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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

大船渡市の小さな集落へ行ってきた。
被災状況を、動画に撮った。 どこもここも、大変だった。
今日は、動画が中心。

2009年4月1日にスタートした放浪の旅は、今日で2年になります。
多くの人に支えられ、旅を続けることが出来ています。
そのことが、うれしいです。


最近、大きな被災地の他に、報道で扱われない小さな集落の記録も大事かな、と考えるようになった。
それで、あっちこっち動き回っている。
YouTubeに載せて分かったことだが、自分の故郷がどうなっているか、それが知りたいと思っている人が、たくさんいることも知った。

今日は、○の中を走る。 遠く西には平泉。 そんな位置。

11年3月31日 (1)

動画で撮った場所は、7ヶ所。

地図上では細い道を走ったが、実際は、片側1車線ある走りやすい道だった。
それは、この地域の漁業を中心とした産業が盛んで、人や物の動きが活発であることを意味していた。

11年3月31日 (2)

海が近づいたら、動画を撮影しながら進んだ。

今日の目的の一つは、先日載せた、下の記事の場所に行くこと。
大船渡市三陸町綾里白浜。  ※ 綾里~りょうり

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綾里白浜に着いた。 港に、家の残骸は無かった。
撮影したこの場所は、避難所。 
実際は、ここから更に上に、そして、もっと上に避難する。

海はずっと下に見えるが、津波は、目の前まで来た。

※※ FC2の方に、何か問題があって、文を載せるのが途中になるかも知れない。

11年3月31日 (8)

浜に下りて行く道。

11年3月31日 (7)

港から撮影。 中央少し右の白い建物が、避難所。
海の近くに家は無い。 写真の一番手前の家は、物置き。

11年3月31日 (3)

防波堤は、何十㍍も左に飛ばされた。 しかし、津波の力を弱める役割は果たした。

11年3月31日 (4)

車の方向転換を考えていたら、この人がやってきた。
少し下に行ったら出来ると教えてくれた。 

どうしてみんな助かったか、それが知りたくてやって来たと言った。
詳しく説明してくれた。
今回の津波は、後ろに見える家の手前辺りで止った。

11年3月31日 (5)

上の写真の右の家。 おばあちゃんも、こっちに来た。

昭和8年の三陸津波の時、ほとんどの家が流された。
この家は、その時もあって、一番上にあったから、流されなかった。
津波の後は、避難所になった。

その後、白浜地区は、この家よりみんな上に、家を建てた。
津波から、一番学ばなければならないことを、先祖の人達は学んでいた。
70年以上経った今、そのことが、この地区の人達の命を守った。

11年3月31日 (6)

白浜地区の人は、地震があったら、避難の指示があってもなくても、すぐに避難していたという。
最初に避難した場所で様子を見る。
危険と感じたら、上に逃げる。 それでも危険と感じたら、更に上に。
今回は、そうだった。
最初の避難場所は、右に見える建物の駐車場。 建物の前と右に広くある。

おじいちゃんとおばあちゃんにお礼を言って、別れた。

下の写真は、越喜来への途中にあった、小石浜港。 ※ 近くにある駅の名前は、恋し浜。

11年3月31日 (9)

越喜来の中心街の、少し手前。 越喜来湾が見える。

11年3月31日 (10)

大きな津波が、10年に1度なら、だれでも学ぶ。
でも、100年に1度だから、学び方に差が出る。

白浜地区のように家を建てたら、たとえ地震が来なくても、安心して暮らせる。
それが、大きい。


【停泊場所】   前日に同じ、大船渡市総合福祉センター駐車場

【明日の予定】  ボランティアの後、広田半島の先に行こうかと。
         たくさん時間があったら、山田町・宮古市・久慈市方面に行ってみたい。
         吉里吉里(きりきり)から向こうは、動画を撮っていない。

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今日も、越喜来診療所の清掃をした。
床と棚や机の水洗いが中心。
乾燥させて消毒したら使える、そんな状態にまでなった。

先日、広田町の場所を間違えたので、夕方行ってきた。 
広田半島の先の部分にあった。 大きな被害だった。


越喜来診療所から海を見たら、はるか遠く、そして、下にあった。
隣に、さんりくの園老人ホームがある。


この写真は、昨日撮影のもの。 右に、老人ホームの一部が見える。
診療所の内部の、津波の水位は、1㍍程。
老人ホームは、少し低いため、1階の天井近くまで水は来た。

11年3月9日の2 (1)

津波が来たのは、11日の午後3時15分頃。 ※ 釜石や大槌町より少し遅い。

診療所の職員と患者は、下の写真の線路の下を通って、こっちに避難した。
みんな無事だった。

職員の方は、隣の老人ホームにも行った。
老人ホームのお年寄りを、全員助けることは出来なかったという。
40名程が流された。

11年3月29日 (1)

今日は、床や壁を水洗いした。
圧力の強い水流で吹き飛ばすのと、太いホースで大量の水を流した。
ブラシのようなので床を擦って、最後はワイパーで、水を外と床下に出した。

※ 水は、外に作った2㍍四方ほどのプールに貯めた水。
  それは、消防の人が川からポンプで吸い上げた。

外にあった棚や机の泥も、強い水流で落とした。
例えば、机の引き出しをきれいにする時は、一人が持って、一人が水を吹きかける。
私の仕事は、持つ役だった。 強烈な水が来るから、眼鏡も水浸し。
   ※ 顔しか出してない上着なので、体は濡れない。 不思議と、仕事は面白い。

午後の途中から、雨が降ってきたので、裏の車庫に、棚などを運んだ。
4時頃には、昨日の朝見たときには想像できなかった程、建物の内部も物もきれいになった。
昨日と同じように、ハイエースに乗って、市役所に戻った。


たくさん時間がないけど、曇って薄暗い中、陸前高田市の広田町の動画を撮りに行った。
地図の、○の方に向かった。
先日、広田町と間違って撮影した小友町は、広田町の上の方。 そこは、両側からの津波で海になった。

hirotatyoullppo00.jpg

どの道が通れるか分からないので、道を探しながら行った。 途中で、戻ったことも。
大部分は、県道38を通って。

下の写真は、地図で、鳶の巣崎辺り。 木材などが集まっていた。 

11年3月30日 (1)

動画を撮り終わって、最初に行った場所を撮影。 地図では、○の下の方。
防潮堤の前に斜面があると、津波が乗り越えやすい、ということはないのだろうか。

11年3月30日 (2)

※ 広田町が津波の襲われる動画がある。 上の写真の地域。 田谷地区。



こっちは、大野地区。 ○の上の部分。 田谷地区も大野地区も、夏は海水浴場として賑わうようだ。

11年3月30日 (3)

大野地区。 右が海。

11年3月30日 (4)

大野地区、谷の奥。

11年3月30日 (5)

大野地区。 向こうに戻る。

11年3月30日 (6)

広田小学校のグランド。 自衛隊のテントもあった。 小学校は、避難所のよう。

11年3月30日 (7)

小学校から見た、最初に走った、田谷地区。 左が海。 白い建物は、広田中学校でいいと思う。

11年3月30日 (8)

広田町の被災状況も、他と同じように、大変だった。
戻って来て、地図で確かめたら、半島の先にも集落があった。
ネットで調べたら、被害を受けてる所があるようだ。
行かなければならないかな、と思う。

湾があるから、そこはいい港になった。
津波は、その湾をめがけて襲ってきた。 
結果的に、人が住む所ばかり、襲う形になった。

【停泊地】      前日に同じです。

【明日の予定】    今日午後雨が降って、明日診療所の仕事がない。
           明日は、ボランティアの仕事は休もうと思う。 一休み。
           そして、診療所のある、三陸町の動画を撮る。 被害のなかった綾里地区の写真も。

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越喜来診療所の清掃を、夕方までした。  ※ 越喜来~おきらい
そこは、一昨日見ていた。
大船渡市三陸町越喜来にあった。

夕方、5時に高田市に向かった。
一昨年行っている。 海と街の間に、高田松原のある、美しい町だった。
今日行ったら、はるか遠くまで、街並みは消えていた。

一昨日、釜石から来る時、小さな湾を取材しながら来た。
その時、三陸町に寄った。
下の写真は、その時に撮った。 越喜来診療所は、線路をくぐって、直ぐ左にあった。

11年3月29日 (1)

線路の上から撮影した。 左の建物が、越喜来診療所。 これも、一昨日、撮影。
その時は、この建物が診療所とは分からない。

11年3月29日 (2)

下の写真は、作業を終わって撮影。

11年3月9日の2 (1)

作業は、ボランティア6名と職員4名の、10名程で行った。
顔だけ出る白い作業服を着た。

中の物を外に出し、泥をスコップで取る作業。
大事な書類とかは、前日、職員の方が出していた。

捨てない物もあったが、捨てるか捨てないか、職員の方には聞かない。
泥水に浸かった物は、捨てた。

大きな棚とかをやっと出したり、壊れたトイレのドアを苦労して外したりした時など、仕事に中に小さな感動が出てくる。

医療用のゴミは別で、職員の方が、前日に集め終わっていた。

震災の影響で、体調の悪い人が増えた。
診療所の復旧が急がれるので、やりがいのある仕事に感じた。
※ 今は、別の場所で、患者の診察をしている。

お昼は、別の場所で、カレーをいただいた。 事務所のような部屋だった。
向かいに座っていた診療所の女性の方が、急につぶやいた。 誰に言うとなく。
 「○○さん、だめだったんだ」 肩を落とし、深いため息をついた。

少しの間、安否情報が飛び交った。
亡くなったとか、死んだとか、遺体で発見された、とか言う表現は出なかった。
「流された」という言葉を使っていた。
このおだやかな表現は、その人達に対する、やさしさに感じた。


ここは、大船渡市役所。 朝、ここに行く。
災害支援に関わる人達が、多く集まる。
感じることがあった。 それは、
 ① 人々の交わす挨拶や、ねぎらいの言葉が、多いこと。
 ② ボランティアに対しても、多くの声がかかってくる。 感謝の意味を込めて。

支援や復興に向けた取り組みに対する、基本的な考えが、共通になっているように感じた。
その考えを示したのは、市長さんと思うが、いい形で浸透していた。
大船渡の人達のやわらかな人間性に、それがプラスされた形で。

11年3月9日の2 (2)

市役所前から、下を撮影。 右の方から津波は来て、写真の右辺りで止まった。 港から、4~5㌔。

11年3月9日の2 (3)

車に戻ったのは、5時頃だった。
高田市に行くことにした。 歩く時間はないが、動画を撮ることに。 ※ 遅い時間は、作業の邪魔にならない。

動画を撮り終わって戻ってきた。 左が海。 湾になっている。

11年3月29日 (3)

左が海で、正面辺りに高田松原があった。  赤の○が、道の駅の建物でしょうか。 
一昨年、そこから、松原を見に行った。 松原の手前に、高い防潮堤があった。

11年3月29日 (4)p

リアス式海岸で、これだけ広い平地は珍しい。 でも、その分被害は大きかった。
千人以上、まだ見つかっていない。 捜索が終わってない所もある。(今日のニュースで)

11年3月29日 (5)

大船渡市方面の山側。

11年3月29日 (6)

大船渡市のボランティア活動は、軌道に乗っているように感じます。

県外からのボランティアを募集している所が出始めました。
石巻市、塩釜市、相馬市、亘理町 など
     ※ 宿泊、ガソリン、など、全て自分で用意できるのが条件ですが。
       実際は、これができれば、ほとんどの町は、受け入れると思う。  
       釜石市も大船渡市も、受け入れるとは言ってない。 でも、受け入れていた。

     ※ 今他県から行ったら迷惑がかかると言ってた新聞社や、人々は、
       募集してる状態が出てきたら、そのことを書いているだろうか。
       もし書いてなかったら、今からでも書いてほしい。
       批判しかしない人間は、書くことに気づかないかもしれない。

【停泊場所】   前日に同じです。

【明日の予定】  明日もお願いできますか、と受付の人に言われた。 同じ所かな。
         どこかに行くことが出来るでしょうか。 被害のなかった綾里が気になりますが。


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住宅の清掃は、大変な仕事でした。

大船渡市と陸前高田市の小さな集落も、壊滅的な打撃を受けていた。
そこの動画を撮りに行ってきた。


ボランティアの人たちは、9時前に、市役所前に集まってくる。
受付をして待っていると、行く所が告げられる。

今日は、男の人12名で、2軒の家の清掃。 6名ずつ分かれて。
早く終わった方は、手伝う。
私が行ったのは、90歳を過ぎたお年寄りのお家。

下の写真の、右の平屋。
この写真は、作業が終わった後に撮影。

11年3月28日 (1)

この辺りは、150㌢程の深さになった。 家は大きく壊れていない。 死者もいない。
テレビには瓦礫の山が放映される。 それを見たら、ボランティアのすることは無いように見える。
でも実際は、床上浸水の家があって、その清掃には多くの人出を必要とする。

黒い津波が家に侵入し、去った後には、汚泥のような黒い土が、床上に数㌢積る。
家の中の物は、すべて動かされる。 泥にまみれて、積み重なっていた。

強いにおいがするが、それには慣れてくる。
気温が低いから、まだ弱い。

家の中の物は、全て外に出した。
水を吸った畳は重い。 もう一度使える物は、ほとんどない。
私は、汚泥をスコップですくって外に出した。 これも、切りなく続く仕事。
写真や仏壇は、丁寧に扱った。

水は出ないから、家の中を水洗いできるまでにする。
最後に、少しの家具を中に入れた。

仕事は、午前で終わった。 仕事の内容がきびしいので、午前だけにしたのかもしれない。
おにぎりを2つ頂いて帰った。

私の作業の時の服装は、登山の時のにしている。 
よごれても、拭けば取れるし、軽く動きやすい。 

車に入る時は、帽子、上着、長靴の全てを脱いで、車の後ろのゴミ箱に仕舞う。

時間が生まれたので、1時間ほど寝て、南の小さな湾を見に行くことにした。
下の地図が、行った場所。 この辺りは、一昨年に通った。

11年3月28日 (10)p

   ※ 碁石海岸(碁石浜)   高田松原①    大理石海岸

大船渡市末崎。 後で、車で走る。

11年3月28日 (2)

谷の、中の方。 学校は、もっと左の高台に。

11年3月28日 (3)

陸前高田、小友町。 この場所からは、むこうに行けなかった。 少し歩いた。
車を停める場所とか、地元の人が教えてくれた。

※ 車には、ボランティアに参加してることを、標示してある。
  これに、助けられる。
  読まなくても、何かが標示してあると、震災に関わってる車と思ってもらえる。

11年3月28日 (4)

この家は、床上浸水。

11年3月28日 (5)

右方向。

11年3月28日 (6)

山の向こうは海。

11年3月28日 (7)

左側。

11年3月28日 (8)

上の写真の家。 これまでにできたら、水で洗える。 ここまでが、大変。

11年3月28日 (9)

すべて歩く時間は無かったので、他の場所は動画です。
今日歩いた場所から陸前高田市まで、直線で10㌔ありません。
明日行けたら行きます。

ガソリンが入ってきたら、機械が一斉に動くでしょうか。
まだ、作業の車や機械は少ないです。

【停泊場所】  大船渡市総合福祉センター駐車場

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釜石市から大船渡市まで、小さな集落の写真を撮った。
被害はどこもあったが、住宅地をどこに作るかによって、被害に差があった。

大船戸市役所にある、災害ボランティアセンターに行った。
明日から、仕事をすることになった。 内容は、何でもいいと伝えた。

釜石市から大船渡市までの地図。
※ 平田地区は、動画に。

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釜石市唐丹町。 向こうの方が、湾の奥だったでしょうか。
防波堤は壊れたけど、津波の力は、少し弱い感じがします。

11年3月27日 (1)

11年3月27日 (2)

上の写真から、少し行った所。 上の写真の、向こうに見えた所。

唐丹小。 子供たちは、大丈夫だったでしょうか。
学校に残っていた子は、一旦グランドに避難し、その後、裏山の高台に避難したと思われます。

11年3月27日 (3)

上の写真から、2㌔ほど進んでいる。 同じ、唐丹町。
津波は、橋の下をくぐって、右に進んだ。

11年3月27日 (4)

鉄橋が壊れていた。  ※ 三陸鉄道南リアス線

11年3月27日 (5)

上の写真を撮る時、車は、閉店しているガソリンスタンドの駐車場に停めた。
スタンドに女の人がいたので話した。 釜石市役所に勤務している人だった。 ※ 体調が悪くて家に。
地震当日は、石応寺の方に車で逃げたと言う。 石応寺は、先日炊き出しをした寺。 市役所は、近くに。

釜石も被害は大きかったのに、報道されるのは、遅かったと言った。
この話で、被災地の人は、地元がどう報道されるかに、関心が強いことが分かった。

その人が、鉄橋が壊れていることを、教えてくれた。

下は、大船渡市に入って、三陸町の吉浜と思う。
ここの地域は、家は高台にあった。 下の方は、何かが流された跡はあったが。

11年3月27日 (6)

後で知ったが、近くに、被害ゼロの地域があった。 綾里白浜地区。 地図の青い○の所。
今日の河北新聞にあった記事。昔の教訓を活かした所はあった。

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ここは、大船渡市三陸町。
想定区域が、ぴったり。 ※ ただ、今日この後、ピッタリでない所に出会う。

11年3月27日 (7)

片づけ始めていた。

11年3月27日 (8)

何か探しているんですか、と聞いた。
散歩していると言った。 動けなくなって、迷惑をかけたら申し訳ないから、と。
2人とも、駅裏の避難所にいる。

11年3月27日 (9)

車のエンジンだけ。

11年3月27日 (10)

大船渡市に入った。 駐車場を探した。 大船渡市総合福祉センター駐車場に。 了解は得てある。
車は、左に見える。

11年3月27日 (11)

まっすぐ市役所に向かった。
市役所は、丘の上。 ボランティアの受け付けは、テントの中にあった。
明日から、活動することになった。

港に向かって歩いた。
瓦礫をトラックに積んでいた。 このような姿は、そんなにまだ無い。

11年3月27日 (12)

自分の会社の片づけでしょうか。 鉄を焼き切る、バーナーを手にしている。

11年3月27日 (13)

この標示場所は、失敗。

11年3月27日 (14)

中央に海が少し見える。

11年3月27日 (15)

家族でしょうか。 この人達は、ここから離れなかった。 何かが見つかったら、集まって見ていた。

11年3月27日 (16)

合板を作る会社です。 きれいに片付いた部分もあった。 動きが早いと感じた。

11年3月27日 (17)

用水路に沈んだ車は、引き上げられてはいない。 人がいる可能性もある。

11年3月27日 (18)

消防の人達。 10人くらいで動いていた。 行方不明者を探している。
少し話を聞くことが出来た。 1日に見つかる人数は、4~5名と言う。

11年3月27日 (19)

これほど足取りの重い人に出会ったことは無い。 そんな印象を持った。
何かを迷っているように、何度も行き来した。

11年3月27日 (20)

右の柱が倒れそう。 こういうのがあるから、気を付けなければならない。

11年3月27日 (21)

車が走れるように、地面を均(なら)していた。

11年3月27日 (22)

港にも、いっぱいゴミが沈んでいる。
大船渡市は港町。 まず、船の出入りが出来るようにする。

11年3月27日 (23)

大船渡駅。 茫然と立ち尽くす、それを見た。

11年3月27日 (24)

ここに、瓦礫が集められていた。

11年3月27日 (25)

駅を降りたら、こうやって迎えてくれていた。

11年3月27日 (26)

この人の家は、土台しか残っていなかった。 それでも、片づけていた。

11年3月27日 (27)

吹雪いてきたので、戻った。 寒さが、追い打ちをかける。
水の配給。

11年3月27日 (28)

新聞を、無料でいただいた。

11年3月27日 (29)

大船渡市には、復興に向かっての確かな足音が、聞こえ始めた。


【停泊場所】  大船渡市総合福祉センター駐車場
          ※ 警察のとなり。 これ以上、治安のいい所は無い。


【明日の予定】 ボランティアに行きます。

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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