とってもよく似ています。 不思議です。
まず聴いてください。 歌詞を見ながら。
下は、五木の子守唄。
下の歌詞は、福連木の子守唄。 ※ ふくれぎのこもりうた
※ 写真は、天草市役所 天草支所 福連木出張所 でいただいた、パンフレットを撮影。
Wikipediaでは、根拠は示していませんが、福連木の子守唄の方が先にできた、と言っています。
子守唄の里、福連木を歩いてみました。
美味しい豆腐も、ありました。
☆ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
※ ※ ※ ※
停泊していた、下田の港。 橋は、下田大橋。
下の川は、下津深江川。
これから行く福連木は、この川の上流にある。
右は、丘の上から、下田温泉の街。 白鷺館の温泉は、右の方。 見えなかった。
市街地を通り過ぎて、福連木子守唄公園に着いた。
公園には遊具などが。
毎年11月に、「子守唄&童謡まつり」が開かれる。
遊歩道もある。 公園の横を県道が通っていて、7㌔程行くと、先日見た轟橋がある。
写真を撮りながら、中心街に向かった。
途中で、子守唄については、支所の出張所に行ったら分かるかも知れないと、教えていただいた。
時々、福連木子守唄の里、とある。
静かな山里。 石垣が目立つ。
古いけど、大きな家。 建てた当時の豪華さは、今の家は適(かな)わない。
大根が似合う。
※ 昔は単独で、天草町(あまくさまち)。 今は、天草市天草町。
合併しても、天草町の名前を残した。 こういうのが、いい。
親しみある町名がそのままだし、看板がそのままでも、不自然でない。
どうして、福連木に、そして五木に、子守唄は生まれたのでしょう。
※ ここから先は、支所の出張所で教えていただいたこと、パンフレット、ネットの情報を元に、書いています。
福連木と五木には、共通する貧しさがあった。
昔は、どこも貧しかったが、それにプラスする貧しさの理由があった。 ※ 理由は、後ほど。
山の中に、豆腐のお店が。
小さなお店。 四角い豆腐と、寄せ豆腐を買った。 どちらも、200円。 おからは、おまけ。
晩に食べましたよ。 いい味。
豆腐は最初、塩で。 その後は、生醤油。 醤油も豆腐も、大豆から。 親戚。 合う。
子供たちは10歳になったら、貧しさのために、他所(よそ)に奉公に出る。
1日いっぱい働かされて、粗末な食べ物だけ。
仕事が辛いから、唄を歌った。
それは、子守唄といっても、子供を寝かしつける唄ではなかった。
自分をなぐさめる唄に、なってしまった。
福連木の小さな中心街。 小学校があります。 ※ 今年の3月に、閉校。
では、どこに奉公に行ったか。
福連木の子供たちは、島を出て、八代とか人吉。
ちなみに、五木の子供たちは、五木か八代か人吉が中心。
奉公先で歌われたのが、自分の故郷に戻ってきて、歌い継がれた。
八代や人吉に、両方からの子供がいた。 ※ 他からもいたと思う。
そのために、福連木の子守唄と、五木の子守唄が、似ることになる。
神社。 斜面全部が石垣。
福連木の人達の生活は、江戸時代が終われば、ある程度良くなる。(この理由も後ほど)
※ 本当に楽になるのは、戦後の農地改革の後ですね。
下のように、立派な石垣を作ることができたのは、いつ頃でしょう。
貧しい時代に、もう作っていたのか。
正面に、小学校が見えます。
この後、支所の出張所で、天草市役所の方から、福連木の子守唄について、教えていただいた。
その内容を中心に、ブログは、書いています。
福連木の子守唄のCDはあって、希望者に販売していたのだが、ちょうど無くなったところだった。
CDについては、新たに作って、出来たら連絡をいただけることになった。
内容は、地元のおばあちゃんが歌ったのと、子供たちが歌ったもの。
出張所の前の風景。 ※ 最近、逆光の写真が好き。 暖かさを感じるので。
※ ここからの写真も、福連木出張上でいただいたパンフレットを撮影。
福連木の森で採れた樫の木が、槍(やり)の柄(え)の部分に向いていた、とある。
樫の木は、こんな木。(ネットの写真) 珍しい木ではない。
字を見て分かる通り、堅い木。 頑丈なため、槍の柄(え)の部分に使われた。
※ 樫の木は、他に、スコップや斧(おの)の柄、太鼓のバチに向いているそう。
福連木の樫が特に良かったという。 他より堅かったということか。
堅さだけでない特性があったのか、その辺りは、分からない。
とにかく、いい樫の木があるということで、山は、幕府に奪われてしまった。
自分達の山ではなくなった。
炭焼きはできない、木材としての木を、切り出せない。
福連木の村は、他の村の貧しさとは、程度が違ってしまった。
福連木の人達の生活が大変になるのは、上の事情で、江戸時代から。
五木の人たちが苦しくなるのは、鎌倉時代から。
五家荘(ごかのしょう)に平氏一族がいて、その見張りのために、武士が五木に入ってきた。
土地から農耕の道具まで、全てが、武士のものになった。
支配は、末代までずっと続いた。
五木の貧しさも、他の村とは違った。 ※ ここまで、 Wikipedia による。
※ 追記 ただ、上の文については、伝承の上に積み重ねている考え。
「三十三人衆」と呼ばれる地主層は確かにいたが、五家荘と関係あるかは、はっきりしていない。
五家荘との関係は、大義名分として、作ったかも知れない。
そんな中、江戸時代の終わり頃、奉公先で歌が生まれ、歌い継がれたと、下にある。
どちらが先かを知りたいが、証拠が見つからない。
歌詞が、驚くほど似ていることは分かったが、メロディはどうでしょう。
普通に聴いたら、別だなと感じますね。
支所の出張上で、あばあちゃんが歌うのを聞いたとき、ある部分が似ている、と感じた。
でも、下のを聴いたら、どこが似ているか、難しい。
メロディの特徴は、五木の子守唄は、優れたメロディ。 良さが、分かりやすい。
そのために、全国に知られることになる。
福連木の子守唄は、素朴で何度も聴くうちに、良さが分かってくる。
メロディが単純でないとも、言えそう。
山は、官山(かんざん)と呼ぶようになった。
下は、別の形の説明。 明日は、官山である角山(かどやま)に登る。
下には、4代将軍綱吉の頃から、とある。 江戸時代は、まだ200年続く。
福連木の子守唄を、さらに全国に知ってもらうためには、どうしたらいいでしょう。
まず、質の高い動画を作ることでしょうか。
おばあちゃんと、子供たちのと。 あと、誰か上手に歌える人。
おばあちゃんの歌は、福連木の風景をバックに。
人に感動を与えるだけの、優れた唄と演奏が必要になります。
それを、天草市のHPと、YouTubeに。 CDをつくるかも、検討。
春には、小学校が閉校します。
どのように歌い継いでいくかも、大事になります。
また、旅で福連木に来た人がどこかで聴けたら、いいですね。
福連木の子守唄の歌碑の前に立つと、唄が流れるように、とか。
子守唄を残す価値は何なのか、それを整理するのは、とっても大事。
はっきりすると、地域の人たちの気持ちが、1つに強くまとまります。
五木の子守歌との関係は、どっちが先か、はっきりしない。
ただ、奉公先の地で、お互いが影響し合って、それぞれの歌詞が生まれた。
どちらも、数え切れないほどの歌詞を持っている。
メロディに関しては、作り出すのは、難しい。
どちらの子守唄にも、それに貢献した人が、必ずいますね。
基本がまず出来た。 基本の良さを残しながら、変化していった。
そんな風に、考えます。
福連木の子守唄は、哀愁ただよう、そして、切なさが伝わる子守唄です。
いい唄です。
※ お世話になった支所の出張所の方々に、感謝します。
【その他】 五木の子守歌では、私は、山口淑子が歌っているのが好きです。
ブログの最初に載せた曲です。
彼女は、子供になったつもりで歌ってはいないんですね。
辛い思いをしている子供たちを、少し離れたところから見ている。
そうして、子供たちの心情をくみとって、歌っているんですね。
時代の悲しさまで、伝わってきます。
【関連ブログ】
五木の子守歌 他 (5月10日 晩)
※ 美空ひばりは、『哀愁波止場』の中に、五木の子守歌の一部を入れている。
五木の子守歌を最初に歌って世に出したのは、音丸。 (YouTubeにあります)
ひばりは、このことを知っており、音丸にはお世話になっていた。
彼女は、四国に巡業に行って、バス事故に遭った。 この巡業は、乙丸にくっついていったもの。
日本一の大杉と、美空ひばりのバス事故 ~大豊町~ 他 (2011/5/27)
【停泊場所】 福連木子守唄公園
【明日の予定】 官山(角山)に登山道がある。 行ってみようかと。
轟滝にも。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行 2位、
旅行全体 3位です。
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まず聴いてください。 歌詞を見ながら。
下は、五木の子守唄。
下の歌詞は、福連木の子守唄。 ※ ふくれぎのこもりうた
※ 写真は、天草市役所 天草支所 福連木出張所 でいただいた、パンフレットを撮影。

Wikipediaでは、根拠は示していませんが、福連木の子守唄の方が先にできた、と言っています。
子守唄の里、福連木を歩いてみました。
美味しい豆腐も、ありました。
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※ ※ ※ ※
停泊していた、下田の港。 橋は、下田大橋。
下の川は、下津深江川。
これから行く福連木は、この川の上流にある。
右は、丘の上から、下田温泉の街。 白鷺館の温泉は、右の方。 見えなかった。


市街地を通り過ぎて、福連木子守唄公園に着いた。
公園には遊具などが。

毎年11月に、「子守唄&童謡まつり」が開かれる。


遊歩道もある。 公園の横を県道が通っていて、7㌔程行くと、先日見た轟橋がある。

写真を撮りながら、中心街に向かった。
途中で、子守唄については、支所の出張所に行ったら分かるかも知れないと、教えていただいた。
時々、福連木子守唄の里、とある。

静かな山里。 石垣が目立つ。

古いけど、大きな家。 建てた当時の豪華さは、今の家は適(かな)わない。
大根が似合う。

※ 昔は単独で、天草町(あまくさまち)。 今は、天草市天草町。
合併しても、天草町の名前を残した。 こういうのが、いい。
親しみある町名がそのままだし、看板がそのままでも、不自然でない。
どうして、福連木に、そして五木に、子守唄は生まれたのでしょう。
※ ここから先は、支所の出張所で教えていただいたこと、パンフレット、ネットの情報を元に、書いています。

福連木と五木には、共通する貧しさがあった。
昔は、どこも貧しかったが、それにプラスする貧しさの理由があった。 ※ 理由は、後ほど。
山の中に、豆腐のお店が。

小さなお店。 四角い豆腐と、寄せ豆腐を買った。 どちらも、200円。 おからは、おまけ。
晩に食べましたよ。 いい味。
豆腐は最初、塩で。 その後は、生醤油。 醤油も豆腐も、大豆から。 親戚。 合う。




子供たちは10歳になったら、貧しさのために、他所(よそ)に奉公に出る。
1日いっぱい働かされて、粗末な食べ物だけ。
仕事が辛いから、唄を歌った。
それは、子守唄といっても、子供を寝かしつける唄ではなかった。
自分をなぐさめる唄に、なってしまった。
福連木の小さな中心街。 小学校があります。 ※ 今年の3月に、閉校。

では、どこに奉公に行ったか。
福連木の子供たちは、島を出て、八代とか人吉。
ちなみに、五木の子供たちは、五木か八代か人吉が中心。
奉公先で歌われたのが、自分の故郷に戻ってきて、歌い継がれた。
八代や人吉に、両方からの子供がいた。 ※ 他からもいたと思う。
そのために、福連木の子守唄と、五木の子守唄が、似ることになる。
神社。 斜面全部が石垣。

福連木の人達の生活は、江戸時代が終われば、ある程度良くなる。(この理由も後ほど)
※ 本当に楽になるのは、戦後の農地改革の後ですね。
下のように、立派な石垣を作ることができたのは、いつ頃でしょう。
貧しい時代に、もう作っていたのか。

正面に、小学校が見えます。

この後、支所の出張所で、天草市役所の方から、福連木の子守唄について、教えていただいた。
その内容を中心に、ブログは、書いています。
福連木の子守唄のCDはあって、希望者に販売していたのだが、ちょうど無くなったところだった。
CDについては、新たに作って、出来たら連絡をいただけることになった。
内容は、地元のおばあちゃんが歌ったのと、子供たちが歌ったもの。
出張所の前の風景。 ※ 最近、逆光の写真が好き。 暖かさを感じるので。

※ ここからの写真も、福連木出張上でいただいたパンフレットを撮影。
福連木の森で採れた樫の木が、槍(やり)の柄(え)の部分に向いていた、とある。
樫の木は、こんな木。(ネットの写真) 珍しい木ではない。
字を見て分かる通り、堅い木。 頑丈なため、槍の柄(え)の部分に使われた。
※ 樫の木は、他に、スコップや斧(おの)の柄、太鼓のバチに向いているそう。
福連木の樫が特に良かったという。 他より堅かったということか。
堅さだけでない特性があったのか、その辺りは、分からない。
とにかく、いい樫の木があるということで、山は、幕府に奪われてしまった。
自分達の山ではなくなった。
炭焼きはできない、木材としての木を、切り出せない。
福連木の村は、他の村の貧しさとは、程度が違ってしまった。

福連木の人達の生活が大変になるのは、上の事情で、江戸時代から。
五木の人たちが苦しくなるのは、鎌倉時代から。
五家荘(ごかのしょう)に平氏一族がいて、その見張りのために、武士が五木に入ってきた。
土地から農耕の道具まで、全てが、武士のものになった。
支配は、末代までずっと続いた。
五木の貧しさも、他の村とは違った。 ※ ここまで、 Wikipedia による。
※ 追記 ただ、上の文については、伝承の上に積み重ねている考え。
「三十三人衆」と呼ばれる地主層は確かにいたが、五家荘と関係あるかは、はっきりしていない。
五家荘との関係は、大義名分として、作ったかも知れない。
そんな中、江戸時代の終わり頃、奉公先で歌が生まれ、歌い継がれたと、下にある。

どちらが先かを知りたいが、証拠が見つからない。
歌詞が、驚くほど似ていることは分かったが、メロディはどうでしょう。
普通に聴いたら、別だなと感じますね。
支所の出張上で、あばあちゃんが歌うのを聞いたとき、ある部分が似ている、と感じた。
でも、下のを聴いたら、どこが似ているか、難しい。
メロディの特徴は、五木の子守唄は、優れたメロディ。 良さが、分かりやすい。
そのために、全国に知られることになる。
福連木の子守唄は、素朴で何度も聴くうちに、良さが分かってくる。
メロディが単純でないとも、言えそう。
山は、官山(かんざん)と呼ぶようになった。

下は、別の形の説明。 明日は、官山である角山(かどやま)に登る。

下には、4代将軍綱吉の頃から、とある。 江戸時代は、まだ200年続く。

福連木の子守唄を、さらに全国に知ってもらうためには、どうしたらいいでしょう。
まず、質の高い動画を作ることでしょうか。
おばあちゃんと、子供たちのと。 あと、誰か上手に歌える人。
おばあちゃんの歌は、福連木の風景をバックに。
人に感動を与えるだけの、優れた唄と演奏が必要になります。
それを、天草市のHPと、YouTubeに。 CDをつくるかも、検討。
春には、小学校が閉校します。
どのように歌い継いでいくかも、大事になります。
また、旅で福連木に来た人がどこかで聴けたら、いいですね。
福連木の子守唄の歌碑の前に立つと、唄が流れるように、とか。
子守唄を残す価値は何なのか、それを整理するのは、とっても大事。
はっきりすると、地域の人たちの気持ちが、1つに強くまとまります。
五木の子守歌との関係は、どっちが先か、はっきりしない。
ただ、奉公先の地で、お互いが影響し合って、それぞれの歌詞が生まれた。
どちらも、数え切れないほどの歌詞を持っている。
メロディに関しては、作り出すのは、難しい。
どちらの子守唄にも、それに貢献した人が、必ずいますね。
基本がまず出来た。 基本の良さを残しながら、変化していった。
そんな風に、考えます。
福連木の子守唄は、哀愁ただよう、そして、切なさが伝わる子守唄です。
いい唄です。
※ お世話になった支所の出張所の方々に、感謝します。
【その他】 五木の子守歌では、私は、山口淑子が歌っているのが好きです。
ブログの最初に載せた曲です。
彼女は、子供になったつもりで歌ってはいないんですね。
辛い思いをしている子供たちを、少し離れたところから見ている。
そうして、子供たちの心情をくみとって、歌っているんですね。
時代の悲しさまで、伝わってきます。
【関連ブログ】
五木の子守歌 他 (5月10日 晩)
※ 美空ひばりは、『哀愁波止場』の中に、五木の子守歌の一部を入れている。
五木の子守歌を最初に歌って世に出したのは、音丸。 (YouTubeにあります)
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彼女は、四国に巡業に行って、バス事故に遭った。 この巡業は、乙丸にくっついていったもの。
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天草の道は、時代とともに変わった。
江戸時代の道から、やっと車が通れる砂利道に。
そして、舗装の国道。 今は、くねくね曲がってはいない、バイパス。
明治とは云っても、まだ江戸時代に毛が生えたようなもの。
5人が歩いた旧道は、けもの道のような、江戸時代の道だった。
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※ ※ ※ ※
鬼海浦(きかいがうら)の駐車場にあった地図。
山に少し上がったら、あった。 南に向かう道。
この場所は、今日の日程のおおよそ中間地点。 32㌔の半分。
夏の真っ盛り。 暑い。 誰もが、あびるように水を飲んでいた。
歩くの余力があるのは、鉄幹と木下杢太郎。 他は、みんなへとへと。
100㍍ごとに標示があった。
※ この写真は、露出を上げてISO(感度)を高くして撮影。 後ろも前も、それなりに。
石垣です。 どこも、島の斜面は大事に使われていた。 一帯が全部、段畑だった。
与謝野鉄幹は、こんな道と知っていても、天草に魅力を感じていたんですね。
若者4人に、見せたかったし、会わせたかった人がいた。
この4人は、どうやって決まったのでしょう。
展望台が見えた。
今回、展望台は何箇所かあったが、ほとんど海は見えなかった。
みんな木が育った。
1つ峠を越えて、集落が見えた。 下の道は、旧国道。 新しい道は、トンネル。
道はここで下る。 私は、戻る。
海岸の風景。
戻って、出発点を越えて、下田温泉に向かった。
この日、5人は山道を32㌔歩いた。 急ぐ理由はあったのでしょうか。
途中で、行ってしまえ、ということになったのか。
鉄幹の考えは、途中で泊まる予定だった。
展望台。 何も見えない。 ここから、急な坂を降りたら、下田温泉側の、入口。 後で行く。
※ 工事のため、国道を通って、鬼海浦(きかいがうら)に帰れない。
車しか通れない、細い工事中のトンネルがある。
今私が履いているトレッキングシューズで山道を歩くのは、楽。
彼らは、どんな靴だったのか。 足に「豆」ができたとか、きっと大変だった。
昔の道の雰囲気が分かったので、戻った。 展望台。
天草下島の海岸の風景は、山陰や宮崎県の海岸線に、似ている。
鬼海浦のパーキングの右が見えた。
出発点のパーキングに戻った。 海に降りてみる。
正面に、岩山。 登れないか、考えていた。
岩の下に行ったら、ロープが下がっていた。
古いカメラだけを背中にかけて、登りだした。
足場がちゃんとあるので、大丈夫。 登りやすい。
途中から急。 そこを、10㍍ほど登って、ここに来た。
幅30㌢のこの道を越えて、右上に行く。 そこに、ロープはある。
右の岩が斜めのため、つかまる所がない。
左下は、90度の崖。 落ちたら、助からない。 崖でなければ、すっと歩ける。
右上にロープがあるが、手が届かない。 どうやったら、そのロープに手が届くかを考えた。
木があったので、木につかまって、絶対に下に落ちない体制を考えて、手を伸ばした。
届いた。 通ることが、できた。
ロープが100%信用はできないので、体重を全部かけないように、登った。
※ 安全な場所で、一度、ぶら下がってみればいいのかな。。
登りきった時に、帰りのことを考えて、ロープが丈夫かを確認した。
ちゃんとしていた。 体重全部かけても、大丈夫。
○の所を通るのに、苦労した。
反対側にも、ロープが下がっていた。 足場を探しながら下るのは、面倒なので、行かない。
両側に、少しだけ高いところがある。 行かない。
※ 古いカメラの調子はよくない。 新しいのを、リュックに入れて背負えばよかった。
これから、そうする。
五足の靴の道は、白い建物と、山頂の中間の高さにある。
立っている場所は、狭い。 ロープを手から離すことはなかった。 座れば安全だが。
向こうの谷間の集落が見えるところまで行った。
下る時は、足場が見えない。 登った時のを、全部覚えていない。
それがあるため、ロープを100%信用できるかを、上で確認した。
足を踏み外した時のことを考えて、ロープは、手に巻きつけるように持つ。
片手で、自分の体重を支えることは、大丈夫。
不安なく、下に降りた。
下田温泉側の出発点は、ここ。 ※ 見つけられなかったので、次の日の朝に撮影。
与謝野鉄幹は、この4人に、どんな魅力を感じていたのか。
彼の予想通り、それぞれが、一気に成長している。
少し離れたところに、五足の靴の石碑。
温泉街を少し紹介。
下田温泉は、観光地というより、温泉好きな人がやって来る温泉地。
地元の人のためにもある、温泉。 だから、200円のところが。
下田温泉、入口。 左は、足湯。 写ってる人が動きそうなので、撮影を急いだ。
人がいない足湯をとっても、つまらない。
足湯は、真ん中。 入る温泉は、右の、白鷺(しらさぎ)館。 左端の港の○に、私はいる。
五足の湯。 足を温めれば、体全体がぽかぽか。
お湯かどうか、確かめるのを忘れた。 ※ 追記 温泉でした。
白鷺館。 いつも、混んでいる。
長湯したければ、41度位のところに。 じんじん熱いのがいい時は、43度くらいのところに。
私は、どっちも好き。 ※ 湯船はこう。手前が熱い。 大サービスで、もう一枚。(ネット上の写真)
小さな商店街。 左の方に、数件の温泉宿。 温泉神社。
岩登りは、少し緊張がありました。
途中で、行くか行かないか、迷いました。
上からのロープを、やっとたぐり寄せることができました。
「五足の靴」の旅は、一般的にも評価されている。
地元が言ってるだけでなく、それがあるので、いい。
旅は人を変える。 自分は、どうなっているのだろう・・。
機会があれば、5足の靴を読んでみたい。
【関連ブログ】 どれも、山道。
龍馬は、檮原を出発し、その日、韮ヶ峠を越え脱藩する ~檮原町~ 他 (2011/2/21)
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【今日の歌】 歌ってるのは、ジュリー・ロジャース。 イギリスの人。 この人のが、一番上手。
曲名は、ラ・ノビア。
1小節ごとに、彼女の表情も、歌い方も、心の込め方も変わる。
Thisと言った後の、一瞬の表情がまたいい。
※ 詩を忠実に訳したのが見つかれば、載せますね。 知って聴きたい。
※ 歌っているのは、英語。
「白く輝く 花嫁衣装に」で始まる日本語の歌詞は、スペイン語の原詩を訳したもの。
英語の歌詞を訳したのを探しています。
※ 私には、歌をくちずさむ習慣というか、くせがある。
姉がそうなので、子供の頃に、うつってしまった。
一番多いのが、このラ・ノビア。 大好きな曲。 曲の悲しさも、知らずに。
【停泊場所】 下田温泉の駐車場。 ※ 鬼海浦のパーキングは、ネットがつながらない。
【明日の予定】 内陸に。 福連木子守唄(ふくれぎの こもりうた)があると云う。 いい名前。 何だろう。
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そして、舗装の国道。 今は、くねくね曲がってはいない、バイパス。
明治とは云っても、まだ江戸時代に毛が生えたようなもの。
5人が歩いた旧道は、けもの道のような、江戸時代の道だった。
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鬼海浦(きかいがうら)の駐車場にあった地図。


山に少し上がったら、あった。 南に向かう道。

この場所は、今日の日程のおおよそ中間地点。 32㌔の半分。
夏の真っ盛り。 暑い。 誰もが、あびるように水を飲んでいた。
歩くの余力があるのは、鉄幹と木下杢太郎。 他は、みんなへとへと。
100㍍ごとに標示があった。
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石垣です。 どこも、島の斜面は大事に使われていた。 一帯が全部、段畑だった。

与謝野鉄幹は、こんな道と知っていても、天草に魅力を感じていたんですね。
若者4人に、見せたかったし、会わせたかった人がいた。
この4人は、どうやって決まったのでしょう。
展望台が見えた。

今回、展望台は何箇所かあったが、ほとんど海は見えなかった。
みんな木が育った。

1つ峠を越えて、集落が見えた。 下の道は、旧国道。 新しい道は、トンネル。

道はここで下る。 私は、戻る。

海岸の風景。

戻って、出発点を越えて、下田温泉に向かった。
この日、5人は山道を32㌔歩いた。 急ぐ理由はあったのでしょうか。
途中で、行ってしまえ、ということになったのか。
鉄幹の考えは、途中で泊まる予定だった。

展望台。 何も見えない。 ここから、急な坂を降りたら、下田温泉側の、入口。 後で行く。
※ 工事のため、国道を通って、鬼海浦(きかいがうら)に帰れない。
車しか通れない、細い工事中のトンネルがある。

今私が履いているトレッキングシューズで山道を歩くのは、楽。
彼らは、どんな靴だったのか。 足に「豆」ができたとか、きっと大変だった。
昔の道の雰囲気が分かったので、戻った。 展望台。

天草下島の海岸の風景は、山陰や宮崎県の海岸線に、似ている。
鬼海浦のパーキングの右が見えた。

出発点のパーキングに戻った。 海に降りてみる。

正面に、岩山。 登れないか、考えていた。

岩の下に行ったら、ロープが下がっていた。
古いカメラだけを背中にかけて、登りだした。
足場がちゃんとあるので、大丈夫。 登りやすい。
途中から急。 そこを、10㍍ほど登って、ここに来た。

幅30㌢のこの道を越えて、右上に行く。 そこに、ロープはある。
右の岩が斜めのため、つかまる所がない。
左下は、90度の崖。 落ちたら、助からない。 崖でなければ、すっと歩ける。
右上にロープがあるが、手が届かない。 どうやったら、そのロープに手が届くかを考えた。
木があったので、木につかまって、絶対に下に落ちない体制を考えて、手を伸ばした。
届いた。 通ることが、できた。

ロープが100%信用はできないので、体重を全部かけないように、登った。
※ 安全な場所で、一度、ぶら下がってみればいいのかな。。
登りきった時に、帰りのことを考えて、ロープが丈夫かを確認した。
ちゃんとしていた。 体重全部かけても、大丈夫。
○の所を通るのに、苦労した。

反対側にも、ロープが下がっていた。 足場を探しながら下るのは、面倒なので、行かない。

両側に、少しだけ高いところがある。 行かない。


※ 古いカメラの調子はよくない。 新しいのを、リュックに入れて背負えばよかった。
これから、そうする。
五足の靴の道は、白い建物と、山頂の中間の高さにある。

立っている場所は、狭い。 ロープを手から離すことはなかった。 座れば安全だが。
向こうの谷間の集落が見えるところまで行った。

下る時は、足場が見えない。 登った時のを、全部覚えていない。
それがあるため、ロープを100%信用できるかを、上で確認した。
足を踏み外した時のことを考えて、ロープは、手に巻きつけるように持つ。
片手で、自分の体重を支えることは、大丈夫。
不安なく、下に降りた。
下田温泉側の出発点は、ここ。 ※ 見つけられなかったので、次の日の朝に撮影。

与謝野鉄幹は、この4人に、どんな魅力を感じていたのか。
彼の予想通り、それぞれが、一気に成長している。



少し離れたところに、五足の靴の石碑。


温泉街を少し紹介。
下田温泉は、観光地というより、温泉好きな人がやって来る温泉地。
地元の人のためにもある、温泉。 だから、200円のところが。

下田温泉、入口。 左は、足湯。 写ってる人が動きそうなので、撮影を急いだ。
人がいない足湯をとっても、つまらない。

足湯は、真ん中。 入る温泉は、右の、白鷺(しらさぎ)館。 左端の港の○に、私はいる。

五足の湯。 足を温めれば、体全体がぽかぽか。

お湯かどうか、確かめるのを忘れた。 ※ 追記 温泉でした。

白鷺館。 いつも、混んでいる。
長湯したければ、41度位のところに。 じんじん熱いのがいい時は、43度くらいのところに。
私は、どっちも好き。 ※ 湯船はこう。手前が熱い。 大サービスで、もう一枚。(ネット上の写真)

小さな商店街。 左の方に、数件の温泉宿。 温泉神社。


岩登りは、少し緊張がありました。
途中で、行くか行かないか、迷いました。
上からのロープを、やっとたぐり寄せることができました。
「五足の靴」の旅は、一般的にも評価されている。
地元が言ってるだけでなく、それがあるので、いい。
旅は人を変える。 自分は、どうなっているのだろう・・。
機会があれば、5足の靴を読んでみたい。
【関連ブログ】 どれも、山道。
龍馬は、檮原を出発し、その日、韮ヶ峠を越え脱藩する ~檮原町~ 他 (2011/2/21)
大江山 いく野の道は遠ければ まだふみもみず 天の橋立 ~生野の道、細野峠~ 他 (2010/5/18)
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【今日の歌】 歌ってるのは、ジュリー・ロジャース。 イギリスの人。 この人のが、一番上手。
曲名は、ラ・ノビア。
1小節ごとに、彼女の表情も、歌い方も、心の込め方も変わる。
Thisと言った後の、一瞬の表情がまたいい。
※ 詩を忠実に訳したのが見つかれば、載せますね。 知って聴きたい。
※ 歌っているのは、英語。
「白く輝く 花嫁衣装に」で始まる日本語の歌詞は、スペイン語の原詩を訳したもの。
英語の歌詞を訳したのを探しています。
※ 私には、歌をくちずさむ習慣というか、くせがある。
姉がそうなので、子供の頃に、うつってしまった。
一番多いのが、このラ・ノビア。 大好きな曲。 曲の悲しさも、知らずに。
【停泊場所】 下田温泉の駐車場。 ※ 鬼海浦のパーキングは、ネットがつながらない。
【明日の予定】 内陸に。 福連木子守唄(ふくれぎの こもりうた)があると云う。 いい名前。 何だろう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行 2位、


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