石橋を残す価値はあるのか。
そのことを整理しなければ、残すことはむずかしい。
世知原町は、残す価値に今は気づいているけど、少し遅かった。
そのために、全体は、いい状態ではなかった。
ゴッドファーザーの画像に、いい曲がついているのがあった。
何年も、誰が歌っているのか分からなかった。 それで、大騒ぎ。
今日調べたら、曲名・歌手名が分かっていた。
※ ※ ※ ※
世知原は、せちばる、と読みます。 伊万里に近い。
世知原町全体。 石橋が17基残っている。 この町は、お茶の産地。
今日見たのは、下の橋。 気付かないで、通り過ぎたのもあるよう。
曲川(まがりかわ)橋が、見えた。
昭和2年とある。 石橋にしては、新しい。
この後、私は橋を見つけられなかった。 どうしてか。
石橋の幅は、3.5㍍。 石橋の上に、新しい橋が載っていた。 幅は、5㍍程。
このように、石橋は中に隠れていた。
別の橋。 岩下橋。 これも昭和2年で、上の橋と似ている。
橋の美しさが、残っている。 水量が多い時のために、横にバイパスのような水路も。
石橋が大事にされたなって、感じる。
祝(いわい)橋。 佐々川の本流に架かっている。 昭和37年改良とあった。
深い谷。 この地方の地層は、浸食しやすいのでしょうか。
ここも、石橋は、新しい橋より狭い。
昭和37年といえば、これからという時代で、古いものを大事にする時代ではなかったか。
ここは、弦掛(つるかけ)観音。 大きな岩の中。
昔、松浦軍がこの山で有馬軍と戦った。 弓に弦をこの場所で掛けた。 それで、弦掛。
戦いで亡くなった人の千人塚があって、その霊を弔うために、お堂を建てた。 それが始まり。
上の方は、こんな風に。
上の写真の右。
橋。 ずっと昔は、大きな洞窟だった。 山伏の修行の地になっていた。
野田橋に向かった。 山の上に来た。 山の上の川は、小さい。 橋も小さくなる。
以前、一歩でまたげる川の石橋を見たことがある。 そんなのかと、不安。
この谷の右の方を、下る。
歩くのが楽しい。 石橋にかこつけて、歩いているのかもしれない。
家の横に、小さな石橋。 長さは、3㍍ない。 昭和になって作られたよう。
石段があって、洗い場がある。
更に谷の下へ。
見えてきた。 おもちゃのように小さい。
丑太郎という人が作ったので、丑太郎橋。
ごろごろした石で作られていた。
これなら崩れると、不思議に思った。
よく見たら、一番内側の石は、コンクリートで固められていた。
だから、内側の面は、きれいな曲面。 でこぼこしていない。
こうでした。 少し、がっかり。
戻る時、クマタカを見た。 最初、木の上にいた。 羽根を広げた時、胸が白かった。
見るのは2度目。 新潟県の山の中で、一度。
望遠の付いたカメラは、車の中。 間に合わなかった。 残念。
※ クマタカは、こんな鳥。(夫婦でバードウォッチングのHPから)
別の場所。 弦掛観音の近く。 ここを下って、右に。
あら、向こうが無くなっている。 流されたと、説明にあった。
左は、すぐに小さな滝。
橋の作りが、よく分かる。 これで頑丈なんだから、不思議。
朧(おぼろ)月。 昼間の月は、小さい。
世知原町の中心街。 山の上まで、畑と家。
高観寺橋。 今は使っていない。 新しいデザインにしたけど、失敗。
隣に、新しい橋。
※ 本当は、上のように使われなくなったら、昔の形に戻して、残す方法があるんですね。
もう少し、美しい石橋なら、その価値はあるんだが。
熊本県の霊台(れいたい)橋は、元に戻して、保存している。 人は通れる。 車は、隣の橋。
この橋を越える美しさの橋は、まだ見ていない。 古い橋では、日本一の大きさ。
小岩橋という小さな橋を探したが、見つけられなかった。 田んぼに、イノシシの罠(わな)。
世知原炭鉱資料館。 旧松浦炭炭鉱の事務所。 ※ 中は、見なかった。 隣に頼んで、わざわざ開けてもらうので。
砂岩の石で作られたと、説明があった。
もしかして、この地方は砂岩が多いのか。 砂岩は風化や浸食されやすい。
だから、洞窟が多く、石の橋が出来たりする。
※ 砂岩ってどんな石か、しっかり眺めておけばよかった。 いっつも、写真を撮って終わり。
ひどい時なんか、説明だって読まない。
橋河内(はしかわち)洞窟。 これは、戻る途中。 吉井町。
人が住んでたのは、縄文時代と説明にあった。 後の世では、信仰の場になった。
どうやって住んだんだろう。 入り口をふさがないと、冬は寒い。
※ ここに住んだ人たちは、どんな楽しみがあって、毎日を過ごしたのでしょう。
資料館や博物館に行けば、先人の残したものは見られる。
でも、それは、展示できる大きさの物で、日常的には目にしない。
石橋を見ることによって、先人の知恵や汗を感じ取ることが出来る。
石橋を大事にすることは、昔の人たちの努力を大事にすることになる。
昔を大事にすることは、今を大事にすることにつながる。
子供たちの教育のために、大きな役割を果たす。
また、石橋は、見ても美しい。
このようなことに気づくかどうかは、地域によって大きな差がある。
世知原町は、昭和の中頃、昔を大事にしない時代があった。
そのために、今の状態。 でも、今は考え方が変わった。
今後、今の橋では不十分で掛け替える時が来る。
その時がチャンス。 デザインのいい橋を復元する。
そうして、未来に残す。
※ 楽しみにしていた世知原温泉は、1日まで休みでした。
【今日の歌】
この曲には、曲名が知りたいと、膨大なコメントが寄せられていた。
でも、分からない。 世界中が気にしていた。 最近になって、分かったようだ。
曲名は、Quiero bailar。 歌詞の中で、何回も出てくる。 スペイン語。
踊りたい、という意味だそう。
※ Quieroは、~~したい。 bailarは、踊り。
※ ちなみに、英語のバレエは、ballet。 上と、スペルが似ている。
変わった雰囲気の曲。 数年前に知って、好きな曲です。
歌手名は、Kinzli。 韓国出身。 現在ロンドン在住の女性アーティスト。
ジプシーのリズムやジャズを取り入れた、結構アバンギャルドなポップス。
(ネットに、上のように説明があった)
【停泊場所】 御橋公園駐車場
【明日の予定】 九十九島かなと
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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そのことを整理しなければ、残すことはむずかしい。
世知原町は、残す価値に今は気づいているけど、少し遅かった。
そのために、全体は、いい状態ではなかった。
ゴッドファーザーの画像に、いい曲がついているのがあった。
何年も、誰が歌っているのか分からなかった。 それで、大騒ぎ。
今日調べたら、曲名・歌手名が分かっていた。
※ ※ ※ ※
世知原は、せちばる、と読みます。 伊万里に近い。
世知原町全体。 石橋が17基残っている。 この町は、お茶の産地。

今日見たのは、下の橋。 気付かないで、通り過ぎたのもあるよう。

曲川(まがりかわ)橋が、見えた。

昭和2年とある。 石橋にしては、新しい。

この後、私は橋を見つけられなかった。 どうしてか。
石橋の幅は、3.5㍍。 石橋の上に、新しい橋が載っていた。 幅は、5㍍程。

このように、石橋は中に隠れていた。

別の橋。 岩下橋。 これも昭和2年で、上の橋と似ている。
橋の美しさが、残っている。 水量が多い時のために、横にバイパスのような水路も。
石橋が大事にされたなって、感じる。

祝(いわい)橋。 佐々川の本流に架かっている。 昭和37年改良とあった。

深い谷。 この地方の地層は、浸食しやすいのでしょうか。
ここも、石橋は、新しい橋より狭い。
昭和37年といえば、これからという時代で、古いものを大事にする時代ではなかったか。

ここは、弦掛(つるかけ)観音。 大きな岩の中。

昔、松浦軍がこの山で有馬軍と戦った。 弓に弦をこの場所で掛けた。 それで、弦掛。
戦いで亡くなった人の千人塚があって、その霊を弔うために、お堂を建てた。 それが始まり。
上の方は、こんな風に。

上の写真の右。

橋。 ずっと昔は、大きな洞窟だった。 山伏の修行の地になっていた。

野田橋に向かった。 山の上に来た。 山の上の川は、小さい。 橋も小さくなる。
以前、一歩でまたげる川の石橋を見たことがある。 そんなのかと、不安。
この谷の右の方を、下る。

歩くのが楽しい。 石橋にかこつけて、歩いているのかもしれない。

家の横に、小さな石橋。 長さは、3㍍ない。 昭和になって作られたよう。
石段があって、洗い場がある。

更に谷の下へ。

見えてきた。 おもちゃのように小さい。

丑太郎という人が作ったので、丑太郎橋。

ごろごろした石で作られていた。
これなら崩れると、不思議に思った。
よく見たら、一番内側の石は、コンクリートで固められていた。
だから、内側の面は、きれいな曲面。 でこぼこしていない。

こうでした。 少し、がっかり。

戻る時、クマタカを見た。 最初、木の上にいた。 羽根を広げた時、胸が白かった。
見るのは2度目。 新潟県の山の中で、一度。
望遠の付いたカメラは、車の中。 間に合わなかった。 残念。

※ クマタカは、こんな鳥。(夫婦でバードウォッチングのHPから)
別の場所。 弦掛観音の近く。 ここを下って、右に。

あら、向こうが無くなっている。 流されたと、説明にあった。

左は、すぐに小さな滝。

橋の作りが、よく分かる。 これで頑丈なんだから、不思議。

朧(おぼろ)月。 昼間の月は、小さい。

世知原町の中心街。 山の上まで、畑と家。

高観寺橋。 今は使っていない。 新しいデザインにしたけど、失敗。
隣に、新しい橋。

※ 本当は、上のように使われなくなったら、昔の形に戻して、残す方法があるんですね。
もう少し、美しい石橋なら、その価値はあるんだが。
熊本県の霊台(れいたい)橋は、元に戻して、保存している。 人は通れる。 車は、隣の橋。
この橋を越える美しさの橋は、まだ見ていない。 古い橋では、日本一の大きさ。

小岩橋という小さな橋を探したが、見つけられなかった。 田んぼに、イノシシの罠(わな)。

世知原炭鉱資料館。 旧松浦炭炭鉱の事務所。 ※ 中は、見なかった。 隣に頼んで、わざわざ開けてもらうので。
砂岩の石で作られたと、説明があった。
もしかして、この地方は砂岩が多いのか。 砂岩は風化や浸食されやすい。
だから、洞窟が多く、石の橋が出来たりする。

※ 砂岩ってどんな石か、しっかり眺めておけばよかった。 いっつも、写真を撮って終わり。
ひどい時なんか、説明だって読まない。
橋河内(はしかわち)洞窟。 これは、戻る途中。 吉井町。

人が住んでたのは、縄文時代と説明にあった。 後の世では、信仰の場になった。

どうやって住んだんだろう。 入り口をふさがないと、冬は寒い。
※ ここに住んだ人たちは、どんな楽しみがあって、毎日を過ごしたのでしょう。

資料館や博物館に行けば、先人の残したものは見られる。
でも、それは、展示できる大きさの物で、日常的には目にしない。
石橋を見ることによって、先人の知恵や汗を感じ取ることが出来る。
石橋を大事にすることは、昔の人たちの努力を大事にすることになる。
昔を大事にすることは、今を大事にすることにつながる。
子供たちの教育のために、大きな役割を果たす。
また、石橋は、見ても美しい。
このようなことに気づくかどうかは、地域によって大きな差がある。
世知原町は、昭和の中頃、昔を大事にしない時代があった。
そのために、今の状態。 でも、今は考え方が変わった。
今後、今の橋では不十分で掛け替える時が来る。
その時がチャンス。 デザインのいい橋を復元する。
そうして、未来に残す。
※ 楽しみにしていた世知原温泉は、1日まで休みでした。
【今日の歌】
この曲には、曲名が知りたいと、膨大なコメントが寄せられていた。
でも、分からない。 世界中が気にしていた。 最近になって、分かったようだ。
曲名は、Quiero bailar。 歌詞の中で、何回も出てくる。 スペイン語。
踊りたい、という意味だそう。
※ Quieroは、~~したい。 bailarは、踊り。
※ ちなみに、英語のバレエは、ballet。 上と、スペルが似ている。
変わった雰囲気の曲。 数年前に知って、好きな曲です。
歌手名は、Kinzli。 韓国出身。 現在ロンドン在住の女性アーティスト。
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九州は石橋が多いですが、小さな谷の奥に、天然の大石橋がありました。
どうして出来たのか不思議。
今日は、佐世保市吉井町です。
※ ※ ※ ※
最初に行く、福井洞窟の場所。 他も、近くに。
○が樋口橋。
この稲荷神社の後ろに、福井洞窟はあった。 右に、駐車場。
福井洞窟は、鍾乳洞ではなく、昔人が住んでいた、岩のくぼみ。
柵の中は、発掘の跡のよう。
3万年前からずっと、この洞窟には人が住んでいた。
発掘された石器などから、年代は予想つく。
しかし今の時代は、正確に年代が分かる。
木などに含まれる炭素が発見されれば、放射性炭素による測定法で分かってくる。
上の写真の右の方。
中から外を撮るのが、好き。 トンネルでは、いつも。 目の前の風景がいっそう明るい。
少し前から、何かブンブンうるさいな、と思っていた。
ミツバチがいっぱい飛び交っていた。 写真の神社の右の軒先に巣があった。
刺すのか刺さないのか、よく分からない。 そっと離れた。
※ スズメバチでは、巣の近くを知らない顔して通った時、刺されない。 数㍍の近さまで大丈夫。
吉井町の市街地が、右の方に広がっている。 ※ 吉井町は、以前は単独の自治体。 今は、佐世保市。
ここは、御橋(おはし)観音公園。 日曜で天気がいいので、親子づれがいっぱい。
目的の石橋は、後ろの山に。
公園の駐車場横に、ビジターセンターがあった。
展示室に地図が無かったので、食堂でカレーを食べた。 地図のことを聞いたら、頂くことが出来た。
佐世保市の北部の地図で、昔の町ごとに4枚。 これで、万全。 ありがたかった。
※ カレーは400円。 サラダ、ラッキョウ、福神漬、お茶、水付き。 美味しかった。
谷の奥に、少しだけ見えた。
御橋観音。 正式には「石橋山御橋観音寺」。 真言宗。 ※ 本山は、京都の知恩院。 毎年行く。
石橋の手間に、お地蔵様。 左は、ぼけ封じ観音。
説明が面白い。 今の世の中、お年寄りに取って良くない、とある。
そして、6番目。 これがいい。 あの世があるとは思ってないが。
見えました。
谷間に架かる虹の橋。 ※ こう表現していたのは、熊本の通潤橋。
落ちてこないか、不安。 もし落ちて来たら、私はよっぽど運が悪いことになる。
石橋の付け根のした。 この後、上がる。
下は、こう。
石橋の付け根。
こうですよ。 自然に出来たと云う。 不思議だ。
ネットで、この橋の紹介があった。 それには、
昔は、ここは大きな洞窟だった。 今の橋を除いて、天井は浸食して落ちてしまった。
なるほど。
江戸時代はどうだったのか、それが知りたかった。
ネットで、絵を探したが無かった。
いつかは、崩落する時が来るのか。 大きな地震が来た時だな。
崩落しないように、科学的に固めてしまう。 こういうことするのは、違反か。
境内には、おじぞうさんが、いっぱい。
こころ明るく、落ち着いた表情。 不満はなし。 下のお地蔵さん、どうしたんだろう。
池の中。 こんなに曲がって見える。 私の足音で、一度魚は、水の中に。
橋の上に行く道は無いのか、探した。 この道を行ったら、さっきの寺に戻った。
縞模様は、水の流れの跡だという。 どうして分かるんだろう。 地層でないからかな。
別の道。 どこまでも行くぞって。
逍遥(しょうよう)とある。 坪内逍遥か。 これについては、ずいぶん調べたが、分からなかった。
山をひと回りして、戻って来た。 時計回り。
市街地にある、樋口橋。 大正時代に作られた。
真ん中の、橋脚を守る出た部分は、石だろうか。 それとも、コンクリート。 反対側にはない。 左が上流。
昔から、色んな橋が作られた。 その中で、石橋が一番丈夫で長持ち。 優れた橋。
2連の石橋。 眼鏡橋。
※ 橋は、皇居のこの橋(正門石橋)を模して作られたと、説明にあった。
下流から見た。 川底は、円い穴だらけ。 ポットホールと呼ばれている。
何を食べてるのかな。
このような橋は、初めてではないが、珍しい石橋でしたね。
九州は、石橋の宝庫。 素敵な橋が、どこかで見られるかも。
【その他】 朝日新聞の、28日の天声人語に、遠藤未希さんが載っていた。
伊達(北海道)のKさんが、メールで教えてくれた。
彼女をどう見るか。 「美談を超える」という表現があった。 なるほどと思った。
高良さんという詩人が、詩を書いた。
高良さんは、きっと新聞記事を読んで、詩を作った。
新聞記事を元に、色んな文が生まれる。 だから、新聞記事は真実を書くことが大事になる。
そう思いますね。
朝日新聞、1月28日の天声人語です。 読みやすく、行変えしました。
※ 最後の1行は、詩ではありません。 くっついてしまった。
※ この詩の全文は、ネット上には見つかりません。 (著作権の問題か)
現代詩手帖2011年6月号に発表された詩、とまで分かりました。
【今日の歌】 Believe(ビリーブを2曲)
教会をたくさん見た。 キリシタンの遺跡も見た。
神を信じるって、英語でどう言うんだろうって考えていた。
believe(ビリーブ)は使えるのかな、とも。
調べてみたら、I believe in God、でいいようです。
意味合いは、神の存在を信じる、そんな感じ。
上とは、大して関係ないけど、Believe。
※ 昔、巨人の石井浩郎と結婚した。後に離婚。
秋田を走っている時、石井浩郎の選挙ポスターを見た。 2010年に参院選挙で当選している。
下は、ライブでなく、CD。 イラストがいいので、以前ブログに載せたことがある。
やわらかな表情の子どもほど、意志が強い。 そう思うことがあります。
【停泊場所】 御橋観音公園の駐車場
【明日の予定】 佐世保市世知原(せちばる)町に。 石橋がいっぱいある。 温泉も。
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今日は、佐世保市吉井町です。
※ ※ ※ ※
最初に行く、福井洞窟の場所。 他も、近くに。
○が樋口橋。

この稲荷神社の後ろに、福井洞窟はあった。 右に、駐車場。

福井洞窟は、鍾乳洞ではなく、昔人が住んでいた、岩のくぼみ。
柵の中は、発掘の跡のよう。

3万年前からずっと、この洞窟には人が住んでいた。
発掘された石器などから、年代は予想つく。
しかし今の時代は、正確に年代が分かる。
木などに含まれる炭素が発見されれば、放射性炭素による測定法で分かってくる。
上の写真の右の方。

中から外を撮るのが、好き。 トンネルでは、いつも。 目の前の風景がいっそう明るい。

少し前から、何かブンブンうるさいな、と思っていた。
ミツバチがいっぱい飛び交っていた。 写真の神社の右の軒先に巣があった。
刺すのか刺さないのか、よく分からない。 そっと離れた。
※ スズメバチでは、巣の近くを知らない顔して通った時、刺されない。 数㍍の近さまで大丈夫。

吉井町の市街地が、右の方に広がっている。 ※ 吉井町は、以前は単独の自治体。 今は、佐世保市。
ここは、御橋(おはし)観音公園。 日曜で天気がいいので、親子づれがいっぱい。
目的の石橋は、後ろの山に。

公園の駐車場横に、ビジターセンターがあった。
展示室に地図が無かったので、食堂でカレーを食べた。 地図のことを聞いたら、頂くことが出来た。
佐世保市の北部の地図で、昔の町ごとに4枚。 これで、万全。 ありがたかった。
※ カレーは400円。 サラダ、ラッキョウ、福神漬、お茶、水付き。 美味しかった。
谷の奥に、少しだけ見えた。

御橋観音。 正式には「石橋山御橋観音寺」。 真言宗。 ※ 本山は、京都の知恩院。 毎年行く。

石橋の手間に、お地蔵様。 左は、ぼけ封じ観音。

説明が面白い。 今の世の中、お年寄りに取って良くない、とある。
そして、6番目。 これがいい。 あの世があるとは思ってないが。

見えました。

谷間に架かる虹の橋。 ※ こう表現していたのは、熊本の通潤橋。
落ちてこないか、不安。 もし落ちて来たら、私はよっぽど運が悪いことになる。

石橋の付け根のした。 この後、上がる。

下は、こう。

石橋の付け根。

こうですよ。 自然に出来たと云う。 不思議だ。
ネットで、この橋の紹介があった。 それには、
昔は、ここは大きな洞窟だった。 今の橋を除いて、天井は浸食して落ちてしまった。
なるほど。

江戸時代はどうだったのか、それが知りたかった。
ネットで、絵を探したが無かった。
いつかは、崩落する時が来るのか。 大きな地震が来た時だな。
崩落しないように、科学的に固めてしまう。 こういうことするのは、違反か。
境内には、おじぞうさんが、いっぱい。
こころ明るく、落ち着いた表情。 不満はなし。 下のお地蔵さん、どうしたんだろう。

池の中。 こんなに曲がって見える。 私の足音で、一度魚は、水の中に。


橋の上に行く道は無いのか、探した。 この道を行ったら、さっきの寺に戻った。

縞模様は、水の流れの跡だという。 どうして分かるんだろう。 地層でないからかな。

別の道。 どこまでも行くぞって。

逍遥(しょうよう)とある。 坪内逍遥か。 これについては、ずいぶん調べたが、分からなかった。

山をひと回りして、戻って来た。 時計回り。

市街地にある、樋口橋。 大正時代に作られた。

真ん中の、橋脚を守る出た部分は、石だろうか。 それとも、コンクリート。 反対側にはない。 左が上流。
昔から、色んな橋が作られた。 その中で、石橋が一番丈夫で長持ち。 優れた橋。
2連の石橋。 眼鏡橋。

※ 橋は、皇居のこの橋(正門石橋)を模して作られたと、説明にあった。
下流から見た。 川底は、円い穴だらけ。 ポットホールと呼ばれている。

何を食べてるのかな。

このような橋は、初めてではないが、珍しい石橋でしたね。
九州は、石橋の宝庫。 素敵な橋が、どこかで見られるかも。
【その他】 朝日新聞の、28日の天声人語に、遠藤未希さんが載っていた。
伊達(北海道)のKさんが、メールで教えてくれた。
彼女をどう見るか。 「美談を超える」という表現があった。 なるほどと思った。
高良さんという詩人が、詩を書いた。
高良さんは、きっと新聞記事を読んで、詩を作った。
新聞記事を元に、色んな文が生まれる。 だから、新聞記事は真実を書くことが大事になる。
そう思いますね。
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※ 最後の1行は、詩ではありません。 くっついてしまった。

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教会をたくさん見た。 キリシタンの遺跡も見た。
神を信じるって、英語でどう言うんだろうって考えていた。
believe(ビリーブ)は使えるのかな、とも。
調べてみたら、I believe in God、でいいようです。
意味合いは、神の存在を信じる、そんな感じ。
上とは、大して関係ないけど、Believe。
※ 昔、巨人の石井浩郎と結婚した。後に離婚。
秋田を走っている時、石井浩郎の選挙ポスターを見た。 2010年に参院選挙で当選している。
下は、ライブでなく、CD。 イラストがいいので、以前ブログに載せたことがある。
やわらかな表情の子どもほど、意志が強い。 そう思うことがあります。
【停泊場所】 御橋観音公園の駐車場
【明日の予定】 佐世保市世知原(せちばる)町に。 石橋がいっぱいある。 温泉も。
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佐世保市に入りました。 今日動いたのは、佐世保市江迎(えむかえ)町。
潜竜ヶ滝を見るのが、メイン。
震災のとき、最後まで避難を呼びかけた女性がいた。 南三陸町の遠藤未希さん。
埼玉県で、道徳で扱うというニュースを昨日見た。
事実関係をどう捕まえたのか、何を子供たちに学ばせるのか、その辺が気になったので、少し考えてみます。
※ ※ ※ ※
印の所に、最初に行く本陣がある。 参勤交代で、平戸から、1日でここまで。
右の方の○が、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)。
平戸藩の藩主が宿泊した本陣跡と、山下家の酒母蔵(もとぐら)。
ここは、江迎町の市街地。 昔は、江迎宿だった。
見学するには、予約が必要。
※ ここには、参勤交代の絵がある。(平戸街道探訪のHPより)
平戸街道は、最初の文にある、東彼杵(ひがしそのぎ)で、長崎街道に合流した。
その後、九州の北の小倉に向かった。
※ 平戸街道には、宿泊する本陣は、6ヶ所あったと云う。
ここは、平戸を出て、最初の本陣。 平戸から、15㌔程。
海を渡るが、そんなに遠い距離ではないように感じる。
元蔵の説明もある。
岩のある山があるので、見に行った。 白岳(しらたけ)公園があで、そこから見えた。
登山道があったので、登ることにした。 30分あれば、行けそうに感じた。
少し上に神社があるので、こんな石段。 神社には、頂上まで15分とあった。 近い。
牛の像があったら、京都の八坂神社と関係あると、どこかの神社で知った。
こんな道を上った。
直ぐに着いた。 高さ、373㍍。 山の上には何もない。 岩の所に、下りる道があった。
岩場の上に出た。 目の前の岩が、斜面になっている。 その下の状態も分からないので、ここでストップ。
白岳は、熔岩が固まってできた山と、ネットの説明にあった。
下が白岳公園。 駐車場の左端に、私の車。 屋根が少し。
右奥に、海が見える。 江迎湾。 本陣は、湾の奥にあった。
左の方、 遠くにゴルフ場。 その向こうに、これから行く滝がある。
こんな道を下る。 少し動くと暑い。
山道を数㌔走ったら、駐車場に着いた。 公園になっていて、滝はその奥に。
公園の下。 赤い橋を渡って来た。
3月になったら、ツツジが満開。 今は、間違って咲いてるのが、少し。
小さなお堂があって、その前を通る。
徐福伝説について、いろいろ書いている。。 紀元前の人。 中国から日本に来た。
龍がいたとある。
何という山菜だろう。
不動明王。 少し無理している表情に・・。
ここを上がって来た。 左はお堂。 右は、休憩所。
古い門。 龍門と、石の額にある。
1829年に平戸藩主が、この門を作り、この辺り一帯を整備した。 それで、お堂とかがある。
※ 龍門とあるから、藩主は、徐副伝説を知っていたことになる。
徐福は、いたかいないか分からない人。 昔、徐福伝説を広めた人がいるのかな。
昔は、滝も、神社も、寺も、格式を高めるために、何かの伝説を作った。
滝はすぐに見えてきた。
雨が降らないので、水量はきっと少ない。
ここに龍が潜んでいた、という。 深さ6㍍とネットにあったが、本当かな。
滝のある所は、たいてい、滝つぼの周りは、岩の壁。
正面からの写真。
滝の下流。
こんな岩があると云うことは、この岩を動かすだけの激流になることがある。 台風の時か。
別の方から。 手前は浅い。
深いのは、緑の所。 ここは狭いから、井戸のように深くないと、6㍍にならない。
水量が多いと、左にもう一つ滝が出来そう。
展望台と、小さな祠。
滝の上に行く道を探したが、なかった。
戻る時、門の横の石塔を見た。 天保十四年とあった。 1843年。 門より、14年後。
※ ちなみに、龍馬はこの年、9歳。
公園の岩壁に、玄武岩があった。 柱にように剥がれる。
今日は、合併する前の小さな町を1つ見た。
有名な観光地は無いが、こんな感じが数日続きそう。 これはこれで、いいと思うし、嫌いでない。
滝を見る、ということで里山を歩くことができる。
【動画】
【その他】 下のが、埼玉県で使う道徳の資料の要旨。
遠藤未希さんに関わる事実関係は、何を元にしたのだろうと思う。
もし当時の新聞記事だったら、かなり不正確。
残された放送の記録、放送を聞いた人の証言、未希さんを見た人の証言、など、根拠をもって整理されたものが、現在あるのだろうか。
南三陸町の人達が、それで間違いないと思うものでなければならない。
私は全国版の新聞の多くが不正確で、地元新聞が事実に近いと思っている。
それは、足を運んで書いたから。
また、私は、未希さんが助かる道は無かったのかと、今でも思う。
かわいそうと思うので、道徳であつかう人ではないと考えるんだが。
※ 関連ブログ 最後まで防災無線で叫び続けた人は、2人いた。 ~南三陸町~ 他 (2011/4/13)
※ 震災の写真は、この動画にあります。
写真の半分は、私が撮影。 残りは、アメリカメディアから。 メロディは、札幌の友人が。
最初の写真の建物の2階で、未希さんは放送した。 2枚目の写真は、建物の前にあった花。
※ 被災地を撮影した動画を一つ紹介。 津波被害 釜石市鵜住居
【今日の曲】 ベトナム戦争で、つらい思いをした人たちの気持ちを表現した曲です。
東北にいた時、心の奥を、いつもこの曲が流れていました。
※ 東北では、1週間ずつ、7ヶ所でボランティアをしました。
震災の後、九州の椎葉村から、まず釜石に行きました。 最後は、南相馬市で。
また九州に戻って、九重、阿蘇、祖母山などの、山に登りました。
【道の駅】 昆虫の里たびら
【明日の予定】 佐世保市鹿町(しかまち)町を。 島がいっぱいある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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潜竜ヶ滝を見るのが、メイン。
震災のとき、最後まで避難を呼びかけた女性がいた。 南三陸町の遠藤未希さん。
埼玉県で、道徳で扱うというニュースを昨日見た。
事実関係をどう捕まえたのか、何を子供たちに学ばせるのか、その辺が気になったので、少し考えてみます。
※ ※ ※ ※
印の所に、最初に行く本陣がある。 参勤交代で、平戸から、1日でここまで。
右の方の○が、潜竜ヶ滝(せんりゅうがたき)。

平戸藩の藩主が宿泊した本陣跡と、山下家の酒母蔵(もとぐら)。
ここは、江迎町の市街地。 昔は、江迎宿だった。

見学するには、予約が必要。
※ ここには、参勤交代の絵がある。(平戸街道探訪のHPより)

平戸街道は、最初の文にある、東彼杵(ひがしそのぎ)で、長崎街道に合流した。
その後、九州の北の小倉に向かった。
※ 平戸街道には、宿泊する本陣は、6ヶ所あったと云う。
ここは、平戸を出て、最初の本陣。 平戸から、15㌔程。
海を渡るが、そんなに遠い距離ではないように感じる。
元蔵の説明もある。

岩のある山があるので、見に行った。 白岳(しらたけ)公園があで、そこから見えた。
登山道があったので、登ることにした。 30分あれば、行けそうに感じた。

少し上に神社があるので、こんな石段。 神社には、頂上まで15分とあった。 近い。


牛の像があったら、京都の八坂神社と関係あると、どこかの神社で知った。

こんな道を上った。

直ぐに着いた。 高さ、373㍍。 山の上には何もない。 岩の所に、下りる道があった。


岩場の上に出た。 目の前の岩が、斜面になっている。 その下の状態も分からないので、ここでストップ。
白岳は、熔岩が固まってできた山と、ネットの説明にあった。

下が白岳公園。 駐車場の左端に、私の車。 屋根が少し。

右奥に、海が見える。 江迎湾。 本陣は、湾の奥にあった。

左の方、 遠くにゴルフ場。 その向こうに、これから行く滝がある。

こんな道を下る。 少し動くと暑い。

山道を数㌔走ったら、駐車場に着いた。 公園になっていて、滝はその奥に。

公園の下。 赤い橋を渡って来た。
3月になったら、ツツジが満開。 今は、間違って咲いてるのが、少し。

小さなお堂があって、その前を通る。

徐福伝説について、いろいろ書いている。。 紀元前の人。 中国から日本に来た。
龍がいたとある。

何という山菜だろう。

不動明王。 少し無理している表情に・・。

ここを上がって来た。 左はお堂。 右は、休憩所。

古い門。 龍門と、石の額にある。
1829年に平戸藩主が、この門を作り、この辺り一帯を整備した。 それで、お堂とかがある。

※ 龍門とあるから、藩主は、徐副伝説を知っていたことになる。
徐福は、いたかいないか分からない人。 昔、徐福伝説を広めた人がいるのかな。
昔は、滝も、神社も、寺も、格式を高めるために、何かの伝説を作った。

滝はすぐに見えてきた。


雨が降らないので、水量はきっと少ない。

ここに龍が潜んでいた、という。 深さ6㍍とネットにあったが、本当かな。

滝のある所は、たいてい、滝つぼの周りは、岩の壁。
正面からの写真。




滝の下流。
こんな岩があると云うことは、この岩を動かすだけの激流になることがある。 台風の時か。

別の方から。 手前は浅い。
深いのは、緑の所。 ここは狭いから、井戸のように深くないと、6㍍にならない。

水量が多いと、左にもう一つ滝が出来そう。

展望台と、小さな祠。

滝の上に行く道を探したが、なかった。
戻る時、門の横の石塔を見た。 天保十四年とあった。 1843年。 門より、14年後。
※ ちなみに、龍馬はこの年、9歳。

公園の岩壁に、玄武岩があった。 柱にように剥がれる。

今日は、合併する前の小さな町を1つ見た。
有名な観光地は無いが、こんな感じが数日続きそう。 これはこれで、いいと思うし、嫌いでない。
滝を見る、ということで里山を歩くことができる。
【動画】
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遠藤未希さんに関わる事実関係は、何を元にしたのだろうと思う。
もし当時の新聞記事だったら、かなり不正確。
残された放送の記録、放送を聞いた人の証言、未希さんを見た人の証言、など、根拠をもって整理されたものが、現在あるのだろうか。
南三陸町の人達が、それで間違いないと思うものでなければならない。
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最初の写真の建物の2階で、未希さんは放送した。 2枚目の写真は、建物の前にあった花。
※ 被災地を撮影した動画を一つ紹介。 津波被害 釜石市鵜住居
【今日の曲】 ベトナム戦争で、つらい思いをした人たちの気持ちを表現した曲です。
東北にいた時、心の奥を、いつもこの曲が流れていました。
※ 東北では、1週間ずつ、7ヶ所でボランティアをしました。
震災の後、九州の椎葉村から、まず釜石に行きました。 最後は、南相馬市で。
また九州に戻って、九重、阿蘇、祖母山などの、山に登りました。
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日本最西端の駅が、平戸市にあった。 たびら平戸口駅。
ただ、沖縄にモノレールの駅があるので、正確には、鉄道の駅の日本最西端になる。
※ ちなみに、日本最東端の駅は、東根室駅。
私は、東根室駅の目の前に、住んでいたことがある。 駅というよりは、乗降所だった。
今日は、昆虫の擬態を少し勉強しました。
※ ※ ※ ※
平戸市最終日の今日、最初は、焼罪史跡公園。 読みは、やいざしせきこうえん。
ある神父さんが、火刑に処せられた場所。 ※ 地図は、下の方に。
殉教の碑があった。 炎の中に、天にのぼる人の姿が。
殉教と言っても、誰でもが出来ることではない。 忘れないようにということで、碑を作るのかな。
※ 島原の乱は、一揆なんだが、殉教という側面もあったのかも。 関連ブログを最後に。
海の向こうに、平戸城と市街地。
少し走って、たびら平戸口駅。
今日動くのは、この地図の中。 北から南へ。
駅の中。 列車は、1時間に1本くらい。
普通、駅と言ったら鉄道の駅を思い出すので、最西端の駅は、ここでいいと思う。
※ この駅は、松浦鉄道にあるので、JRの最西端の駅は、佐世保駅となるんだが。
佐世保方面。
伊万里方面。
最西端とあります。 これでいいですね。 正確に書くと、長くなるから。
※ 最東端の、東根室の駅の写真は、こうです。 関連ブログは、最後に。
カトリック田平(たびら)天主堂。 赤レンガ。
信徒の手づくりとある。 石灰は、貝殻を焼いて作った。
少し汚れているので、綺麗にしたくなる。 国の重要文化財。
ルルドです。
そびえ立っている。
※ 建物の中入り口に、撮影についての表示が無かったので、撮影した。
もしかしたら、ダメかもしれないので、3枚だけ。
写真を載せてるサイトが多いので、大丈夫かなとも。
別世界。
大きなステンドグラスが、周りにずらっと。 一つの物語になっているよう。
煉瓦の建物は、長持ちする。
ここは、たびら昆虫自然園。 入園料400円。
温室の中に、チョウが乱舞しているのを想像していた。
違った。 外だった。 この方が、40分程案内してくれた。 これが、よかった。
冬なので、探さないといない。 いても、さなぎとか。
さっそく、見つけました。 私には、どこにいるか分からない。 教えてもらって、やっと。
※ 答えは、下の小さな写真をクリックしたら分かります。
※ どして、枝とそっくりになるのでしょう。
次です。 むずかしい。 米粒のような虫ではない。 分かるでしょうか。
どうして、このように進化できたかが、知りたい。
左は、カマキリの卵のう。 卵が入っている。
※ 右は、アゲハかなんかだった。(メモする時、写真の番号を記録しないとダメか)
これも、何だったか。 顔に見えた。 それも、淡谷のりこ に。
これも、? 何も無く見えるが、探せば、いっぱいある。
下を見たり、上を見たり。
イノシシの柵に、カマキリの卵。 卵のう。 線には、夜になったら、電気を流す。
※ こんな目立つ所には、普通作らない。 ただ、鳥の少ない年には、作るそう。
案の定、今年の冬は全く鳥が来ないと云う。 鳥インフルエンザかなって、案内の人は言った。
※ 雪国では、カマキリが、どの高さに卵を産むかで、その冬の雪の量が予想つくという。 不思議。
ここの昆虫自然園は、里山の環境を再現している。
野菜は、虫のために植えてる。
モグラが土を、外に出した。
イノシシが入らなくなったら、モグラが増えたと云う。
それに、マムシも。 イノシシは、マムシが大好き。
みんながいて、自然のバランスが保たれるよう。
池もある。
ヤゴや、エビや、ミズカマキリ。
チョウの姿で、越冬。 温かい日には、飛ぶと云う。
石をはぐったら、サンショウウオがいた。 卵も。
尻尾が切れていた。
※ どうして、枝に似たのか。 幼虫やサナギが。 それを、案内の人と話しながら歩いた。
こうだった。
たくさんの虫の中で、少しだけ、周りと違うので出てくる。 突然変異ほどではない。
それは、人間にだってある、個性のようなもの。
例えば、シャクトリムシの中に、少しだけ、枝の模様がついた。 もちろん、偶然。
その虫は、少しだけ、鳥が見つけずらい。 そうすると、生き残る。
木の枝で生きる虫は、間違って、木の雰囲気に近づいたものが、命をつないでいく。
少しずつ、少しずつが、積み重なって、いつの間にか、枝とそっくりになる。
虫は、枝を見たこともないし、考えて、似せようとしたことも無い。
気の遠くなる年月の間に、そのように変化していった。
やっと分かった。 分かりやすい。
屋内に標本があった。 これは、ナガサキアゲハ。 どこかで、サナギをみた。
鳥山という人の、コレクション。 この人は、田平教会の神父さんだった。
本土最西端の地、平戸市には、9日間いました。
観光案内が丁寧で動きやすかったこと、平戸市に魅力が多かったために、この日数になったと思います。
多くの人にお世話になったことに、感謝します。
【関連ブログ】 明日を信じた人々の戦い「島原の乱」 他 (5月7日 晩)
日本最東端の駅 東根室駅 明治公園 涙香岬 他 ~根室市~ 他 (2010/9/2)
【今日の歌】
藤浦洸を、あと1曲。 情熱のルンバ。 高峰三枝子。 この人は、あるものが大きい。 声ではない。
まず、純情二重奏が戦前につくられた。 高峰三枝子主演の映画。 大当たりした。
それで、戦後、それに続いて、4作つくる。 この4作の主題歌の作詞が、藤浦洸。
懐しのブルース、別れのタンゴ、想い出のボレロ、情熱のルンバ。
映画も歌もヒットした。 高峰三枝子は、大女優に成長した。
4つの詞とも、モダンさを感じる。 藤浦洸が平戸人気質を持っていたために書けた。 そう思う。
下の歌は、純情二重奏。 昭和14年。 20歳。
彼女には、気品があって、いいところのお嬢さんという感じ。
※ 下の動画に、淡谷のりこが出ている。 どの人か。 舞台の袖にいた3人の真ん中か。 自信は無い。
【道の駅】 昆虫の里たびら
【明日の予定】 佐世保市に入ります。 市街地はまだまだで、この近く。 有名な物はないが、それでいい。
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私は、東根室駅の目の前に、住んでいたことがある。 駅というよりは、乗降所だった。
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※ ※ ※ ※
平戸市最終日の今日、最初は、焼罪史跡公園。 読みは、やいざしせきこうえん。
ある神父さんが、火刑に処せられた場所。 ※ 地図は、下の方に。
殉教の碑があった。 炎の中に、天にのぼる人の姿が。
殉教と言っても、誰でもが出来ることではない。 忘れないようにということで、碑を作るのかな。
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海の向こうに、平戸城と市街地。

少し走って、たびら平戸口駅。

今日動くのは、この地図の中。 北から南へ。

駅の中。 列車は、1時間に1本くらい。

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佐世保方面。

伊万里方面。

最西端とあります。 これでいいですね。 正確に書くと、長くなるから。
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カトリック田平(たびら)天主堂。 赤レンガ。

信徒の手づくりとある。 石灰は、貝殻を焼いて作った。

少し汚れているので、綺麗にしたくなる。 国の重要文化財。

ルルドです。


そびえ立っている。

※ 建物の中入り口に、撮影についての表示が無かったので、撮影した。
もしかしたら、ダメかもしれないので、3枚だけ。
写真を載せてるサイトが多いので、大丈夫かなとも。
別世界。

大きなステンドグラスが、周りにずらっと。 一つの物語になっているよう。


煉瓦の建物は、長持ちする。


ここは、たびら昆虫自然園。 入園料400円。
温室の中に、チョウが乱舞しているのを想像していた。
違った。 外だった。 この方が、40分程案内してくれた。 これが、よかった。

冬なので、探さないといない。 いても、さなぎとか。
さっそく、見つけました。 私には、どこにいるか分からない。 教えてもらって、やっと。
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※ どして、枝とそっくりになるのでしょう。
次です。 むずかしい。 米粒のような虫ではない。 分かるでしょうか。


どうして、このように進化できたかが、知りたい。
左は、カマキリの卵のう。 卵が入っている。
※ 右は、アゲハかなんかだった。(メモする時、写真の番号を記録しないとダメか)


これも、何だったか。 顔に見えた。 それも、淡谷のりこ に。


これも、? 何も無く見えるが、探せば、いっぱいある。

下を見たり、上を見たり。

イノシシの柵に、カマキリの卵。 卵のう。 線には、夜になったら、電気を流す。
※ こんな目立つ所には、普通作らない。 ただ、鳥の少ない年には、作るそう。
案の定、今年の冬は全く鳥が来ないと云う。 鳥インフルエンザかなって、案内の人は言った。

※ 雪国では、カマキリが、どの高さに卵を産むかで、その冬の雪の量が予想つくという。 不思議。
ここの昆虫自然園は、里山の環境を再現している。
野菜は、虫のために植えてる。

モグラが土を、外に出した。
イノシシが入らなくなったら、モグラが増えたと云う。
それに、マムシも。 イノシシは、マムシが大好き。
みんながいて、自然のバランスが保たれるよう。

池もある。

ヤゴや、エビや、ミズカマキリ。


チョウの姿で、越冬。 温かい日には、飛ぶと云う。

石をはぐったら、サンショウウオがいた。 卵も。

尻尾が切れていた。

※ どうして、枝に似たのか。 幼虫やサナギが。 それを、案内の人と話しながら歩いた。
こうだった。
たくさんの虫の中で、少しだけ、周りと違うので出てくる。 突然変異ほどではない。
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例えば、シャクトリムシの中に、少しだけ、枝の模様がついた。 もちろん、偶然。
その虫は、少しだけ、鳥が見つけずらい。 そうすると、生き残る。
木の枝で生きる虫は、間違って、木の雰囲気に近づいたものが、命をつないでいく。
少しずつ、少しずつが、積み重なって、いつの間にか、枝とそっくりになる。
虫は、枝を見たこともないし、考えて、似せようとしたことも無い。
気の遠くなる年月の間に、そのように変化していった。
やっと分かった。 分かりやすい。
屋内に標本があった。 これは、ナガサキアゲハ。 どこかで、サナギをみた。

鳥山という人の、コレクション。 この人は、田平教会の神父さんだった。


本土最西端の地、平戸市には、9日間いました。
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藤浦洸を、あと1曲。 情熱のルンバ。 高峰三枝子。 この人は、あるものが大きい。 声ではない。
まず、純情二重奏が戦前につくられた。 高峰三枝子主演の映画。 大当たりした。
それで、戦後、それに続いて、4作つくる。 この4作の主題歌の作詞が、藤浦洸。
懐しのブルース、別れのタンゴ、想い出のボレロ、情熱のルンバ。
映画も歌もヒットした。 高峰三枝子は、大女優に成長した。
4つの詞とも、モダンさを感じる。 藤浦洸が平戸人気質を持っていたために書けた。 そう思う。
下の歌は、純情二重奏。 昭和14年。 20歳。
彼女には、気品があって、いいところのお嬢さんという感じ。
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志々伎山(しじきさん)の頂上は、鋭く尖った岩の上だった。
そこからは、四方全てが見えた。
久しぶりに晴れて、温かい一日になった。
イノシシと出会って、びっくり。
※ ※ ※ ※
ここが、九州本土の最西端になるんですね。 だから、本土最西端。
県道から、少し上がって来た。 阿弥陀寺のそばにいる。
昨夜は、この下に停泊。
阿弥陀寺。 左に小さく、志々伎山が見える。 右に見える石段が、登山道でもある。
11時出発。
志々伎神社への参道。 山の頂上には、志々岐神社の上宮(かみつみや)の石の祠がある。
10分程で、神社に着いた。 志々伎山神社は、式内社だという。
※ 平安時代の初めに、国が面倒をみる神社である官社の一覧表がつくられた。
この中にある神社が、式内社。 志々伎神社は、入っている。 肥前には4つしかない。
神社の社格が、普通の神社より上、ということのよう。
5分程歩くと、神社の跡があった。
中宮跡とある。 下山の時に見ることに。
馬ノ背のような所を歩いている。 自然の中にいるって感じがする。
腰掛け石。 いつの時代の話だろう。

※ 名前がついていると、「腰掛け石のとこで、一休みしようね」とか言える。
途中で、道が下っていくので、間違ったかなと思って戻った。
道の分岐は見つからなかった。 引き返して、そのまま下っていくことにした。
海に出たら、もう一度登ることにして。
※ 今日は、山用のナビを持って来なかった。 それがあれば、困らなかった。
だいぶ下ったら、こっちが頂上と、案内板があった。
そんなことをして、30分程経ったら、海が見えた。
見える島は、五島列島のよう。
そして、頂上も見えた。 向こう側から登るために、下ったりしていた。
稚児の塔が、この上100㍍にあると書いてある。 道はないが、帰りに行くことに。
住職にいじめられて、ここまで登って、自ら命を絶ったよう。
小さな祠や、祠の跡。 山全体が、志々伎山神社の境内。
時々ロープの場所があったりしながら、崖の下に近づいた。
ここまで、1時間。 行ったり来たりしなかったら、45分くらいでしょうか。
昔は、ここで草履をぬいで、裸足で登ったそう。
急な登りが続く。
こう見えたが、頂上とは思えない。
登ったら、開けた。 いい天気になった。
天気は、自分の行いとは関係ないが、行いが良かったから晴れたと思いたくなる。
頂上っぽい。
手前の海は、湾。 向こうも平戸島。
向こうから上がって来た。 右下は、崖。 強風の時は、危険。
もう少し。 木が生えているのは、安全のために有り難い。
着きました。 12時15分頃に。 志々伎山、山頂。 347㍍と書いてある。
五島列島のよう。 この時は、分からなかった。 ※ 福江島には、2年前に行ってきた。
左にず~っと、平戸島。 この風景を見られるのが、山の楽しみ。
水を飲んで、バナナとミカンを食べた。
どうだいと、足に聞いてみた。 この靴、登りやすいね、と言った。
※ 昨年の夏に、旭川で2足買った。 両方とも、足を包み込むような靴。 気に入っている。
この後、動画を撮る。 ※ 最後にある。
登って来たのは、もっと左の方からのよう。
佐世保方面でしょうか。 船が行く。 仲間の船か。
幅は、数㍍。 向こうに下る。 左の方にだったかな。
頂上付近は、危険。
ロープのある所では、ロープを離さない。 それなら、子供でも来れるでしょうか。
30分程いて、下山開始。
実は、登って来る時、この岩に手をかけた。 そうしたら、そこに動物のウンチがあった。
軍手をはいた手で、触った。
稚児の塔の下に、来ました。
木につかまらないと、登れない斜面。 危険ではないが。
岩が見えてきた。 稜線の上に出たよう。
何の実でしょう。
あった。 小さな石の祠。 亡くなった子を不憫に思って、作ったんですね。
安政四と読める。 1857年。 幕末。
木につかまりながら、下りていた。 その時だった。
目の前10㍍の所を、左から右に、イノシシが走り抜けた。
5頭ほど。 大きさは、50㌢位。 まるで運動会。
どんな走り方かは、分かりますね。 猪突猛進。
私はどうしたか。 カメラは手にしていなかった。
リュックから、急いで、熊除けのスプレーを出していた。
その後、親イノシシは現れなかった。
最後に見た海かな。
中宮跡の石段を上ってみた。 石灯。 瓦も、所々に。
少し高い場所に、拝殿があったよう。 左に、石段。 左向きに立っていたと考えてよさそう。
柱なんかも、朽ち果てている。
屋根の端っこに付ける、大黒様の瓦か。 少し悲しそう。
かわいそうに思って、石垣の上に置いた。 倒れないように。
そうして、写真を撮った。 大黒様は、うれしそうに笑った。
この上が、中宮の境内。
志々伎神社の石段を下る。 コンクリートは、使っていない。 昔のまま。
石が沈んだら、小石を挟む。
玄武岩の石段。
無事に、我が家に戻りました。
岩があって、遺跡があって、石段もあって、風景が良くて、今日くらいだと十分。
イノシシにも、恵比寿さんにも出会えた。
あ! 恵比寿さんに、ミカンでもあげればよかった。
もう一度この島に来たら、再度登りましょう。
恵比寿さんに会いに。 おみやげを持って。
平戸市は、あと1日。
【動画】 志々伎山山頂の様子と、山頂からの風景。
【今日の歌】 別れのブルース ※ 藤浦洸作詞
淡谷のりこが、軍歌を歌わないことは知っていた。 それもあって、好きだった。
コロッケの物まねに、ぷんぷん怒っていたのも、よかった。
下の写真は、アルバムと本の表紙の写真。

文は、本の裏表紙に書いてある文。
彼女は、そう言う人だった。 いい人に、藤浦洸は詞を書いた。
素敵なハーモニーを。
【停泊場所】 平戸城下の駐車場
【明日の予定】 平戸島を出ます。 平戸市の田平(たびら)町に。
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そこからは、四方全てが見えた。
久しぶりに晴れて、温かい一日になった。
イノシシと出会って、びっくり。
※ ※ ※ ※
ここが、九州本土の最西端になるんですね。 だから、本土最西端。
県道から、少し上がって来た。 阿弥陀寺のそばにいる。
昨夜は、この下に停泊。

阿弥陀寺。 左に小さく、志々伎山が見える。 右に見える石段が、登山道でもある。

11時出発。
志々伎神社への参道。 山の頂上には、志々岐神社の上宮(かみつみや)の石の祠がある。

10分程で、神社に着いた。 志々伎山神社は、式内社だという。
※ 平安時代の初めに、国が面倒をみる神社である官社の一覧表がつくられた。
この中にある神社が、式内社。 志々伎神社は、入っている。 肥前には4つしかない。
神社の社格が、普通の神社より上、ということのよう。

5分程歩くと、神社の跡があった。

中宮跡とある。 下山の時に見ることに。

馬ノ背のような所を歩いている。 自然の中にいるって感じがする。

腰掛け石。 いつの時代の話だろう。

※ 名前がついていると、「腰掛け石のとこで、一休みしようね」とか言える。
途中で、道が下っていくので、間違ったかなと思って戻った。
道の分岐は見つからなかった。 引き返して、そのまま下っていくことにした。
海に出たら、もう一度登ることにして。
※ 今日は、山用のナビを持って来なかった。 それがあれば、困らなかった。
だいぶ下ったら、こっちが頂上と、案内板があった。
そんなことをして、30分程経ったら、海が見えた。

見える島は、五島列島のよう。

そして、頂上も見えた。 向こう側から登るために、下ったりしていた。

稚児の塔が、この上100㍍にあると書いてある。 道はないが、帰りに行くことに。
住職にいじめられて、ここまで登って、自ら命を絶ったよう。

小さな祠や、祠の跡。 山全体が、志々伎山神社の境内。


時々ロープの場所があったりしながら、崖の下に近づいた。
ここまで、1時間。 行ったり来たりしなかったら、45分くらいでしょうか。
昔は、ここで草履をぬいで、裸足で登ったそう。

急な登りが続く。

こう見えたが、頂上とは思えない。

登ったら、開けた。 いい天気になった。
天気は、自分の行いとは関係ないが、行いが良かったから晴れたと思いたくなる。

頂上っぽい。

手前の海は、湾。 向こうも平戸島。

向こうから上がって来た。 右下は、崖。 強風の時は、危険。

もう少し。 木が生えているのは、安全のために有り難い。

着きました。 12時15分頃に。 志々伎山、山頂。 347㍍と書いてある。

五島列島のよう。 この時は、分からなかった。 ※ 福江島には、2年前に行ってきた。

左にず~っと、平戸島。 この風景を見られるのが、山の楽しみ。

水を飲んで、バナナとミカンを食べた。
どうだいと、足に聞いてみた。 この靴、登りやすいね、と言った。
※ 昨年の夏に、旭川で2足買った。 両方とも、足を包み込むような靴。 気に入っている。

この後、動画を撮る。 ※ 最後にある。
登って来たのは、もっと左の方からのよう。

佐世保方面でしょうか。 船が行く。 仲間の船か。

幅は、数㍍。 向こうに下る。 左の方にだったかな。

頂上付近は、危険。
ロープのある所では、ロープを離さない。 それなら、子供でも来れるでしょうか。

30分程いて、下山開始。
実は、登って来る時、この岩に手をかけた。 そうしたら、そこに動物のウンチがあった。
軍手をはいた手で、触った。

稚児の塔の下に、来ました。

木につかまらないと、登れない斜面。 危険ではないが。
岩が見えてきた。 稜線の上に出たよう。

何の実でしょう。

あった。 小さな石の祠。 亡くなった子を不憫に思って、作ったんですね。

安政四と読める。 1857年。 幕末。


木につかまりながら、下りていた。 その時だった。
目の前10㍍の所を、左から右に、イノシシが走り抜けた。
5頭ほど。 大きさは、50㌢位。 まるで運動会。
どんな走り方かは、分かりますね。 猪突猛進。
私はどうしたか。 カメラは手にしていなかった。
リュックから、急いで、熊除けのスプレーを出していた。
その後、親イノシシは現れなかった。

最後に見た海かな。

中宮跡の石段を上ってみた。 石灯。 瓦も、所々に。

少し高い場所に、拝殿があったよう。 左に、石段。 左向きに立っていたと考えてよさそう。

柱なんかも、朽ち果てている。

屋根の端っこに付ける、大黒様の瓦か。 少し悲しそう。

かわいそうに思って、石垣の上に置いた。 倒れないように。
そうして、写真を撮った。 大黒様は、うれしそうに笑った。

この上が、中宮の境内。

志々伎神社の石段を下る。 コンクリートは、使っていない。 昔のまま。

石が沈んだら、小石を挟む。

玄武岩の石段。

無事に、我が家に戻りました。

岩があって、遺跡があって、石段もあって、風景が良くて、今日くらいだと十分。
イノシシにも、恵比寿さんにも出会えた。
あ! 恵比寿さんに、ミカンでもあげればよかった。
もう一度この島に来たら、再度登りましょう。
恵比寿さんに会いに。 おみやげを持って。
平戸市は、あと1日。
【動画】 志々伎山山頂の様子と、山頂からの風景。
【今日の歌】 別れのブルース ※ 藤浦洸作詞
淡谷のりこが、軍歌を歌わないことは知っていた。 それもあって、好きだった。
コロッケの物まねに、ぷんぷん怒っていたのも、よかった。
下の写真は、アルバムと本の表紙の写真。

文は、本の裏表紙に書いてある文。
彼女は、そう言う人だった。 いい人に、藤浦洸は詞を書いた。

素敵なハーモニーを。
【停泊場所】 平戸城下の駐車場
【明日の予定】 平戸島を出ます。 平戸市の田平(たびら)町に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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