岬は、観光地として寂れてるところが多い。
ところが、御前崎は、そうではなかった。
港も、御前崎市の中心街も、すぐ近くだった。
☆ ☆ ☆ ☆
御前崎は、静岡県の一番南とある。
掛川市から向かった。 岬の少し西で、たくさんの人が、ウィンドサーフィンをしていた。
帆の向きで、進む方向が変わるようだ。
手前の人は、女性かな。
※ 調べてみたら、この町には、女性のプロウィンドサーファーがいた。
ここが、御前崎の岬。
小高い山の上に、灯台。
観光の紹介。
灯台への遊歩道を登った。 逆光なので、影に入って撮影。
※ 灯台が光を放っているように撮りたかったが、うまくいかなかった。
御前埼となっている。 岬の名前と違う。
※ これについては、こうだった。
「崎」には、山が険しい意味が入っている。
「埼」は、海に陸地が出ている、と云う意味。
それで、海上保安庁は、御前埼と使う。 海図はそうなっているそう。
そんなことで、灯台も、御前埼灯台。
野島埼・観音埼・剱埼なども、埼になっている。
※ 御前先には決してならない。 これだと、御前が先に行け、になってしまう。
昔は道が険しかったかもしれないが。
灯台の上から。 岬の先端。 風が強い。
ウィンドサーフィンは、向こうの海。
ここから光を出す。 ※ 光の強さが56万カンデラとなってるが、どうイメージすればいいかが分からない。
「喜びも悲しみも幾歳月」の歌碑。 映画の舞台になった灯台は11。 石狩浜にもあった。
こんな内容の映画。 佐田啓二の息子が中井貴一だが、似てる表情をする。
こんな歌碑。 ここから東は駿河湾。 西は遠州灘だった。 ここで海は分かれていた。
散歩道を歩いてみた。
ねずみ塚広場に出た。 お話しがあった。
上の写真を撮っていたら、すぐ近くに、タヌキがいた。
何かを探しながら歩いていた。 地面の中かな。 この後、蛇も見る。 最近は、見たくない。
灯台はこのように。
展望台に出た。 写真の左下に「夕日と風が見えるん台」とある。
「恋人の聖地」になっている。
観光案内所にあったポスター。 いいことが、小さな字で書いてある。
※ 「あんた、言いたいことないの?」って言う女性もいる。 (林芙美子なら、言うか)。
震える思いで、女性だって必死かもしれない。
小さく、サーファーが見える。 風が強く波は荒い。
蟻が木の葉を運んでるのに似ている。
海沿いの道を戻った。 防波堤の上に、ひからびたフグ。 ミカンの皮を添えてみた。
波を蹴ってうねりを乗り越える。
港の近くにある、御前崎海鮮なぶら市場。 なぶらは、魚群と書くそうです。 ぶら→むら→むれ、かな。
地元の人も来ている。 安い。
これ一つ刺身にしたら、食べきれない。
食べたことないものばかり。
水槽の中。 イセエビ。
羅臼産のホッケも。 頭が小さい。 目でなく、頭を見れば、すぐ分かる。
※ 私は、マグロの刺身を買った。 500円。 全部食べられなかった。 小エビと貝の佃煮も。
観光案内所にあった。 人情の花とある。 大岡越前が言いそう。
港を少し走った。 スズキの車が並んでいた。 輸出用かな。 本社が浜松市にある。
港の釣り人。 遠くに、御前埼灯台。
岬の駐車場に戻った。 歌碑があった。
初めて聴く。 3回聴いたら、いい歌だって分かります。
岬があって、いい港が生まれた。 そして、大きな町ができた。
だから、御前崎の岬は、さびしい所ではなかった。
【停泊場所】 御前崎の岬の駐車場
【明日の予定】 西に行くが、ここという場所が見つからない。
変わった橋があるにはあるが。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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ところが、御前崎は、そうではなかった。
港も、御前崎市の中心街も、すぐ近くだった。
☆ ☆ ☆ ☆
御前崎は、静岡県の一番南とある。
掛川市から向かった。 岬の少し西で、たくさんの人が、ウィンドサーフィンをしていた。

帆の向きで、進む方向が変わるようだ。

手前の人は、女性かな。
※ 調べてみたら、この町には、女性のプロウィンドサーファーがいた。

ここが、御前崎の岬。

小高い山の上に、灯台。

観光の紹介。

灯台への遊歩道を登った。 逆光なので、影に入って撮影。
※ 灯台が光を放っているように撮りたかったが、うまくいかなかった。

御前埼となっている。 岬の名前と違う。
※ これについては、こうだった。
「崎」には、山が険しい意味が入っている。
「埼」は、海に陸地が出ている、と云う意味。
それで、海上保安庁は、御前埼と使う。 海図はそうなっているそう。
そんなことで、灯台も、御前埼灯台。
野島埼・観音埼・剱埼なども、埼になっている。
※ 御前先には決してならない。 これだと、御前が先に行け、になってしまう。
昔は道が険しかったかもしれないが。

灯台の上から。 岬の先端。 風が強い。

ウィンドサーフィンは、向こうの海。

ここから光を出す。 ※ 光の強さが56万カンデラとなってるが、どうイメージすればいいかが分からない。

「喜びも悲しみも幾歳月」の歌碑。 映画の舞台になった灯台は11。 石狩浜にもあった。

こんな内容の映画。 佐田啓二の息子が中井貴一だが、似てる表情をする。
こんな歌碑。 ここから東は駿河湾。 西は遠州灘だった。 ここで海は分かれていた。

散歩道を歩いてみた。

ねずみ塚広場に出た。 お話しがあった。


上の写真を撮っていたら、すぐ近くに、タヌキがいた。
何かを探しながら歩いていた。 地面の中かな。 この後、蛇も見る。 最近は、見たくない。

灯台はこのように。

展望台に出た。 写真の左下に「夕日と風が見えるん台」とある。
「恋人の聖地」になっている。

観光案内所にあったポスター。 いいことが、小さな字で書いてある。

※ 「あんた、言いたいことないの?」って言う女性もいる。 (林芙美子なら、言うか)。
震える思いで、女性だって必死かもしれない。
小さく、サーファーが見える。 風が強く波は荒い。

蟻が木の葉を運んでるのに似ている。

海沿いの道を戻った。 防波堤の上に、ひからびたフグ。 ミカンの皮を添えてみた。

波を蹴ってうねりを乗り越える。

港の近くにある、御前崎海鮮なぶら市場。 なぶらは、魚群と書くそうです。 ぶら→むら→むれ、かな。

地元の人も来ている。 安い。

これ一つ刺身にしたら、食べきれない。

食べたことないものばかり。

水槽の中。 イセエビ。

羅臼産のホッケも。 頭が小さい。 目でなく、頭を見れば、すぐ分かる。

※ 私は、マグロの刺身を買った。 500円。 全部食べられなかった。 小エビと貝の佃煮も。
観光案内所にあった。 人情の花とある。 大岡越前が言いそう。

港を少し走った。 スズキの車が並んでいた。 輸出用かな。 本社が浜松市にある。

港の釣り人。 遠くに、御前埼灯台。

岬の駐車場に戻った。 歌碑があった。

初めて聴く。 3回聴いたら、いい歌だって分かります。
岬があって、いい港が生まれた。 そして、大きな町ができた。
だから、御前崎の岬は、さびしい所ではなかった。
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【明日の予定】 西に行くが、ここという場所が見つからない。
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日坂宿(にっさかしゅく) は、東海道五十三次の25番目の宿場。
江戸に向かう時、日坂宿を過ぎたら、小夜の中山。 難所の峠。
その峠を上る途中に、夜泣き石があった。 それも、道の真ん中に。
また、芭蕉を初め多くの俳人や歌人が、小夜の中山で、俳句や歌を詠んでいた。
☆ ☆ ☆ ☆
今日の場所。 ※ 左の方に、ジュビロ磐田の磐田が見える。
道の駅から少し歩くと、事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)。
「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つそう。
昔から、ここにお参りして、日坂宿に入っていく。
※ 源頼義が大きな力を尽くし、八幡宮とした。 源氏の家系では、だいぶ上に。義家の父。
日坂宿は、新しい建物が多くなっている。 一部の建物が残っていた。
ここが、西の入り口。 ※ 日坂宿(Wikipedia)
入り口には、高札場があった。 藩の御定めなどを、掲げた。
秋葉常夜燈(あきはじょうやとう)。
※ 秋葉山本宮が近い。 火から守ってくれる神社。 日坂宿は、火事で苦労する歴史がある。
お地蔵さん。
旅籠屋(はたごや)。 川坂屋。 ※ 向こうから来て撮影。
立派な建物で、要人も泊っている。 繊細な作り。
中央下の書は、西郷隆盛の弟の西郷従道(つぐみち・じゅうどう)が書いた。
左は、山岡鉄舟。 右は、成瀬大域と云う人。書の大家。 ※ 成瀬大域(Wikipedia)
※ 上のような書は、頼まれるから書くんでしょうね。
書いたら、宿賃がタダになるとかあったのか・・・。
古い建物が続いた。 手前も宿。
この宿は、庶民の宿のよう。 雑魚寝か。
まだ普通に生活している。
日坂宿の地図。 左にさっきの神社。 下にある道が、小夜の中山。
日坂宿の様子。
※ 広重が書いたものだが、歌が載っていて、普通見る五十三次の版画ではない。
※ 歌は、 『あたらしく 今朝 にこにことわらび餅 をかしな春の立場なるらん』。
小夜の中山の道。 急な登りが続いた。
だいぶ登ったら、見通しが良くなった。 茶畑。 ミカンの畑は無い。
※ この峠を過ぎたら、牧ノ原台地。 全国最大の茶の生産地。
茶の工場が、山のあちこちに見えた。
夜泣き石は、明治元年まで、ここにあった。 道の真ん中に。
明治天皇が通るので、よけた。
その後、東京で博覧会があり持ちだされ、別の場所に移った。 昔も有名だったよう。
東海道五十三次の日坂宿の絵は、小夜の中山になっている。
石を興味深そうに見ている。
※ 昔の人が描いた、夜泣き石。(Wikipedia)
※ こんなお話し。
※ 更に詳しくは、Wikipediaに。
ここは、もちろん、昔の東海道だが、車が通るため、舗装になっている。 歌碑が。
芭蕉の句です。 のざらし紀行を読めば、小夜に中山で詠んだと分かるようです。
涼み松、とあった。 夜泣き石に近い。
こんな句を詠んだ。
「命なり わずかの笠の 下涼み」
※ 西行が、「年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」と歌っている。 歌碑はもっと先に。
それで、こんな解釈になるよう。
西行の「命なりけり」ではないが、いまその佐夜の中山を通過していると、ここには木陰が全くない。
喉は渇き、猛暑は容赦ない。
まさに「命なりけり」だが、その命ときたらまさに傘の下の日陰の中にかすかにあるというだけの塩梅だ。
小石姫の墓。 夜泣き石のお話しの主人公。
馬頭観音。 ある武将の馬が、ここで死んだ。 ※ この伝説があり、やっつけるため、京からやってきた。
更に歌碑が。
す~っと読めて、気持ちいい。
ナデシコ。 昨日のブログの蒼井優が、ナデシコの花かなって、以前書いたことがある。
※ それは、ここに。 遊びっぽい内容。
白山神社。 ※ この夏白山に登ったけど、そんなに立派な神社ではなかった。
さらに、こんな歌。 ※ 歌碑は、他にもあった。
ある武将が、この場所で敵をやっつけた。 あっぱれと、葬った。
※ 自分が勝ったことを、後の世に伝えるために作ったとしか思えない。
見渡す限り、茶畑。「茶」と云う字が、どこかに見えます。
これも、いいですよ。 ここから、甲斐の山が見えてるのかな。
一里塚。
見えずらいが、小さなアゲハ蝶。 ここに飛ぶ前、このチョウは、私の鼻にとまった。
決定的な写真を撮ろうとしたが、逃げた。 チョウは、落ち着きが無い。
※ 近くに小夜の中山公園があって、西行の歌碑があった。 見忘れた。
今日の目的地、久遠寺(きゅうおんじ)。
本堂の手前に、夜泣き石がある。 夜泣き石は、他にもある。
お店もある。
山内一豊は、この場所に茶室を建て、家康に茶の接待をした。
お店は、昔のまま。 建物は、350年経った。
夜泣き石のお話しで、生まれた赤ちゃんに舐めさせたという、子育て飴。
※ 4歳頃、こうやって買った記憶がある。
茶の葉を刈る機械。 別のもあった。 ここの人が、説明してくれた。
こんな道を戻った。 雨が上がった次の日の空気は、さわやか。
日坂宿も、小夜の中山も、この地に来て知りました。
まだ知らなく、いいところが、どれだけあるのやら。
【関連ブログ】 紅葉の秋葉神社 犬居城址 他 (2009/11/10)
【道の駅】 掛川
【明日の予定】 御前崎 道の駅が無い。 夜は、どこの空の下かな。
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江戸に向かう時、日坂宿を過ぎたら、小夜の中山。 難所の峠。
その峠を上る途中に、夜泣き石があった。 それも、道の真ん中に。
また、芭蕉を初め多くの俳人や歌人が、小夜の中山で、俳句や歌を詠んでいた。
☆ ☆ ☆ ☆
今日の場所。 ※ 左の方に、ジュビロ磐田の磐田が見える。
道の駅から少し歩くと、事任八幡宮(ことのままはちまんぐう)。
「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つそう。
昔から、ここにお参りして、日坂宿に入っていく。
※ 源頼義が大きな力を尽くし、八幡宮とした。 源氏の家系では、だいぶ上に。義家の父。

日坂宿は、新しい建物が多くなっている。 一部の建物が残っていた。
ここが、西の入り口。 ※ 日坂宿(Wikipedia)

入り口には、高札場があった。 藩の御定めなどを、掲げた。

秋葉常夜燈(あきはじょうやとう)。
※ 秋葉山本宮が近い。 火から守ってくれる神社。 日坂宿は、火事で苦労する歴史がある。

お地蔵さん。

旅籠屋(はたごや)。 川坂屋。 ※ 向こうから来て撮影。

立派な建物で、要人も泊っている。 繊細な作り。
中央下の書は、西郷隆盛の弟の西郷従道(つぐみち・じゅうどう)が書いた。

左は、山岡鉄舟。 右は、成瀬大域と云う人。書の大家。 ※ 成瀬大域(Wikipedia)


※ 上のような書は、頼まれるから書くんでしょうね。
書いたら、宿賃がタダになるとかあったのか・・・。
古い建物が続いた。 手前も宿。

この宿は、庶民の宿のよう。 雑魚寝か。

まだ普通に生活している。

日坂宿の地図。 左にさっきの神社。 下にある道が、小夜の中山。

日坂宿の様子。
※ 広重が書いたものだが、歌が載っていて、普通見る五十三次の版画ではない。
※ 歌は、 『あたらしく 今朝 にこにことわらび餅 をかしな春の立場なるらん』。

小夜の中山の道。 急な登りが続いた。


だいぶ登ったら、見通しが良くなった。 茶畑。 ミカンの畑は無い。
※ この峠を過ぎたら、牧ノ原台地。 全国最大の茶の生産地。
茶の工場が、山のあちこちに見えた。

夜泣き石は、明治元年まで、ここにあった。 道の真ん中に。
明治天皇が通るので、よけた。
その後、東京で博覧会があり持ちだされ、別の場所に移った。 昔も有名だったよう。

東海道五十三次の日坂宿の絵は、小夜の中山になっている。

石を興味深そうに見ている。

※ 昔の人が描いた、夜泣き石。(Wikipedia)
※ こんなお話し。

※ 更に詳しくは、Wikipediaに。
ここは、もちろん、昔の東海道だが、車が通るため、舗装になっている。 歌碑が。

芭蕉の句です。 のざらし紀行を読めば、小夜に中山で詠んだと分かるようです。

涼み松、とあった。 夜泣き石に近い。
こんな句を詠んだ。
「命なり わずかの笠の 下涼み」

※ 西行が、「年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」と歌っている。 歌碑はもっと先に。
それで、こんな解釈になるよう。
西行の「命なりけり」ではないが、いまその佐夜の中山を通過していると、ここには木陰が全くない。
喉は渇き、猛暑は容赦ない。
まさに「命なりけり」だが、その命ときたらまさに傘の下の日陰の中にかすかにあるというだけの塩梅だ。
小石姫の墓。 夜泣き石のお話しの主人公。

馬頭観音。 ある武将の馬が、ここで死んだ。 ※ この伝説があり、やっつけるため、京からやってきた。

更に歌碑が。

す~っと読めて、気持ちいい。

ナデシコ。 昨日のブログの蒼井優が、ナデシコの花かなって、以前書いたことがある。
※ それは、ここに。 遊びっぽい内容。

白山神社。 ※ この夏白山に登ったけど、そんなに立派な神社ではなかった。

さらに、こんな歌。 ※ 歌碑は、他にもあった。


ある武将が、この場所で敵をやっつけた。 あっぱれと、葬った。
※ 自分が勝ったことを、後の世に伝えるために作ったとしか思えない。

見渡す限り、茶畑。「茶」と云う字が、どこかに見えます。

これも、いいですよ。 ここから、甲斐の山が見えてるのかな。

一里塚。

見えずらいが、小さなアゲハ蝶。 ここに飛ぶ前、このチョウは、私の鼻にとまった。
決定的な写真を撮ろうとしたが、逃げた。 チョウは、落ち着きが無い。

※ 近くに小夜の中山公園があって、西行の歌碑があった。 見忘れた。
今日の目的地、久遠寺(きゅうおんじ)。
本堂の手前に、夜泣き石がある。 夜泣き石は、他にもある。

お店もある。

山内一豊は、この場所に茶室を建て、家康に茶の接待をした。

お店は、昔のまま。 建物は、350年経った。

夜泣き石のお話しで、生まれた赤ちゃんに舐めさせたという、子育て飴。
※ 4歳頃、こうやって買った記憶がある。

茶の葉を刈る機械。 別のもあった。 ここの人が、説明してくれた。

こんな道を戻った。 雨が上がった次の日の空気は、さわやか。

日坂宿も、小夜の中山も、この地に来て知りました。
まだ知らなく、いいところが、どれだけあるのやら。
【関連ブログ】 紅葉の秋葉神社 犬居城址 他 (2009/11/10)
【道の駅】 掛川
【明日の予定】 御前崎 道の駅が無い。 夜は、どこの空の下かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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