埼玉県の観光地の中心は、川越のようだ。
観光情報誌では、数ページ使って案内している。
そんなことなので、行ってみた。
喜多院と云う寺があった。
江(ごう)が家光を産んだ部屋があると云う。
どういうことだ?
☆ ☆ ☆ ☆
川越市は、埼玉県内3番目に大きな町。 人口34万人。
車は、初雁公園の駐車場に。 観光協会に聞いた。
この場所には、昔、川越城があって、この本丸御殿だけが残っている。
今日行くのは、3ヶ所の予定。
川越は、大きな観光地だった。
重伝建地区になっている。 埼玉県ではここだけ。 ここは、一番街。
※ 重伝建地区・・・重要伝統的建造物群保存地区。 今まで伝建地区と言ってたが、重を付けることに。
楽しいお店が多い。 観光客は、買わなくても入って行く。 また、入りやすい。
そう云う面で、小樽に似ている。
「さげもん」が売ってるお店なんか、人でいっぱい。
一番街が観光の中心だが、特徴は、楽しい店と、小路が多いこと。
だから、全部見るのに時間がかかる。 街のふところが深い。
稲荷小路だったかな。
この通りは、1本裏通りになる。 菓子屋横丁につながる。
小さな子供にとっても楽しい町並みは、家族でやってくる、ということかな。
メイン通り。
外国人も歩いている。 外国の日本の紹介の本に、川越が入っているんですね。
左の建物の屋根の両側に、「うだつ」がある。 ※ 四国脇町のうだつ。
火事の時、横からの火が、前にまわり込むのを防ぐ。
柳川は、江戸時代から火事が多かった。
このことが、家光誕生の部屋と関係していることを、後で知る。
かねつき通り。 高い建物は、鐘楼で「ときの鐘」と呼ばれる。
江戸時代からずっと、鐘の音で時を知らせている。 1日4回。
蔵だなって、感じ。
「箸置き」って、あってもなくてもいいもんだと思っていたが、違うのか。
埼玉りそな銀行川越支店。 洋風で、上の方がお洒落。 大正7年建築。
ショウウィンドウも楽しい。 この店は、仏壇のお店。 さすが、入っている人は少ない。
※ 私は、これと思うものがあれば買うが、買うのはたまに。
小型の神棚で、感じがいいのがあれば、そのうち買う。
だんだん信心深くなってきた。
そう言いながら、今日もそれなりの場所に何度も行ったが、一度も手を合わせていない。
ステンドグラス。 いいですね。 ※ 車のどこかに、ステンドグラスが付かないかなと・・・。
金物のお店だったかな。 銅の器とか。
蔵と、りそな銀行。
車が多く、写真を撮るのが大変。
古い家の2階から。
バスが通った。 宴会が出来るバスだった。 飲み過ぎて、寝てる人も。
行ったり来たりして、菓子屋横丁に。 お祭りの出店みたい。
大きなお菓子。 麩(ふ)かな。
飴細工。 しばらく見ていた。 動画も撮った。
女の子が弟へのお土産に、ドラえもんをたのんだ。 何でも作れる。 ヘビなら、私も作れそう。
煎餅の間にタコ焼き1個。 100円。
飴のお店。 奥で作っている。
川越いも飴を買った。 200円。
しばらく歩いて、喜多院に。 ここは、本堂。

喜多院には、建物を含めて、重要文化財が、山ほどある。
中を参観するが、建物内は撮影できない。
寛永15年(1638年)川越大火があった。 山門と経蔵以外の伽藍を、全て焼失する。
翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。
これが、今に残る客殿、書院、庫裏。
客殿が見える。 この中に、家光誕生の間があった。
誕生の間と云うことは、江はここで生活していた。
春日の局、化粧の間もあった。
火事が起きた時、この寺には天海僧正がいた。 家康の時代から、幕府に信頼されていた。
それで、江戸から建物の一部がやってきた。
春日の局は、将軍家光誕生に奔走した人ですね。
江戸から、伊勢にお参りに行くと言って、駿府の家康の所に頼みに行った。
江が亡くなった後、権力を手に入れる。
※ 天海僧正は、武田信玄にも仕えているが、いつだかテレビでこんな話をしていた。
天海僧正は、明智光秀ではないのか、ということで、光秀と天海の文字の、筆跡鑑定をやった。
完全には一致しなかった。 でも、かなりの部分似ていた。
天海は光秀でなくても、光秀の近親のものではないかと言われた。
家康にとって、信長を討った光秀は、どれだけ有難い人間か、計り知れない。
渡り廊下を通って、本殿に行った。
多宝塔。
ここでやっと、江の名前を見た。 この裏に、五百羅漢がある。
五百羅漢。 日本三大五百羅漢となっていた。 ※ そう言ってる所は、3つ以上ある。
五百羅漢の像は、あまり好きではない。 表情が大げさ。
喜多院でのおまけの話があって、面白かったですね。
川越は楽しめる街、そんな印象を持ちました。
これ以上都心に近付くのは不安です。
途中から暗くなって、3時間ほど走った。
サイドミラーを電柱にこすりそうな細い道も、多かった。
気をつかった運転で、疲れた。
再び、山の中に。 こっちの方が落ち着く。
【道の駅】 たばやま ※ 奥多摩に停めるとこが、見つからなかった。 東京は通っただけ。
【あすの予定】 丹波山村かな。 何があると言う訳ではないけど。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で21位です。 放浪の旅は29位。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
観光情報誌では、数ページ使って案内している。
そんなことなので、行ってみた。
喜多院と云う寺があった。
江(ごう)が家光を産んだ部屋があると云う。
どういうことだ?
☆ ☆ ☆ ☆
川越市は、埼玉県内3番目に大きな町。 人口34万人。
車は、初雁公園の駐車場に。 観光協会に聞いた。
この場所には、昔、川越城があって、この本丸御殿だけが残っている。

今日行くのは、3ヶ所の予定。

川越は、大きな観光地だった。
重伝建地区になっている。 埼玉県ではここだけ。 ここは、一番街。
※ 重伝建地区・・・重要伝統的建造物群保存地区。 今まで伝建地区と言ってたが、重を付けることに。

楽しいお店が多い。 観光客は、買わなくても入って行く。 また、入りやすい。
そう云う面で、小樽に似ている。
「さげもん」が売ってるお店なんか、人でいっぱい。

一番街が観光の中心だが、特徴は、楽しい店と、小路が多いこと。
だから、全部見るのに時間がかかる。 街のふところが深い。

稲荷小路だったかな。

この通りは、1本裏通りになる。 菓子屋横丁につながる。
小さな子供にとっても楽しい町並みは、家族でやってくる、ということかな。

メイン通り。
外国人も歩いている。 外国の日本の紹介の本に、川越が入っているんですね。
左の建物の屋根の両側に、「うだつ」がある。 ※ 四国脇町のうだつ。
火事の時、横からの火が、前にまわり込むのを防ぐ。
柳川は、江戸時代から火事が多かった。
このことが、家光誕生の部屋と関係していることを、後で知る。

かねつき通り。 高い建物は、鐘楼で「ときの鐘」と呼ばれる。
江戸時代からずっと、鐘の音で時を知らせている。 1日4回。

蔵だなって、感じ。

「箸置き」って、あってもなくてもいいもんだと思っていたが、違うのか。

埼玉りそな銀行川越支店。 洋風で、上の方がお洒落。 大正7年建築。

ショウウィンドウも楽しい。 この店は、仏壇のお店。 さすが、入っている人は少ない。
※ 私は、これと思うものがあれば買うが、買うのはたまに。
小型の神棚で、感じがいいのがあれば、そのうち買う。
だんだん信心深くなってきた。
そう言いながら、今日もそれなりの場所に何度も行ったが、一度も手を合わせていない。

ステンドグラス。 いいですね。 ※ 車のどこかに、ステンドグラスが付かないかなと・・・。

金物のお店だったかな。 銅の器とか。

蔵と、りそな銀行。

車が多く、写真を撮るのが大変。



古い家の2階から。

バスが通った。 宴会が出来るバスだった。 飲み過ぎて、寝てる人も。

行ったり来たりして、菓子屋横丁に。 お祭りの出店みたい。

大きなお菓子。 麩(ふ)かな。

飴細工。 しばらく見ていた。 動画も撮った。
女の子が弟へのお土産に、ドラえもんをたのんだ。 何でも作れる。 ヘビなら、私も作れそう。

煎餅の間にタコ焼き1個。 100円。

飴のお店。 奥で作っている。

川越いも飴を買った。 200円。

しばらく歩いて、喜多院に。 ここは、本堂。

喜多院には、建物を含めて、重要文化財が、山ほどある。
中を参観するが、建物内は撮影できない。

寛永15年(1638年)川越大火があった。 山門と経蔵以外の伽藍を、全て焼失する。
翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。
これが、今に残る客殿、書院、庫裏。

客殿が見える。 この中に、家光誕生の間があった。
誕生の間と云うことは、江はここで生活していた。
春日の局、化粧の間もあった。

火事が起きた時、この寺には天海僧正がいた。 家康の時代から、幕府に信頼されていた。
それで、江戸から建物の一部がやってきた。
春日の局は、将軍家光誕生に奔走した人ですね。
江戸から、伊勢にお参りに行くと言って、駿府の家康の所に頼みに行った。
江が亡くなった後、権力を手に入れる。




※ 天海僧正は、武田信玄にも仕えているが、いつだかテレビでこんな話をしていた。
天海僧正は、明智光秀ではないのか、ということで、光秀と天海の文字の、筆跡鑑定をやった。
完全には一致しなかった。 でも、かなりの部分似ていた。
天海は光秀でなくても、光秀の近親のものではないかと言われた。
家康にとって、信長を討った光秀は、どれだけ有難い人間か、計り知れない。
渡り廊下を通って、本殿に行った。

多宝塔。

ここでやっと、江の名前を見た。 この裏に、五百羅漢がある。

五百羅漢。 日本三大五百羅漢となっていた。 ※ そう言ってる所は、3つ以上ある。
五百羅漢の像は、あまり好きではない。 表情が大げさ。

喜多院でのおまけの話があって、面白かったですね。
川越は楽しめる街、そんな印象を持ちました。
これ以上都心に近付くのは不安です。
途中から暗くなって、3時間ほど走った。
サイドミラーを電柱にこすりそうな細い道も、多かった。
気をつかった運転で、疲れた。
再び、山の中に。 こっちの方が落ち着く。
【道の駅】 たばやま ※ 奥多摩に停めるとこが、見つからなかった。 東京は通っただけ。
【あすの予定】 丹波山村かな。 何があると言う訳ではないけど。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で21位です。 放浪の旅は29位。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
山の斜面に、横穴がいっぱい。 古代の墓だと云う。
不思議な風景だった。
近くのお寺に、三重塔があるので見に行った。
そうしたら、その寺は、頼朝の弟の 源範頼が関わっていた。
※ 範頼は、曽我兄弟の仇討で知った。
☆ ☆ ☆ ☆
吉見町は小さな町。
国道も線路もない。 町から一歩出たら、両方ともあるんだが。
ここの山の斜面にあった。 観覧料300円。
吉見百穴。 よしみひゃくあな。
一目、咲き終わったハスの花か、コモリガエルの背中に見えた。
最初は、この穴には、コロボックルが住んでいたと考えられていた。 そっちの方が夢がある。
※ 北海道のオホーツク地方に、背の低い民族がいたのかもしれない。
ミャンマーのタロン族のように、大人で130㌢以下なら、コロボックル。
ヒカリゴケがあるとも。
最初にこの穴に入った。 戦争中につくられた。
どこまでも続いているので、途中で行き止まりに。
朝鮮人に掘らせた。
戦闘機のエンジンを作る予定だったが、その前に終戦。
穴を見て歩いた。 219個ある。
「わずかな土地を耕して、かろうじて毎日を暮らしていた多くの農民は・・・」という文がある。
その時代の人々の生活を想像できる、いい説明ですね。
穴の中は、2人くらいなら生活できそう。
この穴には、亡くなった人を置く場所がある。
壁にいたずら書き。 もっとひどい穴もあった。
この辺りの岩も凝灰岩。 火山灰で出来ているので、軟い。
穴の形は、色々。 普段は、ふたをしており、追加して入れることもあった。
土に埋めたら土になって消えるので、それがいやだったのか。
この時代には、もう鉄の工具があったようですね。
石の他に、金属も。
正岡子規の歌があった。 明治24年に来ている。
「神の代は かくやありけん 冬籠(ふゆごもり)」
コロポックル説の時代なので、こんな歌が生まれてしまった。
こんな土偶が出てきた。 隣は、発掘の時、半分埋まっている写真。
航空写真。 左の○に吉見百穴。 真ん中の山に松山城跡。 武田軍もこの城を攻めに来ている。
この辺りは、こんな低い山(丘)があるが、そろそろお終い。
吉見町を過ぎたら、広い関東平野の始まり。
吉見町の案内を見て、近くに三重塔があるのが分かった。 場所は吉見観音(安楽寺)。
人が訪れるのか、お土産屋さんが1軒。
仁王様がお出迎え。
※ 仁王門と仁王像(金剛力士像)は、平成8年から3年かけて、解体修理を行った。
費用は、7000万円とあった。 大変な額。
本堂も三重塔も、江戸時代のものと説明にある。
本堂。
八起地蔵尊とあった。 大きな案内があったので、本堂の裏に見に行った。
※ この地方独特の地蔵のようだが、それ以外は、分からない。 説明の写真が失敗。
三重塔。
高さ17.6㍍。 小さい。
※ 室生寺五重塔は16㍍。 それより少し大きい。
基壇と呼ばれる、塔の下の台がないという。 ※ あるようにみえるが。
中心の柱を支えているのは、1階の梁(はり)だという。 下までないと云うことか。
※ 源頼朝の弟に、源範頼(のりより)がいる。 平家滅亡のために活躍した。
頼朝が富士山でタカ狩りをしていた時、曽我兄弟の仇討の事件があった。
この事件の直後、しばらくの間鎌倉では頼朝の消息を確認することができなかった。
頼朝の安否を心配する妻政子に対して、巻狩に参加せず鎌倉に残っていた弟源範頼が
「範頼が控えておりますので(ご安心ください)」と見舞いの言葉を送った。
この言質が謀反の疑いと取られ、範頼は伊豆修善寺に幽閉され、のちに自害したと伝えられている。(Wikipedia)
ところが、範頼はこの寺に隠れ住んだと云う説がある。 住んだ場所と言われる所もある。
範頼は、もともとこの地方を領地にしていた。
範頼の子供は助かり、その子孫が、吉見氏として続いた。 吉見町の名前は、ここから。
道の駅は、すぐ近く。 陶器市をやっていた。 かわいい鬼がいた。
最近、ガソリンが安くなってきた。 軽油が110円を切ったのを、久しぶりに見た。
安くなると助かる。
川越市に近い道の駅に来た。
近くに何かないかと探したら、今日のがあった。
コロポックルがいた方が、夢があっていい。
でも、遺跡の研究は進んでいるから、もう戻らないでしょうね。
【道の駅】 いちごの里よしみ
印の所は、吉見百穴
【明日の予定】 川越市 ※ 駐車場がはっきりしない。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で19位です。 放浪の旅は30位。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
不思議な風景だった。
近くのお寺に、三重塔があるので見に行った。
そうしたら、その寺は、頼朝の弟の 源範頼が関わっていた。
※ 範頼は、曽我兄弟の仇討で知った。
☆ ☆ ☆ ☆
吉見町は小さな町。
国道も線路もない。 町から一歩出たら、両方ともあるんだが。
ここの山の斜面にあった。 観覧料300円。

吉見百穴。 よしみひゃくあな。
一目、咲き終わったハスの花か、コモリガエルの背中に見えた。

最初は、この穴には、コロボックルが住んでいたと考えられていた。 そっちの方が夢がある。
※ 北海道のオホーツク地方に、背の低い民族がいたのかもしれない。
ミャンマーのタロン族のように、大人で130㌢以下なら、コロボックル。
ヒカリゴケがあるとも。

最初にこの穴に入った。 戦争中につくられた。

どこまでも続いているので、途中で行き止まりに。
朝鮮人に掘らせた。
戦闘機のエンジンを作る予定だったが、その前に終戦。

穴を見て歩いた。 219個ある。

「わずかな土地を耕して、かろうじて毎日を暮らしていた多くの農民は・・・」という文がある。
その時代の人々の生活を想像できる、いい説明ですね。

穴の中は、2人くらいなら生活できそう。

この穴には、亡くなった人を置く場所がある。
壁にいたずら書き。 もっとひどい穴もあった。
この辺りの岩も凝灰岩。 火山灰で出来ているので、軟い。

穴の形は、色々。 普段は、ふたをしており、追加して入れることもあった。
土に埋めたら土になって消えるので、それがいやだったのか。
この時代には、もう鉄の工具があったようですね。


石の他に、金属も。

正岡子規の歌があった。 明治24年に来ている。
「神の代は かくやありけん 冬籠(ふゆごもり)」
コロポックル説の時代なので、こんな歌が生まれてしまった。

こんな土偶が出てきた。 隣は、発掘の時、半分埋まっている写真。


航空写真。 左の○に吉見百穴。 真ん中の山に松山城跡。 武田軍もこの城を攻めに来ている。
この辺りは、こんな低い山(丘)があるが、そろそろお終い。
吉見町を過ぎたら、広い関東平野の始まり。

吉見町の案内を見て、近くに三重塔があるのが分かった。 場所は吉見観音(安楽寺)。
人が訪れるのか、お土産屋さんが1軒。

仁王様がお出迎え。
※ 仁王門と仁王像(金剛力士像)は、平成8年から3年かけて、解体修理を行った。
費用は、7000万円とあった。 大変な額。

本堂も三重塔も、江戸時代のものと説明にある。


本堂。

八起地蔵尊とあった。 大きな案内があったので、本堂の裏に見に行った。
※ この地方独特の地蔵のようだが、それ以外は、分からない。 説明の写真が失敗。

三重塔。

高さ17.6㍍。 小さい。
※ 室生寺五重塔は16㍍。 それより少し大きい。
基壇と呼ばれる、塔の下の台がないという。 ※ あるようにみえるが。
中心の柱を支えているのは、1階の梁(はり)だという。 下までないと云うことか。

※ 源頼朝の弟に、源範頼(のりより)がいる。 平家滅亡のために活躍した。
頼朝が富士山でタカ狩りをしていた時、曽我兄弟の仇討の事件があった。
この事件の直後、しばらくの間鎌倉では頼朝の消息を確認することができなかった。
頼朝の安否を心配する妻政子に対して、巻狩に参加せず鎌倉に残っていた弟源範頼が
「範頼が控えておりますので(ご安心ください)」と見舞いの言葉を送った。
この言質が謀反の疑いと取られ、範頼は伊豆修善寺に幽閉され、のちに自害したと伝えられている。(Wikipedia)
ところが、範頼はこの寺に隠れ住んだと云う説がある。 住んだ場所と言われる所もある。
範頼は、もともとこの地方を領地にしていた。
範頼の子供は助かり、その子孫が、吉見氏として続いた。 吉見町の名前は、ここから。
道の駅は、すぐ近く。 陶器市をやっていた。 かわいい鬼がいた。

最近、ガソリンが安くなってきた。 軽油が110円を切ったのを、久しぶりに見た。
安くなると助かる。

川越市に近い道の駅に来た。
近くに何かないかと探したら、今日のがあった。
コロポックルがいた方が、夢があっていい。
でも、遺跡の研究は進んでいるから、もう戻らないでしょうね。
【道の駅】 いちごの里よしみ
印の所は、吉見百穴
【明日の予定】 川越市 ※ 駐車場がはっきりしない。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は7位、 旅行全体で19位です。 放浪の旅は30位。
記事は役立ったでしょうか。
気に入った所などがありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。