私は今日、何を見たかって、それは、人でした。
人の多さは、昔も今もって、感じで。
芭蕉が来た時も「皆おしあひぬ」だった。
昔の参道は、おはらい町通り。
そして、20年前に、おかげ横丁ができた。
伊勢に参拝に来た人たちは、参拝をぱっぱと終わらせ、おかげ横丁で長い時間楽しんでいるように見えた。
古い町並み、お祭りの出店の雰囲気もある。
京都の太秦(うずまさ)の映画村に似ているが、もっと混み入ってて、遊びの要素が強い。
有料にしても可笑しくないところを、無料に。
伊勢観光の人気の秘密は、おかげ横丁にあるって、感じた。
外宮(げくう)から内宮(ないくう)まで、古市参宮(さんぐう)街道を歩いてみた。 5㌔ほど。
この道は、昔の参拝者が歩いた道。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
伊勢・志摩は、名古屋方面から近いので、大きな観光地のよう。
久しぶりに、鉄道の旅。 気楽。 伊勢駅。
外宮(げくう)に行ってから内宮(ないぐう)が、正しいお参りの順。
でも、外宮に来ない人も多いと、聞いた。
地図で場所は、確かめない。 人の行く方に、行く。
入り口近くに、休憩所。
ここで、お札とかを買う。
外宮。 ここでお参り。
今年は20年に1回の、建物を新しくする年。 遷宮(せんぐう)の年。
※ 遷は、遷(うつ)すこと。
新しい建物は、隣に建てる。 神様を隣の建物(宮)に遷すので、遷宮。 こんな感じ。
そんなことで、建物が傷んでいる。
小さな神社も、いくつか。
内宮へは、バスが出ている。 でも、昔の道を歩くことに。
観光案内書で、道を教えてもらった。
ここは、小田橋。 ここを過ぎたら、古市(ふるいち)という町並み。
昔は、古市が、伊勢での歓楽街だった。 遊郭や旅籠や、そして、浄瑠璃小屋など。
遊女が1000人いたというから、大きい。
下にも書いてあるが、3代将軍の家光の乳母の、春日局(かすがのつぼね)が、橋の擬宝珠を寄進した。
それで、この新しい橋にも、擬宝珠を付けた。
地図があった。 赤○の道を行く。 帰りは、黄色の○。
下の説明に、油屋騒動について書いてある。 一番下。 初めて知る。
この話を元に、歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃』(いせおんど こいの ねたば、通称『伊勢音頭』)が作られた、とある。
お杉・お玉は、今のストリートミュージシャン。
※ 伊勢音頭の一部。
明治の終わりころ、全盛期、とある。 右のような碑が、時々ある。
※ 千姫の菩提寺があったと、後で知る。 寂照寺。
千姫は、江(ごう)娘。 秀頼に嫁ぐが、大阪城落城の時、家康の命で助け出される。
知恩院に墓がある。(他にもあるが)
古市の町並みだが、古い家は少し残っているだけ。
古市にあった、大きな旅館。 (参道街道資料館)
芭蕉も遷宮の年に、来ていた。
街道から200㍍ほど入った所に、桜木地蔵。 小さいけど、昔から人気のある所だと。
大岡越前守も来ている。 通る人は、みんな手を合わせて行った。
内宮に着いた。 少し手前に、にぎやかな町並み。
おはらい町通りは、昔の参道。 さっき歩いた道は、ここにつながる。
おかげ横丁を歩いたが、直ぐに迷った。
どこもここも、この人。 左に、輪投げ。
おかげ横丁の経営の親会社は、伊勢名物赤福餅の赤福という会社。
※ 2007年に、偽装事件で、日本中を騒がした。 詳しくはここに。
今は、元のように生産している。 楽しそうな猫。
あるお店に、俳人山口誓子の資料館。 少し見学。
水森かおりが、最近、伊勢を歌っている。
右の花は、松阪で見た、マツサカナデシコと同じ。 ここで見られるとは。
さあ、内宮に行きます。
宇治橋を渡ったら、神社の境内。
暑い一日だけど、少しいい。
ここで今日、神楽が舞われる。
待つ時間があったので、見ないで戻った。 見るだけの価値ありと、後で知る。 ※ こんな衣装で舞う。
川に賽銭を投げていた。
木からパワーをもらっている。 ここは、パワースポットなのか。 最近信じる人が多い。
ここが、内宮。 京都の平安神宮とかと比べたら、質素。 でも、神社としては、ここが日本のトップ。
隣で、新しい建物を建てていた。
これ以上の撮影は、できない。
私はあることをお願いした。 今日は、ないしょ。 1ヶ月後くらいに、云えるかも。
室内にの舞台があって、そこで何かをやっていた。 舞わないで、話すことと音だけ。
普通の建物は、立派。
こうやって並んでいる所も。 私は、小銭が無くなったので、お参りはお終い。
おはらい通りを歩こうとしたが、前へ進むのが大変。 別の道を戻った。
運動不足になるから、帰りも歩いた。
猿田彦神社。
三瀬谷(みせだに)駅に近づいたので、動画を撮った。
伊勢には、もう一度来てもいい。 平日に。
おかげ横丁をみんな見てみたい。 どんなアイディアがあるか、確かめたい。
※ 岐阜県高山市や、長野県小布施町などを、参考にして作ったとある。(Wikipedia)
飛騨高山~ラーメン・街並み・陣屋 他 (2009年4月8日)
北斎ゆかりの町 信州小布施 ~小布施町(おぶせまち)~ 他 (2010/10/27)
【今日の歌】 伊勢めぐり
彼女の歌では、これが好き。
五能線 ~車窓からの風景~ 他 (2009/09/15)
【道の駅】 奥伊勢おおだい
【明日の予定】 一身田というところ。 町並みを見に。 津市の少し北。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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人の多さは、昔も今もって、感じで。
芭蕉が来た時も「皆おしあひぬ」だった。
昔の参道は、おはらい町通り。
そして、20年前に、おかげ横丁ができた。
伊勢に参拝に来た人たちは、参拝をぱっぱと終わらせ、おかげ横丁で長い時間楽しんでいるように見えた。
古い町並み、お祭りの出店の雰囲気もある。
京都の太秦(うずまさ)の映画村に似ているが、もっと混み入ってて、遊びの要素が強い。
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伊勢観光の人気の秘密は、おかげ横丁にあるって、感じた。
外宮(げくう)から内宮(ないくう)まで、古市参宮(さんぐう)街道を歩いてみた。 5㌔ほど。
この道は、昔の参拝者が歩いた道。
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伊勢・志摩は、名古屋方面から近いので、大きな観光地のよう。
久しぶりに、鉄道の旅。 気楽。 伊勢駅。

外宮(げくう)に行ってから内宮(ないぐう)が、正しいお参りの順。
でも、外宮に来ない人も多いと、聞いた。
地図で場所は、確かめない。 人の行く方に、行く。

入り口近くに、休憩所。

ここで、お札とかを買う。

外宮。 ここでお参り。
今年は20年に1回の、建物を新しくする年。 遷宮(せんぐう)の年。
※ 遷は、遷(うつ)すこと。
新しい建物は、隣に建てる。 神様を隣の建物(宮)に遷すので、遷宮。 こんな感じ。
そんなことで、建物が傷んでいる。

小さな神社も、いくつか。

内宮へは、バスが出ている。 でも、昔の道を歩くことに。
観光案内書で、道を教えてもらった。
ここは、小田橋。 ここを過ぎたら、古市(ふるいち)という町並み。
昔は、古市が、伊勢での歓楽街だった。 遊郭や旅籠や、そして、浄瑠璃小屋など。
遊女が1000人いたというから、大きい。

下にも書いてあるが、3代将軍の家光の乳母の、春日局(かすがのつぼね)が、橋の擬宝珠を寄進した。
それで、この新しい橋にも、擬宝珠を付けた。

地図があった。 赤○の道を行く。 帰りは、黄色の○。

下の説明に、油屋騒動について書いてある。 一番下。 初めて知る。
この話を元に、歌舞伎『伊勢音頭恋寝刃』(いせおんど こいの ねたば、通称『伊勢音頭』)が作られた、とある。
お杉・お玉は、今のストリートミュージシャン。


※ 伊勢音頭の一部。
明治の終わりころ、全盛期、とある。 右のような碑が、時々ある。
※ 千姫の菩提寺があったと、後で知る。 寂照寺。
千姫は、江(ごう)娘。 秀頼に嫁ぐが、大阪城落城の時、家康の命で助け出される。
知恩院に墓がある。(他にもあるが)


古市の町並みだが、古い家は少し残っているだけ。

古市にあった、大きな旅館。 (参道街道資料館)

芭蕉も遷宮の年に、来ていた。

街道から200㍍ほど入った所に、桜木地蔵。 小さいけど、昔から人気のある所だと。
大岡越前守も来ている。 通る人は、みんな手を合わせて行った。


内宮に着いた。 少し手前に、にぎやかな町並み。
おはらい町通りは、昔の参道。 さっき歩いた道は、ここにつながる。
おかげ横丁を歩いたが、直ぐに迷った。

どこもここも、この人。 左に、輪投げ。

おかげ横丁の経営の親会社は、伊勢名物赤福餅の赤福という会社。
※ 2007年に、偽装事件で、日本中を騒がした。 詳しくはここに。
今は、元のように生産している。 楽しそうな猫。


あるお店に、俳人山口誓子の資料館。 少し見学。


水森かおりが、最近、伊勢を歌っている。
右の花は、松阪で見た、マツサカナデシコと同じ。 ここで見られるとは。


さあ、内宮に行きます。

宇治橋を渡ったら、神社の境内。

暑い一日だけど、少しいい。

ここで今日、神楽が舞われる。
待つ時間があったので、見ないで戻った。 見るだけの価値ありと、後で知る。 ※ こんな衣装で舞う。

川に賽銭を投げていた。

木からパワーをもらっている。 ここは、パワースポットなのか。 最近信じる人が多い。

ここが、内宮。 京都の平安神宮とかと比べたら、質素。 でも、神社としては、ここが日本のトップ。
隣で、新しい建物を建てていた。

これ以上の撮影は、できない。
私はあることをお願いした。 今日は、ないしょ。 1ヶ月後くらいに、云えるかも。

室内にの舞台があって、そこで何かをやっていた。 舞わないで、話すことと音だけ。
普通の建物は、立派。

こうやって並んでいる所も。 私は、小銭が無くなったので、お参りはお終い。

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運動不足になるから、帰りも歩いた。

猿田彦神社。

三瀬谷(みせだに)駅に近づいたので、動画を撮った。
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大台町(おおだいちょう)に入ってきた。 すぐ隣に、大紀町(たいきちょう)。
情報誌やネットの情報より詳しい、地図が欲しい。
でも、どっちの町の道の駅にも、置いてなかった。
2つの町を、1ヶ所ずつ見ることにした。
そして、明日は伊勢に。 列車で行く。
次の日は、三重県を北上。
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今いる、大台町の最奥に、百名山の大台ケ原山がある。 登るのは、奈良県側からが、便利。
雨の大台ケ原山 ~頂上には行ったが、全体は歩けなかった~ 他 (2010/6/13)
道の駅周辺の地図。 駅にあった。
北畠具教(とものり。 ぐきょうでも、いいよう)の館跡に行く。 2㌔くらいでしょうか。
線路を渡る。 紀勢本線(きせいほんせん)。
40年前の、大学1年の時、列車で通った。 友達3人で、旭川から紀伊半島の旅。 左回り。
なつかしい。
駅は、三瀬谷駅(みせだにえき)。 特急もみんな停まる。
暑い。 茶畑のあるところは、環境がいい。 風景もいい。 そんな印象。
茶の木は、盆栽に見えることも。
道を上がってきた。 遠くに、高速の紀勢自動車道。
ここは小さな町だけど、鉄道も高速もあるので、山の中ではないかな。
標識に従って、あっちに曲がって、こっちに曲がって、やっと着いた。
ここから、山の斜面、という場所。
隠居していて、信長の刺客に襲われた。
建物の正確な場所は、分からない。
軍でなく刺客に殺されてるから、石垣の高い要塞ではなかった。
北畠具教は、信長の力を、正確につかめなかったのでは、ないだろうか。
胴塚の碑とあるが、他からここに。
北畠神社に向かう。 黄色い花は、何の花だろう。 チューリップ? ポピーとも、違う。
北畠神社。 元々はここではなく、高校の敷地にあったそう。 大きな神社だった。
いつの時代も、歴史が大事にされていた訳ではない、と分かる。
今は、あるだけという、規模。
三瀬谷駅(みせだにえき)に寄った。
伊勢に行きたいが、連休で、きっと混んでいる。 列車が疲れない。
時刻と料金を調べた。 8時40分に遅れたら、10時35分。 片道、740円。
たき駅で、参宮線に乗り換える。
数㌔走ったら、大紀町(たいきちょう)にある道の駅、奥伊勢木ツツ木館。
ここの駐車場が、瀧原宮(たきはらのみや)の駐車場でもあった。
ここから、600㍍。
うっそうとした森を通る。 写真ほどではないが。
伊勢神宮の仕組みは、面倒。
正宮(しょうぐう)と別宮(べつぐう)がある。
正宮は、内宮(ないぐう)と外宮(がいぐう)。
大きな観光地は、伊勢にある、内宮。 ここに行く人が多い。
外宮は、まあまあ。
別宮は、14。 正宮の次に尊いとされる。
瀧原宮は、この中の1つ。
神社の説明は、神話に基づいているので、歴史的に正確なことは、分からない。
向こうから来たけど、杉の木が大きい。
ここです。 いくつかの神社がある。
これが中心の、瀧原宮。
伊勢神宮の伊勢にある正宮は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀っている。
その前、瀧原宮に祀られていたことがあった。
14の別宮の中では、ここだけ。
他の小さな神社も。
戻って近くの温泉に寄った。 阿曽温泉。
目絵図らしい植物があったので、紹介。
左は、アツモリソウ。 北海道の礼文島には、レブンアツモリソウが咲く。
最北の離島礼文島を、スコトン岬まで自転車で。 花の浮島、礼文島 ~礼文町~ 他 (2012/9/3)
右は、クマガイソウ。 熊谷草。 クマが、いそう、ではない。
※ 2つとも、平家物語に関係がある。 説明はここに。
ヒメウラシマソウ。 正面から見ると、ミミズクの顔だそう。
三重県の南には、別の機会にまた来たいと、思います。
今回は、2つの町は、これだけ。
詳しい情報をつかんで、再度です。
【道の駅】 奥伊勢おおだい
【明日の予定】 伊勢神宮へ。 8時40分の列車で。
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北畠具教(とものり。 ぐきょうでも、いいよう)の館跡に行く。 2㌔くらいでしょうか。
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なつかしい。
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暑い。 茶畑のあるところは、環境がいい。 風景もいい。 そんな印象。
茶の木は、盆栽に見えることも。

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ここは小さな町だけど、鉄道も高速もあるので、山の中ではないかな。

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ここから、山の斜面、という場所。
隠居していて、信長の刺客に襲われた。

建物の正確な場所は、分からない。
軍でなく刺客に殺されてるから、石垣の高い要塞ではなかった。

北畠具教は、信長の力を、正確につかめなかったのでは、ないだろうか。

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北畠神社に向かう。 黄色い花は、何の花だろう。 チューリップ? ポピーとも、違う。

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いつの時代も、歴史が大事にされていた訳ではない、と分かる。
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正宮(しょうぐう)と別宮(べつぐう)がある。
正宮は、内宮(ないぐう)と外宮(がいぐう)。
大きな観光地は、伊勢にある、内宮。 ここに行く人が多い。
外宮は、まあまあ。
別宮は、14。 正宮の次に尊いとされる。
瀧原宮は、この中の1つ。
神社の説明は、神話に基づいているので、歴史的に正確なことは、分からない。

向こうから来たけど、杉の木が大きい。

ここです。 いくつかの神社がある。

これが中心の、瀧原宮。

伊勢神宮の伊勢にある正宮は、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀っている。
その前、瀧原宮に祀られていたことがあった。
14の別宮の中では、ここだけ。

他の小さな神社も。

戻って近くの温泉に寄った。 阿曽温泉。
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左は、アツモリソウ。 北海道の礼文島には、レブンアツモリソウが咲く。
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右は、クマガイソウ。 熊谷草。 クマが、いそう、ではない。
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ヒメウラシマソウ。 正面から見ると、ミミズクの顔だそう。

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ここは松阪市の、一番の山奥。
昔は、波瀬(はぜ)村。 街道が栄えた時代は、小さな宿場町。
峠を越えたら、奈良県の東吉野村。 少し前に行った、天誅組最後の地。
山の草花を集めた、植物園があった。
ミズバショウ、スズラン、ツツジ、シャクナゲと、春の花が咲いていた。
山の上のお寺に、八角の梵鐘。 こんな梵鐘、初めて見た。
鐘も良かったが、寺のたたずまいも、なかなかだった
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県境が近くにある。 今回の旅で初めて、松阪市全体が、少し分かったような気がします。
合併すると、小さな村の観光情報は、どこかに行ってしまう。
市のHPでも、Wikipediaでも、そう。
小さな村で存在しているときは、それなりに載る。 御杖村や東吉野村のように。
合併しない方が、大事にされる部分がある。
波瀬(はぜ)地域では、自分たちで、地図を作っていた。
波瀬植物園。 300円。 魅力の大きさは分からないが、入ってみる。
地域の有力者が作った。 この地域の観光のために。
石も全部運んだ。 ※ 中央構造体が走っているので、珍しい石があるよう。
谷の上に、ずっと広がっている。
さっそくスズラン。 私の育った、美瑛にもあった。 毎年、スズラン狩り。
運動会の応援歌の歌詞は、「スズラン香る初夏の候、みな元気よく勢ぞろい」で始まった。
今でも、歌える。
いい香りの花。
ミツマタ。 枝が3つに分かれる。 和紙の材料。
細かな毛があると、暖かいのかな。
左の名前は、? 右は、ショウジョウバカマのよう。
※ ショウジョウは、猩々で、能に出てくるこんなの。 元々は、こんな伝説上の生き物だそう。
葉を袴(はかま)に見立てている。
湿原に、ミズバショウ。
子供のころは、ただの草にしか見えなかった。 気持ち悪い植物の印象。
真ん中の棒に、小さな花がいっぱい。 白い部分は、葉が変形したもの。
※ ザゼンソウという、似たのがあって、あれも不気味。
リュウキンカ(立金花)です。 食べられると思います。
※ エゾノリュウキンカを、春には食べていました。 お浸しにして。
ツツジは、どんなに小さな木でも、花を咲かせる。
あまりにも小さくて、木の部分はどこ?、と思ったことも。
シャクナゲの咲く山道を通って、戻った。
波瀬の町並みを歩き出した。 家の前に人がいた。
町並みが残っていますねと言ったら、家が古いだけ、と言った。
その方のお家は、130年。
街道は、写真に写っていなく、写真の右にあって、遠くの家並みに入っている。
下に、大きな家。 右向こうの森に、神社。 下の道を歩く。
大きな家の前に、チューリップ。
波瀬神社。
波瀬には、ヤマユリが咲く。 地元では、ハゼユリと呼ぶ。
私は、咲き終わったのを見たことあるが、花は見たことない。
ユリの王様。 大輪の花。 この大きさ。手が見える。
波瀬本陣跡。 参勤交代で殿様が通ると、地元の負担は大きい。 面倒見なければならない。
ここは、三重県に入って、最初の宿場。 峠を無事に越えて、ほっとする。
これから越える者は、気持ちを引き締める。 山には、オオカミだってクマだって、昔はいた。
車で、泰運寺に向かった。 下の駐車場に車を置いた。 200㍍以上の石段。
両側は、棚田のようになっている。 昔は、建物があったのかな。
走って登った。
穏やかな表情で、迎えてくれた。
着きました。 鐘楼(しょうろう)です。 右上に、本堂。
こうです。
重さ、約5㌧。 200年以上前に作られている。 7万ほどの、文字。
八角梵鐘(ぼんしょう)。 全国に、ここだけのよう。
このように、びっしり。
法華経が書かれている。 この寺は曹洞宗なのに、法華経。 違和感を感じるけど、大丈夫のよう。
中にも、びっしり。 確かに、八角形。
※ 鐘は鳴らしていいのか分からないので、鳴らさなかった。 いい音だという。
YouTubeにあるので紹介。 後半は、自分の持ってきた鈴とかを鳴らしている。
本堂です。
変わった門を、上がってきた。
上からは、このように。 この寺は、紅葉の時期に来たら、感動するでしょうね。
寺なのに、神代と言っている。
ここの沢は、口窄(くちすぼ)の沢。 入り口が狭い、口を窄(すぼ)めたような沢。
それで、くちすぼの寺。 地元の人は、この寺を、くちすぼさんと呼ぶそう。 下のバス停は、口窄口。
松阪市の見学は、終了。 またいつか。
隣の、大台町に行きたいが、安全な道が分からない。
国道422が大丈夫と、植物園で教えてもらった。
大丈夫というのは、普通に走れるということ。
走ってみたら、たまにだけ、2車線。 後は、1.5車線。 確かに、走れた。
湯谷峠を越えたら、宮川という川の流域に、大台町はあった。
【今日の歌】 坂崎幸之助が面白いので。 今日は、吉田拓郎について。
【道の駅】 奥伊勢おおだい
【明日の予定】 大台町と、隣の大紀町を。 今いるところは、伊勢の山奥。
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昔は、波瀬(はぜ)村。 街道が栄えた時代は、小さな宿場町。
峠を越えたら、奈良県の東吉野村。 少し前に行った、天誅組最後の地。
山の草花を集めた、植物園があった。
ミズバショウ、スズラン、ツツジ、シャクナゲと、春の花が咲いていた。
山の上のお寺に、八角の梵鐘。 こんな梵鐘、初めて見た。
鐘も良かったが、寺のたたずまいも、なかなかだった
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県境が近くにある。 今回の旅で初めて、松阪市全体が、少し分かったような気がします。
合併すると、小さな村の観光情報は、どこかに行ってしまう。
市のHPでも、Wikipediaでも、そう。
小さな村で存在しているときは、それなりに載る。 御杖村や東吉野村のように。
合併しない方が、大事にされる部分がある。
波瀬(はぜ)地域では、自分たちで、地図を作っていた。

波瀬植物園。 300円。 魅力の大きさは分からないが、入ってみる。

地域の有力者が作った。 この地域の観光のために。
石も全部運んだ。 ※ 中央構造体が走っているので、珍しい石があるよう。
谷の上に、ずっと広がっている。

さっそくスズラン。 私の育った、美瑛にもあった。 毎年、スズラン狩り。
運動会の応援歌の歌詞は、「スズラン香る初夏の候、みな元気よく勢ぞろい」で始まった。
今でも、歌える。

いい香りの花。

ミツマタ。 枝が3つに分かれる。 和紙の材料。

細かな毛があると、暖かいのかな。

左の名前は、? 右は、ショウジョウバカマのよう。
※ ショウジョウは、猩々で、能に出てくるこんなの。 元々は、こんな伝説上の生き物だそう。
葉を袴(はかま)に見立てている。


湿原に、ミズバショウ。

子供のころは、ただの草にしか見えなかった。 気持ち悪い植物の印象。

真ん中の棒に、小さな花がいっぱい。 白い部分は、葉が変形したもの。
※ ザゼンソウという、似たのがあって、あれも不気味。

リュウキンカ(立金花)です。 食べられると思います。
※ エゾノリュウキンカを、春には食べていました。 お浸しにして。

ツツジは、どんなに小さな木でも、花を咲かせる。
あまりにも小さくて、木の部分はどこ?、と思ったことも。

シャクナゲの咲く山道を通って、戻った。

波瀬の町並みを歩き出した。 家の前に人がいた。
町並みが残っていますねと言ったら、家が古いだけ、と言った。
その方のお家は、130年。

街道は、写真に写っていなく、写真の右にあって、遠くの家並みに入っている。
下に、大きな家。 右向こうの森に、神社。 下の道を歩く。

大きな家の前に、チューリップ。

波瀬神社。

波瀬には、ヤマユリが咲く。 地元では、ハゼユリと呼ぶ。
私は、咲き終わったのを見たことあるが、花は見たことない。
ユリの王様。 大輪の花。 この大きさ。手が見える。

波瀬本陣跡。 参勤交代で殿様が通ると、地元の負担は大きい。 面倒見なければならない。

ここは、三重県に入って、最初の宿場。 峠を無事に越えて、ほっとする。
これから越える者は、気持ちを引き締める。 山には、オオカミだってクマだって、昔はいた。

車で、泰運寺に向かった。 下の駐車場に車を置いた。 200㍍以上の石段。
両側は、棚田のようになっている。 昔は、建物があったのかな。
走って登った。

穏やかな表情で、迎えてくれた。

着きました。 鐘楼(しょうろう)です。 右上に、本堂。

こうです。

重さ、約5㌧。 200年以上前に作られている。 7万ほどの、文字。

八角梵鐘(ぼんしょう)。 全国に、ここだけのよう。

このように、びっしり。

法華経が書かれている。 この寺は曹洞宗なのに、法華経。 違和感を感じるけど、大丈夫のよう。

中にも、びっしり。 確かに、八角形。

※ 鐘は鳴らしていいのか分からないので、鳴らさなかった。 いい音だという。
YouTubeにあるので紹介。 後半は、自分の持ってきた鈴とかを鳴らしている。
本堂です。

変わった門を、上がってきた。

上からは、このように。 この寺は、紅葉の時期に来たら、感動するでしょうね。

寺なのに、神代と言っている。
ここの沢は、口窄(くちすぼ)の沢。 入り口が狭い、口を窄(すぼ)めたような沢。
それで、くちすぼの寺。 地元の人は、この寺を、くちすぼさんと呼ぶそう。 下のバス停は、口窄口。

松阪市の見学は、終了。 またいつか。
隣の、大台町に行きたいが、安全な道が分からない。
国道422が大丈夫と、植物園で教えてもらった。
大丈夫というのは、普通に走れるということ。
走ってみたら、たまにだけ、2車線。 後は、1.5車線。 確かに、走れた。
湯谷峠を越えたら、宮川という川の流域に、大台町はあった。
【今日の歌】 坂崎幸之助が面白いので。 今日は、吉田拓郎について。
【道の駅】 奥伊勢おおだい
【明日の予定】 大台町と、隣の大紀町を。 今いるところは、伊勢の山奥。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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和歌山街道というのがある。 和歌山と松阪を結んでいる。
その道の、珍布(めずらし)峠という、古い峠道を歩いてみた。
映画監督の小津安二郎は、若い時1年だけ、この地で代用教員をしていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
特に、観光地はないので、山道を歩くことに。
下の地図の、上の方の街道は、伊勢本街道。 ※ 道は、三重県から出たら、消えてる。 県のHPからお借り。
御杖村で歩いたところは、青の○。 下の方の道が、和歌山街道。
昨日いた茶倉駅は、水色の○。 今日歩く飯高は、赤○。
道の駅飯高。
左の道を行って、直ぐに、右に曲がって、街道に入り、峠に向かう。
見える家並みは、宮前地区。 ※ 神社があるので、この地名か。
映画監督の小津安二郎は、宮前尋常高等小学校に代用教員として、来ている。
※ 三重師範学校の受験に失敗して、ここに。 1年間勤める。
頭が悪かったというのではなく、勤勉ではなく、映画ばかり見ていたよう。
彼は、松阪で暮らしていた。
地図の右の方に、来ている。
向こうに行く。 街道の感じが、残っている。
後ろの方に行ったら、小津安二郎の資料室があるので、行ってみる。
老人福祉センターだったか、そんな建物の中にあるんだが、今日は資料室は開けてないという。
仕方ないから、碑だけ撮影。
小津安二郎は、原節子を主役に多く使った。
原節子は、どんな映画でも、どこにいるかすぐ分かる。
他の女優さんに混ざっても、立ち姿が美しいので、後姿だけで分かる。
そんな女優さん。 ※ こんな写真があります。 右端に、小津監督。 東京物語のロケ。 (Wikipedia)
※ 最後に、もう一つ映画を紹介。 そこで、もう少し。
峠に向かって、出発。 向こうから、こっちに伊勢に向かう。 左に行く道は、枝道。
霊符山大陽寺(れいふさんたいようじ)と云って、大台町にある寺に寄って、伊勢に行く道。
軒先にシイタケ。 美味しそうに見える。 ※ 毎日みそ汁に入れてたら、飽きちゃったけど。
しばらく家並みが続く。
暑くもない、寒くもない、丁度いい。
峠道に入った。 道行谷(みちゆきだに)。
どうして、道行谷か。 義経が静御前が通ったとある。
吉野を逃れてとあるけど、義経は、吉野から北に向かって、北陸を通って、平泉に行く。
静御前は、捕まって、鎌倉に。 2人そろってここを通るのは、むずかしいですね。
※ 吉野へ行く時も、北からかな。 壇ノ浦から鎌倉に行けなかったから、吉野に。
さらに行くと、ここに、1人のお爺さんが住んでいたという。
石灰(いしばい)を作っていたとある。 石灰(せっかい)のことですね。
おアシが多いのに惚れた、とある。 アシは、お金のことかな。 アシが出たとか、使うので。
どうやって歌っていたか、聞いてみたいもんです。
珍布(めずらし)峠の頂上に着いた。 切り通しです。
苦労して作ったんですね。 それだけ通る人が多かった、ということでしょうか。
紀州の殿様が作ったのか。
昼なお暗いので、妖怪の話とかがあれば、面白い。
旅人が「昔ここで、妖怪が出たんだってさ」って言えば、「今も出るんだよ~」って、出て来る。
木のような石。
※ そう云えば、この和歌山街道は、中央構造線に沿って、あるんですね。
中央構造線は、四国の吉野川沿いを、九州の方までずっと。 佐田岬半島で海に沈む。
出てきたところに、峠の案内。
小さなお地蔵さまも。 でも、どうして、珍布(めずらし)峠と読むんでしょう。
布(ぬの)は、布(し)く、と読めますね。 また、「めずらし」は「珍し」と書く。
しの部分を、布にすると、珍布(めずらし)となる。
これで、いいでしょうか。
礫石(つぶていし)の伝説があるんですね。 この後、詳しい説明に出会う。
街道はまだ続くけど、下の道を行くことに。 川沿いの道に出る。 その道も、古そう。
白く見える花は、シャガ。 今日は、たくさん見た。
少し不気味でけばけばしい。 でも、美しい。 女優でいえば、誰でしょう。
下りてきました。 櫛田(くしだ)川。
川の中に、礫石(つぶていし)。
※ 礫は、石のことのよう。 無しの礫、って使う。 投げた石は、それでお終い。何も言って来ない。
こんな伝説。
倭姫命(やまとひめのみこと)は、伊勢本街道も、和歌山街道も、どっちも通っているのか。
伊勢本街道でも彼女は登場した。
川沿いの道を、しばらく歩いて、常夜灯に。 お地蔵さまも。
集落を通って、小さな峠を越える。 茶畑の風景は、美しい。
山を下りて、橋を渡る。 櫛田川は、変化に富んでいる。
国道を横切って、北畠具教(きたばたけ とものり)の首塚を見る予定だった。
急に雨が降って、風が付いた。 道の駅に、戻った。
北畠具教は、この地を治めていたけど、信長にやられた。 信頼できる首塚。 ※ ネットの写真では、こうです。
珍布(めずらし)峠では、いろいろ出合えた。
また、道沿いの家並みも美しかった。
街道を歩く旅では、十分な楽しさですね。
【映画】 下の映画の中で、原節子はこう言う。
「私、40にもなって、まだ1人でぶらぶらしているような人って、あまり信用できないの」
この言葉は、実際に原節子が、話した言葉のよう。
小津監督が聞いて、台本に組み入れた。
この時、小津監督は、48才。 自分だけは、その中に入らないと、思ったよう。
小津安二郎は、1963年に60才で亡くなる。
彼女は、棺の前で、あたりをはばからず号泣していた、と云われる。
原節子43才。 その後、完璧に映画界から身を引く。 小津の死に、殉じるように。
今は、ひっそりと、鎌倉に住んでいるよう。 92才。
何が分かるかって、彼女は小津を、きっと好きでしたね。
彼女の力をもっとも認めた監督も、小津だった。
でも、本心を言うことはできなかった。 言えなかった。 理由は分からないが。
小津も生涯独身。 彼も言わなかった。
原節子の本心を聞けることは、ありえないでしょうね。
小津を弔う日々を、送っているのかも知れない。
大きな後悔の念を、消せずに。
女優の司葉子は、原の一番の魅力を、「清潔感」と指摘している。
そしてそれは、「演技では出せない生地の魅力」、と述べている。(Wikipedis)
日本の映画史上で、原節子が一番美しい。
次は、吉永小百合、夏目雅子、かな。
【その他】 史上最悪の放射能汚染をもたらした、旧ソ連チェルノブイリ原発事故から今日、27年たちました。
以前紹介した動画です。 この方は今、信州松本市の市長さんです。
プロジェクトX 挑戦者たち チェルノブイリの傷 奇跡のメス
【道の駅】 飯高駅
【明日の予定】 少し山奥に向かって、どこかを見る。 その後、伊勢に向かう。
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映画監督の小津安二郎は、若い時1年だけ、この地で代用教員をしていた。
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特に、観光地はないので、山道を歩くことに。
下の地図の、上の方の街道は、伊勢本街道。 ※ 道は、三重県から出たら、消えてる。 県のHPからお借り。
御杖村で歩いたところは、青の○。 下の方の道が、和歌山街道。
昨日いた茶倉駅は、水色の○。 今日歩く飯高は、赤○。

道の駅飯高。

左の道を行って、直ぐに、右に曲がって、街道に入り、峠に向かう。
見える家並みは、宮前地区。 ※ 神社があるので、この地名か。
映画監督の小津安二郎は、宮前尋常高等小学校に代用教員として、来ている。
※ 三重師範学校の受験に失敗して、ここに。 1年間勤める。
頭が悪かったというのではなく、勤勉ではなく、映画ばかり見ていたよう。
彼は、松阪で暮らしていた。

地図の右の方に、来ている。

向こうに行く。 街道の感じが、残っている。
後ろの方に行ったら、小津安二郎の資料室があるので、行ってみる。

老人福祉センターだったか、そんな建物の中にあるんだが、今日は資料室は開けてないという。
仕方ないから、碑だけ撮影。
小津安二郎は、原節子を主役に多く使った。
原節子は、どんな映画でも、どこにいるかすぐ分かる。
他の女優さんに混ざっても、立ち姿が美しいので、後姿だけで分かる。
そんな女優さん。 ※ こんな写真があります。 右端に、小津監督。 東京物語のロケ。 (Wikipedia)
※ 最後に、もう一つ映画を紹介。 そこで、もう少し。

峠に向かって、出発。 向こうから、こっちに伊勢に向かう。 左に行く道は、枝道。
霊符山大陽寺(れいふさんたいようじ)と云って、大台町にある寺に寄って、伊勢に行く道。

軒先にシイタケ。 美味しそうに見える。 ※ 毎日みそ汁に入れてたら、飽きちゃったけど。

しばらく家並みが続く。

暑くもない、寒くもない、丁度いい。

峠道に入った。 道行谷(みちゆきだに)。

どうして、道行谷か。 義経が静御前が通ったとある。
吉野を逃れてとあるけど、義経は、吉野から北に向かって、北陸を通って、平泉に行く。
静御前は、捕まって、鎌倉に。 2人そろってここを通るのは、むずかしいですね。
※ 吉野へ行く時も、北からかな。 壇ノ浦から鎌倉に行けなかったから、吉野に。

さらに行くと、ここに、1人のお爺さんが住んでいたという。

石灰(いしばい)を作っていたとある。 石灰(せっかい)のことですね。
おアシが多いのに惚れた、とある。 アシは、お金のことかな。 アシが出たとか、使うので。
どうやって歌っていたか、聞いてみたいもんです。

珍布(めずらし)峠の頂上に着いた。 切り通しです。
苦労して作ったんですね。 それだけ通る人が多かった、ということでしょうか。
紀州の殿様が作ったのか。
昼なお暗いので、妖怪の話とかがあれば、面白い。
旅人が「昔ここで、妖怪が出たんだってさ」って言えば、「今も出るんだよ~」って、出て来る。

木のような石。
※ そう云えば、この和歌山街道は、中央構造線に沿って、あるんですね。
中央構造線は、四国の吉野川沿いを、九州の方までずっと。 佐田岬半島で海に沈む。


出てきたところに、峠の案内。

小さなお地蔵さまも。 でも、どうして、珍布(めずらし)峠と読むんでしょう。
布(ぬの)は、布(し)く、と読めますね。 また、「めずらし」は「珍し」と書く。
しの部分を、布にすると、珍布(めずらし)となる。
これで、いいでしょうか。

礫石(つぶていし)の伝説があるんですね。 この後、詳しい説明に出会う。

街道はまだ続くけど、下の道を行くことに。 川沿いの道に出る。 その道も、古そう。
白く見える花は、シャガ。 今日は、たくさん見た。

少し不気味でけばけばしい。 でも、美しい。 女優でいえば、誰でしょう。


下りてきました。 櫛田(くしだ)川。

川の中に、礫石(つぶていし)。
※ 礫は、石のことのよう。 無しの礫、って使う。 投げた石は、それでお終い。何も言って来ない。

こんな伝説。
倭姫命(やまとひめのみこと)は、伊勢本街道も、和歌山街道も、どっちも通っているのか。
伊勢本街道でも彼女は登場した。

川沿いの道を、しばらく歩いて、常夜灯に。 お地蔵さまも。

集落を通って、小さな峠を越える。 茶畑の風景は、美しい。

山を下りて、橋を渡る。 櫛田川は、変化に富んでいる。

国道を横切って、北畠具教(きたばたけ とものり)の首塚を見る予定だった。
急に雨が降って、風が付いた。 道の駅に、戻った。
北畠具教は、この地を治めていたけど、信長にやられた。 信頼できる首塚。 ※ ネットの写真では、こうです。

珍布(めずらし)峠では、いろいろ出合えた。
また、道沿いの家並みも美しかった。
街道を歩く旅では、十分な楽しさですね。
【映画】 下の映画の中で、原節子はこう言う。
「私、40にもなって、まだ1人でぶらぶらしているような人って、あまり信用できないの」
この言葉は、実際に原節子が、話した言葉のよう。
小津監督が聞いて、台本に組み入れた。
この時、小津監督は、48才。 自分だけは、その中に入らないと、思ったよう。
小津安二郎は、1963年に60才で亡くなる。
彼女は、棺の前で、あたりをはばからず号泣していた、と云われる。
原節子43才。 その後、完璧に映画界から身を引く。 小津の死に、殉じるように。
今は、ひっそりと、鎌倉に住んでいるよう。 92才。
何が分かるかって、彼女は小津を、きっと好きでしたね。
彼女の力をもっとも認めた監督も、小津だった。
でも、本心を言うことはできなかった。 言えなかった。 理由は分からないが。
小津も生涯独身。 彼も言わなかった。
原節子の本心を聞けることは、ありえないでしょうね。
小津を弔う日々を、送っているのかも知れない。
大きな後悔の念を、消せずに。
女優の司葉子は、原の一番の魅力を、「清潔感」と指摘している。
そしてそれは、「演技では出せない生地の魅力」、と述べている。(Wikipedis)
日本の映画史上で、原節子が一番美しい。
次は、吉永小百合、夏目雅子、かな。
【その他】 史上最悪の放射能汚染をもたらした、旧ソ連チェルノブイリ原発事故から今日、27年たちました。
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茶倉駅周辺は、茶畑が広がっており、風景がいい。
遊歩道や吊り橋があるので、散策。
また近くのお寺に、ムカデランの群落地があるいという。
花の時期ではないけど、行ってみた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
茶倉駅は、松阪市から、山に入る。
※ 和歌山から松阪までは、和歌山街道。
茶倉駅のあるここで、伊勢への分岐する道がある。 和歌山別街道。
※ ここは今は三重県だけど、昔は、紀州藩(和歌山藩)。
茶倉の道の駅は、小高い丘の上にあって、おとぎの国。 さらに上から撮った。 いい感じ。
※ ここは2度目で、3年前にも来た。 百名山の大台ケ原山に登った、次の日に。
上の写真の右手に、下の風景が広がる。 一面茶畑。 ずっと行ったら、松阪。
※ 三重県は、静岡県、鹿児島県に次ぐ、3番目の生産地。 牛も有名だけど、茶も。
山奥方面。 奥に見える左の山の向こうを、分岐した伊勢別街道が、左に行っている。
私も行くことになるのか。 数日後に。
下に吊り橋。 茶倉橋。 川の向こうが、キャンプ場のようになっているので、散策路が出来ている。
川は、櫛田川。 松阪市全体は、この川沿いにある。
右に、堰(せき)が見える。 水位を高くして、田んぼに水を取る。
この近くには、江戸時代からあった総。
今見えるのは、大正時代のもの。
真ん中の、滑り台のようなところは、木材を流す。
左端に、魚が通る魚道が見えるけど、きっと、後の世に作られましたね。 もし大正時代なら、すごいこと。
もう一つ、特徴が。 石を張り付けてある。 見た目もいいですね。
このデザインの吊り橋が、一番美しい。 ワイヤーがないと、寂しい。
※ ワイヤーは切れないと、信用して渡っているから、怖くない。
でも、この2月に、浜松市で切れた。
高校生7人が渡っていたけど、みんな手すりとかにつかまった。
もしゆすって遊んでいたとしても、そうしましたとは、決して言えない。
こんな風に。
少し揺れた方が、楽しいんだが。
橋の下とかを、散歩。
コイがいた。 70㌢ほど。 大きい。
こんな感じの、散策路。
橋の下から。
山に生えてる、自然のフジの花。
不動院は、道の駅から、数㌔。
ムカデランは、左の岩壁に咲く。
米粒ほどの花のよう。 花も葉も、小さい。 ムカデランのムカデは、百足虫。
ひどい名前を付けたもんです。 コヒメラン(小姫蘭)とか、もう少しかわいい名前を。
この壁が、ずっと上まで。 ほうろく岩。 ※ ほうろくは、焙烙で、素焼きの土器の一種。(Wikipedia)
右写真は、お寺のHPからお借り。 ネット上には、こんな写真も。 分かりやすい。
どんな花かって、こんな花。 その① その② その③ 円くないのが、ランっぽい。
ムカデランはどこにでもは、ない。 日本では、ここが一番知られた場所のよう。
レッドデータでは、少し危険な位置にある。 日本で見つかってるのは、この地図に。
お寺を、少しだけお参りする。 大石不動院という、真言宗のお寺。 本堂。
本堂の奥に、滝がある。
本堂の、木彫り。 彫ったのでないのも、あるみたい。
これ1枚彫るのに、1か月でしょうか。
不動滝。
高さ30㌢ほどの、石像。
本堂の上の斜面。 左右正面に、お堂。 右に行くと、ほうろく岩の上に。 展望台。
息切れしなければ、5歳若いという。
10歳若くなるには、どうすればいいんだろうと、考えながら歩いた。
走るのかなとか、思ったときには、着いていた。
右は、この道を上がってきた。
ここが、展望台。
後ろに、秋葉山の祠。 火事から守ってくれる神様。
道の駅の茶倉より、川下。 松阪の市街まで、十数㌔。
山奥なのに谷が広いのは、河岸段丘があるため。
近くの山の中に、深野のだんだん田がある。 前回行ったので、行かない。
※ 3年前は、道の駅の周りを歩いて、その後、行っている。 今より、根性があった。
茶畑広がる自然の郷、茶倉駅 石の芸術、深野のだんだん田 ~松坂市~ 他 (2010/6/14)
急に暑くなった。 冬から夏に。 明日から半袖。
茶畑を見たら、「夏も近づく八十八夜・・」を、思い出します。
【今日の歌】 もうすぐ八十八夜。 暖かくなります。 ※ 今年は、5月2日。 来週の木曜日。
NSPの独特のメロディを生み出したのは、天野 滋(あまの しげる)ですね。
ボーカル。 琴線に触れるような歌い方をする。
【道の駅】 飯高駅 茶倉駅から10㌔ない。
【明日の予定】 今いる近く。 山の中に道がある。
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また近くのお寺に、ムカデランの群落地があるいという。
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茶倉駅は、松阪市から、山に入る。
※ 和歌山から松阪までは、和歌山街道。
茶倉駅のあるここで、伊勢への分岐する道がある。 和歌山別街道。
※ ここは今は三重県だけど、昔は、紀州藩(和歌山藩)。
茶倉の道の駅は、小高い丘の上にあって、おとぎの国。 さらに上から撮った。 いい感じ。
※ ここは2度目で、3年前にも来た。 百名山の大台ケ原山に登った、次の日に。

上の写真の右手に、下の風景が広がる。 一面茶畑。 ずっと行ったら、松阪。
※ 三重県は、静岡県、鹿児島県に次ぐ、3番目の生産地。 牛も有名だけど、茶も。

山奥方面。 奥に見える左の山の向こうを、分岐した伊勢別街道が、左に行っている。
私も行くことになるのか。 数日後に。

下に吊り橋。 茶倉橋。 川の向こうが、キャンプ場のようになっているので、散策路が出来ている。
川は、櫛田川。 松阪市全体は、この川沿いにある。

右に、堰(せき)が見える。 水位を高くして、田んぼに水を取る。
この近くには、江戸時代からあった総。
今見えるのは、大正時代のもの。

真ん中の、滑り台のようなところは、木材を流す。
左端に、魚が通る魚道が見えるけど、きっと、後の世に作られましたね。 もし大正時代なら、すごいこと。

もう一つ、特徴が。 石を張り付けてある。 見た目もいいですね。

このデザインの吊り橋が、一番美しい。 ワイヤーがないと、寂しい。
※ ワイヤーは切れないと、信用して渡っているから、怖くない。
でも、この2月に、浜松市で切れた。
高校生7人が渡っていたけど、みんな手すりとかにつかまった。
もしゆすって遊んでいたとしても、そうしましたとは、決して言えない。
こんな風に。
少し揺れた方が、楽しいんだが。

橋の下とかを、散歩。

コイがいた。 70㌢ほど。 大きい。

こんな感じの、散策路。

橋の下から。

山に生えてる、自然のフジの花。

不動院は、道の駅から、数㌔。
ムカデランは、左の岩壁に咲く。

米粒ほどの花のよう。 花も葉も、小さい。 ムカデランのムカデは、百足虫。
ひどい名前を付けたもんです。 コヒメラン(小姫蘭)とか、もう少しかわいい名前を。

この壁が、ずっと上まで。 ほうろく岩。 ※ ほうろくは、焙烙で、素焼きの土器の一種。(Wikipedia)
右写真は、お寺のHPからお借り。 ネット上には、こんな写真も。 分かりやすい。


どんな花かって、こんな花。 その① その② その③ 円くないのが、ランっぽい。
ムカデランはどこにでもは、ない。 日本では、ここが一番知られた場所のよう。
レッドデータでは、少し危険な位置にある。 日本で見つかってるのは、この地図に。
お寺を、少しだけお参りする。 大石不動院という、真言宗のお寺。 本堂。

本堂の奥に、滝がある。

本堂の、木彫り。 彫ったのでないのも、あるみたい。

これ1枚彫るのに、1か月でしょうか。

不動滝。

高さ30㌢ほどの、石像。

本堂の上の斜面。 左右正面に、お堂。 右に行くと、ほうろく岩の上に。 展望台。

息切れしなければ、5歳若いという。
10歳若くなるには、どうすればいいんだろうと、考えながら歩いた。
走るのかなとか、思ったときには、着いていた。
右は、この道を上がってきた。


ここが、展望台。

後ろに、秋葉山の祠。 火事から守ってくれる神様。

道の駅の茶倉より、川下。 松阪の市街まで、十数㌔。

山奥なのに谷が広いのは、河岸段丘があるため。

近くの山の中に、深野のだんだん田がある。 前回行ったので、行かない。
※ 3年前は、道の駅の周りを歩いて、その後、行っている。 今より、根性があった。

茶畑広がる自然の郷、茶倉駅 石の芸術、深野のだんだん田 ~松坂市~ 他 (2010/6/14)
急に暑くなった。 冬から夏に。 明日から半袖。
茶畑を見たら、「夏も近づく八十八夜・・」を、思い出します。
【今日の歌】 もうすぐ八十八夜。 暖かくなります。 ※ 今年は、5月2日。 来週の木曜日。
NSPの独特のメロディを生み出したのは、天野 滋(あまの しげる)ですね。
ボーカル。 琴線に触れるような歌い方をする。
【道の駅】 飯高駅 茶倉駅から10㌔ない。
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