関門海峡の下にある、海底トンネルを歩いた。
海底の国道2号線は、車道と人道の2層構造になっていた。
県境は、トンネルの真ん中に。
今日は、takarinnさんに、門司区と小倉区を案内していただいた。
※ ※ ※ ※
関門海峡には、橋の他に、国道トンネル、鉄道トンネル、新幹線トンネルがあった。
関門橋の下近くにある、和布刈(めかり)神社。
平氏は、壇ノ浦の決戦前夜、戦勝祈願に来たとある。 1185年3月23日のこと。
下の写真の、向こう岸の右隅が、壇ノ浦。
目の前の狭い海に、平氏の船500、源氏の船800が、ひしめき合っていた。 ※ もっと多い説もある。
こんな様子。(Wiki)
関門トンネルには、人が歩ける「人道」があった。 知らなかった。
エレベーターで降りて、それから歩いた。 すこしずつ下っている。
中間。 県境。 ここから、ゆっくり登る。
寒くないので、マラソンの練習をしている学生さんとかがいた。
壇ノ浦に出てきた。
※ 壇ノ浦の戦いと言うが、壇ノ浦の前の海で戦ったという意味。 陸から矢を放ったりもして。
長州砲のレプリカ。 ここから、外国の船に発砲した。 後に反撃されて、全部奪われた。
こんな様子。
安徳天皇入水の地と。 7歳で。
母の建礼門院は助けられて、京都の寂光院で、安徳天皇と一門の菩提を弔った。
この後、takarinnさんの車で動いた。 ここは、平和パゴダ。
※ 第二次世界大戦戦没者をまつり、世界平和を祈るため、 ビルマ政府仏教会と日本側有志により昭和33年に建立されたもの。
ビルマ式寺院。 現在は、閉鎖。
和布刈公園の山の上。 門司城跡。
山を下りる途中にあった壁画。 壇ノ浦の戦い。
手前の船に乗っているのが、安徳天皇か。 左の助けられてるのが、建礼門院のよう。 (説明はない)
上の近くから見た、関門橋。
レトロ地区。
右奥は、下関の市街地。 ○の中に、巌流島。
この後、小倉にあるTOTOの歴史資料館へ。 本社は、小倉にあった。
トイレに関する物を、展示。
※ ここで思い出したことがあった。
歌人の柳原白蓮は、九州の炭鉱王に嫁いだ。 そこで準備されていたのは、九州で最初の水洗トイレ。
柳原白蓮は、大正天皇とは従妹の関係。
なお、先日紹介した九条武子と一緒に、歌人の佐々木信綱に師事していた。 同人誌『心の花』を通じて親しく交流。
陶器の展示館もあった。
下のには、マッチを入れるところが。
小倉城跡。 建物は、鉄筋コンクリートの城。
※ 今後、鉄筋コンクリートの城は、新しくはできないのではと、思うかな。
お金をかけて木造で復元したら、100年以上もつし、価値もある。
鉄筋コンクリートなら、50年ほどでダメになるのでは。
建物の中は、資料館だった。
昔の町並み。 望遠鏡でのぞける。 目の前なのに。
籠。 乗ってもいい。 肘かけ、背もたれ、狭くても贅沢。 前にテレビがあれば、退屈しない。
眼中島の決闘の説明。 小次郎の流派が巌流島、とある。
手前は、武蔵の木刀。 真ん中は、小次郎の剣。 奥は、普通の剣。
どれも重い。 相当の体力が無いと、振り回せない。
天守の最上階から。
この後、松本清張記念館に。 写真は撮れなかった。
手向山(たむけやま)の頂上への途中に、宮本伊織の墓があった。 この人は、宮本武蔵の養子。
頂上に、宮本武蔵の碑。 宮本伊織が作った。
※ 伊織は16歳の時、島原の乱の戦いに行って、大活躍している。
関連ブログ 明日を信じた人々の戦い「島原の乱」 他 (5月7日 晩)
門司港に戻って来た。 ○の中に、巌流島。
ちょうど、日が沈む時だった。
今日は、takarinnさんのお陰で、私は楽。
晩は、私の車で夕食。 途中で買い物して。
そうそう、昼食は、うどんのお店に。 これが美味しかった。 しょっぱくない、濃い味。
肉うどんに、ごぼう天を載せて。
【今日の歌】
心の花。 作詞は、五木寛之。
※ 上の方で出てきた「心の花」とは関係ないが、同じ名前なので、今日はこの歌。
望郷も。
【停泊場所】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 巌流島他
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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海底の国道2号線は、車道と人道の2層構造になっていた。
県境は、トンネルの真ん中に。
今日は、takarinnさんに、門司区と小倉区を案内していただいた。
※ ※ ※ ※
関門海峡には、橋の他に、国道トンネル、鉄道トンネル、新幹線トンネルがあった。
関門橋の下近くにある、和布刈(めかり)神社。

平氏は、壇ノ浦の決戦前夜、戦勝祈願に来たとある。 1185年3月23日のこと。

下の写真の、向こう岸の右隅が、壇ノ浦。
目の前の狭い海に、平氏の船500、源氏の船800が、ひしめき合っていた。 ※ もっと多い説もある。
こんな様子。(Wiki)

関門トンネルには、人が歩ける「人道」があった。 知らなかった。

エレベーターで降りて、それから歩いた。 すこしずつ下っている。

中間。 県境。 ここから、ゆっくり登る。
寒くないので、マラソンの練習をしている学生さんとかがいた。

壇ノ浦に出てきた。
※ 壇ノ浦の戦いと言うが、壇ノ浦の前の海で戦ったという意味。 陸から矢を放ったりもして。

長州砲のレプリカ。 ここから、外国の船に発砲した。 後に反撃されて、全部奪われた。

こんな様子。

安徳天皇入水の地と。 7歳で。
母の建礼門院は助けられて、京都の寂光院で、安徳天皇と一門の菩提を弔った。

この後、takarinnさんの車で動いた。 ここは、平和パゴダ。
※ 第二次世界大戦戦没者をまつり、世界平和を祈るため、 ビルマ政府仏教会と日本側有志により昭和33年に建立されたもの。
ビルマ式寺院。 現在は、閉鎖。

和布刈公園の山の上。 門司城跡。

山を下りる途中にあった壁画。 壇ノ浦の戦い。

手前の船に乗っているのが、安徳天皇か。 左の助けられてるのが、建礼門院のよう。 (説明はない)

上の近くから見た、関門橋。

レトロ地区。

右奥は、下関の市街地。 ○の中に、巌流島。

この後、小倉にあるTOTOの歴史資料館へ。 本社は、小倉にあった。
トイレに関する物を、展示。

※ ここで思い出したことがあった。
歌人の柳原白蓮は、九州の炭鉱王に嫁いだ。 そこで準備されていたのは、九州で最初の水洗トイレ。
柳原白蓮は、大正天皇とは従妹の関係。
なお、先日紹介した九条武子と一緒に、歌人の佐々木信綱に師事していた。 同人誌『心の花』を通じて親しく交流。
陶器の展示館もあった。
下のには、マッチを入れるところが。

小倉城跡。 建物は、鉄筋コンクリートの城。
※ 今後、鉄筋コンクリートの城は、新しくはできないのではと、思うかな。
お金をかけて木造で復元したら、100年以上もつし、価値もある。
鉄筋コンクリートなら、50年ほどでダメになるのでは。

建物の中は、資料館だった。
昔の町並み。 望遠鏡でのぞける。 目の前なのに。

籠。 乗ってもいい。 肘かけ、背もたれ、狭くても贅沢。 前にテレビがあれば、退屈しない。

眼中島の決闘の説明。 小次郎の流派が巌流島、とある。

手前は、武蔵の木刀。 真ん中は、小次郎の剣。 奥は、普通の剣。
どれも重い。 相当の体力が無いと、振り回せない。

天守の最上階から。

この後、松本清張記念館に。 写真は撮れなかった。
手向山(たむけやま)の頂上への途中に、宮本伊織の墓があった。 この人は、宮本武蔵の養子。

頂上に、宮本武蔵の碑。 宮本伊織が作った。

※ 伊織は16歳の時、島原の乱の戦いに行って、大活躍している。
関連ブログ 明日を信じた人々の戦い「島原の乱」 他 (5月7日 晩)
門司港に戻って来た。 ○の中に、巌流島。

ちょうど、日が沈む時だった。

今日は、takarinnさんのお陰で、私は楽。
晩は、私の車で夕食。 途中で買い物して。
そうそう、昼食は、うどんのお店に。 これが美味しかった。 しょっぱくない、濃い味。
肉うどんに、ごぼう天を載せて。
【今日の歌】
心の花。 作詞は、五木寛之。
※ 上の方で出てきた「心の花」とは関係ないが、同じ名前なので、今日はこの歌。
望郷も。
【停泊場所】 昨晩に同じ。
【明日の予定】 巌流島他
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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