舞鶴は、満州など、大陸からの引揚者を迎え入れた。
その数、約66万人。 ※ 遺骨の数、1万6千。
※ 終戦時、海外に残された日本人は、その10倍の約660万人。
引き揚げのスタートは、昭和20年10月。 最後は、昭和33年9月。
13年間に及んだ。 使った船は、57隻。
中国の東北部の満州にいた日本人は、約170万人。
よその国の土地を奪って、そこに住むことに、なんの疑問も持たないで、行ったんだろうか。
例えそれが、国策だとしても。
※ ※ ※ ※
引揚記念館は、湾の右端。 道の駅は、左下。 舞鶴港からは、北海道へのフェリーが出ている。
広く、引揚記念公園になっている。
建物の壁にあった文。 こんなのを読むと、記念館の姿勢が分かる。
入館料は300円。 ※ 赤レンガ博物館と合わせて、400円。
入ってすぐ、昭和の戦争をどう表記しているかを調べた。
すると、第二次世界大戦、太平洋戦争、という表現だった。
まともだなと感じた。 もし、大東亜戦争だったら、この資料館を見る価値はなくなる。
※ 大東亜戦争と言ってる所は、基本的に戦争を美化している。
知覧特攻平和会館など、そういう所が多い。
よその国の中に、満州国を作った。 傀儡(かいらい)政権と云われる国。
追い出された中国の人たちは、どこに行ったんだろう。
写真の人達は、他の国に来ているという罪悪感は、なかったんだろうか。
下の手紙は、旧ソ連の捕虜になった人達の手紙。 厳しい検閲を通っている。
捕虜は、給料を払わないで働かせることが出来る。 それが目的。
北海道の鉄道を、囚人や朝鮮人に作らせたのと同じ。
満足な食料はない。 冬は、極寒。
上の作業現場は、ウルガル付近とあったので、大体下の地図の印の辺り。 アムール河の流域になる。
北海道より、かなり緯度が高いので、冬にマイナス30度は当たり前。
記念館の中。 一部を除いて、写真はOK。
シベリアに抑留された人の数は、約107万人。 実質的に亡くなったのは、約34万人。 3分の1は死んだ。
※ 日本の全体の死者は、約310万人。 (ちなみに、ソ連は2000万人を越えている。) ※ 数字は、Wikipedia等。
※ 東日本大震災でも多くの人が亡くなった。 でも、戦争での死者数は、桁(けた)が違ってくる。
※ 戦争の責任があやふや。 不思議なこと。
捕虜の服装。
引揚港は、10港だったとある。
引揚船。
桟橋。 船から上陸して来た。 先頭の人は、遺骨を抱えている。
やっと戻ってきた。
舞鶴には、満州からが多い。
舞鶴には、2つの港があった。
高砂丸。 30回行き来し、55000人を運んだ。
いつ戻って来るかの情報は、きっと分からない。 待ち続けて、やっと会えるのか。
この建物は、舞鶴引揚援護局。 引揚者の面倒を見た。 行く当てのない人だっている。
上陸の様子。
地元の人たちは、温かく迎えた。 どこに向かっているんだろう。
岸壁の母のモデルの端野いせさんと、その息子。 息子さんは亡くなった。 でも待ち続けた。
思い出して描いた絵。 船に乗るため、港を目指して何日も歩く。
※ 途中で子供を中国人に預けることがあった。 子供は、後に残留孤児と呼ばれた。
預ける時、親はどんなことを考え、どんな心境だったかが知りたい。
また、中国人は、どんな思いで預かったのか。
こんな絵も。
引揚船の中。 船底で寝る。
ころ島港とある。 ここから出る船が多かった。 4~5日で舞鶴に。
大連は近い。 203高地の旅順も。
地図ではこう。
下のような文があった。 しわ寄せは、弱い物にとあると。
※ こんな文を展示すると、文句をいう組織や人物が、まだ日本には多い。
展示の内容で、舞鶴引揚記念館の姿勢が分かる。
こんな写真も。 男の子は、お腹を空かしている。
船の上での食事。

食べる物が無くなったらお終い、とある。
上の思いで、ちばてつやが描いた。
漫画家が、こんなに満州にいた。
公園の小高い丘の上に行ってみた。
石碑とかがあった。
歌碑。 後ろの山は、昨日登った青葉山。
像もあった。
奥の右が、湾の出口。
以前、同じ職場に、赤ちゃんの時に満州から引き揚げてきたんですよ、という女性がいた。
母親に感謝だねって、話したことがある。 山形出身の人。
※ 以前、息子さんの目のことで、ブログに登場したことがある。
この人から、ビタミンの役割とかを初めて学んだ。
健康に関心を持った、スタート。
子供の心を、どうつかむかなども、学んだ。
今日の話は、たった60数年前の出来事ですね。
【今日の歌】
ミュージカル「異国の丘」 画面をクリックすると、YouTubeに行きます。 ※ 貼り付けられない。
シベリアに抑留されている人達の中で生まれた歌。 作曲は吉田正。 彼も、シベリアにいた。
この曲は、軍歌とは別と考えていいですね。
岸壁の母を最初に歌った人。
大連には、多くの日本人がいた。 今の大連は、大都会。 大陸の匂いがする、不思議なメロディ。
【道の駅】 舞鶴港とれとれセンター
【明日の予定】 赤レンガ博物館を見る。 その後、亀岡へ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で9位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
その数、約66万人。 ※ 遺骨の数、1万6千。
※ 終戦時、海外に残された日本人は、その10倍の約660万人。
引き揚げのスタートは、昭和20年10月。 最後は、昭和33年9月。
13年間に及んだ。 使った船は、57隻。
中国の東北部の満州にいた日本人は、約170万人。
よその国の土地を奪って、そこに住むことに、なんの疑問も持たないで、行ったんだろうか。
例えそれが、国策だとしても。
※ ※ ※ ※
引揚記念館は、湾の右端。 道の駅は、左下。 舞鶴港からは、北海道へのフェリーが出ている。

広く、引揚記念公園になっている。

建物の壁にあった文。 こんなのを読むと、記念館の姿勢が分かる。

入館料は300円。 ※ 赤レンガ博物館と合わせて、400円。
入ってすぐ、昭和の戦争をどう表記しているかを調べた。
すると、第二次世界大戦、太平洋戦争、という表現だった。
まともだなと感じた。 もし、大東亜戦争だったら、この資料館を見る価値はなくなる。
※ 大東亜戦争と言ってる所は、基本的に戦争を美化している。
知覧特攻平和会館など、そういう所が多い。
よその国の中に、満州国を作った。 傀儡(かいらい)政権と云われる国。

追い出された中国の人たちは、どこに行ったんだろう。
写真の人達は、他の国に来ているという罪悪感は、なかったんだろうか。

下の手紙は、旧ソ連の捕虜になった人達の手紙。 厳しい検閲を通っている。


捕虜は、給料を払わないで働かせることが出来る。 それが目的。
北海道の鉄道を、囚人や朝鮮人に作らせたのと同じ。

満足な食料はない。 冬は、極寒。


上の作業現場は、ウルガル付近とあったので、大体下の地図の印の辺り。 アムール河の流域になる。
北海道より、かなり緯度が高いので、冬にマイナス30度は当たり前。
記念館の中。 一部を除いて、写真はOK。

シベリアに抑留された人の数は、約107万人。 実質的に亡くなったのは、約34万人。 3分の1は死んだ。
※ 日本の全体の死者は、約310万人。 (ちなみに、ソ連は2000万人を越えている。) ※ 数字は、Wikipedia等。
※ 東日本大震災でも多くの人が亡くなった。 でも、戦争での死者数は、桁(けた)が違ってくる。
※ 戦争の責任があやふや。 不思議なこと。
捕虜の服装。

引揚港は、10港だったとある。

引揚船。

桟橋。 船から上陸して来た。 先頭の人は、遺骨を抱えている。

やっと戻ってきた。

舞鶴には、満州からが多い。

舞鶴には、2つの港があった。

高砂丸。 30回行き来し、55000人を運んだ。

いつ戻って来るかの情報は、きっと分からない。 待ち続けて、やっと会えるのか。

この建物は、舞鶴引揚援護局。 引揚者の面倒を見た。 行く当てのない人だっている。

上陸の様子。


地元の人たちは、温かく迎えた。 どこに向かっているんだろう。

岸壁の母のモデルの端野いせさんと、その息子。 息子さんは亡くなった。 でも待ち続けた。



思い出して描いた絵。 船に乗るため、港を目指して何日も歩く。

※ 途中で子供を中国人に預けることがあった。 子供は、後に残留孤児と呼ばれた。
預ける時、親はどんなことを考え、どんな心境だったかが知りたい。
また、中国人は、どんな思いで預かったのか。
こんな絵も。


引揚船の中。 船底で寝る。

ころ島港とある。 ここから出る船が多かった。 4~5日で舞鶴に。
大連は近い。 203高地の旅順も。

地図ではこう。

下のような文があった。 しわ寄せは、弱い物にとあると。
※ こんな文を展示すると、文句をいう組織や人物が、まだ日本には多い。
展示の内容で、舞鶴引揚記念館の姿勢が分かる。

こんな写真も。 男の子は、お腹を空かしている。


船の上での食事。

食べる物が無くなったらお終い、とある。

上の思いで、ちばてつやが描いた。

漫画家が、こんなに満州にいた。

公園の小高い丘の上に行ってみた。

石碑とかがあった。

歌碑。 後ろの山は、昨日登った青葉山。

像もあった。

奥の右が、湾の出口。

以前、同じ職場に、赤ちゃんの時に満州から引き揚げてきたんですよ、という女性がいた。
母親に感謝だねって、話したことがある。 山形出身の人。
※ 以前、息子さんの目のことで、ブログに登場したことがある。
この人から、ビタミンの役割とかを初めて学んだ。
健康に関心を持った、スタート。
子供の心を、どうつかむかなども、学んだ。
今日の話は、たった60数年前の出来事ですね。
【今日の歌】
ミュージカル「異国の丘」 画面をクリックすると、YouTubeに行きます。 ※ 貼り付けられない。

シベリアに抑留されている人達の中で生まれた歌。 作曲は吉田正。 彼も、シベリアにいた。
この曲は、軍歌とは別と考えていいですね。
岸壁の母を最初に歌った人。
大連には、多くの日本人がいた。 今の大連は、大都会。 大陸の匂いがする、不思議なメロディ。
【道の駅】 舞鶴港とれとれセンター
【明日の予定】 赤レンガ博物館を見る。 その後、亀岡へ。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で9位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
青葉山は霞んでいる。 ガスっぽい天気。
登るかどうか迷った。
弁当も作ったし、天気だって変わるかもしれない。
予想通り天気は変わった。 でも、いい方には変わらなかった。
下山後、激しい土砂降りになった。 登山道が、小川になるほどの。
※ ※ ※ ※
青葉山は、高浜町と舞鶴市との境にある。 頂上は、高浜町。
この天気です。 昨日とは違う。
青葉山青少年旅行村の駐車場。 頂上は見えていない。 登山口まで、5分ほど歩く。
私より少し先に、名古屋から来たという7人のグループが出発している。
登山口。
頂上の高さは、693㍍。 東峰。 西峰もあって、1㍍低い692㍍。
※ 頂上が耳のように2つあるので、双耳峰という山。 由布岳もそうだった。
1時間半で着きそう。
山の下は、昔は棚田か段畑があったよう。 今は、木が植えられている。
人気のある山は、登山道が整備されている。
小雨が降り出して来た。 傘をさしている。
青葉神社が、山の頂上。 高い方の東峰。
隙間から下界が見えた。
いつもそうだけの、見えた時に撮っておくことにしている。 この後、見えないかも知れないので。
名古屋からの人達が、見えた。 みんな傘をさしている。
※ 風が強いと、傘は使えない。 そうなったら、戻るけど。
シャガの花。 アヤメの仲間。 右は、分からない。
登山道が深く掘れている。 青葉さんは信仰の山。 昔から人は登った。
展望台に着いた。 みんな一休み。 霧の中。
頂上まで、1㌔程。
下は、何も見えない。 山の楽しみが、一つ消えた。
ちょっと歩くと、金比羅大権現。 名古屋の人達より、先に出ている。
歩きやすい道。 この頃、小雨は止んだ。
登りが続く。
あとちょっと。
この時、ハトのような鳴き声が聞こえた。
ポッポッポッ、のように鳴いた。
キジバト(ヤマバト)は、デデッポッポーって鳴くが、それとは違う。
※ 晩に調べたが、分からなかった。
左に、大きな岩がある。 ここが馬ノ背でしょうか。 奥に、薄っすらと頂上が見えた。
岩に登って、足元はこう。 左奥から登ってきた。
下の風景が見えることになっているが、何も見えない。
でも、雨にぬれた新緑は、いっそう美しい。
登り始めたら、すぐに頂上に着いた。 頂上の場所に、青葉神社。
下にベンチがある。 後で、食事はここでする。
ここから、下が見渡せるのだろうか。
神社の裏に、頂上の標識。 693㍍。
名古屋からの人達が着いた。
名古屋の人達は、今度50人程で、この山に来るそう。 今回は、下見で来た。
この後、みんなで食事。 賑やか。
名古屋にいたら、ここまで来なくても、山はいくらでもあるんでない、って私は聞いた。
みんな登ってしまったので、この青葉山になったと、言った。
名古屋の人達は、西峰に行く予定だったようだが、行かないことにした。
天気のこととかがあって。
私も止めた。 きっと景色が見えないから。
20分程食事をして、下山開始。 私は一番後ろを歩く。
みんな元気。 北海道の山を登った人もいる。
金比羅大権現。 休まないで、すぐに下る。
私の後ろに、5人いる。
みんな、ワラビを探しながら歩いている。 ミツバを採ってる人も。
※ ワラビの煮物は美味しい。 居酒屋でおでんに入っていたら、いつも注文する。
味噌汁に、ミツバが散らばっていると、香りがいい。 自然のは、香りが強い。
雲行きが怪しくなって、遠くで雷が鳴り出した。 みんな急いで下山。
駐車場に着いた頃、雨が降り出した。
重要文化財の中山寺を見る予定だったが、写真を1枚撮ってお終い。
雨が強くなってきた。
この後、名古屋の人達とお別れ。 舞鶴に向かった。
途中で、スーパーで買い物。
買い物が終わって車に戻ろうとしたら、土砂降り。 車に行けない。
駐車場は、川のように水が流れている。 5秒外にいたら、ずぶぬれ。 そんな雨。
止むのを待った。
今日の青葉山は、上からの景色が見られませんでした。
でも、名古屋からの人達と話せたので、退屈はしませんでした。
いい一日でした。
【今日の歌】
学生時代。 作詞作曲は、平岡 精二と云う人。 ペギー葉山の1964年のヒット曲。
2人とも、青山学院大学出身。
下の編曲が、一番好き。 あるアルバムの中にある。
1番の歌詞に、秋の日の図書館の・・、というのがある。
上の動画の写真が、その図書館。 間島記念館という建物。 現在は、資料館。 青山学院大にある。
1番の歌詞の出だしの、ツタのからまるチャペルは、写真の左の建物。
ベリーホールと云う建物。 ※ 上の建物もこれも、国登録有形文化財。
祈りをささげた場所は、ベリーホールの中にある、チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂。 写真右。
※ 設計は、J.H.ヴォーゲルと云う人。
この人は、ヴォーリズ建築事務所の中心メンバーだった人。 米国人。
ヴォーリズは、ブログで何度か紹介。 最北の建物は、北海道北見にあるピアソン記念館。
近江八幡にも、ヴォーリズの設計した建物があった。
この編曲が基本。 テンポが速い。
誰が歌っているか分からないが、いい。
プロかどうか、分からない。 もう少しすっぱい感じなら、本田路津子。
もしかして、サザンの原由子。 桑田佳祐の奥さま。 彼女の歌を色々聴いてみたが、確認出来ない。
女性には誰にも、今日の歌のような学生時代があった。
誰もが、そこから少しずつ遠ざかって、歳を重ねていく。
この歌を聴くと、そのことを感じさせてくれるかな。
【道の駅】 舞鶴港とれとれセンター
【明日の予定】 岸壁の母の舞台を調べてみます。
戦後満州から多くの人たちが引き揚げました。
その中心の港が、ここ、舞鶴港です。
見晴らしのいい所にも、行きたい。 登りたい。
31日に、亀岡に戻ります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で9位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
登るかどうか迷った。
弁当も作ったし、天気だって変わるかもしれない。
予想通り天気は変わった。 でも、いい方には変わらなかった。
下山後、激しい土砂降りになった。 登山道が、小川になるほどの。
※ ※ ※ ※
青葉山は、高浜町と舞鶴市との境にある。 頂上は、高浜町。
この天気です。 昨日とは違う。

青葉山青少年旅行村の駐車場。 頂上は見えていない。 登山口まで、5分ほど歩く。
私より少し先に、名古屋から来たという7人のグループが出発している。

登山口。

頂上の高さは、693㍍。 東峰。 西峰もあって、1㍍低い692㍍。
※ 頂上が耳のように2つあるので、双耳峰という山。 由布岳もそうだった。
1時間半で着きそう。

山の下は、昔は棚田か段畑があったよう。 今は、木が植えられている。

人気のある山は、登山道が整備されている。
小雨が降り出して来た。 傘をさしている。

青葉神社が、山の頂上。 高い方の東峰。

隙間から下界が見えた。
いつもそうだけの、見えた時に撮っておくことにしている。 この後、見えないかも知れないので。

名古屋からの人達が、見えた。 みんな傘をさしている。
※ 風が強いと、傘は使えない。 そうなったら、戻るけど。

シャガの花。 アヤメの仲間。 右は、分からない。


登山道が深く掘れている。 青葉さんは信仰の山。 昔から人は登った。

展望台に着いた。 みんな一休み。 霧の中。

頂上まで、1㌔程。

下は、何も見えない。 山の楽しみが、一つ消えた。

ちょっと歩くと、金比羅大権現。 名古屋の人達より、先に出ている。


歩きやすい道。 この頃、小雨は止んだ。

登りが続く。

あとちょっと。
この時、ハトのような鳴き声が聞こえた。
ポッポッポッ、のように鳴いた。
キジバト(ヤマバト)は、デデッポッポーって鳴くが、それとは違う。
※ 晩に調べたが、分からなかった。

左に、大きな岩がある。 ここが馬ノ背でしょうか。 奥に、薄っすらと頂上が見えた。

岩に登って、足元はこう。 左奥から登ってきた。

下の風景が見えることになっているが、何も見えない。
でも、雨にぬれた新緑は、いっそう美しい。

登り始めたら、すぐに頂上に着いた。 頂上の場所に、青葉神社。
下にベンチがある。 後で、食事はここでする。


ここから、下が見渡せるのだろうか。

神社の裏に、頂上の標識。 693㍍。

名古屋からの人達が着いた。

名古屋の人達は、今度50人程で、この山に来るそう。 今回は、下見で来た。
この後、みんなで食事。 賑やか。

名古屋にいたら、ここまで来なくても、山はいくらでもあるんでない、って私は聞いた。
みんな登ってしまったので、この青葉山になったと、言った。
名古屋の人達は、西峰に行く予定だったようだが、行かないことにした。
天気のこととかがあって。
私も止めた。 きっと景色が見えないから。
20分程食事をして、下山開始。 私は一番後ろを歩く。

みんな元気。 北海道の山を登った人もいる。

金比羅大権現。 休まないで、すぐに下る。

私の後ろに、5人いる。
みんな、ワラビを探しながら歩いている。 ミツバを採ってる人も。
※ ワラビの煮物は美味しい。 居酒屋でおでんに入っていたら、いつも注文する。
味噌汁に、ミツバが散らばっていると、香りがいい。 自然のは、香りが強い。

雲行きが怪しくなって、遠くで雷が鳴り出した。 みんな急いで下山。
駐車場に着いた頃、雨が降り出した。

重要文化財の中山寺を見る予定だったが、写真を1枚撮ってお終い。
雨が強くなってきた。

この後、名古屋の人達とお別れ。 舞鶴に向かった。
途中で、スーパーで買い物。
買い物が終わって車に戻ろうとしたら、土砂降り。 車に行けない。
駐車場は、川のように水が流れている。 5秒外にいたら、ずぶぬれ。 そんな雨。
止むのを待った。
今日の青葉山は、上からの景色が見られませんでした。
でも、名古屋からの人達と話せたので、退屈はしませんでした。
いい一日でした。
【今日の歌】
学生時代。 作詞作曲は、平岡 精二と云う人。 ペギー葉山の1964年のヒット曲。
2人とも、青山学院大学出身。
下の編曲が、一番好き。 あるアルバムの中にある。
1番の歌詞に、秋の日の図書館の・・、というのがある。
上の動画の写真が、その図書館。 間島記念館という建物。 現在は、資料館。 青山学院大にある。
1番の歌詞の出だしの、ツタのからまるチャペルは、写真の左の建物。
ベリーホールと云う建物。 ※ 上の建物もこれも、国登録有形文化財。
祈りをささげた場所は、ベリーホールの中にある、チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂。 写真右。
※ 設計は、J.H.ヴォーゲルと云う人。
この人は、ヴォーリズ建築事務所の中心メンバーだった人。 米国人。
ヴォーリズは、ブログで何度か紹介。 最北の建物は、北海道北見にあるピアソン記念館。
近江八幡にも、ヴォーリズの設計した建物があった。


この編曲が基本。 テンポが速い。
誰が歌っているか分からないが、いい。
プロかどうか、分からない。 もう少しすっぱい感じなら、本田路津子。
もしかして、サザンの原由子。 桑田佳祐の奥さま。 彼女の歌を色々聴いてみたが、確認出来ない。
女性には誰にも、今日の歌のような学生時代があった。
誰もが、そこから少しずつ遠ざかって、歳を重ねていく。
この歌を聴くと、そのことを感じさせてくれるかな。
【道の駅】 舞鶴港とれとれセンター
【明日の予定】 岸壁の母の舞台を調べてみます。
戦後満州から多くの人たちが引き揚げました。
その中心の港が、ここ、舞鶴港です。
見晴らしのいい所にも、行きたい。 登りたい。
31日に、亀岡に戻ります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は4位、 旅行全体で9位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
小さな景勝地があったので見た。
その後、大飯原発に行ったが、入り口で通行止め。
近くの家は、全て立派。 原発御殿(?)
山陰の漁村の風景ではなかった。
高浜町もおおい町も、合併はしない。
合併したら、原発マネーは、散らばってしまう。
2つの町の両側には、舞鶴市と小浜市。
2つの市に、原発はない。
でも、原発のリスクだけは、2つの町と、さほど変わらない。
今、なぜ、大飯原発なのか。 それが今日分かった。
小浜市の三丁町のブログで、山川登美子を紹介した。
彼女は結婚したが、自分が決めた人ではなかった。
今日は、こんなのを歌った歌を2曲紹介。
※ ※ ※ ※
若狭本郷駅。 近くに小浜ラーメンの店があるので寄ったが、閉店していた。
見える機関車は、義経号のレプリカ。 国鉄が、アメリカから輸入して使った。
港を少し散歩。 見える橋は、青戸の大橋。
橋を渡って10㌔程走ると、大飯原発。 今、騒がれている。 後で行く。
近くにある、城山公園。
場所は、下の地図の左。 右上に、大飯原発。 真ん中に、今いる道の駅。
岩に穴があいた風景。 明鏡洞。
名勝、高浜八穴とある。 公園になっている。
左の方の小高い山。 昔、高浜城があった。
遊歩道から。 直ぐ前の下に、明鏡洞がある。
展望台があった。
遠くに、青戸の大橋が見えている。
見える半島の先に、大飯原発はある。
岩と松がある景勝地。
海岸に下りた。 遠くに、青葉山。
小さな島。 真ん中に、トンネルがあった。
西側に来た。
再び青葉山。 美しい。 これを見て、登ってみようかなと思った。 人気があるそう。
伴 信友と云う人の歌。 江戸時代の国学者。 地元の人。
ここは、江戸時代から景勝地地として知られていた。
大飯原発に向かった。 資料館もあるので、それを見れたらいいなと。
※ 道の心配は全く要らない。 原発の町の道は、どこも完璧。
どうして今、大飯原発が騒がれるのか、それが知りたかった。
でも、今日は休みだった。 月曜日。
トンネルが見えるが、抜けたら大飯原発。 近い。
ガードマンがいる。 そこまで行って、戻ってきた。
下の浜に下りた。
山の向こうが大飯原発。
他の漁村と、家並みが違った。
どのようにお金が降りてくるのか、その仕組みは分からないが、どの家も御殿。
まるで、原発御殿。 貧しそうな家はない。
直ぐ近くの丹後半島の集落は、全く違う。
例えば伊根の町並みは、開発から取り残されるように、昔からの家が佇んでいる。
箱モノと云われる物の、お金のかけ方が違った。
なぜ大飯原発なのかは、調べて分かった。
他の原発と比べて新しいため、安全性が高いと判断された。 再稼働するなら、大飯原発しかないと。
原発で潤っているおおい町や高浜町は、今後大変な時代がやって来る。
原発マネーで生きてきたから、自立して生きる術(すべ)を持っていない。
箱モノの維持に大きなお金がかかる。
今まで合併しないで、恩恵を一人占めして来たから、舞鶴市や小浜市と合併しようとしても、今更何だと云われる。
国が、再稼働を地元の自治体に判断させようとしていることに、問題があるかもしれない。
もし再稼働させるにしても、期間限定にしてもらいたい。
原発ゼロへのつなぎとして。
【今日の歌】
心を隠して、望まぬ結婚をする人って、どれだけいるのでしょう。
ジュリー・ロジャースは、1943年ロンドン生まれの女性ポップシンガー。 当時21歳。
※ 下の歌詞は、英語の歌詞を忠実に訳したものです。
白く輝く 花嫁衣裳に
心を隠した 美しいその姿
その目に溢れる 一筋の涙を
私は知っている アヴェ・マリア
祭壇の前に立ち 偽りの愛を誓い
十字架に口づけして 神の許しを願う
その目に溢れる 一筋の涙を
私は知っている アヴェ・マリア
アヴェ・マリア アヴェ・マリア
アヴェ・マリア
島倉千代子のこの世の花。 私が小学生の頃流行った。
うえと同じような内容を歌っている。
1 あかく咲く花 青い花
この世に咲く花数々あれど
涙にぬれてつぼみのままに
散るは乙女の初恋の花
2 想う人には嫁がれず
想わぬ人の言うまま気まま
悲しさこらえ 笑顔を見せて
散るもいじらし 初恋の花
3 君のみ胸に黒髪を
うずめた楽し 想い出月夜
よろこび去りて涙は残る
夢は返らぬ初恋の花
※ 2番の歌詞に、笑顔を見せてとある。
かぐや姫の、僕の胸でおやすみ、の歌詞を思い出す。
「きみの笑顔の向こうにある悲しみは・・・」
【道の駅】 シーサイド高浜
【明日の予定】 若狭では一番の名峰、青葉山に登ります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
その後、大飯原発に行ったが、入り口で通行止め。
近くの家は、全て立派。 原発御殿(?)
山陰の漁村の風景ではなかった。
高浜町もおおい町も、合併はしない。
合併したら、原発マネーは、散らばってしまう。
2つの町の両側には、舞鶴市と小浜市。
2つの市に、原発はない。
でも、原発のリスクだけは、2つの町と、さほど変わらない。
今、なぜ、大飯原発なのか。 それが今日分かった。
小浜市の三丁町のブログで、山川登美子を紹介した。
彼女は結婚したが、自分が決めた人ではなかった。
今日は、こんなのを歌った歌を2曲紹介。
※ ※ ※ ※
若狭本郷駅。 近くに小浜ラーメンの店があるので寄ったが、閉店していた。
見える機関車は、義経号のレプリカ。 国鉄が、アメリカから輸入して使った。

港を少し散歩。 見える橋は、青戸の大橋。
橋を渡って10㌔程走ると、大飯原発。 今、騒がれている。 後で行く。

近くにある、城山公園。

場所は、下の地図の左。 右上に、大飯原発。 真ん中に、今いる道の駅。

岩に穴があいた風景。 明鏡洞。

名勝、高浜八穴とある。 公園になっている。

左の方の小高い山。 昔、高浜城があった。

遊歩道から。 直ぐ前の下に、明鏡洞がある。

展望台があった。

遠くに、青戸の大橋が見えている。


見える半島の先に、大飯原発はある。


岩と松がある景勝地。

海岸に下りた。 遠くに、青葉山。

小さな島。 真ん中に、トンネルがあった。

西側に来た。

再び青葉山。 美しい。 これを見て、登ってみようかなと思った。 人気があるそう。

伴 信友と云う人の歌。 江戸時代の国学者。 地元の人。
ここは、江戸時代から景勝地地として知られていた。

大飯原発に向かった。 資料館もあるので、それを見れたらいいなと。
※ 道の心配は全く要らない。 原発の町の道は、どこも完璧。
どうして今、大飯原発が騒がれるのか、それが知りたかった。
でも、今日は休みだった。 月曜日。

トンネルが見えるが、抜けたら大飯原発。 近い。
ガードマンがいる。 そこまで行って、戻ってきた。


下の浜に下りた。

山の向こうが大飯原発。

他の漁村と、家並みが違った。
どのようにお金が降りてくるのか、その仕組みは分からないが、どの家も御殿。
まるで、原発御殿。 貧しそうな家はない。
直ぐ近くの丹後半島の集落は、全く違う。
例えば伊根の町並みは、開発から取り残されるように、昔からの家が佇んでいる。

箱モノと云われる物の、お金のかけ方が違った。

なぜ大飯原発なのかは、調べて分かった。
他の原発と比べて新しいため、安全性が高いと判断された。 再稼働するなら、大飯原発しかないと。
原発で潤っているおおい町や高浜町は、今後大変な時代がやって来る。
原発マネーで生きてきたから、自立して生きる術(すべ)を持っていない。
箱モノの維持に大きなお金がかかる。
今まで合併しないで、恩恵を一人占めして来たから、舞鶴市や小浜市と合併しようとしても、今更何だと云われる。
国が、再稼働を地元の自治体に判断させようとしていることに、問題があるかもしれない。
もし再稼働させるにしても、期間限定にしてもらいたい。
原発ゼロへのつなぎとして。
【今日の歌】
心を隠して、望まぬ結婚をする人って、どれだけいるのでしょう。
ジュリー・ロジャースは、1943年ロンドン生まれの女性ポップシンガー。 当時21歳。
※ 下の歌詞は、英語の歌詞を忠実に訳したものです。
白く輝く 花嫁衣裳に
心を隠した 美しいその姿
その目に溢れる 一筋の涙を
私は知っている アヴェ・マリア
祭壇の前に立ち 偽りの愛を誓い
十字架に口づけして 神の許しを願う
その目に溢れる 一筋の涙を
私は知っている アヴェ・マリア
アヴェ・マリア アヴェ・マリア
アヴェ・マリア
島倉千代子のこの世の花。 私が小学生の頃流行った。
うえと同じような内容を歌っている。
1 あかく咲く花 青い花
この世に咲く花数々あれど
涙にぬれてつぼみのままに
散るは乙女の初恋の花
2 想う人には嫁がれず
想わぬ人の言うまま気まま
悲しさこらえ 笑顔を見せて
散るもいじらし 初恋の花
3 君のみ胸に黒髪を
うずめた楽し 想い出月夜
よろこび去りて涙は残る
夢は返らぬ初恋の花
※ 2番の歌詞に、笑顔を見せてとある。
かぐや姫の、僕の胸でおやすみ、の歌詞を思い出す。
「きみの笑顔の向こうにある悲しみは・・・」
【道の駅】 シーサイド高浜
【明日の予定】 若狭では一番の名峰、青葉山に登ります。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は5位、 旅行全体で10位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
日本海と京都を結ぶ道が、鯖街道。
その最短ルートが、今日歩いた道。
山越えの道は、今はもう使われていないが、登山道とは違う歩きやすい道だった。
※ ※ ※ ※
川は、遠敷川(おにゅうがわ)。 難しい読み方。 橋の上から撮影。
鵜の瀬公園の中にいる。
資料館等がある。
この人が、東西時を開山した。 ※ 初代別当。 別当は、住職の感じ。 今の人は、220世。
毎年、東大寺二月堂で『お水送り』の行事があるが、水はここ遠敷(おにゅう)川の水が使われる。
鯖(さば)街道の説明があった。 最短路とある。
道は、真っ直ぐ南下している。
この場所は、上根来(かみねごり)集落。 何軒かの家を通り過ぎている。 ここまで、動画を撮った。
集落を過ぎたら、峠に入る。
うすい茶色の道が、鯖街道。 黒っぽい道は、林道。 時計と反対回りに歩く。
「さかじり」に、車を置いた。
林道と鯖街道が一緒の道を、少し歩く。
上の写真の右側。 大きな沢が、2つに分かれている。 その間の山を登って行く。
道が分かれて、鯖街道は峠に入って行く。
予想していたので、対策はしてある。 ※ 鈴と撃退スプレー。
道は、ずっと歩きやすい。 快適。 誰にも、会わない。
道は、ずっと登り続ける。 登山。
今日は天気が良く、暑い。
周りを注意を払いながら歩く。 熊のこと。
道は時々このように。
通り道が深く掘れたら、新しい道になっていた。 雨が降ったら、水が流れるからか。
高くなってきたので、周りが見えるようになってきた。
京都まで70㌔程を、本当に1日で歩けたんだろうか。
2日間でなら、私も歩けるかなと思うけど。 昔は草履(ぞうり)で歩いた。 大変。
右の方に、谷はある。
馬ノ背のような所を歩いている。 石仏など、昔の面影を探したが、見つからない。
上に林道が見えた。
ここからしばらくは、鯖街道の上に、林道をつくった。
上根来地区が見えた。
右下の、私の車もある。
林道をどこまでも行くと、おにゅう峠を越える。
バイクの人が通り過ぎた。
この後、バイクは戻ってきた。
もっと先の方に、車が1台いて、変わった雰囲気なので、注意した方がいいかもしれないと、情報をくれた。
さらに10分ほど歩いたが、引き返してきた。
どっちにしても、根来坂峠(針畑峠)までは、行けないと思って。 上のこともあるし。
この景色を見ながら、弁当を食べた。
こんな道を戻る。 気分爽快。 山の下では、蝉も鳴き始めた。
林道は、谷の奥を通る。
川沿いの道を下っている。
ここを下って、少し行くと、不動の滝がある。
五段の滝で、これは、一番下。 全体で、40㍍の高さ。
別の道を通って、一番上の滝に。
※ 途中の道は、危険だった。 ロープを張った手すりが、壊れかけていた。
そのうち誰かが落ちるなと思った。 落ちたら・・・。
3時間半ほど歩いて、戻ってきた。
車で走っていたら、小学校が見えた。 来る時は、気付かなかった。
旧上根来小学校。 昭和30年代の建物。 閉校は、昭和60年。
屋根の下が、白壁。
狭いグラウンドで、運動会をしたのか。 最盛期には、きっと何十人もの子供がいた。
屋根からの雪で、鉄棒は曲がった。
さらに道を下ったら、1軒の家があった。 人が住んでいそう。
昔の鯖街道の雰囲気が分かりました。
女の人が一人で歩くには、心細くなる山道でした。
【動画】
【今日の歌】
大黒摩季の歌には、ら・ら・らがありますが。 この曲もいいですよ。
【道の駅】 若狭おばま
【明日の予定】 となりの、おおい町に。 今話題になってる、大飯原発がある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で11位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
その最短ルートが、今日歩いた道。
山越えの道は、今はもう使われていないが、登山道とは違う歩きやすい道だった。
※ ※ ※ ※
川は、遠敷川(おにゅうがわ)。 難しい読み方。 橋の上から撮影。
鵜の瀬公園の中にいる。

資料館等がある。

この人が、東西時を開山した。 ※ 初代別当。 別当は、住職の感じ。 今の人は、220世。
毎年、東大寺二月堂で『お水送り』の行事があるが、水はここ遠敷(おにゅう)川の水が使われる。

鯖(さば)街道の説明があった。 最短路とある。

道は、真っ直ぐ南下している。

この場所は、上根来(かみねごり)集落。 何軒かの家を通り過ぎている。 ここまで、動画を撮った。

集落を過ぎたら、峠に入る。

うすい茶色の道が、鯖街道。 黒っぽい道は、林道。 時計と反対回りに歩く。
「さかじり」に、車を置いた。

林道と鯖街道が一緒の道を、少し歩く。

上の写真の右側。 大きな沢が、2つに分かれている。 その間の山を登って行く。

道が分かれて、鯖街道は峠に入って行く。

予想していたので、対策はしてある。 ※ 鈴と撃退スプレー。

道は、ずっと歩きやすい。 快適。 誰にも、会わない。

道は、ずっと登り続ける。 登山。

今日は天気が良く、暑い。
周りを注意を払いながら歩く。 熊のこと。

道は時々このように。
通り道が深く掘れたら、新しい道になっていた。 雨が降ったら、水が流れるからか。

高くなってきたので、周りが見えるようになってきた。

京都まで70㌔程を、本当に1日で歩けたんだろうか。
2日間でなら、私も歩けるかなと思うけど。 昔は草履(ぞうり)で歩いた。 大変。

右の方に、谷はある。

馬ノ背のような所を歩いている。 石仏など、昔の面影を探したが、見つからない。

上に林道が見えた。

ここからしばらくは、鯖街道の上に、林道をつくった。

上根来地区が見えた。

右下の、私の車もある。

林道をどこまでも行くと、おにゅう峠を越える。

バイクの人が通り過ぎた。
この後、バイクは戻ってきた。
もっと先の方に、車が1台いて、変わった雰囲気なので、注意した方がいいかもしれないと、情報をくれた。

さらに10分ほど歩いたが、引き返してきた。
どっちにしても、根来坂峠(針畑峠)までは、行けないと思って。 上のこともあるし。
この景色を見ながら、弁当を食べた。

こんな道を戻る。 気分爽快。 山の下では、蝉も鳴き始めた。

林道は、谷の奥を通る。

川沿いの道を下っている。

ここを下って、少し行くと、不動の滝がある。

五段の滝で、これは、一番下。 全体で、40㍍の高さ。

別の道を通って、一番上の滝に。
※ 途中の道は、危険だった。 ロープを張った手すりが、壊れかけていた。
そのうち誰かが落ちるなと思った。 落ちたら・・・。

3時間半ほど歩いて、戻ってきた。
車で走っていたら、小学校が見えた。 来る時は、気付かなかった。

旧上根来小学校。 昭和30年代の建物。 閉校は、昭和60年。
屋根の下が、白壁。
狭いグラウンドで、運動会をしたのか。 最盛期には、きっと何十人もの子供がいた。

屋根からの雪で、鉄棒は曲がった。


さらに道を下ったら、1軒の家があった。 人が住んでいそう。

昔の鯖街道の雰囲気が分かりました。
女の人が一人で歩くには、心細くなる山道でした。
【動画】
【今日の歌】
大黒摩季の歌には、ら・ら・らがありますが。 この曲もいいですよ。
【道の駅】 若狭おばま
【明日の予定】 となりの、おおい町に。 今話題になってる、大飯原発がある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で11位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
久須夜ヶ岳の頂上へは、エンゼルラインという道がある。
今は工事をしているので、通行止め。
ネットで調べたら、今年登ってる人がいた。 ※ 道は、途中から別の道のよう。
何とかなるかと行ってみたが、立ち入り禁止となっていたので、戻った。
山の下の海沿いの道を、行けるところまで行ってみた。
韓国船遭難救護の碑があった。
遭難した韓国線を助けたのは、112年前のことだった。
※ ※ ※ ※
小浜湾の右側になる。
途中で、久須夜ヶ岳(くすやがだけ)が見えた。
頂上まで行けるのか分からないが、行ってみることに。
エンゼルラインと呼ばれていて、昔は有料道路だった。
半島の東側。 釣り船が見えた。
こんな木が。 巻き付いている方が太い。
東側の遠くまで見える。
脇道が無いか、探しながら歩いた。
途中に、小さな山。 こんな所でも、熊がいるようだ。
この花が多い。
小浜市の市街地全体。 ○のところが小浜港で、その向こうが三丁町。
1時間ほど歩いた。
半島の左側。 下には集落がある。 後で行くことになる。
再び、小浜市の市街地。
頂上が見えてきた。
振り返って撮影。 昔の道が時々見える。
右(東)の方。 だいぶ高くなってきた。
なかなか、脇道はない。
ここからは行けないかな。 左に道があって、少し行くと駐車場。
駐車場から。 頂上は目の前。
頂上への途中から、蘇洞門(そとも)という景勝地に行く道がある。
頂上へは行けなくても、そっちにでも行けたらいいなと思っていた。
遠くに、小浜市街地。
頂上を眺めながら、戻っている。
山を下って、海沿いの道を来た。
深い湾の中は、養殖が盛んだった。
左下の○に来た。 小浜市泊地区。
海岸沿いの道は、ここでお終い。 山に登る道は、ない。
これを見に来た。
100年以上前に、韓国の船が遭難してやって来た。 それを地元の人が助けた。
その説明。
半月間漂流したとある。 また、100年後に、韓国の人達がやってきた。
男の子の像があった。
小さな男の子の、小さな像。
今日は、遠足でただあるいた感じになってしまった。
それでも、不満はない。
【今日の歌】
最近、ビージーズのメンバーが亡くなっています。
【その他】
福島県の南相馬市から、福井県に一人の6年生の女の子がやってきた。
親から離れて。 親は、放射能を心配した。
その子が、下の歌を作った。
「春休みが終わると ちがう春が来る」
【道の駅】 若狭おばま
【明日の予定】 山の中にある、鯖街道に行こうかなと。
上根来集落から、根来坂峠に向かって、歩いてみたい。
家康も光秀も、通った道と云われる。
京都の、鞍馬に続く道。 古道の状態で残っている。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で11位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
今は工事をしているので、通行止め。
ネットで調べたら、今年登ってる人がいた。 ※ 道は、途中から別の道のよう。
何とかなるかと行ってみたが、立ち入り禁止となっていたので、戻った。
山の下の海沿いの道を、行けるところまで行ってみた。
韓国船遭難救護の碑があった。
遭難した韓国線を助けたのは、112年前のことだった。
※ ※ ※ ※
小浜湾の右側になる。

途中で、久須夜ヶ岳(くすやがだけ)が見えた。

頂上まで行けるのか分からないが、行ってみることに。

エンゼルラインと呼ばれていて、昔は有料道路だった。

半島の東側。 釣り船が見えた。

こんな木が。 巻き付いている方が太い。

東側の遠くまで見える。

脇道が無いか、探しながら歩いた。

途中に、小さな山。 こんな所でも、熊がいるようだ。

この花が多い。

小浜市の市街地全体。 ○のところが小浜港で、その向こうが三丁町。

1時間ほど歩いた。

半島の左側。 下には集落がある。 後で行くことになる。

再び、小浜市の市街地。

頂上が見えてきた。

振り返って撮影。 昔の道が時々見える。

右(東)の方。 だいぶ高くなってきた。

なかなか、脇道はない。

ここからは行けないかな。 左に道があって、少し行くと駐車場。

駐車場から。 頂上は目の前。
頂上への途中から、蘇洞門(そとも)という景勝地に行く道がある。
頂上へは行けなくても、そっちにでも行けたらいいなと思っていた。

遠くに、小浜市街地。

頂上を眺めながら、戻っている。

山を下って、海沿いの道を来た。

深い湾の中は、養殖が盛んだった。

左下の○に来た。 小浜市泊地区。

海岸沿いの道は、ここでお終い。 山に登る道は、ない。

これを見に来た。

100年以上前に、韓国の船が遭難してやって来た。 それを地元の人が助けた。

その説明。

半月間漂流したとある。 また、100年後に、韓国の人達がやってきた。

男の子の像があった。

小さな男の子の、小さな像。

今日は、遠足でただあるいた感じになってしまった。
それでも、不満はない。
【今日の歌】
最近、ビージーズのメンバーが亡くなっています。
【その他】
福島県の南相馬市から、福井県に一人の6年生の女の子がやってきた。
親から離れて。 親は、放射能を心配した。
その子が、下の歌を作った。
「春休みが終わると ちがう春が来る」
【道の駅】 若狭おばま
【明日の予定】 山の中にある、鯖街道に行こうかなと。
上根来集落から、根来坂峠に向かって、歩いてみたい。
家康も光秀も、通った道と云われる。
京都の、鞍馬に続く道。 古道の状態で残っている。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行は6位、 旅行全体で11位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。