浦島太郎が助けたのは、アカウミガメ。
アカウミガメの産卵地は、日本にたくさんはない。
屋久島と、ここ美波町の浜と、そして静岡県の御前崎くらい。
この3つは、亀と産卵地を含めて、天然記念物に指定されている。
今日は、亀について少し勉強した。
長生きする亀を見て、年越し蕎麦を食べて、いい大晦日になった。
今年も、ブログを、また放浪の旅を応援していただき、感謝です。
1年が無事に終わります。 ありがとうございます。
ここは、恋人岬。 この高台から、昔、船を見送った。 大浜海岸が見える。
大浜海岸。 アカウミガメは、潮が満ちても海水が来ない所に卵を産む。 右の建物は、日和佐うみがめ博物館。
うみがめ博物館。 ここの考えは、アカウミガメを守ることを、観光に活かす。 そう感じた。
アカウミガメ。 1歳。 肘(ひじ)を曲げないで泳いでいる感じ。 0歳のもいた。
浦島伝説の亀は、アカウミガメと言われている。 根拠はこうなんですね。
本州近海で、砂浜に産卵する亀は、アカウミガメだけ。
外に、大きなアカウミガメがいた。 1950年生まれと言う。
名前は、浜太郎。 どれも大きいので、これかなと見当つけるしかない。
「おいおい浜太郎、おじさんと年が一緒だね」って話しかけた。
亀たちは、すぐに寄って来た。 他の客が、この亀は言葉が分かるね、って言った。
浦島伝説は、ここが有名。 香川県三豊市の荘内半島。
※ 浦島神社が島にあった。 潮が引いた時渡った。 ☆
噛みつく感じは全くない。 穏やかな表情。
生まれた月まで一緒。 私の撮影ではない。
これは、外国の写真。
砂の中で、亀の子供はみんなで暴れる。 上の砂が落ちて、空間が少しずつ上がると言う。
数日かけて、地上に。 外に飛び出すのは、気温が下がった時。 その時は暗い。
えびす洞という、大きな穴があるので、行ってみた。
小さな半島の、北の風景。 ここから室戸岬にかけて、このような景勝地が多い。
この時はまだ、どこに穴があるか分からない。 実際は、左にある。
ここです。 どうして出来るんでしょう。 ※ 能登にあった、巌門(がんもん)。 右の穴を通った。
波の荒い時は、近づけない。 直径30㍍。
岬の頂上からの風景。
道の駅からも、この塔が見えた。 変わっている。
薬王寺。 四国霊場の第二十三番札所。 黄色いのは、明日のお店の準備。
大師堂。 六地蔵が見える。
この寺の象徴は、瑜祇塔(ゆぎとう)という建物。
変わった建物で、高野山にもあるそう。 勝手なデザインではなさそう。 辞書にこうある。
※ 瑜祇経の深意を表わした塔。
金の亀の上にのる多宝塔で、塔の頂上の中心と屋根の四隅に五本の瑜祇五股(ゆぎごこ=五股杵の鋒先が真直ぐなもの)
を立てる。
調べたら、美波町のHPに、こう書いてあった。
瑜祇塔には、小野小町の盛衰を描いた「九想図巻考証」など、国宝級の宝物が展示されています。
明日、もう一度行かなければならない。
美波町の町並み。
日和佐城。 石垣も、建物のつくりも、昔の城とは関係ない。
歴史を大事にしてない感じがする。 昔の城の資料が少なかったにしても。
大浜海岸は、向こう。 ○の所に、えびす洞。
道の駅が見える。 その向こうは、JRの駅。
全国的に天気は荒れていますが、四国の南は、穏やかです。
今、午後10時40分。 間もなく今年も終わります。
みなさん、よい年を迎えてくださいね。
【道の駅】 昨晩に同じ。 日和佐。
【明日の予定】 南に動きます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は49位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
【徒然】 女優の高峰秀子が亡くなりました。 これは、小豆島で撮った写真。(写真を撮影) ☆
アカウミガメの産卵地は、日本にたくさんはない。
屋久島と、ここ美波町の浜と、そして静岡県の御前崎くらい。
この3つは、亀と産卵地を含めて、天然記念物に指定されている。
今日は、亀について少し勉強した。
長生きする亀を見て、年越し蕎麦を食べて、いい大晦日になった。
今年も、ブログを、また放浪の旅を応援していただき、感謝です。
1年が無事に終わります。 ありがとうございます。
ここは、恋人岬。 この高台から、昔、船を見送った。 大浜海岸が見える。

大浜海岸。 アカウミガメは、潮が満ちても海水が来ない所に卵を産む。 右の建物は、日和佐うみがめ博物館。

うみがめ博物館。 ここの考えは、アカウミガメを守ることを、観光に活かす。 そう感じた。

アカウミガメ。 1歳。 肘(ひじ)を曲げないで泳いでいる感じ。 0歳のもいた。

浦島伝説の亀は、アカウミガメと言われている。 根拠はこうなんですね。
本州近海で、砂浜に産卵する亀は、アカウミガメだけ。
外に、大きなアカウミガメがいた。 1950年生まれと言う。
名前は、浜太郎。 どれも大きいので、これかなと見当つけるしかない。
「おいおい浜太郎、おじさんと年が一緒だね」って話しかけた。
亀たちは、すぐに寄って来た。 他の客が、この亀は言葉が分かるね、って言った。

浦島伝説は、ここが有名。 香川県三豊市の荘内半島。
※ 浦島神社が島にあった。 潮が引いた時渡った。 ☆
噛みつく感じは全くない。 穏やかな表情。

生まれた月まで一緒。 私の撮影ではない。
これは、外国の写真。

砂の中で、亀の子供はみんなで暴れる。 上の砂が落ちて、空間が少しずつ上がると言う。
数日かけて、地上に。 外に飛び出すのは、気温が下がった時。 その時は暗い。

えびす洞という、大きな穴があるので、行ってみた。
小さな半島の、北の風景。 ここから室戸岬にかけて、このような景勝地が多い。

この時はまだ、どこに穴があるか分からない。 実際は、左にある。

ここです。 どうして出来るんでしょう。 ※ 能登にあった、巌門(がんもん)。 右の穴を通った。

波の荒い時は、近づけない。 直径30㍍。

岬の頂上からの風景。

道の駅からも、この塔が見えた。 変わっている。

薬王寺。 四国霊場の第二十三番札所。 黄色いのは、明日のお店の準備。

大師堂。 六地蔵が見える。

この寺の象徴は、瑜祇塔(ゆぎとう)という建物。

変わった建物で、高野山にもあるそう。 勝手なデザインではなさそう。 辞書にこうある。
※ 瑜祇経の深意を表わした塔。
金の亀の上にのる多宝塔で、塔の頂上の中心と屋根の四隅に五本の瑜祇五股(ゆぎごこ=五股杵の鋒先が真直ぐなもの)
を立てる。
調べたら、美波町のHPに、こう書いてあった。
瑜祇塔には、小野小町の盛衰を描いた「九想図巻考証」など、国宝級の宝物が展示されています。
明日、もう一度行かなければならない。
美波町の町並み。

日和佐城。 石垣も、建物のつくりも、昔の城とは関係ない。
歴史を大事にしてない感じがする。 昔の城の資料が少なかったにしても。

大浜海岸は、向こう。 ○の所に、えびす洞。

道の駅が見える。 その向こうは、JRの駅。

全国的に天気は荒れていますが、四国の南は、穏やかです。
今、午後10時40分。 間もなく今年も終わります。
みなさん、よい年を迎えてくださいね。
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【明日の予定】 南に動きます。
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【徒然】 女優の高峰秀子が亡くなりました。 これは、小豆島で撮った写真。(写真を撮影) ☆
太龍寺は、歩いて登ることはできたが、調べてなかった。
ロープウェーに乗った。
太龍寺山の山頂近くに、寺はあった。
空海が、100日間の修行をしたという、突き出た岩山に行ってきた。
ここは道の駅、鷲の里。 ロープウェー乗り場にもなっている。
道の駅に、オオワシが飾ってあった。 北海道のもの。
この地域には、鷲がいるから、鷲の里かと思ったら違った。
ここの地名は、今は那賀町。 合併する前は、鷲敷町(わじきちょう)だった。
鷲が町名に付いたのは、神話からのよう。
クマタカのはく製もあった。
実は、今日、ロープウェーから見えたのが、この鳥でないかと思っている。
※ 写真の撮影は失敗。 新潟の北部でも見た。 その時も、すぐ逃げた。
※ オオワシと、オジロワシの写真をいくつか。 ① ② ④ ⑤ ⑥
強風の中出発。
この町が、那賀町(なかちょう)。
阿南市の港と思う。 直線で、10㌔ちょっと。
ロープウェーがなかったころ、反対側の山の下から歩いて上った。
遍路泣かせと言われた。
今日、朝から動き始めたら、歩いて登れたが、時間がなかった。
この人達は、寺の手伝いか。 遊びながら下りてきた。
本堂への石段。
ここの標高は600㍍。 ただ、四国霊場で一番高いのは、雲辺寺。 900㍍。 ここです。☆
お城のような石垣だった。
立派な本堂。 大きい。
正月の飾りがされている。 右の赤っぽい像は、びんずるさん、かな。 なでると功徳があるという。
太子堂。
これも立派。
ここの寺には、本堂・大師堂の他、多宝塔・求聞持堂・鐘楼門・本坊・護摩堂・六角経蔵など、色々ある。
それで、「西の高野」と呼ばれる。
多宝塔があったが、撮影するいい場所がなかった。
遠くに、鶴林寺(かくりんじ)の三重塔が見えた。
正面から見た大師堂。
どこかな。 小松島か。
今日歩いてる地図は、ロープウェーの切符売り場でもらった。
赤色鉛筆で、歩く所の線が描いてあった。 その通り歩いた。
山門に行くのを忘れた。 金剛力士像は鎌倉時代の作品で、徳島県では最大にして最古のものだった。
本堂を横から。
これが見えた。 見て見ぬふりして、帰るわけにはいかない。
空海が修行した場所だ。 崖の上。
上のように書いたが、こんなのを楽しみに来た所もある。
目的地まで、600㍍。
最後は、ここを行かなければならない。 面白そう。
鎖とロープにつかまって、登った。
岩のちょっとした所に足をかけて、自分の体を、腕の力で引き上げるから、お年寄りには無理。
ここの岩について、Wikipediaには、このように書いてある。
空海(弘法大師)の24歳での著作である三教指帰(さんごうしいき)の序文に「阿國大瀧嶽に…勤念す」
と記されており、大瀧嶽は現在の大竜寺山であると考えられている。
19歳で都の大学での学問に見切りをつけて修行に入った空海が、現在の境内の600m ほど西にある
舎心嶽の岩上で百日間の虚空蔵求聞持法を修したとされる。
舎心嶽の岩上というのが、この場所。
こう言う所で修行するプラスは、何なんでしょうね。
寺が下に見えた。
前にまわって撮った。 右の崖が危険。
空海は、どこを見てるんでしょう。 遠くじゃ、答えにならない。
高野山ってこともない。 まだ開いていない。
どこかの街が見えた。
真言宗の考えを、分かりやすく知りたい。 でも、それが難しい。
真言密教のホームページというHPに、下の様にある。 1回読んでも、分からない。
【道の駅】 日和佐
【明日の予定】 この街を少し
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【動画】
ロープウェーに乗った。
太龍寺山の山頂近くに、寺はあった。
空海が、100日間の修行をしたという、突き出た岩山に行ってきた。
ここは道の駅、鷲の里。 ロープウェー乗り場にもなっている。

道の駅に、オオワシが飾ってあった。 北海道のもの。
この地域には、鷲がいるから、鷲の里かと思ったら違った。
ここの地名は、今は那賀町。 合併する前は、鷲敷町(わじきちょう)だった。
鷲が町名に付いたのは、神話からのよう。

クマタカのはく製もあった。
実は、今日、ロープウェーから見えたのが、この鳥でないかと思っている。
※ 写真の撮影は失敗。 新潟の北部でも見た。 その時も、すぐ逃げた。
※ オオワシと、オジロワシの写真をいくつか。 ① ② ④ ⑤ ⑥
強風の中出発。
この町が、那賀町(なかちょう)。

阿南市の港と思う。 直線で、10㌔ちょっと。

ロープウェーがなかったころ、反対側の山の下から歩いて上った。
遍路泣かせと言われた。
今日、朝から動き始めたら、歩いて登れたが、時間がなかった。
この人達は、寺の手伝いか。 遊びながら下りてきた。
本堂への石段。

ここの標高は600㍍。 ただ、四国霊場で一番高いのは、雲辺寺。 900㍍。 ここです。☆
お城のような石垣だった。

立派な本堂。 大きい。

正月の飾りがされている。 右の赤っぽい像は、びんずるさん、かな。 なでると功徳があるという。

太子堂。

これも立派。
ここの寺には、本堂・大師堂の他、多宝塔・求聞持堂・鐘楼門・本坊・護摩堂・六角経蔵など、色々ある。
それで、「西の高野」と呼ばれる。

多宝塔があったが、撮影するいい場所がなかった。

遠くに、鶴林寺(かくりんじ)の三重塔が見えた。

正面から見た大師堂。

どこかな。 小松島か。

今日歩いてる地図は、ロープウェーの切符売り場でもらった。
赤色鉛筆で、歩く所の線が描いてあった。 その通り歩いた。
山門に行くのを忘れた。 金剛力士像は鎌倉時代の作品で、徳島県では最大にして最古のものだった。
本堂を横から。

これが見えた。 見て見ぬふりして、帰るわけにはいかない。
空海が修行した場所だ。 崖の上。
上のように書いたが、こんなのを楽しみに来た所もある。

目的地まで、600㍍。

最後は、ここを行かなければならない。 面白そう。
鎖とロープにつかまって、登った。
岩のちょっとした所に足をかけて、自分の体を、腕の力で引き上げるから、お年寄りには無理。

ここの岩について、Wikipediaには、このように書いてある。
空海(弘法大師)の24歳での著作である三教指帰(さんごうしいき)の序文に「阿國大瀧嶽に…勤念す」
と記されており、大瀧嶽は現在の大竜寺山であると考えられている。
19歳で都の大学での学問に見切りをつけて修行に入った空海が、現在の境内の600m ほど西にある
舎心嶽の岩上で百日間の虚空蔵求聞持法を修したとされる。
舎心嶽の岩上というのが、この場所。
こう言う所で修行するプラスは、何なんでしょうね。
寺が下に見えた。

前にまわって撮った。 右の崖が危険。
空海は、どこを見てるんでしょう。 遠くじゃ、答えにならない。
高野山ってこともない。 まだ開いていない。

どこかの街が見えた。

真言宗の考えを、分かりやすく知りたい。 でも、それが難しい。
真言密教のホームページというHPに、下の様にある。 1回読んでも、分からない。

【道の駅】 日和佐
【明日の予定】 この街を少し
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【動画】
猫神社があった。
300年前、この地にお松という女性がいた。
お松は、不当な裁きを訴え直訴した。
しかし、直訴の罪で処刑された。
お松の愛猫が、化け猫になって、お松の怨念を晴らした。
お松大権現というその神社は、那賀川の中流にあった。
ここを通る道は、徳島から高知へ行く街道。 土佐中海道。 ※ 海側の道は、土佐浜街道。
大きな猫がお出迎え。
大きな建物は、拝殿と、右の資料館。 左に下りたら、上の猫。
これが、拝殿。
猫だらけ。 狛犬も、狛猫(こまねこ)。 鬼瓦は、猫瓦。 何でも猫だった。
拝殿の後ろにある、本殿。
この神社は、合格祈願や商売繁盛でも、多くの人が来ている。 駐車場が広い。
猫や絵馬は、ここだけでない。
資料館。
招き猫で、埋まっている。
ここは、賀茂村と呼ばれた。
江戸時代の中頃、那賀川の洪水で不作が続いた。 田畑は狭いから、村人は苦しんだ。
庄屋の惣兵衛は、立ちあがった。
村を救うため、五反ほどの私有地を担保に、野上三左衛門という富豪に金を借りた。
村人は助かった。 笑顔が戻った。
惣兵衛の妻の名はお松。 子供のいないお松は、三毛猫を大事に飼っていた。
病に伏していた惣兵衛のもとに、三左衛門(さんざえもん)が見舞いに来た。
その時、借りていた金を戻してしまった。
三左衛門は、借金の証文は持っていなかった。 明日にでも届けると言った。
しかし、三左衛門はただ者ではなかった。 証文は持って来なかった。
証文をもらいに行ったら、金はもらってない、とまで言い始めた。
さらに、金は戻してもらっていないからと、担保の土地までとってしまった。
惣兵衛の体は、心配事が重なって重くなった。 そして、後のことを心配しながら死んだ。
妻のお松は、証文を返すよう三左衛門の所に行って、要求した。
三左衛門が応じるわけはなかった。 策略だった。
お松は、奉行所に訴えた。 奉行は、徳島藩の長谷川越前守。
しかし、この奉行に、腹黒い三左衛門から、袖の下が渡っていた。
お松は、あきらめなかった。 最後の手段に出た。
徳島藩の殿様に直訴した。 直訴は死罪と分かっていて。
お松の思いが叶えられることはなかった。 死罪になる。
三毛猫と共に、すぐ近くの、那賀川と加茂川の合流点の川原で、首をはねられた。
その場にいた役人には、お松の顔が菩薩に見えたと言う。
役人は、仕事だからやってるだけ。 切りたいわけではない。
念仏の唱和の声が上がり、その中で、お松は死んでいった。
貞享3年3月15日の、月夜の晩のことだった。
その後、三左衛門と長谷川奉行の家には、怪事が続けざまに起こる。
耳元で猫の悲鳴が聞こえたり、召し使いの女が猫に見えたり、行灯に照らされた障子に猫の影が映ったり。
この怪猫に悩まされ続けた両家は変死や病死が相次いだ。
奉行は失脚し、お家は断絶した。 三左衛門の家も同じ。
死をもって不正を訴えたお松を偲び、村人たちはその墓所を義理権現と呼んだ。
そして、お参りするようになった。
義理権現が、今、お松大権現となっている。
※ ここまでは、資料館の中の資料と、「日本文史 » 日本の伝説」のHPを参照。
なお、5反の畑の場所は、分かっており、表示されている。
また、長谷川奉行の跡地が残っており、そこにお松と猫を祀った神社がある。
場所は、県立近代美術館のそば。 ここに、詳しく。 ※ お松の話に、少し違う部分もあるが。
那賀川をはさんだ川向こうに、午尾(ごお)の滝があった。
バス停にバスが止まっていて、運転手さんに場所を聞いた。
ついておいでと言ったので、バスの後ろをついて行った。
曲がり角で停まって、あっちだよって、教えてくれた。
歩いて楽しい、田舎道。 天気もいい。
棚田のような、ミカン畑。
※ この写真は、偏光フィルターを使った。 上は使っていない。 違いが出ますね。
小さな谷の入り口。 陽だまりのように暖かい。
滝に着いたんだが、どこだか直ぐには分からなかった。
左の下に見えてるのが、少しして気付いた。
八幡神社から見下ろすと、こう。
高さ30㍍。 馬の尻尾に似てるので、午尾の滝と言う。 午は馬のことですね。
雨が少ないから、水量も少ない。 サラサラと静かに流れ落ちていた。
上の方。
滝壺。 きれいな水だった。 泳いだらダメ、とあった。
魚がいた。 ゆれる波に、似ている。
この辺りは、風景がいい。 途中、那賀川に沈下橋があった。
暖かいから、花は元気。
三左衛門と長谷川家を呪い殺したのは、庶民のように思いますね。
両家に、何かがあったら、それは、お松と三毛猫の祟りだと騒いだ。
昔の人々は信心深かった。 両家もそうだった。 それに苦しんで、おかしくなっていった。
庶民を敵にまわしたのが、致命傷になった。
お松は、強い女性だった。 権力と戦った彼女を、庶民は忘れなかった。
お松大権現として、今に残った。
そんな感じがします。
【道の駅】 鷲の里
【明日の予定】 山の上に寺がある。 そこかな。 ここは、小さな町、歩くか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
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記事は役立ったでしょうか。
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【動画】
午尾(ごお)の滝。
鷲の里へ。 ※ 動画の中で、上もこれも、名前を間違ってる。
300年前、この地にお松という女性がいた。
お松は、不当な裁きを訴え直訴した。
しかし、直訴の罪で処刑された。
お松の愛猫が、化け猫になって、お松の怨念を晴らした。
お松大権現というその神社は、那賀川の中流にあった。
ここを通る道は、徳島から高知へ行く街道。 土佐中海道。 ※ 海側の道は、土佐浜街道。
大きな猫がお出迎え。

大きな建物は、拝殿と、右の資料館。 左に下りたら、上の猫。

これが、拝殿。

猫だらけ。 狛犬も、狛猫(こまねこ)。 鬼瓦は、猫瓦。 何でも猫だった。

拝殿の後ろにある、本殿。
この神社は、合格祈願や商売繁盛でも、多くの人が来ている。 駐車場が広い。

猫や絵馬は、ここだけでない。

資料館。

招き猫で、埋まっている。

ここは、賀茂村と呼ばれた。
江戸時代の中頃、那賀川の洪水で不作が続いた。 田畑は狭いから、村人は苦しんだ。
庄屋の惣兵衛は、立ちあがった。
村を救うため、五反ほどの私有地を担保に、野上三左衛門という富豪に金を借りた。
村人は助かった。 笑顔が戻った。
惣兵衛の妻の名はお松。 子供のいないお松は、三毛猫を大事に飼っていた。

病に伏していた惣兵衛のもとに、三左衛門(さんざえもん)が見舞いに来た。
その時、借りていた金を戻してしまった。
三左衛門は、借金の証文は持っていなかった。 明日にでも届けると言った。
しかし、三左衛門はただ者ではなかった。 証文は持って来なかった。
証文をもらいに行ったら、金はもらってない、とまで言い始めた。
さらに、金は戻してもらっていないからと、担保の土地までとってしまった。
惣兵衛の体は、心配事が重なって重くなった。 そして、後のことを心配しながら死んだ。
妻のお松は、証文を返すよう三左衛門の所に行って、要求した。
三左衛門が応じるわけはなかった。 策略だった。
お松は、奉行所に訴えた。 奉行は、徳島藩の長谷川越前守。
しかし、この奉行に、腹黒い三左衛門から、袖の下が渡っていた。
お松は、あきらめなかった。 最後の手段に出た。
徳島藩の殿様に直訴した。 直訴は死罪と分かっていて。
お松の思いが叶えられることはなかった。 死罪になる。
三毛猫と共に、すぐ近くの、那賀川と加茂川の合流点の川原で、首をはねられた。
その場にいた役人には、お松の顔が菩薩に見えたと言う。
役人は、仕事だからやってるだけ。 切りたいわけではない。
念仏の唱和の声が上がり、その中で、お松は死んでいった。
貞享3年3月15日の、月夜の晩のことだった。

その後、三左衛門と長谷川奉行の家には、怪事が続けざまに起こる。
耳元で猫の悲鳴が聞こえたり、召し使いの女が猫に見えたり、行灯に照らされた障子に猫の影が映ったり。
この怪猫に悩まされ続けた両家は変死や病死が相次いだ。
奉行は失脚し、お家は断絶した。 三左衛門の家も同じ。

死をもって不正を訴えたお松を偲び、村人たちはその墓所を義理権現と呼んだ。
そして、お参りするようになった。
義理権現が、今、お松大権現となっている。
※ ここまでは、資料館の中の資料と、「日本文史 » 日本の伝説」のHPを参照。
なお、5反の畑の場所は、分かっており、表示されている。
また、長谷川奉行の跡地が残っており、そこにお松と猫を祀った神社がある。
場所は、県立近代美術館のそば。 ここに、詳しく。 ※ お松の話に、少し違う部分もあるが。
那賀川をはさんだ川向こうに、午尾(ごお)の滝があった。
バス停にバスが止まっていて、運転手さんに場所を聞いた。
ついておいでと言ったので、バスの後ろをついて行った。
曲がり角で停まって、あっちだよって、教えてくれた。
歩いて楽しい、田舎道。 天気もいい。

棚田のような、ミカン畑。
※ この写真は、偏光フィルターを使った。 上は使っていない。 違いが出ますね。

小さな谷の入り口。 陽だまりのように暖かい。

滝に着いたんだが、どこだか直ぐには分からなかった。
左の下に見えてるのが、少しして気付いた。

八幡神社から見下ろすと、こう。

高さ30㍍。 馬の尻尾に似てるので、午尾の滝と言う。 午は馬のことですね。
雨が少ないから、水量も少ない。 サラサラと静かに流れ落ちていた。

上の方。

滝壺。 きれいな水だった。 泳いだらダメ、とあった。

魚がいた。 ゆれる波に、似ている。

この辺りは、風景がいい。 途中、那賀川に沈下橋があった。
暖かいから、花は元気。

三左衛門と長谷川家を呪い殺したのは、庶民のように思いますね。
両家に、何かがあったら、それは、お松と三毛猫の祟りだと騒いだ。
昔の人々は信心深かった。 両家もそうだった。 それに苦しんで、おかしくなっていった。
庶民を敵にまわしたのが、致命傷になった。
お松は、強い女性だった。 権力と戦った彼女を、庶民は忘れなかった。
お松大権現として、今に残った。
そんな感じがします。
【道の駅】 鷲の里
【明日の予定】 山の上に寺がある。 そこかな。 ここは、小さな町、歩くか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は51位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
【動画】
午尾(ごお)の滝。
鷲の里へ。 ※ 動画の中で、上もこれも、名前を間違ってる。
今日は、山の中を歩く予定だったが、古い遍路道は壊れていた。
変更して、人形浄瑠璃を見ることにした。
写真が撮れることも、分かった。
阿波十郎兵衛(あわじゅうろうべえ)屋敷、というのがある。
人形浄瑠璃(にんぎょう じょうるり)が見られると言うので、向かった。
この屋敷は、板東十郎兵衛という人の屋敷跡。
場所は、吉野川の河口の近く。
私は、浄瑠璃を見たことはない。 浄瑠璃が何だかも知らない。
1日2回公演があって、午前の部が、すぐに始まった。
冬の平日なので、客は少ない。 年末だし。
傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)「巡礼歌の段」というもの。
徳島でやる浄瑠璃の演目では、最も有名と言う。
ある家に娘が訪ねてきた。 そこから、話は始まる。
※ ここで、「巡礼歌の段」のあらすじを。 阿波十郎兵衛屋敷のHPより。
徳島藩のお家騒動に絡んで、阿波の十郎兵衛・お弓の夫婦は
主君の盗まれた刀を詮議するため大阪玉造に盗賊銀十郎と名を
変え住んでいる。
そこへ巡礼姿の娘お鶴がはるばる徳島から父母を尋ねて来る。
お弓は我が子と分かるが、そこで親子の名乗りをしたのでは、
我が子にどんな災いが来るとも限らない。
お弓は涙を飲んで別れる。
名残惜しげに見送るのだが、ここで別れては今度いつ会える
か分からぬと追いかける。
お弓は、この女性が誰だかは分からない。 それを聞く。
娘は、この演目のメインの台詞を言う。
「父(とと)さんの名は阿波の十郎兵衛、母(かか)さんの名はお弓(ゆみ)と申します」
そして、お弓は、飛びあがらんばかりに驚く。
人形の表情が、何とも言えない。 心を読み取れる表情と言うか。
人形浄瑠璃の原点は、東北のイタコが使う、オシラ神にあると言う。 オシラ様のことか。
イタコは、オシラ様に向かって話すことはあるようだ。 話して、オシラ様を踊らす。
※ 詳しくは分からないので、知りたい方は、ここを見てください。
ととさん、かかさんに会いたいことを、伝える。
お弓は、自分が母親とはいえないが、いろいろ心配する。
写真に夢中になったこともあって、この場面の台詞を憶えていない。
この手紙が、何だったかです。
お鶴が持ってる手紙を見る時が来るのだが、今日の場面ではないような・・・。
一つの人形は3人で操る。
向かって右の人は、左手だけ。 真ん中の人は、両足。 左の人は、右手と頭。
あんまり優しいから、もしや自分の母親かも、と心の中で・・。
別れる前に抱き合う。
この後、別れることになる。 お弓は、追う。
人形が動いてるとか、そんなことは、全く考えなかった。 話しの世界に入っていた。
終わった後、二人を撮らせてもらった。
お鶴の視線は私。 もう話は終わっているのに、お弓はお鶴をいたわってる姿勢だった。
私はこの時、お鶴がただの人形には見えなかった。 2人一緒の、いい写真を撮ってあげたいと思った。
私はカメラを構えていたが、左の人に、たくさんの質問をした。
人形に演じさせることの魅力や、何年くらい修行したら、今日のように出来るのか、など。
写真のように、その人は、ていねいに答えてくれた。
それは、時間にして、5~6分でしょうか。
不思議なことが起きました。
お鶴は、私達の話を、じっと聞いていました。
後で、私は失敗したと思いました。 お鶴に質問すればよかったと。
質問は、これしかない。
「自分のお母さんかもしれないと、本当に思ったんですか」と。
これに、お鶴は答えることができます。
なぜかと言うと、今日のお話しの全ての声は、この左の人の声でした。 ※ 録音した声でしたが。
お鶴が、どんな表情で答えるかが見たかった。
今日の舞台は、この人達でつくっていた。 2人と6人。
同じ舞台と思います。
ここは、「眉山(びざん)」という映画のロケに使われたそう。
その記念につくられた。
庭。 知られた庭のよう。
展示館があった。 義経の人形も。
阿波の人形浄瑠璃は、人形を含めて、芸術の域に入っていますね。
人形の仕組み。
この人は、人形師。 初代 天狗久と言って、今でも全ての人形師は、この人を追っている。
人が演じないで、人形が演じる魅力は何でしょう。
命を吹き込まれた人形を見ていると、不思議な感じがしてくる。
今そこで、生きてるように見えてくる。 心も、感情も備えて。
話の内容も面白い。
この次見る時は、2回見る。 1回目は写真。 2回目は、写真を撮らないで。
【道の駅】 公房(くぼう)の郷なかがわ
【明日の予定】 この近くを、少しだけ。
【今日の歌】 風の桜衣 きち兵衛さん ※ 由布姫の墓 絵島の住んだ家 ☆
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は57位です。
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※ 300を越え10位になりました。 放浪の旅も健闘しています。 感謝。
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変更して、人形浄瑠璃を見ることにした。
写真が撮れることも、分かった。
阿波十郎兵衛(あわじゅうろうべえ)屋敷、というのがある。
人形浄瑠璃(にんぎょう じょうるり)が見られると言うので、向かった。
この屋敷は、板東十郎兵衛という人の屋敷跡。

場所は、吉野川の河口の近く。
私は、浄瑠璃を見たことはない。 浄瑠璃が何だかも知らない。
1日2回公演があって、午前の部が、すぐに始まった。
冬の平日なので、客は少ない。 年末だし。

傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)「巡礼歌の段」というもの。
徳島でやる浄瑠璃の演目では、最も有名と言う。
ある家に娘が訪ねてきた。 そこから、話は始まる。

※ ここで、「巡礼歌の段」のあらすじを。 阿波十郎兵衛屋敷のHPより。
徳島藩のお家騒動に絡んで、阿波の十郎兵衛・お弓の夫婦は
主君の盗まれた刀を詮議するため大阪玉造に盗賊銀十郎と名を
変え住んでいる。
そこへ巡礼姿の娘お鶴がはるばる徳島から父母を尋ねて来る。
お弓は我が子と分かるが、そこで親子の名乗りをしたのでは、
我が子にどんな災いが来るとも限らない。
お弓は涙を飲んで別れる。
名残惜しげに見送るのだが、ここで別れては今度いつ会える
か分からぬと追いかける。
お弓は、この女性が誰だかは分からない。 それを聞く。
娘は、この演目のメインの台詞を言う。
「父(とと)さんの名は阿波の十郎兵衛、母(かか)さんの名はお弓(ゆみ)と申します」
そして、お弓は、飛びあがらんばかりに驚く。

人形の表情が、何とも言えない。 心を読み取れる表情と言うか。

人形浄瑠璃の原点は、東北のイタコが使う、オシラ神にあると言う。 オシラ様のことか。
イタコは、オシラ様に向かって話すことはあるようだ。 話して、オシラ様を踊らす。
※ 詳しくは分からないので、知りたい方は、ここを見てください。
ととさん、かかさんに会いたいことを、伝える。

お弓は、自分が母親とはいえないが、いろいろ心配する。

写真に夢中になったこともあって、この場面の台詞を憶えていない。
この手紙が、何だったかです。
お鶴が持ってる手紙を見る時が来るのだが、今日の場面ではないような・・・。

一つの人形は3人で操る。
向かって右の人は、左手だけ。 真ん中の人は、両足。 左の人は、右手と頭。
あんまり優しいから、もしや自分の母親かも、と心の中で・・。

別れる前に抱き合う。

この後、別れることになる。 お弓は、追う。
人形が動いてるとか、そんなことは、全く考えなかった。 話しの世界に入っていた。

終わった後、二人を撮らせてもらった。
お鶴の視線は私。 もう話は終わっているのに、お弓はお鶴をいたわってる姿勢だった。
私はこの時、お鶴がただの人形には見えなかった。 2人一緒の、いい写真を撮ってあげたいと思った。

私はカメラを構えていたが、左の人に、たくさんの質問をした。
人形に演じさせることの魅力や、何年くらい修行したら、今日のように出来るのか、など。
写真のように、その人は、ていねいに答えてくれた。
それは、時間にして、5~6分でしょうか。
不思議なことが起きました。
お鶴は、私達の話を、じっと聞いていました。
後で、私は失敗したと思いました。 お鶴に質問すればよかったと。
質問は、これしかない。
「自分のお母さんかもしれないと、本当に思ったんですか」と。
これに、お鶴は答えることができます。
なぜかと言うと、今日のお話しの全ての声は、この左の人の声でした。 ※ 録音した声でしたが。
お鶴が、どんな表情で答えるかが見たかった。

今日の舞台は、この人達でつくっていた。 2人と6人。

同じ舞台と思います。
ここは、「眉山(びざん)」という映画のロケに使われたそう。
その記念につくられた。

庭。 知られた庭のよう。

展示館があった。 義経の人形も。

阿波の人形浄瑠璃は、人形を含めて、芸術の域に入っていますね。


人形の仕組み。

この人は、人形師。 初代 天狗久と言って、今でも全ての人形師は、この人を追っている。

人が演じないで、人形が演じる魅力は何でしょう。
命を吹き込まれた人形を見ていると、不思議な感じがしてくる。
今そこで、生きてるように見えてくる。 心も、感情も備えて。
話の内容も面白い。
この次見る時は、2回見る。 1回目は写真。 2回目は、写真を撮らないで。
【道の駅】 公房(くぼう)の郷なかがわ
【明日の予定】 この近くを、少しだけ。
【今日の歌】 風の桜衣 きち兵衛さん ※ 由布姫の墓 絵島の住んだ家 ☆
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
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【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。 放浪の旅は57位です。
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土の柱と書いて、土柱。 ※ 土柱~どちゅう
日本には、ここだけ。
そうして、世界3大土柱だそう。 でも、こう言ってるのは、きっと日本だけ。
800年前に、「阿波の土柱」の記録がある。
ということは、土の柱が、風雨にさらされて、800年持ちこたえた。
これが不思議。
土柱の天辺の崖の縁に立ってみた。 崩れるのではと、不安だった。
場所は、阿波市。
無料の駐車場があって、展望台まで10分かからなかった。
谷に入ったら、すぐの所に見えてきた。 途中の狭い駐車場から撮影。
下の展望台から。 土の壁の感じ。
幅は、100mくらい。 高さは、20㍍くらいか。
そこに、土の柱が立っている。 約10㍍。
少し高い展望台から。 ここの名前は、波濤嶽(はとうがたけ)。
他にも土柱はあったが、道が分からなかった。 他は小さい。
阿波市の市街地は、すぐ下。
土柱は、土と石が混ざっている。
ここは、はるか昔、吉野川の川底だった。 それが、隆起した。 だから、石ころがある。
生えている木は、しぶとい。 たまにの雨だけで生きている。 根の長さを見てみたい。
土柱は、固い地層と軟らかい地層があるときだけ、出来ると言う。
軟らかい部分が、雨とかで削られて、固い部分が残る。 残ったのが、土柱。
こういう説明がどこにでもある。
でも、2つの地層が、どのような状態である時に土柱ができるのか、それが分からない。
固い地層が縦になっていないと、柱になって残らない。 そう思う。
色んな形の土柱がある。 しかし、名前がついていない。
これがヒントになる。
100年間、土柱の形が変わらなかったら、きっと名前が付いた。
名前がないことを含めて考えると、土柱の形は、ゆっくりとだが変化してきた。
800年前の土柱はもっと前にあって、今は崩れた。
100年後の土柱は、今の土柱の後ろで、作られつつある。 そう思う。
土柱の上に行く道がある。
右の方に、ミカンの木があった。 自然に育ったのか。
このように、実がなっている。
木の下に行ってみた。 雨宿りではない。 ミカンをもらうため。 右のを採った。
サザンカの道を上る。
柵はない。 子供を連れてくることはできない。
※ 山の奥ならこれでいいが、市街地の近くの観光地でこれなら、発展は望めないように思う。
この場所のすぐ近くにホテルがあったが、今は閉鎖。
風景と温泉だけで人を集めるのは、今は大変。 ※ 下に温泉がある。 ラドン温泉だけど、名前はランド温泉。
あの十和田湖だって、多くの温泉ホテルが閉鎖。
今の人気の場所は、町並みを意識した作りの、温泉街。 黒川温泉 ☆、銀山温泉 ☆ ★ など。
つまり、歩いて楽しい温泉街。
たまには崩れるんでしょうね。 地震の時に多いかな。
近づくと不安。 真っ逆さまかどうかは、覗かないと分からない。
上と下の展望台が見える。
土柱が見える。 土柱は、確かに固い部分が残っているが、岩でないから、限界がある。
長持ちの秘密があった。 あるサイトにこう書いてあった。
それは、自然の中で、コンクリート化していると言う。
※ このサイトを、再度見ようとしたが、見つけられない。
※ 昨夜、動画をスムーズに見られるというソフトを、ダウンロードした。
パソコンが、ごちゃごちゃになった。 昨夜から今日にかけて大変だった。 夕方、やっと元に戻せた。
珍しいということで、国の天然記念物になっている。
※ 下の写真は実験。 カメラは普通に撮影したら、下の写真にする。 少し暗い。 でも、画質はいいようだ。
上の写真は、色がきれい。 でも、画質が甘いかな。 どっちがブログに向いてるか。 中間という考えも。
※ 今日(最近)の写真は、切れ味が弱いように感じる。 原因は何だろう。 気のせいかな。
ロープを下に垂らして、それにつかまってなら、下りられると思った。
下りやすい所もありそう。
ここを下りて来たんだが、少し上がった左が崖。
上の方の石段は、地面から飛び出ていた。 50㌢位の厚さで、土が消えていた。
下の二つは、アメリカにある土柱。 高そうだ。
採ったミカンは、酸っぱかった。 少しだけ食べた。 その後は、見ただけで、唾が出る。
土柱ではないが、キャニオンと呼ばれる土の壁が、青森県の日本海側の南部にあった。
キャニオン ☆
土柱の近くに寺がない。 寺は、この風景に魅力を感じなかったのか。
崩れるからダメか。 岩なら、道を作れるし洞窟も掘れる。
今後のためには、何かの魅力をプラスする。 何でしょう。
安全に近づくことのできる、道でしょうか。
山の上の使わない建物は取り壊して、観音堂でも建てるか。
何か方法はありそうです。
日本にはここにしかない、珍しいもの。
いい形で見せられるといいですね。
【道の駅】 どなり
【明日の予定】 この近くで、探したい。 情報誌にない物。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で11位です。 放浪の旅は53位です。
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【今日の歌】 鬼無里の道 ☆
日本には、ここだけ。
そうして、世界3大土柱だそう。 でも、こう言ってるのは、きっと日本だけ。
800年前に、「阿波の土柱」の記録がある。
ということは、土の柱が、風雨にさらされて、800年持ちこたえた。
これが不思議。
土柱の天辺の崖の縁に立ってみた。 崩れるのではと、不安だった。
場所は、阿波市。
無料の駐車場があって、展望台まで10分かからなかった。
谷に入ったら、すぐの所に見えてきた。 途中の狭い駐車場から撮影。

下の展望台から。 土の壁の感じ。
幅は、100mくらい。 高さは、20㍍くらいか。
そこに、土の柱が立っている。 約10㍍。

少し高い展望台から。 ここの名前は、波濤嶽(はとうがたけ)。
他にも土柱はあったが、道が分からなかった。 他は小さい。

阿波市の市街地は、すぐ下。

土柱は、土と石が混ざっている。
ここは、はるか昔、吉野川の川底だった。 それが、隆起した。 だから、石ころがある。
生えている木は、しぶとい。 たまにの雨だけで生きている。 根の長さを見てみたい。

土柱は、固い地層と軟らかい地層があるときだけ、出来ると言う。
軟らかい部分が、雨とかで削られて、固い部分が残る。 残ったのが、土柱。
こういう説明がどこにでもある。
でも、2つの地層が、どのような状態である時に土柱ができるのか、それが分からない。
固い地層が縦になっていないと、柱になって残らない。 そう思う。

色んな形の土柱がある。 しかし、名前がついていない。
これがヒントになる。
100年間、土柱の形が変わらなかったら、きっと名前が付いた。
名前がないことを含めて考えると、土柱の形は、ゆっくりとだが変化してきた。
800年前の土柱はもっと前にあって、今は崩れた。
100年後の土柱は、今の土柱の後ろで、作られつつある。 そう思う。

土柱の上に行く道がある。
右の方に、ミカンの木があった。 自然に育ったのか。

このように、実がなっている。

木の下に行ってみた。 雨宿りではない。 ミカンをもらうため。 右のを採った。

サザンカの道を上る。

柵はない。 子供を連れてくることはできない。
※ 山の奥ならこれでいいが、市街地の近くの観光地でこれなら、発展は望めないように思う。
この場所のすぐ近くにホテルがあったが、今は閉鎖。
風景と温泉だけで人を集めるのは、今は大変。 ※ 下に温泉がある。 ラドン温泉だけど、名前はランド温泉。
あの十和田湖だって、多くの温泉ホテルが閉鎖。
今の人気の場所は、町並みを意識した作りの、温泉街。 黒川温泉 ☆、銀山温泉 ☆ ★ など。
つまり、歩いて楽しい温泉街。

たまには崩れるんでしょうね。 地震の時に多いかな。
近づくと不安。 真っ逆さまかどうかは、覗かないと分からない。

上と下の展望台が見える。

土柱が見える。 土柱は、確かに固い部分が残っているが、岩でないから、限界がある。
長持ちの秘密があった。 あるサイトにこう書いてあった。
それは、自然の中で、コンクリート化していると言う。
※ このサイトを、再度見ようとしたが、見つけられない。
※ 昨夜、動画をスムーズに見られるというソフトを、ダウンロードした。
パソコンが、ごちゃごちゃになった。 昨夜から今日にかけて大変だった。 夕方、やっと元に戻せた。

珍しいということで、国の天然記念物になっている。

※ 下の写真は実験。 カメラは普通に撮影したら、下の写真にする。 少し暗い。 でも、画質はいいようだ。
上の写真は、色がきれい。 でも、画質が甘いかな。 どっちがブログに向いてるか。 中間という考えも。
※ 今日(最近)の写真は、切れ味が弱いように感じる。 原因は何だろう。 気のせいかな。

ロープを下に垂らして、それにつかまってなら、下りられると思った。
下りやすい所もありそう。

ここを下りて来たんだが、少し上がった左が崖。
上の方の石段は、地面から飛び出ていた。 50㌢位の厚さで、土が消えていた。

下の二つは、アメリカにある土柱。 高そうだ。


採ったミカンは、酸っぱかった。 少しだけ食べた。 その後は、見ただけで、唾が出る。

土柱ではないが、キャニオンと呼ばれる土の壁が、青森県の日本海側の南部にあった。
キャニオン ☆
土柱の近くに寺がない。 寺は、この風景に魅力を感じなかったのか。
崩れるからダメか。 岩なら、道を作れるし洞窟も掘れる。
今後のためには、何かの魅力をプラスする。 何でしょう。
安全に近づくことのできる、道でしょうか。
山の上の使わない建物は取り壊して、観音堂でも建てるか。
何か方法はありそうです。
日本にはここにしかない、珍しいもの。
いい形で見せられるといいですね。
【道の駅】 どなり
【明日の予定】 この近くで、探したい。 情報誌にない物。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
8,9月分だけ、タイトル一覧表が出来ています。
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で11位です。 放浪の旅は53位です。
記事は役立ったでしょうか。
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【今日の歌】 鬼無里の道 ☆