長崎に、丸山があるという。
そう言えば、何かの歌にあった。 何だ。 そうだ、長崎ブルースだ。 青江三奈。
逢えば別れが こんなにつらい 逢わなきゃ夜が やるせない
どうすりゃいいのさ 思案橋 丸山せつない 恋灯り
ああ せつない長崎 ブルースよ
丸山遊郭に行こうか迷った。 遊郭の側にある、橋の上で。
※ その気持ち分かる、と言いたいところ。
海外貿易の拠点が長崎に移るまで、平戸に、丸山遊郭はあった。
名前と一緒に、長崎に行ってしまった。
※ ※ ※ ※
ここは、鄭成功(ていせいこう)記念公園。 左に、江戸時代に作られた碑が見える。
この人が、鄭成功。 初めて聞く名前。 この地で、生まれた。
近くにの山の上に、鄭成功廟(びょう)があり、そこにあった説明。
鄭成功の父は、鄭芝龍(ていしりゅう)。
元々、海賊だったが、日本に貿易のためやって来た。 平戸島の大名松浦氏と協力して、儲けた。
書籍や陶磁器を売って。 屋敷を平戸に構えた。 日本人の娘との間に子供をもうけた。
その子が、後の鄭成功。
中国の、時代が、明(みん)から清(しん)に移った時、鄭成功は歴史に登場する。
明の復活を願って清と戦う。 最後は負けるが、今の台湾に拠点を移す。
台湾は、オランダが実権を握っていた。 植民地のようなもの。
そのオランダと戦い、台湾から追い出した。
鄭成功は、その時の、中心人物。
現在の台湾のスタートは、その時になった。
鄭成功は、39歳という若さで亡くなるが、台湾の基礎を築いた。
そのために、今でも、彼は台湾では英雄だと云う。(司馬遼太郎が書いた文を参考)
台湾から観光に来た人は、必ず、下の写真の鄭成功廟を訪れると云う。
鄭成功廟の近くに、展望台があった。 そこから見た、千里が浜。 鄭成功記念公演が見える。
上の小さな丘の下に、歓楽郷 丸山跡とあった。 坂を下ったら、川内(かわち)の港。
平戸の港が狭いので、副港のように、ここの港にも外国からの船が入った。
港は栄え、歓楽街が出来た。 鎖国と共に、貿易の拠点は、長崎に移った。
歓楽街丸山も、名前と一緒に、長崎へ。
港のお店に、イカ。 コウイカのよう。
宝亀(ほうき)という地域に来た。 少し高台に上った。
宝亀教会に向かっている。 変わった石垣。 玄武岩に似ている。
※ 兵庫県の北部にある、玄武洞で見た玄武岩は、こうだった。
この時は気付かなかったが、後で、関係してくる。
宝亀教会。 (写真が、少しおかしい)
木造と云うのが、大きな特徴。
地図があった。 現在地が、ここの場所。
窓が下まである。 ベランダも。 これも、特徴。
中に入ってみたが、写真は原則禁止とあった。
外の写真を撮っていたら、地元の人に会った。 説明してくれた。 そうして、中を案内してくれた。
写真も、いいですよと。 ありがたい。
今日は、いくつか教会を見たが、ここが一番美しかった。
入り口の方。 太陽の光は、向こうから来ると云う。
ここの教会の名前は、宝亀教会。 ちなみに、平戸城の別名は、亀岡城。
なぜ、亀がつくのか。 平戸は、九州の北の守りの場所だった。
中国の神話に四神(しじん)というのがある。 天の四方の方角を司る霊獣。
東の青竜(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)の4つ。
どれも、よく耳にする。
北は玄武。 玄武の姿は、こう。 亀とヘビ。
これで、分かりました。 平戸は、北の守りなので、城は亀岡城。
ここの教会の名前に「亀」があるのも、この神話から。
なお、玄界灘の「玄」も玄武から。
以上、全て、案内の人が教えてくれた。
※ 先ほど見た玄武岩が、この地にあるのは、たまたまだろうか。
玄武岩は、五角形が多い。 上の玄部の図が五角形に似ているので、玄武岩と名付けられた。
正面の上。
正面の左右。
横のステンドグラス。 白熱球を使っている。
案内してくれた人に、お礼を言って別れた。
写真が撮れたので、この後は撮れなくてもいいと、余裕が出た。
紐差教会(ひもさし)地区に入った。 見えるのは、紐差教会。
こうです。 面白い木がある。
美しい。 ※ 空に飛んで行きそう。
大きい。 ※ 長崎の浦上天主堂が、原爆で焼けて建てなおすまで、日本で一番大きかったとある。(Wikipedia)
宝亀教会とは、別の美しさ。 白亜の殿堂。
写真は、外だけ。 中は、美しいと云うよりは、荘厳さか。
南の方。
※ 尖がってる山が、少しだけ、遠くに見える。 もしかしたら、志々伎山(しじきやま)か。
この山は、本土最西端の山。 登りたい。 登るかもしれない。
※ 橋が無い時は離島なので、本土にはならない。 平戸は、今は本土。
小さな集落にあった、木ヶ津(きがつ)教会。
少し走って、長泉寺にあった、鯨供養の石造五重塔。 元文4年(1739)に建立。
江戸時代、クジラ漁が盛んだった。 大島もそうだったし、この辺り一帯が、盛んだったよう。
境内から見える海。
「槙の木」と見えるが、高野槇(コウヤマキ)のことと思う。
コウヤマキは、1属1種で、似てる木はない。 この木は少ない。 高野山には多く、そこでは霊木。
別の場所。 冨春庵跡。
栄西が庵を構えたとある。
※ お茶もこの地に伝わったと、別に説明があった。
一般的には、この時に伝えたのは、佐賀県の背振山(せふりやま)と言われている。(以前行った)
最初に伝わったのは、もっと早い時期。 空海とか最澄の時代。
今のように、庶民が飲むのを伝えたのは、栄西。
教会の中は、美しい。 どんな目的があるのでしょう。
その国を植民地にする時、まず、宗教が入る。
命をかけて戦うのを願ったのは、為政者。 殉教と云う美にして。
信者はそのことを知らず、純粋に神を信じるのだが。
そんなことを思ったりするんだが、どうでしょう。
幕府が警戒した理由は、これかも。
※ 一揆の時、団結の力は並大抵でない。 島原の乱のように。
【今日の歌】
「アコースティックギターの第一人者」をネットで調べたら、出て来る名前は、2人。
石川鷹彦と吉川忠英(よしかわちゅうえい)。
吉川忠英は、中島みゆき・松任谷由実・福山雅治・夏川りみ達に関わっている。
レコーディングやコンサートに参加。 作曲・編曲なども。
ギターの演奏が、忠英さん。
2人の演奏は、滅多にない。
吉川忠英さんに、一度だけ会ったことがある。 最後の職場の時。
※ 関連ブログ アコースティックギタリスト 吉川忠英 他 (1月27日)
※ 明日の歌は、今日に関係する何か。 藤浦洸も、あと一度くらい。
【停泊場所】 平戸城の下
【明日の予定】 雪の予報。 歩いてどこかに。 少しだけ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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そう言えば、何かの歌にあった。 何だ。 そうだ、長崎ブルースだ。 青江三奈。
逢えば別れが こんなにつらい 逢わなきゃ夜が やるせない
どうすりゃいいのさ 思案橋 丸山せつない 恋灯り
ああ せつない長崎 ブルースよ
丸山遊郭に行こうか迷った。 遊郭の側にある、橋の上で。
※ その気持ち分かる、と言いたいところ。
海外貿易の拠点が長崎に移るまで、平戸に、丸山遊郭はあった。
名前と一緒に、長崎に行ってしまった。
※ ※ ※ ※
ここは、鄭成功(ていせいこう)記念公園。 左に、江戸時代に作られた碑が見える。

この人が、鄭成功。 初めて聞く名前。 この地で、生まれた。
近くにの山の上に、鄭成功廟(びょう)があり、そこにあった説明。


鄭成功の父は、鄭芝龍(ていしりゅう)。
元々、海賊だったが、日本に貿易のためやって来た。 平戸島の大名松浦氏と協力して、儲けた。
書籍や陶磁器を売って。 屋敷を平戸に構えた。 日本人の娘との間に子供をもうけた。
その子が、後の鄭成功。
中国の、時代が、明(みん)から清(しん)に移った時、鄭成功は歴史に登場する。
明の復活を願って清と戦う。 最後は負けるが、今の台湾に拠点を移す。
台湾は、オランダが実権を握っていた。 植民地のようなもの。
そのオランダと戦い、台湾から追い出した。
鄭成功は、その時の、中心人物。
現在の台湾のスタートは、その時になった。
鄭成功は、39歳という若さで亡くなるが、台湾の基礎を築いた。
そのために、今でも、彼は台湾では英雄だと云う。(司馬遼太郎が書いた文を参考)
台湾から観光に来た人は、必ず、下の写真の鄭成功廟を訪れると云う。

鄭成功廟の近くに、展望台があった。 そこから見た、千里が浜。 鄭成功記念公演が見える。

上の小さな丘の下に、歓楽郷 丸山跡とあった。 坂を下ったら、川内(かわち)の港。

平戸の港が狭いので、副港のように、ここの港にも外国からの船が入った。
港は栄え、歓楽街が出来た。 鎖国と共に、貿易の拠点は、長崎に移った。
歓楽街丸山も、名前と一緒に、長崎へ。

港のお店に、イカ。 コウイカのよう。

宝亀(ほうき)という地域に来た。 少し高台に上った。

宝亀教会に向かっている。 変わった石垣。 玄武岩に似ている。
※ 兵庫県の北部にある、玄武洞で見た玄武岩は、こうだった。
この時は気付かなかったが、後で、関係してくる。

宝亀教会。 (写真が、少しおかしい)

木造と云うのが、大きな特徴。


地図があった。 現在地が、ここの場所。


窓が下まである。 ベランダも。 これも、特徴。

中に入ってみたが、写真は原則禁止とあった。
外の写真を撮っていたら、地元の人に会った。 説明してくれた。 そうして、中を案内してくれた。
写真も、いいですよと。 ありがたい。
今日は、いくつか教会を見たが、ここが一番美しかった。

入り口の方。 太陽の光は、向こうから来ると云う。

ここの教会の名前は、宝亀教会。 ちなみに、平戸城の別名は、亀岡城。
なぜ、亀がつくのか。 平戸は、九州の北の守りの場所だった。
中国の神話に四神(しじん)というのがある。 天の四方の方角を司る霊獣。
東の青竜(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)の4つ。
どれも、よく耳にする。
北は玄武。 玄武の姿は、こう。 亀とヘビ。

これで、分かりました。 平戸は、北の守りなので、城は亀岡城。
ここの教会の名前に「亀」があるのも、この神話から。
なお、玄界灘の「玄」も玄武から。
以上、全て、案内の人が教えてくれた。
※ 先ほど見た玄武岩が、この地にあるのは、たまたまだろうか。
玄武岩は、五角形が多い。 上の玄部の図が五角形に似ているので、玄武岩と名付けられた。
正面の上。

正面の左右。


横のステンドグラス。 白熱球を使っている。


案内してくれた人に、お礼を言って別れた。
写真が撮れたので、この後は撮れなくてもいいと、余裕が出た。
紐差教会(ひもさし)地区に入った。 見えるのは、紐差教会。

こうです。 面白い木がある。

美しい。 ※ 空に飛んで行きそう。

大きい。 ※ 長崎の浦上天主堂が、原爆で焼けて建てなおすまで、日本で一番大きかったとある。(Wikipedia)

宝亀教会とは、別の美しさ。 白亜の殿堂。

写真は、外だけ。 中は、美しいと云うよりは、荘厳さか。


南の方。
※ 尖がってる山が、少しだけ、遠くに見える。 もしかしたら、志々伎山(しじきやま)か。
この山は、本土最西端の山。 登りたい。 登るかもしれない。
※ 橋が無い時は離島なので、本土にはならない。 平戸は、今は本土。

小さな集落にあった、木ヶ津(きがつ)教会。

少し走って、長泉寺にあった、鯨供養の石造五重塔。 元文4年(1739)に建立。
江戸時代、クジラ漁が盛んだった。 大島もそうだったし、この辺り一帯が、盛んだったよう。

境内から見える海。
「槙の木」と見えるが、高野槇(コウヤマキ)のことと思う。

コウヤマキは、1属1種で、似てる木はない。 この木は少ない。 高野山には多く、そこでは霊木。

別の場所。 冨春庵跡。

栄西が庵を構えたとある。

※ お茶もこの地に伝わったと、別に説明があった。
一般的には、この時に伝えたのは、佐賀県の背振山(せふりやま)と言われている。(以前行った)
最初に伝わったのは、もっと早い時期。 空海とか最澄の時代。
今のように、庶民が飲むのを伝えたのは、栄西。
教会の中は、美しい。 どんな目的があるのでしょう。
その国を植民地にする時、まず、宗教が入る。
命をかけて戦うのを願ったのは、為政者。 殉教と云う美にして。
信者はそのことを知らず、純粋に神を信じるのだが。
そんなことを思ったりするんだが、どうでしょう。
幕府が警戒した理由は、これかも。
※ 一揆の時、団結の力は並大抵でない。 島原の乱のように。
【今日の歌】
「アコースティックギターの第一人者」をネットで調べたら、出て来る名前は、2人。
石川鷹彦と吉川忠英(よしかわちゅうえい)。
吉川忠英は、中島みゆき・松任谷由実・福山雅治・夏川りみ達に関わっている。
レコーディングやコンサートに参加。 作曲・編曲なども。
ギターの演奏が、忠英さん。
2人の演奏は、滅多にない。
吉川忠英さんに、一度だけ会ったことがある。 最後の職場の時。
※ 関連ブログ アコースティックギタリスト 吉川忠英 他 (1月27日)
※ 明日の歌は、今日に関係する何か。 藤浦洸も、あと一度くらい。
【停泊場所】 平戸城の下
【明日の予定】 雪の予報。 歩いてどこかに。 少しだけ。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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