江の父は、浅井長政。 信長に滅ぼされる。
信長の妹である、母の市は、江たち3姉妹を連れて、戦乱の中、小谷城を出る。
浅井長政の戒名は、養源院天英宗清。
今日行ったお寺は、養源院(ようげんいん)
3姉妹の一番上の淀殿が、父を弔って、建てた。
しかし、火事で焼けた。
再建したのは、江。 秀忠の夫人になっていた、1621年のこと。
江の肖像画は、この世に、1枚しか存在しない。
それが、養源院にある。 特別公開中で、見ることが出来た。
大河ドラマで扱ってもらえたせいか、ほんのりと、微笑んでいるように見えた。
☆ ☆ ☆ ☆
東福寺の駅から、歩いた。
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)があった。
見てる人がいたので、入ってみた。
巨大なクスノキ。
小さな神社。 平安末期、後白河法皇によって建立。
熊野神社は、京都に3つあるそう。
熊野古道入り口とある。 ミニ熊野古道か。 ※ 木は、今の皇太子が植えたとあった。
去年かな、歩いたのは。 1日20㌔ずつ3日歩いた。 面白い温泉もあっった。
入り口。
左は、滝尻王子。 現地では、滝尻王子という神社があった。 熊野古道の出発点。
右は、発心門王子。 発心門王子の神社は、熊野本宮大社の8㌔程手前にある。
ヤタガラス。 足が3本。
三十三間堂の向かい側に、養源院はあった。 手前の門は、高貴な人専用かな。
血天井とある。
説明。 江は、淀殿の妹とある。 今後は、こういう説明はいらなくなる。 江は江。
参道。 正面に本堂。
江が建てた時の建物。 ※ 秀忠に頼んで、建ててもらった。
肖像画の特別公開。 いい時に来た。
参拝料500円。 写真はダメ。 仕方ない。
お寺の人が説明してくれた。 廊下や部屋ごとに。 私は、15人位の人達と一緒に。
説明はみんな静かに聞いた。
別のグループは、うるさかった。
団体。 道を歩く時と同じ大きさの声で、寺の中でも話していた。
最後は、寺の人が、大きな声で注意した。
肖像画は、江の他に、淀君と秀頼のがあった。
※ 秀頼のは、教科書の資料とかで使われてる物だった。
これが、江。 かすかな微笑み。 目つき、口元は、賢そう。 ※ 写真は、Wikipedia。
俵屋宗達の絵、うぐいす張りの廊下、血天井、徳川家の位牌、などがあった。
このHPに絵などの写真が載っている。
血天井は他にもあるけど、養源院のは生々しかった。
鳥居元忠は、伏見城を守っていた。 関ヶ原の少し前。
家康が上杉景勝をやっつけるため、会津に向かっていた。
その隙に、石田三成の軍が、城を取り囲んだ。 その数4万。 城の中には、1800。
1800人もだんだん減って、380人になった。
その段階で、みんな自害した。
伏見城の廊下は血の海。 城は10日以上持ちこたえて、8月1日に落城。
関ヶ原の戦いが9月15日。
遺体が葬られるのが、関ヶ原の後で、2カ月放置された。
床板に浸みた血や油は、洗っても取れなかった。
弔うため、廊下の天井に使った。 養源院の他に、6つの寺にも、伏見城の血天井はある。
下の寺は、百万遍知恩寺(京都市左京区)。 鳥居元忠の墓がある。
昨日通った。 写真だけ、撮ってあった。
※ 時間がなくなったので、簡単に。
養源院本堂。 横の方。
ヤマモモの大木。 秀吉が伏見城内に植えたのを移植したとあった。
江は、秀吉が嫌いだと説明にあった。 どうしてだろう。
三姉妹の兄は殺されてるが、殺したのは秀吉。 その恨みかな。
お市がいくら頼んでもダメだった。
私達は、この門は使えない。
三十三間堂。 兵の隙間から撮影。
同じく、三十三間堂。
法住寺。 木の枝が面白い。 後白河上皇と、かかわりの深い寺。
池田屋事件の時、龍馬たちは、この辺りに住んでいたそう。
お龍と知り合ったのも、この辺りと説明がある。
池田屋事件によって、新撰組の手柄が浮き彫りになった。
この池田屋事件については、新撰組の資料に基づいたものが、歴史になっている。
だから、少し怪しい事件。
説明。
東福寺駅前の道。 駅がどこにあるか、気づかないで通り過ぎてしまう。
江は、徳川和子を生んでいる。 後水尾天皇女御として入内(後に中宮)。
第109代明正天皇の母になる。 江は、天皇のおばあちゃん。
江の血は、徳川家、天皇家につながって行く。
歴史の上で、存在の大きな人。
昨日、江の供養塔を見たので、養源院に行ってみた。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 嵐山まで歩く。 山越え。 15㌔くらいかな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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信長の妹である、母の市は、江たち3姉妹を連れて、戦乱の中、小谷城を出る。
浅井長政の戒名は、養源院天英宗清。
今日行ったお寺は、養源院(ようげんいん)
3姉妹の一番上の淀殿が、父を弔って、建てた。
しかし、火事で焼けた。
再建したのは、江。 秀忠の夫人になっていた、1621年のこと。
江の肖像画は、この世に、1枚しか存在しない。
それが、養源院にある。 特別公開中で、見ることが出来た。
大河ドラマで扱ってもらえたせいか、ほんのりと、微笑んでいるように見えた。
☆ ☆ ☆ ☆
東福寺の駅から、歩いた。
新熊野神社(いまくまのじんじゃ)があった。
見てる人がいたので、入ってみた。
巨大なクスノキ。

小さな神社。 平安末期、後白河法皇によって建立。

熊野神社は、京都に3つあるそう。

熊野古道入り口とある。 ミニ熊野古道か。 ※ 木は、今の皇太子が植えたとあった。
去年かな、歩いたのは。 1日20㌔ずつ3日歩いた。 面白い温泉もあっった。

入り口。

左は、滝尻王子。 現地では、滝尻王子という神社があった。 熊野古道の出発点。
右は、発心門王子。 発心門王子の神社は、熊野本宮大社の8㌔程手前にある。

ヤタガラス。 足が3本。

三十三間堂の向かい側に、養源院はあった。 手前の門は、高貴な人専用かな。

血天井とある。

説明。 江は、淀殿の妹とある。 今後は、こういう説明はいらなくなる。 江は江。

参道。 正面に本堂。

江が建てた時の建物。 ※ 秀忠に頼んで、建ててもらった。

肖像画の特別公開。 いい時に来た。

参拝料500円。 写真はダメ。 仕方ない。
お寺の人が説明してくれた。 廊下や部屋ごとに。 私は、15人位の人達と一緒に。
説明はみんな静かに聞いた。
別のグループは、うるさかった。
団体。 道を歩く時と同じ大きさの声で、寺の中でも話していた。
最後は、寺の人が、大きな声で注意した。
肖像画は、江の他に、淀君と秀頼のがあった。
※ 秀頼のは、教科書の資料とかで使われてる物だった。
これが、江。 かすかな微笑み。 目つき、口元は、賢そう。 ※ 写真は、Wikipedia。

俵屋宗達の絵、うぐいす張りの廊下、血天井、徳川家の位牌、などがあった。
このHPに絵などの写真が載っている。
血天井は他にもあるけど、養源院のは生々しかった。
鳥居元忠は、伏見城を守っていた。 関ヶ原の少し前。
家康が上杉景勝をやっつけるため、会津に向かっていた。
その隙に、石田三成の軍が、城を取り囲んだ。 その数4万。 城の中には、1800。
1800人もだんだん減って、380人になった。
その段階で、みんな自害した。
伏見城の廊下は血の海。 城は10日以上持ちこたえて、8月1日に落城。
関ヶ原の戦いが9月15日。
遺体が葬られるのが、関ヶ原の後で、2カ月放置された。
床板に浸みた血や油は、洗っても取れなかった。
弔うため、廊下の天井に使った。 養源院の他に、6つの寺にも、伏見城の血天井はある。
下の寺は、百万遍知恩寺(京都市左京区)。 鳥居元忠の墓がある。
昨日通った。 写真だけ、撮ってあった。

※ 時間がなくなったので、簡単に。
養源院本堂。 横の方。

ヤマモモの大木。 秀吉が伏見城内に植えたのを移植したとあった。

江は、秀吉が嫌いだと説明にあった。 どうしてだろう。
三姉妹の兄は殺されてるが、殺したのは秀吉。 その恨みかな。
お市がいくら頼んでもダメだった。
私達は、この門は使えない。

三十三間堂。 兵の隙間から撮影。

同じく、三十三間堂。

法住寺。 木の枝が面白い。 後白河上皇と、かかわりの深い寺。

池田屋事件の時、龍馬たちは、この辺りに住んでいたそう。
お龍と知り合ったのも、この辺りと説明がある。

池田屋事件によって、新撰組の手柄が浮き彫りになった。
この池田屋事件については、新撰組の資料に基づいたものが、歴史になっている。
だから、少し怪しい事件。

説明。

東福寺駅前の道。 駅がどこにあるか、気づかないで通り過ぎてしまう。

江は、徳川和子を生んでいる。 後水尾天皇女御として入内(後に中宮)。
第109代明正天皇の母になる。 江は、天皇のおばあちゃん。
江の血は、徳川家、天皇家につながって行く。
歴史の上で、存在の大きな人。
昨日、江の供養塔を見たので、養源院に行ってみた。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 嵐山まで歩く。 山越え。 15㌔くらいかな。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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