紀伊半島の山深い所にいる。
和歌山市を離れてから、コンビニはずっと見ていない。
今日歩いたところも、小さな村。
印は北山村。
飛地になってる和歌山県。
途中、熊野本宮大社と瀞八丁(どろはっちょう)を通って。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
紀伊半島の山は深いから、修験道が発達したのかな。

林道のような国道もいっぱい。 大変。 3つの県が入り混じっている。

熊野本宮大社。 ※ 写真は、13日に買い物に出たとき撮っていた。

石段の参道を登って。

右の神門を行くと、本殿。 左に黎明(れいめい)殿。

黎明殿。 狛犬の所に、八咫烏(やたがらす)。

神様の使いの鳥。

今年は戌年か。 漫画の流れ星銀の犬みたい。 紀州犬が知られていますね。

神門を抜けて。

本殿。

八咫烏の八咫坊を買った。 アッカムイ神社に仲間入り。

河原の方に5分ほど歩いた。 大きな鳥居。 人が小さい。
本宮は、元々はこっちにあった。 それで、この奥に石の祠のようなのがある。

熊野川は、暴れ川。 流されて今の高台に。

こんな雰囲気。

国道169を北に向かった。 ※ 14日の午後。
瀞峡(どろきょう)。 深い峡谷。

下が北。 3つの県境。 今は奈良県にいる。

切り立った崖の下に。

案内図とかは無い。 遊歩道を行ってみる。

吊橋に来た。 渡ったら三重県。 2人いる。

向こうから来た。 観光船に乗れるよう。 ※ 観光地としては荒れている。

なかなかの風景。 旅館は毎日はやってない。

さっきの2人が、端っこに来て度胸試し。 自分も真似した。

橋のたもとに家があって、人が住んでいた。

国道169は、時々1.5車線に。 不安なく走れる道。 (バスの運転手はいやがるか)
14日の夕方、北山村に着いた。
※ ずっと昔は、北山村は飛地でなく、繋がっていた。 川沿いに。
木材を流す。 紀州藩の木材として。
ところが、十津川村が今の和歌山県に入り込んできた。
つまり、和歌山県の一部の地域が、十津川村になった。
どうして、そうなったか。
十津川村は、江戸時代、厳しい土地なので税が免除。 それがあって。
(十津川村は、時の権力者には、何かあったら協力。)

筏(いかだ)。

散歩していたら、人がいた。
お店はどこに、とか聞いた。 いろんな話をした。
お酒を飲むことになった。 (この後自分は買いに行く)

上の写真の作業場に、シカの頭蓋骨。 中間に、クマのがある。
ここの人は、今はハンターでも。 シカは、罠でもつかまえる。 イノシシも。

筏はこのように。 観光かな。 スリルがある。

シカ肉の燻製。 美味しい肉。 臭みは全くない。
レモンのようなのは、じゃばら。 ※ 意味は、邪を払うのよう。
花粉症にそれなりに効くと分かって、全国販売。 大きな収益。
お酒は、ビールと焼酎。 3人で。 ※ ここのご主人の友達も。

2時間ほど飲んだでしょうか。 下から、今日。
別の小屋にボート。 ラフティングに使う。 村の備品。

小さなコンビニがある。 酒・タバコは無い。

村を散策。 ツチノコならいいのに。
昔は話題になることがあったよう。

隣にダム湖。

キャンプ場。

桜は間もなく。 例年より早い。
京都の桜は、3月の末には満開になりそう。 あと2週間。

吊橋。 1㌧までの車は通れる。

ダムが出来る時に、道の駅などが整備されたのでしょうか。

三重県に来た。 紀和町。 2005年に熊野市と合併。 今は熊野市。

10分ほど歩いたけど、村をちゃんとは見渡せなかった。

戻って来た。

高台にきた。

どこの家も、見晴らしがいい。

おひな様のように家が並ぶ。

一番上に来た。 見福寺。

古い歴史。 宝篋印塔は、墓地内にも。

これだ。 室町時代の物。

適当な道を戻った。

猟の季節は終わって、これからは山菜の時期だという。
季節を楽しみながら暮らしているように、見えた。
いつかまた、北山村に来ます。 秋がいいですね。
【道の駅】 吉野路上北山
【明日の予定】 上北山村を。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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印は北山村。
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紀伊半島の山は深いから、修験道が発達したのかな。

林道のような国道もいっぱい。 大変。 3つの県が入り混じっている。

熊野本宮大社。 ※ 写真は、13日に買い物に出たとき撮っていた。

石段の参道を登って。

右の神門を行くと、本殿。 左に黎明(れいめい)殿。

黎明殿。 狛犬の所に、八咫烏(やたがらす)。

神様の使いの鳥。


今年は戌年か。 漫画の流れ星銀の犬みたい。 紀州犬が知られていますね。

神門を抜けて。


本殿。

八咫烏の八咫坊を買った。 アッカムイ神社に仲間入り。


河原の方に5分ほど歩いた。 大きな鳥居。 人が小さい。
本宮は、元々はこっちにあった。 それで、この奥に石の祠のようなのがある。

熊野川は、暴れ川。 流されて今の高台に。

こんな雰囲気。

国道169を北に向かった。 ※ 14日の午後。
瀞峡(どろきょう)。 深い峡谷。

下が北。 3つの県境。 今は奈良県にいる。

切り立った崖の下に。

案内図とかは無い。 遊歩道を行ってみる。

吊橋に来た。 渡ったら三重県。 2人いる。

向こうから来た。 観光船に乗れるよう。 ※ 観光地としては荒れている。

なかなかの風景。 旅館は毎日はやってない。

さっきの2人が、端っこに来て度胸試し。 自分も真似した。

橋のたもとに家があって、人が住んでいた。

国道169は、時々1.5車線に。 不安なく走れる道。 (バスの運転手はいやがるか)
14日の夕方、北山村に着いた。
※ ずっと昔は、北山村は飛地でなく、繋がっていた。 川沿いに。
木材を流す。 紀州藩の木材として。
ところが、十津川村が今の和歌山県に入り込んできた。
つまり、和歌山県の一部の地域が、十津川村になった。
どうして、そうなったか。
十津川村は、江戸時代、厳しい土地なので税が免除。 それがあって。
(十津川村は、時の権力者には、何かあったら協力。)

筏(いかだ)。


散歩していたら、人がいた。
お店はどこに、とか聞いた。 いろんな話をした。
お酒を飲むことになった。 (この後自分は買いに行く)

上の写真の作業場に、シカの頭蓋骨。 中間に、クマのがある。
ここの人は、今はハンターでも。 シカは、罠でもつかまえる。 イノシシも。

筏はこのように。 観光かな。 スリルがある。

シカ肉の燻製。 美味しい肉。 臭みは全くない。
レモンのようなのは、じゃばら。 ※ 意味は、邪を払うのよう。
花粉症にそれなりに効くと分かって、全国販売。 大きな収益。
お酒は、ビールと焼酎。 3人で。 ※ ここのご主人の友達も。

2時間ほど飲んだでしょうか。 下から、今日。
別の小屋にボート。 ラフティングに使う。 村の備品。


小さなコンビニがある。 酒・タバコは無い。

村を散策。 ツチノコならいいのに。
昔は話題になることがあったよう。

隣にダム湖。

キャンプ場。

桜は間もなく。 例年より早い。
京都の桜は、3月の末には満開になりそう。 あと2週間。

吊橋。 1㌧までの車は通れる。

ダムが出来る時に、道の駅などが整備されたのでしょうか。

三重県に来た。 紀和町。 2005年に熊野市と合併。 今は熊野市。

10分ほど歩いたけど、村をちゃんとは見渡せなかった。

戻って来た。

高台にきた。

どこの家も、見晴らしがいい。

おひな様のように家が並ぶ。

一番上に来た。 見福寺。

古い歴史。 宝篋印塔は、墓地内にも。

これだ。 室町時代の物。

適当な道を戻った。

猟の季節は終わって、これからは山菜の時期だという。
季節を楽しみながら暮らしているように、見えた。
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旧安諦(あで)村の地図が、道の駅あらぎの里にあった。
それで、見学することに。
そうしたら、そこは紀子様の先祖の地と分かった。
面白さがプラスされたでしょうか。
少しずつ、有田(ありだ)川の上流に向かっている。
源流に近づいたら、そこは高野山。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
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紀伊半島の山の中には、人の少ない所がある。
そこの国道は、林道と同じ。
うっかり入り込んだら、大変。
四国にも似た所が。 九州は、道の改善がハイピッチ。

高野山から熊野本宮に向かう熊野古道は、小辺路(こへち)と呼ばれる。
その中に、絶景のポイントがある。
果無(はてなし)集落。 天空の郷と呼ばれる。
そこに行きたい。 明日の夕方には、近くまで。
横断する便利な道は無い。 天川村にも行きたい。 今回行けるか。
×の部分は、自分の車は通れない。

印を見学。 赤〇に停泊。
※ かつらぎ町は北の方に長い。 北の方の隣に、九度山町がある。
九度山は、真田昌幸と信繁が上田を夢見て暮らした土地。 住居跡に今は・・。~九度山町~ 他 (2016/10/4)

旧安諦(あで)村の中心街。 今は、有田川町板尾。 時計回りで動く。

家並の手前に、空き地があった。 そこに車。

有田川。 まだ水量は豊富。

こんな所を。

左はバイパス。 右は旧道。 手前の平屋の家は、有田川町の役場の支所。

ここから左に。 阿弥陀堂がある。
少し前まで、地域の女性の方と話していた。
最後に、紀子様のひいおじいちゃんは、安諦(あで)の出身ですよねと聞いた。
そうですよと。
子孫の方が今も住んでいて、場所を教えてくれた。
この後、家の前を通った。
※ ここですとは、ここでは書けないですね。

紀子様の旧姓は川嶋。
曽祖父(そうそふ・ひいおじいちゃん)の名前は、川嶋庄一郎。
Wikipediaでは下のように。 要約。
1870年(明治3年)4月14日、和歌山県有田郡山保田組板尾村(現・有田川町)の農業・松浦平吉( - 1876年)の
三男として生れた。
※ 板尾村は、明治の中頃合併して、安諦(あで)村に。
幼名は力松。 (松浦力松)
1876年(明治9年)3月16日に父の平吉が亡くなり、一家は貧しい生活を強いられ苦労するが、
力松は二人の兄とともに母をよく助けた。
また、寺子屋で一度習ったことは二度と忘れなかったことから「袋耳」の異名があった。
地元の開明小学校(現・有田川町立安諦小学校)を卒業後和歌山県師範学校に進み、1889年(明治22年)
学力操行共に優等を以て卒業する。
その後東京高等師範学校に入学するが、その優秀さが、跡取りを探していた和歌山市本町8丁の資産家で地主の
川嶋庄右衛門の目に留まった。
松浦力松は、東京高等師範学校卒業直前の1894年(明治27年)3月、川嶋家の婿養子となるに当たって、当主の
庄右衛門の一字をとって庄一郎と改名し、同月25日に庄右衛門の長女・志まと結婚した。
この地に生まれ育ち、この地の小学校にと、分かりますね。
川嶋家に婿養子に入り結婚。
紀子様は、川嶋庄一郎(松浦平吉)のひ孫になります。
※ 松浦の名前を忘れないで。 最後に出て来ます。(表札でなく)
この道を行って右に。 家の前の雰囲気がいい。きっと、景色もいい。

※ 川嶋庄一郎の写真は見つからない。
子供の、川嶋孝彦の写真はある。
紀子様のおじいちゃん。(Wikpedia)
紀子様は、結婚する前この地に来ている。(先ほど教えていただいた)
登った左に阿弥陀堂。 つまさき上りの坂。 (今日の歌は決まった)

この道を上がってきた。 いい風景がいっぱい。
※ 紀子様も見た風景。 心に焼き付いたでしょうね。
子供たちが走り回っている。 4名いる。

向こうに阿弥陀堂。 右の木の陰。

広場になっている。 昔何があったのでしょう。
安諦小学校は、最初は阿弥陀堂での寺子屋からスタート。
右写真。 四角いのは宝篋印塔(ほうきょういんとう)。 まるいのは五輪塔。

先への道の風景。

戻って、小学校に上がってきた。 自分の車が、橋の右向こうに小さく。

安諦小学校のグランド。 右から来た。

児童数は、10名ほどでしょうか。 さっき4名見た。
※ HPはこの2年間、書かれていない。
松浦力松もここを卒業。

校歌です。

中学校。 やってるのかな。

反対側に。 向こうで、バイパスと旧道が合流。
左を見たら、木の根が私をにらむ。 クマか?
※ 余談 和歌山県のクマの生息数は約200頭。
紀伊半島のクマは、近い将来絶滅の不安。 他との行き来は出来ない。

このお家の前も、雰囲気がいい。 ※ 朝顔の花を見ながら冷たいビール。 スイカもいいな。

向こうに戻る。

有田川に吊橋。

大きなトラックは行けない。

雪解けの冷たい水は、海に急ぐ。

戻る。

八重咲の梅。
※ 余談 八重と云えば綾瀬はるかを思い出す。
彼女や吉永小百合は、年を重ねても、心は若くなっていく。
自分も、そんな生き方をしたい。
花の季節です。

お店もある。 簡易郵便局か。

ここにも。 酒が売っている。

さっきは、ここを右に行った。

支所の隣の建物に、これ。
紀子様の曽祖父の名前は、川嶋庄一郎(松浦平吉)でしたね。
松浦とあります。 説明はいいですね。
この後、下の寺に向かうが、道が不安で戻った。

自分の車の近くに、神社があった。

車で北の方に入って来た。 校歌にあった、雨山の方に。
ここは案内にもあった、徳善寺。

振り返って。

停泊場所を探しながら、奥に。 有田川町の一番奥の集落。

観光地ではないけど、有田川沿いの小さな集落を歩いてみました。
どこも古い歴史がある。
北海道とは違いますね。 そだね~って。
【今日の歌】 つまさき坂 永井龍雲
【停泊場所】 印の場所。 明日は赤〇を通って。

【明日の予定】 果無(はてなし)集落に向かいます。
集落には明後日。 熊野古道の小辺路(こへち)にあります。 ミニ登山。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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それで、見学することに。
そうしたら、そこは紀子様の先祖の地と分かった。
面白さがプラスされたでしょうか。
少しずつ、有田(ありだ)川の上流に向かっている。
源流に近づいたら、そこは高野山。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

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紀伊半島の山の中には、人の少ない所がある。
そこの国道は、林道と同じ。
うっかり入り込んだら、大変。
四国にも似た所が。 九州は、道の改善がハイピッチ。

高野山から熊野本宮に向かう熊野古道は、小辺路(こへち)と呼ばれる。
その中に、絶景のポイントがある。
果無(はてなし)集落。 天空の郷と呼ばれる。
そこに行きたい。 明日の夕方には、近くまで。
横断する便利な道は無い。 天川村にも行きたい。 今回行けるか。
×の部分は、自分の車は通れない。

印を見学。 赤〇に停泊。
※ かつらぎ町は北の方に長い。 北の方の隣に、九度山町がある。
九度山は、真田昌幸と信繁が上田を夢見て暮らした土地。 住居跡に今は・・。~九度山町~ 他 (2016/10/4)

旧安諦(あで)村の中心街。 今は、有田川町板尾。 時計回りで動く。

家並の手前に、空き地があった。 そこに車。

有田川。 まだ水量は豊富。

こんな所を。

左はバイパス。 右は旧道。 手前の平屋の家は、有田川町の役場の支所。

ここから左に。 阿弥陀堂がある。
少し前まで、地域の女性の方と話していた。
最後に、紀子様のひいおじいちゃんは、安諦(あで)の出身ですよねと聞いた。
そうですよと。
子孫の方が今も住んでいて、場所を教えてくれた。
この後、家の前を通った。
※ ここですとは、ここでは書けないですね。


紀子様の旧姓は川嶋。
曽祖父(そうそふ・ひいおじいちゃん)の名前は、川嶋庄一郎。
Wikipediaでは下のように。 要約。
1870年(明治3年)4月14日、和歌山県有田郡山保田組板尾村(現・有田川町)の農業・松浦平吉( - 1876年)の
三男として生れた。
※ 板尾村は、明治の中頃合併して、安諦(あで)村に。
幼名は力松。 (松浦力松)
1876年(明治9年)3月16日に父の平吉が亡くなり、一家は貧しい生活を強いられ苦労するが、
力松は二人の兄とともに母をよく助けた。
また、寺子屋で一度習ったことは二度と忘れなかったことから「袋耳」の異名があった。
地元の開明小学校(現・有田川町立安諦小学校)を卒業後和歌山県師範学校に進み、1889年(明治22年)
学力操行共に優等を以て卒業する。
その後東京高等師範学校に入学するが、その優秀さが、跡取りを探していた和歌山市本町8丁の資産家で地主の
川嶋庄右衛門の目に留まった。
松浦力松は、東京高等師範学校卒業直前の1894年(明治27年)3月、川嶋家の婿養子となるに当たって、当主の
庄右衛門の一字をとって庄一郎と改名し、同月25日に庄右衛門の長女・志まと結婚した。
この地に生まれ育ち、この地の小学校にと、分かりますね。
川嶋家に婿養子に入り結婚。
紀子様は、川嶋庄一郎(松浦平吉)のひ孫になります。
※ 松浦の名前を忘れないで。 最後に出て来ます。(表札でなく)
この道を行って右に。 家の前の雰囲気がいい。きっと、景色もいい。


※ 川嶋庄一郎の写真は見つからない。
子供の、川嶋孝彦の写真はある。

紀子様は、結婚する前この地に来ている。(先ほど教えていただいた)
登った左に阿弥陀堂。 つまさき上りの坂。 (今日の歌は決まった)

この道を上がってきた。 いい風景がいっぱい。
※ 紀子様も見た風景。 心に焼き付いたでしょうね。
子供たちが走り回っている。 4名いる。

向こうに阿弥陀堂。 右の木の陰。

広場になっている。 昔何があったのでしょう。
安諦小学校は、最初は阿弥陀堂での寺子屋からスタート。
右写真。 四角いのは宝篋印塔(ほうきょういんとう)。 まるいのは五輪塔。


先への道の風景。

戻って、小学校に上がってきた。 自分の車が、橋の右向こうに小さく。

安諦小学校のグランド。 右から来た。

児童数は、10名ほどでしょうか。 さっき4名見た。
※ HPはこの2年間、書かれていない。
松浦力松もここを卒業。

校歌です。


中学校。 やってるのかな。

反対側に。 向こうで、バイパスと旧道が合流。
左を見たら、木の根が私をにらむ。 クマか?
※ 余談 和歌山県のクマの生息数は約200頭。
紀伊半島のクマは、近い将来絶滅の不安。 他との行き来は出来ない。


このお家の前も、雰囲気がいい。 ※ 朝顔の花を見ながら冷たいビール。 スイカもいいな。


向こうに戻る。

有田川に吊橋。

大きなトラックは行けない。

雪解けの冷たい水は、海に急ぐ。


戻る。

八重咲の梅。
※ 余談 八重と云えば綾瀬はるかを思い出す。
彼女や吉永小百合は、年を重ねても、心は若くなっていく。
自分も、そんな生き方をしたい。
花の季節です。

お店もある。 簡易郵便局か。

ここにも。 酒が売っている。

さっきは、ここを右に行った。

支所の隣の建物に、これ。
紀子様の曽祖父の名前は、川嶋庄一郎(松浦平吉)でしたね。
松浦とあります。 説明はいいですね。
この後、下の寺に向かうが、道が不安で戻った。

自分の車の近くに、神社があった。


車で北の方に入って来た。 校歌にあった、雨山の方に。
ここは案内にもあった、徳善寺。


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観光地ではないけど、有田川沿いの小さな集落を歩いてみました。
どこも古い歴史がある。
北海道とは違いますね。 そだね~って。
【今日の歌】 つまさき坂 永井龍雲
【停泊場所】 印の場所。 明日は赤〇を通って。

【明日の予定】 果無(はてなし)集落に向かいます。
集落には明後日。 熊野古道の小辺路(こへち)にあります。 ミニ登山。
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