突然の長野県だったので、どう動くかを決めるのに、午前中かかった。
魅力的な町は、近くにあった。
須坂(すざか)市。 信州須坂と呼ばれる。 白壁の蔵の町並み。
歩いていたら、忠治地蔵という珍しい地蔵があった。
調べてみたら、ただの地蔵ではなかった。
市営駐車場に車を置いた。 1時間、100円。 良心的だ。 須坂市はここ。
下の地図の、黄土色の所を歩く。
地図の横の通りは、工事中だった。 写真にならない。
でも、この工事に、ここを観光地として良くしようとする、市の意気込みを感じる。
感じのいい店が、所々にあった。
笠鉾会館というのがあったので、入った。
この町には、祇園祭というお祭りがある。(7月21~25日) ※ 八坂神社と祇園は、このブログに。
その時に使う、笠鉾(かさほこ)というものと屋台が展示してあった。
京都の祇園祭にあこがれて、この町でも始めた。
※ 京都の祇園祭は、八坂神社のお祭り。 祇園は、八坂神社の前にある。
これは、屋台の一部。
2階から見た。 まるいのが、笠鉾。
これは遊び。 1階を見物してる時、この人の足が屋台の下から見えた。 誰かいるかと思って驚いた。
この町の祇園祭は、墨坂神社のお祭り。 2階の窓から、神社が見えた。
芝宮神社とも。 さらに、通称は八幡神社とも。 ※ 祭神がいくつかあるから、複数の呼ばれ方があるのか。
3階に、布を染めるための型紙があった。
この町は、東風さんのコメントにもありますが、製糸で栄えた町。
いいデザイン。 こういうのを見るのも飽きない。
人形に、染めた衣装を着せていた。 ドキッとする表情の人形に会いたい。
1階です。 洗練されている。 いいですね。
工事区間を過ぎた。
この通りは、伝建地区にはなっていない。
家の建て替えが進み、家並みの価値に気付いた時は、遅かった。 そう思う。
ここ須坂市は、道も鉄道も東西南北から来ており、交通の要衝。
経済が発展した時代、取り残されなかったので、ある面、仕方ないか。
地図のたて通り。 よくなってきた。
古くて傷んでいる。 でもよく今の時代まで持ちこたえた。 お疲れさまと言いたい。
商人の町なので、それに関わる店が多い。
酒蔵ですね。
いい感じです。
新酒が出来た合図でしょうか。
上の建物の側に、奥田神社があった。
ここには、昔、須坂藩の建物(館)があった。
須坂藩は、幕末、明治政府側に付いたので、生き残った。 ある時期ここは、須坂県だった。(後に長野県に)
田中角栄元首相の、通称「目白御殿」は、須坂藩の江戸屋敷跡に建てられたものだった。
建築時に田中角栄が、この奥田神社に参拝に訪れている。 ※ 関連ブログ 田中角栄の故郷
いい町並みが続く。
個人の新しい家も、蔵のデザインにしている。
これはいいと思う。 優れた建築家に、流行の家を建ててもらっても、そのデザインは直ぐに古くなる。
北向観音。
戦国時代の武将福島正則の屋敷が、近くの高山村にあった。
正則は、その屋敷の門を、ここに寄付した。
門のそばに、忠治地蔵があった。
笠をかぶって、木枯し紋次郎のよう。
説明はこう。
どんな「ゆかり」なのかが、分からない。 でも、忠治に関する詳しい資料にあった。
忠治には、野沢温泉に妾(めかけ)がいた。 名前は、畔上つま。 ※ あぜかみ と読むのか。
忠治は41歳の時に、捕まった。
そして、今の群馬県の吾妻町にあった大戸関所で、磔の刑になった。
そのことは、野沢温泉にいる、畔上つま に伝わった。
彼女は、忠治が死んだ3日後に、草津温泉に、忠治地蔵を建てた。 ※ 関連ブログ 野沢温泉他
その地蔵が、何らかの理由で、今はここにある。 ※ 理由は分からない。
下の写真は、田中本家博物館。 写真の撮影は出来ないので、入らなかった。
普願寺大門。 石の積み方は、丸石つみ と言うそう。 少し削っている。
変わった建物が見えてきた。
八角太鼓桜。 いいですね。
昔はここで太鼓を鳴らした。 法要を始める時間になったら、信徒への合図で。
今は、太鼓を降ろしている。
八角形だが、正八角形ではないのが分かる。
脇道に入った。 右の家に、こて絵があった。
鯛のこて絵。 左官職人が、こて(鏝)を使って、浮彫のように壁に模様をつくった。
こて はこんな道具。 ※ こて絵は、このブログに。
墨坂神社を通って、戻った。
今日は、寒かったですね。 急に。
1ヶ月ほど前、夏のように暑かった。 夏から冬になった。 ちょうどいい日が、短い。
手袋をはいて、冬の格好で歩いた。
寒さは、関係なくなる。
須坂市は、10年後の自分の街を、どんな風にイメージしているのでしょう。
発展のカギは、成功している町から学ぶこと。
そして、その上に、どこにもないアイディアを、積み重ねること。
いつか、何が変わったかを見に、もう一度来てみたいですね。
【道の駅】 オアシスおぶせ
大きな地図で見る
【明日の予定】 この近くでしょうか。
【今日の歌】 氷雨です。(画像をクリック) 急に寒くなって、雨も冷たい。
紅白で歌ったこの時のは、いい。
氷雨は、本田美奈子も上手だ。
彼女は、愛の終着駅を歌っている。 これはいい。
須坂駅は、長野電鉄 屋代線の、終着駅。 それで、この曲。
愛の終着駅(YouTube) 愛の執着駅ではない。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は 4位、 旅行全体で10位 です。 放浪の旅は、36位。
記事は役立ったでしょうか。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
魅力的な町は、近くにあった。
須坂(すざか)市。 信州須坂と呼ばれる。 白壁の蔵の町並み。
歩いていたら、忠治地蔵という珍しい地蔵があった。
調べてみたら、ただの地蔵ではなかった。
市営駐車場に車を置いた。 1時間、100円。 良心的だ。 須坂市はここ。
下の地図の、黄土色の所を歩く。

地図の横の通りは、工事中だった。 写真にならない。
でも、この工事に、ここを観光地として良くしようとする、市の意気込みを感じる。

感じのいい店が、所々にあった。

笠鉾会館というのがあったので、入った。
この町には、祇園祭というお祭りがある。(7月21~25日) ※ 八坂神社と祇園は、このブログに。
その時に使う、笠鉾(かさほこ)というものと屋台が展示してあった。

京都の祇園祭にあこがれて、この町でも始めた。
※ 京都の祇園祭は、八坂神社のお祭り。 祇園は、八坂神社の前にある。
これは、屋台の一部。

2階から見た。 まるいのが、笠鉾。

これは遊び。 1階を見物してる時、この人の足が屋台の下から見えた。 誰かいるかと思って驚いた。

この町の祇園祭は、墨坂神社のお祭り。 2階の窓から、神社が見えた。

芝宮神社とも。 さらに、通称は八幡神社とも。 ※ 祭神がいくつかあるから、複数の呼ばれ方があるのか。

3階に、布を染めるための型紙があった。
この町は、東風さんのコメントにもありますが、製糸で栄えた町。

いいデザイン。 こういうのを見るのも飽きない。

人形に、染めた衣装を着せていた。 ドキッとする表情の人形に会いたい。

1階です。 洗練されている。 いいですね。

工事区間を過ぎた。

この通りは、伝建地区にはなっていない。
家の建て替えが進み、家並みの価値に気付いた時は、遅かった。 そう思う。
ここ須坂市は、道も鉄道も東西南北から来ており、交通の要衝。
経済が発展した時代、取り残されなかったので、ある面、仕方ないか。
地図のたて通り。 よくなってきた。

古くて傷んでいる。 でもよく今の時代まで持ちこたえた。 お疲れさまと言いたい。

商人の町なので、それに関わる店が多い。

酒蔵ですね。

いい感じです。

新酒が出来た合図でしょうか。

上の建物の側に、奥田神社があった。
ここには、昔、須坂藩の建物(館)があった。
須坂藩は、幕末、明治政府側に付いたので、生き残った。 ある時期ここは、須坂県だった。(後に長野県に)
田中角栄元首相の、通称「目白御殿」は、須坂藩の江戸屋敷跡に建てられたものだった。
建築時に田中角栄が、この奥田神社に参拝に訪れている。 ※ 関連ブログ 田中角栄の故郷

いい町並みが続く。
個人の新しい家も、蔵のデザインにしている。
これはいいと思う。 優れた建築家に、流行の家を建ててもらっても、そのデザインは直ぐに古くなる。

北向観音。
戦国時代の武将福島正則の屋敷が、近くの高山村にあった。
正則は、その屋敷の門を、ここに寄付した。

門のそばに、忠治地蔵があった。

笠をかぶって、木枯し紋次郎のよう。

説明はこう。

どんな「ゆかり」なのかが、分からない。 でも、忠治に関する詳しい資料にあった。
忠治には、野沢温泉に妾(めかけ)がいた。 名前は、畔上つま。 ※ あぜかみ と読むのか。
忠治は41歳の時に、捕まった。
そして、今の群馬県の吾妻町にあった大戸関所で、磔の刑になった。
そのことは、野沢温泉にいる、畔上つま に伝わった。
彼女は、忠治が死んだ3日後に、草津温泉に、忠治地蔵を建てた。 ※ 関連ブログ 野沢温泉他
その地蔵が、何らかの理由で、今はここにある。 ※ 理由は分からない。
下の写真は、田中本家博物館。 写真の撮影は出来ないので、入らなかった。

普願寺大門。 石の積み方は、丸石つみ と言うそう。 少し削っている。

変わった建物が見えてきた。

八角太鼓桜。 いいですね。

昔はここで太鼓を鳴らした。 法要を始める時間になったら、信徒への合図で。

今は、太鼓を降ろしている。

八角形だが、正八角形ではないのが分かる。

脇道に入った。 右の家に、こて絵があった。

鯛のこて絵。 左官職人が、こて(鏝)を使って、浮彫のように壁に模様をつくった。
こて はこんな道具。 ※ こて絵は、このブログに。


墨坂神社を通って、戻った。

今日は、寒かったですね。 急に。
1ヶ月ほど前、夏のように暑かった。 夏から冬になった。 ちょうどいい日が、短い。
手袋をはいて、冬の格好で歩いた。
寒さは、関係なくなる。
須坂市は、10年後の自分の街を、どんな風にイメージしているのでしょう。
発展のカギは、成功している町から学ぶこと。
そして、その上に、どこにもないアイディアを、積み重ねること。
いつか、何が変わったかを見に、もう一度来てみたいですね。
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紅白で歌ったこの時のは、いい。

氷雨は、本田美奈子も上手だ。
彼女は、愛の終着駅を歌っている。 これはいい。
須坂駅は、長野電鉄 屋代線の、終着駅。 それで、この曲。
愛の終着駅(YouTube) 愛の執着駅ではない。
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秋山郷には、平家の落人伝説がある。
昭和の初め、この地を測量隊が訪れた。
村人から「源氏はまだ栄えているか?」と尋ねられた。
これが、逸話だったとしても、こんな話が生まれる程の秘境だった。
新潟側からも長野側からも隔絶され、自給自足の生活をしていた。
今でも、そこへの道は、深い谷の斜面にあるため、両側1車線以上の道はつくれない。
国道と言っても、舗装してある林道と同じだった。
秋山郷は、新潟県と長野県にまたがっていて、下の○の中。
国道405。 昨日も405。
道は、ヘビのよう。 動物を飲み込んだ所が太くなり、そこで、車はすれ違える。
カーブには鏡がある。 相手に分かりやすいように、ライトをつけて走った。
ここは、へいけ茶屋。 新潟県側の一番奥。 ここを過ぎたら、長野県。
峠を越えるわけではなく、同じ川(中津川)の上流が、隣の県。
だから、秋山郷の一番奥も、新潟県の奥という感じがする。
国道も、新潟県側からしかない。 秋山郷の奥で、国道も終わり。
茶屋の駐車場に車を停めたので、キノコ汁を食べた。
前倉橋。 中津川渓谷が続く。
長野県に入ってすぐ。 県境に滝がある。
じゃぶちのたき。
名前の由来を、一応紹介。
その昔、熊獲り名人が熊を追ってやってきた。
川にかけられた丸太の橋を渡った。
渡り終えて、後ろを振り向いた。
ところが、丸太と思ったのは、丸太でなく大蛇だった。
淵は、深い所だから、滝壺に近い所か。
いい紅葉になりそう。
上の方の、オレンジの○から、滝はスタートしている。
滝壺が、3つ見える。 高さは15㍍なんだが、もっと高いのではないかな。
滝から少し走った栄村の集落に、二十三夜塔があった。 ※ 関連ブログ 二十三夜待ち
二十三夜塔の隣は、庚申塔。 庚申塔(Wikipedia) 昔は、不思議な行事があった。 みんな信心深かった。
この集落の近くの谷底に、大きな集落があった。
そこに、昔、大秋山と呼ばれる集落があった。 秋山郷の名前の由来。
平家の落人は、南の草津側から、この辺りに逃げてきたようだ。(伝説)
落人というか残党の中心は、平勝秀という人物だが、この人がどういう人かは分からない。
上の集落の写真。(Wikipedia から)

疲れる運転が続いて、やっと終点の、切明(きりあけ)温泉に着いた。
雄川閣(ゆうせんかく)という温泉旅館。
大きな地図で見る
これが、面白そう。
橋を渡って行くのだが、間違って、こっちの橋を渡った。 スコップは、旅館で貸してくれた。
あの吊橋を渡ればよかった。
反対側の橋の下に、別のホテルが。
温泉は、川が右に曲がったすぐの所に。
この写真は、吊橋から撮影。
この時、女のひとが3人通った。(40代)
私が掘るから、入らないかい、と言ったが、恥ずかしいって、笑ってお終い。
ここです。 河原に掘った跡がいっぱい。 人もいっぱい。
ここは、熱くて入れない。
黄色の○の所を掘ることにした。
出来た。 まだ、少しに濁っている。
小さいので足湯。 「アッカムイの足湯」と、名付けた。
少しぬるいが、気持ちいい。 人は、誰もいなくなった。
遊びで、小さな小さな温泉。 これは、指湯。
最近、右手の人差指に、力が入らない。 温泉で、いつもマッサージ。
人差し指は、後ろ指を指す時に使う、大事な指。
戻って、雄川閣の温泉に入った。 湯船からお湯は、あふれ出ている。
ここにも足湯が。 一人で入っても、出会いの足湯にはならない。
元来た道を戻ることにしていた。
雄川閣で、林道を通って長野側に抜けれることが分かった。
一晩ここに停泊したかったが、雨が降り続いている。
土砂崩れがおっかない。
山の土が、水を満タンに含む前に動くことにした。
林道の割には、走りやすい。 正面に滝。
紅葉だ。
車の後ろに着いた。 走りやすい。 前の車が、露払い。
1時間以上走って、やっと家が見えた。
中野市。 長野市の市街地まで、20㌔程。 そういう場所に来ている。
放浪の旅の中で、今日が一番の秘境だったように思う。
今でも、冬は陸の孤島だ。
他との交流がない時代、若者はどんな青春時代を過したのでしょうね。
娘ざかりに、女の子たちは、ちゃんと化粧をできたのか。
何を楽しみに生きたのか、そんなことも、知りたいかな。
【道の駅】 北信州やまのうち
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【明日の予定】 まだ調べていない。
【今日の歌】 秋冬(YouTube) 木枯らしの情報が入ってkました。 季節の変わり目です。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は 4位、 旅行全体で10位 です。 放浪の旅は、39位。
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昭和の初め、この地を測量隊が訪れた。
村人から「源氏はまだ栄えているか?」と尋ねられた。
これが、逸話だったとしても、こんな話が生まれる程の秘境だった。
新潟側からも長野側からも隔絶され、自給自足の生活をしていた。
今でも、そこへの道は、深い谷の斜面にあるため、両側1車線以上の道はつくれない。
国道と言っても、舗装してある林道と同じだった。
秋山郷は、新潟県と長野県にまたがっていて、下の○の中。

国道405。 昨日も405。
道は、ヘビのよう。 動物を飲み込んだ所が太くなり、そこで、車はすれ違える。
カーブには鏡がある。 相手に分かりやすいように、ライトをつけて走った。

ここは、へいけ茶屋。 新潟県側の一番奥。 ここを過ぎたら、長野県。
峠を越えるわけではなく、同じ川(中津川)の上流が、隣の県。
だから、秋山郷の一番奥も、新潟県の奥という感じがする。
国道も、新潟県側からしかない。 秋山郷の奥で、国道も終わり。

茶屋の駐車場に車を停めたので、キノコ汁を食べた。
前倉橋。 中津川渓谷が続く。

長野県に入ってすぐ。 県境に滝がある。

じゃぶちのたき。

名前の由来を、一応紹介。
その昔、熊獲り名人が熊を追ってやってきた。
川にかけられた丸太の橋を渡った。
渡り終えて、後ろを振り向いた。
ところが、丸太と思ったのは、丸太でなく大蛇だった。
淵は、深い所だから、滝壺に近い所か。

いい紅葉になりそう。

上の方の、オレンジの○から、滝はスタートしている。
滝壺が、3つ見える。 高さは15㍍なんだが、もっと高いのではないかな。

滝から少し走った栄村の集落に、二十三夜塔があった。 ※ 関連ブログ 二十三夜待ち
二十三夜塔の隣は、庚申塔。 庚申塔(Wikipedia) 昔は、不思議な行事があった。 みんな信心深かった。

この集落の近くの谷底に、大きな集落があった。
そこに、昔、大秋山と呼ばれる集落があった。 秋山郷の名前の由来。
平家の落人は、南の草津側から、この辺りに逃げてきたようだ。(伝説)
落人というか残党の中心は、平勝秀という人物だが、この人がどういう人かは分からない。
上の集落の写真。(Wikipedia から)

疲れる運転が続いて、やっと終点の、切明(きりあけ)温泉に着いた。

雄川閣(ゆうせんかく)という温泉旅館。

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これが、面白そう。

橋を渡って行くのだが、間違って、こっちの橋を渡った。 スコップは、旅館で貸してくれた。

あの吊橋を渡ればよかった。

反対側の橋の下に、別のホテルが。

温泉は、川が右に曲がったすぐの所に。
この写真は、吊橋から撮影。
この時、女のひとが3人通った。(40代)
私が掘るから、入らないかい、と言ったが、恥ずかしいって、笑ってお終い。

ここです。 河原に掘った跡がいっぱい。 人もいっぱい。

ここは、熱くて入れない。

黄色の○の所を掘ることにした。

出来た。 まだ、少しに濁っている。
小さいので足湯。 「アッカムイの足湯」と、名付けた。

少しぬるいが、気持ちいい。 人は、誰もいなくなった。

遊びで、小さな小さな温泉。 これは、指湯。
最近、右手の人差指に、力が入らない。 温泉で、いつもマッサージ。
人差し指は、後ろ指を指す時に使う、大事な指。

戻って、雄川閣の温泉に入った。 湯船からお湯は、あふれ出ている。

ここにも足湯が。 一人で入っても、出会いの足湯にはならない。

元来た道を戻ることにしていた。
雄川閣で、林道を通って長野側に抜けれることが分かった。
一晩ここに停泊したかったが、雨が降り続いている。
土砂崩れがおっかない。
山の土が、水を満タンに含む前に動くことにした。
林道の割には、走りやすい。 正面に滝。

紅葉だ。

車の後ろに着いた。 走りやすい。 前の車が、露払い。

1時間以上走って、やっと家が見えた。

中野市。 長野市の市街地まで、20㌔程。 そういう場所に来ている。

放浪の旅の中で、今日が一番の秘境だったように思う。
今でも、冬は陸の孤島だ。
他との交流がない時代、若者はどんな青春時代を過したのでしょうね。
娘ざかりに、女の子たちは、ちゃんと化粧をできたのか。
何を楽しみに生きたのか、そんなことも、知りたいかな。
【道の駅】 北信州やまのうち
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