大船渡市の小さな集落へ行ってきた。
被災状況を、動画に撮った。 どこもここも、大変だった。
今日は、動画が中心。
2009年4月1日にスタートした放浪の旅は、今日で2年になります。
多くの人に支えられ、旅を続けることが出来ています。
そのことが、うれしいです。
最近、大きな被災地の他に、報道で扱われない小さな集落の記録も大事かな、と考えるようになった。
それで、あっちこっち動き回っている。
YouTubeに載せて分かったことだが、自分の故郷がどうなっているか、それが知りたいと思っている人が、たくさんいることも知った。
今日は、○の中を走る。 遠く西には平泉。 そんな位置。
動画で撮った場所は、7ヶ所。
地図上では細い道を走ったが、実際は、片側1車線ある走りやすい道だった。
それは、この地域の漁業を中心とした産業が盛んで、人や物の動きが活発であることを意味していた。
海が近づいたら、動画を撮影しながら進んだ。
今日の目的の一つは、先日載せた、下の記事の場所に行くこと。
大船渡市三陸町綾里白浜。 ※ 綾里~りょうり
綾里白浜に着いた。 港に、家の残骸は無かった。
撮影したこの場所は、避難所。
実際は、ここから更に上に、そして、もっと上に避難する。
海はずっと下に見えるが、津波は、目の前まで来た。
※※ FC2の方に、何か問題があって、文を載せるのが途中になるかも知れない。
浜に下りて行く道。
港から撮影。 中央少し右の白い建物が、避難所。
海の近くに家は無い。 写真の一番手前の家は、物置き。
防波堤は、何十㍍も左に飛ばされた。 しかし、津波の力を弱める役割は果たした。
車の方向転換を考えていたら、この人がやってきた。
少し下に行ったら出来ると教えてくれた。
どうしてみんな助かったか、それが知りたくてやって来たと言った。
詳しく説明してくれた。
今回の津波は、後ろに見える家の手前辺りで止った。
上の写真の右の家。 おばあちゃんも、こっちに来た。
昭和8年の三陸津波の時、ほとんどの家が流された。
この家は、その時もあって、一番上にあったから、流されなかった。
津波の後は、避難所になった。
その後、白浜地区は、この家よりみんな上に、家を建てた。
津波から、一番学ばなければならないことを、先祖の人達は学んでいた。
70年以上経った今、そのことが、この地区の人達の命を守った。
白浜地区の人は、地震があったら、避難の指示があってもなくても、すぐに避難していたという。
最初に避難した場所で様子を見る。
危険と感じたら、上に逃げる。 それでも危険と感じたら、更に上に。
今回は、そうだった。
最初の避難場所は、右に見える建物の駐車場。 建物の前と右に広くある。
おじいちゃんとおばあちゃんにお礼を言って、別れた。
下の写真は、越喜来への途中にあった、小石浜港。 ※ 近くにある駅の名前は、恋し浜。
越喜来の中心街の、少し手前。 越喜来湾が見える。
大きな津波が、10年に1度なら、だれでも学ぶ。
でも、100年に1度だから、学び方に差が出る。
白浜地区のように家を建てたら、たとえ地震が来なくても、安心して暮らせる。
それが、大きい。
【停泊場所】 前日に同じ、大船渡市総合福祉センター駐車場
【明日の予定】 ボランティアの後、広田半島の先に行こうかと。
たくさん時間があったら、山田町・宮古市・久慈市方面に行ってみたい。
吉里吉里(きりきり)から向こうは、動画を撮っていない。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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被災状況を、動画に撮った。 どこもここも、大変だった。
今日は、動画が中心。
2009年4月1日にスタートした放浪の旅は、今日で2年になります。
多くの人に支えられ、旅を続けることが出来ています。
そのことが、うれしいです。
最近、大きな被災地の他に、報道で扱われない小さな集落の記録も大事かな、と考えるようになった。
それで、あっちこっち動き回っている。
YouTubeに載せて分かったことだが、自分の故郷がどうなっているか、それが知りたいと思っている人が、たくさんいることも知った。
今日は、○の中を走る。 遠く西には平泉。 そんな位置。

動画で撮った場所は、7ヶ所。
地図上では細い道を走ったが、実際は、片側1車線ある走りやすい道だった。
それは、この地域の漁業を中心とした産業が盛んで、人や物の動きが活発であることを意味していた。

海が近づいたら、動画を撮影しながら進んだ。
今日の目的の一つは、先日載せた、下の記事の場所に行くこと。
大船渡市三陸町綾里白浜。 ※ 綾里~りょうり

綾里白浜に着いた。 港に、家の残骸は無かった。
撮影したこの場所は、避難所。
実際は、ここから更に上に、そして、もっと上に避難する。
海はずっと下に見えるが、津波は、目の前まで来た。
※※ FC2の方に、何か問題があって、文を載せるのが途中になるかも知れない。

浜に下りて行く道。

港から撮影。 中央少し右の白い建物が、避難所。
海の近くに家は無い。 写真の一番手前の家は、物置き。

防波堤は、何十㍍も左に飛ばされた。 しかし、津波の力を弱める役割は果たした。

車の方向転換を考えていたら、この人がやってきた。
少し下に行ったら出来ると教えてくれた。
どうしてみんな助かったか、それが知りたくてやって来たと言った。
詳しく説明してくれた。
今回の津波は、後ろに見える家の手前辺りで止った。

上の写真の右の家。 おばあちゃんも、こっちに来た。
昭和8年の三陸津波の時、ほとんどの家が流された。
この家は、その時もあって、一番上にあったから、流されなかった。
津波の後は、避難所になった。
その後、白浜地区は、この家よりみんな上に、家を建てた。
津波から、一番学ばなければならないことを、先祖の人達は学んでいた。
70年以上経った今、そのことが、この地区の人達の命を守った。

白浜地区の人は、地震があったら、避難の指示があってもなくても、すぐに避難していたという。
最初に避難した場所で様子を見る。
危険と感じたら、上に逃げる。 それでも危険と感じたら、更に上に。
今回は、そうだった。
最初の避難場所は、右に見える建物の駐車場。 建物の前と右に広くある。
おじいちゃんとおばあちゃんにお礼を言って、別れた。
下の写真は、越喜来への途中にあった、小石浜港。 ※ 近くにある駅の名前は、恋し浜。

越喜来の中心街の、少し手前。 越喜来湾が見える。

大きな津波が、10年に1度なら、だれでも学ぶ。
でも、100年に1度だから、学び方に差が出る。
白浜地区のように家を建てたら、たとえ地震が来なくても、安心して暮らせる。
それが、大きい。
【停泊場所】 前日に同じ、大船渡市総合福祉センター駐車場
【明日の予定】 ボランティアの後、広田半島の先に行こうかと。
たくさん時間があったら、山田町・宮古市・久慈市方面に行ってみたい。
吉里吉里(きりきり)から向こうは、動画を撮っていない。
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今日も、越喜来診療所の清掃をした。
床と棚や机の水洗いが中心。
乾燥させて消毒したら使える、そんな状態にまでなった。
先日、広田町の場所を間違えたので、夕方行ってきた。
広田半島の先の部分にあった。 大きな被害だった。
越喜来診療所から海を見たら、はるか遠く、そして、下にあった。
隣に、さんりくの園老人ホームがある。
この写真は、昨日撮影のもの。 右に、老人ホームの一部が見える。
診療所の内部の、津波の水位は、1㍍程。
老人ホームは、少し低いため、1階の天井近くまで水は来た。
津波が来たのは、11日の午後3時15分頃。 ※ 釜石や大槌町より少し遅い。
診療所の職員と患者は、下の写真の線路の下を通って、こっちに避難した。
みんな無事だった。
職員の方は、隣の老人ホームにも行った。
老人ホームのお年寄りを、全員助けることは出来なかったという。
40名程が流された。
今日は、床や壁を水洗いした。
圧力の強い水流で吹き飛ばすのと、太いホースで大量の水を流した。
ブラシのようなので床を擦って、最後はワイパーで、水を外と床下に出した。
※ 水は、外に作った2㍍四方ほどのプールに貯めた水。
それは、消防の人が川からポンプで吸い上げた。
外にあった棚や机の泥も、強い水流で落とした。
例えば、机の引き出しをきれいにする時は、一人が持って、一人が水を吹きかける。
私の仕事は、持つ役だった。 強烈な水が来るから、眼鏡も水浸し。
※ 顔しか出してない上着なので、体は濡れない。 不思議と、仕事は面白い。
午後の途中から、雨が降ってきたので、裏の車庫に、棚などを運んだ。
4時頃には、昨日の朝見たときには想像できなかった程、建物の内部も物もきれいになった。
昨日と同じように、ハイエースに乗って、市役所に戻った。
たくさん時間がないけど、曇って薄暗い中、陸前高田市の広田町の動画を撮りに行った。
地図の、○の方に向かった。
先日、広田町と間違って撮影した小友町は、広田町の上の方。 そこは、両側からの津波で海になった。
どの道が通れるか分からないので、道を探しながら行った。 途中で、戻ったことも。
大部分は、県道38を通って。
下の写真は、地図で、鳶の巣崎辺り。 木材などが集まっていた。
動画を撮り終わって、最初に行った場所を撮影。 地図では、○の下の方。
防潮堤の前に斜面があると、津波が乗り越えやすい、ということはないのだろうか。
※ 広田町が津波の襲われる動画がある。 上の写真の地域。 田谷地区。
こっちは、大野地区。 ○の上の部分。 田谷地区も大野地区も、夏は海水浴場として賑わうようだ。
大野地区。 右が海。
大野地区、谷の奥。
大野地区。 向こうに戻る。
広田小学校のグランド。 自衛隊のテントもあった。 小学校は、避難所のよう。
小学校から見た、最初に走った、田谷地区。 左が海。 白い建物は、広田中学校でいいと思う。
広田町の被災状況も、他と同じように、大変だった。
戻って来て、地図で確かめたら、半島の先にも集落があった。
ネットで調べたら、被害を受けてる所があるようだ。
行かなければならないかな、と思う。
湾があるから、そこはいい港になった。
津波は、その湾をめがけて襲ってきた。
結果的に、人が住む所ばかり、襲う形になった。
【停泊地】 前日に同じです。
【明日の予定】 今日午後雨が降って、明日診療所の仕事がない。
明日は、ボランティアの仕事は休もうと思う。 一休み。
そして、診療所のある、三陸町の動画を撮る。 被害のなかった綾里地区の写真も。
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床と棚や机の水洗いが中心。
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広田半島の先の部分にあった。 大きな被害だった。
越喜来診療所から海を見たら、はるか遠く、そして、下にあった。
隣に、さんりくの園老人ホームがある。
この写真は、昨日撮影のもの。 右に、老人ホームの一部が見える。
診療所の内部の、津波の水位は、1㍍程。
老人ホームは、少し低いため、1階の天井近くまで水は来た。

津波が来たのは、11日の午後3時15分頃。 ※ 釜石や大槌町より少し遅い。
診療所の職員と患者は、下の写真の線路の下を通って、こっちに避難した。
みんな無事だった。
職員の方は、隣の老人ホームにも行った。
老人ホームのお年寄りを、全員助けることは出来なかったという。
40名程が流された。

今日は、床や壁を水洗いした。
圧力の強い水流で吹き飛ばすのと、太いホースで大量の水を流した。
ブラシのようなので床を擦って、最後はワイパーで、水を外と床下に出した。
※ 水は、外に作った2㍍四方ほどのプールに貯めた水。
それは、消防の人が川からポンプで吸い上げた。
外にあった棚や机の泥も、強い水流で落とした。
例えば、机の引き出しをきれいにする時は、一人が持って、一人が水を吹きかける。
私の仕事は、持つ役だった。 強烈な水が来るから、眼鏡も水浸し。
※ 顔しか出してない上着なので、体は濡れない。 不思議と、仕事は面白い。
午後の途中から、雨が降ってきたので、裏の車庫に、棚などを運んだ。
4時頃には、昨日の朝見たときには想像できなかった程、建物の内部も物もきれいになった。
昨日と同じように、ハイエースに乗って、市役所に戻った。
たくさん時間がないけど、曇って薄暗い中、陸前高田市の広田町の動画を撮りに行った。
地図の、○の方に向かった。
先日、広田町と間違って撮影した小友町は、広田町の上の方。 そこは、両側からの津波で海になった。

どの道が通れるか分からないので、道を探しながら行った。 途中で、戻ったことも。
大部分は、県道38を通って。
下の写真は、地図で、鳶の巣崎辺り。 木材などが集まっていた。

動画を撮り終わって、最初に行った場所を撮影。 地図では、○の下の方。
防潮堤の前に斜面があると、津波が乗り越えやすい、ということはないのだろうか。

※ 広田町が津波の襲われる動画がある。 上の写真の地域。 田谷地区。
こっちは、大野地区。 ○の上の部分。 田谷地区も大野地区も、夏は海水浴場として賑わうようだ。

大野地区。 右が海。

大野地区、谷の奥。

大野地区。 向こうに戻る。

広田小学校のグランド。 自衛隊のテントもあった。 小学校は、避難所のよう。

小学校から見た、最初に走った、田谷地区。 左が海。 白い建物は、広田中学校でいいと思う。

広田町の被災状況も、他と同じように、大変だった。
戻って来て、地図で確かめたら、半島の先にも集落があった。
ネットで調べたら、被害を受けてる所があるようだ。
行かなければならないかな、と思う。
湾があるから、そこはいい港になった。
津波は、その湾をめがけて襲ってきた。
結果的に、人が住む所ばかり、襲う形になった。
【停泊地】 前日に同じです。
【明日の予定】 今日午後雨が降って、明日診療所の仕事がない。
明日は、ボランティアの仕事は休もうと思う。 一休み。
そして、診療所のある、三陸町の動画を撮る。 被害のなかった綾里地区の写真も。
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越喜来診療所の清掃を、夕方までした。 ※ 越喜来~おきらい
そこは、一昨日見ていた。
大船渡市三陸町越喜来にあった。
夕方、5時に高田市に向かった。
一昨年行っている。 海と街の間に、高田松原のある、美しい町だった。
今日行ったら、はるか遠くまで、街並みは消えていた。
一昨日、釜石から来る時、小さな湾を取材しながら来た。
その時、三陸町に寄った。
下の写真は、その時に撮った。 越喜来診療所は、線路をくぐって、直ぐ左にあった。
線路の上から撮影した。 左の建物が、越喜来診療所。 これも、一昨日、撮影。
その時は、この建物が診療所とは分からない。
下の写真は、作業を終わって撮影。
作業は、ボランティア6名と職員4名の、10名程で行った。
顔だけ出る白い作業服を着た。
中の物を外に出し、泥をスコップで取る作業。
大事な書類とかは、前日、職員の方が出していた。
捨てない物もあったが、捨てるか捨てないか、職員の方には聞かない。
泥水に浸かった物は、捨てた。
大きな棚とかをやっと出したり、壊れたトイレのドアを苦労して外したりした時など、仕事に中に小さな感動が出てくる。
医療用のゴミは別で、職員の方が、前日に集め終わっていた。
震災の影響で、体調の悪い人が増えた。
診療所の復旧が急がれるので、やりがいのある仕事に感じた。
※ 今は、別の場所で、患者の診察をしている。
お昼は、別の場所で、カレーをいただいた。 事務所のような部屋だった。
向かいに座っていた診療所の女性の方が、急につぶやいた。 誰に言うとなく。
「○○さん、だめだったんだ」 肩を落とし、深いため息をついた。
少しの間、安否情報が飛び交った。
亡くなったとか、死んだとか、遺体で発見された、とか言う表現は出なかった。
「流された」という言葉を使っていた。
このおだやかな表現は、その人達に対する、やさしさに感じた。
ここは、大船渡市役所。 朝、ここに行く。
災害支援に関わる人達が、多く集まる。
感じることがあった。 それは、
① 人々の交わす挨拶や、ねぎらいの言葉が、多いこと。
② ボランティアに対しても、多くの声がかかってくる。 感謝の意味を込めて。
支援や復興に向けた取り組みに対する、基本的な考えが、共通になっているように感じた。
その考えを示したのは、市長さんと思うが、いい形で浸透していた。
大船渡の人達のやわらかな人間性に、それがプラスされた形で。
市役所前から、下を撮影。 右の方から津波は来て、写真の右辺りで止まった。 港から、4~5㌔。
車に戻ったのは、5時頃だった。
高田市に行くことにした。 歩く時間はないが、動画を撮ることに。 ※ 遅い時間は、作業の邪魔にならない。
動画を撮り終わって戻ってきた。 左が海。 湾になっている。
左が海で、正面辺りに高田松原があった。 赤の○が、道の駅の建物でしょうか。
一昨年、そこから、松原を見に行った。 松原の手前に、高い防潮堤があった。
リアス式海岸で、これだけ広い平地は珍しい。 でも、その分被害は大きかった。
千人以上、まだ見つかっていない。 捜索が終わってない所もある。(今日のニュースで)
大船渡市方面の山側。
大船渡市のボランティア活動は、軌道に乗っているように感じます。
県外からのボランティアを募集している所が出始めました。
石巻市、塩釜市、相馬市、亘理町 など
※ 宿泊、ガソリン、など、全て自分で用意できるのが条件ですが。
実際は、これができれば、ほとんどの町は、受け入れると思う。
釜石市も大船渡市も、受け入れるとは言ってない。 でも、受け入れていた。
※ 今他県から行ったら迷惑がかかると言ってた新聞社や、人々は、
募集してる状態が出てきたら、そのことを書いているだろうか。
もし書いてなかったら、今からでも書いてほしい。
批判しかしない人間は、書くことに気づかないかもしれない。
【停泊場所】 前日に同じです。
【明日の予定】 明日もお願いできますか、と受付の人に言われた。 同じ所かな。
どこかに行くことが出来るでしょうか。 被害のなかった綾里が気になりますが。
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そこは、一昨日見ていた。
大船渡市三陸町越喜来にあった。
夕方、5時に高田市に向かった。
一昨年行っている。 海と街の間に、高田松原のある、美しい町だった。
今日行ったら、はるか遠くまで、街並みは消えていた。
一昨日、釜石から来る時、小さな湾を取材しながら来た。
その時、三陸町に寄った。
下の写真は、その時に撮った。 越喜来診療所は、線路をくぐって、直ぐ左にあった。

線路の上から撮影した。 左の建物が、越喜来診療所。 これも、一昨日、撮影。
その時は、この建物が診療所とは分からない。

下の写真は、作業を終わって撮影。

作業は、ボランティア6名と職員4名の、10名程で行った。
顔だけ出る白い作業服を着た。
中の物を外に出し、泥をスコップで取る作業。
大事な書類とかは、前日、職員の方が出していた。
捨てない物もあったが、捨てるか捨てないか、職員の方には聞かない。
泥水に浸かった物は、捨てた。
大きな棚とかをやっと出したり、壊れたトイレのドアを苦労して外したりした時など、仕事に中に小さな感動が出てくる。
医療用のゴミは別で、職員の方が、前日に集め終わっていた。
震災の影響で、体調の悪い人が増えた。
診療所の復旧が急がれるので、やりがいのある仕事に感じた。
※ 今は、別の場所で、患者の診察をしている。
お昼は、別の場所で、カレーをいただいた。 事務所のような部屋だった。
向かいに座っていた診療所の女性の方が、急につぶやいた。 誰に言うとなく。
「○○さん、だめだったんだ」 肩を落とし、深いため息をついた。
少しの間、安否情報が飛び交った。
亡くなったとか、死んだとか、遺体で発見された、とか言う表現は出なかった。
「流された」という言葉を使っていた。
このおだやかな表現は、その人達に対する、やさしさに感じた。
ここは、大船渡市役所。 朝、ここに行く。
災害支援に関わる人達が、多く集まる。
感じることがあった。 それは、
① 人々の交わす挨拶や、ねぎらいの言葉が、多いこと。
② ボランティアに対しても、多くの声がかかってくる。 感謝の意味を込めて。
支援や復興に向けた取り組みに対する、基本的な考えが、共通になっているように感じた。
その考えを示したのは、市長さんと思うが、いい形で浸透していた。
大船渡の人達のやわらかな人間性に、それがプラスされた形で。

市役所前から、下を撮影。 右の方から津波は来て、写真の右辺りで止まった。 港から、4~5㌔。

車に戻ったのは、5時頃だった。
高田市に行くことにした。 歩く時間はないが、動画を撮ることに。 ※ 遅い時間は、作業の邪魔にならない。
動画を撮り終わって戻ってきた。 左が海。 湾になっている。

左が海で、正面辺りに高田松原があった。 赤の○が、道の駅の建物でしょうか。
一昨年、そこから、松原を見に行った。 松原の手前に、高い防潮堤があった。

リアス式海岸で、これだけ広い平地は珍しい。 でも、その分被害は大きかった。
千人以上、まだ見つかっていない。 捜索が終わってない所もある。(今日のニュースで)

大船渡市方面の山側。

大船渡市のボランティア活動は、軌道に乗っているように感じます。
県外からのボランティアを募集している所が出始めました。
石巻市、塩釜市、相馬市、亘理町 など
※ 宿泊、ガソリン、など、全て自分で用意できるのが条件ですが。
実際は、これができれば、ほとんどの町は、受け入れると思う。
釜石市も大船渡市も、受け入れるとは言ってない。 でも、受け入れていた。
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批判しかしない人間は、書くことに気づかないかもしれない。
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住宅の清掃は、大変な仕事でした。
大船渡市と陸前高田市の小さな集落も、壊滅的な打撃を受けていた。
そこの動画を撮りに行ってきた。
ボランティアの人たちは、9時前に、市役所前に集まってくる。
受付をして待っていると、行く所が告げられる。
今日は、男の人12名で、2軒の家の清掃。 6名ずつ分かれて。
早く終わった方は、手伝う。
私が行ったのは、90歳を過ぎたお年寄りのお家。
下の写真の、右の平屋。
この写真は、作業が終わった後に撮影。
この辺りは、150㌢程の深さになった。 家は大きく壊れていない。 死者もいない。
テレビには瓦礫の山が放映される。 それを見たら、ボランティアのすることは無いように見える。
でも実際は、床上浸水の家があって、その清掃には多くの人出を必要とする。
黒い津波が家に侵入し、去った後には、汚泥のような黒い土が、床上に数㌢積る。
家の中の物は、すべて動かされる。 泥にまみれて、積み重なっていた。
強いにおいがするが、それには慣れてくる。
気温が低いから、まだ弱い。
家の中の物は、全て外に出した。
水を吸った畳は重い。 もう一度使える物は、ほとんどない。
私は、汚泥をスコップですくって外に出した。 これも、切りなく続く仕事。
写真や仏壇は、丁寧に扱った。
水は出ないから、家の中を水洗いできるまでにする。
最後に、少しの家具を中に入れた。
仕事は、午前で終わった。 仕事の内容がきびしいので、午前だけにしたのかもしれない。
おにぎりを2つ頂いて帰った。
私の作業の時の服装は、登山の時のにしている。
よごれても、拭けば取れるし、軽く動きやすい。
車に入る時は、帽子、上着、長靴の全てを脱いで、車の後ろのゴミ箱に仕舞う。
時間が生まれたので、1時間ほど寝て、南の小さな湾を見に行くことにした。
下の地図が、行った場所。 この辺りは、一昨年に通った。
※ 碁石海岸(碁石浜) 高田松原① ② 大理石海岸
大船渡市末崎。 後で、車で走る。
谷の、中の方。 学校は、もっと左の高台に。
陸前高田、小友町。 この場所からは、むこうに行けなかった。 少し歩いた。
車を停める場所とか、地元の人が教えてくれた。
※ 車には、ボランティアに参加してることを、標示してある。
これに、助けられる。
読まなくても、何かが標示してあると、震災に関わってる車と思ってもらえる。
この家は、床上浸水。
右方向。
山の向こうは海。
左側。
上の写真の家。 これまでにできたら、水で洗える。 ここまでが、大変。
すべて歩く時間は無かったので、他の場所は動画です。
今日歩いた場所から陸前高田市まで、直線で10㌔ありません。
明日行けたら行きます。
ガソリンが入ってきたら、機械が一斉に動くでしょうか。
まだ、作業の車や機械は少ないです。
【停泊場所】 大船渡市総合福祉センター駐車場
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大船渡市と陸前高田市の小さな集落も、壊滅的な打撃を受けていた。
そこの動画を撮りに行ってきた。
ボランティアの人たちは、9時前に、市役所前に集まってくる。
受付をして待っていると、行く所が告げられる。
今日は、男の人12名で、2軒の家の清掃。 6名ずつ分かれて。
早く終わった方は、手伝う。
私が行ったのは、90歳を過ぎたお年寄りのお家。
下の写真の、右の平屋。
この写真は、作業が終わった後に撮影。

この辺りは、150㌢程の深さになった。 家は大きく壊れていない。 死者もいない。
テレビには瓦礫の山が放映される。 それを見たら、ボランティアのすることは無いように見える。
でも実際は、床上浸水の家があって、その清掃には多くの人出を必要とする。
黒い津波が家に侵入し、去った後には、汚泥のような黒い土が、床上に数㌢積る。
家の中の物は、すべて動かされる。 泥にまみれて、積み重なっていた。
強いにおいがするが、それには慣れてくる。
気温が低いから、まだ弱い。
家の中の物は、全て外に出した。
水を吸った畳は重い。 もう一度使える物は、ほとんどない。
私は、汚泥をスコップですくって外に出した。 これも、切りなく続く仕事。
写真や仏壇は、丁寧に扱った。
水は出ないから、家の中を水洗いできるまでにする。
最後に、少しの家具を中に入れた。
仕事は、午前で終わった。 仕事の内容がきびしいので、午前だけにしたのかもしれない。
おにぎりを2つ頂いて帰った。
私の作業の時の服装は、登山の時のにしている。
よごれても、拭けば取れるし、軽く動きやすい。
車に入る時は、帽子、上着、長靴の全てを脱いで、車の後ろのゴミ箱に仕舞う。
時間が生まれたので、1時間ほど寝て、南の小さな湾を見に行くことにした。
下の地図が、行った場所。 この辺りは、一昨年に通った。

※ 碁石海岸(碁石浜) 高田松原① ② 大理石海岸
大船渡市末崎。 後で、車で走る。

谷の、中の方。 学校は、もっと左の高台に。

陸前高田、小友町。 この場所からは、むこうに行けなかった。 少し歩いた。
車を停める場所とか、地元の人が教えてくれた。
※ 車には、ボランティアに参加してることを、標示してある。
これに、助けられる。
読まなくても、何かが標示してあると、震災に関わってる車と思ってもらえる。

この家は、床上浸水。

右方向。

山の向こうは海。

左側。

上の写真の家。 これまでにできたら、水で洗える。 ここまでが、大変。

すべて歩く時間は無かったので、他の場所は動画です。
今日歩いた場所から陸前高田市まで、直線で10㌔ありません。
明日行けたら行きます。
ガソリンが入ってきたら、機械が一斉に動くでしょうか。
まだ、作業の車や機械は少ないです。
【停泊場所】 大船渡市総合福祉センター駐車場
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で12位です。
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釜石市から大船渡市まで、小さな集落の写真を撮った。
被害はどこもあったが、住宅地をどこに作るかによって、被害に差があった。
大船戸市役所にある、災害ボランティアセンターに行った。
明日から、仕事をすることになった。 内容は、何でもいいと伝えた。
釜石市から大船渡市までの地図。
※ 平田地区は、動画に。
釜石市唐丹町。 向こうの方が、湾の奥だったでしょうか。
防波堤は壊れたけど、津波の力は、少し弱い感じがします。
上の写真から、少し行った所。 上の写真の、向こうに見えた所。
唐丹小。 子供たちは、大丈夫だったでしょうか。
学校に残っていた子は、一旦グランドに避難し、その後、裏山の高台に避難したと思われます。
上の写真から、2㌔ほど進んでいる。 同じ、唐丹町。
津波は、橋の下をくぐって、右に進んだ。
鉄橋が壊れていた。 ※ 三陸鉄道南リアス線
上の写真を撮る時、車は、閉店しているガソリンスタンドの駐車場に停めた。
スタンドに女の人がいたので話した。 釜石市役所に勤務している人だった。 ※ 体調が悪くて家に。
地震当日は、石応寺の方に車で逃げたと言う。 石応寺は、先日炊き出しをした寺。 市役所は、近くに。
釜石も被害は大きかったのに、報道されるのは、遅かったと言った。
この話で、被災地の人は、地元がどう報道されるかに、関心が強いことが分かった。
その人が、鉄橋が壊れていることを、教えてくれた。
下は、大船渡市に入って、三陸町の吉浜と思う。
ここの地域は、家は高台にあった。 下の方は、何かが流された跡はあったが。
後で知ったが、近くに、被害ゼロの地域があった。 綾里白浜地区。 地図の青い○の所。
今日の河北新聞にあった記事。昔の教訓を活かした所はあった。
ここは、大船渡市三陸町。
想定区域が、ぴったり。 ※ ただ、今日この後、ピッタリでない所に出会う。
片づけ始めていた。
何か探しているんですか、と聞いた。
散歩していると言った。 動けなくなって、迷惑をかけたら申し訳ないから、と。
2人とも、駅裏の避難所にいる。
車のエンジンだけ。
大船渡市に入った。 駐車場を探した。 大船渡市総合福祉センター駐車場に。 了解は得てある。
車は、左に見える。
まっすぐ市役所に向かった。
市役所は、丘の上。 ボランティアの受け付けは、テントの中にあった。
明日から、活動することになった。
港に向かって歩いた。
瓦礫をトラックに積んでいた。 このような姿は、そんなにまだ無い。
自分の会社の片づけでしょうか。 鉄を焼き切る、バーナーを手にしている。
この標示場所は、失敗。
中央に海が少し見える。
家族でしょうか。 この人達は、ここから離れなかった。 何かが見つかったら、集まって見ていた。
合板を作る会社です。 きれいに片付いた部分もあった。 動きが早いと感じた。
用水路に沈んだ車は、引き上げられてはいない。 人がいる可能性もある。
消防の人達。 10人くらいで動いていた。 行方不明者を探している。
少し話を聞くことが出来た。 1日に見つかる人数は、4~5名と言う。
これほど足取りの重い人に出会ったことは無い。 そんな印象を持った。
何かを迷っているように、何度も行き来した。
右の柱が倒れそう。 こういうのがあるから、気を付けなければならない。
車が走れるように、地面を均(なら)していた。
港にも、いっぱいゴミが沈んでいる。
大船渡市は港町。 まず、船の出入りが出来るようにする。
大船渡駅。 茫然と立ち尽くす、それを見た。
ここに、瓦礫が集められていた。
駅を降りたら、こうやって迎えてくれていた。
この人の家は、土台しか残っていなかった。 それでも、片づけていた。
吹雪いてきたので、戻った。 寒さが、追い打ちをかける。
水の配給。
新聞を、無料でいただいた。
大船渡市には、復興に向かっての確かな足音が、聞こえ始めた。
【停泊場所】 大船渡市総合福祉センター駐車場
※ 警察のとなり。 これ以上、治安のいい所は無い。
【明日の予定】 ボランティアに行きます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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被害はどこもあったが、住宅地をどこに作るかによって、被害に差があった。
大船戸市役所にある、災害ボランティアセンターに行った。
明日から、仕事をすることになった。 内容は、何でもいいと伝えた。
釜石市から大船渡市までの地図。
※ 平田地区は、動画に。

釜石市唐丹町。 向こうの方が、湾の奥だったでしょうか。
防波堤は壊れたけど、津波の力は、少し弱い感じがします。


上の写真から、少し行った所。 上の写真の、向こうに見えた所。
唐丹小。 子供たちは、大丈夫だったでしょうか。
学校に残っていた子は、一旦グランドに避難し、その後、裏山の高台に避難したと思われます。

上の写真から、2㌔ほど進んでいる。 同じ、唐丹町。
津波は、橋の下をくぐって、右に進んだ。

鉄橋が壊れていた。 ※ 三陸鉄道南リアス線

上の写真を撮る時、車は、閉店しているガソリンスタンドの駐車場に停めた。
スタンドに女の人がいたので話した。 釜石市役所に勤務している人だった。 ※ 体調が悪くて家に。
地震当日は、石応寺の方に車で逃げたと言う。 石応寺は、先日炊き出しをした寺。 市役所は、近くに。
釜石も被害は大きかったのに、報道されるのは、遅かったと言った。
この話で、被災地の人は、地元がどう報道されるかに、関心が強いことが分かった。
その人が、鉄橋が壊れていることを、教えてくれた。
下は、大船渡市に入って、三陸町の吉浜と思う。
ここの地域は、家は高台にあった。 下の方は、何かが流された跡はあったが。

後で知ったが、近くに、被害ゼロの地域があった。 綾里白浜地区。 地図の青い○の所。
今日の河北新聞にあった記事。昔の教訓を活かした所はあった。

ここは、大船渡市三陸町。
想定区域が、ぴったり。 ※ ただ、今日この後、ピッタリでない所に出会う。

片づけ始めていた。

何か探しているんですか、と聞いた。
散歩していると言った。 動けなくなって、迷惑をかけたら申し訳ないから、と。
2人とも、駅裏の避難所にいる。

車のエンジンだけ。

大船渡市に入った。 駐車場を探した。 大船渡市総合福祉センター駐車場に。 了解は得てある。
車は、左に見える。

まっすぐ市役所に向かった。
市役所は、丘の上。 ボランティアの受け付けは、テントの中にあった。
明日から、活動することになった。
港に向かって歩いた。
瓦礫をトラックに積んでいた。 このような姿は、そんなにまだ無い。

自分の会社の片づけでしょうか。 鉄を焼き切る、バーナーを手にしている。

この標示場所は、失敗。

中央に海が少し見える。

家族でしょうか。 この人達は、ここから離れなかった。 何かが見つかったら、集まって見ていた。

合板を作る会社です。 きれいに片付いた部分もあった。 動きが早いと感じた。

用水路に沈んだ車は、引き上げられてはいない。 人がいる可能性もある。

消防の人達。 10人くらいで動いていた。 行方不明者を探している。
少し話を聞くことが出来た。 1日に見つかる人数は、4~5名と言う。

これほど足取りの重い人に出会ったことは無い。 そんな印象を持った。
何かを迷っているように、何度も行き来した。

右の柱が倒れそう。 こういうのがあるから、気を付けなければならない。

車が走れるように、地面を均(なら)していた。

港にも、いっぱいゴミが沈んでいる。
大船渡市は港町。 まず、船の出入りが出来るようにする。

大船渡駅。 茫然と立ち尽くす、それを見た。

ここに、瓦礫が集められていた。

駅を降りたら、こうやって迎えてくれていた。

この人の家は、土台しか残っていなかった。 それでも、片づけていた。

吹雪いてきたので、戻った。 寒さが、追い打ちをかける。
水の配給。

新聞を、無料でいただいた。

大船渡市には、復興に向かっての確かな足音が、聞こえ始めた。
【停泊場所】 大船渡市総合福祉センター駐車場
※ 警察のとなり。 これ以上、治安のいい所は無い。
【明日の予定】 ボランティアに行きます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
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