今日は、美々津の海側を歩いた。
かつては大きな回船問屋だった家が、民俗資料館になっており、そこを見学した。
美々津の耳川をはさんだ向こうに、権現山がある。
神社と岬があって、深い森の中を散歩した。
※ ※ ※ ※
この道は、昨日歩いた道の、1本海側の道。 美々津には、大きな道が2本ある。
お店。 美々津には、お店は数軒しかない。
私の旅は、買い物を楽しむ旅ではないから、普通は入らない。
※ 今年に入って買ったものは、2つだけ。
佐世保で見つけた、変わった形の小さなギター。
鹿屋市のバラ園で買った、人形の置物。
派手さが無い、しっとりした感じ。
道は、舗装でない所もある。
メインの通路。 途中から、道は石畳。 昔を再現したものではないが。
耳川が見えている。 河口に近い。 港は、川にある。
歴史民俗資料館。 210円。
回船問屋だった河内屋を、復元した建物。 使える材料を使っての復元。 6000万円かかったという。
景気のいい時代でないと、無理な話。
家の奥には、このように庭。 商家の作りは似ている。
詳しく説明していただいた。
一見平屋に見える建物だけど、このように2階がある。
でも、2階の天井は低い。
江戸時代は、武士以外は2階建は建てられなかったそう。
それで、こんな建物になった。
回船問屋の船と言っても、ずいぶんと大きい。
2階の窓からの光が、1階に届く。 そんな良さもある。
手すりがあると、2階に物を上げる時、手すりが邪魔になるという。
美々津は、美々津千軒と呼ばれるほどの繁栄の歴史を持っている。
生活に余裕が出てくると、着る物も贅沢になって来る
呉服店がたくさんあった。
さらに奥へ。 いいですね。
振り返って。
クロネコに出会った。 勝負です。 直ぐに話しかけた。 ネコは、立ち止まった。
いつまでもしゃべるおじちゃんだな~って、座った。
写真撮らせてねって、パチリ。 ポーズって言ってみたけど、手は上げなかった。
小路。 パタンって倒したら椅子になるのがありますね。
ここにも。
この後戻って、権現崎に向かった。 耳川の向こうの小山。
権現崎公園の駐車場から、歩きだした。
神社があった。 港柱神社。
海に下りる道があった。 鳥居も。
石段を下ったら、美々津大橋が。
美々津の町並み。 手前で工事。
祠があった。
中にこんな像が。 何だかは、分からない。
この石段を下りてきた。 耳川の河口。 左は直ぐ海。
戻って、別の道を5分ほど歩いて、展望台へ。 権現岬。 遠くに、美々津灯台。
美々津の町。
下の方が、古い町並み。
北側。
牧水の歌碑。 「海よかげれ水平線の黝(くろ)みより雲よい出で来て海わたれかし」
若山牧水の生家は、ここから10㌔程山の中にある。
深い森の中の道。 歩いていたら、ふさふさした白い毛。 ケサランパサランかと思った。
よく見たら、何かの種だった。
この木だけが、赤い花を咲かせていた。
美々津は、来年もここを通ったら、また歩きますよ。
細かく見て、何か新しい発見をしますね。
一気に北上します。 大分県に入ります。
【今日の歌】
美々津は、高鍋藩の中にあった。
高鍋の名前は、高鍋町として残っている。 宮崎市に近い。
今井美樹は、高鍋町の出身。 そんなことで、今日は彼女の歌、Pride。
この曲は、カラオケで歌う人が多かった。 それで覚えた。
好きな人を好きでいること、それが私のプライド。 そんな感じでしょうか。
【その他】
私は、プロ野球は、日ハムが好き。
今日、斉藤が投げて勝った。 1失点完投勝利。
サンケイスポーツに、こう書いてあった。
「斎藤の体内を支配していたのは緊張感ではなく、闘争心だった」
ダルビッシュから学んでいたと、感じた。
開幕投手に指名してくれた栗山監督に、監督としての初勝利をプレゼントした。
勝ってうれしそうな、斉藤。(日刊スポーツから)
【道の駅】 日向
【明日の予定】 どこかに寄りながら北上。 夕方には、豊後大野市にある道の駅、きよかわに着きます。
4月1日には、第25回 御嶽流神楽大会を見ます。
この日に合わせて、動いていました。 楽しみです。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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かつては大きな回船問屋だった家が、民俗資料館になっており、そこを見学した。
美々津の耳川をはさんだ向こうに、権現山がある。
神社と岬があって、深い森の中を散歩した。
※ ※ ※ ※
この道は、昨日歩いた道の、1本海側の道。 美々津には、大きな道が2本ある。

お店。 美々津には、お店は数軒しかない。
私の旅は、買い物を楽しむ旅ではないから、普通は入らない。

※ 今年に入って買ったものは、2つだけ。
佐世保で見つけた、変わった形の小さなギター。
鹿屋市のバラ園で買った、人形の置物。
派手さが無い、しっとりした感じ。

道は、舗装でない所もある。


メインの通路。 途中から、道は石畳。 昔を再現したものではないが。

耳川が見えている。 河口に近い。 港は、川にある。

歴史民俗資料館。 210円。

回船問屋だった河内屋を、復元した建物。 使える材料を使っての復元。 6000万円かかったという。
景気のいい時代でないと、無理な話。


家の奥には、このように庭。 商家の作りは似ている。

詳しく説明していただいた。
一見平屋に見える建物だけど、このように2階がある。
でも、2階の天井は低い。
江戸時代は、武士以外は2階建は建てられなかったそう。
それで、こんな建物になった。

回船問屋の船と言っても、ずいぶんと大きい。


2階の窓からの光が、1階に届く。 そんな良さもある。

手すりがあると、2階に物を上げる時、手すりが邪魔になるという。

美々津は、美々津千軒と呼ばれるほどの繁栄の歴史を持っている。
生活に余裕が出てくると、着る物も贅沢になって来る
呉服店がたくさんあった。

さらに奥へ。 いいですね。

振り返って。

クロネコに出会った。 勝負です。 直ぐに話しかけた。 ネコは、立ち止まった。
いつまでもしゃべるおじちゃんだな~って、座った。
写真撮らせてねって、パチリ。 ポーズって言ってみたけど、手は上げなかった。


小路。 パタンって倒したら椅子になるのがありますね。

ここにも。

この後戻って、権現崎に向かった。 耳川の向こうの小山。
権現崎公園の駐車場から、歩きだした。

神社があった。 港柱神社。

海に下りる道があった。 鳥居も。

石段を下ったら、美々津大橋が。

美々津の町並み。 手前で工事。

祠があった。

中にこんな像が。 何だかは、分からない。

この石段を下りてきた。 耳川の河口。 左は直ぐ海。

戻って、別の道を5分ほど歩いて、展望台へ。 権現岬。 遠くに、美々津灯台。

美々津の町。

下の方が、古い町並み。

北側。

牧水の歌碑。 「海よかげれ水平線の黝(くろ)みより雲よい出で来て海わたれかし」
若山牧水の生家は、ここから10㌔程山の中にある。

深い森の中の道。 歩いていたら、ふさふさした白い毛。 ケサランパサランかと思った。
よく見たら、何かの種だった。


この木だけが、赤い花を咲かせていた。

美々津は、来年もここを通ったら、また歩きますよ。
細かく見て、何か新しい発見をしますね。
一気に北上します。 大分県に入ります。
【今日の歌】
美々津は、高鍋藩の中にあった。
高鍋の名前は、高鍋町として残っている。 宮崎市に近い。
今井美樹は、高鍋町の出身。 そんなことで、今日は彼女の歌、Pride。
この曲は、カラオケで歌う人が多かった。 それで覚えた。
好きな人を好きでいること、それが私のプライド。 そんな感じでしょうか。
【その他】
私は、プロ野球は、日ハムが好き。
今日、斉藤が投げて勝った。 1失点完投勝利。
サンケイスポーツに、こう書いてあった。
「斎藤の体内を支配していたのは緊張感ではなく、闘争心だった」
ダルビッシュから学んでいたと、感じた。
開幕投手に指名してくれた栗山監督に、監督としての初勝利をプレゼントした。
勝ってうれしそうな、斉藤。(日刊スポーツから)

【道の駅】 日向
【明日の予定】 どこかに寄りながら北上。 夕方には、豊後大野市にある道の駅、きよかわに着きます。
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美々津には、毎年来ている。
静かな佇まいの重伝建地区。 京風の町並みが続く。
よそ者が初めて歩いても、何か落ち着く。 そんな辺りが、魅力でしょうか。
美々津軒というところでお茶を御馳走になって、お話しを聞くことが出来た。
のんびり歩いたので、見たのは、全体の半分だけ。
※ ※ ※ ※
耳川。 橋は、美々津大橋。 国道10号線が通っている。 宮崎市より北に来ると、急に交通量が増えた。
※ 天正6年(1578年)の秋に、耳川の戦いがあった。 豊後の大友宗麟と薩摩の島津義久が戦った。
その1年ほど前、島津に追われ、大伴宗麟を頼って山越えして来た、伊東義祐・伊東祐兵らも参加している。
最後は、大伴軍は敗走する。 耳川を渡る時、3000人と云われるの兵が戦死する。
耳川は、血で染まった。
※ 後に、伊東家は秀吉に仕え、認められる。
伊東祐兵は、島津氏と戦わないで、飫肥(おび)城の初代城主として復活する。
関ヶ原では、九州で唯一家康の味方をする。 飫肥藩は安泰になる。 祐兵は賢かった。
こちらは、河口方面。
正面は、立磐(たていわ)神社。 右の大きな碑は、海軍発祥の地とか、書いてあった。
子供たちが遊んでいる。
美々津は、高鍋藩の商業港だったとある。
神話では、神武天皇は東に向かう時、美々津から船出した。
その時、立磐神社で戦勝と海上安全を祈願したと言われている。
木の穴の中にも、鳥居。
美々津大橋の向こうに鉄橋。 列車が通った。 日豊本線。 ※ にっぽう本線。 小倉から鹿児島まで。
その向こうに、道の橋が見える。 美々津橋。 美々津大橋が出来る前は、国道が通っていた。
さあ、町並みを歩きます。 川の方から上がってきた。 昔の街道。 豊後街道。
振り返って撮影。 趣のあるお店。
左の青い暖簾(のれん)が、美々津軒。 昔のままの家が見学できる。 無料。 この後、行く。
屋根が道路側に流れている家が多い。 物々しい感じがしない。
曲がった道。 今日は行かなかった。
美々津軒にお邪魔した。 こんな飾り。 「いっぺこっぺ」は、あっちこっち とか、どこもかしこも、の意味。
中庭。 左の縁側で、お茶を御馳走になった。
美々津が伝建地区になった経緯などを聞いた。
先頭になって動いた人がいた。 その人を信頼することが出来たことが、大きかった。
建物は明治時代の前半。 この木は、家より古いんですよと、お家の人が教えてくれた。
※ 説明していただいたのは、このお家の奥さま。 子供の頃から住んでいる。
赤い花が見える。
ツツジだろうか。 大きい。
2階が、このように見える。 今いる部屋の天井は高い。
この家は商家で、廻船問屋をしていた。
子ども新聞。 神武天皇の話しが分かりやすい。
道の幅は、向かい側の家の人と、話せる距離。
落っこちないかが、どうしても心配。
奥さまの話しでは、小さい時は、2階に上がらせてもらえなかった。
※ こんな話も聞いた。
ここ美々津は、立縫(たちぬい)の里、とも云う。
神武天皇が出発する朝、少女が、天皇の衣服のほころびを見つけた。
天皇は立ったままで縫わせた。
それで、立縫の里。
また、針を使ったのは朝だった。 神武天皇は行ったきり、戻って来なかった。
それで、美々津では今でも、朝、針をつかうことはないという。
大事な人が戻って来なくなるから。
向こうから歩いてきた。
共同井戸があるということは、ここからみんな水を運んだのか。
近くの観光地の紹介があった。
十根川集落には、昨年の3月16日に行った。 その時の写真。
この日は、震災の5日後だった。 一日いっぱい、自分はどうすればいいか考えていた。
次の日、東北に向かった。
5月の連休が終わって、また九州に戻ってきた。 山に登った。 九重山、阿蘇山、祖母山に。
だいぶ前のことに、感じる。
高台から。 ※ 旧高鍋藩仮屋跡を探しに行ったが、分からなかった。
戻って、また町並みに。
にぎやかです。
落ち着いた感じ。 どの家も、人が住んでいる。
神社があるので、行ってみた。
名前は?
ここにも、小さな神社。
お地蔵さん。
ここのお家の人と、お話し。 木を燃やして、風呂を沸かしている。
その燠(おき)で、カレイを焼いていた。
薪(まき)で沸かしや湯は、あったまる。 こうやって焼いた魚は、油が自然にまわって美味しい。
そう話してくれた。
郵便受けは、神武天皇の船出の船。
毎日いい天気。 お腹がすいてきたので、今日の見学はここまで。 戻った。
今日は、今まで見てない所も見た。 のんびりと、全体の半分。
明日も歩く。 時間があれば、海辺も歩いてみたい。
美々津は、文字も話しての響きも、しっとりしている。 美しい。
【今日の歌】
天地真理。 若葉のささやき です。 彼女の歌には、何曲かいいのがありますね。
可愛かった。 あれから40年。 今は、どうしているのか。
想い出のセレナーデ。
※ 東日本大震災復興応援チャリティソングに、彼女の曲、「ひとりじゃないの」が選ばれている。
【その他】
フィギュアスケートの世界選手権が、フランスのニースで行われています。
ショート・プログラムが終わった段階で、トップはレオノワ。
この子は、注目していいかもしれない。 レオノワについては、このブログの最後に書いています。
アリョーナ・レオノワの滑りです。 3回転・3回転を跳んでいます。 荒削りの感じがします。
音楽は、東欧の匂い。
真央に逆転の可能性がありますよ。
【道の駅】 日向
【明日の予定】 美々津の2日目。
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静かな佇まいの重伝建地区。 京風の町並みが続く。
よそ者が初めて歩いても、何か落ち着く。 そんな辺りが、魅力でしょうか。
美々津軒というところでお茶を御馳走になって、お話しを聞くことが出来た。
のんびり歩いたので、見たのは、全体の半分だけ。
※ ※ ※ ※
耳川。 橋は、美々津大橋。 国道10号線が通っている。 宮崎市より北に来ると、急に交通量が増えた。

※ 天正6年(1578年)の秋に、耳川の戦いがあった。 豊後の大友宗麟と薩摩の島津義久が戦った。
その1年ほど前、島津に追われ、大伴宗麟を頼って山越えして来た、伊東義祐・伊東祐兵らも参加している。
最後は、大伴軍は敗走する。 耳川を渡る時、3000人と云われるの兵が戦死する。
耳川は、血で染まった。
※ 後に、伊東家は秀吉に仕え、認められる。
伊東祐兵は、島津氏と戦わないで、飫肥(おび)城の初代城主として復活する。
関ヶ原では、九州で唯一家康の味方をする。 飫肥藩は安泰になる。 祐兵は賢かった。
こちらは、河口方面。

正面は、立磐(たていわ)神社。 右の大きな碑は、海軍発祥の地とか、書いてあった。
子供たちが遊んでいる。

美々津は、高鍋藩の商業港だったとある。

神話では、神武天皇は東に向かう時、美々津から船出した。
その時、立磐神社で戦勝と海上安全を祈願したと言われている。

木の穴の中にも、鳥居。

美々津大橋の向こうに鉄橋。 列車が通った。 日豊本線。 ※ にっぽう本線。 小倉から鹿児島まで。
その向こうに、道の橋が見える。 美々津橋。 美々津大橋が出来る前は、国道が通っていた。

さあ、町並みを歩きます。 川の方から上がってきた。 昔の街道。 豊後街道。

振り返って撮影。 趣のあるお店。

左の青い暖簾(のれん)が、美々津軒。 昔のままの家が見学できる。 無料。 この後、行く。
屋根が道路側に流れている家が多い。 物々しい感じがしない。

曲がった道。 今日は行かなかった。

美々津軒にお邪魔した。 こんな飾り。 「いっぺこっぺ」は、あっちこっち とか、どこもかしこも、の意味。

中庭。 左の縁側で、お茶を御馳走になった。
美々津が伝建地区になった経緯などを聞いた。
先頭になって動いた人がいた。 その人を信頼することが出来たことが、大きかった。

建物は明治時代の前半。 この木は、家より古いんですよと、お家の人が教えてくれた。
※ 説明していただいたのは、このお家の奥さま。 子供の頃から住んでいる。
赤い花が見える。

ツツジだろうか。 大きい。

2階が、このように見える。 今いる部屋の天井は高い。

この家は商家で、廻船問屋をしていた。

子ども新聞。 神武天皇の話しが分かりやすい。

道の幅は、向かい側の家の人と、話せる距離。

落っこちないかが、どうしても心配。
奥さまの話しでは、小さい時は、2階に上がらせてもらえなかった。

※ こんな話も聞いた。
ここ美々津は、立縫(たちぬい)の里、とも云う。
神武天皇が出発する朝、少女が、天皇の衣服のほころびを見つけた。
天皇は立ったままで縫わせた。
それで、立縫の里。
また、針を使ったのは朝だった。 神武天皇は行ったきり、戻って来なかった。
それで、美々津では今でも、朝、針をつかうことはないという。
大事な人が戻って来なくなるから。
向こうから歩いてきた。

共同井戸があるということは、ここからみんな水を運んだのか。

近くの観光地の紹介があった。
十根川集落には、昨年の3月16日に行った。 その時の写真。
この日は、震災の5日後だった。 一日いっぱい、自分はどうすればいいか考えていた。
次の日、東北に向かった。
5月の連休が終わって、また九州に戻ってきた。 山に登った。 九重山、阿蘇山、祖母山に。
だいぶ前のことに、感じる。

高台から。 ※ 旧高鍋藩仮屋跡を探しに行ったが、分からなかった。

戻って、また町並みに。

にぎやかです。

落ち着いた感じ。 どの家も、人が住んでいる。

神社があるので、行ってみた。

名前は?

ここにも、小さな神社。

お地蔵さん。

ここのお家の人と、お話し。 木を燃やして、風呂を沸かしている。
その燠(おき)で、カレイを焼いていた。
薪(まき)で沸かしや湯は、あったまる。 こうやって焼いた魚は、油が自然にまわって美味しい。
そう話してくれた。

郵便受けは、神武天皇の船出の船。

毎日いい天気。 お腹がすいてきたので、今日の見学はここまで。 戻った。

今日は、今まで見てない所も見た。 のんびりと、全体の半分。
明日も歩く。 時間があれば、海辺も歩いてみたい。
美々津は、文字も話しての響きも、しっとりしている。 美しい。
【今日の歌】
天地真理。 若葉のささやき です。 彼女の歌には、何曲かいいのがありますね。
可愛かった。 あれから40年。 今は、どうしているのか。
想い出のセレナーデ。
※ 東日本大震災復興応援チャリティソングに、彼女の曲、「ひとりじゃないの」が選ばれている。
【その他】
フィギュアスケートの世界選手権が、フランスのニースで行われています。
ショート・プログラムが終わった段階で、トップはレオノワ。
この子は、注目していいかもしれない。 レオノワについては、このブログの最後に書いています。
アリョーナ・レオノワの滑りです。 3回転・3回転を跳んでいます。 荒削りの感じがします。
音楽は、東欧の匂い。
真央に逆転の可能性がありますよ。
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矢研ぎの滝は、大きな滝だった。 ※ やとぎの滝。
でも、近づいて見ることは出来なかった。 ※ 道が壊れたよう。
遠くから見たのだが、育った木が邪魔をして、全体は見えなかった。
別の滝を見に向かったが、道が悪かったので、引き返した。
今日は、うまくいかなかった。
※ ※ ※ ※
ヤフーの地図が今までと変わって、ブログに貼り付けると、ここですという印が消える。
今日は、とりあえず、下の地図を。 ※ 拡大とかできない。
小さな駐車場から、右の道を行く。
矢研の滝は下の方に。 ここから、40分。
※ 尾鈴山に登れないか検討していたが、登山口までの道が細いので、やめることに。
直ぐに橋が。 変わった橋だが、この時は何も気づかない。 川は、名貫川(なぬきがわ)。
滝への道にしては、少し立派。
わざわざトンネルを掘るかな。
コンクリートの何かが。
線路の枕木かな。
※ 後で調べて分かったのだが、名貫川に沿って、昔、森林鉄道が走っていた。 木材を運ぶため。
動物が現れた時のために、大きなカメラも持ってきた。 このカメラは、見つけてから望遠で撮るまでが数秒。
キャンプ場に出た。
道は細くなった。 途中で2回、人に出会った。 小学生の子どもにも。
谷の下に滝が見えた。 数㍍の高さ。 こういう滝が、一帯にたくさんある。
滝が見えた。 これが、矢研の滝にしては小さい。 もっと大きいはず。
若葉の滝とあった。
上の滝から少し歩いたら、見えた。 これ以上は行けない。 進入禁止を少しだけ越えて撮影。
手前の川の中の岩に、金属が見えたので、以前はもっと先まで道があったよう。
木が育ってきているので、十分に見えない。
情報誌とかに載ってる写真とは、全く違う。
下の写真は、Wikipediaのもの。 私の位置より、大分前に行っている。
ネットには、滝壺に近づいて撮ってる写真がたくさんある。 古い写真だろうか。
一応動画を撮って、残念だなあ~、と思って引き返す。
下の場所で、魚がいないか釣ってみた。
釣れない。 滝が続くので、魚は登って来られない。
キャンプ場に、大きなもみの木があった。
森の巨人たち百選の木だった。 これに認定された木は、本当に全国に100本しかない。
神社で祀られてるので、価値が上がったのだろうか。
最初の橋。 コンクリートの橋脚が見えた。 この橋の上に小さな鉄道があった。
昭和11年とあった。 調べたら、戦後も使われたよう。 この橋は最初の橋ではない。
尾鈴山瀑布群の道を歩き始めた。 終点まで2時間。 行けるとこまで、行くことにして。
道が頼りなかった。 矢研の滝への道とは、全く違った。
駐車場に戻ってきた。
美々津のそばにある道の駅、日向(ひゅうが)に向かった。
滝はうまくいかなかったので、途中何かを見ようと、走った。
天気はいい。 のどかな山村の集落。
赤い花があったので停車して、見た。 そうしたら、花ではなく葉っぱだった。
若葉は、淡い緑を想像するが、赤い若葉もある。
湧水があった。 絶えず人がいた。 いい水だという。 お寿司屋さんもいた。
私も、十数㍑汲んだ。 美味しい水が飲めるのは、うれしい。
こんな作業をしていた。 大麦若葉って言ったかな。
道の駅日向で散歩。 小高い丘の上。 下に道の駅。
向こうは、日向市の中心街。 そのずっと向こうは、延岡(のべおか)市。
公園。 家族連れ。
美々津(みみつ)灯台。
花を探した。 小さな花が、いろいろ見つかった。
滝を見るだけが目的ではない。 その途中に何かがあるの。 それも楽しみ。
今日は、滝についてはうまくいかなかったが、それ以外はよかった。
こんな日があっても、いいことにしましょう。
【動画】
【今日の歌】
別れの朝です。 前野曜子が歌うのが、非常に評価が高い。 私も、彼女の歌うのが好き。
彼女は、宝塚出身。 ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカルだったが、途中で抜ける。
酒で体を壊したよう。 40歳でなくなる。
高橋真梨子の歌うのが、よく知られている。 彼女は、前野曜子の後、ボーカルをつとめる。
原曲は、オーストリアのウッド・ユルゲンスの「Was ich dir sagen will」(夕映えのふたり)。
作詞作曲し、自ら歌っている。 彼の歌ってる動画も、YouTubeにはある。 ドイツ語で。
下で歌っているのは、マット・モンロー(Matt Monro)
この人は、イギリスの歌手。 歌詞は、フランス語でいいでしょうか。
マット・モンローは、007の「ロシアより愛をこめて」を歌っているので知られています。
キム・ヨナは、バンクーバーで、動画に出てくる、秘密情報院のタチアナを演じた。 そして、金メダル。
【その他】 快晴の旭岳。 北海道の最高峰です。 この場所は、姿見の池付近。
姉夫婦が、スノーシューをはいて、この辺りまで行ってきた。 今日です。
※ 3年前に登りました。 その時の写真。
【道の駅】 日向(ひゅうが)
【明日の予定】 ここでのんびり。 そばに美々津があるので、歩く。 ここは毎年。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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でも、近づいて見ることは出来なかった。 ※ 道が壊れたよう。
遠くから見たのだが、育った木が邪魔をして、全体は見えなかった。
別の滝を見に向かったが、道が悪かったので、引き返した。
今日は、うまくいかなかった。
※ ※ ※ ※
ヤフーの地図が今までと変わって、ブログに貼り付けると、ここですという印が消える。
今日は、とりあえず、下の地図を。 ※ 拡大とかできない。

小さな駐車場から、右の道を行く。

矢研の滝は下の方に。 ここから、40分。

※ 尾鈴山に登れないか検討していたが、登山口までの道が細いので、やめることに。
直ぐに橋が。 変わった橋だが、この時は何も気づかない。 川は、名貫川(なぬきがわ)。

滝への道にしては、少し立派。

わざわざトンネルを掘るかな。

コンクリートの何かが。

線路の枕木かな。
※ 後で調べて分かったのだが、名貫川に沿って、昔、森林鉄道が走っていた。 木材を運ぶため。

動物が現れた時のために、大きなカメラも持ってきた。 このカメラは、見つけてから望遠で撮るまでが数秒。

キャンプ場に出た。

道は細くなった。 途中で2回、人に出会った。 小学生の子どもにも。

谷の下に滝が見えた。 数㍍の高さ。 こういう滝が、一帯にたくさんある。

滝が見えた。 これが、矢研の滝にしては小さい。 もっと大きいはず。
若葉の滝とあった。

上の滝から少し歩いたら、見えた。 これ以上は行けない。 進入禁止を少しだけ越えて撮影。
手前の川の中の岩に、金属が見えたので、以前はもっと先まで道があったよう。
木が育ってきているので、十分に見えない。
情報誌とかに載ってる写真とは、全く違う。

下の写真は、Wikipediaのもの。 私の位置より、大分前に行っている。
ネットには、滝壺に近づいて撮ってる写真がたくさんある。 古い写真だろうか。

一応動画を撮って、残念だなあ~、と思って引き返す。
下の場所で、魚がいないか釣ってみた。
釣れない。 滝が続くので、魚は登って来られない。

キャンプ場に、大きなもみの木があった。

森の巨人たち百選の木だった。 これに認定された木は、本当に全国に100本しかない。
神社で祀られてるので、価値が上がったのだろうか。


最初の橋。 コンクリートの橋脚が見えた。 この橋の上に小さな鉄道があった。

昭和11年とあった。 調べたら、戦後も使われたよう。 この橋は最初の橋ではない。

尾鈴山瀑布群の道を歩き始めた。 終点まで2時間。 行けるとこまで、行くことにして。
道が頼りなかった。 矢研の滝への道とは、全く違った。
駐車場に戻ってきた。

美々津のそばにある道の駅、日向(ひゅうが)に向かった。
滝はうまくいかなかったので、途中何かを見ようと、走った。
天気はいい。 のどかな山村の集落。

赤い花があったので停車して、見た。 そうしたら、花ではなく葉っぱだった。
若葉は、淡い緑を想像するが、赤い若葉もある。

湧水があった。 絶えず人がいた。 いい水だという。 お寿司屋さんもいた。
私も、十数㍑汲んだ。 美味しい水が飲めるのは、うれしい。

こんな作業をしていた。 大麦若葉って言ったかな。

道の駅日向で散歩。 小高い丘の上。 下に道の駅。

向こうは、日向市の中心街。 そのずっと向こうは、延岡(のべおか)市。

公園。 家族連れ。

美々津(みみつ)灯台。

花を探した。 小さな花が、いろいろ見つかった。





滝を見るだけが目的ではない。 その途中に何かがあるの。 それも楽しみ。
今日は、滝についてはうまくいかなかったが、それ以外はよかった。
こんな日があっても、いいことにしましょう。
【動画】
【今日の歌】
別れの朝です。 前野曜子が歌うのが、非常に評価が高い。 私も、彼女の歌うのが好き。
彼女は、宝塚出身。 ペドロ&カプリシャスの初代ヴォーカルだったが、途中で抜ける。
酒で体を壊したよう。 40歳でなくなる。
高橋真梨子の歌うのが、よく知られている。 彼女は、前野曜子の後、ボーカルをつとめる。
原曲は、オーストリアのウッド・ユルゲンスの「Was ich dir sagen will」(夕映えのふたり)。
作詞作曲し、自ら歌っている。 彼の歌ってる動画も、YouTubeにはある。 ドイツ語で。
下で歌っているのは、マット・モンロー(Matt Monro)
この人は、イギリスの歌手。 歌詞は、フランス語でいいでしょうか。
マット・モンローは、007の「ロシアより愛をこめて」を歌っているので知られています。
キム・ヨナは、バンクーバーで、動画に出てくる、秘密情報院のタチアナを演じた。 そして、金メダル。
【その他】 快晴の旭岳。 北海道の最高峰です。 この場所は、姿見の池付近。
姉夫婦が、スノーシューをはいて、この辺りまで行ってきた。 今日です。

※ 3年前に登りました。 その時の写真。
【道の駅】 日向(ひゅうが)
【明日の予定】 ここでのんびり。 そばに美々津があるので、歩く。 ここは毎年。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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宮崎県立西都原考古博物館。
今の時代なら、こんな立派な建物を建てるのは無理、そう思う程でした。
少し、勉強しました。 面白いことを、いくつか知りました。 それを紹介。
※ ※ ※ ※
考古博物館は、向こうの少し高い所にある。 今日は、自転車で動き回る。
子供たちも、元気にやってきた。
中は広く、今まで見てきた資料館などとは、違った。 右の人は、博物館の人。 いくつか教えてもらう。
西都原古墳群から何が分かるのか。 なぞ解きをしてくれる。 そんな展示。
展示してある物は、基本的に本物。
縄文顔と弥生顔の歯は、違うという。
弥生顔の歯は、上の歯が前に出るとある。 誰もがこうかなと思っていた。
※ 日本人の多くは、大陸から渡ってきた人たちのよう。 古墳時代には、行き来があった。
朝鮮の百済が、660年に滅びる。
その時、百済から落ち武者のように、多くの人たちがやってくる。 追われた平氏のように。
このことは、博物館の人に質問して分かった。
ずっと同じ場所で暮らす人もいたが、動く人もいたよう。
※ 上の文で、「楽園は心の中だ」と書いてある。
博物館で知りたいことは、上のような、個人の思っていることではない。
瀬戸内海は、海の国道のように使われていた。 陸地は道が不十分だし、危険か。
※ ここ日向(ひゅうが)の地と、近畿方面は、交流は盛んだった。
大陸に渡る時、福岡方面から行くルートと、九州の南周りルートがあった。
政治情勢で、北のルートが危険な時、南のルートが使われた。
日向が栄えたのは、その時期と、博物館の人に教わった。
弥生時代に入って、貧富の差が出てきた。 支配する、支配されるがあって、争いが増えた。
古墳の中から発見される物は、ボロボロの状態。
金や銀以外は、こうなってしまうのか。
本物。 赤い色は、ベンガラ。
※ ベンガラは、酸化鉄顔料。
かつてインドのベンガル地方産のものを輸入したために「べんがら」と名づけられた。(Wikipedia)
※ 岡山県の吹屋で、ベンガラを見た。
先日、最古の木造小学校が閉校のニュースがあった。 あの小学校は、吹屋にある。
馬の鞍(くら)。 全体の3割が見つかって、それを元に復元したもの。
見つかった部分は、国宝。
金の成分なども同じにして復元。
屋上から。
大きな桜の木。
この桜は、赤い花。 知らない道を走っている。
このはな館。
休日ではないが、多くの人。
菜の花は、コノハナサクヤヒメの、コノハナに似ているので、植えているのか。
記・紀の道という散歩道を通って、街に向かった。
石貫(いしぬき)神社に、石があった。
石貫の意味が分かる。 少しずるい。
コノハナサクヤヒメは、産湯にこの池の水を使った。
この池の水は、いつもきれいだったとある。
街で用事を済ませて、木喰五智館(もくじきごちかん)に。
木喰上人が、江戸時代に彫った。 普通の仏像と顔が違う。
微笑んでいるのかな。 千体を目指して彫ったという。
日本中を歩いて仏像を彫った。 そういう面、円空に似ている。
表情は、微笑んでいるで、いいのかな。
5つある像を、五智如来座像と呼んでいる。
※ 個人的には、円空の像の表情の方が好き。
国分寺跡とあった。 奈良時代に国に一つ建てられた。 総本山は、奈良の東大寺。
こんな道を戻った。
2日間、古墳群の公園で楽しみました。
古墳群全体を、公園の環境にして、親しみやすい場所にしたんですね。
いい方法と、感じました。
西都市の山に入ろうとしたのですが、道が細いことが分かり、やめにしました。
北に向かいます。
【今日の歌】
異邦人です。
歌っているのは、坂井 泉水(さかい いずみ)。 ZARDのボーカリスト。
※ この人については、今まで、色々書いています。 いつかまた紹介。
ギターは、B'z(ビーズ)の松本孝弘。 世界が認める力の持ち主です。 作曲もする。
松本孝弘の考えで、坂井泉水が歌うことになったようです。
こっちは、本家の久保田早紀。 作詞・作曲とも、彼女。
異邦人の原曲と言われるのが、マリア・リスボア(Maria Lisboa)です。 ポルトガルの曲。
曲調やメロディ進行が似ているが、よく聴かないと分からない。
※ 久保田早紀が隠している訳ではないため、盗作と言われることはない。
※ 異邦人の収録を、彼女はポルトガルで行っている。
※ 久保田早紀は上手ですね。 今の名前は、久米小百合。
少し前に、彼女が歌う「百万本のバラ」を紹介しました。 圧巻でしたね。
【停泊場所】 古墳群の駐車場。 昨晩と同じ。
【明日の予定】 山に入ります。 尾鈴山の麓。 大きな滝がある。
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今の時代なら、こんな立派な建物を建てるのは無理、そう思う程でした。
少し、勉強しました。 面白いことを、いくつか知りました。 それを紹介。
※ ※ ※ ※
考古博物館は、向こうの少し高い所にある。 今日は、自転車で動き回る。

子供たちも、元気にやってきた。

中は広く、今まで見てきた資料館などとは、違った。 右の人は、博物館の人。 いくつか教えてもらう。

西都原古墳群から何が分かるのか。 なぞ解きをしてくれる。 そんな展示。

展示してある物は、基本的に本物。

縄文顔と弥生顔の歯は、違うという。
弥生顔の歯は、上の歯が前に出るとある。 誰もがこうかなと思っていた。

※ 日本人の多くは、大陸から渡ってきた人たちのよう。 古墳時代には、行き来があった。
朝鮮の百済が、660年に滅びる。
その時、百済から落ち武者のように、多くの人たちがやってくる。 追われた平氏のように。
このことは、博物館の人に質問して分かった。
ずっと同じ場所で暮らす人もいたが、動く人もいたよう。

※ 上の文で、「楽園は心の中だ」と書いてある。
博物館で知りたいことは、上のような、個人の思っていることではない。
瀬戸内海は、海の国道のように使われていた。 陸地は道が不十分だし、危険か。

※ ここ日向(ひゅうが)の地と、近畿方面は、交流は盛んだった。
大陸に渡る時、福岡方面から行くルートと、九州の南周りルートがあった。
政治情勢で、北のルートが危険な時、南のルートが使われた。
日向が栄えたのは、その時期と、博物館の人に教わった。
弥生時代に入って、貧富の差が出てきた。 支配する、支配されるがあって、争いが増えた。

古墳の中から発見される物は、ボロボロの状態。

金や銀以外は、こうなってしまうのか。

本物。 赤い色は、ベンガラ。

※ ベンガラは、酸化鉄顔料。
かつてインドのベンガル地方産のものを輸入したために「べんがら」と名づけられた。(Wikipedia)
※ 岡山県の吹屋で、ベンガラを見た。
先日、最古の木造小学校が閉校のニュースがあった。 あの小学校は、吹屋にある。
馬の鞍(くら)。 全体の3割が見つかって、それを元に復元したもの。
見つかった部分は、国宝。
金の成分なども同じにして復元。

屋上から。

大きな桜の木。

この桜は、赤い花。 知らない道を走っている。

このはな館。

休日ではないが、多くの人。

菜の花は、コノハナサクヤヒメの、コノハナに似ているので、植えているのか。

記・紀の道という散歩道を通って、街に向かった。
石貫(いしぬき)神社に、石があった。

石貫の意味が分かる。 少しずるい。

コノハナサクヤヒメは、産湯にこの池の水を使った。

この池の水は、いつもきれいだったとある。

街で用事を済ませて、木喰五智館(もくじきごちかん)に。

木喰上人が、江戸時代に彫った。 普通の仏像と顔が違う。

微笑んでいるのかな。 千体を目指して彫ったという。
日本中を歩いて仏像を彫った。 そういう面、円空に似ている。
表情は、微笑んでいるで、いいのかな。

5つある像を、五智如来座像と呼んでいる。


※ 個人的には、円空の像の表情の方が好き。
国分寺跡とあった。 奈良時代に国に一つ建てられた。 総本山は、奈良の東大寺。

こんな道を戻った。

2日間、古墳群の公園で楽しみました。
古墳群全体を、公園の環境にして、親しみやすい場所にしたんですね。
いい方法と、感じました。
西都市の山に入ろうとしたのですが、道が細いことが分かり、やめにしました。
北に向かいます。
【今日の歌】
異邦人です。
歌っているのは、坂井 泉水(さかい いずみ)。 ZARDのボーカリスト。
※ この人については、今まで、色々書いています。 いつかまた紹介。
ギターは、B'z(ビーズ)の松本孝弘。 世界が認める力の持ち主です。 作曲もする。
松本孝弘の考えで、坂井泉水が歌うことになったようです。
こっちは、本家の久保田早紀。 作詞・作曲とも、彼女。
異邦人の原曲と言われるのが、マリア・リスボア(Maria Lisboa)です。 ポルトガルの曲。
曲調やメロディ進行が似ているが、よく聴かないと分からない。
※ 久保田早紀が隠している訳ではないため、盗作と言われることはない。
※ 異邦人の収録を、彼女はポルトガルで行っている。
※ 久保田早紀は上手ですね。 今の名前は、久米小百合。
少し前に、彼女が歌う「百万本のバラ」を紹介しました。 圧巻でしたね。
【停泊場所】 古墳群の駐車場。 昨晩と同じ。
【明日の予定】 山に入ります。 尾鈴山の麓。 大きな滝がある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
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西都原古墳群は、広い公園になっていた。 ※ さいとばる こふんぐん
菜の花が咲いて、多くの人たちが遊びに来ていた。
ソメイヨシノが開き始め、桜祭りの準備も始まっていた。
古墳があるので、神話の地でもあった。
都萬(つま)神社には、コノヒメサクヤヒメが祀られていた。
おみくじを買ったら、大吉。 初めてかもしれない。
だいじに、神棚にかざった。
※ ※ ※ ※
西都市は、宮崎県の真ん中辺りにある。
今日は月曜日。 全ての施設は休み。 詳しい資料はない。
この時は、自分がどこにいるのかも、分からない。
広く菜の花が咲いている。 家族連れが多い。 学校は休みに入って、子供も。
サクラの木も多い。 右奥に見えるテントは、桜祭りのお店の準備。
すぐそばに古墳があった。 コノハナサクヤヒメの墓と言われている。
この墓が、西都原古墳群の中心。
※ コノハナサクヤヒメは、系図ではこの位置。 神武天皇のひいおばあちゃん。 曾祖母(そうそぼ)。
第三古墳群。 古墳は、4~7世紀に作られた。
こんな感じである。
※ 西都原古墳群全体では、311の古墳がある。 日本最大級の古墳群。
古墳は元々、石で覆われていた。 保存のため、土をかぶせ、芝を植えた。
やっと地図があった。 上の方の、第二古墳群のパーキング。 ※ ここに停泊することになる。
木陰で、お弁当を食べてる人がいる。
多くの古墳は、まだ発掘されていない。 謎を秘めて、眠ったまま。
右に菜の花畑を囲むように、道がある。 いい環境。
鬼の巌(いわや)古墳。
説明には、ここの古墳群の中では、最後に出来たとあった。
この古墳にだけ、横穴式石室がある。
3人家族が、すわってお休み。
昔の盗掘で、横穴が見えるようになったのか。
このように荒れていたのを、復元した。
天井の石が大きい。
向こうの森の中に、コノハナサクヤヒメの墓。
※ コノハナサクヤヒメの墓は、宮内庁陵墓参考地。 宮内庁が、それなりに認めている状態。
上の写真にも写っていた家族。
小学校高学年か中学生くらいの女の子が、カメラで動画を撮っていた。
しゃべりながら撮っていた。 その瞬間感じたことを、ずっと。 歩きながらも。 いいなと思った。
第一古墳群。 西都原古墳群は、昭和40年代に入って、整備された。
この古墳の中が見学できることになっていたが、見学は出来なかった。
手前に、20分の1の模型があった。 このように、本来は石で囲まれていた。
咲き始めました。 ソメイヨシノでいいでしょうか。
何が人を惹きつけるのでしょう。 桜は、とくにいい。 一足先に咲いて、誇らしげ。
フデリンドウが無いか探した。 探して下を見たら、すぐに見つかった。
花の直径は1㌢もない。 可愛い花だ。
※ カメラはリコーのCX5。 失敗が少ないので、花は最近これで撮ってる。
周りの草を少しよけた。 夕方になったら花は閉じる。 そうなったら、フデリンドウの発見は無理。
背丈は、3~4㌢。 この花を最初に知ったのは、根室にいた時。
この後いくら探しても、他には見つからなかった。
この後、都萬(つま)神社に行った。 境内に、クスノキの大木。
こんなになっても生きている。 樹齢1200年とあった。 名前は、妻のクス。
コノハナサクヤヒメのことが、書いてある。
石橋があった。 太鼓橋。
拝殿が見える。 後ろに本殿。
古くからある神社で、平安時代初期の書物に、登場している。
ここを通ったら願い事が叶う、とあったのでくぐった。
日本一の大太刀(おおたち)。 1450年に奉納されたものと、説明にあった。
部屋を片付けるがいい。 何か努力をしないと、願いは叶わないと考えた。
御神籤(おみくじ)があった。 100円と200円。 100円のを買った。 吉だった。
今のは練習・リハーサルだったことにして、200円のを再度買った。 大吉だった。
御神籤が大吉だったことは、記憶にない。
乾杯しないとバチが当たると考え、途中で酒を買った。 少しの惣菜と。
サクラの花を窓の外に見ながら、花見も兼ねて、乾杯。
西都原古墳群は、しばらくここにいたいと思う程、花と緑がいっぱいの環境。
いい所です。
【今日の歌】
歌と共に、一つの世界を演じている。 顔で笑って、心で泣いて。
多くの人が、この曲を歌っている。 金子由香利のが、いちばんいい。
再会。
【停泊場所】 古墳群の駐車場
【明日の予定】 もう一日ここに。
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菜の花が咲いて、多くの人たちが遊びに来ていた。
ソメイヨシノが開き始め、桜祭りの準備も始まっていた。
古墳があるので、神話の地でもあった。
都萬(つま)神社には、コノヒメサクヤヒメが祀られていた。
おみくじを買ったら、大吉。 初めてかもしれない。
だいじに、神棚にかざった。
※ ※ ※ ※
西都市は、宮崎県の真ん中辺りにある。
今日は月曜日。 全ての施設は休み。 詳しい資料はない。
この時は、自分がどこにいるのかも、分からない。
広く菜の花が咲いている。 家族連れが多い。 学校は休みに入って、子供も。

サクラの木も多い。 右奥に見えるテントは、桜祭りのお店の準備。

すぐそばに古墳があった。 コノハナサクヤヒメの墓と言われている。
この墓が、西都原古墳群の中心。

※ コノハナサクヤヒメは、系図ではこの位置。 神武天皇のひいおばあちゃん。 曾祖母(そうそぼ)。

第三古墳群。 古墳は、4~7世紀に作られた。

こんな感じである。
※ 西都原古墳群全体では、311の古墳がある。 日本最大級の古墳群。

古墳は元々、石で覆われていた。 保存のため、土をかぶせ、芝を植えた。

やっと地図があった。 上の方の、第二古墳群のパーキング。 ※ ここに停泊することになる。

木陰で、お弁当を食べてる人がいる。
多くの古墳は、まだ発掘されていない。 謎を秘めて、眠ったまま。

右に菜の花畑を囲むように、道がある。 いい環境。

鬼の巌(いわや)古墳。
説明には、ここの古墳群の中では、最後に出来たとあった。
この古墳にだけ、横穴式石室がある。
3人家族が、すわってお休み。

昔の盗掘で、横穴が見えるようになったのか。

このように荒れていたのを、復元した。

天井の石が大きい。

向こうの森の中に、コノハナサクヤヒメの墓。
※ コノハナサクヤヒメの墓は、宮内庁陵墓参考地。 宮内庁が、それなりに認めている状態。

上の写真にも写っていた家族。
小学校高学年か中学生くらいの女の子が、カメラで動画を撮っていた。
しゃべりながら撮っていた。 その瞬間感じたことを、ずっと。 歩きながらも。 いいなと思った。

第一古墳群。 西都原古墳群は、昭和40年代に入って、整備された。

この古墳の中が見学できることになっていたが、見学は出来なかった。
手前に、20分の1の模型があった。 このように、本来は石で囲まれていた。

咲き始めました。 ソメイヨシノでいいでしょうか。

何が人を惹きつけるのでしょう。 桜は、とくにいい。 一足先に咲いて、誇らしげ。

フデリンドウが無いか探した。 探して下を見たら、すぐに見つかった。
花の直径は1㌢もない。 可愛い花だ。
※ カメラはリコーのCX5。 失敗が少ないので、花は最近これで撮ってる。

周りの草を少しよけた。 夕方になったら花は閉じる。 そうなったら、フデリンドウの発見は無理。
背丈は、3~4㌢。 この花を最初に知ったのは、根室にいた時。
この後いくら探しても、他には見つからなかった。

この後、都萬(つま)神社に行った。 境内に、クスノキの大木。
こんなになっても生きている。 樹齢1200年とあった。 名前は、妻のクス。

コノハナサクヤヒメのことが、書いてある。


石橋があった。 太鼓橋。

拝殿が見える。 後ろに本殿。

古くからある神社で、平安時代初期の書物に、登場している。

ここを通ったら願い事が叶う、とあったのでくぐった。

日本一の大太刀(おおたち)。 1450年に奉納されたものと、説明にあった。

部屋を片付けるがいい。 何か努力をしないと、願いは叶わないと考えた。

御神籤(おみくじ)があった。 100円と200円。 100円のを買った。 吉だった。
今のは練習・リハーサルだったことにして、200円のを再度買った。 大吉だった。
御神籤が大吉だったことは、記憶にない。
乾杯しないとバチが当たると考え、途中で酒を買った。 少しの惣菜と。
サクラの花を窓の外に見ながら、花見も兼ねて、乾杯。
西都原古墳群は、しばらくここにいたいと思う程、花と緑がいっぱいの環境。
いい所です。
【今日の歌】
歌と共に、一つの世界を演じている。 顔で笑って、心で泣いて。
多くの人が、この曲を歌っている。 金子由香利のが、いちばんいい。
再会。
【停泊場所】 古墳群の駐車場
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