和霊神社という神社が、駅の裏の方にあった。
昔、宇和島藩に騒動があり、それがあって生まれた神社だと言う。
何か分かるかと思って、行ってみた。
昨日、ラジオで「心」について面白いことを言っていた。
それについて、少しだけ。
車では走れないので、歩くことにした。
15分ほど歩いた所に、和霊神社。 和霊~われい
雪は、降ったり止んだり。
(写真は、クリックで大きくなります)
この神社が出来たいきさつが、変わっている。
短くまとめるとこう。(市のHP)
祭神である山家清兵衛(やんべせえべえ)は、米沢の生まれ。
伊達秀宗(藩主)の元で、産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した清兵衛ですが、
元和6年(1620)凶刃に倒れました。
その後この事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死したため、
人々は清兵衛の怨霊だと恐れ、その霊を城北の地にまつりました。
それが和霊神社の始まりです
秀宗は、伊達正宗の長男。 宇和島藩の藩主となってきた。
まだ若いので、正宗は、山家清兵衛を後ろ盾として、宇和島によこした。
手腕を発揮したが、妬まれたりして、最後は秀宗の指示で、暗殺された。
その後の災いが、清兵衛の祟りと噂が立ち、秀宗は和霊神社を建てた。
ここは、本殿。
創建のいきさつはこうだけど、大きな神社。
分霊を祀った神社は、四国を中心に、全国に100以上ある。
殺され方は、こう。 1620年のこと。(和霊騒動顛末記より)
6月29日の深夜、丸之内(現在の和霊神社)の山家邸に乱入し、蚊帳の四つ手を切り落として、
清兵衛・二男治部・三男丹治を斬殺した。清兵衛時に42歳であった。
Wikipediaには、下のようにある。
山家清兵衛について調べてみたら、あるサイトに、こんな表現があった。
「政宗からは絶大な信頼をうけていたが、伏見でお公家さんのように育った・・・」
正宗の信頼が厚かったため、宇和島での状況判断、つまり、藩主の秀宗と周りの者が何を考えているか、
その判断を誤ったように見える。
ただ、藩内の人心は、清兵衛についたので、何かあれば、祟りと言うようになった。
最後には、祟りを鎮めるための神社ができた。
宇和島では、下の写真の「牛鬼(うしおに)」をよく見る。
雪に椿。 花札のよう。(?)
「少し、つめたいなあ」
ベレー帽が似合うねって言われたら、気迫は半分しか出せない。
山の上は、こう。 山の下から、とけ始めた。
まるい屋根は、闘牛場。
神社に説明とかは、一切なかった。 ※ 和霊神社に、HPはない。
駅に向かった。
宇和島駅は、予讃線の終着駅。 ここと宿毛の間には、鉄道はない。
時計台かと思った。 いい風景。
駅は向こうの、左に。 振り返って撮影。
きさいやロード。
道の駅にも、「きさいや」がついている。 来てください、の意味だそう。
雪で、人が少ない。
昔は、主人を殺す時、いつかの仇討を恐れて、子供を含めて、一家皆殺しにした。
※ 生き延びた子供が、執念の仇を討つのがありましたね。
九州の、秋月藩での事だったかな。
※ 日本最後の仇討 (面白いです。 時間があったらどうぞ)
※ 上の中に、こんな文がある。
この知らせを郷里の秋月で聞いた六郎の祖父遊翁は、垣根を飛び越えて隣家に駆け込み、
「六郎がやった! 六郎がやった!」 と叫び、
「今日は我が生涯最高の日じゃ、生きてて良かった。」と泣いた。
心について書く予定だったが、ネットにその内容が載っていたので、それを紹介します。
内容を簡単に。
好き嫌いは、心が決めるとする。
もし、臓器移植をして、好き嫌いが変わったら、移植した臓器に心があったのでは、という内容。
ネットの記事と、ラジオで話したことは、情報源が同じと思う。
書くことを整理しているうちに、こんなことを考えた。
好き嫌いは、心が決めない場合もある。
例えば、体が疲れきっていたら、甘いものが好きな傾向になる。
何の好き嫌いでも、心が決めてるように見えるけど、別の条件かもしれない、と思うようになってきた。
長いので、面白そうな所だけでも。 不思議に思うところは、ある。
昔、テレビでやったそうなので、知ってる人がいるかもしれない。
運命と宿命 〔その1〕臓器は「運命」の一部である
「心」については、もっと知りたいですね。 むずかしい。
【道の駅】 みなとオアシス きさいや広場
【明日の予定】 遊子水荷浦の段畑に、やっと行けそう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
【今日の歌】 愛の終着駅 ※ 宇和島駅が終着駅なので
【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で8位です。 放浪の旅は30位です。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
昔、宇和島藩に騒動があり、それがあって生まれた神社だと言う。
何か分かるかと思って、行ってみた。
昨日、ラジオで「心」について面白いことを言っていた。
それについて、少しだけ。
車では走れないので、歩くことにした。
15分ほど歩いた所に、和霊神社。 和霊~われい
雪は、降ったり止んだり。
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この神社が出来たいきさつが、変わっている。
短くまとめるとこう。(市のHP)
祭神である山家清兵衛(やんべせえべえ)は、米沢の生まれ。
伊達秀宗(藩主)の元で、産業の拡充、民政の安定に手腕を発揮した清兵衛ですが、
元和6年(1620)凶刃に倒れました。
その後この事件に関与した者が相次いで海難や落雷で変死したため、
人々は清兵衛の怨霊だと恐れ、その霊を城北の地にまつりました。
それが和霊神社の始まりです
秀宗は、伊達正宗の長男。 宇和島藩の藩主となってきた。
まだ若いので、正宗は、山家清兵衛を後ろ盾として、宇和島によこした。
手腕を発揮したが、妬まれたりして、最後は秀宗の指示で、暗殺された。
その後の災いが、清兵衛の祟りと噂が立ち、秀宗は和霊神社を建てた。
ここは、本殿。
創建のいきさつはこうだけど、大きな神社。
分霊を祀った神社は、四国を中心に、全国に100以上ある。

殺され方は、こう。 1620年のこと。(和霊騒動顛末記より)
6月29日の深夜、丸之内(現在の和霊神社)の山家邸に乱入し、蚊帳の四つ手を切り落として、
清兵衛・二男治部・三男丹治を斬殺した。清兵衛時に42歳であった。
Wikipediaには、下のようにある。

山家清兵衛について調べてみたら、あるサイトに、こんな表現があった。
「政宗からは絶大な信頼をうけていたが、伏見でお公家さんのように育った・・・」
正宗の信頼が厚かったため、宇和島での状況判断、つまり、藩主の秀宗と周りの者が何を考えているか、
その判断を誤ったように見える。
ただ、藩内の人心は、清兵衛についたので、何かあれば、祟りと言うようになった。
最後には、祟りを鎮めるための神社ができた。
宇和島では、下の写真の「牛鬼(うしおに)」をよく見る。

雪に椿。 花札のよう。(?)

「少し、つめたいなあ」

ベレー帽が似合うねって言われたら、気迫は半分しか出せない。

山の上は、こう。 山の下から、とけ始めた。
まるい屋根は、闘牛場。



神社に説明とかは、一切なかった。 ※ 和霊神社に、HPはない。
駅に向かった。
宇和島駅は、予讃線の終着駅。 ここと宿毛の間には、鉄道はない。

時計台かと思った。 いい風景。

駅は向こうの、左に。 振り返って撮影。

きさいやロード。
道の駅にも、「きさいや」がついている。 来てください、の意味だそう。

雪で、人が少ない。

昔は、主人を殺す時、いつかの仇討を恐れて、子供を含めて、一家皆殺しにした。
※ 生き延びた子供が、執念の仇を討つのがありましたね。
九州の、秋月藩での事だったかな。
※ 日本最後の仇討 (面白いです。 時間があったらどうぞ)
※ 上の中に、こんな文がある。
この知らせを郷里の秋月で聞いた六郎の祖父遊翁は、垣根を飛び越えて隣家に駆け込み、
「六郎がやった! 六郎がやった!」 と叫び、
「今日は我が生涯最高の日じゃ、生きてて良かった。」と泣いた。
心について書く予定だったが、ネットにその内容が載っていたので、それを紹介します。
内容を簡単に。
好き嫌いは、心が決めるとする。
もし、臓器移植をして、好き嫌いが変わったら、移植した臓器に心があったのでは、という内容。
ネットの記事と、ラジオで話したことは、情報源が同じと思う。
書くことを整理しているうちに、こんなことを考えた。
好き嫌いは、心が決めない場合もある。
例えば、体が疲れきっていたら、甘いものが好きな傾向になる。
何の好き嫌いでも、心が決めてるように見えるけど、別の条件かもしれない、と思うようになってきた。
長いので、面白そうな所だけでも。 不思議に思うところは、ある。
昔、テレビでやったそうなので、知ってる人がいるかもしれない。
運命と宿命 〔その1〕臓器は「運命」の一部である
「心」については、もっと知りたいですね。 むずかしい。
【道の駅】 みなとオアシス きさいや広場
【明日の予定】 遊子水荷浦の段畑に、やっと行けそう。
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遊子水荷浦の段畑に向かったが、雪がひどくなってきたので、戻った。 ※ 遊子水荷浦~ゆす みずがうら
寒いし、写真も撮りにくいので、街へ出かけるのもやめた。
3時前から、一人での宴会をした。
※ これを思いついたので、出かけるのをやめたような気もする。(こっちが、本心か)
サッカーのニュースをネットで見ながら、飲んだ。 極楽。
そして、ラジオも聞いた。 面白いことを聞いた。
「心」は、どこにあるんだろう、という内容。
※ これについて、ブログで触れたことがあるかないか、はっきりしない。
明日も雪の予定。
もし出かけられなかったら、このことを書きます。
そんな話聞いたことがない、と誰もが思う内容。
道の駅の案内所で、遊子水荷浦への道の状態を聞いた。
途中峠があるが、車は通っていると言う。
陽がさしているし、雪も止んでいるので向かった。
でも、動画にあるように、吹雪いてきたので戻った。
ここが、道の駅 みなとオアシスうわじま。 中は、大きなお店。
(写真は、クリックで大きくなります)
道の駅から見た、私の車。 雪はひどくなってきた。 戻って来てよかった。
山の上の宇和島城も、雪の中。
こっちは、港。
足湯。 ※ 夜はやってるのかな。 体の上は寒くて、足が温まったら、全体はどうなる?
お店に、大きな水槽。
カワハギでいいのかな。 小さな口。
ヒラメ。 目が、左なのが分かりますね。 大きさは、80㌢くらい。
ヒラメやオヒョウは、大きいのがいる。 大きなオヒョウ(gigazinより)

親子がいた。 私は子供に、大きな魚だね、とか話しかけていた。
そうしているうちの、子供は、ガラスの向こうの魚を捕まえるふりをして、食べた。
面白かったので、もう1回食べてって、お願いした。
今度は、直接、口をもっていって食べた。
この後、酒の肴を買った。 どれも、一皿150円。
※ アジの煮付け ブリ大根 豆アジの南蛮漬け 魚のかまぼこ
先日、コメントで東風さんが、ミョウガの食べ方を教えてくれた。 右端に。
※ バカになるほどの量はないけど、バカになってもいい。 いや、バカが治ったりして。
ビールと酒を飲みながら、ネットで、サッカーのニュースを見ていた。
ラジオも入れていた。 「心はどこにある」について、ああだこうだ、言っていた。 面白かった。
※ これについては、明日か、近々書きます。
サッカーですが、アジアカップで勝ちましたね。
ザッケローニ監督。 いい監督かもしれない。 隣は、キャプテンの長谷部。
この監督は、選手の心を捕まえるのが、きっと上手。 2つ紹介。
○ ゴールキーパーの川島は、カタール戦でミスをして、自信を失いかけていた。
監督は、川島にこう言った。
「落ち着いてやれば問題ない」
「ミスのないGKはいない。でも川島はミスの少ないGKだ」
この後、韓国戦のPK戦で、スーパーセーブを連発する。
自信を取り戻したことが、決勝のオーストラリア戦での活躍につながっていく。
○ こんなことも言った。
「望んだ結果が得られた。
この大会は先制されても、10人になっても引き分けではなく、勝ちきってきた。
後から試合に出るサブのメンバーたちの力が非常に大きく、チーム全体の力で勝ち切った。
そのことはきょうの李(忠成)のゴールが象徴している。
今日の決勝は本田、長谷部、遠藤 が昨日一日しか合流できず、岡崎は昨日、それもできなかった。
長友も韓国戦で足を踏まれて思ったようなトレーニングができなかった。
きょうは力以上のものを出し切ってくれたゲームだった。」
この言葉は、マスコミに話しているが、選手にも伝わるんですね。
それを知ってるから、こういう。
面白い写真。 監督は、自分を見てるのか。 撮ってる人が写っている。 Pの上の人かな。
MVPの本田は、こう言った。
「まだ個人的には満足していない。これからも成長した本田圭佑を見せられるようにしたい。
今まで何度か日本が優勝したのは、小さい時に見てきた。
でも、カタール、韓国、オーストラリアに勝利し、今までの大会よりも価値がある優勝だと思う。」
この人が現れて、サッカーが面白くなってきた。
※ 以前、日本の中心だった、中田もコメントした。
「厳しい試合の中、勝つことができた。
こういう大会では、ラッキーボーイが出てくるチームが強い。
決勝も最後、延長で入ってきた選手が点を決めた。
新しい指導者が来た中、1つの大会で終わらせるのではなく、次の大会へつなげていって欲しい。」
言ってる中身は、深くない。
本田をはじめ、今の若い選手は、以前の選手より、サッカーを深く考えてるように感じますね。
優れた監督に出会うからかな。 ヨーロッパなどで。
明日も雪だったら、どうしましょう。
こう言う時、室内で、闘牛が見られたらいい。
【道の駅】 みなとオアシス宇和島 昨晩に同じ
【明日の予定】 天気次第
【動画】
遊子水荷浦の段畑に向かったが、戻る。
李 忠成(り ただなり)の得点シーン 1分過ぎに。
対 韓国 同点シーン
対 韓国 PK戦
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3時前から、一人での宴会をした。
※ これを思いついたので、出かけるのをやめたような気もする。(こっちが、本心か)
サッカーのニュースをネットで見ながら、飲んだ。 極楽。
そして、ラジオも聞いた。 面白いことを聞いた。
「心」は、どこにあるんだろう、という内容。
※ これについて、ブログで触れたことがあるかないか、はっきりしない。
明日も雪の予定。
もし出かけられなかったら、このことを書きます。
そんな話聞いたことがない、と誰もが思う内容。
道の駅の案内所で、遊子水荷浦への道の状態を聞いた。
途中峠があるが、車は通っていると言う。
陽がさしているし、雪も止んでいるので向かった。
でも、動画にあるように、吹雪いてきたので戻った。
ここが、道の駅 みなとオアシスうわじま。 中は、大きなお店。
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道の駅から見た、私の車。 雪はひどくなってきた。 戻って来てよかった。

山の上の宇和島城も、雪の中。


こっちは、港。

足湯。 ※ 夜はやってるのかな。 体の上は寒くて、足が温まったら、全体はどうなる?

お店に、大きな水槽。

カワハギでいいのかな。 小さな口。

ヒラメ。 目が、左なのが分かりますね。 大きさは、80㌢くらい。
ヒラメやオヒョウは、大きいのがいる。 大きなオヒョウ(gigazinより)

親子がいた。 私は子供に、大きな魚だね、とか話しかけていた。

そうしているうちの、子供は、ガラスの向こうの魚を捕まえるふりをして、食べた。
面白かったので、もう1回食べてって、お願いした。
今度は、直接、口をもっていって食べた。

この後、酒の肴を買った。 どれも、一皿150円。
※ アジの煮付け ブリ大根 豆アジの南蛮漬け 魚のかまぼこ
先日、コメントで東風さんが、ミョウガの食べ方を教えてくれた。 右端に。
※ バカになるほどの量はないけど、バカになってもいい。 いや、バカが治ったりして。
ビールと酒を飲みながら、ネットで、サッカーのニュースを見ていた。

ラジオも入れていた。 「心はどこにある」について、ああだこうだ、言っていた。 面白かった。
※ これについては、明日か、近々書きます。
サッカーですが、アジアカップで勝ちましたね。
ザッケローニ監督。 いい監督かもしれない。 隣は、キャプテンの長谷部。

この監督は、選手の心を捕まえるのが、きっと上手。 2つ紹介。
○ ゴールキーパーの川島は、カタール戦でミスをして、自信を失いかけていた。
監督は、川島にこう言った。
「落ち着いてやれば問題ない」
「ミスのないGKはいない。でも川島はミスの少ないGKだ」
この後、韓国戦のPK戦で、スーパーセーブを連発する。
自信を取り戻したことが、決勝のオーストラリア戦での活躍につながっていく。
○ こんなことも言った。
「望んだ結果が得られた。
この大会は先制されても、10人になっても引き分けではなく、勝ちきってきた。
後から試合に出るサブのメンバーたちの力が非常に大きく、チーム全体の力で勝ち切った。
そのことはきょうの李(忠成)のゴールが象徴している。
今日の決勝は本田、長谷部、遠藤 が昨日一日しか合流できず、岡崎は昨日、それもできなかった。
長友も韓国戦で足を踏まれて思ったようなトレーニングができなかった。
きょうは力以上のものを出し切ってくれたゲームだった。」
この言葉は、マスコミに話しているが、選手にも伝わるんですね。
それを知ってるから、こういう。
面白い写真。 監督は、自分を見てるのか。 撮ってる人が写っている。 Pの上の人かな。

MVPの本田は、こう言った。
「まだ個人的には満足していない。これからも成長した本田圭佑を見せられるようにしたい。
今まで何度か日本が優勝したのは、小さい時に見てきた。
でも、カタール、韓国、オーストラリアに勝利し、今までの大会よりも価値がある優勝だと思う。」
この人が現れて、サッカーが面白くなってきた。

※ 以前、日本の中心だった、中田もコメントした。
「厳しい試合の中、勝つことができた。
こういう大会では、ラッキーボーイが出てくるチームが強い。
決勝も最後、延長で入ってきた選手が点を決めた。
新しい指導者が来た中、1つの大会で終わらせるのではなく、次の大会へつなげていって欲しい。」
言ってる中身は、深くない。
本田をはじめ、今の若い選手は、以前の選手より、サッカーを深く考えてるように感じますね。
優れた監督に出会うからかな。 ヨーロッパなどで。
明日も雪だったら、どうしましょう。
こう言う時、室内で、闘牛が見られたらいい。
【道の駅】 みなとオアシス宇和島 昨晩に同じ
【明日の予定】 天気次第
【動画】
遊子水荷浦の段畑に向かったが、戻る。
李 忠成(り ただなり)の得点シーン 1分過ぎに。
対 韓国 同点シーン
対 韓国 PK戦
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道の駅から、宇和島城は、小さな山の上に見えた。
案内所で、地図をいただいた。
歩いて行くつもりだった。
ところが、道先案内人というボランティアガイドの方がいて、全て案内してくれた。
それも、城の下まで、車で・・・。
いつの間にか、四国の西の端に来ましたね。
宇和島は、ここです。
乗用車に載せていただいて、関係者しか行けない所まで、登った。
今日は寒いからか、いそがしくないと言うことで、案内人の方は2人。
この石垣を登って、もう一つ登ったら、天守閣。
写真の石垣の、左下が少し膨らんでいるのが分かるでしょうか。
傷んできていて、崩れるかもしれない、とのこと。
石垣は、簡単には傷まないと思っていた。
(写真は、クリックで大きくなります)
見えました。 かわいい城です。
撮影スポットは、この変の様です、と教えてくれた。 今日は、楽。
あと、数歩下がって撮ったら、城がもうちょっと上がりましたね。
緑が少ないから、空の青もだいじ。
市街地の真ん中に山があって、城がある。
天守と、下にある「上り立ち門」以外は、取り壊したり、焼けたりしてない。
これはこれでいいけど、桜が咲くと変わりますね。 新緑のやわらかな緑もいい。
ここは、天守のある本丸。
石垣の上の部分は、石垣より少し、小さい。 ※ 内側に入っている。
それが特徴と、教えていただいた。 他の城は、そうなっていない。 例えば、弘前城。
他に、壁に横線があったり、戦いに関係ないものもある。
つまり、この城は、江戸時代に入って、もう戦いはないとの見通しのもとで建てられた。
太い木の切株があった。 この山も石の山。 木の根は横にのびる。 石垣にとっても良くない。
だから、切った。 切ったとしても、それは、元に戻したことですね。
城の入り口。 玄関のよう。 これも、ここだけと言う。
そう言えば、入り口は、ふつう目立たない。 弘前城の入り口はこう。 これが、普通かな。
その玄関の上に、模様。
竹二雀紋。(パンフレットにこう表示。 二は「に」のこと) 宇和島伊達家の家紋の一つ。
よく見たら、左右の竹もスズメも、同じ(対称)でない。
一目、古いと感じる。
この城の創建は藤堂高虎だが、宇和島2代藩主の宗利が、今の形に再建した。
それが、今に残っている。
障子がある。 これも、宇和島城の特徴。
10分の1の模型。 模型を作って城を作ったのではなく、後で作った物。
精巧なもので、これがあれば全く同じように再建できるそう。(ガイドさんの説明) ※ 城と一緒に焼けたらダメ。
最上階。 周りに廊下はない。
天守の解体修理は、昭和35年から行われた。
これは、使えなくなった部分。 柱のある部分は、このようになってしまった。
※ 今の城は、古い柱と新しい柱が、混ざっている。 他の部分も。
時には、1本の柱の半分が古い場合もある。
解体修理前の写真。 これだったら、いつか崩壊するかもしれない。
黒門矢倉という建物。 明治32年頃取り壊した。 撮影は、明治25年頃。
※ 古い物の価値を、誰もが分かっていた時代ではなかったよう。
宇和島湾が見える。 手前は、宇和島港。 左側後ろの山は、島。 九島。
北東方面。 闘牛場が見えると言う。 小さな山の上かな。 円い屋根。
南東。 こちらは山。 昨日今日と、四国にしては寒い。 小さな山でも、上は雪。 白い。
NHKの取材班が、城を撮影したり、観光客にインタビューしていた。 ※ NHKから委託されている業者。
私もこの後、インタビューを受けた。 ※ 事前に話があり、了解しておいた。
城の魅力は何ですか、いつの季節の城が好きですか、など、5分くらい。
答えたのは、建物が美しい、時代を感じる、新緑の頃が好き、など思いついたことを。
※ 私は、何でも見て歩いている。 特別に城が好きなわけでないから、少し困った。
いい部分があれば使われる。 簡単には、使われない。 そう思います。
番組名は、「新日本風土記 春のSP “城”」 4月上旬に放映。 90分番組で、全国版。
天守の他に唯一焼け残った、上(のぼ)り立ち門。
隣の像は、児島惟謙(これかた)と言う人。 この町の出身。
明治24年に、ロシア皇帝の皇太子が襲われた、暗殺未遂事件があった。(大津事件)
この人が、この事件を裁いた。
※ Wikipediaの説明はこう。(概略)
時の大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は、法治国家として法は遵守されなければならない
とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発した。
事件から16日後の5月27日、一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用して
無期徒刑(無期懲役)の判決が下された。
国は、ロシアの反発を恐れて、死刑にしてほしかったが、その圧力に屈しなかった。
それが立派だと言うことで、像がある。
最後は、宇和島市立伊達博物館に案内してくれた。
昔はこの土地に、伊達家の屋敷があったと言う。
宇和島城は、大きくはないけど、品と風格のある城だった。
道先案内人の方には、お世話になってしまった。
私が知りたいだろうと思うことを、丁寧に説明していただいた。
感謝します。
※ 現存天守のある城は12。 見たことないのは、丸岡城、犬山城、備中松山城の3つ。 今年見られるでしょうか。
今まで行った、いくつかを紹介してお終い。 松山城 姫路城 丸亀城 松本城
【道の駅】 みなとオアシスうわじま「きさいや広場}
【明日の予定】 遊子水荷浦の段畑(ゆずみずがうらのだんばた)へ。
夜中から、雪が降り始めた。 困りました。
【動画】
道の駅 みなとオアシスうわじまへ
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、こちらです。
【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で8位です。 放浪の旅は33位です。
記事は役立ったでしょうか。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
案内所で、地図をいただいた。
歩いて行くつもりだった。
ところが、道先案内人というボランティアガイドの方がいて、全て案内してくれた。
それも、城の下まで、車で・・・。
いつの間にか、四国の西の端に来ましたね。
宇和島は、ここです。
乗用車に載せていただいて、関係者しか行けない所まで、登った。
今日は寒いからか、いそがしくないと言うことで、案内人の方は2人。
この石垣を登って、もう一つ登ったら、天守閣。
写真の石垣の、左下が少し膨らんでいるのが分かるでしょうか。
傷んできていて、崩れるかもしれない、とのこと。
石垣は、簡単には傷まないと思っていた。
(写真は、クリックで大きくなります)

見えました。 かわいい城です。
撮影スポットは、この変の様です、と教えてくれた。 今日は、楽。
あと、数歩下がって撮ったら、城がもうちょっと上がりましたね。
緑が少ないから、空の青もだいじ。

市街地の真ん中に山があって、城がある。
天守と、下にある「上り立ち門」以外は、取り壊したり、焼けたりしてない。

これはこれでいいけど、桜が咲くと変わりますね。 新緑のやわらかな緑もいい。

ここは、天守のある本丸。
石垣の上の部分は、石垣より少し、小さい。 ※ 内側に入っている。
それが特徴と、教えていただいた。 他の城は、そうなっていない。 例えば、弘前城。
他に、壁に横線があったり、戦いに関係ないものもある。
つまり、この城は、江戸時代に入って、もう戦いはないとの見通しのもとで建てられた。

太い木の切株があった。 この山も石の山。 木の根は横にのびる。 石垣にとっても良くない。
だから、切った。 切ったとしても、それは、元に戻したことですね。

城の入り口。 玄関のよう。 これも、ここだけと言う。
そう言えば、入り口は、ふつう目立たない。 弘前城の入り口はこう。 これが、普通かな。

その玄関の上に、模様。

竹二雀紋。(パンフレットにこう表示。 二は「に」のこと) 宇和島伊達家の家紋の一つ。
よく見たら、左右の竹もスズメも、同じ(対称)でない。

一目、古いと感じる。
この城の創建は藤堂高虎だが、宇和島2代藩主の宗利が、今の形に再建した。
それが、今に残っている。
障子がある。 これも、宇和島城の特徴。

10分の1の模型。 模型を作って城を作ったのではなく、後で作った物。
精巧なもので、これがあれば全く同じように再建できるそう。(ガイドさんの説明) ※ 城と一緒に焼けたらダメ。

最上階。 周りに廊下はない。

天守の解体修理は、昭和35年から行われた。
これは、使えなくなった部分。 柱のある部分は、このようになってしまった。
※ 今の城は、古い柱と新しい柱が、混ざっている。 他の部分も。
時には、1本の柱の半分が古い場合もある。

解体修理前の写真。 これだったら、いつか崩壊するかもしれない。

黒門矢倉という建物。 明治32年頃取り壊した。 撮影は、明治25年頃。
※ 古い物の価値を、誰もが分かっていた時代ではなかったよう。

宇和島湾が見える。 手前は、宇和島港。 左側後ろの山は、島。 九島。

北東方面。 闘牛場が見えると言う。 小さな山の上かな。 円い屋根。

南東。 こちらは山。 昨日今日と、四国にしては寒い。 小さな山でも、上は雪。 白い。

NHKの取材班が、城を撮影したり、観光客にインタビューしていた。 ※ NHKから委託されている業者。
私もこの後、インタビューを受けた。 ※ 事前に話があり、了解しておいた。
城の魅力は何ですか、いつの季節の城が好きですか、など、5分くらい。
答えたのは、建物が美しい、時代を感じる、新緑の頃が好き、など思いついたことを。
※ 私は、何でも見て歩いている。 特別に城が好きなわけでないから、少し困った。
いい部分があれば使われる。 簡単には、使われない。 そう思います。
番組名は、「新日本風土記 春のSP “城”」 4月上旬に放映。 90分番組で、全国版。

天守の他に唯一焼け残った、上(のぼ)り立ち門。
隣の像は、児島惟謙(これかた)と言う人。 この町の出身。
明治24年に、ロシア皇帝の皇太子が襲われた、暗殺未遂事件があった。(大津事件)
この人が、この事件を裁いた。
※ Wikipediaの説明はこう。(概略)
時の大審院(現在の最高裁判所)院長の児島惟謙は、法治国家として法は遵守されなければならない
とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発した。
事件から16日後の5月27日、一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用して
無期徒刑(無期懲役)の判決が下された。
国は、ロシアの反発を恐れて、死刑にしてほしかったが、その圧力に屈しなかった。
それが立派だと言うことで、像がある。

最後は、宇和島市立伊達博物館に案内してくれた。
昔はこの土地に、伊達家の屋敷があったと言う。

宇和島城は、大きくはないけど、品と風格のある城だった。
道先案内人の方には、お世話になってしまった。
私が知りたいだろうと思うことを、丁寧に説明していただいた。
感謝します。
※ 現存天守のある城は12。 見たことないのは、丸岡城、犬山城、備中松山城の3つ。 今年見られるでしょうか。
今まで行った、いくつかを紹介してお終い。 松山城 姫路城 丸亀城 松本城
【道の駅】 みなとオアシスうわじま「きさいや広場}
【明日の予定】 遊子水荷浦の段畑(ゆずみずがうらのだんばた)へ。
夜中から、雪が降り始めた。 困りました。
【動画】
道の駅 みなとオアシスうわじまへ
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【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で8位です。 放浪の旅は33位です。
記事は役立ったでしょうか。
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※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
冬の棚田の、石垣を見に行ってきた。
稲の緑はないけれど、それは想像すればいい、と思って。
小学校や中学校の、正式な名前は、長くても20文字くらい。
それが、30文字もあった。
山に入る時は、いつも道が不安。
でも、山出(やまいだし)の棚田への道は、いい道だった。
後で調べたら、この道は、昔からある宿毛街道だった。
山の中だけど、海から遠くはない。
現在地から、時計回りに、大山祇(おおやまづみ)神社を通って戻ってくる。 その予定。
(写真は、クリックで大きくなります)
案内板はあったけど、駐車場はなかった。
たまたま、郵便局の人がいたので聞いた。 郵便局の職員の方の車の、後ろに停めさせていただいた。
何気なく石垣は、ある。
見えてきた。 広い斜面にある。
地図の右側の方の棚田。 遠い山の斜面に道がある。 あの向こうは、高知県か。
いい風景だ。 この風景でも、情報誌にはない。 ※ 情報誌が客観的と思うのは、間違いなのが分かる。
新緑の頃、左下隅の、やわらかな緑で、この風景全体が埋まる。
ここの棚田の特徴は、1枚の棚田が広いこと。 どこも、小さなトラクターが入れること。
昨日の、外泊の石垣の石より、大きいですね。
この石は、他から持って来たのではなく、ここの畑から出てきた。
上の棚田を遠くから。
この棚田は、整備されている。 4枚上の写真の、右に見える棚田。
上の棚田を横から。 小さな石も、全部使って、石垣を作った。
大山祇神社(おおやまづみ じんじゃ)。
そう言えば、ここは愛媛県。 大山祇神社の総本社のある大三島は、愛媛県だった。
※ 鶴姫を思い出す。 大山祇神社 鶴姫 鶴姫の鎧 ブログ、鶴姫伝説~瀬戸内のジャンヌダルク ~
地図の左の方に来た。 棚田の陰にも、小さな集落がある。 右奥は、温泉。
棚田を整備する工事が行われていた。
※ 具体的には、愛南町が行っている、棚田の保全工事。
山から下りて、地図にある、「灰鷹様の祠」を探したが、見つけられなかった。
灰鷹様って何なのか。 なぜ、祠があるのかを知りたかった。
※ 灰鷹は、鳥のハイタカなのか。 もし、鳥なら、こんな鳥。(Wikipedia) 大きくない。
川の下流から、撮影。 向こうの山を歩いていた。
集落の、ほぼ全体。 ※ 右奥にも家はある。
左に行く沢にある道が、昔の宿毛(すくも)街道。
私は、棚田の水源を確認しなかった。 正面の山の川を利用しているのか。
※ 下の川の上流から引いてる場合もある。
近くに、小さな滝があった。 雨が降らないので、この状態。
滝の周りの様子を見た。 山の中は、石だらけ。
土の中に石があるのではなく、石の隙間に土があった。
石を捨てる所はないから、石垣を作ることは、一石二鳥のことだった。
直ぐ近くに、山出憩いの里温泉。 300円。 温泉の建物は、左に。
古い建物があった。 チョウナ造りの家。 柱は、鋸(のこ)でなく、斧のようなチョウナで削ってつくった。
長い名前の学校があるので、行ってみた。 十数㌔走った。
動画に見えた場所が、その学校だった。 ※ 車からの写真が、高い位置なので、この写真を。
高知県との、県境にある。
のどかな所に、学校はあった。 小学校と中学校。
子供たちは、部活の最中だった。 先生方に挨拶して、撮らせてもらった。
学校名は
高知県宿毛市愛媛県南宇和郡愛南町篠山小中学校組合立篠山小学校 ※ 中学校は、最後の部分が、中学校。
30文字で、日本一長い。
※ 篠山小学校と中学校のHPの説明は、こうです。
日本一長い校名の由来
本校の校区は、高知県と愛媛県にまたがっています。
この地域は、昔から土佐と伊予との交流が盛んで、文化、生活が一体となっていました。
今からおよそ60年前、現在の高知県宿毛市、愛媛県南宇和郡愛南町とで、それぞれお金を出し合って、
学校設立に向けた学校組合を作り、高知県側、愛媛県側にあったそれぞれの小学校、中学校を、
一つにしようという動きがありました。
この動きの中で、学校組合が中心となって、昭和24年(1949年)に篠山中学校を愛媛側に作り、
続いて昭和27年(1952年)に、現在の敷地に篠山小学校ができました。
学校と山の間に川が流れており、川の向こうは、高知県。
高知県からも、子供は来ている。
部活を指導されてた先生が、そう教えてくれた。
先生方みんなが、明るく爽やかな感じだった。
先生方がこうなら、もちろん、子供たちもそうですね。
元気な声が、山間(やまあい)に響いていた。
※ 学校の正式名は、住所に郡が付いていたり、分校だと長くなる。 それでも、20文字くらいか。
例えば、こんなの。(今は、閉校)
北海道 紋別郡 滝上町立 滝西小学校 滝奥分校 これで、19文字。
学校の住所が愛南町になっているので、学校の管理に責任を持っているのは、愛南町ですね。
名前が長いと言うことは、本来どうでもいいことかも知れない。
でも、ここの場合は、子供たちのことを考えた結果、こうなった。
だから、長くてもいいのかな。
学校名は、昔そうしたので、そのまま。
今の時代だったら、越境入学の形で、乗り切りますね。
※ 今までブログに書いた日本一を、いくつか紹介して、お終い。
○ 一番高い山、富士山 千円札の富士
○ 一番画数の多い山 鬱岳(うつだけ) 37画(29+8) 北海道に。 字を見ただけで、憂鬱(ゆううつ)になる。
○ 透明度日本一の湖 摩周湖
○ 日本一高い像 牛久大仏(茨城県)
○ 日本一の、大吊橋 九重 夢 大吊橋(大分県九重町)
○ 高さ日本一のダム 黒部ダム(富山県) 186㍍
他は、いつかまた。
【道の駅】 みしょうMIC
【明日の予定】 宇和島に向かう
【動画】
山出の棚田へ
・・・・篠山小学校へ
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【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で8位です。 放浪の旅は34位です。
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それが、30文字もあった。
山に入る時は、いつも道が不安。
でも、山出(やまいだし)の棚田への道は、いい道だった。
後で調べたら、この道は、昔からある宿毛街道だった。
山の中だけど、海から遠くはない。
現在地から、時計回りに、大山祇(おおやまづみ)神社を通って戻ってくる。 その予定。
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たまたま、郵便局の人がいたので聞いた。 郵便局の職員の方の車の、後ろに停めさせていただいた。
何気なく石垣は、ある。

見えてきた。 広い斜面にある。

地図の右側の方の棚田。 遠い山の斜面に道がある。 あの向こうは、高知県か。

いい風景だ。 この風景でも、情報誌にはない。 ※ 情報誌が客観的と思うのは、間違いなのが分かる。
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ここの棚田の特徴は、1枚の棚田が広いこと。 どこも、小さなトラクターが入れること。

昨日の、外泊の石垣の石より、大きいですね。
この石は、他から持って来たのではなく、ここの畑から出てきた。

上の棚田を遠くから。

この棚田は、整備されている。 4枚上の写真の、右に見える棚田。

上の棚田を横から。 小さな石も、全部使って、石垣を作った。

大山祇神社(おおやまづみ じんじゃ)。
そう言えば、ここは愛媛県。 大山祇神社の総本社のある大三島は、愛媛県だった。
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灰鷹様って何なのか。 なぜ、祠があるのかを知りたかった。
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集落の、ほぼ全体。 ※ 右奥にも家はある。
左に行く沢にある道が、昔の宿毛(すくも)街道。
私は、棚田の水源を確認しなかった。 正面の山の川を利用しているのか。
※ 下の川の上流から引いてる場合もある。

近くに、小さな滝があった。 雨が降らないので、この状態。

滝の周りの様子を見た。 山の中は、石だらけ。
土の中に石があるのではなく、石の隙間に土があった。
石を捨てる所はないから、石垣を作ることは、一石二鳥のことだった。
直ぐ近くに、山出憩いの里温泉。 300円。 温泉の建物は、左に。

古い建物があった。 チョウナ造りの家。 柱は、鋸(のこ)でなく、斧のようなチョウナで削ってつくった。

長い名前の学校があるので、行ってみた。 十数㌔走った。
動画に見えた場所が、その学校だった。 ※ 車からの写真が、高い位置なので、この写真を。

高知県との、県境にある。
のどかな所に、学校はあった。 小学校と中学校。

子供たちは、部活の最中だった。 先生方に挨拶して、撮らせてもらった。

学校名は
高知県宿毛市愛媛県南宇和郡愛南町篠山小中学校組合立篠山小学校 ※ 中学校は、最後の部分が、中学校。
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北海道 紋別郡 滝上町立 滝西小学校 滝奥分校 これで、19文字。
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だから、長くてもいいのかな。
学校名は、昔そうしたので、そのまま。
今の時代だったら、越境入学の形で、乗り切りますね。
※ 今までブログに書いた日本一を、いくつか紹介して、お終い。
○ 一番高い山、富士山 千円札の富士
○ 一番画数の多い山 鬱岳(うつだけ) 37画(29+8) 北海道に。 字を見ただけで、憂鬱(ゆううつ)になる。
○ 透明度日本一の湖 摩周湖
○ 日本一高い像 牛久大仏(茨城県)
○ 日本一の、大吊橋 九重 夢 大吊橋(大分県九重町)
○ 高さ日本一のダム 黒部ダム(富山県) 186㍍
他は、いつかまた。
【道の駅】 みしょうMIC
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これほどの石垣を見られるとは、思わなかった。
きっと、外泊(そとどまり)の人達は、日常的に石を積んでいた。
そうでなければ、こうはならない。
山の上どこまでも、そして隅々まで、高く積みあげた石垣だった。
高知から愛媛に入ったら、愛南町(あいなんちょう)。 愛媛の南だから、愛南か。
外泊(そとどまり)は、半島の西の端に近い。 ※ 半島の名前は、西海半島。
外泊の家は、急な斜面に、へばりつくようにあった。 石垣が、確かに目立つ。
(写真は、クリックで大きくなります)
全体の写真を撮りたいので、高い所を探した。
山に向かって、左側の斜面に登って行った。 写真を撮りたいと思う所は、すぐに現れた。
家の周りは、石垣しか見えない。 高さは、1㍍や2㍍ではない。 斜面が急だから、石垣が高くなる。
この写真は、全体ではなく、もっと下にも、上にも家はある。
山の上の方。 家がなくなっても、石垣はある。
後で知るが、ずっと上まで。 上の方の畑が使わなくなったため、木が生えた。
下に降りて、谷(沢)の川が流れる部分を、上に歩いた。 この道が、メインストリート。 車は、途中まで。
石垣が高い。 コンクリートで、固めてない。
横への脇道に入って、下を見たら、海が見えた。
海だけ見たって美しいのに、石垣が、額縁のように引き立てていた。
石は大きくない。 ほとんどは、一人で持てる大きさ。 それを、積んでるだけ。
でも、崩れたことはないと言う。 垂直に近いのもある。
この石垣の集落は、江戸時代の終わりから作り始めたと言う。 明治の10年頃には、出来上がった。
誰が作ったかだが、隣の集落の、2男・3男だと言う。
住む所が狭くなったが、土地はどこにもなかった。
でも、山の斜面ならあった。 それで、こんな石垣の集落を作った。 発想は、地区の指導者。
※ 明治に入って、住む所がないから、北海道に行った人も多い。
私の先祖もそう。 秋田から北見に。
この辺りだったでしょうか。 特に美しいと言う石垣があった。
「七蔵垣」と呼ばれていた。 七蔵という男が17歳の時に築いたそうだ。
※ 小柄な男とあった。 どうしてこの事を、言うのか。
力が弱いけど作ったと、それを言いたいのか。 余計なことでは。
こういう時は、なぜその男が作れたのか、そこを調べて、
「賢く、発想豊かだった」とか、この男の良さを、後世に残すのがいいと思う。
家がなくなったら、畑がある。 ずっと、山の中腹まで。 上は使ってないから、木が生えた。
イノシシも猿も出ると言う。
石はどこから持って来たか。 ここにあった。
土地を平らにしようとしたら、石は土の中から、いくらでも出てきた。
それを自分たちで積んだ。
自分たちは素人でも、七蔵というような技術のある者がいたから、学べた。
写真の、だんだん館に行った。 案内所、兼、喫茶店。
このブログの情報源は、ほとんどが、ここ。
これが昔。 家の上は、どこまでも、段々畑。 今は、10段くらい上から林。
細い畑もある。
畑の世話は、女の人の仕事。 男は海で漁。 (写真は、案内所で撮影させていただいた)
家の周りの石垣が、今より高い。 屋根近くまでの所も。 風除け。
現在は、低くして、見晴らし良く、日当たり良くした。
それだけ、この地方も、風が強い。 ※ 室戸岬の近くにあった、風除けの石垣。
崩れないのが不思議。 ただ石を積み重ねただけ。 積んだ石の内側にも工夫があるのか。
誰でもが積んだから、複雑な技術では、きっとない。
再び海に。
海に色は、ここだけの色。 そんな色。
空き地は、こう。 塀のような石垣の上を歩いても、崩れない。 どうしてだろう。
車が通れないから、昔のままの姿が残る。
道が狭いのもいい。 すれ違う人と、挨拶をしないで通り過ぎることは、できない。
上の家は、石の塀が高い。 窓の所だけ開けた。 海の様子が見えるように。 船が戻って来たのが分かる。
名前があって、遠見の窓。 この窓の向こうに、家の台所がある。
石段の左に、祠が見える。
それが、これ。
魚を獲る網に、石が入ることがある。 ※ 地曳網などか。
不思議なことに、入った石を捨てても、また入ることがあると言う。 時には何度も。
その時は、縁のある石と考え、祀った。 それが、下の写真の「屋敷神様」。
写真中央少し左に、石垣が見える。 港への風除けだと言う。
外泊の集落は、魚の養殖で栄えている。
生活の基盤が大丈夫だから、ここの石垣の風景は、残りますね。
これだけの石垣だから、残すだけでも、価値がありそう。
(※ 国からの補助金がでてもいい。)
※ 写真は、まあまあ、撮れたでしょうか。 まあまあか。
※ 今まで見た中では、三重県松阪市の深野が良かったか。 ① ②
いい石垣を見ました。
2男・3男の、意地とプライドが、この素晴らしい風景をつくった。
と、いうことかな。
【道の駅】 みしょうMIC 昨晩に同じ。
【明日の予定】 この辺りをもう少し探してみる。 宇和島に向かうのかな。
【動画】
外泊へ
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きっと、外泊(そとどまり)の人達は、日常的に石を積んでいた。
そうでなければ、こうはならない。
山の上どこまでも、そして隅々まで、高く積みあげた石垣だった。
高知から愛媛に入ったら、愛南町(あいなんちょう)。 愛媛の南だから、愛南か。
外泊(そとどまり)は、半島の西の端に近い。 ※ 半島の名前は、西海半島。
外泊の家は、急な斜面に、へばりつくようにあった。 石垣が、確かに目立つ。
(写真は、クリックで大きくなります)

全体の写真を撮りたいので、高い所を探した。
山に向かって、左側の斜面に登って行った。 写真を撮りたいと思う所は、すぐに現れた。

家の周りは、石垣しか見えない。 高さは、1㍍や2㍍ではない。 斜面が急だから、石垣が高くなる。
この写真は、全体ではなく、もっと下にも、上にも家はある。

山の上の方。 家がなくなっても、石垣はある。
後で知るが、ずっと上まで。 上の方の畑が使わなくなったため、木が生えた。

下に降りて、谷(沢)の川が流れる部分を、上に歩いた。 この道が、メインストリート。 車は、途中まで。
石垣が高い。 コンクリートで、固めてない。

横への脇道に入って、下を見たら、海が見えた。
海だけ見たって美しいのに、石垣が、額縁のように引き立てていた。

石は大きくない。 ほとんどは、一人で持てる大きさ。 それを、積んでるだけ。
でも、崩れたことはないと言う。 垂直に近いのもある。

この石垣の集落は、江戸時代の終わりから作り始めたと言う。 明治の10年頃には、出来上がった。
誰が作ったかだが、隣の集落の、2男・3男だと言う。
住む所が狭くなったが、土地はどこにもなかった。
でも、山の斜面ならあった。 それで、こんな石垣の集落を作った。 発想は、地区の指導者。
※ 明治に入って、住む所がないから、北海道に行った人も多い。
私の先祖もそう。 秋田から北見に。

この辺りだったでしょうか。 特に美しいと言う石垣があった。
「七蔵垣」と呼ばれていた。 七蔵という男が17歳の時に築いたそうだ。
※ 小柄な男とあった。 どうしてこの事を、言うのか。
力が弱いけど作ったと、それを言いたいのか。 余計なことでは。
こういう時は、なぜその男が作れたのか、そこを調べて、
「賢く、発想豊かだった」とか、この男の良さを、後世に残すのがいいと思う。

家がなくなったら、畑がある。 ずっと、山の中腹まで。 上は使ってないから、木が生えた。
イノシシも猿も出ると言う。

石はどこから持って来たか。 ここにあった。
土地を平らにしようとしたら、石は土の中から、いくらでも出てきた。
それを自分たちで積んだ。
自分たちは素人でも、七蔵というような技術のある者がいたから、学べた。
写真の、だんだん館に行った。 案内所、兼、喫茶店。
このブログの情報源は、ほとんどが、ここ。

これが昔。 家の上は、どこまでも、段々畑。 今は、10段くらい上から林。
細い畑もある。
畑の世話は、女の人の仕事。 男は海で漁。 (写真は、案内所で撮影させていただいた)

家の周りの石垣が、今より高い。 屋根近くまでの所も。 風除け。
現在は、低くして、見晴らし良く、日当たり良くした。
それだけ、この地方も、風が強い。 ※ 室戸岬の近くにあった、風除けの石垣。

崩れないのが不思議。 ただ石を積み重ねただけ。 積んだ石の内側にも工夫があるのか。
誰でもが積んだから、複雑な技術では、きっとない。

再び海に。

海に色は、ここだけの色。 そんな色。

空き地は、こう。 塀のような石垣の上を歩いても、崩れない。 どうしてだろう。

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道が狭いのもいい。 すれ違う人と、挨拶をしないで通り過ぎることは、できない。

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石段の左に、祠が見える。

それが、これ。
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2男・3男の、意地とプライドが、この素晴らしい風景をつくった。
と、いうことかな。
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