学年なら「白きを見れば」の部分は多くの子が知っている。

間もなくです。

着きました。 拝殿の左に、人麻呂の像。

手に筆を持って。

初めの歌は、最初に紹介。 東(ひんがし)の~~も、代表作ですね。
この歌の歌った場所は分かっています。 この記事に。
石見で歌った歌。
「石見のや、高角(たかつの)山の、木(こ)の間(ま)より、我が振る袖を、妹(いも)見つらむか」
解釈 石見のこの高角山の木の間から、私が袖をふる姿を、妻は今頃見ているだろうか。
(高角山は、江津市にある、島の星山のようです)

Wikipediaにある、人麻呂。

反対方向に、楼門。 自分は裏から来ていた。

下から。 お寺の門のよう。

彼は石見国府の役人としてきた。 724年に亡くなっている。 奈良時代の初めに。
右写真、有栖川って人が書いた。 有栖川家は今はないですね。

戻る。 右は、地元の俳人が。

拝殿の正面は左。 終焉地は鴨島ってある。 地震で海に沈んだ。
人麻呂は江戸時代にも、大きな人間と認められていたんですね。

もと来た道を戻る。

誰にも会わなかった。

昔の言葉は難しい。 少しずつでも・・。
【駐車場】 公園内に駐車場が4か所ある。
【道の駅】 ゆとりパークたまがわ。(萩市) 近くに西堂寺六角堂があります。 その記事。
【明日の予定】 近くの高山(こうやま)に行きたい。 頂上の石が磁石だそう。
登山道を調べ切れていない。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム、X-H1 XF 18-135mm f 3.5-5.6
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流れがいい。 すらすらっと読めます。
代表的な歌として、これも。
「東(ひむがし)の 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」
人麻呂は、石見に役人として来ていて、そこで亡くなったと言われる。
自分は、初めて知った。
※ ※ ※ ※ ランキング


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・ ・ ・ ・ ・
万葉公園は、益田市の市街地の南に。


柿本神社は、公園の東の端に。


駐車場から南側を。 国道9号のバイパスが見える。 津和野、山口を通って下関へ。


神社へ行く途中、北側が見えた。 益田市の市街地。 遠くに昨日見た高島が。


道が迷路のようにある。 神社へ向かう案内は、少しだけ。 迷いそう。
スマホの地図で、やっと。

万葉植物園が途中に。 右写真は、石の広場。


左にお店。 万葉植物園に入ってきた。

人麻呂の歌を中心に。 あちこちにいっぱい。 いくつか紹介。 解釈はネットから。
「笹の葉は み山もさやにさやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば」
解釈 笹の葉は、この山にさやさやと(心乱せというように)風に吹かれて音を立てているけれど、私は妻のことを
一筋に思っています。別れてきてしまったので。
妹(いも)は、妻のことを指すことが多いようです。 妻は都に。 単身赴任。
歌にしなくてもいいのにと・・。 でも、こんな歌ばっかり。?。

「秋の野の、尾花が末(うれ)の、生(お)ひなびき、心は妹(いも)に 寄りにけるかも」
解釈 秋の野の尾花の先が(風に)なびくように、私の心はあの娘になびいてしまったのですよ。
何かに例えての表現ですね。 独身の時に歌ったのかな。

「春されば まづさきくさの 幸(さき)くあらば 後にも逢はむ な恋ひそ吾妹」
解釈 春が来ればまず真っ先に咲く三枝のように 幸いならばまた逢えるだろう。
そんなに恋焦がれないでくれ わが愛しい人よ。
恋の歌が多いですね。 平安時代の歌もそうでした。
他に考えることないのかって。 酒がうまいとか。
※ 幸の字は、古い時代には「さき」と読みましたね。 幸(さき)くとばかりに歌うなり。(蛍の光)

あちこちで紅葉。

「あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも」
解釈 あかね色をおびて日輪は今日も輝いているのだが、太陽にも似た皇子は、
ぬばたまの黒々とした夜空を渡る月のように隠れてしまったことが惜しいよ。
草壁皇子が亡くなったときに歌っています。 彼は天武天皇と後の持統天皇の間に生まれた皇子。
次の天皇はだれにするとか、大変な時代。

別の人のを。 大伴家持。 大宰府から都に帰るとき。
「鞆の浦の 磯のむろの木 見むごとに 相(あひ)見し妹は 忘らえめやも」
解釈 鞆の浦の磯のむろの木を見るたびに、一緒に見た妻を忘れることはないだろう。
鞆の浦は瀬戸内にある港町ですね。 この記事に。
彼の歌は鹿児島県の長島で見ています。 この記事の最後に。
旅人の百人一種の歌はこれです。
「かささぎの 渡せる橋におく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける」
※ 北海道は下の句かるた。 小学校の高学年なら「白きを見れば」の部分は多くの子が知っている。

間もなくです。

着きました。 拝殿の左に、人麻呂の像。

手に筆を持って。

初めの歌は、最初に紹介。 東(ひんがし)の~~も、代表作ですね。
この歌の歌った場所は分かっています。 この記事に。
石見で歌った歌。
「石見のや、高角(たかつの)山の、木(こ)の間(ま)より、我が振る袖を、妹(いも)見つらむか」
解釈 石見のこの高角山の木の間から、私が袖をふる姿を、妻は今頃見ているだろうか。
(高角山は、江津市にある、島の星山のようです)

Wikipediaにある、人麻呂。


反対方向に、楼門。 自分は裏から来ていた。


下から。 お寺の門のよう。


彼は石見国府の役人としてきた。 724年に亡くなっている。 奈良時代の初めに。
右写真、有栖川って人が書いた。 有栖川家は今はないですね。


戻る。 右は、地元の俳人が。


拝殿の正面は左。 終焉地は鴨島ってある。 地震で海に沈んだ。
人麻呂は江戸時代にも、大きな人間と認められていたんですね。


もと来た道を戻る。


誰にも会わなかった。


昔の言葉は難しい。 少しずつでも・・。
【駐車場】 公園内に駐車場が4か所ある。
【道の駅】 ゆとりパークたまがわ。(萩市) 近くに西堂寺六角堂があります。 その記事。
【明日の予定】 近くの高山(こうやま)に行きたい。 頂上の石が磁石だそう。
登山道を調べ切れていない。
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