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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

土方歳三が死んだ1週間後、明治2年5月18日、榎本武揚以下全員が降伏した。
戊辰戦争、また函館戦争は終わった。
それは、江戸幕府の残り火が、消えた瞬間でもあった。

函館の町の路傍には、たくさんの遺体が転がっていた。
だが、賊軍の遺体だから、誰も手を出せない。

処分覚悟で、動いた人間がいた。
また、その男に協力した寺が、一つだけあった。

今日は、その寺に、まず行った。


久しぶりに自転車。 小さいけど、どこまでも行ける。
駅には、あっという間に着いた。

目的地の碧血碑は、下に見える。

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ここは、駅の隣にある朝市。 

11年7月30日 (1)

海の幸、山の幸、何でも売っている。 私はいつも、見るだけ。

11年7月30日 (2)

タラバガニ。 はかりの上で、動いた。

11年7月30日 (3)

ベイエリア。 赤レンガ倉庫が並んでいる。 お店か、食べ物屋さん。

11年7月30日 (4)

金森赤レンガ倉庫群と、この辺りは呼ばれる。 ベイエリア地区にある。
小樽を歩くのに似ているかな。

11年7月30日 (5)

旧金森洋物店。  老舗。

11年7月30日 (6)

この坂を、もう少し登って、右に目的の寺はある。 寺の名前は、実行寺(じつぎょうじ)。

乗ってる自転車は、これ。 12インチだったかな。 軽くて小さい。
いつも、助手席に、ちょこんと座っている。

11年7月30日 (7)

実行寺。 日蓮宗。  ※ 本山は、身延山。(昨年、初夏の時期に行った)

11年7月30日 (8)

お寺のどこに遺体を埋めたのか、そんなことを知りたくて、受付に行った。
受付にいた男の人は、詳しかった。
戊辰戦争の全てを知っていた。 幕末の頃からの、この寺の動きについても。

30分程、説明していただいた。 質問にも。 お茶も。
こうだった。

① 1854年、日米和親条約を結ぶ。 函館開港。
  ペリー艦隊がやって来た。
  どうして、函館が開港になったか、その理由を聞いた。

  アメリカは捕鯨をやっていた。
  北太平洋に、食料や燃料の補給基地が必要だった。
  函館は、ちょうどいい場所だった。 日本海にも行ける。

② ペリー艦隊が来た時、写真班の宿舎が、実行寺になった。
    ※ 実行寺は、昔は、もっと街の中にあった。(地図参照)
  その写真班が撮った写真が、日本最古の写真となる。(このことの事実関係は、だいじょうぶ)

    ※ よく見る龍馬の写真は、その2年後に撮影。

③ ペリーが来た翌年、フランス艦隊が来た。
  その艦隊には、多くの病人がいた。
  函館奉行所は、幕府の許可を得ず、人道的配慮で、入港を許可。
    ※ フランスは、このことに大きな恩を感じる。この後ずっと友好関係が続く。
  ここ実行寺は、養生所になった。

  船が積んでいた本の中に、ヨーロッパの城の本が、1冊だけあった。
  これを読んだ人間が、武田斐三郎。 五稜郭を設計する。

  五稜郭は、陸地の真ん中にある。  
  どっちの海からも、大砲の砲弾が届きにくいように。

④ 1868年、戊辰戦争がはじまった。
  幕府軍の負傷兵は、実行寺に運ばれる。 函館病院が満員のため。

⑤ 1869年5月18日、戊辰戦争は終わった。
  たくさんの遺体が、街の中に放置されていた。
  柳川熊吉と云う男が動いた。 彼は、侠客(きょうかく。任侠を建前とした渡世人)だった。 

   ※ 熊吉は、実行寺の今までの動きを知っていた。
     それで、住職 日隆上人に相談する。
  
  そして、実行寺境内の墓地と、山背泊に、密かに埋葬する。 796体。
   ※ 山背泊は、今のこの寺の辺り。 

⑥ 1875年、碧血碑(へきけつひ)を建立。 戦死者の七回忌の年。
  実行寺の遺骨を(山背泊りもか)を移し、改めて埋葬。

⑦ 1879年、函館大火。

⑧ 1881年、実行寺は今の場所に移転する。

詳しく説明していただき、外も案内していただいた。
碧血碑への道を詳しく聞いて、実行寺を後にした。

下は、日仏親善函館発祥記念碑。 2001年除幕式。

11年7月30日 (9)

元町公園から、海を撮影。

11年7月30日 (10)

旧公会堂。

11年7月30日 (11)

八幡坂。 歩道が階段。

11年7月30日 (12)

この上の、左の方に行く。

11年7月30日 (13)

妙心寺。 ここも日蓮宗。 この寺に、左後ろの山の中に、碧血碑はある。

11年7月30日 (14)

自転車を置いて歩く。 もうすぐ。

11年7月30日 (15)

木の隙間に、見えてきた。

11年7月30日 (16)

ここです。

11年7月30日 (17)

説明があった。

11年7月30日 (19)

碧血(へきけつ)についての説明が面白い。

11年7月30日 (20)

※ 碧血になると云うのは、血が碧玉になるということ。
  碧玉は、碧(あお)い色をした宝石。 ジャスパー。
  流した血は、3年経ったら、宝石のように美しくなると言っている。
  義に殉じた、潔い死だったと考えている。

※ 赤い碧玉もある。 血の塊に、見えてくる。

※ 碧は、紺碧の碧。 美しいと考えられてる色。
  山口百恵が、昔、「碧色の瞳」という歌を歌っていた。

これが、碧血碑。 高さ6㍍。  花があった。

11年7月30日 (18)

「明治辰巳実有此事 立石山上叺表歔志」と刻まれている。

「明治辰巳、実に此事有り、石を山上に立てて以て厥の志を表す」と読む。

「明治2年、此の事は実際にありました。 山上に石を建てて、悲しみの気持ちを表します」という意味。

※ 7年経っているが、まだはっきりとは書けなかった。

11年7月30日 (21)

遺体を集める作業は、近隣の住民や熊吉の子分達が手伝うようになった。
数日間で、800もの遺体は、実行寺と山背泊に葬られた。

賊軍の慰霊は、その時代出来なかった。
明治政府の命令に反した熊吉は追及を受けた。
しかし、熊吉の堂々とした態度に、官吏は埋葬を黙認せざるを得なかった。

また、終わった後、打ち首になるはずだった。
新政府軍の薩摩藩士・田島圭造が、「これからの日本のために、こういう男を死なせてはならない」と考え、
熊吉への打ち首を取り止めさせた。
熊吉は無罪釈放となった。  (この部分、フレッシュ・ぺディア より)

熊吉が88歳になった時、有志で建てた。

11年7月30日 (22)

柳川熊吉、日隆上人は、幕府の兵士も、同じ日本人と考えたのでしょうか。 同じ人間と考えたかも。
また、徳川幕府に殉じたことに、土方歳三達の意気を、きっと感じていた。

土方歳三の夢ははっきりしなかったが、人を惹きつける生き方ではあったようだ。

柳川熊吉も、面白かったかな。

【停泊地】    昨晩に同じ

【明日の予定】  石川啄木を追ってみようかなと。

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                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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一本木の関門を、馬に乗って出た時だった。
一発の銃声が鳴った。

土方歳三は、どんな夢があって、そこまで戦えたのか。
それが、むずかしい。
でも、最後まで潔く戦ったところが、多くの人の心を惹きつけているようだ。
最後の武士。 そう言えるかもしれない。


窓にひびが入ったのを直したり、ちょっと昼寝をしたりして、出発は2時。
駅まで、1㌔と少し。

途中に、土方歳三 最期の地 がある。
この道は国道5号線。 向こうが駅。

札幌から来ても、江差から来ても、駅に行くには、この道を入ってくる。

11年7月29日 (1)

国道とは別の道。 天気はいいが、汗は出ない。 風は涼しい。

11年7月29日 (2)

目的地が、近づいてきた。 右のビルの、前辺り。

11年7月29日 (3)

手前の木の、向こう。

11年7月29日 (4)

旧幕府軍は、戦いは不利になり、五稜郭にこもった。
明治2年(1869年)5月11日、新政府軍の箱館総攻撃が開始された。

新選組隊士 島田魁らが守備していた弁天台場が新政府軍に包囲され孤立した。
  ※ 池田屋事件の時、池田屋の場所を白状したのは、古高俊太郎。
    拷問で白状させたのは、土方歳三。 捕まえたのは、島田魁。

孤立した島田魁を助けるため、土方歳三は、僅かな兵を率いて五稜郭を出た。
弁天台場は、今ある駅のもっと先。
五稜郭と弁天台場の中間辺りに、一本木関門はある。

ここから、今の駅の方に向かおうとした時、1発の銃声が鳴った。
土方歳三は、馬から落ちた。
腹部を銃弾が貫通した。 
側近が急いで駆けつけた時にはもう絶命。 即死だった。

11年7月29日 (5)

榎本武揚と共に、戦ってきた。

11年7月29日 (6)

最近、新しく、辞世の句が発見された。 ※ いつだったか紹介したが。
こんなの。

 「鉾(ほこ)とりて 月見るごとにおもふ哉(かな) あすは かばねの上に照(てる)かと」

  ( 鉾を手に取って 月を見るたびに思う。 あすはしかばねの上に 照るのかと)

前日に詠んだと云われている。
戦いの情勢から、自分の命も長くないと、感じていた。

11年7月29日 (7)

降伏していたら、助かったかもしれない。
榎本武揚は、助かった。 普通は打ち首だが。
黒田清隆に助けられた。 
  ※ この人は、明治の初め、北海道の開拓長官になった人。
    私が以前いた、根室の花咲小学校の名前を付けた人。 花咲学校と。
    根室に、清隆町がある。

場所は、ここ。

11年7月29日 (8)

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北海道は、車が少ないのに、車道も歩道も広い。

11年7月29日 (10)

中心街には行った。 変な電車。 8月に入ったらお祭り。 その宣伝。

11年7月29日 (11)

函館は塩ラーメン。 食べてみることに。 小さな小路の入り口。

11年7月29日 (12)

情報誌に載っていた。
まあまあというところ。 面が太い。 塩味は繊細な味だから、細い麺が合いそうなんだが。
きっと、醤油や味噌は、もっと美味しいかも。

11年7月29日 (13)

駅の方を少し散歩。

11年7月29日 (14)

美瑛中学校の修学旅行が、函館だった。 函館山は、霧の中だった。 45年前の話し。

11年7月29日 (15)

函館駅。 昔は、連絡船とつながっていた。 高校の修学旅行で、連絡船に乗った。 京都に行った。

11年7月29日 (16)

こっちが朝市。 観光客が多い。
※ 輪島の朝市や八戸の漁港の朝市は、地元の人が多い。
  地元の人が買いに来る所は、安いかな。

11年7月29日 (17)

駅前。  デパートの地下で、イカ2はいと、ホッケの開きを1枚買った。

11年7月29日 (18)

この道を、戻った。 古い看板。

11年7月29日 (19)

機関車。 珍しい。 引っ張られてるのか、押しているのか。

11年7月29日 (20)

もう少しで、終着駅。

11年7月29日 (21)

駅裏を通って、赤レンガ倉庫の方に行く道。 8月1日、花火、とある。 見ることが出来るかな。

11年7月29日 (22)

今晩は、ここ。

11年7月29日 (23)

明日行く所は、頂上の左側の方。 

11年7月29日 (24)

北海道に、死に場所を探しに来たのか。
江戸幕府の家臣として、その生き方を全うしたかったのか。

最初は、新撰組の組織を確固たるものにする。
そうして、最後の目的は、大名か。

北海道に逃げた時は、蝦夷共和国に、少しの夢を描いたか。
でも、見通しはきっと持っていなかった。

司馬遼太郎は、土方歳三の、どこに魅力を感じたのだろう。

龍馬のように、国をどうするとかの夢はなかった。
その時々の、生き方に、魅力があるのか。

土方歳三が、最初に龍馬と出会っていたら、どんな生き方をしたでしょう。

函館は、啄木より、土方歳三の方を、大事にしそうです。

【生活】    折りたたみの棚を作った。  下の方の。
        食べ物置いたり、資料を置いたり。 便利。

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【停泊場所】  上の方の地図の、○印の所。

【明日の予定】 函館山の中腹に、碧血碑(へっけつひ)がある。
        これは、箱館戦争における旧幕府軍の戦死者の慰霊碑。
        土方歳三をはじめとする、約800人の戦死者を弔っている。

        これをつくった人間が、面白い。
        侠客、柳川熊吉という男。
        遺体は、埋葬するのを禁止されていた。
        それでも、集めた。

        協力してくれる寺が、一つあった。
        実行寺(じつぎょうじ)。 
        ここに集めた。
        この寺にも行って見る。
        坂の町並みの、向こう。

        明日は、自転車で動く。
        
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函館に1週間いることになった。
車の排気関係の部品を注文することに。
キャンピングカーステーションの店長さんが、工場を紹介してくれた。
駅に近い、ネッツ・トヨタ。 ※ 会社と関わりが深い。

紹介があると云うのは、急の客とは違う。
 ※ また、店長さんからきっと「よろしく頼む」と話しが行っている。
車は、根本から直すことに。 それで、排気関係の部品交換。
一安心。 ありがたい。

1週間、函館を紹介する。 函館の情報誌も、準備した。
車は使えるが、遠くには行けない。 坂登りは、ダメ。

X100の写真は、比べられない程、良いことが分かった。
明るい単焦点レンズの良さが、これほどまでとは知らなかった。
これから、このカメラを使うことになる。
        ※ 望遠だけは、リコーのCX5。
        ※ 広い角度で撮る、広角というのは、今は出来ないが。 

五稜郭に行ってきた。
函館での土方歳三の人気は、絶大。
魅力は何なのか。
人柄などの魅力は分かるんだが、生き方など、人間としての大きな魅力が分からない。
坂本龍馬が持っているような魅力が。


駐車場は、六花亭(ろっかてい)の隣。
 ※ 六花亭の本店は、帯広。 ホワイトチョコを、日本で最初に売りだした。 人気のお菓子屋。

五角形のお城。
          (写真は、キャノンのD50)
11年7月28日 (1)

タワーに登って、上から見ることに。 
           (D50)
11年7月28日 (2)

ここからでないと、星に見えない。  高さ、107㍍。
            (D50)
11年7月28日 (3)

お濠(ほり)も、当然星の形。
観光客以外の、市民が多い。 憩いの場所。  正式の名前は、五稜郭公園。
             (D50)
11年7月28日 (4)

タワーの1階。  左に、土方歳三の像。 
              (フジフィルムの、X100)
11年7月28日 (27)

土方歳三。(ひじかた としぞう) 
※ 最近のブログでは、京都のブログに登場。
  池田屋事件で、大活躍。 池田屋の場所を突き止めたのも、彼。
  新撰組の、副隊長。
  この時、桂小五郎は、危機一髪、難を逃れる。
  池田屋事件の1ヶ月ちょっと後、禁門の変が起きる。 
  龍馬が襲われるまで、後3年。 明治維新まで、後4年と云う時。
              (X100)
11年7月28日 (28)

江戸幕府に忠実だったのか。 最後は、北海道に来る。

11年7月28日 (5)

ここから、眺める。
             (D50)
11年7月28日 (8)

こうです。 五角形ですが、全部は入らない。 ※ 広角のレンズがあれば、撮れる。
              (X100)
11年7月28日 (22)

土方歳三の、坐像。
              (X100)
11年7月28日 (23)

これは、D50で撮影。 上の方が、かなりいい写真。

11年7月28日 (9)

口元を真似して、うっとり。 土方歳三は、もてる。 この人の、親がこれを撮っていた。
               (D50)
11年7月28日 (10)

函館山。 3000年前まで、島だった。  砂が集まって、つながった。
                (X100)
11年7月28日 (24)

日米和親条約で、函館は開港した。 それで、江戸幕府がつくった。
戦いが、大砲を使うなど、以前とは違ってきたので、西洋の城を参考にした。  

でも、そうやって作っては見たが、実際は、大砲に持ちこたえられる城ではなかった。           
                 (X100)
11年7月28日 (25)

函館奉行所。 復元したもの。昨年オープン。 ※ 一昨年来た時、工事をしていた。
                  (D50)
11年7月28日 (6)

二の橋を渡って、中に。
                 (D50)
11年7月28日 (7)

タワーの下に降りた。 2階から、1階を見た。
                  (X100)
11年7月28日 (26)
      (D50)
11年7月28日 (11)

二の橋が見える。
               (D50)
11年7月28日 (12)

武者返し。
               (D50)
11年7月28日 (13)

奉行所の天辺が、城の外から見えた。 大砲を撃つ時、目標になった。

11年7月28日 (14)

奉行所。
           (X100)
11年7月28日 (35)
     (CX5)
11年7月28日 (21)

一番上の部分が、個性的。 太鼓櫓。
                 8X100)
11年7月28日 (29)
    (CX5)
11年7月28日 (19)

別の方から。       
                (X100)
11年7月28日 (31)

遊んでる人がいる。 広い芝生が、どこにでもある。
                (D50)
11年7月28日 (15)

榎本武揚と云う人は、幕府の海軍副総裁だった。
大政奉還に不満。 その後の武士の処遇にも不満。
幕府に不満を持ってる武士を集めて、戦った。

土方歳三は、宣戦組の生き残りと共にいた。
榎本武揚と、一緒に戦うことになった。
              (X100)
11年7月28日 (32)

環境整備は、完璧。
             (X100)
11年7月28日 (33)
      (D50)
11年7月28日 (17)

復元に4年かかった。
               (X100)
11年7月28日 (34)
      (D50)
11年7月28日 (18)

左に曲がって、右に曲がって、出る。
                (X100)
11年7月28日 (30)

土塁から撮影。 見えてる橋は、二の橋。
               (CX5)
11年7月28日 (20)

五稜郭は、どこの城にも似ていない。
もともと、函館も町がそう。 どこの町にも、似ていない。

函館の魅力は、そこにあるのか。
街の中に、明治の匂いのする観光スポットが、あちこちに点在している。

【停泊場所】   中心街から10㌔離れた、松前寄りの浜。 いつもここ。

【明日の予定】  土方歳三が討ち死にした場所。 墓。 資料館。 この3つに行ってこようかと。
         駅から2㌔程の所に車を停めて、歩く。 お金の節約。

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道の駅碇ヶ関から青森への途中、弘前のモン・ベルに寄った。
山に使うストックを2本用意した。
2本は、初めて。
両足への負担が、平等になるようにしてみる。

フェリーの予約は、14時20分のが取れた。
夏休みに入って、満席の便も出ている。

津軽海峡フェリーターミナルの、2階の展望室から。

11年7月27日 (1)

この船に乗る。 小さな青い船の向こう。

11年7月27日 (2)

びるご には、初めてでない。  大型トラックが、何十台も入って行く。

11年7月27日 (3)



津軽海峡を渡るのは、旅に出て6回目。  函館まで、3時間40分。
北海道だけ、本州と遠く離れてるな~って、感じる。

11年7月27日 (4)

下北半島。
この半島の大間から、函館に渡る時もある。
    ※ 関連ブログ  本州最北端大間崎 大間のマグロ 他 (2009/07/14)

11年7月27日 (5)

フェリーの中では、テレビを見た。 なでしこジャパンの、石清水が出ていた。

津軽半島。 霞んで、ちゃんと見えない。 岩木山も。
    ※ 関連ブログ  竜飛崎(岬)  津軽海峡冬景色  階段国道   他 (2009/09/02)

11年7月27日 (6)

車に少し戻った。

11年7月27日 (7)m

函館山が、見えてきた。 もう少し。
    ※ 関連ブログ  立待岬  他  (2009/07/17)
               函館の坂道を歩く  函館山からの夜景 ~チャーミーグリーンの坂 宝石箱を・・・~   他  (2010/8/3)

11年7月27日 (8)

函館港に近づくと、船が多くなった。

11年7月27日 (9)

今乗ってるのは、多分、これと同じ型の船。

11年7月27日 (10)

夕方の6時に着いた。



函館は、過しやすい気温だった。 ※ 弘前から涼しかった。

海を渡ったら気持ちの変化があるのかと、聞かれれば、ある。
漠然とした不安が無くなる。

例えば、ここの空き地は、勝手に車を停めても大丈夫とか、それが分かりやすい。
北海道は、そういう場所が多くあるし。

大きなお店で、生ラムを買った。 本州では、見つからない。
ホッケの開きは、いいのがなかった。 代わりに、身欠きニシン。

晩は、2つとも食べた。 身欠きニシンは、大根おろしといっしょに。
北海道の味。

【停泊場所】   24時間営業のスーパーセンターの駐車場に

【明日の予定】  キャンピングカーステーションに寄って、五稜郭かな。

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                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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車は、とりあえず走っている。
直ったと期待しないでいる。

オイルが、ある関係で悪さをしているかもしれないと、整備に人は想像した。
オイル交換をして、最低のレベルの量にした。

点検の費用は、いつもかからない。
どうしてか聞いた。
お客さんからお金をいただくのは、直ったと確認できた時だけです。
そう言った。

少ない時間で、大湯環状列石を見た。
昔の人の何かが知れるかも、と思って。

X100の写真を撮った。 いい。
明るいレンズとなっていたが、こんな風に写るのか、と思った。
きれいに拭いた窓のガラスから、風景を見てる感じだった。
カメラは、穏やかな色合いで表現した。


環状列石。 石が、まるく並んでいる。 縄文時代後期の遺跡。
鹿角市の大湯にあるので、大湯環状列石。


遺跡からは、普通小さな土器の破片とかしか見つからない。
でも、環状列石は石なので、残った。

そこは、森に囲まれていた。 家は復元。

11年7月26日 (1)

大きなのが2つあって、他に、小さいのもある。

11年7月26日 (2)

全部ではないが、石の下には、お墓と思われる穴が見つかっている。
だから、基本的には、墓地と考えられている。

11年7月26日 (3)

建物は、人が住んだのではないよう。
これが、一番大きい、万座環状列石。 ※ 環状列石は、ストーンサークルとも。 外国にもある。

11年7月26日 (4)

日本で一番大きいそう。
※ でも四国の足摺岬の山の中に、唐人駄場(とうじんだば)という遺跡があった。
  グランドほど広い所の周りに、石が並んでいた。

石の上には、長い年月の間に土が積ったが、それを取り除いた状態。
これを見ると、1個の石の下に1つの墓ではない。

11年7月26日 (5)

石の並べ方は適当ではなく、夏至や春分などが分かる仕組みになっていた。
1年で一番昼間の長い日を知っていた、ということか。
ぼ~っと生きていたのではなかった。

別の所。 野中堂環状列石。

11年7月26日 (6)

大湯ストーンサークル館というのがあった。 見学した。

全体の地図。

11年7月26日 (17)

環状列石の場所は、こんな風に利用されたかもしれない。

11年7月26日 (7)

装飾品が、大量に出土している。
生活にまったく余裕がなかったら、おしゃれをする心は、きっと生まれない。
ほっとする。
私達の、遠い遠い先祖が、ここで生きていた。

11年7月26日 (8)

土器。 縄文時代の早い時期は、土器に縄の模様はなかった。

11年7月26日 (9)

あれだけ装飾品が出土しているから、このくらいは想像しても大丈夫ですね。

どんな目をしていたのか、それが知りたい。
下の表情の目とは、きっと違う。

11年7月26日 (10)

貯蔵庫。 これの遺跡もいっぱい見つかっている。 ちゃんとふたしないと、落とし穴。

11年7月26日 (11)

長い石の方向で、時間が分かる。 長さで、季節も。

11年7月26日 (12)

薄い。 縄文時代に、もうこんなのつくっている。 現代でも、この厚さで焼くのは、難しいそう。

11年7月26日 (13)

五角形。 
何によって、この形を発見したのでしょう。 ☆。 キキョウの花。  オクラ。  他に・・。

11年7月26日 (14)

数字の、1~5まで。

11年7月26日 (16)

6。

11年7月26日 (15)

縄文時代の人達も、高い文化を持っていたことが分かりますね。
自然の仕組み、動物、植物についても、たくさんの知識を持っていたでしょうね。
過去のことだけど、幸せに生きていてくれたらいいなって、思います。

ここから、X100の写真。  道の駅 碇ヶ関で。

ほとんど、自動で。

11年7月26日 (18)

こんな感じ。

11年7月26日 (19)

夕方、5時半。

11年7月26日 (20)

ここは、弘前の手前にある関。 出城(城の出張所)のようでもある。

写真の色が落ち着いている。

11年7月26日 (21)

手ぶれ防止の機能はない。 ズームがないから、自分が動く。

11年7月26日 (22)

今まで使っているレンズより、かなり明るいレンズ。
この質にするため、他の便利さを捨てたのかな。

11年7月26日 (23)

ここは、300円。 かけ流し。

11年7月26日 (24)

スキッとした感じでも、あるかな。

11年7月26日 (25)

違いが分からなかったら、どうしよう、と不安に思っていた。
もし分からなかったら、買った甲斐がなかったことになる。

少しホッとしたでしょうか。

11年7月26日 (26)

いよいよ、北海道です。

【関連ブログ】  今回はゆっくりできないけど、津軽は大好き。
         一昨年の秋、1が月いた。
         いくつかを紹介。

   ① 弘前ねぷたまつり ~最後の雨に、切れるように燃えた~   他  (2010/8/1)
   ② 岩木山に登りました。 ~山頂の風は 爽やかでした~     他  (2009/9/6)
   ③ 強風の八甲田山   他 (2009/09/09)
   ④ 青荷温泉~ランプの宿~  他 (2009/09/10)
   ⑤ 太宰治記念館「斜陽館」  雲祥寺の地獄絵   他 (2009/09/04)
   ⑥ 弘前ねぷたの館  弘前城   他 (2009/09/08)
   ⑦ 暗門の滝   他  (2009/09/12)

【道の駅】   碇ヶ関

【明日の予定】  14:20のフェリーで、青森から函館に。

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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