雨の量が多く、昼を過ぎても止みませんでした。
明日晴れるので、明日にしました。
放浪記を書いた、林芙美子の像に会うのが、楽しみ。 ※ 前回撮影した彼女の像の顔。
そして、坂を歩いてきます。
【瀬戸大橋を渡る】
28日に、渡りました。
渡る前に、「町川うどん」というお店で、天狗うどんを食べました。
お世話になった、Mさんに教えていただきました。 天狗で、具が10。
いくらだったかな。 安いんですよ。 530円だったか。
今回、高松では、美味しいものをたくさん食べました。
小豆島と高松に、こんなにいるとは、思いませんでした。
私は、剣山に登らなければなりません。
※ いつでも登れる山とバカにしていました。
そうしたら、登りに行ったら、ずっと雨でした。
今度は、謙虚な気持ちで行きます。
来年の春、九州から四国に渡ると思います。
善通寺など、見てないところに行きます。
その時はまた、Mさんにお世話になります。
※ 途中、愛媛県の松野町に行くと思います。 気になっている町。
【尾道の後のコース】
安芸灘(あきなだ)諸島に行きます。 2度目。
御手洗(みたらい)、恋が浜、十文字山など、見所はいっぱい。
御手洗は、伝建地区。
「安芸灘の風」の舞台です。 画面をクリックしたら、YouTubeに。 (埋め込めれない)
御手洗の写真。 高灯篭の側かな。
広島の旅人さんが、出て来ないかなって思っています。
でも、正月だからね。
その後は、旅人さんの所に寄って、宮島、錦帯橋に寄って、一気に、島原かな。
一気に、長島かもしれない。 車の電気関係の整備。
いつもお世話になっている、Uさんの所。
その後は、天草諸島。
【その他】
「北の岬」のアクセス数が、3万を越えたので、載せさせてくださいね。
忘れていたけど、全部で、4つのパターンをYouTubeにUPしていました。
そのうちの3つを、ここに。 曲は同じなので、気に入ったのだけ聴いてください。
次は、4万の時に。
今日は、他のもいくつか。
※ 2番の歌詞の「オムイ」は、雄武町のアイヌ語です。 雄武町は、オホーツク沿岸に。 作曲は、札幌のTさん。
冬の旅路。 5000を越えたところです。 1年前ですから、まあまあ。
北の旅人 1000を越えたところ。 この秋にYouTubeに。 編曲は、札幌のTさん。
※ 画面の場所は、下の通り。
函館の夜景 札幌大通り公園 中富良野富田ファーム 積丹神威岬 函館赤レンガ倉庫
中標津開陽台 サロマ湖 利尻岳頂上 足寄町オンネトー 襟裳の近くの黄金道路
襟裳岬 オホーツクの原生花園駅 羅臼港 小樽運河 根室風蓮湖 タウシュベツ川橋梁
宗谷岬 稚内 (歌詞) 美瑛ビルケの森 美瑛の丘 積丹の海 黒岳 摩周湖
襟裳岬への道 登別地獄谷 美瑛の丘 北見ピアソン記念館 落石岬 黒岳頂上
美瑛青い池 礼文島 札幌大通公園 斜里 根室納沙布岬 旭川買物公園(佐藤忠良の像)
礼文島 落石岬 稚内(百万本のバラの、ニーナさんのお店)
最後に3曲。 全部、同じ曲です。
(写真の半分は、私のブログから。 編曲は、札幌のTさん。 題名は、柳川の銀河宙太さん)
この子は、大きくなって、上手になっていますね。
曲名は、雨に消えたあなた。 ベトナムの歌。
みなさん、よいお年を迎えてくださいね。
読んでいただき、応援していただき、ありがとうございました。
来年もよろしく。
※ 道の駅の目の前で、ライトアップ。
【道の駅】 笠岡ベイファーム
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行 1位、
旅行全体 2位です。
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明日晴れるので、明日にしました。
放浪記を書いた、林芙美子の像に会うのが、楽しみ。 ※ 前回撮影した彼女の像の顔。
そして、坂を歩いてきます。
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28日に、渡りました。
渡る前に、「町川うどん」というお店で、天狗うどんを食べました。
お世話になった、Mさんに教えていただきました。 天狗で、具が10。
いくらだったかな。 安いんですよ。 530円だったか。

今回、高松では、美味しいものをたくさん食べました。
小豆島と高松に、こんなにいるとは、思いませんでした。
私は、剣山に登らなければなりません。
※ いつでも登れる山とバカにしていました。
そうしたら、登りに行ったら、ずっと雨でした。
今度は、謙虚な気持ちで行きます。
来年の春、九州から四国に渡ると思います。
善通寺など、見てないところに行きます。
その時はまた、Mさんにお世話になります。
※ 途中、愛媛県の松野町に行くと思います。 気になっている町。
【尾道の後のコース】
安芸灘(あきなだ)諸島に行きます。 2度目。
御手洗(みたらい)、恋が浜、十文字山など、見所はいっぱい。
御手洗は、伝建地区。
「安芸灘の風」の舞台です。 画面をクリックしたら、YouTubeに。 (埋め込めれない)
御手洗の写真。 高灯篭の側かな。

広島の旅人さんが、出て来ないかなって思っています。
でも、正月だからね。
その後は、旅人さんの所に寄って、宮島、錦帯橋に寄って、一気に、島原かな。
一気に、長島かもしれない。 車の電気関係の整備。
いつもお世話になっている、Uさんの所。
その後は、天草諸島。
【その他】
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忘れていたけど、全部で、4つのパターンをYouTubeにUPしていました。
そのうちの3つを、ここに。 曲は同じなので、気に入ったのだけ聴いてください。
次は、4万の時に。
今日は、他のもいくつか。



※ 2番の歌詞の「オムイ」は、雄武町のアイヌ語です。 雄武町は、オホーツク沿岸に。 作曲は、札幌のTさん。
冬の旅路。 5000を越えたところです。 1年前ですから、まあまあ。
北の旅人 1000を越えたところ。 この秋にYouTubeに。 編曲は、札幌のTさん。
※ 画面の場所は、下の通り。
函館の夜景 札幌大通り公園 中富良野富田ファーム 積丹神威岬 函館赤レンガ倉庫
中標津開陽台 サロマ湖 利尻岳頂上 足寄町オンネトー 襟裳の近くの黄金道路
襟裳岬 オホーツクの原生花園駅 羅臼港 小樽運河 根室風蓮湖 タウシュベツ川橋梁
宗谷岬 稚内 (歌詞) 美瑛ビルケの森 美瑛の丘 積丹の海 黒岳 摩周湖
襟裳岬への道 登別地獄谷 美瑛の丘 北見ピアソン記念館 落石岬 黒岳頂上
美瑛青い池 礼文島 札幌大通公園 斜里 根室納沙布岬 旭川買物公園(佐藤忠良の像)
礼文島 落石岬 稚内(百万本のバラの、ニーナさんのお店)
最後に3曲。 全部、同じ曲です。
(写真の半分は、私のブログから。 編曲は、札幌のTさん。 題名は、柳川の銀河宙太さん)
この子は、大きくなって、上手になっていますね。
曲名は、雨に消えたあなた。 ベトナムの歌。
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香川県と岡山県の間の瀬戸内に、塩飽諸島(しわくしょとう)がある。
島の数は28。
瀬戸大橋は、その島々を渡って、四国と本州を結んでいた。
一番大きな島は、本島(ほんじま)。
本島にある、笠島の町並みは、伝建地区に選定されている。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区
江戸時代には、塩飽(しわく)水軍の根拠地であり、小さな城下町だった。
※ ※ ※ ※
道の駅うたづ臨海公園から、丸亀港まで歩いた。 4㌔ほど。
そこから、船。
※ 前日、間違って高速に入って、与島まで行ってきた。 無料。 戻る時、坂出市の夜景を見た。 何万ドルかな。
瀬戸大橋の近くの島は、塩飽(しわく)諸島の一部。
しばらくこの道を歩いて、途中から、さぬき浜街道。
時間帯によってフェリーもあるけど、乗ったのは、この船。 ボートのよう。
往復、1010円。
12時10分発。 私は、後ろのデッキにいた。 椅子に座って。
あっという間に、丸亀港が遠くなった。
途中の牛島で、何人か下船した。 島には、十数人、人が住んでいる。
本島が見えた。 泊港に船は入る。
こんな島。 右上の、笠島地区に行く。 ここが、伝建地区。
歩きだしたら、この看板。 ある芸術家さんの所のよう。
何言ってんのかが、分からない。 岡山弁か、讃岐弁。
「ここへこい」を、口を動かすのが面倒、って感じで言うと、「こけえけえ」 になるような。
文字を見ないで、会話を続けていくと、どんどん変わるんでしょうね。
それが、方言の生まれる、原因かな。 昔の話ですが。
本島小学校の前を通って。
廃寺。 島の中では、最古の寺だった。 創建は729年。
江戸時代には、島に、24の寺があったそう。 小さな島で、この数。 島の繁栄振りがわかる。
今は11。 住職さんがいるのは3つ。(ネットの情報)
※ 無人の寺がいっぱいある。
行く所がなくなったら、寺の番人でもやらせてもらおうか。
私は、お化けはまったく怖くない。 夜、墓地歩くの平気。 人や熊の方がずっと恐ろしい。
人吉市の幽霊寺で見た幽霊。 お土産に買った、幽霊のお人形。 こんな幽霊なら、会ってみたい。
塩飽勤番所。
塩飽諸島は、珍しいことに、自治が認められていたんですね。
なぜでしょう。
塩飽水軍として、他にはない、組織をまとめる力だあったのでしょうか。
幕府は、それを利用した。
武士でない者たちが、政治を任された。 それが、珍しいんですね。
ここは、政治が行われた中心。
中が見学できた。 200円。
天下を取ると、このように、命令できるんですね。 逆らったら大変。
活躍すると、何かを与えられる。
誰かが所有していたものを、与えられる。 秀吉は、痛くも痒くもない。
なぜ、ここに咸臨丸なんだ、と思った。
こうだった。 咸臨丸(かんりんまる)の乗組員は、50人。 そのうち35人が、塩飽(しわく)の出身。
水軍としての力は、並ではなかった。
咸臨丸は、日本で最初に太平洋を横断した船。
左の絵は、見たことある。 どこでかって。 咸臨丸が沈没した、北海道の木古内です。
※ その時、見た絵。
※ 北海道に・・。 サラキ岬(咸臨丸) 他 2009/07/15)
乗組員が、持ち帰ったもの。
のどかな雰囲気。
鏝絵(こてえ)です。 立派ですよ。
左官の人が、遊びで始めたと思うけど、芸術品のレベルまでに高めた。
※ 鏝絵は、西日本に多いでしょうか。 今まで見た、いくつかを紹介。
その①(丹後半島 伊根) その②(国東半島 日出(ひじ)町) その③(宮崎県日南市の飫肥(おび))
伝建地区の入口に来た。 向こうに少し行ったら、専称寺。
法然が土佐に流されるとき、数ヶ月ここにいたという。(パンフレット)
※ Wikipediaでは、法然は土佐でなく、実際は讃岐に流されたとなっている。
この島にも来ている。 讃岐のあちこちに行っている。 約10ヶ月。
法然75歳。 先日行った法然寺は、その法然を偲んで建てられた。
町並みに入っていく。
笠島の良さは、建物のほとんどが、古い建物なんですね。
どうしてそうできたか。
それは、古い家並みの価値に、気づくのが早かった。 誰かが、まず気づいたんですね。
そして、周りに訴えた。 地域の声が、1つにまとまった。
昭和60年の話です。 きっと、大変な取り組みでしたよ。
古い昔を大事にして何になるのよ、と思うかも知れない。
でも、昔を大事にすることが、今を大事にすることに、繋(つな)がるんですね。
そして、さらに、未来に生きる子供達の幸せをも願うことに・・・。
塩飽水軍の基地でもあった。
どの道を歩いても、遠くは見えない。 戦略上、こうしたんですね。
白壁、または、板壁。 2階は、中2階でしょうか。 低い。 商家の建物の感じ。
正式な2階建ては、制限されていた時代があったようです。
いい感じ。
通りの名前が、面白い。 塩飽の男は、逞(たくま)しかったのか。
右の建物は、町並み保存センター。 ここに入る。 管理人が、説明してくれた。
江戸時代の建物。 この島を統治する、年寄りと呼ばれた人の建物。
左は、蔵への入口の戸。 戸を引くと軽い。 台車のような部分も、動く。 不思議な仕組み。
右は、天井は船の底の感じ。 船大工が造るからか。
小さな火鉢。 船の中でも、大丈夫。 灰皿。
船のタンスは、沈没しても、タンスは、水にプカプカ浮く。 右は、「ほうこうさん」という、高松市の郷土玩具。
外の蔵。 たての柱が、細い。
焼いた板は、腐らないのか。
これは、小路。
立ち話です。 私のカメラに気づいて、話をやめた。
お願いして、話を続けてもらった。
管理人さんが、見晴らしのいい所があるよって、連れて行ってくれた。
小さな島での伝建地区は、ここと広島の御手洗(みたらい)でしょうか。
私は、御手洗で年を越すのかな。
一番左の建物は、タバコを乾燥する建物ですね。
※ 上のような建物は、昨年、白石島で見ました。 ここから近い島。
笠島城跡に登った。
専称寺に向かっている。
小さなお寺。
この島の、お偉い人の墓。 墓石の形が、変わっている。 巨大な、位牌。
町並みに戻ってきて、遠見山の展望台へ。
右に上がると、尾上神社。 その左の道を行く。
いい道です。
瀬戸大橋。 橋ができたことが、島に大きな潤いをもたらすことはなかった。
与島。 パーキングがある。
港に、戻る。 梅の木かな。
やっと分かった。 梅の木が、デコボコになる理由が。
梅の木は、伸びすぎた枝を、切る。 つまり、剪定(せんてい)。
あっちに伸びようと思ってて切られたら、こっちに伸びようとする。
それで切られたら、そっちに伸びようとする。
そんなことをしているうちに、枝は、ガタガタになる。
子供と一緒かな。
あれしたらダメ。 これしたらダメ。
そう言われているうちに、どうしたらいいか分からなくなる。
萎縮した子供になってしまう。
正しいかどうかなんて、大きなことではない。
せっかく、自分で動こうとしているのに、・・・。
勤番所に、戻ってきた。
お墓。 えんどう豆。 そばに、笹を立てている。 どうして?
島を後にした。 帰りは、フェリー。
月を見ながら、1時間ほど歩いた。 道の駅の近くに、こんな建物。
笠島は、昔がいい状態で残った、魅力あふれる、伝建地区の町並みでした。
今日の笠島も、Mさんのおすすめでした。
おかげで、高松そして讃岐の魅力を、楽しませていただきました。
明日(28日)、瀬戸大橋を渡ります。
今年も、あと少し。
【その他】 写真について。
ほとんどは、新しい、X-E1で撮っています。 時々、以前のX-100。(これは、近々修理に)
※ 今日のでは、船での写真が、X-100。 しぶきが飛んだので。 他に少し。
X-100の方は、広く撮れます。(X-100は23mm。 X-E1は35mm)
新しいカメラのレンズと同じ明るさ(F1.4)の、23mmのレンズが、来年の春には発売されます。
レンズをその都度取り替えるのは面倒なので、そのレンズを付けたカメラを買うことになると思います。
新しいカメラを買うと、お酒を買うお金がなくなる。
ズームレンズは便利ですが、今のブログの写真は、撮れません。
他には、ワイドと望遠のレンズがあります。 マクロもあるか。
これらは、将来的な話ですね。 いいレンズが出たとき。
【今日の歌】
【道の駅】 笠岡ベイファーム
【30日の予定】 尾道 久しぶり。 楽しみです。
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島の数は28。
瀬戸大橋は、その島々を渡って、四国と本州を結んでいた。
一番大きな島は、本島(ほんじま)。
本島にある、笠島の町並みは、伝建地区に選定されている。 ※ 重要伝統的建造物群保存地区
江戸時代には、塩飽(しわく)水軍の根拠地であり、小さな城下町だった。
※ ※ ※ ※
道の駅うたづ臨海公園から、丸亀港まで歩いた。 4㌔ほど。
そこから、船。
※ 前日、間違って高速に入って、与島まで行ってきた。 無料。 戻る時、坂出市の夜景を見た。 何万ドルかな。
瀬戸大橋の近くの島は、塩飽(しわく)諸島の一部。

しばらくこの道を歩いて、途中から、さぬき浜街道。

時間帯によってフェリーもあるけど、乗ったのは、この船。 ボートのよう。
往復、1010円。


12時10分発。 私は、後ろのデッキにいた。 椅子に座って。


あっという間に、丸亀港が遠くなった。

途中の牛島で、何人か下船した。 島には、十数人、人が住んでいる。

本島が見えた。 泊港に船は入る。


こんな島。 右上の、笠島地区に行く。 ここが、伝建地区。

歩きだしたら、この看板。 ある芸術家さんの所のよう。
何言ってんのかが、分からない。 岡山弁か、讃岐弁。
「ここへこい」を、口を動かすのが面倒、って感じで言うと、「こけえけえ」 になるような。
文字を見ないで、会話を続けていくと、どんどん変わるんでしょうね。
それが、方言の生まれる、原因かな。 昔の話ですが。
本島小学校の前を通って。


廃寺。 島の中では、最古の寺だった。 創建は729年。
江戸時代には、島に、24の寺があったそう。 小さな島で、この数。 島の繁栄振りがわかる。
今は11。 住職さんがいるのは3つ。(ネットの情報)
※ 無人の寺がいっぱいある。
行く所がなくなったら、寺の番人でもやらせてもらおうか。
私は、お化けはまったく怖くない。 夜、墓地歩くの平気。 人や熊の方がずっと恐ろしい。
人吉市の幽霊寺で見た幽霊。 お土産に買った、幽霊のお人形。 こんな幽霊なら、会ってみたい。

塩飽勤番所。

塩飽諸島は、珍しいことに、自治が認められていたんですね。
なぜでしょう。
塩飽水軍として、他にはない、組織をまとめる力だあったのでしょうか。
幕府は、それを利用した。
武士でない者たちが、政治を任された。 それが、珍しいんですね。
ここは、政治が行われた中心。

中が見学できた。 200円。


天下を取ると、このように、命令できるんですね。 逆らったら大変。
活躍すると、何かを与えられる。
誰かが所有していたものを、与えられる。 秀吉は、痛くも痒くもない。


なぜ、ここに咸臨丸なんだ、と思った。

こうだった。 咸臨丸(かんりんまる)の乗組員は、50人。 そのうち35人が、塩飽(しわく)の出身。
水軍としての力は、並ではなかった。
咸臨丸は、日本で最初に太平洋を横断した船。
左の絵は、見たことある。 どこでかって。 咸臨丸が沈没した、北海道の木古内です。
※ その時、見た絵。


※ 北海道に・・。 サラキ岬(咸臨丸) 他 2009/07/15)
乗組員が、持ち帰ったもの。


のどかな雰囲気。

鏝絵(こてえ)です。 立派ですよ。
左官の人が、遊びで始めたと思うけど、芸術品のレベルまでに高めた。


※ 鏝絵は、西日本に多いでしょうか。 今まで見た、いくつかを紹介。
その①(丹後半島 伊根) その②(国東半島 日出(ひじ)町) その③(宮崎県日南市の飫肥(おび))
伝建地区の入口に来た。 向こうに少し行ったら、専称寺。
法然が土佐に流されるとき、数ヶ月ここにいたという。(パンフレット)
※ Wikipediaでは、法然は土佐でなく、実際は讃岐に流されたとなっている。
この島にも来ている。 讃岐のあちこちに行っている。 約10ヶ月。
法然75歳。 先日行った法然寺は、その法然を偲んで建てられた。

町並みに入っていく。

笠島の良さは、建物のほとんどが、古い建物なんですね。
どうしてそうできたか。
それは、古い家並みの価値に、気づくのが早かった。 誰かが、まず気づいたんですね。
そして、周りに訴えた。 地域の声が、1つにまとまった。
昭和60年の話です。 きっと、大変な取り組みでしたよ。
古い昔を大事にして何になるのよ、と思うかも知れない。
でも、昔を大事にすることが、今を大事にすることに、繋(つな)がるんですね。
そして、さらに、未来に生きる子供達の幸せをも願うことに・・・。
塩飽水軍の基地でもあった。


どの道を歩いても、遠くは見えない。 戦略上、こうしたんですね。

白壁、または、板壁。 2階は、中2階でしょうか。 低い。 商家の建物の感じ。
正式な2階建ては、制限されていた時代があったようです。


いい感じ。

通りの名前が、面白い。 塩飽の男は、逞(たくま)しかったのか。



右の建物は、町並み保存センター。 ここに入る。 管理人が、説明してくれた。

江戸時代の建物。 この島を統治する、年寄りと呼ばれた人の建物。


左は、蔵への入口の戸。 戸を引くと軽い。 台車のような部分も、動く。 不思議な仕組み。
右は、天井は船の底の感じ。 船大工が造るからか。


小さな火鉢。 船の中でも、大丈夫。 灰皿。


船のタンスは、沈没しても、タンスは、水にプカプカ浮く。 右は、「ほうこうさん」という、高松市の郷土玩具。



外の蔵。 たての柱が、細い。


焼いた板は、腐らないのか。

これは、小路。

立ち話です。 私のカメラに気づいて、話をやめた。
お願いして、話を続けてもらった。


管理人さんが、見晴らしのいい所があるよって、連れて行ってくれた。

小さな島での伝建地区は、ここと広島の御手洗(みたらい)でしょうか。
私は、御手洗で年を越すのかな。

一番左の建物は、タバコを乾燥する建物ですね。

※ 上のような建物は、昨年、白石島で見ました。 ここから近い島。
笠島城跡に登った。

専称寺に向かっている。

小さなお寺。

この島の、お偉い人の墓。 墓石の形が、変わっている。 巨大な、位牌。

町並みに戻ってきて、遠見山の展望台へ。

右に上がると、尾上神社。 その左の道を行く。

いい道です。

瀬戸大橋。 橋ができたことが、島に大きな潤いをもたらすことはなかった。

与島。 パーキングがある。

港に、戻る。 梅の木かな。
やっと分かった。 梅の木が、デコボコになる理由が。
梅の木は、伸びすぎた枝を、切る。 つまり、剪定(せんてい)。
あっちに伸びようと思ってて切られたら、こっちに伸びようとする。
それで切られたら、そっちに伸びようとする。
そんなことをしているうちに、枝は、ガタガタになる。
子供と一緒かな。
あれしたらダメ。 これしたらダメ。
そう言われているうちに、どうしたらいいか分からなくなる。
萎縮した子供になってしまう。
正しいかどうかなんて、大きなことではない。
せっかく、自分で動こうとしているのに、・・・。

勤番所に、戻ってきた。

お墓。 えんどう豆。 そばに、笹を立てている。 どうして?


島を後にした。 帰りは、フェリー。

月を見ながら、1時間ほど歩いた。 道の駅の近くに、こんな建物。

笠島は、昔がいい状態で残った、魅力あふれる、伝建地区の町並みでした。
今日の笠島も、Mさんのおすすめでした。
おかげで、高松そして讃岐の魅力を、楽しませていただきました。
明日(28日)、瀬戸大橋を渡ります。
今年も、あと少し。
【その他】 写真について。
ほとんどは、新しい、X-E1で撮っています。 時々、以前のX-100。(これは、近々修理に)
※ 今日のでは、船での写真が、X-100。 しぶきが飛んだので。 他に少し。
X-100の方は、広く撮れます。(X-100は23mm。 X-E1は35mm)
新しいカメラのレンズと同じ明るさ(F1.4)の、23mmのレンズが、来年の春には発売されます。
レンズをその都度取り替えるのは面倒なので、そのレンズを付けたカメラを買うことになると思います。
新しいカメラを買うと、お酒を買うお金がなくなる。
ズームレンズは便利ですが、今のブログの写真は、撮れません。
他には、ワイドと望遠のレンズがあります。 マクロもあるか。
これらは、将来的な話ですね。 いいレンズが出たとき。
【今日の歌】
【道の駅】 笠岡ベイファーム
【30日の予定】 尾道 久しぶり。 楽しみです。
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「 瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ 」(崇徳天皇)
「 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな 」 (西行法師)
百人一首にある歌。 「われても」「かこち」で、知ってる人が多いと思う。
※ われても~~今は分かれてても、いつかは一緒に。
かこち~~~月のせいにして、本当は恋の悩みなのに。 託(かこ)ちは、~~のせいにして。 託(たく)すと似た意味。
※ 詳しい解釈は、ここと、ここに。
上の2人が、今日の登場人物。
崇徳(すとく)天皇(上皇)は、保元の乱に負けて、讃岐のこの地へ流された。
悲嘆の生涯を過ごし、ここで閉じることになる。
西行は、流された崇徳天皇を励まし、亡くなった後も、この地の白峯(しろみね)の陵(みささぎ)を訪れている。 ※ 陵は、墓のこと。
その場所を、今日は、歩いた。
情報は全て、お世話になっている、Mさんから。
※ ※ ※ ※
場所は、坂出市になります。
車は、青海(おうみ)神社 の駐車場に。 右上の道は、さぬき浜街道。
西行が来たのは、800年以上も前のこと。
きっとこの道を歩いたということで、道が整備された。
西行法師の道。 崇徳天皇の白峯の陵へ続く。
左奥に、青海神社。
崇徳上皇が崩御されて、荼毘(だび)にふしたとき、煙がここに流れてきた。
それは、京都に向かう煙だった。 この地に神社を建てた。 ※ 青梅は、地名。
保元の乱は、天皇家の覇権争いですね。
※ いつの時代もあったと思うけど、この乱は、長い天皇家の歴史の中で、目立つ。
弟の、後白河天皇に、追い出された。
讃岐の松山と言ってるのは、この地方。
※ お墓はここだけど、住んでたのは、近くの、
雲井御所(くもいごしょ)に約3年。
鼓岡(つづみがおか)にある木ノ丸殿(このまるでん)に約6年。
合わせて9年いて、46歳で亡くなる。 暗殺かも知れない。
鬼の形相で、追い出した者たちを、呪っていた、と云われる。 このように。(Wikipedia)
上のようなことがあるので、鎮魂。
道沿いには、歌碑が並んでいる。
最初に、西行が「崇徳院の御霊前に、鎮魂の香華を捧げた」とある。
後半には、仁和寺に、とある。
※ 夏に、仁和寺に行ったけど、崇徳天皇のことは、気づかなかった。
こんなところです。
日本最古の紫宸殿が残る、仁和寺 ~京都市~ 海が死んでもいいョって鳴いている(森田童子) 他 (2012/6/7)
幅の広い、立派な道。
天皇のお墓への道だから、これでいいのか。
歩いて、雰囲気のいい道とは、少し違う感じも。
※ デザインを決めるとき、どのような議論をしたのでしょう。
目的地は、山の上。
最初のは、辞世の歌。
「思ひやれ 都はるかに 沖つ波 立ちへだてたる 心細さを」
西行が、崇徳天皇の魂を鎮(しず)めるために詠んだ歌。
「よしや君 昔の玉の 床とても かからむ後は 何かはせむ」
これの解釈な、このようです。
「たとえ君よ、あなたが昔、玉座に着いておられたところで、こんなお姿(死者)になられた以上、
それがなんになりましょう。そういう現世の執着を忘れ去って成仏なさいませ」(古典和歌のHPより)
西行は、天皇に向かってここまで言える関係にあったと、わかりますね。
途中に展望台。
谷に、さぬき浜街道。 右に行ったら、すぐトンネル。 抜けたら、高松市。 左に行けば、坂出市街地。
こんな場所についた。 「稚護が滝」があるようだが、左への道が壊れていて、行けなかった。
※ 雨が降った時に見られるようで、こんな滝。
道は何度か折れて、山の上に。
優しそうな表情の、お地蔵さん。
着きました。 突き当りを、左に上がると、崇徳天皇白峯の陵。 真っ直ぐ行くと、白峯寺。
ホトトギスの声を聴いても、都を思い出した。 下の歌については、後ほど出てきます。
このように。
この上です。 宮内庁の管轄。
墓は、森の中にあるのか。
墓は見えない。
※ 航空写真では、こうです。 大きな規模ではない。
上円下方墳だそう。 こんな形。 明治・大正・昭和天皇の墓も同じ。
別の方向から。
江戸時代の燈籠。 荒れた時代もあったようですが、基本的には、大事にされた。
前面。
白峯寺(しろみねじ)にある、頓証寺殿(とんしょうじでん)。 崇徳天皇の御廟所。
頓証は、速やかに悟りの境地に達すること。
崇徳天皇に、そうなって欲しいと願ってこの名前か。
崇徳天皇の住んでいた建物を、移築したのが、始まり。
上の写真の灯篭は、江戸時代のもの。
ホトトギスについて、書いてある。 ホトトギスが、天皇に気を遣った。 面白いですよ。
頓証寺。
松山天狗について。
西行の、「よしや君・・・」の歌。
崇徳天皇の歌があった。 ブログの最初に出てきた歌。
「浜千鳥 跡は都へ通えども 身は松山に 音をのみぞなく」
この後、寺を見た。 いろんなお堂が。
81番札所なので、崇徳天皇のこととは関係なく、お遍路さんは来る。
本堂。
変わった石塔。 瑜祇塔(ゆぎとう)。 亀の上に乗っていた。
大師堂。
石段に文字があって、それを調べていた。 どこかの大学という感じ。
寺の入口に、向かっている。
客殿。
寺の入口。 山門。
地図。 歌碑を読みながら、戻った。
遠くに、瀬戸大橋が見えた。
西行の他にも、崇徳天皇を思って歌っている。
最後に、青海神社に寄った。 灯篭の模様は、何でしょう。
この地に来て、崇徳天皇と西行のことを、初めて知りました。
自分には、十分に分かっていないことが、多いです。
【今日の歌】 久しぶりに、山崎ハコ。
【道の駅】 うたづ臨海公園
【明日の予定】 本島
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(2008年4月~2010年9月までの記事)
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「 嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな 」 (西行法師)
百人一首にある歌。 「われても」「かこち」で、知ってる人が多いと思う。
※ われても~~今は分かれてても、いつかは一緒に。
かこち~~~月のせいにして、本当は恋の悩みなのに。 託(かこ)ちは、~~のせいにして。 託(たく)すと似た意味。
※ 詳しい解釈は、ここと、ここに。
上の2人が、今日の登場人物。
崇徳(すとく)天皇(上皇)は、保元の乱に負けて、讃岐のこの地へ流された。
悲嘆の生涯を過ごし、ここで閉じることになる。
西行は、流された崇徳天皇を励まし、亡くなった後も、この地の白峯(しろみね)の陵(みささぎ)を訪れている。 ※ 陵は、墓のこと。
その場所を、今日は、歩いた。
情報は全て、お世話になっている、Mさんから。
※ ※ ※ ※
場所は、坂出市になります。
車は、青海(おうみ)神社 の駐車場に。 右上の道は、さぬき浜街道。

西行が来たのは、800年以上も前のこと。
きっとこの道を歩いたということで、道が整備された。
西行法師の道。 崇徳天皇の白峯の陵へ続く。

左奥に、青海神社。
崇徳上皇が崩御されて、荼毘(だび)にふしたとき、煙がここに流れてきた。
それは、京都に向かう煙だった。 この地に神社を建てた。 ※ 青梅は、地名。


保元の乱は、天皇家の覇権争いですね。
※ いつの時代もあったと思うけど、この乱は、長い天皇家の歴史の中で、目立つ。
弟の、後白河天皇に、追い出された。
讃岐の松山と言ってるのは、この地方。
※ お墓はここだけど、住んでたのは、近くの、
雲井御所(くもいごしょ)に約3年。
鼓岡(つづみがおか)にある木ノ丸殿(このまるでん)に約6年。
合わせて9年いて、46歳で亡くなる。 暗殺かも知れない。
鬼の形相で、追い出した者たちを、呪っていた、と云われる。 このように。(Wikipedia)

上のようなことがあるので、鎮魂。

道沿いには、歌碑が並んでいる。

最初に、西行が「崇徳院の御霊前に、鎮魂の香華を捧げた」とある。
後半には、仁和寺に、とある。

※ 夏に、仁和寺に行ったけど、崇徳天皇のことは、気づかなかった。
こんなところです。
日本最古の紫宸殿が残る、仁和寺 ~京都市~ 海が死んでもいいョって鳴いている(森田童子) 他 (2012/6/7)
幅の広い、立派な道。

天皇のお墓への道だから、これでいいのか。
歩いて、雰囲気のいい道とは、少し違う感じも。
※ デザインを決めるとき、どのような議論をしたのでしょう。
目的地は、山の上。


最初のは、辞世の歌。
「思ひやれ 都はるかに 沖つ波 立ちへだてたる 心細さを」
西行が、崇徳天皇の魂を鎮(しず)めるために詠んだ歌。
「よしや君 昔の玉の 床とても かからむ後は 何かはせむ」
これの解釈な、このようです。
「たとえ君よ、あなたが昔、玉座に着いておられたところで、こんなお姿(死者)になられた以上、
それがなんになりましょう。そういう現世の執着を忘れ去って成仏なさいませ」(古典和歌のHPより)
西行は、天皇に向かってここまで言える関係にあったと、わかりますね。

途中に展望台。
谷に、さぬき浜街道。 右に行ったら、すぐトンネル。 抜けたら、高松市。 左に行けば、坂出市街地。


こんな場所についた。 「稚護が滝」があるようだが、左への道が壊れていて、行けなかった。
※ 雨が降った時に見られるようで、こんな滝。


道は何度か折れて、山の上に。


優しそうな表情の、お地蔵さん。


着きました。 突き当りを、左に上がると、崇徳天皇白峯の陵。 真っ直ぐ行くと、白峯寺。

ホトトギスの声を聴いても、都を思い出した。 下の歌については、後ほど出てきます。


このように。

この上です。 宮内庁の管轄。

墓は、森の中にあるのか。

墓は見えない。

※ 航空写真では、こうです。 大きな規模ではない。
上円下方墳だそう。 こんな形。 明治・大正・昭和天皇の墓も同じ。


別の方向から。

江戸時代の燈籠。 荒れた時代もあったようですが、基本的には、大事にされた。


前面。

白峯寺(しろみねじ)にある、頓証寺殿(とんしょうじでん)。 崇徳天皇の御廟所。

頓証は、速やかに悟りの境地に達すること。
崇徳天皇に、そうなって欲しいと願ってこの名前か。

崇徳天皇の住んでいた建物を、移築したのが、始まり。

上の写真の灯篭は、江戸時代のもの。


ホトトギスについて、書いてある。 ホトトギスが、天皇に気を遣った。 面白いですよ。


頓証寺。

松山天狗について。


西行の、「よしや君・・・」の歌。



崇徳天皇の歌があった。 ブログの最初に出てきた歌。
「浜千鳥 跡は都へ通えども 身は松山に 音をのみぞなく」


この後、寺を見た。 いろんなお堂が。
81番札所なので、崇徳天皇のこととは関係なく、お遍路さんは来る。

本堂。

変わった石塔。 瑜祇塔(ゆぎとう)。 亀の上に乗っていた。

大師堂。

石段に文字があって、それを調べていた。 どこかの大学という感じ。



寺の入口に、向かっている。

客殿。

寺の入口。 山門。

地図。 歌碑を読みながら、戻った。



遠くに、瀬戸大橋が見えた。


西行の他にも、崇徳天皇を思って歌っている。



最後に、青海神社に寄った。 灯篭の模様は、何でしょう。


この地に来て、崇徳天皇と西行のことを、初めて知りました。
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3年前に見ているが、写真の取り直し、という事もあって、再度行ってみた。
楽しみは、変化に富んだ、石段の道。
その道沿いには、多くの神社や祠。 上からの見晴らしもいい。
今年もあと1週間。
神社は、初詣の準備をしていた。
※ ※ ※ ※
四国自体が、大きくないから、どこの行くのも近く感じる。
滝宮(たきのみや)駅から、琴電に乗った。
琴電琴平駅にあった地図。 奥宮が、目的地。
象頭山(ぞうずさん)という山に、あるんですね。
こんな電車で来た。 右側に、高燈籠の上が見える。
昔ながらの門前商店街でしょうか。 右に、歴史を感じるお店が。
古民家風の今流行りのお店もあるが、少ない。
景気が良くないので、建て替えは進んでいない。
店の中にも通りがある感じ、そんな店が、入りやすい。
籠です。
お客さんが、重いでしょうって、言った。
だからって、そうですねとは、言えない。
少しだけね、もダメ。 見た目より軽いも、ダメ。
乗ってるんですかは、言い過ぎ。
石段が続いて、大門。 ここまで、365段。
平日だけど、人は多い。
つらいつらい言っても、石段を登るのは、楽しい。
頂上にたどりついたら、「やった~!」ってなる。
観光客には、わざと苦労させるのもいい。
「しあわせさん」って顔で、下りてきた。
御書院。 神社の事務所である、社務所もここでしょうか。
奥に、書院造の建物がある。 重要文化財の。
曲がって、地図の左に行っている。
この石段は厳しいなっていう、参拝者もいる。
小さな子は、下りを怖がる。
再度曲がって、地図の上方向に。
途中で、右下に、上に書いた書院の一部が見えた。
大きな建物、旭社が見えてきた。
右側通行ってある。 初詣に向けての準備でしょうか。 ここに、地図があった。 撮影は、油断した。
大きい。 ここまで、628段。
明治に入って、神仏分離。 ここは、神社だけになった。
以前は、松尾寺があって、この建物は、松尾寺の金堂(本堂)だった。
※ あまりの豪華さに、江戸時代に参拝した森の石松は、ここを参拝して戻ってしまった、と言われる。(Wikipedia)
門を通って、本宮を目指す。 狛犬(こまいぬ)。
長い石段を上がったら、本宮。 右は、上から見た。
着きました。 ここが、金刀比羅宮の中心。 御本宮。
785段。
ここでお参りするから、右の建物は、拝殿。 その後ろに、本殿がある。 全部で、御本宮。
右の建物は、上の写真の本宮。 ここが、展望台。
琴平町。
中央、少し左、とんがった山は、讃岐富士。
讃岐富士の左に、丸亀城が見えることになっているが、分からなかった。
※ 丸亀城 うちわの港ミュージアム 他 ~丸亀市~ 他 (2010/12/24)
さらに進む。
白峰(しろみね)神社。 崇徳天皇を祀っている。
白峰の郷に、明日行く予定。 保元の乱で負けて、この地に流された。
奥宮へは、さらに行く。
白峰神社の本殿。 右は、本殿から、拝殿を撮影。 こんなの初めて。
建物は、何だったかな。 休憩所? まだまだ行く。
登ってきた。
再度道は折れて、あと少し。
着きました。 奥宮。 1368段。 ※ 石段の数については、最後に。
ここでお参り。 奥宮は、詳しくは、厳魂神社(いづたまじんじゃ)。 この山全体を守っている。
また、後ろを撮ってみた。 神様は、後ろにいる。
左隅に、瀬戸大橋が、うっすらと見えている。 分かりづらい。
平らな所が海だったら、瀬戸内のよう。 山は、島々。
※ 芭蕉が行った象潟(きさかた)は、これの狭い感じ。
ここで、お守りとか売っている。
本宮に戻ってきた。
神楽殿。 右は、本宮の拝殿を、横から。 正面から中の撮影はできないので。
神楽殿。(ここの写真は、太鼓の予定だったのかな。 忘れなければ、後ほど)
三穂津姫社。 奥は絵馬殿。 右の写真は、絵馬殿。
別の道を通って、旭社に下りてきた。
向こうから下りてきた。
貫禄充分。 重要文化財。 建物としては、一番見応えがある。
左は、洋画家高橋由一という人の、美術館。 小さく見える。
来た道を、戻る。
大門。
5時近い。 ※ 北海道なら、真っ暗。
※ 石段の数について。
金刀比羅宮の石段の数は、1368段でしたが、他はこうです。
○ 山寺・・・・1015段 上を見ても、下を見ても、風景がいい。
○ 鳳来山・・・1425段 コノハズク(仏法僧)が棲むと言う山。
○ 羽黒山・・・2446段 ここは、登山の感じ。
石段日本一は、熊本県美里町の御坂遊歩道。 3333段。
日本一を目指して作った。 風情は特にないので、歩く楽しさは少ない。
走って登ったら、足がしばらく痛かった。
御坂遊歩道「日本一の石段」~3,333段・熊本県美里町~ カウンター10万を越える 他 (2010/1/27)
塩江温泉に向かった。 途中で、先日食べたラーメン。 昔風。 美味しい。
具がいっぱい入った、いなり寿司。 大きいので、1つがやっと。 残りは、夜食。
ここで、のんびり、湯ったり。
久しぶりの、金刀比羅宮でした。
金丸座という日本最古の芝居小屋があったが、時間がなくなって、行けなかった。
またいつか、来る。
金刀比羅宮が賑わう理由は、前回、下の様にまとめています。 これでいいかなと。
【今日のお遊び】
【道の駅】 しおのえ ※ 数日前に来ている。
【明日の予定】 崇徳上皇関係。 西行の道とかを歩く。
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象頭山(ぞうずさん)という山に、あるんですね。


こんな電車で来た。 右側に、高燈籠の上が見える。

昔ながらの門前商店街でしょうか。 右に、歴史を感じるお店が。


古民家風の今流行りのお店もあるが、少ない。
景気が良くないので、建て替えは進んでいない。
店の中にも通りがある感じ、そんな店が、入りやすい。
籠です。
お客さんが、重いでしょうって、言った。
だからって、そうですねとは、言えない。
少しだけね、もダメ。 見た目より軽いも、ダメ。
乗ってるんですかは、言い過ぎ。

石段が続いて、大門。 ここまで、365段。

平日だけど、人は多い。

つらいつらい言っても、石段を登るのは、楽しい。
頂上にたどりついたら、「やった~!」ってなる。
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「しあわせさん」って顔で、下りてきた。

御書院。 神社の事務所である、社務所もここでしょうか。
奥に、書院造の建物がある。 重要文化財の。


曲がって、地図の左に行っている。

この石段は厳しいなっていう、参拝者もいる。
小さな子は、下りを怖がる。
再度曲がって、地図の上方向に。

途中で、右下に、上に書いた書院の一部が見えた。

大きな建物、旭社が見えてきた。

右側通行ってある。 初詣に向けての準備でしょうか。 ここに、地図があった。 撮影は、油断した。


大きい。 ここまで、628段。
明治に入って、神仏分離。 ここは、神社だけになった。
以前は、松尾寺があって、この建物は、松尾寺の金堂(本堂)だった。
※ あまりの豪華さに、江戸時代に参拝した森の石松は、ここを参拝して戻ってしまった、と言われる。(Wikipedia)

門を通って、本宮を目指す。 狛犬(こまいぬ)。


長い石段を上がったら、本宮。 右は、上から見た。


着きました。 ここが、金刀比羅宮の中心。 御本宮。
785段。
ここでお参りするから、右の建物は、拝殿。 その後ろに、本殿がある。 全部で、御本宮。

右の建物は、上の写真の本宮。 ここが、展望台。

琴平町。

中央、少し左、とんがった山は、讃岐富士。
讃岐富士の左に、丸亀城が見えることになっているが、分からなかった。

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さらに進む。

白峰(しろみね)神社。 崇徳天皇を祀っている。

白峰の郷に、明日行く予定。 保元の乱で負けて、この地に流された。

奥宮へは、さらに行く。

白峰神社の本殿。 右は、本殿から、拝殿を撮影。 こんなの初めて。


建物は、何だったかな。 休憩所? まだまだ行く。

登ってきた。

再度道は折れて、あと少し。

着きました。 奥宮。 1368段。 ※ 石段の数については、最後に。

ここでお参り。 奥宮は、詳しくは、厳魂神社(いづたまじんじゃ)。 この山全体を守っている。

また、後ろを撮ってみた。 神様は、後ろにいる。

左隅に、瀬戸大橋が、うっすらと見えている。 分かりづらい。

平らな所が海だったら、瀬戸内のよう。 山は、島々。
※ 芭蕉が行った象潟(きさかた)は、これの狭い感じ。

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本宮に戻ってきた。

神楽殿。 右は、本宮の拝殿を、横から。 正面から中の撮影はできないので。


神楽殿。(ここの写真は、太鼓の予定だったのかな。 忘れなければ、後ほど)

三穂津姫社。 奥は絵馬殿。 右の写真は、絵馬殿。


別の道を通って、旭社に下りてきた。

向こうから下りてきた。

貫禄充分。 重要文化財。 建物としては、一番見応えがある。

左は、洋画家高橋由一という人の、美術館。 小さく見える。


来た道を、戻る。

大門。

5時近い。 ※ 北海道なら、真っ暗。


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金刀比羅宮の石段の数は、1368段でしたが、他はこうです。
○ 山寺・・・・1015段 上を見ても、下を見ても、風景がいい。
○ 鳳来山・・・1425段 コノハズク(仏法僧)が棲むと言う山。
○ 羽黒山・・・2446段 ここは、登山の感じ。
石段日本一は、熊本県美里町の御坂遊歩道。 3333段。
日本一を目指して作った。 風情は特にないので、歩く楽しさは少ない。
走って登ったら、足がしばらく痛かった。
御坂遊歩道「日本一の石段」~3,333段・熊本県美里町~ カウンター10万を越える 他 (2010/1/27)
塩江温泉に向かった。 途中で、先日食べたラーメン。 昔風。 美味しい。
具がいっぱい入った、いなり寿司。 大きいので、1つがやっと。 残りは、夜食。

ここで、のんびり、湯ったり。


久しぶりの、金刀比羅宮でした。
金丸座という日本最古の芝居小屋があったが、時間がなくなって、行けなかった。
またいつか、来る。
金刀比羅宮が賑わう理由は、前回、下の様にまとめています。 これでいいかなと。

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山の上に大きな洞窟があるという。 山の上というのは、珍しい。
そして、そこには鬼。
いったい、どういうことなのか。
海に近い所に、高い石垣がある。
風よけ、波よけのために作られた。
それを見るのも、楽しみ。
※ ※ ※ ※
女木島は、港の沖に、大きく見える。
※ 読み方は、めぎしま。 実際は、めぎじまと言ってるよう。
女木島だけど、鬼ヶ島って、みんな言ってる。 フェリーの案内も。
車を何台か積めるだけの、小さなフェリー。
20分ほどなので、港を出たら、すぐ目の前に。
※ この写真、ちょっとおかしい。 海の色の表現が下手。
新しいカメラに問題があるのか、撮り方によっては、こうなることがあるのか。
明日は、カメラの基本の設定を、変えて撮ってみます。
標準の設定で。
フェリーターミナルは、鬼の館。 かわいい鬼が迎えてくれた。
島は、端から端まで、4㌔ほど。 時間があれば、歩ける。
観光案内に、石垣のことは書いていない。
アシストの自転車で、時計回りで動く。 ※ 自転車代、500円。
この地図には、石垣が載っている。 地元では、オーテと呼ぶ。
高い石垣。 家を風や波しぶきから、守っている。
※ オオテは、漢字で書くとどうなるのでしょう。
ネット上に詳しい説明はない。 ただ、大手でないかというのがある。
そうだとすれば、大手は、大手門の大手で、正面という意味。
これなら、意味が通じる。
島の、海に向かっての正面。 そこにある、石垣。 だから、オオテ。
奥の方の石垣は、あっても、低い。
坂を上ったら、こう。 遠くからも、見えそう。
下に、女木島灯台。 灯台への道が地図と違ったので、すぐに行けなかった。
高松市の市街地が見えた。
先日登った女体山は、ここから見えているんだろうか。
※ 女体山の頂上から、女木島はこのように見えている。 写真の右上、大きな島。
見えてることになりますね。
島の真ん中辺りに来た。 山の上に、洞窟。
山の上だから、きっと、鍾乳洞ではない。 頂上は、展望台。
広い洞窟。
ここから入る。
本当の入口は、別の所に。 今、通れないので、出口から入って、出口に戻ってくる。
入ったすぐの場所。 出口だから、鬼は手を振っている。
このように、鬼の人形が飾ってある。
遊びの世界に来た。
この洞窟は、自然に出来たのではなく、誰かが掘った。 いつ、誰がかは、分からない。
何のためにでしょう。
長さは400㍍。(総延長)。 これだけ掘るのは、大変な労力。
大変さは、九州の青の洞門以上かも知れない。
なぜ鬼ヶ島なのかですが、
香川県には、桃太郎伝説がある。
その話では、大きな洞窟の中に、鬼が住んでいたことになっている。
ここが、その洞窟に間違いないということに、なった。
鬼って何だとなると、正確には、とっても難しい。
歴史も宗教も、絡んでくる。
とんがった山は、五剣山。
※ 続きは、晩になります。
【今日の歌】 ハンセン病の療養施設のある大島には、別の機会に行きたいと思います。
ちゃんと勉強してから。
自由という言葉を聞いたら、いつも、パピヨンの映画を思い出します。
スティーブ・マックウィーン演じる主人公は、自由を求めて脱獄します。
たどり着いた島には、ハンセン病の人たちが住んでいました。
厳しい映像が、出てきました。
映画になぜ、上の島を登場させたのか、むずかしい。
もしかしたら、自由と関係あるのかも知れない。
下のは、漂流を始めたところまでですが、曲が何とも云えなく、いい。
自由を思い出す曲を、あと1つ紹介。
【道の駅】 滝宮
【明日の予定】 金比羅さん
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いったい、どういうことなのか。
海に近い所に、高い石垣がある。
風よけ、波よけのために作られた。
それを見るのも、楽しみ。
※ ※ ※ ※
女木島は、港の沖に、大きく見える。
※ 読み方は、めぎしま。 実際は、めぎじまと言ってるよう。
女木島だけど、鬼ヶ島って、みんな言ってる。 フェリーの案内も。

車を何台か積めるだけの、小さなフェリー。

20分ほどなので、港を出たら、すぐ目の前に。
※ この写真、ちょっとおかしい。 海の色の表現が下手。
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明日は、カメラの基本の設定を、変えて撮ってみます。
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フェリーターミナルは、鬼の館。 かわいい鬼が迎えてくれた。



島は、端から端まで、4㌔ほど。 時間があれば、歩ける。
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高い石垣。 家を風や波しぶきから、守っている。
※ オオテは、漢字で書くとどうなるのでしょう。
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そうだとすれば、大手は、大手門の大手で、正面という意味。
これなら、意味が通じる。
島の、海に向かっての正面。 そこにある、石垣。 だから、オオテ。

奥の方の石垣は、あっても、低い。

坂を上ったら、こう。 遠くからも、見えそう。

下に、女木島灯台。 灯台への道が地図と違ったので、すぐに行けなかった。

高松市の市街地が見えた。
先日登った女体山は、ここから見えているんだろうか。
※ 女体山の頂上から、女木島はこのように見えている。 写真の右上、大きな島。
見えてることになりますね。

島の真ん中辺りに来た。 山の上に、洞窟。

山の上だから、きっと、鍾乳洞ではない。 頂上は、展望台。

広い洞窟。

ここから入る。
本当の入口は、別の所に。 今、通れないので、出口から入って、出口に戻ってくる。

入ったすぐの場所。 出口だから、鬼は手を振っている。

このように、鬼の人形が飾ってある。

遊びの世界に来た。

この洞窟は、自然に出来たのではなく、誰かが掘った。 いつ、誰がかは、分からない。
何のためにでしょう。

長さは400㍍。(総延長)。 これだけ掘るのは、大変な労力。
大変さは、九州の青の洞門以上かも知れない。

なぜ鬼ヶ島なのかですが、
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その話では、大きな洞窟の中に、鬼が住んでいたことになっている。
ここが、その洞窟に間違いないということに、なった。

鬼って何だとなると、正確には、とっても難しい。
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とんがった山は、五剣山。

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たどり着いた島には、ハンセン病の人たちが住んでいました。
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もしかしたら、自由と関係あるのかも知れない。
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