その町の人しか、知らないかもしれない。
有名でも観光地でもない、静かな所を歩いてみた。
☆ ☆ ☆ ☆
京都から日本海に行く道は5つ。
① 琵琶湖の東を走る、国道8号線。 並走するように高速もある。
② 琵琶湖の西を走る、国道161号線。 ①②のどちらかで、富山や新潟へ。
③ 大原から出る、国道367号線。 鯖街道と言われる。 小浜や敦賀へ。
④ 高雄から出る、国道162号線。 周山道路。 小浜へ。
⑤ 亀岡を通る、国道9号線。 京丹波から国道27が分岐。 鳥取や天橋立へ。
※ 鞍馬から美山に出る道もある。 冬は通行止め。
今日走った道は、周山道路から⑤の国道27へ横断する道。 由良川沿い。
京都と日本海の真ん中辺り。
野々村 仁清(ののむら にんせい)の生誕地とある。
国宝の陶器を作っているとあったので、寄ってみた。
南丹市の美山町の大野地区。
「けんか田」という田んぼがあるので、行ってみた。
昔、農民と役人が、田んぼの広さで喧嘩した。
役人に逆らったと云うことで、首を切られそうになったが、助けた尼さんがいた。
その尼さんは、役人の乳母だったとある。
春日局も家光の乳母。 乳母は、育てられた者にとっては大きな存在のよう。
妙林尼には、改宗を条件に、願いを聞いてもらった。
もっと面白く話が発展していないか調べてみたが、なかった。
※ 妙林尼という名前では、歴史上活躍した人がいるが、別人のよう。
野々村仁清の生家が残っているので、向かった。
途中にあった家。
この地域にも、かやぶきの家が数軒残っていた。
ほとんどの家がこう。 瓦に見えるが、鉄板。
ダイコンが干してあった。 こんな風景がいい。
野々村仁清の生家は、集落の一番上の方にあった。
この人は、江戸時代前期の陶工。 篠山や瀬戸で修業後、京都で活躍する。
残っている作品の中で、2つが国宝。 (写真は、MOA美術館のHP他)
左は、色絵藤花図茶壺(石川県立美術館)。 右は、色絵雉香炉(MOA美術館)
野々村仁清の特徴は、こうだった。
それまでの陶工は、職人。 この人は、自分の作品に「仁清」と名前を入れた。
このことにより、作品の価値が高まっていった。
今では当たり前のことだが、この人がスタート。 ※ 詳しくは、Wikipediaに。
中は、昔のままではなく、今風の住宅。 天井は、こうなっていた。
明るい所が、煙の出るところ。
三角の上の部分が、煙の出口。
庭の花。
隣の家の人が、庭で、片づけのようなことをしていた。 私より年配。
何してるんですか、と聞いた。 待っている、と言った。
お昼御飯を待っているんですか、と聞いた。
あの世からのお呼びを待っている、と言った。 なかなか面白い。
その人が子供の頃は、家は115戸ほどあって、かやぶきは80戸。
今は、3戸。 どうして減ったかを聞いた。
かやぶきに使う茅(かや)は、ここから10㌔程山の中にある。
そこは、木を植えないで、カヤを植えてる場所。
刈って持ってくるには、多くの人出がいる。
若い人が街に出て、じじばばだけでは出来なくなった。
昔は、夕方になるとどこの家からも、三角の所から煙が出た。
そこに、お寺の鐘がなった。
のどかなもんだ。
男の人は、そう言って昔を懐かしんだ。
いろりの煙、かまどの煙、それが茅葺の屋根を燻(いぶ)した。
屋根のカヤは、炭化した。 50年は持ちこたえた。
そう、教えてくれた。 今は、よくて20年だと云う。
野々村仁清さんのことを話していたら、最後にこう言った。
「昔のことを伝えて、みんな喜んでいる。 何にもならんこっちゃけどね」
このとうさんの言う通りで、考えの行き着くところはここ。
私は、この考えは、いつも心の奥底に仕舞ってある。
面白さをやっと見つけて、旅を続けている感じもする。
人に出会った時、楽しさはふくらむ。
とうさんにお礼を言って戻った。
まだ野菜が育っている。
鉄板で囲われた屋根は、好きになれない。
中の茅葺が、息が出来ないで苦しそう。
一枝だけが、紅葉。
数㌔走って、山に入った。 駐車場から下を。
国の重要文化財。
奥の茅葺の家は、日本で一番古い。 (作られた年代の分かっている中で)
一番と云う中には、客観的でなく、自分たちだけが言ってる物も多い。
ずっと疑っていた。 ネットで調べても、見つからない。 Wikipediaにもない。
※ 個人のブログに書いてるのは、いっぱい見つかる。
でもそれは、ここで言ってるのを引用しているので、参考にならない。
でも、見つかった。 文化庁のHPに書いてあった。
間違いなく、日本一古い。 信用して大丈夫。
管理人が留守で、入れない。
柱に古さを感じますね。
屋根しか見えない。 屋根はふき替えるから、昔のではない。
下をのぞいたら、こう。
京丹波町の道の駅に向かった。 車を置いて、街を歩くことに。
古い町並みがあると聞いたけど、これなら、古い家の町並み。
丘の上への道。 行ってみた。
境内禁葷酒。 以前見たことあるけど、思い出せない。
どんな酒なんだろうと思ったが、そういうことではなさそう。
調べたら、こうだった。
読みは、きんくんしゅ。
ニンニクなどの強い匂いの物や酒を飲んだ人は、ここから入ってはいけません。 こういう意味だった。
漢語では、「くん酒 山門に入るべからず」と読む。
干柿。 おいしい。 そう云う季節。
旧須知小学校。 須知はしゅうちと読む。 ここは、ずっと昔、須知村だった。
この地方で、一番古い小学校だそう。 今は、児童館や集会に。
戻って、こんな家。 古い家が、点で残っている。
旅館。
昔の街道。 山陰道。 京丹波町の中心地で、須知地区。
左の大きな建物は、以前、酒屋だった。
隣の人が、落ち葉を掃いていた。
儲けた人達は、京の祇園で遊んだのか。
使わなくなった建物は、急速に傷んでいく。
採らないで残っている柿。 こんな木が多い。 小鳥にとっては有り難い。
神社。 お稲荷さん。
大きな木の麓から、湧水が出ていた。
説明に「こんこんと湧き出ている」とあった。
きつねだから「こんこん」ではなく、湧水の説明では、この表現はよく使う。
漢字でかくと「滾滾」。 滾は、滾(たぎ)ると読めて、煮え滾るで使う。(ネットの辞書)
※ 冷たいのと熱いのと、両方で使える。 滾るは、ブクブクしたイメージでしょうか。
有名でなくていいから、面白い話に出会いたい。
そう思って、色んな物を見に行きます。
【今日の歌】 最近のニュースから。
① シリアで強権政治が続いている。 デモ隊の死者が4000人になったそう。
国を良くするのは、大変。
※ そんな中で、スーチーさんの笑顔の写真があった。
曲は、久しぶりに、これ。
② 立川談志の葬儀で流れた曲。 ザッツ・ア・プレンティ。 ジャズです。
【道の駅】 丹波マーケス
【明日の予定】 くろいの里を歩こうかと。 丹波市。
春日局のふるさとです。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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有名でも観光地でもない、静かな所を歩いてみた。
☆ ☆ ☆ ☆
京都から日本海に行く道は5つ。
① 琵琶湖の東を走る、国道8号線。 並走するように高速もある。
② 琵琶湖の西を走る、国道161号線。 ①②のどちらかで、富山や新潟へ。
③ 大原から出る、国道367号線。 鯖街道と言われる。 小浜や敦賀へ。
④ 高雄から出る、国道162号線。 周山道路。 小浜へ。
⑤ 亀岡を通る、国道9号線。 京丹波から国道27が分岐。 鳥取や天橋立へ。
※ 鞍馬から美山に出る道もある。 冬は通行止め。
今日走った道は、周山道路から⑤の国道27へ横断する道。 由良川沿い。
京都と日本海の真ん中辺り。
野々村 仁清(ののむら にんせい)の生誕地とある。
国宝の陶器を作っているとあったので、寄ってみた。
南丹市の美山町の大野地区。

「けんか田」という田んぼがあるので、行ってみた。

昔、農民と役人が、田んぼの広さで喧嘩した。
役人に逆らったと云うことで、首を切られそうになったが、助けた尼さんがいた。

その尼さんは、役人の乳母だったとある。
春日局も家光の乳母。 乳母は、育てられた者にとっては大きな存在のよう。
妙林尼には、改宗を条件に、願いを聞いてもらった。
もっと面白く話が発展していないか調べてみたが、なかった。
※ 妙林尼という名前では、歴史上活躍した人がいるが、別人のよう。
野々村仁清の生家が残っているので、向かった。
途中にあった家。
この地域にも、かやぶきの家が数軒残っていた。

ほとんどの家がこう。 瓦に見えるが、鉄板。

ダイコンが干してあった。 こんな風景がいい。

野々村仁清の生家は、集落の一番上の方にあった。

この人は、江戸時代前期の陶工。 篠山や瀬戸で修業後、京都で活躍する。
残っている作品の中で、2つが国宝。 (写真は、MOA美術館のHP他)
左は、色絵藤花図茶壺(石川県立美術館)。 右は、色絵雉香炉(MOA美術館)


野々村仁清の特徴は、こうだった。
それまでの陶工は、職人。 この人は、自分の作品に「仁清」と名前を入れた。
このことにより、作品の価値が高まっていった。
今では当たり前のことだが、この人がスタート。 ※ 詳しくは、Wikipediaに。
中は、昔のままではなく、今風の住宅。 天井は、こうなっていた。
明るい所が、煙の出るところ。

三角の上の部分が、煙の出口。

庭の花。

隣の家の人が、庭で、片づけのようなことをしていた。 私より年配。
何してるんですか、と聞いた。 待っている、と言った。
お昼御飯を待っているんですか、と聞いた。
あの世からのお呼びを待っている、と言った。 なかなか面白い。
その人が子供の頃は、家は115戸ほどあって、かやぶきは80戸。
今は、3戸。 どうして減ったかを聞いた。
かやぶきに使う茅(かや)は、ここから10㌔程山の中にある。
そこは、木を植えないで、カヤを植えてる場所。
刈って持ってくるには、多くの人出がいる。
若い人が街に出て、じじばばだけでは出来なくなった。
昔は、夕方になるとどこの家からも、三角の所から煙が出た。
そこに、お寺の鐘がなった。
のどかなもんだ。
男の人は、そう言って昔を懐かしんだ。
いろりの煙、かまどの煙、それが茅葺の屋根を燻(いぶ)した。
屋根のカヤは、炭化した。 50年は持ちこたえた。
そう、教えてくれた。 今は、よくて20年だと云う。
野々村仁清さんのことを話していたら、最後にこう言った。
「昔のことを伝えて、みんな喜んでいる。 何にもならんこっちゃけどね」
このとうさんの言う通りで、考えの行き着くところはここ。
私は、この考えは、いつも心の奥底に仕舞ってある。
面白さをやっと見つけて、旅を続けている感じもする。
人に出会った時、楽しさはふくらむ。
とうさんにお礼を言って戻った。
まだ野菜が育っている。
鉄板で囲われた屋根は、好きになれない。
中の茅葺が、息が出来ないで苦しそう。

一枝だけが、紅葉。

数㌔走って、山に入った。 駐車場から下を。

国の重要文化財。
奥の茅葺の家は、日本で一番古い。 (作られた年代の分かっている中で)
一番と云う中には、客観的でなく、自分たちだけが言ってる物も多い。
ずっと疑っていた。 ネットで調べても、見つからない。 Wikipediaにもない。
※ 個人のブログに書いてるのは、いっぱい見つかる。
でもそれは、ここで言ってるのを引用しているので、参考にならない。
でも、見つかった。 文化庁のHPに書いてあった。
間違いなく、日本一古い。 信用して大丈夫。
管理人が留守で、入れない。

柱に古さを感じますね。

屋根しか見えない。 屋根はふき替えるから、昔のではない。

下をのぞいたら、こう。

京丹波町の道の駅に向かった。 車を置いて、街を歩くことに。
古い町並みがあると聞いたけど、これなら、古い家の町並み。

丘の上への道。 行ってみた。

境内禁葷酒。 以前見たことあるけど、思い出せない。
どんな酒なんだろうと思ったが、そういうことではなさそう。
調べたら、こうだった。
読みは、きんくんしゅ。
ニンニクなどの強い匂いの物や酒を飲んだ人は、ここから入ってはいけません。 こういう意味だった。
漢語では、「くん酒 山門に入るべからず」と読む。

干柿。 おいしい。 そう云う季節。

旧須知小学校。 須知はしゅうちと読む。 ここは、ずっと昔、須知村だった。
この地方で、一番古い小学校だそう。 今は、児童館や集会に。

戻って、こんな家。 古い家が、点で残っている。

旅館。

昔の街道。 山陰道。 京丹波町の中心地で、須知地区。
左の大きな建物は、以前、酒屋だった。
隣の人が、落ち葉を掃いていた。
儲けた人達は、京の祇園で遊んだのか。

使わなくなった建物は、急速に傷んでいく。

採らないで残っている柿。 こんな木が多い。 小鳥にとっては有り難い。

神社。 お稲荷さん。
大きな木の麓から、湧水が出ていた。
説明に「こんこんと湧き出ている」とあった。
きつねだから「こんこん」ではなく、湧水の説明では、この表現はよく使う。
漢字でかくと「滾滾」。 滾は、滾(たぎ)ると読めて、煮え滾るで使う。(ネットの辞書)
※ 冷たいのと熱いのと、両方で使える。 滾るは、ブクブクしたイメージでしょうか。

有名でなくていいから、面白い話に出会いたい。
そう思って、色んな物を見に行きます。
【今日の歌】 最近のニュースから。
① シリアで強権政治が続いている。 デモ隊の死者が4000人になったそう。
国を良くするのは、大変。
※ そんな中で、スーチーさんの笑顔の写真があった。

曲は、久しぶりに、これ。
② 立川談志の葬儀で流れた曲。 ザッツ・ア・プレンティ。 ジャズです。
【道の駅】 丹波マーケス
【明日の予定】 くろいの里を歩こうかと。 丹波市。
春日局のふるさとです。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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