中山道と甲州街道が合流する所に、下諏訪宿(しもすわしゅく)。
街並みを歩いて、諏訪大社の下宮秋宮と下宮春宮を見た。
畑の中にぽつんと、不思議な石像があった。
名前は、万治(まんじ)の石仏。
ここは、信玄そして由布姫ゆかりの地。
※ ※ ※ ※
今日行った所は、諏訪湖の北。
和田峠の頂上に近い。
諏訪湖は左に行くが、右に行ったら、美ヶ原高原と霧ヶ峰高原。
2年前に行った。 両方とも高原なのに、百名山。
※ 霧ヶ峰高原 美ヶ原高原 ~2つとも日本百名山、信州ビーナスライン~ 他 (2010/6/25)
中山道沿いの道を、諏訪湖に向かった。
ここが、諏訪大社下宮秋宮。 駐車場が広いので、ここに車を置いて歩く。
下社秋宮(しもしゃあきみや)から1㌔程離れて、下社春宮がある。 後で行く。
他に、湖の南に、上社前宮と上社本宮がある。
4つを総称して、諏訪大社と云うそう。
正面に、大きな杉の木。 根入りの杉。 真夜中、いびきをかくと云う。
諏訪神社は、旅をしていたら良く見る。 全国に25000ある。
諏訪大社は、総本社。
正面は、神楽殿。 後ろに拝殿がある。
右の方に1本、枝の無い木が見える。 こんな柱が、後ろの社殿の四隅に立っている。
諏訪大社について、何も知らないから、初めて知ることばかり。
神楽殿の中。
菊が飾ってあった。
この木が、御柱(おんばしら)と呼ばれる。
※ 6年に1度、山の中からモミの木の大木を、引っ張って持ってくる。
1つの諏訪社に4本。 4つの諏訪社だから、全部で16本。
※ この行事は、御柱祭(おんばしらさい)と云われ、日本三大奇祭の1つだそう。(Wikipedia)
危険に感じるお祭り。 Wikipediaにある御柱祭の写真。
※ 動画では、こう。 2分ほど見たら、祭りの中身が分かる。 テレビで見た人が多いと思う。
おっかなくて、見ていられない。
拝殿。
この後、下社春宮に向かって、中山道を歩いた。
ここは、中山道下諏訪宿本陣。 殿様が泊まる。
この坂を下る。 右に行ったら、和泉式部の何だかがあると云う。 帰りに行くことに。
※ 和泉式部の伝説は多い。 歌の魅力が大きいからか、な。
多い人って、そんなにいない。 義経や小野小町くらい。
昔の雰囲気が残っている。
温泉が出ていた。 私は、コップで飲んだ。 水を持っていなかったから、ちょうどいい。
となりに人がいて、バケツで汲んでいた。 お風呂に入れる。 20回運ぶと、入れるそう。
温泉の上に、御作田社という、小さな神社があった。
下に書いてあることを、温泉を汲んでる人が説明してくれた。
ここは、地域の人達の、交流の場だった。 観光客が入ってもいい。
信玄ゆかりの、矢除石があるという。
ここを行く。 いい雰囲気。
この石。
信玄が来たことがある、と書いてある。
そばに、少し色あせたけど、大河ドラマのノボリがあった。 由布姫の名前が。
※ 小坂観音院 高島城 手仕事屋きち兵衛 他 (2009/06/19)
諏訪湖が見えた。
諏訪大社下社春宮。 20分程で着いた。
ここも、手前に神楽殿。
拝殿。 左右にあるのも拝殿。 諏訪大社の拝殿の特徴。
近くに、「万治(まんじ)の石仏」がある。 有名なようなので、見ることに。
裏に、「峽の田に座して 石佛のどかなり 正人」とあった。
※ 峽は、「はざま」と読むんですね。 谷に意味は似ているかな。
※ 正人って誰なのか、調べても分からない。
万治って何だろうと思った。
万治と云う人を彫ったのか。 万治と云う人が彫ったのか。
説明があって、読むと、万治は元号だった。
万治3年に彫ったとあった。 1660年。
これです。
耳も鼻も大きい。 お地蔵さんの顔とは違う。 下の石に穴があって、そこに、首が入っている。
遠くから見たら、石全体が体に見える。
でも、近くで見たら、体は石に彫ってある。 磨崖仏のよう。
説明に、石仏のどこかに「南無阿弥陀仏 万治三年十一月一日 願主明誉浄光心誉廣春」とあると云う。
風化して読めないが、向かって左に、書いてあるよう。
南無阿弥陀仏は、何とか読める。 万治三年は、自信ない。
下のような説明があった。
戻る途中、和泉式部の鉄焼地蔵尊(かなやきじぞうそん)のある、来迎寺へ。
どこにあるか説明は無い。
近くに、おばあちゃんがいて、教えてくれた。 伝説なんですけどね、って付け加えて。
入った直ぐの左に、小さなお堂があった。
左の女の人が、和泉式部。 水に写った、自分の顔を見ている。
額の傷が消えているのに、驚いている。
鉄焼地蔵尊像は、年に1回しか見られない。
ネット上に、ここの像の写真は無い。
どんな伝説なのか、近くにある「うらかめや」さんという温泉宿のHPに載っているので紹介。
昔かねという娘が、幼くして父母に死に別れ、下諏訪の湯屋に別当方で召し使われていた。
いつも耕作場へ弁当を運んでいたが、その弁当の飯をいくらか取って、菩薩に供えていた。
それを主人に告げ口され、話を聞いた主人の妻が怒って、焼け火箸でかねのひたいを打ち付けた。
かねは、泣き叫び表に出て、菩薩の顔を見ると、菩薩のひたいから血が流れ、かねのひたいには、傷一つない。
日頃の信心によるものと伏し拝めば、姿形も美しくなる。
これを聞いた主人夫婦は、心を入れ替えかねをかわいがる。
美人の噂が都に聞こえ、帝に召しだされた。 和泉式部そのひとであるという。
式部は菩薩を都に移し、守り本尊として大切にした。
和泉式部没後、最明寺入道が和泉式部の草庵に泊まった折、お告げがあって、御像を下諏訪の聖聚院(来迎寺)にお移しした。
これが鉄焼地蔵尊である
お堂の前から、下を撮影。 左に、式部の歌碑。
百人一首の歌ですね。
「 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな 」
( 私は病(やまい)に苦しんでいます まもなくこの世を去って行くでしょう
あの世に行っても あなたのことを恋しつづけたいのです
だから最後の思い出に ひと目逢いたいのです )
和泉式部の伝説に出会ったのは、もう7~8回になるでしょうか。
京都の北にある貴船には、多くの人が集まる。
そこには、和泉式部の魅力がいっぱい。
※ 義経修行の地、鞍馬山 和泉式部恋の道、貴船 ~京都市鞍馬~ 他 (2010/11/25)
道端に、こんな昔の様子が。
高遠に向かった。 杖突峠から見た、諏訪湖。
右の方。 茅野市(ちのし。)
諏訪大社の上社の方にも、別の機会に行ってみたい。
今日は、標高800㍍ほどの、高い所にいました。
【その他】 日本シリーズ第4戦、日ハムが勝ちました。 これで、2勝2敗。
しぼみかけた夢が、ふくらみ始めました。
もし日ハムが優勝したら、MVPはきっと稲葉、と思っています。 始まる前から。
雰囲気にのまれそうな若い人を、引っ張る。
明日の試合は、大事な試合。
試合の中で、北の国から、が流れた。
【道の駅】 南アルプスむら長谷 (伊那市高遠町の直ぐ近く)
標高が高いからか、寒い。
【明日の予定】 高遠をあるく。 由布姫と絵島。 高遠城。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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街並みを歩いて、諏訪大社の下宮秋宮と下宮春宮を見た。
畑の中にぽつんと、不思議な石像があった。
名前は、万治(まんじ)の石仏。
ここは、信玄そして由布姫ゆかりの地。
※ ※ ※ ※
今日行った所は、諏訪湖の北。
和田峠の頂上に近い。
諏訪湖は左に行くが、右に行ったら、美ヶ原高原と霧ヶ峰高原。
2年前に行った。 両方とも高原なのに、百名山。

※ 霧ヶ峰高原 美ヶ原高原 ~2つとも日本百名山、信州ビーナスライン~ 他 (2010/6/25)
中山道沿いの道を、諏訪湖に向かった。
ここが、諏訪大社下宮秋宮。 駐車場が広いので、ここに車を置いて歩く。

下社秋宮(しもしゃあきみや)から1㌔程離れて、下社春宮がある。 後で行く。
他に、湖の南に、上社前宮と上社本宮がある。
4つを総称して、諏訪大社と云うそう。
正面に、大きな杉の木。 根入りの杉。 真夜中、いびきをかくと云う。

諏訪神社は、旅をしていたら良く見る。 全国に25000ある。
諏訪大社は、総本社。
正面は、神楽殿。 後ろに拝殿がある。
右の方に1本、枝の無い木が見える。 こんな柱が、後ろの社殿の四隅に立っている。

諏訪大社について、何も知らないから、初めて知ることばかり。
神楽殿の中。

菊が飾ってあった。

この木が、御柱(おんばしら)と呼ばれる。

※ 6年に1度、山の中からモミの木の大木を、引っ張って持ってくる。
1つの諏訪社に4本。 4つの諏訪社だから、全部で16本。
※ この行事は、御柱祭(おんばしらさい)と云われ、日本三大奇祭の1つだそう。(Wikipedia)
危険に感じるお祭り。 Wikipediaにある御柱祭の写真。
※ 動画では、こう。 2分ほど見たら、祭りの中身が分かる。 テレビで見た人が多いと思う。
おっかなくて、見ていられない。
拝殿。

この後、下社春宮に向かって、中山道を歩いた。
ここは、中山道下諏訪宿本陣。 殿様が泊まる。

この坂を下る。 右に行ったら、和泉式部の何だかがあると云う。 帰りに行くことに。
※ 和泉式部の伝説は多い。 歌の魅力が大きいからか、な。
多い人って、そんなにいない。 義経や小野小町くらい。

昔の雰囲気が残っている。

温泉が出ていた。 私は、コップで飲んだ。 水を持っていなかったから、ちょうどいい。
となりに人がいて、バケツで汲んでいた。 お風呂に入れる。 20回運ぶと、入れるそう。

温泉の上に、御作田社という、小さな神社があった。

下に書いてあることを、温泉を汲んでる人が説明してくれた。

ここは、地域の人達の、交流の場だった。 観光客が入ってもいい。

信玄ゆかりの、矢除石があるという。

ここを行く。 いい雰囲気。

この石。

信玄が来たことがある、と書いてある。

そばに、少し色あせたけど、大河ドラマのノボリがあった。 由布姫の名前が。
※ 小坂観音院 高島城 手仕事屋きち兵衛 他 (2009/06/19)

諏訪湖が見えた。

諏訪大社下社春宮。 20分程で着いた。

ここも、手前に神楽殿。

拝殿。 左右にあるのも拝殿。 諏訪大社の拝殿の特徴。

近くに、「万治(まんじ)の石仏」がある。 有名なようなので、見ることに。

裏に、「峽の田に座して 石佛のどかなり 正人」とあった。
※ 峽は、「はざま」と読むんですね。 谷に意味は似ているかな。
※ 正人って誰なのか、調べても分からない。

万治って何だろうと思った。
万治と云う人を彫ったのか。 万治と云う人が彫ったのか。
説明があって、読むと、万治は元号だった。
万治3年に彫ったとあった。 1660年。
これです。

耳も鼻も大きい。 お地蔵さんの顔とは違う。 下の石に穴があって、そこに、首が入っている。

遠くから見たら、石全体が体に見える。
でも、近くで見たら、体は石に彫ってある。 磨崖仏のよう。

説明に、石仏のどこかに「南無阿弥陀仏 万治三年十一月一日 願主明誉浄光心誉廣春」とあると云う。
風化して読めないが、向かって左に、書いてあるよう。
南無阿弥陀仏は、何とか読める。 万治三年は、自信ない。

下のような説明があった。


戻る途中、和泉式部の鉄焼地蔵尊(かなやきじぞうそん)のある、来迎寺へ。

どこにあるか説明は無い。
近くに、おばあちゃんがいて、教えてくれた。 伝説なんですけどね、って付け加えて。
入った直ぐの左に、小さなお堂があった。
左の女の人が、和泉式部。 水に写った、自分の顔を見ている。
額の傷が消えているのに、驚いている。

鉄焼地蔵尊像は、年に1回しか見られない。

ネット上に、ここの像の写真は無い。
どんな伝説なのか、近くにある「うらかめや」さんという温泉宿のHPに載っているので紹介。
昔かねという娘が、幼くして父母に死に別れ、下諏訪の湯屋に別当方で召し使われていた。
いつも耕作場へ弁当を運んでいたが、その弁当の飯をいくらか取って、菩薩に供えていた。
それを主人に告げ口され、話を聞いた主人の妻が怒って、焼け火箸でかねのひたいを打ち付けた。
かねは、泣き叫び表に出て、菩薩の顔を見ると、菩薩のひたいから血が流れ、かねのひたいには、傷一つない。
日頃の信心によるものと伏し拝めば、姿形も美しくなる。
これを聞いた主人夫婦は、心を入れ替えかねをかわいがる。
美人の噂が都に聞こえ、帝に召しだされた。 和泉式部そのひとであるという。
式部は菩薩を都に移し、守り本尊として大切にした。
和泉式部没後、最明寺入道が和泉式部の草庵に泊まった折、お告げがあって、御像を下諏訪の聖聚院(来迎寺)にお移しした。
これが鉄焼地蔵尊である
お堂の前から、下を撮影。 左に、式部の歌碑。

百人一首の歌ですね。
「 あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな 」
( 私は病(やまい)に苦しんでいます まもなくこの世を去って行くでしょう
あの世に行っても あなたのことを恋しつづけたいのです
だから最後の思い出に ひと目逢いたいのです )

和泉式部の伝説に出会ったのは、もう7~8回になるでしょうか。
京都の北にある貴船には、多くの人が集まる。
そこには、和泉式部の魅力がいっぱい。
※ 義経修行の地、鞍馬山 和泉式部恋の道、貴船 ~京都市鞍馬~ 他 (2010/11/25)
道端に、こんな昔の様子が。

高遠に向かった。 杖突峠から見た、諏訪湖。

右の方。 茅野市(ちのし。)

諏訪大社の上社の方にも、別の機会に行ってみたい。
今日は、標高800㍍ほどの、高い所にいました。
【その他】 日本シリーズ第4戦、日ハムが勝ちました。 これで、2勝2敗。
しぼみかけた夢が、ふくらみ始めました。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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ちゃんと機能するか、1週間ほど様子を見てみます。

別所温泉は、歩いて楽しい。
3つの外湯と、3つの古刹。 国宝の三重塔を見ることもできた。
その前に行った前山寺には、美しい未完の塔が。
※ ※ ※ ※
今日行く2ヶ所は、東風さんの紹介。
お互い近い。 上田市にある。
前山寺(ぜんざんじ)の参道。
生徒さん達が来ると、にぎやか。 参道の空気が、明るく温かくなる。
挨拶してくれた。
木の太さが、道の幅と同じ。 真ん中は、どんな意味だろう。 自分だけの・・、という意味かな。
見物は、三重塔。 国の重要文化財。
一番上が重たい感じがするけど、下が見えないからでしょうか。
いいですね。 柱が横に飛び出しているのが見える。 それが特徴のよう。
未完の塔、とある。 それが素晴らしいとも。
私は、完成していた方がもっと美しい、と思うかな。
小さな塔は、赤く塗っても、そのままでも、どっちもいい。
未完のため、勾欄(こうらん)と云う手すりのようなのが無い。
※ 普通は、このようにある。(室生寺五重塔) 一部にだけ、あるのも(2階にだけ。 山口市にある、瑠璃光寺五重塔)
本堂。 塔は、左上に。
本堂の中。 ツツジが咲いていた。
※ 近くに「無言館」という、戦没学生の遺作を展示している、美術館があった。
入館料が1000円なので、行かなかった。
宅島 徳光(たくじま のりみつ)と云う人の手紙に興味があったが、ありそう無かったことも。
雨と風で動けず。~亀岡市~ 1つの詩から、2つの歌が生まれた。 他 (2012/5/2)
別所温泉までは、近い。
駐車場が、はっきりしないので、あいそめの湯 の駐車場に停めさせてもらった。
※ 温泉を利用したら、大丈夫ですよって、観光案内所の方がアドバイスしてくれた。
3つの寺と、3つの外湯を見るのがメイン。
こんな道。 普通の道。
長ネギの向こう。 正面の山に、最初のお寺。
常楽寺(じょうらくじ)。 本堂の前が広くないので、全体が撮れない。
こんな茅葺(かやぶき)の寺が多い。
寺の境内は、とってもきれい。 どこを歩いても、どこを見てもよかった。
紅葉が始まっている。
本堂の裏の杉林の中に、目的の、石造多宝塔。
※ この後、北向観音に行くが、そこの本尊「北向観世音」が出現したところ、とあった。
伝説でもない、こんな話は、どう考えればいいのでしょう。
左奥に、見えている。
石塔は、珍しくない。 1262年のものと分かっているから、重要文化財になるのでしょうか。
別所温泉駅の近くからから歩きだして、現在地に来ている。
坂を下ったら、上田市の中心街。
安楽寺。
目指す塔は、裏山の上にある。
木の剪定(せんてい)が、珍しい。 他でも見た。
国宝八角三重塔、と小さく見える。
八角三重塔は、現在、ここにしかないとある。
※ Wikipediaには、八角塔自体が、ここだけとある。
美しいかどうかは、別にして、珍しい建物。
複雑な、屋根の曲線。 忘れてました、この建物は、国宝。
この建物は、いつの建物か、はっきりしなかった。
でも、木の年代を測定したら、1289年に伐採と分かった。 すごい技術。
旅行ガイドの人が、八角塔の屋根の形は複雑で、CGで表すのが大変と言っていた。 ※ CG~コンピューターグラフィックス
※ 平安時代、京都市動物園があるところに、八角九重塔があったことが分かっている。
それが、CGで表現されている。 こんな、八角九重塔。 美しい。
細かな彫刻は無い。 細長い窓の木が、波打っている。
美しさに感動することは無かったのですが、珍しいものを見ました。
温泉街に。 活気を感じた。 こっちに、外湯がある。
大師湯。 150円。 こんな湯船。 ここで入りたいが、駐車場に戻って入ることに。 悪いから。
さらに進むと、石湯。 こんな湯船。
真田幸村隠しの湯、とある。
ここ上田市は、戦国時代に真田氏が築いた、上田城を中心とする、城下町。
戻って、ここは、北向(きたむき)観音堂。
3つのお寺の中で、ここが一番人が多い。
長野の善光寺は、あの世に行ってからの幸せを、北向観音は、この世での幸せを、叶えてくれる。
どっちにも行かないと、ダメなことになっている。
私は、北向観音だけでいい。
観音様は、みんなの願い事を叶えることは出来ない。
2人お参りに来て、1人は巨人を勝たせてほしい、もう一人は日ハムを勝たせてほしい、と願ったら、観音様は困る。
「お賽銭をくだされば、願い事を叶えてあげます」
これは、働かないでお金を集めるために人間が考えた、素晴らしいアイディア。
そうは言っても、お願いした。 勝たせてくれ~って。
こういう雰囲気が好き。
ここからも、市街地が。
戻る途中に、大湯。 ここも、外湯。 別所温泉の、元湯でもある。
こんな、小さな露天風呂もある。
薄暗くなってきた。
温泉旅館。
上田電鉄別所線の終着駅。
ここでゆっくりして、近くの道の駅へ。
別所温泉は、いい所でした。 もう一度来てもいい。
駐車場も、どこに停められるか、分かった。
最初に見た三重塔が、美しかったでしょうか。
前山寺のですね。
【今日の歌】 この人の百万本のバラもいいけど、これもいい。
【道の駅】 アルメロの駅 ながと
【明日の予定】 週末に御殿場に向かう予定だったが、清水のKさんに急用が生まれ、予定変更。
高遠に行って、今後のコースを検討しようかなと。
由布姫の墓にお参りする。
※ 由布姫は、諏訪御料人。 武田勝頼の母。
諏訪大社が途中にあるけど、調べてない。
下の動画で、高遠のことを言っています。
昨年、ボランティアの時、南三陸町から亘理町に移動する時です。
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3つの外湯と、3つの古刹。 国宝の三重塔を見ることもできた。
その前に行った前山寺には、美しい未完の塔が。
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今日行く2ヶ所は、東風さんの紹介。
お互い近い。 上田市にある。
前山寺(ぜんざんじ)の参道。
生徒さん達が来ると、にぎやか。 参道の空気が、明るく温かくなる。
挨拶してくれた。

木の太さが、道の幅と同じ。 真ん中は、どんな意味だろう。 自分だけの・・、という意味かな。


見物は、三重塔。 国の重要文化財。
一番上が重たい感じがするけど、下が見えないからでしょうか。

いいですね。 柱が横に飛び出しているのが見える。 それが特徴のよう。

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私は、完成していた方がもっと美しい、と思うかな。


小さな塔は、赤く塗っても、そのままでも、どっちもいい。


未完のため、勾欄(こうらん)と云う手すりのようなのが無い。
※ 普通は、このようにある。(室生寺五重塔) 一部にだけ、あるのも(2階にだけ。 山口市にある、瑠璃光寺五重塔)

本堂。 塔は、左上に。

本堂の中。 ツツジが咲いていた。


※ 近くに「無言館」という、戦没学生の遺作を展示している、美術館があった。
入館料が1000円なので、行かなかった。
宅島 徳光(たくじま のりみつ)と云う人の手紙に興味があったが、ありそう無かったことも。
雨と風で動けず。~亀岡市~ 1つの詩から、2つの歌が生まれた。 他 (2012/5/2)
別所温泉までは、近い。
駐車場が、はっきりしないので、あいそめの湯 の駐車場に停めさせてもらった。
※ 温泉を利用したら、大丈夫ですよって、観光案内所の方がアドバイスしてくれた。
3つの寺と、3つの外湯を見るのがメイン。
こんな道。 普通の道。

長ネギの向こう。 正面の山に、最初のお寺。

常楽寺(じょうらくじ)。 本堂の前が広くないので、全体が撮れない。
こんな茅葺(かやぶき)の寺が多い。

寺の境内は、とってもきれい。 どこを歩いても、どこを見てもよかった。

紅葉が始まっている。

本堂の裏の杉林の中に、目的の、石造多宝塔。
※ この後、北向観音に行くが、そこの本尊「北向観世音」が出現したところ、とあった。
伝説でもない、こんな話は、どう考えればいいのでしょう。
左奥に、見えている。

石塔は、珍しくない。 1262年のものと分かっているから、重要文化財になるのでしょうか。

別所温泉駅の近くからから歩きだして、現在地に来ている。

坂を下ったら、上田市の中心街。

安楽寺。

目指す塔は、裏山の上にある。
木の剪定(せんてい)が、珍しい。 他でも見た。

国宝八角三重塔、と小さく見える。

八角三重塔は、現在、ここにしかないとある。
※ Wikipediaには、八角塔自体が、ここだけとある。


美しいかどうかは、別にして、珍しい建物。

複雑な、屋根の曲線。 忘れてました、この建物は、国宝。
この建物は、いつの建物か、はっきりしなかった。
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旅行ガイドの人が、八角塔の屋根の形は複雑で、CGで表すのが大変と言っていた。 ※ CG~コンピューターグラフィックス

※ 平安時代、京都市動物園があるところに、八角九重塔があったことが分かっている。
それが、CGで表現されている。 こんな、八角九重塔。 美しい。

細かな彫刻は無い。 細長い窓の木が、波打っている。


美しさに感動することは無かったのですが、珍しいものを見ました。
温泉街に。 活気を感じた。 こっちに、外湯がある。

大師湯。 150円。 こんな湯船。 ここで入りたいが、駐車場に戻って入ることに。 悪いから。

さらに進むと、石湯。 こんな湯船。
真田幸村隠しの湯、とある。
ここ上田市は、戦国時代に真田氏が築いた、上田城を中心とする、城下町。


戻って、ここは、北向(きたむき)観音堂。

3つのお寺の中で、ここが一番人が多い。
長野の善光寺は、あの世に行ってからの幸せを、北向観音は、この世での幸せを、叶えてくれる。
どっちにも行かないと、ダメなことになっている。
私は、北向観音だけでいい。
観音様は、みんなの願い事を叶えることは出来ない。
2人お参りに来て、1人は巨人を勝たせてほしい、もう一人は日ハムを勝たせてほしい、と願ったら、観音様は困る。
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そうは言っても、お願いした。 勝たせてくれ~って。

こういう雰囲気が好き。

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薄暗くなってきた。

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駐車場も、どこに停められるか、分かった。
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前山寺のですね。
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【明日の予定】 週末に御殿場に向かう予定だったが、清水のKさんに急用が生まれ、予定変更。
高遠に行って、今後のコースを検討しようかなと。
由布姫の墓にお参りする。
※ 由布姫は、諏訪御料人。 武田勝頼の母。
諏訪大社が途中にあるけど、調べてない。
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昨年、ボランティアの時、南三陸町から亘理町に移動する時です。
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太平洋戦争末期、政治の中枢機能を、東京から長野県の山の中に移す計画があった。
山の中と言っても、本当の山の中で、トンネルを掘った。
そこで天皇を中心とした政治を行う予定だったが、終戦で、実際に使うことはなかった。
松代象山地下壕と呼ばれる所には、途中まで入ることが出来た。
松代の地は、川中島の合戦が行われたところ。
信玄は、前線基地として、海津城を作った。
後に、松代城となり、石垣が今に残っている。
ここでの戦いで、山本勘助は死んだ。
※ ※ ※ ※
松代は、長野市街地の少し南。
東風さんが、お昼から3時過ぎまで休みを取って案内してくれた。
私の車は、松代城跡に置いて、東風さんの乗用車で動いた。
上に書いた計画は、松代大本営計画。
天皇が住む予定だったところに、まず、行った。
松代の市街地の少し南。 舞鶴山の麓。
現在の写真。
今は、気象庁が、建物の一部と地下を利用して、精密な地震観測を行っている。
松代大本営計画は、昭和19年の11月からスタート。 終戦で終わる。 75%完成。
戦後に撮影された写真。
普段は、この建物で生活。 非常時は、地下に潜る。
地震の観測機器は、地下にある。
階段を下りる所まで、見学できる。 右から2番目の建物から、入った。
コンクリートは当時のままで、板の跡が見えた。
写真の、右端の建物。
窓ガラス越しに、覗けた。
下の写真は、別の所の資料室にあったもの。 地下宮殿も。
近くにある、別の地下への入り口。
今は、下の地図の現在地にいる。 さっきは、赤○に入った。
この舞鶴山の坑道の全長は、2.6㌔㍍。
戻って、ここは、象山神社。 祭神は、幕末に活躍した、佐久間象山。
※ 地元の人は、象山を、「ぞうざん」と読む。 東風さんも、そう言った。
一般的には、「しょうざん」
下に説明が。 龍馬たちとも、関わりがあった。
京都の三条木屋町で、暗殺された。 碑があって、何度か見た。 下のブログに、出てくる。
※ 維新の史跡を残す、木屋町通を歩く ~京都市~ キッスは目にして(ヴィーナス) 他 (2012/6/17)
松代象山地下壕に向かった。 水路があって、感じのいい通り。 東風さんの車は、象山神社の駐車場に。
武家屋敷が残っている。
ここが入り口。 受付がある。 無料。 ヘルメットを着用。
「不戦の誓い」の碑が見える。 公開する目的や姿勢が、見当つく。
松代象山地下壕は、下の地図で、左下の青い四角。
象山神社は、上の方。 その上に、海津城跡。 信玄はここに。 左端に、謙信がいた、妻女山。
松代大本営計画の概要が、分かりやすい。 住民と朝鮮人で掘った、とある。
※ 「強制連行」と云う言葉があるが、広辞苑には、こう書いてある。
【朝鮮人強制連行】 日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・
東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。
100万人とは、すごい数。 生きる希望さえ奪われて。 これが、戦争。 韓国の日本への恨みの元は、ここにもあるのか。
山の中の様子。 赤○の所を歩いた。
鉱山の中の感じ。
岩盤が固いので、岩から水が出てこない。
なんで、松代に、こんなのを作ったのか。
その理由の一つに、この辺りは本州が太くなって、海から遠いと、どこかの説明にあった。
※ 日本で一番海から遠いところは、佐久市だそう。 松代の右の方にある。 海まで、114㌔。
ちなみに、2番目は、私の故郷にある美瑛岳の近く。 海まで、107㌔。
考えてみたら、海には全く縁のない生活をしていた。
トンネルの掘り方は、削岩機で細い穴をたくさんあけ、その中にダイナマイトを詰めて、爆発させる。
下の写真は、削岩機の先っぽが、岩から抜けなくなった。
金網の向こう。
穴の跡。
「ずり」と呼ばれる、砕かれた石は、トロッコで運ばれた。 枕木の跡。
※ 東風さんは、元々は、トンネルで出てきた砕石を「ずり」と呼んでいた、と教えてくれた。
北海道の赤平だったでしょうか、炭鉱の「ずり山」に登った。
坑道の交差点の天井に、こんなのが。 ここから錘(おもり)をぶら下げて、測量の時使った。
千羽鶴。 多くの人が亡くなっている。
詳しくは分かっていないが、こんな資料も。
松代象山地下壕については、地元の高校生も調査研究している。
恵明寺。 2階の屋根が、ゆがんでいる。
豊姫の霊屋(たまや)。 中に、お墓があるのか。
豊姫は、宇和島藩の姫。 松代に嫁いだ。 杏(あんず)の木を持ってきた。 この地に広まった。
宇和島で、豊姫には会っていた。
※ 南楽園の梅まつり お里帰りアンズ ~宇和島市津島町~ 他 (2011/2/17)
※ この後、東風さんは、職場に戻った。
松代小学校。 子供がたくさん飛び出て来たので、驚いた。 大きな武家屋敷に見えた。
松代城跡。 松代城の前は、海津城だった。
江戸時代末期の様子。
川中島の合戦の時、信玄が、ここに陣を張った。
武田軍の一部が、妻女山に向かった。 着いたら、もぬけの殻だった。 上杉軍は山を下りていた。
武田軍の読みは、狂った。 軍師 山本勘助の大きなミス。
妻女山に向かった軍が戦場に戻るまで、武田軍は不利な戦いになる。
今の地図では、こう。
ここから入る。 残っていたのは、石垣だけ。
今は、公園。
北の方に、山が見えた。 右は、高妻山。 左は、戸隠山。
※ 高妻山は遠かった。 そして、危険でもあった。 ~戸隠連峰の最高峰~ 他 (2011/7/13)
戸隠古道を歩く ~奥社参道杉並木 鏡池 長野市戸隠~ 他 (2010/10/29)
今日は、珍しいものを見ました。
松代には、いつか、もう一度来ます。
川中島の合戦について、歩いて、もっと知りたい。
勘助が歩いた道と、私が歩いた道は、今日、どこかで交錯した。
【今日の歌】 今日、奥秩父の、むつばあちゃんの言葉を思い出していた。
「人生なんて、あっという間だ」「あっけない」
夏も秋も、一瞬に過ぎて行く。 それで、この歌。
【道の駅】 上田 道と川の駅
【明日の予定】 前山寺 別所温泉
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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ちゃんと機能するか、1週間ほど様子を見てみます。
山の中と言っても、本当の山の中で、トンネルを掘った。
そこで天皇を中心とした政治を行う予定だったが、終戦で、実際に使うことはなかった。
松代象山地下壕と呼ばれる所には、途中まで入ることが出来た。
松代の地は、川中島の合戦が行われたところ。
信玄は、前線基地として、海津城を作った。
後に、松代城となり、石垣が今に残っている。
ここでの戦いで、山本勘助は死んだ。
※ ※ ※ ※
松代は、長野市街地の少し南。
東風さんが、お昼から3時過ぎまで休みを取って案内してくれた。
私の車は、松代城跡に置いて、東風さんの乗用車で動いた。
上に書いた計画は、松代大本営計画。
天皇が住む予定だったところに、まず、行った。
松代の市街地の少し南。 舞鶴山の麓。
現在の写真。
今は、気象庁が、建物の一部と地下を利用して、精密な地震観測を行っている。

松代大本営計画は、昭和19年の11月からスタート。 終戦で終わる。 75%完成。
戦後に撮影された写真。
普段は、この建物で生活。 非常時は、地下に潜る。

地震の観測機器は、地下にある。
階段を下りる所まで、見学できる。 右から2番目の建物から、入った。
コンクリートは当時のままで、板の跡が見えた。

写真の、右端の建物。

窓ガラス越しに、覗けた。

下の写真は、別の所の資料室にあったもの。 地下宮殿も。

近くにある、別の地下への入り口。

今は、下の地図の現在地にいる。 さっきは、赤○に入った。
この舞鶴山の坑道の全長は、2.6㌔㍍。

戻って、ここは、象山神社。 祭神は、幕末に活躍した、佐久間象山。
※ 地元の人は、象山を、「ぞうざん」と読む。 東風さんも、そう言った。
一般的には、「しょうざん」

下に説明が。 龍馬たちとも、関わりがあった。

京都の三条木屋町で、暗殺された。 碑があって、何度か見た。 下のブログに、出てくる。
※ 維新の史跡を残す、木屋町通を歩く ~京都市~ キッスは目にして(ヴィーナス) 他 (2012/6/17)
松代象山地下壕に向かった。 水路があって、感じのいい通り。 東風さんの車は、象山神社の駐車場に。

武家屋敷が残っている。

ここが入り口。 受付がある。 無料。 ヘルメットを着用。
「不戦の誓い」の碑が見える。 公開する目的や姿勢が、見当つく。

松代象山地下壕は、下の地図で、左下の青い四角。
象山神社は、上の方。 その上に、海津城跡。 信玄はここに。 左端に、謙信がいた、妻女山。

松代大本営計画の概要が、分かりやすい。 住民と朝鮮人で掘った、とある。

※ 「強制連行」と云う言葉があるが、広辞苑には、こう書いてある。
【朝鮮人強制連行】 日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を内地・樺太(サハリン)・沖縄・
東南アジアなどに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。
100万人とは、すごい数。 生きる希望さえ奪われて。 これが、戦争。 韓国の日本への恨みの元は、ここにもあるのか。
山の中の様子。 赤○の所を歩いた。

鉱山の中の感じ。

岩盤が固いので、岩から水が出てこない。

なんで、松代に、こんなのを作ったのか。
その理由の一つに、この辺りは本州が太くなって、海から遠いと、どこかの説明にあった。
※ 日本で一番海から遠いところは、佐久市だそう。 松代の右の方にある。 海まで、114㌔。
ちなみに、2番目は、私の故郷にある美瑛岳の近く。 海まで、107㌔。
考えてみたら、海には全く縁のない生活をしていた。
トンネルの掘り方は、削岩機で細い穴をたくさんあけ、その中にダイナマイトを詰めて、爆発させる。
下の写真は、削岩機の先っぽが、岩から抜けなくなった。

金網の向こう。

穴の跡。

「ずり」と呼ばれる、砕かれた石は、トロッコで運ばれた。 枕木の跡。

※ 東風さんは、元々は、トンネルで出てきた砕石を「ずり」と呼んでいた、と教えてくれた。
北海道の赤平だったでしょうか、炭鉱の「ずり山」に登った。
坑道の交差点の天井に、こんなのが。 ここから錘(おもり)をぶら下げて、測量の時使った。

千羽鶴。 多くの人が亡くなっている。

詳しくは分かっていないが、こんな資料も。
松代象山地下壕については、地元の高校生も調査研究している。

恵明寺。 2階の屋根が、ゆがんでいる。

豊姫の霊屋(たまや)。 中に、お墓があるのか。

豊姫は、宇和島藩の姫。 松代に嫁いだ。 杏(あんず)の木を持ってきた。 この地に広まった。

宇和島で、豊姫には会っていた。
※ 南楽園の梅まつり お里帰りアンズ ~宇和島市津島町~ 他 (2011/2/17)
※ この後、東風さんは、職場に戻った。
松代小学校。 子供がたくさん飛び出て来たので、驚いた。 大きな武家屋敷に見えた。

松代城跡。 松代城の前は、海津城だった。

江戸時代末期の様子。

川中島の合戦の時、信玄が、ここに陣を張った。

武田軍の一部が、妻女山に向かった。 着いたら、もぬけの殻だった。 上杉軍は山を下りていた。
武田軍の読みは、狂った。 軍師 山本勘助の大きなミス。
妻女山に向かった軍が戦場に戻るまで、武田軍は不利な戦いになる。

今の地図では、こう。

ここから入る。 残っていたのは、石垣だけ。

今は、公園。

北の方に、山が見えた。 右は、高妻山。 左は、戸隠山。

※ 高妻山は遠かった。 そして、危険でもあった。 ~戸隠連峰の最高峰~ 他 (2011/7/13)
戸隠古道を歩く ~奥社参道杉並木 鏡池 長野市戸隠~ 他 (2010/10/29)
今日は、珍しいものを見ました。
松代には、いつか、もう一度来ます。
川中島の合戦について、歩いて、もっと知りたい。
勘助が歩いた道と、私が歩いた道は、今日、どこかで交錯した。
【今日の歌】 今日、奥秩父の、むつばあちゃんの言葉を思い出していた。
「人生なんて、あっという間だ」「あっけない」
夏も秋も、一瞬に過ぎて行く。 それで、この歌。
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野沢温泉には、外湯があって、足湯がある。
のんびりと散策するのが、似合う。
13ある外湯は、共同浴場で、地域の人達の社交場。
観光客の人も入ることが出来る。
※ ※ ※ ※
野沢温泉はここに。 下に馬曲(まぐわ)温泉、左下に 花の駅千曲川が見える。
※ 空から見た野沢温泉。 山の麓にある。(Wikipedia)
午前中、東風さんと一緒に。
温泉街の下に、広い駐車場がある。 そこから、10分程歩いた。
一目、古い感じの温泉街。
一昔前のお店の感じ。 見るだけで入るには、入りにくい。
情緒がある、と云うことは出来るのかな。
立派な外湯。 江戸時代の湯屋建築だと云う。
この建物が浮いてしまわない町並み、それがいいですね。
お土産屋さん街は、昔風の建物か、それを現代風にアレンジした建物がいい。
湯布院温泉や黒川温泉が見本。
多くの温泉街や、門前の商店街は、切り替えて行っている。
乗り遅れれてしまって、すっかり寂れた温泉街も多い。 例えば・・、は書かないけれど。
そうです、近くに、小布施の町並みがある。 そこはいい。
※ アンケートで聞き取りをしている人がいた。 少しだけ、話した。
寺があった。 紅葉です。
お地蔵さん。
健命寺の本堂。
※ 健命寺は、野沢菜の発祥の地と、情報誌にはある。
しかし、科学的根拠によって、この事は否定されている。(Wikipedia)
先日見た、雲蝶の彫刻かと思った。 確認できないが、違うよう。
優れた人がいると、その地方の全体のレベルがあがるのか。
別の建物。
製作中に、間違って折れたりしたら、どうやってくっ付けたんだろう。
足湯。 写真をお願いして、撮影。
※ カメラをセットしたら、カメラを見ないで、相手と話すか、何となくいる方が、相手は緊張しない。
ここと思った時に、シャッターを押す。 そうやって、2~3枚。
いい感じの所に、出てきました。
店の側に、大釜。 お湯が噴出している。
温泉卵も作っている。 東風さんに御馳走してもらった。 少し半熟。
上に、温泉神社かな。
また散歩。 家の2階。
旅館街。 情緒あふれる、湯の町の感じ。
外湯。 共同浴場。 100円とか寄付して入るんだったかな。 湯は熱い。
となりに、洗い場。 ここで、野沢菜を洗う。 湯で洗うと、しんなりする。
何でしょう。 不思議な物。 何に使う?
細かくて読めないけど、野沢温泉は広い。 昔からあるっなて感じる、温泉地。
遠くにスキー場。 この辺りは、まだ、雪が多い。
少ない時間でしたが、野沢温泉を歩いてみました。
変貌を遂げる時は、来るでしょうか。
【その他】 薄暗くなった頃、北海道の雄武町出身の方が、車に訪ねてきた。
戸隠でおお会いしたことがある。 蕎麦を御馳走になった。
1時間ほどお話し。 職場は、東京。 出張で来ていた。
野菜や果物をいただいた。
こんなことを知った。
その方も、東風さんもそうなんだが、ブログランキングのバナーは、拍手のだと、2人とも思っていた。
左端の列の一番下の、ブログランキングのマークだが、探すのが面倒な所にある。
私のブログの「テンプレート」は、自動的に、真ん中に貼れない仕組みのよう。
それで、明日から、真ん中の下に、毎回貼ってみようと思う。
そうやって、ランキングのやり方に違反しないのか、ちゃんと機能するのか、はっきりしない。
やってみて、様子を見ようと思う。
【道の駅】 花の駅千曲川
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野沢温泉はここに。 下に馬曲(まぐわ)温泉、左下に 花の駅千曲川が見える。
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午前中、東風さんと一緒に。
温泉街の下に、広い駐車場がある。 そこから、10分程歩いた。
一目、古い感じの温泉街。

一昔前のお店の感じ。 見るだけで入るには、入りにくい。

情緒がある、と云うことは出来るのかな。

立派な外湯。 江戸時代の湯屋建築だと云う。
この建物が浮いてしまわない町並み、それがいいですね。
お土産屋さん街は、昔風の建物か、それを現代風にアレンジした建物がいい。
湯布院温泉や黒川温泉が見本。
多くの温泉街や、門前の商店街は、切り替えて行っている。
乗り遅れれてしまって、すっかり寂れた温泉街も多い。 例えば・・、は書かないけれど。
そうです、近くに、小布施の町並みがある。 そこはいい。

※ アンケートで聞き取りをしている人がいた。 少しだけ、話した。
寺があった。 紅葉です。

お地蔵さん。

健命寺の本堂。

※ 健命寺は、野沢菜の発祥の地と、情報誌にはある。
しかし、科学的根拠によって、この事は否定されている。(Wikipedia)
先日見た、雲蝶の彫刻かと思った。 確認できないが、違うよう。
優れた人がいると、その地方の全体のレベルがあがるのか。

別の建物。

製作中に、間違って折れたりしたら、どうやってくっ付けたんだろう。

足湯。 写真をお願いして、撮影。
※ カメラをセットしたら、カメラを見ないで、相手と話すか、何となくいる方が、相手は緊張しない。
ここと思った時に、シャッターを押す。 そうやって、2~3枚。

いい感じの所に、出てきました。

店の側に、大釜。 お湯が噴出している。
温泉卵も作っている。 東風さんに御馳走してもらった。 少し半熟。

上に、温泉神社かな。

また散歩。 家の2階。

旅館街。 情緒あふれる、湯の町の感じ。

外湯。 共同浴場。 100円とか寄付して入るんだったかな。 湯は熱い。

となりに、洗い場。 ここで、野沢菜を洗う。 湯で洗うと、しんなりする。

何でしょう。 不思議な物。 何に使う?

細かくて読めないけど、野沢温泉は広い。 昔からあるっなて感じる、温泉地。

遠くにスキー場。 この辺りは、まだ、雪が多い。

少ない時間でしたが、野沢温泉を歩いてみました。
変貌を遂げる時は、来るでしょうか。
【その他】 薄暗くなった頃、北海道の雄武町出身の方が、車に訪ねてきた。
戸隠でおお会いしたことがある。 蕎麦を御馳走になった。
1時間ほどお話し。 職場は、東京。 出張で来ていた。
野菜や果物をいただいた。
こんなことを知った。
その方も、東風さんもそうなんだが、ブログランキングのバナーは、拍手のだと、2人とも思っていた。
左端の列の一番下の、ブログランキングのマークだが、探すのが面倒な所にある。
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東風さんと馬曲温泉(まぐせおんせん)に行った。
そうしたら、珍しいイベントがあった。
昭和の花嫁ちょうちん行列。
これが面白い。 暗くなるまで見てしまった。
※ ※ ※ ※
馬曲温泉は、長野市の北の方。 野沢菜は、この地方で。
木島平村の市街地から、馬曲川に沿った道を走る。
山の中腹という所に、馬曲地区はある。 その地区にあるので、馬曲温泉。
馬曲温泉望郷の湯。 ※ すぐそばに、旅館「梨の木荘」もある。
小さな温泉地なのに、どうしてこんなに人がいるんだろうと思った。
男用の露天風呂。 湯船からの見晴らしが、売りだと云う。 確かに、眺めは抜群。
山の下に、村の市街地。 だから、望郷の湯か。
「花嫁ちょうちん行列」があることが、耳に入ってきた。
4時からだと云う。 見てみようか、となった。
売店の外。 みんな日向ぼっこ。 東風さんと私も、座って水とかを飲んだ。
馬曲温泉 開湯(かいとう)30周年のイベントだった。
見たことないので、楽しみ。
この場所は、望郷の湯のお店の中。
花嫁が、実家を出る時の挨拶を、家族にしている。
※ 男はいない。 人数が多いので、親戚もいるのか。
一般的な花嫁行列についての詳しい情報は、ネット上では、見つからない。
昭和の中頃までは、地域によっては、あったよう。 昭和30年頃まで。
4時15分、望郷の湯の前をスタート。
並び順や、役割は決まっているよう。
司会者が、この後の説明をしている。
祝い唄を歌っている。 ※ 祝い唄には、長持唄などいろいろあるようだ。
新郎新婦は、実際に結婚する。 ただ、行列の中には、お手伝いで歩いている人もいるそう。
このように、道を上がってきた。
感じのいい、花嫁さん。
隣はお母さんでいいのかな。
樽酒の鏡割り。 この後、お酒は観光客にふるまわれた。 地図のピンクの○の場所で。
私は運転しないので、お酒を御馳走になった。 木の香りがした。
※ 写真を撮る時、後ろは膜だけなので、少しさびしいと思っていた。
そこに女の人が、すっと後ろに入ってきた。 やったって、すぐにパチリ。
この方とは、後で話すことになる。 村のケーブルテレビに載せるビデオを撮っていた。
1枚お願いした。 こころよく、この表情。
旦那様。 きっと、心のいい人。 花嫁は、そこに惚れた。
どこの地域も貧しかった時代があった。 当時、どれだけの服装が出来たのでしょう。
瀬戸の花嫁は、船に乗って島に嫁いだ。 花嫁の心情は、同じか。
薄暗くなって、先導する人の提灯に、灯りが点いた。 小さな提灯には、点いている。
普通のタンスですね。 長持は、最初の動画で出てきている。 籠(かご)のように2人で担いでいる。
地方によっては、旦那さんは、自分の家で待っている場合もある。
そんな時、昔、花嫁さんはその家に行って、初めて旦那になる人の顔を見ることがあったと云う。
自分で決められなかった。
暗くなってきた。 暗くなる時に着く様にするから、提灯を持つのか。
おめでとう、と云う声が観客から飛ぶ。 イベントだけど、本音のおめでとう。
ここでの中身は分からない。 離れた道の上から撮った。 太鼓の人に、お礼を言ってるのか。
場所は、地図の青○。
花嫁は行った。
鬼島太鼓の演奏。 上手ですよ。
2曲目は、演奏者が動いた。 それがいい。
日が沈むと、急に気温が下がる。 手をかざして温めている人がいた。
旦那さんの家としている、郷の家に、みんな向かった。
郷の家は、この上に。
広い続きの間で、料理が並べられ、花嫁を迎える準備が進んでいる。
2人のおばあちゃんは、何を話しているのか。
「遠い昔のことだねえ」とか。
花嫁さんが、席に着いた。
ここでの中身は、祝膳と宴(うたげ)。
準備が出来た。
子供が2人、前に出た。
固めの儀式、三三九度。
イベントだけど、本当のようにやっている。 本人たちは、どんな気持ちなんだろう。
こっちは、料理を担当。 きっと、昨日から準備をしている。
ちゃんと出来ました。
こんなお膳。 鯛がある。
お礼の言葉。
謝辞。
乾杯。 この後、祝い唄があった。
※ 東風さんが、この時の祝い唄を、「肴(さかな)」と呼んでいたと言った。
昔は、料理、つまり酒の肴は十分になかった。
それで、歌も、肴にした。
※ 花嫁さんの表情を、まとめて載せます。 いいですよ。
東風さんと、夜道を戻った。
夜に、輝いている。
郷の家から、みんな戻ってくるのは、遅くなる。
月のいい晩だ。 朧月夜だ。 ※ 朧月~おぼろづき
今日は、十三夜。 栗名月、豆名月と呼ばれる。 私は、栗を準備してある。
※ 朧月夜の歌は、この地方で生まれた。
朧月夜が生まれた町 無料掛け流し温泉 他 (2009/06/21)
道の駅に戻って、東風さんの車で、酒を飲みながら、日本シリーズを見た。
栗は、山にして、テレビの前に飾った。 どうして山かって、それは・・・。 私は、日ハムが好き。
負けた。 何ぼ負けても、バカ野郎って言って応援しないことは無い。
【その他】
馬曲温泉に行く前、2ヶ所見ていた。
まず、ラーメンを食べた。 魚だしの味がした。
店の名前は、忘れた。 ※ 追記 イナリ食堂でした。 東風さんがコメントで。
橋の上から見た、千曲川。
阿弥陀堂を見に、坂の上に。 この木は、畑の真ん中に。
千曲川沿いに、細く、平野が生まれた。 信玄や謙信が、はるか昔、駆け回った。
小さなお堂。 阿弥陀堂。
昔、映画が撮影されたと云う。
みんな、見た顔の俳優。
浅葉野(あさはの)という所。 昔は、小さな宗教都市みたい。
お堂が、あっちこっちにある。
こんな道を歩いて。
道をずっと行くと、小菅神社奥社がある。 重要文化財。 でも、遠い。 1㌔以上。
行くのを止めた。
その後、今は見学できないとの、表示を見つけた。
東風さんと、行きたかったけど、行けなかったことにしよう、とした。
今日は、馬曲温泉で、いいものを見ました。
あの2人とって、いい思い出です。
幸せになって、恩返し。
今度見られるのは、10年後でしょうか。
【道の駅】 花の駅千曲川
【明日の予定】 野沢温泉
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そうしたら、珍しいイベントがあった。
昭和の花嫁ちょうちん行列。
これが面白い。 暗くなるまで見てしまった。
※ ※ ※ ※
馬曲温泉は、長野市の北の方。 野沢菜は、この地方で。
木島平村の市街地から、馬曲川に沿った道を走る。
山の中腹という所に、馬曲地区はある。 その地区にあるので、馬曲温泉。

馬曲温泉望郷の湯。 ※ すぐそばに、旅館「梨の木荘」もある。

小さな温泉地なのに、どうしてこんなに人がいるんだろうと思った。
男用の露天風呂。 湯船からの見晴らしが、売りだと云う。 確かに、眺めは抜群。
山の下に、村の市街地。 だから、望郷の湯か。


「花嫁ちょうちん行列」があることが、耳に入ってきた。
4時からだと云う。 見てみようか、となった。
売店の外。 みんな日向ぼっこ。 東風さんと私も、座って水とかを飲んだ。

馬曲温泉 開湯(かいとう)30周年のイベントだった。
見たことないので、楽しみ。

この場所は、望郷の湯のお店の中。
花嫁が、実家を出る時の挨拶を、家族にしている。
※ 男はいない。 人数が多いので、親戚もいるのか。
一般的な花嫁行列についての詳しい情報は、ネット上では、見つからない。
昭和の中頃までは、地域によっては、あったよう。 昭和30年頃まで。

4時15分、望郷の湯の前をスタート。
並び順や、役割は決まっているよう。

司会者が、この後の説明をしている。
祝い唄を歌っている。 ※ 祝い唄には、長持唄などいろいろあるようだ。
新郎新婦は、実際に結婚する。 ただ、行列の中には、お手伝いで歩いている人もいるそう。

このように、道を上がってきた。

感じのいい、花嫁さん。

隣はお母さんでいいのかな。

樽酒の鏡割り。 この後、お酒は観光客にふるまわれた。 地図のピンクの○の場所で。

私は運転しないので、お酒を御馳走になった。 木の香りがした。
※ 写真を撮る時、後ろは膜だけなので、少しさびしいと思っていた。
そこに女の人が、すっと後ろに入ってきた。 やったって、すぐにパチリ。
この方とは、後で話すことになる。 村のケーブルテレビに載せるビデオを撮っていた。

1枚お願いした。 こころよく、この表情。

旦那様。 きっと、心のいい人。 花嫁は、そこに惚れた。

どこの地域も貧しかった時代があった。 当時、どれだけの服装が出来たのでしょう。

瀬戸の花嫁は、船に乗って島に嫁いだ。 花嫁の心情は、同じか。

薄暗くなって、先導する人の提灯に、灯りが点いた。 小さな提灯には、点いている。

普通のタンスですね。 長持は、最初の動画で出てきている。 籠(かご)のように2人で担いでいる。

地方によっては、旦那さんは、自分の家で待っている場合もある。
そんな時、昔、花嫁さんはその家に行って、初めて旦那になる人の顔を見ることがあったと云う。
自分で決められなかった。
暗くなってきた。 暗くなる時に着く様にするから、提灯を持つのか。

おめでとう、と云う声が観客から飛ぶ。 イベントだけど、本音のおめでとう。

ここでの中身は分からない。 離れた道の上から撮った。 太鼓の人に、お礼を言ってるのか。
場所は、地図の青○。

花嫁は行った。

鬼島太鼓の演奏。 上手ですよ。

2曲目は、演奏者が動いた。 それがいい。
日が沈むと、急に気温が下がる。 手をかざして温めている人がいた。

旦那さんの家としている、郷の家に、みんな向かった。

郷の家は、この上に。

広い続きの間で、料理が並べられ、花嫁を迎える準備が進んでいる。
2人のおばあちゃんは、何を話しているのか。
「遠い昔のことだねえ」とか。

花嫁さんが、席に着いた。

ここでの中身は、祝膳と宴(うたげ)。

準備が出来た。

子供が2人、前に出た。

固めの儀式、三三九度。

イベントだけど、本当のようにやっている。 本人たちは、どんな気持ちなんだろう。

こっちは、料理を担当。 きっと、昨日から準備をしている。

ちゃんと出来ました。

こんなお膳。 鯛がある。

お礼の言葉。

謝辞。

乾杯。 この後、祝い唄があった。
※ 東風さんが、この時の祝い唄を、「肴(さかな)」と呼んでいたと言った。
昔は、料理、つまり酒の肴は十分になかった。
それで、歌も、肴にした。

※ 花嫁さんの表情を、まとめて載せます。 いいですよ。

























東風さんと、夜道を戻った。

夜に、輝いている。

郷の家から、みんな戻ってくるのは、遅くなる。

月のいい晩だ。 朧月夜だ。 ※ 朧月~おぼろづき
今日は、十三夜。 栗名月、豆名月と呼ばれる。 私は、栗を準備してある。

※ 朧月夜の歌は、この地方で生まれた。
朧月夜が生まれた町 無料掛け流し温泉 他 (2009/06/21)
道の駅に戻って、東風さんの車で、酒を飲みながら、日本シリーズを見た。
栗は、山にして、テレビの前に飾った。 どうして山かって、それは・・・。 私は、日ハムが好き。
負けた。 何ぼ負けても、バカ野郎って言って応援しないことは無い。

【その他】
馬曲温泉に行く前、2ヶ所見ていた。
まず、ラーメンを食べた。 魚だしの味がした。
店の名前は、忘れた。 ※ 追記 イナリ食堂でした。 東風さんがコメントで。

橋の上から見た、千曲川。

阿弥陀堂を見に、坂の上に。 この木は、畑の真ん中に。

千曲川沿いに、細く、平野が生まれた。 信玄や謙信が、はるか昔、駆け回った。

小さなお堂。 阿弥陀堂。

昔、映画が撮影されたと云う。

みんな、見た顔の俳優。

浅葉野(あさはの)という所。 昔は、小さな宗教都市みたい。

お堂が、あっちこっちにある。

こんな道を歩いて。

道をずっと行くと、小菅神社奥社がある。 重要文化財。 でも、遠い。 1㌔以上。
行くのを止めた。
その後、今は見学できないとの、表示を見つけた。
東風さんと、行きたかったけど、行けなかったことにしよう、とした。

今日は、馬曲温泉で、いいものを見ました。
あの2人とって、いい思い出です。
幸せになって、恩返し。
今度見られるのは、10年後でしょうか。
【道の駅】 花の駅千曲川
【明日の予定】 野沢温泉
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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