黒部ダムに行く人は、みんな室堂まで行った。
標高、2450㍍。 目の前に立山。 3015㍍。
立山を調べたら、6時間で行って来れる。
失敗した。 夏に来るんだった。
来年、富山側から入って、登るか。
今回は、長野側から行く。 車は、大町市の扇沢まで行ける。
立山黒部アルペンルートは、ここから始まる。
※ 黒部ダムや立山の麓を通る道を、上のように読んでいる。 単に、アルペンルートとも。
黒部ダムまでは、トロリーバス。 電車のように走る。 ずっとトンネルの中。
黒部ダム。 1956年に作り始め、1963年に完成。 アーチ式ダム。
大きさは日本一ではないが、高さは、今でも日本一。
工事での一番の苦労は、トロリーバスが通った、トンネルを掘ることだった。
途中に、岩が粉々な、破砕帯と呼ばれる所があった。
危険な工事が続き、殉職者は、171人。
工事については、プロジェクトXでも取り扱われ、中島みゆきが紅白で、ここに来て歌った。
※ 工事の様子も少しある。 いいですよ。 (クリックで流れる)
黒部川の上流で、ダムの地点は、富山県。 北アルプスの山の中。
立山が、正面に見える。
赤○の中に、駅が見える。 この後、ケーブルカーとロープウェーでそこに行く。
3000㍍を越える、高い山だ。 ※ 3つの山をまとめて、立山。
赤○の駅。 大観峰と呼ばれる。
北にある、白馬岳。
遊覧船もある。
人が、小さく見える。 ※ 戸隠の杉並木と同じ。
下に行ける。 行ってきた。 高さが分かる。
人がいっぱいいる。 ほとんどが、団体客。
ダム(堤)の上を歩いている。
向こうから来た。
ケーブルカーの駅は、山の中。
これに乗る。 一気に登る。
向こうから、登って来ている。
黒部平から。
黒部湖。
次は、ロープウェー。
黒部湖。 黒部湖の水をみんなで分けると、日本人一人一人に、約2トン(㎥)ずつ当たる。
再度、トロリーバス。 山の下を通って、立山の向こうに行く。
ここは、立山の直下。
室堂。 アルペンルートの最高地点。 2450㍍。
立山の頂上まで、高低差600㍍程。 山を見て、これなら登れるって感じた。
※ 今日は天気がいいから、完全な装備をしていたら、登れた。 登ってる人もいた。
一大観光地だった。 もっと静かな所だと、思っていた。
西の方。
散策路は、どこまでもある。 池は、ミクリガ池。
立派なホテルもある。
駅は、右の方。 山の上だから寒いけど、今日は晴れた。
地獄谷。 今日は通行止め。(ガスの状況による)
歩いたのは、1時間程。 この辺りは、ライチョウの生息地という。
立山は左にあって、登る時は、中央の谷に上がって、そこから左に登って行く。
黒部ダムに戻った。 殉難碑があった。
こんな写真が。 ここへ来るための道を、まず作った。 ※ 上のYouTubeの画像にもある。
今でも、この道はあって、通れるようだ。
(YouTube)
駐車場にもどってきた。
アルペンルートの交通費は、8800円。
高いから、何度も行く所ではない。
※ 団体客は、パックツアーで、きっと安い。
室堂は、山に登る時の、通過点に思った。
また、黒部ダムは、今も電気を生み出していた。
それを知って、ほっとした。
もし無用の長物になっていたら、どれだけ自然を壊したことになるか。
ダムの底には、砂や土が積り続けている。
それでも、今後200年以上は使えるという。
経済成長が始まった時、関西で電力が足りなくなった。
それを解消したのが、黒部ダムだった。
大きな役割を果たした時代があった。
【道の駅】 白馬
【明日の予定】 再度、新潟に向かいます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
☆ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
【ランキング】 国内旅行は 9位、 旅行全体で22位 です。 放浪の旅は48位です。
記事は役立ったでしょうか。
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標高、2450㍍。 目の前に立山。 3015㍍。
立山を調べたら、6時間で行って来れる。
失敗した。 夏に来るんだった。
来年、富山側から入って、登るか。
今回は、長野側から行く。 車は、大町市の扇沢まで行ける。
立山黒部アルペンルートは、ここから始まる。
※ 黒部ダムや立山の麓を通る道を、上のように読んでいる。 単に、アルペンルートとも。

黒部ダムまでは、トロリーバス。 電車のように走る。 ずっとトンネルの中。

黒部ダム。 1956年に作り始め、1963年に完成。 アーチ式ダム。
大きさは日本一ではないが、高さは、今でも日本一。

工事での一番の苦労は、トロリーバスが通った、トンネルを掘ることだった。
途中に、岩が粉々な、破砕帯と呼ばれる所があった。
危険な工事が続き、殉職者は、171人。
工事については、プロジェクトXでも取り扱われ、中島みゆきが紅白で、ここに来て歌った。
※ 工事の様子も少しある。 いいですよ。 (クリックで流れる)


黒部川の上流で、ダムの地点は、富山県。 北アルプスの山の中。

立山が、正面に見える。
赤○の中に、駅が見える。 この後、ケーブルカーとロープウェーでそこに行く。

3000㍍を越える、高い山だ。 ※ 3つの山をまとめて、立山。

赤○の駅。 大観峰と呼ばれる。

北にある、白馬岳。

遊覧船もある。

人が、小さく見える。 ※ 戸隠の杉並木と同じ。

下に行ける。 行ってきた。 高さが分かる。

人がいっぱいいる。 ほとんどが、団体客。

ダム(堤)の上を歩いている。

向こうから来た。

ケーブルカーの駅は、山の中。

これに乗る。 一気に登る。

向こうから、登って来ている。

黒部平から。

黒部湖。

次は、ロープウェー。

黒部湖。 黒部湖の水をみんなで分けると、日本人一人一人に、約2トン(㎥)ずつ当たる。

再度、トロリーバス。 山の下を通って、立山の向こうに行く。
ここは、立山の直下。

室堂。 アルペンルートの最高地点。 2450㍍。
立山の頂上まで、高低差600㍍程。 山を見て、これなら登れるって感じた。
※ 今日は天気がいいから、完全な装備をしていたら、登れた。 登ってる人もいた。

一大観光地だった。 もっと静かな所だと、思っていた。

西の方。

散策路は、どこまでもある。 池は、ミクリガ池。

立派なホテルもある。

駅は、右の方。 山の上だから寒いけど、今日は晴れた。

地獄谷。 今日は通行止め。(ガスの状況による)

歩いたのは、1時間程。 この辺りは、ライチョウの生息地という。

立山は左にあって、登る時は、中央の谷に上がって、そこから左に登って行く。

黒部ダムに戻った。 殉難碑があった。

こんな写真が。 ここへ来るための道を、まず作った。 ※ 上のYouTubeの画像にもある。

今でも、この道はあって、通れるようだ。
(YouTube)

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アルペンルートの交通費は、8800円。
高いから、何度も行く所ではない。
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室堂は、山に登る時の、通過点に思った。
また、黒部ダムは、今も電気を生み出していた。
それを知って、ほっとした。
もし無用の長物になっていたら、どれだけ自然を壊したことになるか。
ダムの底には、砂や土が積り続けている。
それでも、今後200年以上は使えるという。
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鬼無里を通るので、少しだけ寄ってみた。
この秋の大きな目的は、黒部ダムを見ることだった。
天気予報が変わって、明日晴れる。 明日行くと決めた。
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鬼無里については、全ては、この歌を知ったことで始まった。 (クリックして、流れます)
右に上がって行ったら、賀茂神社、東京(ひがしのきょう)がある。
去年行った。
ここは、鬼無里。 京都の地名がいっぱいある。
937年、会津で呉葉(くれは)という女の子が生まれた。
ところが、両親が魔王に祈って生まれたため、本当は、鬼の化身だった。(伝説では、そうなった)
美しく賢かった。 京の都に上った。 名前は、紅葉(もみじ)と変えた。
琴を教えていたが、源経基の目にとまった。
局となり、経基の子を宿した。 ※ 局(つぼね)~女中だけど位が高い。
御台所(正妻)は病にかかっていたが、それは、紅葉の呪いと云われ、そうなってしまった。
戸隠にとばされた。 その後、ひと山越えた、鬼無里に住む。
京の都を、鬼無里につくった。
でも、京に戻りたいとのことで、軍資金を集めるため、悪さをした。(伝説で、そうなった)
その噂は、京に伝わった。
平維茂が、紅葉討伐にやってきた。 最後は、首をはねられた。
紅葉(呉葉)33歳の晩秋、10月25日だった。
ここが、紅葉が住んでいたとされる場所。 内裏(だいり)屋敷跡。 地図ではここ。
紅葉伝説は、形を変えて、色々ある。
歌舞伎や神楽で「紅葉狩」として、演じられる。
道路の右側の方。 小高い丘の上に、月夜の陵(はか)と呼ばれる、古い墓がある。
私が知りたいのは、昔あったかもしれない事実は、何なのか。
可能性がある、というものでいいから、知りたい。
想像で描かれた、紅葉。
昔、この地に、ある女性が、事情があって流されてきたのは、事実でないかと思う。
ここは、流されるような土地なのかというと、戸隠と一緒で、辺ぴな所。
※ 戸隠は、天の岩戸の戸が、飛ばされて隠された場所。 遠くて、取りに行けない山奥。
もう一つの事実は、紅葉が美しかったこと。
美しいがために、鬼にされた。
誰が鬼にするのか。
それは、彼女に嫉妬した者。 または、彼女を自分の意のままに出来なかった者。
こんな建物。
彼女を鬼にしたとする、一番怪しいのは、上に書いた御台所。 (京都のことを事実とすれば)
次に怪しいのは、彼女を手に入れることが出来なかった、男たち。 誰かは、分からない。
ここまでをまとめると、鬼無里には昔、嫉妬されるか恨まれる状況の、美しい女性がいた。
それは、並大抵の美しさではない。 京から来たというのも、本当かも。
これだけの事実があれば、話はいくらでも膨らんでいくと思う。
語り継がれていくうちに、伝説になる。
田中冬二、という人の歌碑。
月夜の陵(はか) 田中冬二
信州の戸隠や鬼無里は 早い年には
十一月に もう雪が来る
鬼無里に月夜の陵という 古蹟がある
白鳳の世に皇族が故あって
此処に蟄居(ちっきょ)したが
その墳墓(ふんぼ)と云われている
その史実はもとより 伝説さえ
日に日に忘却されようと している
月夜の陵
なんという美しく また 悲しい名であろう
月夜の陵(はか)は、紅葉の女官とも言われている。
紅葉についてはもっと知りたい。
でも、私の知りたいことが書いてある文書は、まだ見つからない。
無いかも知れない。
紅葉伝説は、まったくの伝説ではないと、思っているんですが。
※ 関連ブログ 紅葉(鬼女)伝説 他
白馬への山を越えて、大出(おおいで)の吊橋。
この吊橋のどこがいいのか、最後まで分からなかった。
調べて分かった。 この橋と山を一緒に撮ったら、素晴らしい写真になるそうだ。
こんな写真が撮れる。 今は、これより雪は少ない。 ※ ハイランドホテルさんのHPからお借り。
山の中に民家が、伝建地区になっているという。 こういうの初めて。
青鬼(あおに)地区。
道路が工事しているので、車を置いて歩いた。(通行止めの標示があった)
工事の人に、青鬼は遠いかいと聞いたら、歩くには遠いと言った。
通っていいって、通してくれた。 車に戻った。 有難い。
白馬のスキー場が見える。 長野オリンピックで、ここでジャンプなどが行われた。
家並みと、棚田などを含めた全体の景観が、価値あると認められた。
砂利の駐車場に車を停めたのだが、駐車料金500円。 しっかりしている。
棚田は、小さな規模。
こんな景観。
あれ! 茅葺が、鉄板で覆われている。 これでいいのかな。
米搗(つ)き に使われた、ガッタリ というもの。
こうやって、水がたまる。
流れ落ちて、ガタンとなる。
1軒、中を見ることができた。
反対方向から撮影。
ここにも。 撮影には、耐えられない建物が多かった。
少し高い所に、石仏群があった。
どれも、きっと、江戸時代の物。
こんな表情。
泣いてるように見えた。
青鬼集落は、歩いて楽しいという集落ではない。
壁も鉄板の家が多く、なつかしい古里の風景ではない。
どこか作戦が間違ってる感じがした。
荻ノ島の環状茅葺集落の魅力を学んだらいいと思う。 そのブログ。
山を出たら、ここに。 鉄道は、大糸線。
明日は、早い時間に出発する。 トロリーバスに乗って、ダムまで行ける。
その奥もある。 時間と相談しながら行くのか。
行けるとこまで行ったら、交通費は、バカにならない。
今日は、鬼無里の道を、ずっと聞いていました。
いい歌です。
【道の駅】 白馬
【明日の予定】 黒部ダム
【ランキング】 国内旅行は 9位、 旅行全体で45位 です。 放浪の旅は45位です。
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鬼無里については、全ては、この歌を知ったことで始まった。 (クリックして、流れます)

右に上がって行ったら、賀茂神社、東京(ひがしのきょう)がある。
去年行った。

ここは、鬼無里。 京都の地名がいっぱいある。

937年、会津で呉葉(くれは)という女の子が生まれた。
ところが、両親が魔王に祈って生まれたため、本当は、鬼の化身だった。(伝説では、そうなった)
美しく賢かった。 京の都に上った。 名前は、紅葉(もみじ)と変えた。
琴を教えていたが、源経基の目にとまった。
局となり、経基の子を宿した。 ※ 局(つぼね)~女中だけど位が高い。
御台所(正妻)は病にかかっていたが、それは、紅葉の呪いと云われ、そうなってしまった。
戸隠にとばされた。 その後、ひと山越えた、鬼無里に住む。
京の都を、鬼無里につくった。
でも、京に戻りたいとのことで、軍資金を集めるため、悪さをした。(伝説で、そうなった)
その噂は、京に伝わった。
平維茂が、紅葉討伐にやってきた。 最後は、首をはねられた。
紅葉(呉葉)33歳の晩秋、10月25日だった。
ここが、紅葉が住んでいたとされる場所。 内裏(だいり)屋敷跡。 地図ではここ。

紅葉伝説は、形を変えて、色々ある。
歌舞伎や神楽で「紅葉狩」として、演じられる。
道路の右側の方。 小高い丘の上に、月夜の陵(はか)と呼ばれる、古い墓がある。

私が知りたいのは、昔あったかもしれない事実は、何なのか。
可能性がある、というものでいいから、知りたい。
想像で描かれた、紅葉。

昔、この地に、ある女性が、事情があって流されてきたのは、事実でないかと思う。
ここは、流されるような土地なのかというと、戸隠と一緒で、辺ぴな所。
※ 戸隠は、天の岩戸の戸が、飛ばされて隠された場所。 遠くて、取りに行けない山奥。

もう一つの事実は、紅葉が美しかったこと。
美しいがために、鬼にされた。
誰が鬼にするのか。
それは、彼女に嫉妬した者。 または、彼女を自分の意のままに出来なかった者。
こんな建物。

彼女を鬼にしたとする、一番怪しいのは、上に書いた御台所。 (京都のことを事実とすれば)
次に怪しいのは、彼女を手に入れることが出来なかった、男たち。 誰かは、分からない。
ここまでをまとめると、鬼無里には昔、嫉妬されるか恨まれる状況の、美しい女性がいた。
それは、並大抵の美しさではない。 京から来たというのも、本当かも。
これだけの事実があれば、話はいくらでも膨らんでいくと思う。
語り継がれていくうちに、伝説になる。
田中冬二、という人の歌碑。

月夜の陵(はか) 田中冬二
信州の戸隠や鬼無里は 早い年には
十一月に もう雪が来る
鬼無里に月夜の陵という 古蹟がある
白鳳の世に皇族が故あって
此処に蟄居(ちっきょ)したが
その墳墓(ふんぼ)と云われている
その史実はもとより 伝説さえ
日に日に忘却されようと している
月夜の陵
なんという美しく また 悲しい名であろう

月夜の陵(はか)は、紅葉の女官とも言われている。
紅葉についてはもっと知りたい。
でも、私の知りたいことが書いてある文書は、まだ見つからない。
無いかも知れない。
紅葉伝説は、まったくの伝説ではないと、思っているんですが。
※ 関連ブログ 紅葉(鬼女)伝説 他
白馬への山を越えて、大出(おおいで)の吊橋。

この吊橋のどこがいいのか、最後まで分からなかった。
調べて分かった。 この橋と山を一緒に撮ったら、素晴らしい写真になるそうだ。

こんな写真が撮れる。 今は、これより雪は少ない。 ※ ハイランドホテルさんのHPからお借り。

山の中に民家が、伝建地区になっているという。 こういうの初めて。
青鬼(あおに)地区。
道路が工事しているので、車を置いて歩いた。(通行止めの標示があった)
工事の人に、青鬼は遠いかいと聞いたら、歩くには遠いと言った。
通っていいって、通してくれた。 車に戻った。 有難い。

白馬のスキー場が見える。 長野オリンピックで、ここでジャンプなどが行われた。

家並みと、棚田などを含めた全体の景観が、価値あると認められた。

砂利の駐車場に車を停めたのだが、駐車料金500円。 しっかりしている。
棚田は、小さな規模。

こんな景観。
あれ! 茅葺が、鉄板で覆われている。 これでいいのかな。

米搗(つ)き に使われた、ガッタリ というもの。

こうやって、水がたまる。

流れ落ちて、ガタンとなる。

1軒、中を見ることができた。

反対方向から撮影。

ここにも。 撮影には、耐えられない建物が多かった。

少し高い所に、石仏群があった。

どれも、きっと、江戸時代の物。

こんな表情。

泣いてるように見えた。

青鬼集落は、歩いて楽しいという集落ではない。
壁も鉄板の家が多く、なつかしい古里の風景ではない。
どこか作戦が間違ってる感じがした。
荻ノ島の環状茅葺集落の魅力を学んだらいいと思う。 そのブログ。
山を出たら、ここに。 鉄道は、大糸線。

明日は、早い時間に出発する。 トロリーバスに乗って、ダムまで行ける。
その奥もある。 時間と相談しながら行くのか。
行けるとこまで行ったら、交通費は、バカにならない。
今日は、鬼無里の道を、ずっと聞いていました。
いい歌です。
【道の駅】 白馬
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樹齢400年を超える、杉並木の中を歩いた。
奥社へ向かう人々が、小さく見えた。
戸隠には、今、人が押し寄せているという。
須坂の東風さんのアドバイスで、土日を避けた。
人気の理由は、パワースポットとして紹介されてることと、吉永小百合のJRのCM。
人の数は、善光寺以上かもしれない。
ここは、戸隠神社の中心、中社。
昔は、寺と神社の両方だったが、明治以降は神社だけ。
信玄と謙信の争いの地だったので、苦難の歴史を持っている。
安定したのは、江戸時代に入ってから。 修験の地から、門前町の中心として姿を変えていく。
今日は、全部歩く。 現在地から奥社に行って、鏡池へ。
そこから、ピンクの所にある「そばの実」という、お蕎麦屋さんへ。 CMに出てくるお店。
歩く距離は、10㌔ちょっとか。
この後の数日を含めて、雨が降らないのは、今日くらい。
だから、歩いてても楽しい。
この道は、戸隠古道。 昔の参道。 歩く人は少ない。 ※ 奥社の山の下にも、駐車場があるため。
女人堂跡の石碑があった。 明治以前は、ここから先、女の人は行けなかった。
気温は低い。 雪が少し舞った。 手袋をはいて、冬の格好。 体は温かい。
石碑が見える。
少し読みにくいが、面白いことが書いてあった。 こんな話は、初めて。
山には霧があって、その下の風景。
奥社への入り口。 大鳥居が見える。
この時10時過ぎ。 人が多い。 戻ってくる人もいる。
奥社への参道は、こう。
随神門(ずいしんもん)が見えてきた。
随神門。 ここから、悪い人間は入れない。
門の両側に、随神の像がある。(見えづらい)
奥社参道杉並木は、ここから。
人が小さい。 木は並んでるので、植えたものに間違いない。 700㍍続く。
穴のあいた木が、遠くに見えてきた。
今は、入れない。
雨があがったので、外をのぞいた。 そんな感じか。 CMは、これ。
※ 他のCMもそうだけど、この人は、「さあ行くわよ!」っていう動きをする。 それが好き。
参道の両側には、昔のお寺の跡などがある。 昔は、神仏混淆(こんこう)だったので。
※ 明治に入って壊した。 もったいない。 全国でそうした。
最後は、石段の上り。
地蔵さんが。
建物が見えてきた。
九頭竜社。 水を司る神。
上に奥社。
お参りした。 うやうやしく頭を下げるよう書いてあった。 むずかしい。
戸隠全体が高原。 その中でも、ここは高い。 日陰とかに、雪があった。
全体は、こんな感じ。
こんな写真ばかり撮ってる人がいたので、真似をした。
随神門から、山の道に入った。 鏡池に行く。
こうですよ。 後ろに山がそびえ立っていた。
山を映すから鏡池か。 雨のせいで、少し濁っている。
正確には分からないが、中央の山は、西岳かも。 2053㍍。 ずっと右に、戸隠山がある。 雲の中。
全体は、こう。 CMに登場したので、私を含め、みんなやってくる。 いい所です。
車道を歩いて戻った。 サルがいた。 ※ 熊がいるので、スプレーは持っていた。 だから、怖くない。
ここが、そばの実 というお蕎麦屋さん。 お昼時だったので、30分ほど待った。
信州に来て、初めて蕎麦を食べた。 美味しい。 CMと同じ、ざるそば を食べた。
撮影に使った場所は、写真中央の窓際の小上がり。 お店の人の役も、プロの人。
また歩いて、車に戻った。 そうしたら、私を待ってる人がいた。
北海道の雄武町出身の方で、今は東京にいる。 戸隠に来て私の車を見つけた。 ブログで私を知っていた。
お蕎麦でも食べようと、神社の石段を下りた。
御馳走していただいた。 ここのお店も美味しい。
雄武の話し、旅のこと、仕事のことなど、1時間ほど話した。
正面から、中社を。
戸隠には、魅力がいっぱいある。
土日で暖かかったら、どれだけ人が集まるのだろう。
※ 交通渋滞するので、平日以外は、シャトルバスが走る。
今日のような杉並木は、羽黒山以来だった。
吉永小百合の力はすごい。 松尾芭蕉に似てると思った。
【停泊地】 地図にある、中社の駐車場。 山の上なので、寒い。
【明日の予定】 鬼無里(きなさ)に寄って、白馬村の方に行こうかと。
天気が良くないので、動きにくい。
【今日の動画】 善光寺のCM。 八戸の横町もCMになった。 動画はない。 ※ 関連ブログ 長横町れんさ街 他
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戸隠には、今、人が押し寄せているという。
須坂の東風さんのアドバイスで、土日を避けた。
人気の理由は、パワースポットとして紹介されてることと、吉永小百合のJRのCM。
人の数は、善光寺以上かもしれない。
ここは、戸隠神社の中心、中社。
昔は、寺と神社の両方だったが、明治以降は神社だけ。
信玄と謙信の争いの地だったので、苦難の歴史を持っている。
安定したのは、江戸時代に入ってから。 修験の地から、門前町の中心として姿を変えていく。


今日は、全部歩く。 現在地から奥社に行って、鏡池へ。
そこから、ピンクの所にある「そばの実」という、お蕎麦屋さんへ。 CMに出てくるお店。
歩く距離は、10㌔ちょっとか。

この後の数日を含めて、雨が降らないのは、今日くらい。
だから、歩いてても楽しい。
この道は、戸隠古道。 昔の参道。 歩く人は少ない。 ※ 奥社の山の下にも、駐車場があるため。
女人堂跡の石碑があった。 明治以前は、ここから先、女の人は行けなかった。

気温は低い。 雪が少し舞った。 手袋をはいて、冬の格好。 体は温かい。
石碑が見える。

少し読みにくいが、面白いことが書いてあった。 こんな話は、初めて。

山には霧があって、その下の風景。


奥社への入り口。 大鳥居が見える。

この時10時過ぎ。 人が多い。 戻ってくる人もいる。

奥社への参道は、こう。

随神門(ずいしんもん)が見えてきた。

随神門。 ここから、悪い人間は入れない。

門の両側に、随神の像がある。(見えづらい)

奥社参道杉並木は、ここから。

人が小さい。 木は並んでるので、植えたものに間違いない。 700㍍続く。

穴のあいた木が、遠くに見えてきた。

今は、入れない。

雨があがったので、外をのぞいた。 そんな感じか。 CMは、これ。
※ 他のCMもそうだけど、この人は、「さあ行くわよ!」っていう動きをする。 それが好き。

参道の両側には、昔のお寺の跡などがある。 昔は、神仏混淆(こんこう)だったので。
※ 明治に入って壊した。 もったいない。 全国でそうした。

最後は、石段の上り。

地蔵さんが。

建物が見えてきた。

九頭竜社。 水を司る神。

上に奥社。

お参りした。 うやうやしく頭を下げるよう書いてあった。 むずかしい。

戸隠全体が高原。 その中でも、ここは高い。 日陰とかに、雪があった。

全体は、こんな感じ。

こんな写真ばかり撮ってる人がいたので、真似をした。

随神門から、山の道に入った。 鏡池に行く。

こうですよ。 後ろに山がそびえ立っていた。

山を映すから鏡池か。 雨のせいで、少し濁っている。

正確には分からないが、中央の山は、西岳かも。 2053㍍。 ずっと右に、戸隠山がある。 雲の中。

全体は、こう。 CMに登場したので、私を含め、みんなやってくる。 いい所です。

車道を歩いて戻った。 サルがいた。 ※ 熊がいるので、スプレーは持っていた。 だから、怖くない。

ここが、そばの実 というお蕎麦屋さん。 お昼時だったので、30分ほど待った。


信州に来て、初めて蕎麦を食べた。 美味しい。 CMと同じ、ざるそば を食べた。
撮影に使った場所は、写真中央の窓際の小上がり。 お店の人の役も、プロの人。


また歩いて、車に戻った。 そうしたら、私を待ってる人がいた。
北海道の雄武町出身の方で、今は東京にいる。 戸隠に来て私の車を見つけた。 ブログで私を知っていた。
お蕎麦でも食べようと、神社の石段を下りた。

御馳走していただいた。 ここのお店も美味しい。
雄武の話し、旅のこと、仕事のことなど、1時間ほど話した。

正面から、中社を。

戸隠には、魅力がいっぱいある。
土日で暖かかったら、どれだけ人が集まるのだろう。
※ 交通渋滞するので、平日以外は、シャトルバスが走る。
今日のような杉並木は、羽黒山以来だった。
吉永小百合の力はすごい。 松尾芭蕉に似てると思った。
【停泊地】 地図にある、中社の駐車場。 山の上なので、寒い。
【明日の予定】 鬼無里(きなさ)に寄って、白馬村の方に行こうかと。
天気が良くないので、動きにくい。
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「春風や 牛に引かれて 善光寺」
そう歌われた、善光寺に行ってきた。
雨というのに、たくさんの人が来ていた。
長野市は、善光寺の門前町として、今の大きな町になった。
ちゃんとは、知らなかった。
駐車場から本堂に向かった。 途中に、善光寺資料館。
本堂が横から見えた。 場所はここです。
本堂を離れた所から見たいので、参道を下った。
六地蔵があった。
一番右の地蔵の足が、台(蓮台)から足を出している。
早く、みんなを助けに行きたいという、意志の表れだそう。 ※ 本当は足がしびれた。 そう思う。
打ち消し文
三門。
本堂を正面から。 国宝。 なぜ国宝なのか。
江戸時代中期を代表する建物とある。 他を探したが、分からない。 大きさは、日本で3番目。
宗派がないという。 変わった寺だ。
でも、そのお陰で、誰でもが行きやすい。
本堂に入る前に、左方面を撮影。 鐘楼が見える。
長野オリンピックの開会を告げる音は、この鐘の音だった。
全世界に、ゴ~ンって響き渡った。
※ それを、遠く海の向こうで聞いた男がいた。 次の年、日産の社長になった。 日産は復活した(?)。
三門。
本堂の中。 中での撮影は出来ない。
ここからの写真は、パンフレットなどの写真。
※ 有難味を増すために撮影させない、理由はそれだけだと、思っている。
本尊は、阿弥陀如来なんだが、見せてはくれない。
その秘仏があるのは正面ではなく、左の方。
寺の説明では、その秘仏は、百済から渡ってきた、日本最古の仏像とある。
そうであれば、国宝か、最低、重要文化財になる。
でも、実際は、どちらにもなっていない。 不思議だ。
本尊は、箱のようなものに入っていて、決められた時間に、ほんの短い時間だけ、カーテンが上がる。
上がる瞬間は見た。 見えるのは、もちろん箱だけ。
私は、その仕掛けを考えたことに、心の中で、すこし笑った。
本尊を支える、弥勒菩薩と地蔵菩薩。
500円払って、メインイベント。 お戒壇めぐり。
ここからもぐって、本尊の下を通る。
真っ暗やみの中を進んだ。 途中壁に鍵があるという。 極楽浄土への鍵だ。
見えないから、壁伝いに歩くしかない。 それでも、暗闇は恐怖。
私の前に、母親と娘さんがいた。 怖くて動けない。
話をしながら、少しづつ進んだ。
鍵らしいものが、見つかった。 お互い教えあった。
これは、言葉で教えるのではなく、相手の手を取って教えるしかない。
私は、久しぶりに、女の人の手に触れた。
その鍵は、紐かなんかで、本尊とつながってるそうだ。
やっと出てきた。
寺の人に聞いた。 あの鍵は開かないのかい、って。
あの鍵を開ける時は、あの世、つまり極楽浄土へ行く時って教えてくれた。
この仕組みは、善光寺本堂の大きな魅力になっていた。
本堂から出たら、親鸞聖人の像があった。 こんな若い表情は、初めて見る。
寒いから、鳩はふくらんだ。
ここは、大勧進。 天台宗。 ここの住職が、善光寺を取り仕切っている
びんずつ尊者。 みんななでる。 この人は、この場所をずっと。
この後、水子地蔵の所に行って。しばらくそこにいた。 手を合わせて。
これは、面白いですよ。 宝篋印塔。
誰が造ったか。 それは、義経を支えた、佐藤兄弟の母親。
こんな説明。
母親は、佐渡おけさで登場している。
山頭火も来ていた。 昭和11年に。
「八重桜うつくしく 南無観世音菩薩像」
善光寺には、観世音菩薩像(観音像)はない。
それなのに、山頭火は、どうしてこんな歌を詠んだのか。
それは、日本百観音いわれる、百の寺があって、そこを全部お参りしたら、善光寺に来る習わしがあった。
山頭火は、そのことを知っていたので、この歌を詠んだと思う。
小林一茶です。 一茶は、信濃の人。
「春風や 牛に引かれて 善光寺」
善光寺の鳩を見て、東くめ という人が、はとぽっぽ の歌を作ったという。 東くめ(Wikipedia)
作曲は、滝廉太郎。 鳩ぽっぽ(YouTube)
経蔵。
撮影するつもりはなかったけど、撮影禁止とあったので、遠くから。
石の車を回せば、苦悩から抜け出せるとあった。 何回も回しておいた。
さすが、善光寺。 並みの観光地は及ばない。 それほどの人。
一度お参りすれば、極楽浄土へ行けると言う。
でも、行けたかどうかは、あの世に行かなければ分からない。
今の世に、極楽浄土があればいい。
普通に生活できるのが、極楽浄土か。
友達がいて、お酒が飲めて、健康で。 それ以上望んだら、贅沢だな。
【停泊場所】 戸隠まで、あと7㌔ほど。 山の上の空き地。 ずいぶん登った。
【明日の予定】 戸隠。 吉永小百合のJRの宣伝以来、人でいっぱいだという。(東風さんの情報)
明日は、9時前には動く。 ここですよ(YouTube)。
【今日の動画】 長野オリンピックと言えば、これしかない。(YouTube)
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は 5位、 旅行全体で12位 です。
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そう歌われた、善光寺に行ってきた。
雨というのに、たくさんの人が来ていた。
長野市は、善光寺の門前町として、今の大きな町になった。
ちゃんとは、知らなかった。
駐車場から本堂に向かった。 途中に、善光寺資料館。

本堂が横から見えた。 場所はここです。

本堂を離れた所から見たいので、参道を下った。

六地蔵があった。
一番右の地蔵の足が、台(蓮台)から足を出している。
早く、みんなを助けに行きたいという、意志の表れだそう。 ※ 本当は足がしびれた。 そう思う。

三門。

本堂を正面から。 国宝。 なぜ国宝なのか。
江戸時代中期を代表する建物とある。 他を探したが、分からない。 大きさは、日本で3番目。

宗派がないという。 変わった寺だ。
でも、そのお陰で、誰でもが行きやすい。

本堂に入る前に、左方面を撮影。 鐘楼が見える。
長野オリンピックの開会を告げる音は、この鐘の音だった。
全世界に、ゴ~ンって響き渡った。
※ それを、遠く海の向こうで聞いた男がいた。 次の年、日産の社長になった。 日産は復活した(?)。

三門。

本堂の中。 中での撮影は出来ない。

ここからの写真は、パンフレットなどの写真。
※ 有難味を増すために撮影させない、理由はそれだけだと、思っている。
本尊は、阿弥陀如来なんだが、見せてはくれない。
その秘仏があるのは正面ではなく、左の方。
寺の説明では、その秘仏は、百済から渡ってきた、日本最古の仏像とある。
そうであれば、国宝か、最低、重要文化財になる。
でも、実際は、どちらにもなっていない。 不思議だ。
本尊は、箱のようなものに入っていて、決められた時間に、ほんの短い時間だけ、カーテンが上がる。
上がる瞬間は見た。 見えるのは、もちろん箱だけ。
私は、その仕掛けを考えたことに、心の中で、すこし笑った。

本尊を支える、弥勒菩薩と地蔵菩薩。


500円払って、メインイベント。 お戒壇めぐり。
ここからもぐって、本尊の下を通る。
真っ暗やみの中を進んだ。 途中壁に鍵があるという。 極楽浄土への鍵だ。
見えないから、壁伝いに歩くしかない。 それでも、暗闇は恐怖。
私の前に、母親と娘さんがいた。 怖くて動けない。
話をしながら、少しづつ進んだ。
鍵らしいものが、見つかった。 お互い教えあった。
これは、言葉で教えるのではなく、相手の手を取って教えるしかない。
私は、久しぶりに、女の人の手に触れた。
その鍵は、紐かなんかで、本尊とつながってるそうだ。

やっと出てきた。
寺の人に聞いた。 あの鍵は開かないのかい、って。
あの鍵を開ける時は、あの世、つまり極楽浄土へ行く時って教えてくれた。
この仕組みは、善光寺本堂の大きな魅力になっていた。
本堂から出たら、親鸞聖人の像があった。 こんな若い表情は、初めて見る。


寒いから、鳩はふくらんだ。

ここは、大勧進。 天台宗。 ここの住職が、善光寺を取り仕切っている

びんずつ尊者。 みんななでる。 この人は、この場所をずっと。
この後、水子地蔵の所に行って。しばらくそこにいた。 手を合わせて。

これは、面白いですよ。 宝篋印塔。
誰が造ったか。 それは、義経を支えた、佐藤兄弟の母親。

こんな説明。

母親は、佐渡おけさで登場している。

山頭火も来ていた。 昭和11年に。
「八重桜うつくしく 南無観世音菩薩像」
善光寺には、観世音菩薩像(観音像)はない。
それなのに、山頭火は、どうしてこんな歌を詠んだのか。
それは、日本百観音いわれる、百の寺があって、そこを全部お参りしたら、善光寺に来る習わしがあった。
山頭火は、そのことを知っていたので、この歌を詠んだと思う。

小林一茶です。 一茶は、信濃の人。
「春風や 牛に引かれて 善光寺」

善光寺の鳩を見て、東くめ という人が、はとぽっぽ の歌を作ったという。 東くめ(Wikipedia)

作曲は、滝廉太郎。 鳩ぽっぽ(YouTube)

経蔵。

撮影するつもりはなかったけど、撮影禁止とあったので、遠くから。

石の車を回せば、苦悩から抜け出せるとあった。 何回も回しておいた。

さすが、善光寺。 並みの観光地は及ばない。 それほどの人。
一度お参りすれば、極楽浄土へ行けると言う。
でも、行けたかどうかは、あの世に行かなければ分からない。
今の世に、極楽浄土があればいい。
普通に生活できるのが、極楽浄土か。
友達がいて、お酒が飲めて、健康で。 それ以上望んだら、贅沢だな。
【停泊場所】 戸隠まで、あと7㌔ほど。 山の上の空き地。 ずいぶん登った。
【明日の予定】 戸隠。 吉永小百合のJRの宣伝以来、人でいっぱいだという。(東風さんの情報)
明日は、9時前には動く。 ここですよ(YouTube)。
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小布施は、北信濃有数の観光地だそう。
それは、昔からでなく、最近の町おこしでなったよう。
魅力は何なのか、それを探してみた。
※ 昨晩は、須坂市の東風さんが訪ねてきた。 コメントをいただいた方。
夕食を御馳走になって、お酒も頂いて、昨夜はぐっすり。
今日28日は、冷たい雨が、朝から強く降っている。
歩ける雨ではない。
晩まで降り続ける予報。
長野の山奥は雪だそう。
寒い。 指宿の1月より、寒い。
午後から、善光寺の建物の中を見学しましょうか。
中の写真が撮れなかったら、絵葉書買って。
吉永小百合の戸隠は近いけど、この雨と寒さでは、行きたいけど無理。
上の部分、下の記事が終わったら、削除。
写真を掲載中。





























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