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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

稚内駅周辺は、すっかり変わった。
駅舎は、明るいイメージで、今風。 誰が設計したんだろう、って思う。
広い大地と、青い空に、似合っている。
最果ての地に下り立った時、誰もが、暗い気持ちにはならない。
    ※    ※    ※    ※

中央に稚内駅。
地図に、道の駅は載ってないけど、駅の右側に駐車場。 ずっと右の海まで。

地元の人が停めようが、誰が勝手に停めようが、広すぎるから、困らない。

12年8月30日 (3)m

道の駅の建物は、JRの駅と同じ。 両方を、併設している。 
※ 建物全体は、キタカラと呼んでる、複合施設。

道の駅のトイレは、駅舎の左端にある。 24時間。

※ 道の駅は、JRの駅のように、道にも駅があったらいいなと、あっちこっちに作られた。
  当初は、JRの駅のないところに多く作られたが、最近は、駅の近くにもある。
  さらに、稚内のように、両方一緒の駅も珍しくなくなった。

12年8月30日 (2)

古い稚内駅は、この辺にあった。 線路は、ここまで来ていた。 それで、記念碑。

更にもっと昔は、まだまだ線路はあった。 防波堤の方まで。
その部分は、道に、線路の模様。 写真に、少し見える。

12年8月30日 (1)

下の写真は、2010年8月20日に撮影。 古い駅と、新しい駅の一部が、いっしょにある。

この時、どこが駅なのか、すぐに分からなかった。

20100821132222e1fnn.jpg

稚内駅は、日本最北端の駅。 最西端、最東端は行ったが、最南端は、行ってない。

※ 最西端の駅は、たびら平戸口駅。  最東端は、東根室駅。   関連ブログは、最後に。

今の駅には、線路は1本しかない。
昔は、網目のようにあった。 船に乗る所までも。  
全盛期は、トラック輸送が始まる前か。  

65667.jpg

駅舎には、映画館やコンビニもある。

吉永小百合だ。 映画のロケがあった。

12年8月30日 (5)

吉永小百合は、どうして、こんな風に見えるんだろう。
健康と、考え方の若さかな。 生き方もあるか。

私は、この写真を見ていたので、ニーナさんが彼女と重なった。

子供たちの表情がいい。

12年8月30日 (4)



※ JRの大人の休日クラブで、宮古編が出た。 新しい。
  吉永小百合は、いつも、さあ行くわよ!、っていう雰囲気を持っている。
  そこが、好き。
      ( 私の調子いい時は、どこまでも行くぞ、ってなるんだが・・・。)



駅の隣に、北市場。 通路に、タラバガニがいた。 ※ この大きさだと、1万5~6千円だそう。

12年8月30日 (7)

稚内港北防波堤ドーム。
※ 私は、駐車場の、一番端に停めている。 目の前に、これが見える。

12年8月30日 (8)

観光客は、これは何だろうって考える。 不思議なデザイン。 考えた人に、脱帽。
この下を通って、向こうに行く。 そして、船に乗った。
※ 今のフェリー乗り場は、こっちではない。

12年8月30日 (9)

昭和11年に完成して、昭和55年に改築された。
 ※ 戦後、大鵬親子が、この下を手をつないで、向こうからこっちに歩いてきたのかな。
   母親の体調が悪かったので、下船した。 船は、留萌沖で撃沈される。

12年8月30日 (10)

木の枠を作って、その中に、コンクリートを流し込んだ。
昭和6年から、作り始めた。

12年8月30日 (6)

防波堤の上を歩けたら、面白い。

12年8月30日 (11)

ずっと向こうに、宗谷岬がある。

12年8月30日 (12)

中央に、稚内駅。

12年8月30日 (13)

今日は、いそがしかった。
昨日の、ニーナさんのブログが、とりあえず完成したのが、夕方の5時過ぎ。 朝から、ずっと。
急いで印刷して、ペチカにいるニーナさんに届けてきた。
見てもらって、直しが必要な所は、直すことになる。

明日の晩(31日)、Tさんと、ペチカにもう一度行って来る。

【関連ブログ】  日本最西端の駅、たびら平戸口駅  たびら昆虫自然園 ~平戸市~ 情熱のルンバ、純情二重奏 (2012/1/27)
           日本最東端の駅 東根室駅  明治公園  涙香岬  他 ~根室市~   他  (2010/9/2)
         ※ 最南端駅は、鹿児島県の西大山駅。 開聞岳が目の前。
           近くを何度も通っているが、寄ったことはない。 今度。
                      ※ 開聞岳には、2010年1月1日に登った。 その時の写真。
        20100101233202f5cp.jpg

【今日の曲】
百万本のバラを、徳永英明が歌っていることは、ニーナさんも言っていた。
画面をクリックすると、YouTubeに。

tokunagatrt56.jpg 

演奏は、三根信宏。 プロ。  ※ 昔、ディック・ミネと云う歌手がいた。 その人の、3男。



【その他】
城之内早苗の「北の旅路」という歌だが、舞台は網走駅と思っていたが、稚内駅でも合うように思う。
特に、古かった時の駅。
涙の岬、と云う言葉が出てくる。 どっちの岬だろう。 どっちも、涙の岬か。



※ この曲の思い出に関しては、2011年11月22日に、詳しく書いてあります。
※ この曲にコメントを書いてくれた人がいる。
  少し前、亡くなった。 亡くなる前日の晩、その人からメールをいただいた。
  次の日の早朝、返事のメールを送った。 読んでいただけたか、分かっていない。

【道の駅】   わっかない

【明日の予定】   どこかを歩く。 山の上の、稚内公園に行くとか。

※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
                                                    (2008年4月~2010年9月までの記事)

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よかったですよ。
ニーナさんが歌う「百万本のバラ」。
上手でした。 
ニーナさんの声は、聴いてて、とっても心地いいものでした。

「大好きなあなた」と云う曲も、歌ってくれました。
初めて聴く曲。  ( ネット上には無い曲です。)
これも、いいですよ。
    ※    ※    ※    ※

ニーナさんは、最果ての町、稚内にいます。



お店は、副港市場の前。



いくつかお店があって、まとめて、波止場横町。



    ※ ここから少し、私的な部分。

      Tさんと、7時に待ち合わせしていた。
      ところが、6時頃、時間があるから家に遊びにおいでって、車で迎えに来てくれた。
      ビールを飲んで、お寿司を御馳走になってしまった。 ウニもたくさん。
      奥さまと3人で、稚内のことを、おしゃべり。

      Tさんは、Aさんと云う人を誘った。
      私は、大学以来会っていない。

      7時半にお店の前に。 奥さまが送ってくれた。
      Aさんがやってきた。 不思議なもんで、昔の面影は、ちゃんと残っていた。 
      少し早口で、大きな声の話し方は、同じだった。

ロシア料理、ペチカ。  店長は、ニーナさん。

12年8月29日 (1)

お店は混んでいた。 
外で15分程、空くのを待った。
店の中には、ニーナさんと思われる人が動いていた。 すぐに、分かった。

今日の稚内は、夜になっても、むし暑い。
外で、風に当たっていたら、丁度いい。
この暑さは、稚内の人達に、これで暑い日はもう十分ですね、と言ってるようだ。

ロシア料理。 食べたことないものばかり。
下のは、ロシアの餃子。 焼いたのを注文。

12年8月29日 (2)

酒は、最初はビール。  
  ※ 飲んだのは、バルチカビール。 ビール会社「バルチカ」のビール。
    本社は、サンクトペテルブルク。
        (バルチカ、と云う言葉は、バルト海のバルトと、関係ありそう)
    ハバロフスクでも、作られている。 (アムール川沿いにある町)
    度数を選べるのが、特徴。 注文したのは、4%程の度数の低いやつ。

飲みやすく、くせが無い。 美味しい。
その後は、のどが焼けるようなウォッカを、水を飲みながら、飲んだ。

8時半過ぎ、ニーナさんは、歌の準備をした。
この時間になったら、いつも歌うよう。

12年8月29日 (3)

最初、短い曲を歌った。 この時に、写真を撮って、動画の準備をした。 
                 ※ ニーナさんに、了解をいただいて。 YouTubuに載せることも。

12年8月29日 (4)

歌詞は見ない。 当たり前か。 彼女は、若い時から歌っている。 
ギターの音が、はっきりしている、という印象を持った。

※ 追記  ニーナさんの使用しているギターは、フラメンコギター。(31日に、ニーナさんに聞いた)
        これは、ナイロン弦のアコースティックギターの一種。
        明るくて、立ち上がりが鋭く、歯切れの良い音色を特徴とする。(Wikipedia)

        余計な話・・・私のミニアコースティックギターも、ナイロン弦。 私が勝手に、張り替えた。
                やわらかい音が、好きなので。

12年8月29日 (5)

※ お客さんの中には地元の人もいて、ニーナさんの歌声を聴きなれてる人がいます。
  その人は、歌を聴きながら、お話しを続けています。
  でも、歌が始まったら、そんなに気になりません。

ニーナさんと、百万本のバラについて、少し話していた。
そんなことがあって、歌ってくれた。



次に歌ったのが、「大好きなあなた」。 遊び心いっぱいの歌です。
素晴らしい歌だけど、日本には伝わっていない。
           ※ 題名だけ、「おけら」という音楽のサイトに載っていた。 他は、ない。  
キュートな、歌い方ですよ。   



いろんな料理を注文した。 酒も色々。

12年8月29日 (6)

歌の後、仕事の合間に、ニーナさんは、私の質問に答えてくれた。
ここからは、ニーナさんを紹介。

ニーナさんのお父さんは、日本人。 (満州鉄道の調査部にいた)
お母さんは、ロシア人。 (ニーナさんは、ハーフロシアンと、自分を言っている)
ニーナさんは、ハルビンで生まれた。

※ ニーナさんの家系は、母の父の代から、ハルビンに暮らす。
  母の父は、満鉄の技師として、ロシアからやってきた。
  ニーナさんは、祖父がやってきたのは、1890年代と言った。
  このことについて、調べてみた。

  この時はまだ、ロシア帝国時代。
  ロシア帝国は、1898年に、満州横断鉄道の建設を始めた。
  高い教育を受けた技師として来ているから、この1898年に来たと考えていい。

  1917年にロシア革命。
    ※ この時期に、外国に出た人は、白系ロシア人と呼ばれる。
    ※ スタルヒンの家族は、革命の後に逃げたので、白系ロシア人。
  ニーナさんは、白系ロシア人ではない。(ニーナさんも、そう考えている)

ハルビンは、下の地図。 
   ※ スタルヒン家族も、何年か、ハルビンにいた。 一緒にいた時代がある。
   ※ 稚内と、緯度が、そんなに変わらない。
   ※ 日ハム、旭川スタルヒン球場で、大勝。  1イニング、11点。  市民の応援が届いた。~旭川市~  他  (2012/8/21) 



ニーナさんのお母様。 美しい人です。 
名前は、ガールムシェワ・エフゲニヤ・ニコラエブナ。
  ※ ニーナさんの話では、ニコラエブナ、というのは、よくあるそう。
    そう言えば、アナスタシア・ニコラエブナ、という人がいた。 最後のロシア皇帝の、第4皇女。

  ※ ここからの写真は、アルバムの写真を撮影させていただいた。

12年8月29日 (9)

アーラ・プガチョワ。 この人が、旧ソ連で、最初に「百万本のバラ」を歌う。



ここで、ニーナさんが、どうして、百万本のバラを歌うことになったのか。

ニーナさんは、若い頃、水星社という所に所属していた。
水星社は、ロシアのヒット曲を探していた。
その時に、百万本のバラを見つけた。

日本で売り出すことのできる権利(著作権)を買い取った。
歌ったのは、ニーナさん。
 ※ 買い取ってからの1年間、歌ったのはニーナさんだけ。 
   会社は、他の人には、歌わせなかった。

 ※ ニーナさんは、1978年から、NHKのロシア語講座の今月の歌で、色んな歌を歌い始めていた。
   レコードデビューは、1982年。

1983年に、百万本のバラを、ロシア語と日本語で発売。
この時の歌は、YouTubuには、ない。 ※ 誰か載せたらいいのに。

1984年に、岩谷時子さんの訳詞で、小田陽子さんが歌う。
サビのロシア語の部分の発音が難しいということで、ニーナさんが、小田さんの発音に関わったと云う。

この小田陽子さんは、百万本のバラの原曲の、「マーラが与えた人生」も歌っている。
歌が生まれた、ラトビアに行っている。



加藤登紀子のお父さんは、ニーナさんの歌が、大好きだった。
ニーナさんのレコードを、たくさん売ってくれた。
  ※ 実は、親同士は、おトキさんのデビュー前から親しい関係。

そんなことで、ニーナさん、おトキさんを含めた、家族ぐるみで親しくなっていく。
  ※ 現在も、親しくお付き合い。
  ※ 加藤さんの家族も、ハルビンにいた。 おトキさんは、ハルビンで生まれている。

1987年に、加藤登紀子さんが、百万本のバラを歌って、より、全国的に広めることになる。

12年8月29日 (8)

1987年の7月に、プガチョワさん夫妻が、初めて、日本に来る。
おトキさんが、日比谷の野外音楽堂で歌うことになり、そのゲスト出演のために来た。
 
プガチョワさんは、おトキさんを通して、ニーナさんを知った。
当時、ニーナさんは、銀座に店があった。
下の写真は、ニーナさんのお店で撮影。 

左は、ニーナさん。 
右は、アーラ・プガチョワ。 旧ソ連で、百万本のバラを最初に歌った人。
旧ソ連で最初、日本で最初、その2人が並んでいる。

12年8月29日 (7)

男の人は、プガチョワさんの当時の旦那様。  ニーナさんは、いつも、ちょっと控え目な表情。 それがいい。

12年8月29日 (10)

※ 上の写真の、後ろの絵は、忘れえぬ女(ひと)。(私の絵を撮影)     忘れえぬ女 (イワン・クラムスコイ)  他  (2009/07/07



ニーナさんは、独学でロシア語を学んだ。
お母さんは、もちろん話せたが、ニーナさんに教えるのが、大変だったよう。

ハーフロシアンの友人の紹介で、近くに住んでいるグルジア人女性と知り合いになる。
それがきっかけで、1年半、グルジアに行って暮らすことになる。(2005年~)
  ※ グルジアは、「百万本のバラ」の唄で、バラを贈った画家、ピロスマニの国でもある。
  ※ 場所は、シリアの北にトルコ、トルコの北にある。



※ 676543kkkk.jpg    676543pppppoop.jpg

  ピロスマニはマルガリータに、バラを贈るんだが、その舞台は、ソチ。  1894年のこと。

   ※ この時のピロスマニの年齢は、32歳と分かっている。   
     でも、マルガリータの年齢が、どうしても分からない。  
     1969年に、彼女は、ピロスマニの描いた上の右の絵を、パリで見ている。(と言われる)
     出会った年から、75年経っている。 15歳から、20歳の間か。
     分かる人がいたら、教えてほしい。     

  ソチは、2014年の冬季オリンピックが、開催される町。
  ソチは、ソ連時代、保養地として整備されていった。

soti87899.jpg

 ※ グルジアでは、バラ革命と云う、無血の革命があった。
   このバラは、アンネのバラ
     ( つぼみは深紅、花が開き始めると、黄色から淡いピンクへ変化。)

2006年の秋に、1年半ぶりに、日本に戻った。 
ニーナさんから見た東京は、人が混み入っていた。

北海道を旅した。 道東に住むつもりでいた。
息子さんが稚内にいたので、遊びに行ったみた。
そうしたら、稚内を気に入ってしまった。

それで、2006年の秋から、稚内に拠点を移す。
あっという間に、地域に溶け込んで、観光の面でも、大きな役割を果たしている。

吉永小百合の映画のロケが、稚内であった。
ニーナさんの生き方、輝きは、吉永小百合のそれと重なった。
映画、音楽と、住む世界は違っても。
ニーナさんにお会いして、今日、そんなことを感じた。

間もなく、お店が閉まる、午後11時。

12年8月29日 (12)

歌を聴いて、ニーナさんとお話しできた。
美味しいものをいっぱい食べて、そして飲んだ。
男3人で、懐かしい話も、した。

月のいい、晩だった。

12年8月29日 (11)

※ 今日のブログは、ニーナさんの携帯のメールに、送ることになっていた。
  でも、量が多いので、印刷して、30日の晩に、ニーナさんに渡す。
  31日の晩に、直す所を、教えてもらう。

※ 追記  ニーナさんにお会いし、変更する部分を教えていただいた。     
      31日の深夜現在、一応、修正は、完了しています。

※ 追記  下の動画は、誰が歌っているか、分からない。  偶然、見つけた。
      もしかしたら、ニーナさんかもしれない。 声質と歌い方が、似てる感じがする。
      ある人が、コメントで、
      テレビの「ロシア語会話」のなかの今月の歌で流れていたもので­はないでしょうか、と言っている。
      ニーナさんに確認しなければならない。
      この部分、ニーナさんに渡していない。
      もしそうだったら、ニーナさんが、最初に歌った、百万本のバラになる。
      貴重な音源。  (念のため、保存した)   



※ 追記  ニーナさへの確認は出来ていないが、私は、歌っているのは、ニーナさんに間違いないと思っている。(9月1日朝)
      上を聴いた時、冴木杏奈と云う人に発声が似ていると思った。 それが、第一印象。
      そして、ニーナさんのCDを1日の朝に、聴いた。
      ペチカでは気づかなかったが、CDから流れてきた声は、冴木杏奈の声の出し方に、とても似ていた。
      冴木杏奈が、ニーナさんに似ていた訳だけど。  ※ 冴木杏奈 は、旭川出身。 
      ニーナさんに、間違いないと思っています。

※ 追記  確認できました。(9月2日朝)
      ニーナさんから、電話をいただきました。
      間違いなく、ニーナさんでした。
      ロシア語の発音を正確に、歌おうとしたそうです。
      ニーナさんは、YouTubeに、この動画があることは、知りませんでした。
      いろんな話をしました。 40分程。
      ニーナさんの生い立ちを含めて。
      メモした物は、整理しておきます。 
      ブログには書きませんが、1つのドラマにまとめることが出来る内容です。 

細かな点の修正も終わり、これで一段落です。
たくさんの情報を、ニーナさんから頂きました。
感謝します。

※ このブログは、インターネットで、「稚内市 ニーナ」で検索すると、9月2日現在、一番上に出てきます。
  多くの人に、読んでいただいたおかげです。
  いつまでも、読まれることを願います。

私は、今年の3月7日に、九州の最南端に近い、かのやばら園に行きました。
その日に、百万本のバラを調べました。
ニーナさんを知りました。 そして、こう書きました。

  彼女は現在、最北の稚内で、ロシア料理店を経営している。
  稚内に行ったら、寄ってみましょうか。 
  今年の夏は、稚内そして礼文島でもいい。 花の浮島礼文島ですから。

この時の願いが、叶いました。

またいつか、ニーナさんのお店「ペチカ」に、お邪魔します。
そして、ペチカで、心を温めてもらいます。

【動画】  この動画は、9月1日に撮影したものです。 
      ペチカの、すぐ側を通ります。
      ニーナさんが歌う、「18才」が流れます。
訳詞を作ったのは、ニーナさん本人です。
  
      ※ 「ロシア民謡と弾き語りの夕べ ’07」の中の1曲。
        黒い瞳など、聴いて、いな~ってのが、詰まっている。 (、を、 に、したいところ)
        お話しも、なかなか、面白い。
        CDは、ペチカで買うことが出来ます。
      ※ このCDを聴いた時、上の動画は、ニーナさんに間違いない、と思いました。
                          
                                 DSCF4133bbpppl



【その他】   ニーナさんは、稚内観光マイスターの資格を持っています。
        また、「ふるさと稚内」という曲の作詞・作曲をし、歌っています。
        
        ふるさと稚内(YouTybe)

【関連ブログ】  一日雨でした。  かのやばら園を少しだけ。~鹿屋市~  百万本のバラ 「ラトビアで、ソ連で、日本で最初に歌った人達」  (2012/3/7)
          高さ68㍍の吊橋から見る、神川大滝  小滝は裏見の滝 ~錦江町~  マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲)  (2012/3/8)
          南大隅町を散策 ~島泊の磨崖仏は山奥だった~  「マーラが与えた人生」と「百万本のバラ」、まとめ  (2012/3/9)

【停泊場所】   稚内副港市場の駐車場

【明日の予定】  市内の散策

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小さな集落が、たまにあるだけ。
街も、コンビニも、どこまで行ってもない。

釧路、根室、羅臼より、車も人も少ない。
終点の稚内まで、何もない。 自然だけ。 
    ※    ※    ※    ※

いつ見ても、美しい。  利尻岳。 ※ 利尻山でもいい。

12年8月28日 (2)

小川の水は、このように赤い。 泥炭から出てくると、こうなる。 

12年8月28日 (1)

今日走る道も、ずっと、こう。 

12年8月28日 (3)

向こうの風景を撮ろうとしていたら、バイクがやってきた。 時速70㌔くらいで。
目の前を通った瞬間に、シャッターを押してみた。

12年8月28日 (4)

コウホネの家の屋上から撮影。  利尻岳。  
小さなコウホネ沼に、ネムロコウホネが咲いていた。

12年8月28日 (5)

場所はここ。



小さな公園になっている。 遠くに、野寒布(のしゃっぷ)岬。

12年8月28日 (6)

礼文島は見えない。 低いからか。 霞んでいるし。

12年8月28日 (7)

歌碑があった。

12年8月28日 (8)

森繁久弥(久彌)だった。

12年8月28日 (9)

「 浜茄子の 咲きみだれたる サロベツの 砂丘の涯の 海に立つ富士 」  ※ 浜茄子~ハマナス

森繁は、昭和52年2月下旬から3月上旬まで、テレビドラマ「天北原野」のロケのため、稚内に来ていた。
富士と言ってるのは、利尻富士の、利尻岳。

また、森繁は、稚内海上保安部に、下の歌をプレゼントしている。

「 海のごとく大らかに 海のごとくやさしく 海のごとく時にまた 非情の力をもて 」

※ 上の歌について調べていたら、下のことが分かった。
  森繁は、昭和33年、京都府最北にある、丹後半島の間人(たいざ)に行っている。
  そこにある、ある温泉旅館に、こんな歌を贈っていた。

  「 海の如 大らかに. 海の如 やさしく. 海の如 又. 我がままでも ありたい.」

どっちも、いい歌と思う。
森繁は「海のごとく」の表現が好きだった、と分かりますね。

※ 間人(たいざ)は、珍しい読み方です。
     近畿地方最北端、経ヶ岬  どうして間人(たいざ)という地名に? ~京丹後市~  他  (2011/6/20)

三浦綾子の天北原野は、こんな話。

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※ 氷雪の門(稚内公園)  日本最北の地 宗谷岬 ~稚内市~  幼い大鵬が運命の分かれ道にいた日  他  (2010/8/21) 
※ 北海太郎  引き揚げ船の悲劇  他 (2009/08/19

三浦綾子は、「小さな一歩から」という本を出している。
その中に、「森繁久弥夫人を思う」という、文がある。

なかなか面白い文。 
食欲が無くても、下のようにして食べたら、美味しい。
三浦綾子、52歳の時の話。 ロケがあった、1977年。  
          ※ 次の年に、代表作でもある、「泥流地帯」を書いている。

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海の方から見た、コウホネの家。

12年8月28日 (10)

オニユリ、でいいでしょうか。

12年8月28日 (27)

花が水についてるけど、普通は、飛び出している。

水から、きゅっと首を出している、品のある花。
首の部分が、骨に似ている。 フライドチキンを食べた後の骨のような。
根室で最初に発見されたので、ネムロコウホネ。 
   ※ オゼコウホネも似てるが、花の真ん中の部分の色が違う、と言われる。

12年8月28日 (28)

牧草を運んでいる、トラクター。 縛っていない。 乗っけているだけ。 そ~っと、通り過ぎた。

12年8月28日 (11)

抜海(ばっかい)漁港。 港の部分は、海に突き出している。 灯台の所は、抜海岬。

12年8月28日 (12)

稚内市抜海村。



野寒布(のしゃっぷ)岬。 ノシャップ岬とも書くのかな。  
                ※ 最北は、宗谷岬。  根室にあるのは、納沙布(のさっぷ)岬。

12年8月28日 (13)

今日は、礼文島も樺太も、どっちも見えない。

DSCF2546kkkk222 (1)   DSCF2546kkkk222 (2)

岬から、後ろを見た。 右を行くと、オロロンライン。 ※ 天売島にオロロン鳥がいるので、この名前。
小山の左を行くと、数㌔で、稚内市街地。
    ※ 稚内に、この春、道の駅が出来た。 
      今、ノシャップ岬でブログを書いている。
      車には、1滴のビールも焼酎もない。
      はるばるやって来たのに、乾杯が出来ない。
      真夜中に、道の駅に、動くかも知れない。      
      ※ 稚内のTさんには、明日行くと言ってあるけど。

12年8月28日 (14)

向こうに、稚内市ノシャップ寒流水族館。

12年8月28日 (15)

入館料は、400円。

ゴマフアザラシ。 立っている。
左に、若い女の人がいる。 その人が、パタパタやってって、お願いしている。
でも、手は、気をつけのまま。
  ※ かしこそうな顔。   こんな表情をされたら、たまらない

12年8月28日 (16)

イトウがいっぱいいた。 大きいのも小さいのも。 養殖の技術が確立された。

12年8月28日 (17)

何エビか?

12年8月28日 (18)

メバル。

12年8月28日 (19)

ホッケ。 背中の方から開いて干したら、ホッケの開き。 ダイコンおろしで食べたら、美味しい。

12年8月28日 (20)

これも、メバルか。 ?。  ソイだとか、ガヤだとか、アイナメだとか、みんな似ている。

12年8月28日 (21)

50㌢ほどのカレイ。 大きい。
カレイは、ちゃんと起きていると思っているのか。
それとも、横になって寝ていると思っているのか。 どっちだろう。

12年8月28日 (22)

スケトウダラ。 干したら、棒だら。 京都では、いもぼう、になる。

12年8月28日 (23)

だんご、のような魚。

12年8月28日 (24)

毛ガニ。 口の周りが、いっつも動いている。

12年8月28日 (25)

ズワイガニ。  鎧(よろい)を身に付けた、武士の顔。

12年8月28日 (26)

稚内での目的は2つ。 百万本のバラの、ニーナさんに会うこと。 もう一つは、礼文島に行くこと。
日程はまだはっきりしない。
あ、そうだ。 もう一つ目的があった。 Tさんと、お酒を飲むこと。
 ※ Tさんは、昔から、私達のグループの中で、一番の兄きの雰囲気を持っていた。 やさしい兄き。
   不思議なもんで、だれも呼び捨てにしない。
   私なんか、「さん」を付けて呼ばれたことなんか、一度もないのに。

【その他】  ニーナさんに会うので、歌を聞く練習を、少し前から、始めた。
       7月から、歌はまったく聞いていない。 心が、受けつけない。

【停泊場所】    野寒布岬駐車場



【明日の予定】   稚内の市街地に入る。

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たった5年しかいなかった国府だけど、大きな影響をもらった感じがする。
今、山の中を1人で歩くけど、思えば、小学校の頃からそうだった。
熊さえいなければ、ササやぶの中の道は、平気だった。

今日は、国府を出たら、海辺でのんびりする予定だった。
途中で、幌延ビジターセンターに寄った。
カナヘビがいると教えられた。
夢中になってしまった。 

写真が増えて、のんびり出来なくなった。
カナヘビは、明日見たことにしようかなと思ったんだけど・・・。

山本さんの最後の現場、不思議なことが、まだ残っている。
また、佐藤さんは、振り返ることはなかったんだろうか。
    ※    ※    ※    ※

○の所に、家があった。

545432.jpg

昔の道は、細く、人が歩くだけの道。 自転車は走れた。
出発。

12年8月27日 (1)

マンテマです。 調べてみたら、チシママンテマ。 いっぱいあった。
※ アポイマンテマが有名。(一昨年撮影)

12年8月27日 (38)

学校までは、2㌔程。 大人になったら、近く感じる。
国道が見えてきた。 この辺りの、左に、郵便受けがあった。
木に、縛り付けてあった。 配達員は、いつも自転車に乗っていた。

12年8月27日 (2)

国道に出た。 いつもは、正面にペンケ山が見える。

左側に家があった。 3人ほどの子供を残して、母親は病気で亡くなった。
薪(まき)を積んで焼いた。 病気の部分は、なかなか焼けないと、親父が言った。
どこかに、引っ越した。

何度か遊びに行った。
お昼になって、納屋に、ニワトリの卵を探しに行った。
1個しか見つからなかった。

フライパンにたくさん水を入れて、沸かして、卵を1個かきまわした。
醤油を入れた。
それをご飯にかけて食べた。 5人位で。

12年8月27日 (3)

国道から、右に入る道。 向こうに行っても家はあった。

12年8月27日 (4)

虫の巣と花。 花の名前は、調べていない。

12年8月27日 (39)   12年8月27日 (40)

地図で、2の家。 一度だけ、遊びに行った。

12年8月27日 (5)

この道を行ったら、3と4の家があった。
冷たい味噌汁をかけて食べたご飯は、4の家で頂いた。
ここの父さんが、味の素は石炭で作ると言った。 ※ 今は、サトウキビのよう。
ちゃんと働かない父さんだった。

12年8月27日 (6)

少し行ったら、道の下を川が流れている。 右から左に。
太い、コンクリートの土管。 その中に入って遊んだ。

この近くで、私を含めた男の子たちが、女の子を泣かした。
後で叱られた。

学校が右に、見えてきた。

12年8月27日 (7)

こんな川。 右側で、こっちが上流。
○の所に、家があった。 5の家。
親父が、駅逓(えきてい)と呼んでた家。 ※ カラフトで、駅逓だった。
ここの家の誘いで、留辺蘂から、国府にやってきた。
昭和31年の3月。 最初の日は、この家に泊まった。
うどんを御馳走になった。 五右衛門風呂に入った。 浮いてる板を沈めて。

12年8月27日 (8)

着いた。 学校の所は、道は十字。 角にお店があった。 

12年8月27日 (9)

国道の右に、学校はあった。 全部、当時の物ではない。 今は、会館のよう。

12年8月27日 (10)

国道から、右に入っていく道。 最初の半年ほど、この道の奥に家があった。
左に家があった。 何かの時に、カレーライスを御馳走になった。
スープカレーのような、カレーだった。
水っぽいカレーを見たら、この時を、いつも思い出す。

12年8月27日 (11)

正面に学校はあった。 職員玄関は、中央。 児童玄関は、右の方。
体育館は、左に。 校舎の手前が、グランド。 大きな木が2本あった。

体育館の左の部分に、若い先生が住んでいた。
学校の裏に、校長先生と、女の先生。

12年8月27日 (12)

秋遅くに、校舎の裏の納屋に、薪(まき)運びをした。 のこ屑が目に入ったら、取れない。
先生方の分も、運んだ。

電気はないから、鐘を鳴らしていた。

国道の方を向いた。 真っ直ぐ行くと、歌内の駅に行く。

12年8月27日 (13)

右に、グランド。 バックネットの支柱が残っていた。

12年8月27日 (14)

右に見える山は、丸山。 ここでスキーをした。 
長靴をはいたままのスキーだから、すぐに転ぶ。

○の所に、家があった。 ここで、牛乳の汁粉を御馳走になった。
母親が、この家で仕事をした。 それについて行った。

少し手前に、左から右に小川が流れていた。 今もある。
濡れた足は、乾いた砂を付けたら、直ぐに乾くことを、ここで学んだ。

12年8月27日 (15)

上の写真の右の方。 ○の所に神社があった。 
お祭りでは、いつも相撲があった。
私は小さかったので、負けてばっかり。
  ※ 相撲は後に少し強くなるけど、それは、美瑛に行ってから。

12年8月27日 (16)

右の写真に、かなり古い校舎の一部が見える。

12年8月27日 (17)   12年8月27日 (18)

学校の学芸会は、机を並べて、舞台を作った。
運動会は、足袋をはいていた。
お化けの話をしてくれる先生がいた。 これで、私も好きになった。
全校児童の数は、100人位だったかな。 私の学年は、17人。

どこの家も貧しかった。 ちゃんと弁当を持って来れない家もあった。

3年生の頃、歯を抜くため、1度だけ休んだ。
私は、小学校から高校まで、学校を休んだのは、この1回だけ。

1度だけ、夏の夜に、学校で映画会があった。
家族5人で見に行った。 帰り、蛍が飛んでいた。 飛んでるのを、追いかけた。

来た道を、戻った。 お腹を空かして歩くことが多かった。

12年8月27日 (19)

左に入ったら、家の方。 昔は、国道沿いに、木はなかった。

12年8月27日 (20)

冬は、いつもスキーではなかった。 ここを歩くことも多かった。
足が冷たいって、2つ下の妹は、泣くことがあった。
母親の手編みの毛糸の靴下をはいていた。 兄弟全員のセーターも、母親の手編み。

12年8月27日 (21)

この後、北に向かった。 こんど、いつ来れるかわからんな~、と思いながら。

ここは、幌延ビジターセンター。 通りがかりにあったから、寄っただけ。

12年8月27日 (22)

この一帯は、サロベツと呼ばれる所。  赤○に、停泊。

12年8月27日 (24)

遊歩道があるので、歩くことに。
センターの人が、黄色い○の辺りに、コモチカナヘビがいると言った。 カナヘビなんて、知らない。
珍しそうなので、探すことにした。

12年8月27日 (23)

2階から見た風景。 長沼が見える。

12年8月27日 (25)

木道を行く。 ここには、コモチカナヘビはいない。 木道が高い。

12年8月27日 (26)

長沼。

12年8月27日 (27)

左は、サワギキョウ。  右は、小さなシャクナゲっぽい。

12年8月27日 (41)   12年8月27日 (42)

この木道になって、10回以上、コモチカナヘビを見た。
木道の上は温かいので、それでやってくる。

12年8月27日 (28)

風下から近づいた方が、写真は撮り易かった。 直ぐに逃げない。

12年8月27日 (43)

カナヘビは、ヘビではなかった。 トカゲ。
親と同じ格好した子供を生む。 それが珍しい。 日本では、この辺りと、稚内の方にいる。

12年8月27日 (44)

スルスルって逃げる。

12年8月27日 (45)

こんなに見れるとは、思わなかった。

12年8月27日 (46)

コモチカナヘビは、子持金蛇と書く。  
卵でなく、お腹の中で子供を育てるので、子持となる。

どうして、トカゲなのに、カナヘビ(金蛇)かが、面倒。 
調べてみたら、こうだった。

カナヘビは、昔は、愛蛇と書いた。 愛蛇は、カナヘビと読む。
愛しいは、かなしいと読むことが出来る。
意味は、かわいらしい。

昔、カナヘビに名前が無かった時、名前をどうするか考えた。

トカゲと云う言葉は、日本にはなかった。
※ トカゲは、マレーシア語で、遅くに日本に入ってきた。

小さいくてかわいいので、愛(かな)しい蛇として、愛蛇(カナヘビ)になった。

愛(かな)しい、の表現は、本当にあったのか、ということになる。
まず、啄木が、こんな歌を歌っている。

「函館の 青柳町こそ かなしけれ 友の恋歌 矢ぐるまの花」

上の「かなしけれ」は、悲しけれではなく、愛しけれ、と書くと言われている。
いとおしい とかの意味で。

また、女の子の名前で、愛と書いて「かなさ」と読ますことができるそう。

古い歌に、こんなのがある。

「あしひきの 山沢人(やまさはびと)の 人さはに まなといふ児(こ)が あやに愛(かな)しさ」
意味は、
「山の谷沢に住んでいる 大勢の人たちが 可愛いと評判しているあの娘は、私にはこの上もなく可愛く恋しい」

※ 小説のタイトルに、愛(かな)しい、と読ませてるのは、けっこうある。
  「愛(かな)しき人 たちの詩(うた)」 「人は愛(かな)しき」 「愛(かな)しき歌びとたち」  など

これで、大丈夫ですね。
愛という漢字は、愛(かな)しいと読めることを、初めて知りました。







キリギリスのメスが、卵を生んでいた。 
そんなとこに生んで、大丈夫なのかって、言っておいた。

12年8月27日 (47)

ネムロコウホネ。

12年8月27日 (48)

○の所に、深い穴があった。 手すりの所に棒があった。

12年8月27日 (30)

2㍍以上ある棒を入れてみたが、底には着かなかった。
やちまなこは、恐ろしい穴。

12年8月27日 (29)   12年8月27日 (31)

花を探しながら、木道を戻った。

12年8月27日 (32)

海の近くに、風車が28、並んでいた。

12年8月27日 (49)

こんな道が、どこまでも北に続く。

12年8月27日 (33)

サロベツ海岸。

12年8月27日 (34)

稚咲内(わかさきない)のパーキングに、今日は停泊。

12年8月27日 (35)

昔、番屋のようなの建物があった。

12年8月27日 (36)

利尻島が見えた。

12年8月27日 (37)

 ※ 利尻岳は厳しい山だった ~日本海に浮かぶ最北の百名山~   他  (2010/8/19)

コモチカナヘビに関わったら、いそがしい1日になってしまった。
面白かったから、いいことにするか。


【その他】  山本美香さんが撃たれた時、前にいた自由シリア軍の兵士が、あわてない。
       それが、不思議。
       また、日本人だと叫んだ男は、どう云う目的で叫んだのでしょう。
       なぜ、日本人と分かったのか。
       佐藤さんが撃たれなかったのは、素早く逃げたからか。
       他に理由はあるのか。
       佐藤さんは、逃げる時、振り向かなかったようだが、どうしてだろう。
       代われるものなら代わってあげたいと云う程、美香さんのことを思っていたのに。
       数㍍しか、離れていなかった。

【停泊場所】  稚咲内(わかさきない)のパーキング。

【明日の予定】  北に。  明日こそ、のんびり。

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一日雨で、歩けなかった。
  ※ 歩くのは、明日に。 学校跡まで、往復。  天気は、大丈夫のよう。
昔のことを思い出しながら、少しだけ、車で走った。

少しだけ歯車がずれていたら、山本美香さんは死なずに済んだのに、と思った。
今更、遅いけど。
    ※    ※    ※    ※

昨日から、ここに車を停めている。
国道から、600㍍程入った。 国道は、私のずっと後ろに。

家は、左奥にあった。

12年8月26日 (3)

左の方。 ○の辺りにあった。 ブロック造りの平屋の小さな家。
昭和31年の秋から、昭和36年の3月まで、4年半程住む。

12年8月26日 (4)

国道の方は、このように。 昔は、歩くだけの道だった。 
馬車とかは、別の道を通っていた。

12年8月26日 (2)

上の写真の右側。 ○の辺りは、昔は、湿原だった。 エゾカンゾウが咲いていた。

12年8月26日 (5)

家のあった方から撮影。 左端に車。 中央の○の方角に、小学校。
右の○は、国道への出口。
国道の近くに、郵便受けがあった。 新聞と郵便を取りに行くのは、私の仕事。

12年8月26日 (6)

最初の半年ほど、地図の印の所に住んだ。 

12年8月26日 (1)

向こうから来た。 家は、右の方に。

12年8月26日 (7)

右の方は、こうなんだけど、正確な場所は分からない。 ここから、100㍍か200㍍入ったところ。

12年8月26日 (8)

この場所の、後ろの方が、上の写真の場所。

道の突き当たりを左に行くと、学校の方に行く。
右に行くと、山道を通って、歌内の駅に行く。 今は、途中から使っていない道。

右に少し行ったら、昔は、少しだけ水田があった。
※ 現在の日本最北の水田は、日本海側の遠別町にあるそう。
  この場所は、遠別より更に北になる。
  もしかしたら、当時は、日本最北だったかもしれない。

12年8月26日 (9)

天気が悪いので、バッテリーに充電されていない。
少し走るかとなって、中川のセイコーマートまで、少しの買い物に。 ゴミも捨てて。

帰りに、歌内の駅に寄った。
昔は立派な駅。
  ※ ネットで写真を探したが、見つからない。
    図書館がやっていたら行こうと思ったが、休みだった。
    図書館に行けば、きっと見つけられる。
    国府小学校の写真も、きっとある。 図書館は、明日月曜も休み。

この駅で汽車を待つ時、汽車が恐ろしかったので、いつも、ホームの一番後ろにいた。
留辺蘂町まで往復したことがある。
何時間外の景色を眺めても、飽きることはなかった。
放浪の旅にあこがれる、スタートかもしれない。

12年8月26日 (10)

駅前の様子。 昔は賑やかだった。 歌内には、小学校も中学校もあった。 今は、どっちもない。
この店で、凧を買ったことがある。

12年8月26日 (11)

この場所は、天塩川の国府側。 橋を渡ったら、歌内。 

昭和15年5月6日、天塩川の渡船が、ひっくり返った。
乗っていた児童17人と父兄2人全員が流されて亡くなった。

下は、その遭難碑。
橋が出来たのは、昭和35年。 4年生の時だった。

12年8月26日 (12)

戻ってきた。 遠くから家があった場所を見ると、こう。

12年8月26日 (13)

朝は見えなかったペンケ山が見えた。 いつも眺めた山。

12年8月26日 (14)

思い出をいくつか。 (思い出すままに)

○ 家で飼っていたのは、馬、牛、ヒツジ、ヤギ、ニワトリ(100羽)、猫。
  卵は、おふくろが中川の市街まで売りに行った。
○ 家の軒下に、いつも、松葉ボタンを植えていた。 ツメキリソウと呼んでいた。
○ 家の近くに小川があって、トゲウオをすくって遊んだ。 ザリガニもいた。
○ 最初の家の近くには、熊が出ると言われていた。
  姉が2年生だったので、親は、登下校のとき心配していた。
○ 電気が無いので、ランプ。 ランプのホヤを磨いた。

○ ラジオは聴けた。 針金のような有線で、どこかとつながっていた。
○ 冬は、スキーで通っていた。 道でなく、最短距離で真っ直ぐ。
○ 鴨(かも)の卵を見つけて、焼いて食べたことがある。
○ ある家で、汁粉を御馳走になった。 牛乳が入っていた。
  今でも、牛乳の入った汁粉が大好き。 たま~に、作る。  
○ トマトやカンロを育てた。 毎日必ず見に行った。 大きくなったかなって。

○ トノサマバッタを山ほど捕まえた。 それ以来、バッタは好きでなくなった。
○ ラーメンを最初に食べたのは、1年生の時。 中川の、にこにこ食堂。
  かん水のにおいがした。 ちりちり麺。 忘れられない味。
  同じ味が作れたら、今の時代でも、売れると思う。
  似た味のラーメンは、食べたことない。
○ 国府にいた時、荒馬という相撲取りを応援していた。 中川町の出身。(佐久かな)
  荒馬の他に、木ノ村と名乗った時もあった。 十両には上がれなかった。
  荒馬は、のちのラッシャー木村。 プロレスラー。

○ ある時、よその家でご飯を御馳走になった。
  それは、冷たい味噌汁をかけたご飯。 具はジャガイモだけ。
  それを思い出して、今でも、同じご飯を食べることがある。
○ 留辺蘂のおばさんが、動物の図鑑を送ってくれた。
  本は、それしかなかった。 ボロボロになるまで読んだ。
  そこそこ勉強が分かるようになったのは、この本のお陰。 感謝している。
○ 風呂は、木で出来ていた。 桶(おけ)の感じの。 
  あれから、同じ風呂に入ったことない。 見たことはあるけど。

この辺でお終い。 明日は、学校の思い出。


こうだったら、山本美香さんは死なずに済んだかもしれない、と思うことが2つ。

下の写真。 彼女はビデオカメラを指差している。
転んで、カメラをぶつけたと、佐藤さんに言っている。
彼女は、壊れたかもしれないと、心配している。
佐藤さんは、大丈夫、俺のあるから、と言った。

でも、カメラは壊れてはいなかった。
この後撮影に使う。 
使っていたために、日本のジャーナリストと見破られ、銃撃されてしまう。

もし、この時壊れていれば、どうなったか分からない。
彼女は、ビデオカメラでの撮影はしていなかった。
撃たれなかったかも知れない。

12年8月26日 (15)

彼女が銃撃された日、ジャーナリスト2人が政府側に捕まってしまう。
山本さんが銃撃された日から、ジャーナリストへの弾圧が激しくなった。

山本さんと佐藤さんの、シリアに入る予定が、もう1日遅かったら、上の情報が耳に入った。
そうしたら、危険と感じて、20日にシリアに入るのは止めたかもしれない。

12年8月26日 (16)

いくら用心しても避けきれない危険はある。
運命の歯車がどう回るかは、運次第の感じがする。

【停泊場所】    昨晩に同じ

【明日の予定】   学校跡まで歩いた後、北に向かう。 途中から、海に出ようかと。

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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