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キャンピングカーで放浪の旅 Ⅱ

全国を、写真と動画で探訪

どうして、二十四の瞳なのか。 
なぜ、舞台を、田浦分校にしたのか。
一本松を登場させ、大石先生に自転車を乗せた理由は?

こんなことを考えるのが面白いかなと、・・。

※ 今日のブログの情報源は、観光協会さんのHPと、壺井栄文学館、そしておばあちゃんの話、他。
    ※    ※    ※    ※

一本松は、竹生(たこう)地区にある。 それで、竹生の一本松。
オリーブ公園から、歩いていくことに。

※ 下の地図は、大石先生が自転車で通った道。
  子供たちが、先生のところに向かった道。

12年11月29日 (44)

大石先生の家が、一本松の近くにあった。
二十四の瞳の中では、岬の村から一本松が、見えることになっている。

※ 二十四の瞳の中には、小豆島という名前も、田浦という地名も、出てこない。
  読むと、間違いなく、小豆島であり、田浦と分かる。

実際には、分教場のある所からは、見えない。
お話の中では、見えることに。

12年11月29日 (45)

道の駅 小豆島オリーブ公園。 見える一帯が、道の駅。
坂を下りてきたところ。

12年11月29日 (1)

地図の、左に向かっている。 

12年11月29日 (2)

途中で、海を見た。  赤○に、分教場。
実際の一本松は、もっと左に。 

二十四の瞳では、一本松は向こうから見える、この辺りにし、そばに大石先生の家があることにした。
実際の距離は13㌔程だが、話の中では8㌔。

12年11月29日 (3)

標識があった。

12年11月29日 (8)

一本松は、ここにあった。 
昔あった木は、昭和20年に台風で倒れ、今のは2代目。 桜の木の向こうに、細く。

12年11月29日 (4)

今は、このように。  一本松神社も。

12年11月29日 (7)

昔の木は、樹齢600年の、島で一番の木だった。
話の中では、何度も出てくる。

12年11月29日 (5)

神社から、海はこのように見える。 分教場は見えない。

12年11月29日 (6)

道の駅に戻った。 坂道を上っていると、こんな看板。
「てのべそうめん」の文字が隠れている。 分かるでしょうか。 答えは、写真の下に。

12年11月29日 (9)

※ て、は左に。  の、は上に。  べ、は右に。  そ、は中央右に。  う、は中央左。
  め、と、ん、は分かりますね。

分教場に戻って、近くのおばあちゃんの話を聞いた。
基本的には、前回聞いた内容からは、大きな広がりはなかった。
ただ、再度、詳しく。

赤○の道が、昔の道。 大石先生が通った道。 5年生になったら、この道を通って、本校に。
※ 壺井栄の妹の、岩井シンさんが、坂手の紫の○から自転車で分教場に通った道。

緑の○の道は、昔は無かった。 私は、この道を戻ってくる。
緑が3㌔だから、赤○の道も、3㌔くらいか。

12年11月29日 (46)

この道。 

12年11月29日 (43)

分教場の少し映画村寄りから、道は山に上る。 映画村が見える。
この時、午後の3時17分。 2時間後は、暗い。 懐中電灯を持った。

12年11月29日 (10)

少し上ったら、この風景。 道を右に曲がったところに、分教場。 
道の突き当たりの、ずっと遠くに、一本松。

12年11月29日 (11)

段畑。 昔は、どこもこのように畑だった。 今は、木が生えてしまった。
ネギを植えている。 冬に向かってるのに。 ジャガイモもあった。

12年11月29日 (12)

※ この後、道を間違って、15分ほど時間を使った。

道は折れ曲がって、右側が海。
急な坂道が続く。 快適に自転車は乗れない。

人に聞いた話だが、この山道は、半分ほどは自転車を押したという。

12年11月29日 (13)

石垣が、このように見える。 先人が、苦労して、山の斜面を畑にした。

12年11月29日 (14)

「二十四の瞳」の題は、どうして生まれたか。 こうなんですね。
壺井栄には、兄弟が10人いた。 他に、2人の子供が、一緒に住んでいた。
それで、12人。  二十四の瞳、となる。

壺井栄は、この題名は急に思いついたのではなく、きっと、温めていた。

山の尾根を越えたら、道は左に曲がり、反対側の海が見えてきた。

12年11月29日 (15)

二十四の瞳の舞台を、どうして、田浦(たのうら)の分校にしたのか。  ※ 苗羽(のうま)小学校田浦分校。
これは、そこに、妹の岩井シンさんが、勤めていたことと、関係ありますね。

こんな崖なら、海沿いに道は作れない。

12年11月29日 (16)

今は舗装してある。
物語は昭和3年から始まるが、この道は、車が通れるような道ではなかった。

12年11月29日 (17)

映画の中でも、この道のどこかで撮影があったという。 
やっと、道は下り始める。

12年11月29日 (18)

向こうに、坂手の港。 
あの町から、妹のシンさんは、田浦の分校に、自転車で通った。

12年11月29日 (19)

途中で、散歩している男の人に会った。 一緒に歩いた。
イノシシが穴を掘ったと、教えてくれた。 ミミズとかを探すために、掘る。

12年11月29日 (20)

坂手の港を、アップで。 フェリーは、神戸からの来た。

12年11月29日 (21)

堀越の集落が見えた。

12年11月29日 (22)

後で知るが、写真の左辺りに、壺井繁治の詩碑がある。
昔はそこに、堀越分校(分教場)があって、そばに壺井繁治の家があった。
壺井栄は、そこに遊びに行ってた。

堀越分校で高等小学校時代の同級生が勤めていた。
その先生の、子供たちとの関わりが気に入っていた。
このことが、大石先生のイメージを作り上げたよう。
※ 妹の岩井シンさんは、特に目立つ人ではなかった。

大石先生のハイカラなイメージは、壺井栄自身が、そうなってみたい姿だったよう。

壺井繁治の詩碑には、暗くなってから行く。

山の向こうは海。 内海湾。

12年11月29日 (23)

昔は、今のような護岸は無かった。

12年11月29日 (24)

瀬戸内海も、台風の時とかは、荒れるのでしょうか。

12年11月29日 (25)

向こうから来た。 赤○の所を通って。

12年11月29日 (26)

湾の方に向かった。 

12年11月29日 (27)

200㍍も歩かないうちに、湾沿いの道に出た。
この時、壺井繁治の詩碑を通り過ぎたことに、気づいた。

12年11月29日 (28)

歩き出したら、道の駅と一本松の場所が、見え出した。

12年11月29日 (29)

一本松には、壺井栄の知人とかが住んでるわけではなかった。
ただ、田浦の人たちが、船で湾を渡ることは、壺井栄は知っていた。

大石先生をどこに住まわすかを考えたとき、上のことがヒントになったと思う。
自分の実家には出来ない。 それでは、安易過ぎる。

急な崖が時々あるので、昔の技術では、道は作れなかった。

12年11月29日 (30)

早く戻って、壺井繁治の詩碑を見なければならない。 

12年11月29日 (31)

間もなく5時。 暗くなってきた。

正面中央の少し左に、一本松。 私の真後ろの方向に、分教場。

12年11月29日 (32)

左に曲がったら、分教場。

12年11月29日 (33)

正面の左に、分教場。

12年11月29日 (34)

田浦の中心街。  私の車も、見える。

12年11月29日 (35)

奥に、分教場。

12年11月29日 (36)

駐車場に戻ったら、おばあちゃんが、私の帰りを待っていた。
私は少しのお土産しか渡さなかったのに、おばあちゃんからは、山ほど頂いてしまった。

※ 田浦の人は、登場人物の誰々は、自分の身内の人と考えている人が多い、と聞く。
  でも、おばあちゃんの言ってる事は、十分真実味があった。

  おばあちゃんの叔母さんに当たる人が、壺井栄の妹の岩井シンさんに習っていた。
  その叔母さんは、若くして結核で亡くなる。
  二十四の瞳の中に、琴江と言う子が、結核になっている。
  おばあちゃんは、琴江のモデルが、おばさんと考えている。  

堀越に戻ってきた。

12年11月29日 (37)

集落の一番奥に、壺井繁治の詩碑はあった。 ここに、昔、学校があった。

12年11月29日 (38)

隣に、繁治の家。 壺井栄が遊びに来たとき、学校の様子が見えた。

12年11月29日 (39)

暗くて読めない。 とりあえず写真を撮った。
「 石は億万年を黙って 暮らしつづけた その間に空は晴れたり曇ったりした 」と、あった。

12年11月29日 (41)   12年11月29日 (40)

動き出す時間が遅いから、最後は暗くなる。
5時22分。 坂手港からフェリーが出て行った。

12年11月29日 (42)

十分ではないけど、「二十四の瞳」が生まれた背景が、何となく分かったでしょうか。

映画によって、二十四の瞳の輝きは、さらに増した。
そう、言えるでしょうね。

【今日の歌】



【道の駅】  オリーブ公園

【明日の予定】   坂手地区を歩く。 生田春月と云う人の、海の詩碑がある。 岬も。
  壺井栄の文学碑も。

 ※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。   
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「二十四の瞳」は、映画がヒットして、これ程までになった。
そうだとしても、この話のどこが、面白いのでしょう。
むずかしい。

新美南吉の「ごんぎつね」を読んだら、江戸時代の農村の風景、人々の生活が、鮮やかに頭に浮かぶ。
これに、似ているようにも、思う。

二十四の瞳は、戦時中の、子供たちの生活や人々の考えが、小豆島の美しい風景の中で、表現されている。(特に映画)
そして、戦争についての作者の考えを、登場人物に、やわらかく語らせている。

こんなとこでしょうか。

作品は作品として歩んでいるから、生まれた背景はどうだっていい。
そうなんだが、気になる。

昨日書いたおばあちゃんは、元気だった。
お話は、明日聞くことに。

野球の話ですが、大谷は、日ハムに入りますね。
どうして分かるかって?
この晴れ晴れとした表情を見たら、誰だって、そう思います。

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栗山監督の情熱に、大谷の頑(かたく)なな心は、とけてしまった。
    ※    ※    ※    ※

岬の分教場は、ここに。



道の駅より、少し高いところの展望台から。
左に、小さな湾が入っている。

二十四の瞳の舞台は、正面の低くなった部分の、少し左にある。 

話の中の、大石先生は、一本松の近くに住んでいた。
その一本松は、目の前の坂の下の、右の方。(まだ行ってないが)

※ 壺井栄の妹の、岩井シンと言う人が、そこに住んでいた。(ネット上にこうあるが、確認が必要)  

12年11月28日 (1)

ピンクの所だが、山の陰になって見えない。 右の赤○に、映画村。

12年11月28日 (2)

※ この後、向こうに行く。 映画村の方から見たら、下のように。 ○が、岬の分教場。

DSCFppl3223

内海湾。 1年生の子供たちは、ぐるっとまわって、一本松まで先生に会いに来た。 13㌔ほど。

12年11月28日 (3)

下の写真は、さらに高い展望台から。

12年11月28日 (4)   12年11月28日 (5)

車で向かった。  ここを曲がったら、分教場。 正面に、映画村。

12年11月28日 (6)

岬の分教場。 ※ 旧苗場小学校田浦分校 校舎。
1954年の高峰秀子の映画が、ここで撮影。

12年11月28日 (7)

昭和46年まで使われた。 
※ 撮影された昭和29年と、どこが違うかは、分からない。

12年11月28日 (8)   12年11月28日 (9)

昔は、どこもこんなんだった。

12年11月28日 (10)

高峰秀子。  右は、昔の子供の様子か。 細い道。

12年11月28日 (12)   12年11月28日 (11)

映画の一部。 短いです。
自然の描写は、どれも、普通ではないですよ。 満開の桜とか。

この中に、映画がヒットした理由が、十分にある感じ。

子供との関わりも、実際にこんな先生はいた。
昔のほうが、子供と一緒に生きている、という先生が多かった。



壺井栄の句。  
学校と海の間に、今のような道は無かった。
道は、山の上を通っていた。 ※ 道は残っていて、明日歩く予定。

12年11月28日 (14)   12年11月28日 (13)

※ 写真はたくさんあったが、写真は撮れなかった。 個人の所有のよう。

山を背に、海を見ている。

12年11月28日 (15)

下の動画は、高峰秀子の映画。 
上の校舎を使ったことになっているが、建物は今と違う。
また、海の風景も違う。 どういうことだろう。 ※ 確認しなければならない。



※ 仰げば尊しの歌は、アメリカで作られた。 最近分かった。
  国には、歌で国民の心を、まとめようとの考えがあった。
  それで、よその国から。 ※ 日本に、いいのが無かったので。
  歌は、利用されることが、時々・・。

※ 分教場の事務の人が、映画村にある「壺井栄文学館」に詳しい人がいると教えてくれた。

二十四の瞳 映画村。
田中裕子主演の映画のために作られた。

12年11月28日 (16)

中は広く、いろんな建物がある。 
小さな映画館では、二十四の瞳が、いつも上映されている。

12年11月28日 (17)

今はどの建物も、お土産やさんに、変身。

12年11月28日 (18)   12年11月28日 (19)

岬の分教場。

12年11月28日 (21)

高峰秀子も、田中裕子も、どっちも展示していた。

昨日、フェリーの中で見た写真。
田浦分校の子供も参加した。 ※ 体の小さな1年生だけだった。 

12年11月28日 (23)   12年11月28日 (24)

※ 「喜びも悲しみも・・・」の映画も、木下恵介監督と高峰秀子のコンビ。
   全国の岬に行くと、この歌、また映画によく出会う。
   佐田啓二は、中井貴一にそっくり。



教員住宅。 昔は、地域の人と、よく酒を飲んだ。 娯楽の少ない時代だった。

12年11月28日 (22)

映画村は、半島の細い部分にある。 向こうは四国。 小豆島は、四国とのつながり。

12年11月28日 (20)

何に使う釜でしょう。

12年11月28日 (25)

先生と子供たちの像。 田中裕子の映画の。

12年11月28日 (26)

※ 高峰秀子の映画は、YouTubuで見ることが出来る。 
  映画の著作権の保護期間と云うのは、複雑。
  50年が1つの目途なのか。 

  田中裕子の方は、YouTubeには、全く無い。
  見てみたい。

当時は、騒がれたよう。  映画館にあった写真。

12年11月28日 (27)   12年11月28日 (28)

両方とも、高峰秀子。

12年11月28日 (29)   12年11月28日 (30)

右は、田中裕子。

12年11月28日 (31)   12年11月28日 (32)

写真の自転車は、今もある。

12年11月28日 (33)

戦争に流されない人間を演じるなら、田中裕子は、合うように感じる。

12年11月28日 (34)

左の写真の、真ん中の子は、高木美保。 松江役。  ※ 今の彼女
(子供っぽいので、別人かな、とも)

右の写真に、武田鉄矢。 イメージが強いから、映画が壊れる。 

12年11月28日 (35)   12年11月28日 (36)

右後ろの遠くから歩いてきた。 その時に、記念撮影。

12年11月28日 (37)

左に、松江のことが書いてある。
子供たちの家庭は、どこも貧しかった。

壺井栄は、大石先生に、この小説で伝えたいことを、そっと語らせる。
これがいいんですね。
声高に叫びすぎると、人の心に、染み込まない。
※ 吉永小百合の行動も似ていますよ。

12年11月28日 (38)   12年11月28日 (40)

右の写真。 この人は、高木美保ですね。  松江役。

12年11月28日 (39)   12年11月28日 (41)

「・・・。一緒に泣いてあげる」とある。
上の言葉は、教育を深く学んでいないと、言えない。
しかし、学んでなくても、感覚的に言える先生は、いるんですね。

大石先生は、単なる教師ではなく、教育者に近い先生でしょうか。
今の時代、このような先生は、10人に1人は、いないな~。

12年11月28日 (42)

映画は途中までしか見なかった。

二十四の瞳で描かれている子供は、みんな貧しい。
松江のように、貧しすぎる子も、いる。
こんなことを、思った。

子供は、貧しすぎると、夢を持たなくなるのでは、と。
最低限の豊かさは、「夢が持てる条件」かな・・とも。

※ 「二十四の瞳」が生まれた背景について、壺井栄文学館で、少し教えてもらった。
  このことについては、明日のブログで書きますね。

【その他】  以前、大谷はきっと日ハムに入りますよ、と書いたことがあった。
       それが、現実味を帯びてきた。
       気の早いところは、日ハムに入ると書いてしまったところも。
       本当に日ハムに入ったら、栗山監督の、逆転満塁ホームラン。

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【道の駅】   オリーブ公園



【明日の予定】   大石先生がいたところに。 おばあちゃんとお話。 子供たちが歩いた道を。

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もう一度会えたらいいな、と思っているおばあちゃんが、この島にいる。
「二十四の瞳」の話が、どのように生まれたかを知っている。
3年前に聞いているんだが、さらに詳しく、と思っている。
元気でいてくれたらいい。

小豆島には、見所がいっぱい。
瀬戸内の楽園のような島を、のんびり散策。

いつまでいるか、分からない。
    ※    ※    ※    ※

フェリーは、姫路から。 19時30分。  買い物とかして、亀岡を2時半に出た。

歩いてみたくなる風景に出会った。

12年11月27日 (2)   12年11月27日 (1)

南丹市薗部町の山奥。 天引(あまびき)峠のふもとだった。



カーナビは迷わず、いい道を案内してくれた。
 ※ たまに、ナビの声の女性と、けんかすることが。 こんな細い道、通れるかって。

ここで右に曲がったら、姫路城。   ※ 姫路城   他   (2009/06/07

12年11月27日 (3)

夕方の6時前に、着いた。

12年11月27日 (9)

像の名前は、「希望」。 2人は、少年少女。 持ってるのは、貝殻。 鳥はカモメ。
作者は、淀井敏夫と云う人。  針金に粘土をくっ付けたような像。 これが特徴だそう。

12年11月27日 (5)   12年11月27日 (13)

姫路港。



小豆島からのフェリーが着いた。  バスも3台ほど。 

12年11月27日 (4)

この1台は、もたもたして、遅れて出てきた。

12年11月27日 (6)

第三オリーブ丸。

12年11月27日 (8)

家島に行く船。 近い。 行ったことはない。

12年11月27日 (7)

巡視船、ぬのびき。 姫路港に配置されている。   こうやって水を飛ばせる。 

12年11月27日 (10)

着く港は、福田港。 ピンクの○。 道の駅は、赤○。

12年11月27日 (11)

フェリーの中に、二十四の瞳の写真。 田中裕子。

12年11月27日 (12)

船が出ます。

12年11月27日 (15)

釣り人が一人。  

12年11月27日 (14)

出ました。1時間40分の旅。

12年11月27日 (16)

フェリーには、車が3台だけ。 人は、10人くらい。 ガラガラ。 観光の、オフシーズン。
テレビを見た。

水森かおり。  
彩乃かなみ、と云う人は、宝塚出身のよう。 カチューシャの歌が、上手だった。

12年11月27日 (17)   12年11月27日 (18)

コピーと思うが、二十四の瞳の原稿。  写真は、この写真ですね。  高峰秀子。

12年11月27日 (19)

航路図。 右は、船ナビか。 定刻は、19時10分。  早くても、定刻?

12年11月27日 (21)   12年11月27日 (20)

福田港が見えた。

12年11月27日 (22)

間もなく。

12年11月27日 (23)

小豆島に、何日いることになるでしょう。 急ぐ旅ではない。

12年11月27日 (24)

20㌔ほど走って、道の駅に。
数台の車に出会っただけ。
人口3万人ほどの島。 夜は静か。

朝は雨だったけど、夜になって星が出た。
明日はいい天気。


【今日の歌】



 ※ 五能線 ~車窓からの風景~   他  (2009/09/15



【道の駅】  オリーブ公園



【明日の予定】  岬の学校へ

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                                                         (2008年4月~2010年9月までの記事)

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この秋最後の京都の夜。
東山を歩いて、知恩院のライトアップを見た。

何度も見た知恩院だが、夜は、違って見えた。
    ※    ※    ※    ※

いつもお世話になっている、亀岡駅のホーム。

12年11月26日 (1)

清水寺は人が多かったので、三年坂から。 昨日までは、ここも人で埋まっていた。
みんな帰った。
数年前まで電信柱があったが、なくなった。

12年11月26日 (3)   12年11月26日 (2)

二年坂。 左に港屋。 竹久夢二の商品がある。 

12年11月26日 (4)

※ 2009年に書いた記事を紹介。

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高台寺の下。 ねねの道。

12年11月26日 (5)

※ ねねについても、2009年の記事を紹介。

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ねねの道から、わき道に。  石塀小路。 京都の雰囲気。

12年11月26日 (6)

石塀小路から、細い道を向けて、ねねの道に。

12年11月26日 (7)

振り返って、ねねの道。  左の上に、高台寺。

12年11月26日 (8)

 ※ 東山を歩く ~三年坂、高台寺ライトアップ  他  京都~   他  (2010/11/19)

左は、高台寺茶屋。 突き当りを右に曲がって、左に曲がると、丸山公園に。
円山公園の下に、八坂神社。

さびしいほど、人が少ない。 昨日までが、夢のよう。

12年11月26日 (9)

知恩院が見えた。 山門の大きさは、日本一。 国宝。

12年11月26日 (10)

知恩院の地図。 ○の所を見る。 中心の、御影堂は修理中。 千姫の墓が、左上に。

12年11月26日 (30)

見所が多いため、拝観料は、800円。

※ 知恩院は、普段は、庭や山門に上がらなければ、無料。
  今まで、お金を使ったことは無い。

友禅苑という庭。 茶室。  宮崎友禅と言う人が、友禅染の模様を考えた。  ※ 友禅染の写真(ネット上)
友禅は知恩院前に住んでいた関係で、ここに庭を造った。 それで、友禅ゆかりの庭と、言っている。

12年11月26日 (11)

これも茶室か。

12年11月26日 (12)

おだやかな、ライトアップ。

12年11月26日 (13)

不気味。

12年11月26日 (14)

枯山水の石庭。

12年11月26日 (15)

右の像は、高村光雲作。

12年11月26日 (16)

山門に上がった。 急な階段だった。 ロープにつかまって。
正面方向。

12年11月26日 (17)

山門の、正面側。 風が強いけど、揺れない。

12年11月26日 (18)

山門の上には、仏像が安置されていた。 重要文化財。

 ※ 撮影禁止の張り紙はあるかも知れないけど、そう云うものは見ないようにする。
   見てしまうと、撮影できない。
   外国の人は、読めないから、気にしないで撮る。
   普通、撮影した写真を、商用に使われたら困るものには、撮影禁止の張り紙をする。 

夜は、別世界に。

12年11月26日 (19)

昼間は寝てて、夜になったら、目をらんらんと輝かせている。

12年11月26日 (20)

釈迦如来像。

12年11月26日 (21)

山門を下りて、地図の上の方に。 今、工事中の、御影堂。 ※ 一昨年に撮影した、御影堂

12年11月26日 (22)

方丈庭園。   

12年11月26日 (23)

※ 左上の奥に、千姫の墓がある。
  千姫は、知恩院で大事にされえいる。
  江(ごう)の娘が千姫。 江は、秀忠の正室。
  2代将軍秀忠が、山門を寄付している。

  そんな事情で、大事に。

大鐘楼。  日本で、トップクラスの大きさ。  ※ どこが日本一の大きさなのかは、分からない。

12年11月26日 (25)

幅、2.8㍍。 重さ、70㌧。

12年11月26日 (24)

阿弥陀堂。 人がいたので、許可をいただいて撮影。

12年11月26日 (26)

12年11月26日 (27)

多宝塔。

12年11月26日 (28)

女坂を下る。

12年11月26日 (29)

正面から、山門を。 高さ24㍍。

12年11月26日 (31)

山門の前の、この通りも、参道。 少し先に、新門がある。

12年11月26日 (32)

私は、知恩院に来るのが、一番多いように思う。
夏に、東山を歩いていて疲れたら、知恩院のお堂の中で休んでいた。
中は涼しく、気持ちよかった。 
   ※ 去年から工事が始まって、平成31年に完成。 今は、入れない。
知恩院を見て、その後、息子と食事。
久しぶりの、焼肉。

今度来るのは、来年の4月か5月頃かな。

今日、感じたことが1つ。
ライトアップした庭より、ふつうの通りなどに、より美しいところが、隠れている。
そんな風に、感じたでしょうか。

【今日の歌】 Johanna Beisteiner という人のギター。 オーストリアの人。 
       ヨハンナと読むのでしょうか。  隙の無い演奏に聴こえます。
             ※ 演奏しているギターの作者、編曲の作者も、それなりの人です。
       男っぽい雰囲気ですが、美しい女性ですよ



【道の駅】    ガレリアかめおか

【明日の予定】   小豆島に渡ります。

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愛宕(あたご)山は、日本三百名山、新日本百名山の山だった。
標高は、924㍍と高くはないが、標高差が840㍍もあって、立派な登山の山だった。

日が短いこともあって、下山した時は、暗かった。
    ※    ※    ※    ※

正面の大きな山が、愛宕山。 (写真は、Wikipedia)
愛宕山のことを、考えたことは無かった。
※ 左の山は、小倉山。

登ってみて分かったが、○の中の、登山道がある。 
左端から、左の方に下りたら、水尾。 
愛宕山は、左端から、右に登っていく。

12年11月26日 (1)

嵐山駅から清滝まで歩く。(4㌔)
地図を時計回りで、歩く。(9.5㌔) ※ 情報誌では、5時間のコース。

12年11月26日 (69)

鳥居本の町並みの終わり。 平野屋があるところ。
この門は、愛宕山への入り口の門だった。

12年11月26日 (2)

前回は、山越えしたが、今日はトンネルを歩いた。

12年11月26日 (3)

清滝のバス停。 ここを出発して戻ってくるまで、9.5㌔。
登りがある山道でのこの距離は、楽ではなさそう。

12年11月26日 (4)

駐車場から、下への道を行くと、小さな集落。 愛宕山の直ぐ下にある。

12年11月26日 (5)

集落の向こう端に、左に上る道がある。 入り口に、小さな二の鳥居。
表参道の上り坂が始まった。 登山開始。

時々石垣があって、平らな土地。 昔は建物があったと、分かる。

12年11月26日 (6)

火気権現があった。 権現だから、寺。
 
※ 今は愛宕神社だが、江戸時代は、神仏混交(こんこう)の白雲寺が、この山の中心だった。
  明治の神仏分離により、白雲寺は廃絶されて、愛宕神社になった。
  白雲寺は、大きな寺だった。(Wikipedia)

12年11月26日 (7)   12年11月26日 (8)

愛宕神社は、明治から昭和の初めまで、愛宕参詣として人気があった。
茶屋がたくさんあり、多くの参詣客でにぎわった。
今は、その面影だけが。

ここには、一文字屋という茶屋があった。

12年11月26日 (9)   12年11月26日 (10)

道を歩いていたら、ドングリなどの木の実が、さかんに落ちる。
風はまったく無い。
竹とかにぶつかったら、乾いた音がする。

人の足跡に、驚いて、ポトッ。
ほんの少しの風に、フッとふかれて、ポトッ。
鳥が木にとまって、ポトッ。
落ち葉が触れて、ポトッ。

斜面の道は、掘れている。

12年11月26日 (11)

この時は、午後の1時10分。 上ってくる人は、少しだけ。
下山者とは、ひっきりなしに、出会う。

12年11月26日 (12)

二十三丁と読める。 鳥居本の鳥居と、頂上を50に分けた。 頂上が、50丁。
丁ごとに茶店があったよう。

12年11月26日 (13)

このように。

12年11月26日 (14)

広い茶屋跡。

12年11月26日 (17)

二十五丁目の、茶屋跡と説明が。  ちょうど、真ん中。

12年11月26日 (15)

茶屋がたくさん見える。

12年11月26日 (16)

途中で、小学生3人に出会った。
子供たちだけなの、と声をかけたら、トイレに行きたいから、親から離れて先に来たと言った。
下までトイレはないと伝えた。

トイレに行きたいのは、男の子。 困った顔をした。
道から少し離れた所でしたらいいよ、と伝えた。
落ち葉をたくさんかぶせておくといい、とも。
崖に近づかないで、を付け加えて。

登り始めて振り返ったら、その子は、危なくない場所で、していた。
3人に、バイバイって言って、別れた。

急な登りが続いて、大杉権現。  ここまで、1時間。

12年11月26日 (19)

リュックの中には、パンとバナナと飲み物。 食べながら歩いた。

初めて、視界が開けた。 左の方に、京都の街。

12年11月26日 (20)

少し歩いたら見えた。

12年11月26日 (21)

左遠くに、京都タワー。  右に、桂川(保津川) 右のまるい山は、小倉山。

12年11月26日 (22)

少しだけ、ゆるい坂道。  木の根道も。  ※ 最初の愛宕山の写真の○の辺りを、歩いている。

12年11月26日 (23)   12年11月26日 (24)

動くとあったかいので、上着は着ていない。
見晴台が見えた。

12年11月26日 (25)

中央右に、広沢の池。 大覚寺が近くに。(右の方の木の陰)

12年11月26日 (26)

 ※ 大沢池・名古曽(なこそ)の滝跡から、広沢池へ ~京都市~   モーツァルト、ピアノソナタ第11番 K.331 第1楽章  (2012/6/6)

水尾岐(みずおわかれ)。 左に行ったら、水尾。 ※ 水尾は、夏に行った。
山頂は、右に。

12年11月26日 (27)

ここは、はな売場。 
水尾の女性が、山を登ってきて、ここで、樒(しきみ)の木の枝を売った。

12年11月26日 (28)   12年11月26日 (29)

一応説明を。 初めて聞く、風習。

DSCF2800k18

 ※ 清和天皇の墓がある、京都の隠れ里、水尾 ~京都市~  ききょうの花(山崎ハコ)  他  (2012/6/25)

見える門は、黒門。 ここから、神社の境内。

12年11月26日 (30)

10分ほど歩いたら、石灯篭が並ぶ参道。

12年11月26日 (31)

休憩所があった。 山の上のトイレは、ここだけ。

12年11月26日 (32)

神社自体が、今は昔のように、賑わってはいない。
京都の街の中の神社のように、ちゃんと整備はされていない。

12年11月26日 (33)

最後の石段。

12年11月26日 (34)

あと少し。 小さな子供も、たくさんいた。

12年11月26日 (35)

下の方。 こんな風に、人が。 連休最後の日。 いい天気。

12年11月26日 (36)

着いた

12年11月26日 (37)

愛宕山頂上。  下から、2時間かかった。

12年11月26日 (38)

明智光秀は、本能寺の変の数日前に、ここに来ていた。
明智越えと云う道を通って。 そして、水尾の道を。
その時の歌。
   「 ときは今 あめが下しる 五月哉(さつきかな)」

拝殿。 最近は、お参りしている。 以前は、お参りしないことが多かった。

12年11月26日 (39)

振り返って。

12年11月26日 (40)

若い人が来ていた。

12年11月26日 (41)

お参りするところが、他に、2箇所あった。 
そこでも、手を合わせた。 全部お参りしてないって、神様に指摘されたら困ると思って。

12年11月26日 (42)   12年11月26日 (43)

彫り物が多くあった。  新潟県で見た、石川雲蝶ほどではないにしても、いい。

12年11月26日 (44)

別の道を下る。 この時、3時20分。 下りは、5㌔程。 1時間45分のコース。
明るいうちに、清滝に着くだろうか。 ※ 用心して、懐中電灯は、持ってきた。

12年11月26日 (45)

上の写真の、奥辺りから、道は分かれて、一気に下った。
直ぐに、岩の上から、下が見えた。

12年11月26日 (46)

若い人たちと、一緒に下った。 途中写真を撮ってるときに、離れた。
ずっと、急ぎ足よりは速く。

12年11月26日 (47)

足元だけ見て、急いだ。

12年11月26日 (48)

月輪(つきのわ)寺。  せまいので、離れて撮れない。

12年11月26日 (51)

土砂崩れで、被害を受けていた。

12年11月26日 (50)

桜の木が、有名なよう。
親鸞が植えた桜との、言い伝え。 
雨が降らなくても、葉がぬれる。 涙のように、水が葉の先から落ちる。
 ※ 原因は、下の方にある、滝の霧のせいではと。

12年11月26日 (49)

月輪寺で、5人ほどのグループを追い越していた。 私は最後ではなくなった。
下のほうで、10人ほどのグループの声が聞こえた。 賑やかだ。 間もなく追いつく。

追い越してみたら、たった3人のグループだった。
常に誰かがしゃべっていた。 

12年11月26日 (52)

家族。 この人たちは、この下に車があるよう。

12年11月26日 (53)

ジグザグに下る。

12年11月26日 (54)

山を下りたら、車道があった。 空也の岐(わかれ)。
300㍍山に入れば、滝がある。 誰かが行ったので、付いて行った。

12年11月26日 (55)

鳥居を2回くぐった。

12年11月26日 (56)   12年11月26日 (57)

空也滝。  暗くなってきた。

12年11月26日 (58)   12年11月26日 (59)

信仰の滝。 お不動さんとかが、岩の上に。

12年11月26日 (61)   12年11月26日 (60)

この霧が舞い上がって、月輪寺に行くのか。

12年11月26日 (62)   12年11月26日 (63)

滝で、20分ほど使った。 1本道なので、迷うことはない。

12年11月26日 (64)

あと少し。 4時56分。  ずっと急ぎ足。

12年11月26日 (65)

清滝の橋の上に着いた。

12年11月26日 (66)   12年11月26日 (67)

バス停に着いたときは、真っ暗だった。 5時14分。
バスがちょうどあったので、乗ることにした。

嵐山の駅から、JRで、京都駅に。 
ビッグカメラの店を少し見た。 買う予定のものはないけど。

京都タワーがライトアップしていた。

12年11月26日 (68)

久しぶりに、たくさん歩いた。
まだまだ、京都には、知らないところがある。


【今日の歌】  シューベルトは、好きな人と一緒にはなれなかった。
        その悲しみは、彼の生涯、消えることはなかった。
        この曲は、シューベルトの心の中を表現しているように思う。



【道の駅】   ガレリアかめおか

【明日の予定】 オイル交換。 どこかを少し見る。 27日に京都を出る。  小豆島に。

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akkamui212

Author:akkamui212
2009年4月に放浪の旅をスタートし、十数回目の日本1周に入っています。
「キャンピングカーで放浪の旅」に続き、パートⅡです。
明日は、どこの空の下にいるのかな。


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