白糸の滝は、全国に、たくさんある。
その中で、軽井沢の白糸の滝は、トップクラスの美しさでしょうか。
ここの滝は、川が流れ落ちているのではなく、岩の隙間から、水が噴き出して、落ちていた。
美しさには秘密があった。
水は、昔は、岩の隙間から落ちていた。
でも、今のように、美しく流れ落ちては、いなかった。
それで、人工的に手を加え、滝のように落ちるように、した。
池を作って、庭園のようにも。
だから、本物でないと言えば、そうかも知れない。
でも、元々あったものを生かして、美しい滝にしたのだから、いいかなって思う。
自然のままと言って、悲惨な状態を見ることがあるので。
絹糸と言っていいほどの、繊細さを持った部分もありました。
市街地へ抜ける途中に、軽井沢の鹿鳴館と言われた、旧三笠ホテルがありました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
白糸ハイランドウェイを走る。 ひどい舗装の、有料道路。
観光地だった。 店の前を、左に行く。
○を通って、軽井沢の市街地へ。
前を歩くのは、バスで来た人たち。 台湾かなって、感じの人たちも。
登ったところに、まるい池。 その周りに、小さな滝がいっぱい。
手前の部分も、人工的なもの。
この川の源流点は、上にある、白糸の滝。
山の上に登ってきて、全体を。
この池も、掘ったもの。
元の状態の写真は、見つからない。
想像だけど、一部は滝で、なんとなく斜面を流れている部分が多かった。
今は、全体が滝。
ここは、長野県。 川は、千曲川に。 最後は信濃川。
先日までいた群馬県の川は、利根川に。
滝の上が、ずいぶんあります。
いい風景です。 右に、倒れた木。 取り除くでしょうね。
同じ3㍍程の高さから、水が出ている。 横幅は、70㍍。
水が出ている所の、下の地盤は、水を通さない。 はるか昔、湖の底だったそう。
上の部分は、噴火による、軽石層。
軽石層の中を、均等に流れているのではなく、流れやすくなっている所がある。
滴(したた)り落ちている所も。
水量はいつも同じ。 濁ることはない。
浅間山に降った雨が、ここに出るまで、6年だという。(説明版)
それは、どうやって、調べることが出来るのでしょう。
※ どこかの学者が、想像で言ったのが、広まってる場合もある。
これぞ、白糸の滝。 絹糸の滝と言っても、言い過ぎではない。
黄色い地盤と、上の軽石層の間に、隙間があるのように、見える。
実際は、どうなんでしょう。
この水を飲んでみたい。
口を開けて、上を向いて。 暑い時は、服が濡れたっていい。
水温は、年間通して、11.8℃。
説明で地熱のため高めとあったが、湧水の温度はこんなものかなと。
山を下って、竜返しの滝。
道からどのくらい歩くか、調べていなかった。
案内板の地図では、白糸の滝と、同じ大きさで載っていた。
でも、こっちは、人っ子1人いない。
※ 人っ子一人いないは、全くいないという感じ。
人っ子って、どうして、子なんでしょう。
大人だけでなく、子供だっていない、という意味かな。
大人の半分を、子供と考えて。
橋が見えて来た。 滝までの距離は、分からない。 表示はない。
4時を過ぎて、谷は、薄暗くなるのが早い。 クマが動き出す。
橋まで行って、戻るかどうするか、考えていた。
そうしたら、川の上流の、木の隙間に、白く滝が見えた。
着きました。 小さな滝。
感動するって滝ではないけど、これを見るために、自然に入り込むのがいいのかな。
この高さは、魚にとっては、無理ですね。 昇るのが。
※ 3㍍の高さなら、昇りますね。 滝つぼに、スピードを付ける広さがあって。
このように。 北海道の、さくら滝。 魚は、サクラマス。(2010年)
戻る。 本当に、この道でよかったかなと、夕方だと、不安になることも。
軽井沢市街の、入り口に、旧三笠ホテルはあった。
門を閉める直前。 建物だけ、撮らせてもらった。
開業は、明治39年。 日本で2番目に古い、木造の洋風のホテルだそう。
軽井沢の、鹿鳴館とまで言われた。 そんな時代が。 使われたのは、昭和45年まで。
デザインに、味がありますね。
豪快な滝は多いが、美しい滝は少ない。
白糸の滝は、いい滝でした。
感動の滝でした。
いつか、もう一度見ます。
新緑の頃が、ベストでしょうか。
【関連ブログ】
① 白糸の滝
碇ヶ関 関所資料館 白糸の滝 葛西善蔵文学碑 ~平川市~ 他 (2010/7/31)
白糸の滝 音止の滝 田貫湖 ~富士宮市~ 他 (2010/6/29)
最上川船下り ~五月雨を あつめて早し 最上川~ 稲刈り 他 (2009/09/29)
赤沢宿は、身延山と七面山を結ぶ道の、中間にあった。 白糸の滝。~早川町~ 他 (2013/6/4)
② 湧水(地下水)の滝
フンベの滝 黄金道路 豊似湖 襟裳岬 ~広尾町・えりも町~ 他 (2010/9/16)
高さ68㍍の吊橋から見る、神川大滝 小滝は裏見の滝 ~錦江町~ マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲) (2012/3/8) (大きな滝の横に)
上ホロカメットク山は、火山と花の山。 青い池は、本当に青かった。~上富良野・美瑛~ 他 (2013/8/13) (白ひでの滝)
奈曽の白滝 元滝伏流水 芭蕉追記 他 (2009/09/23)
【今日の曲】 昨日と同じ人です。
【停泊場所】 雲場池の駐車場
【明日の予定】 軽井沢を歩きます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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その中で、軽井沢の白糸の滝は、トップクラスの美しさでしょうか。
ここの滝は、川が流れ落ちているのではなく、岩の隙間から、水が噴き出して、落ちていた。
美しさには秘密があった。
水は、昔は、岩の隙間から落ちていた。
でも、今のように、美しく流れ落ちては、いなかった。
それで、人工的に手を加え、滝のように落ちるように、した。
池を作って、庭園のようにも。
だから、本物でないと言えば、そうかも知れない。
でも、元々あったものを生かして、美しい滝にしたのだから、いいかなって思う。
自然のままと言って、悲惨な状態を見ることがあるので。
絹糸と言っていいほどの、繊細さを持った部分もありました。
市街地へ抜ける途中に、軽井沢の鹿鳴館と言われた、旧三笠ホテルがありました。
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白糸ハイランドウェイを走る。 ひどい舗装の、有料道路。
観光地だった。 店の前を、左に行く。

○を通って、軽井沢の市街地へ。

前を歩くのは、バスで来た人たち。 台湾かなって、感じの人たちも。

登ったところに、まるい池。 その周りに、小さな滝がいっぱい。
手前の部分も、人工的なもの。
この川の源流点は、上にある、白糸の滝。

山の上に登ってきて、全体を。
この池も、掘ったもの。
元の状態の写真は、見つからない。
想像だけど、一部は滝で、なんとなく斜面を流れている部分が多かった。
今は、全体が滝。

ここは、長野県。 川は、千曲川に。 最後は信濃川。
先日までいた群馬県の川は、利根川に。

滝の上が、ずいぶんあります。

いい風景です。 右に、倒れた木。 取り除くでしょうね。

同じ3㍍程の高さから、水が出ている。 横幅は、70㍍。

水が出ている所の、下の地盤は、水を通さない。 はるか昔、湖の底だったそう。
上の部分は、噴火による、軽石層。
軽石層の中を、均等に流れているのではなく、流れやすくなっている所がある。

滴(したた)り落ちている所も。

水量はいつも同じ。 濁ることはない。

浅間山に降った雨が、ここに出るまで、6年だという。(説明版)
それは、どうやって、調べることが出来るのでしょう。
※ どこかの学者が、想像で言ったのが、広まってる場合もある。

これぞ、白糸の滝。 絹糸の滝と言っても、言い過ぎではない。

黄色い地盤と、上の軽石層の間に、隙間があるのように、見える。
実際は、どうなんでしょう。

この水を飲んでみたい。
口を開けて、上を向いて。 暑い時は、服が濡れたっていい。

水温は、年間通して、11.8℃。
説明で地熱のため高めとあったが、湧水の温度はこんなものかなと。

山を下って、竜返しの滝。
道からどのくらい歩くか、調べていなかった。

案内板の地図では、白糸の滝と、同じ大きさで載っていた。
でも、こっちは、人っ子1人いない。
※ 人っ子一人いないは、全くいないという感じ。
人っ子って、どうして、子なんでしょう。
大人だけでなく、子供だっていない、という意味かな。
大人の半分を、子供と考えて。
橋が見えて来た。 滝までの距離は、分からない。 表示はない。
4時を過ぎて、谷は、薄暗くなるのが早い。 クマが動き出す。

橋まで行って、戻るかどうするか、考えていた。
そうしたら、川の上流の、木の隙間に、白く滝が見えた。

着きました。 小さな滝。

感動するって滝ではないけど、これを見るために、自然に入り込むのがいいのかな。

この高さは、魚にとっては、無理ですね。 昇るのが。
※ 3㍍の高さなら、昇りますね。 滝つぼに、スピードを付ける広さがあって。
このように。 北海道の、さくら滝。 魚は、サクラマス。(2010年)

戻る。 本当に、この道でよかったかなと、夕方だと、不安になることも。

軽井沢市街の、入り口に、旧三笠ホテルはあった。

門を閉める直前。 建物だけ、撮らせてもらった。

開業は、明治39年。 日本で2番目に古い、木造の洋風のホテルだそう。
軽井沢の、鹿鳴館とまで言われた。 そんな時代が。 使われたのは、昭和45年まで。
デザインに、味がありますね。

豪快な滝は多いが、美しい滝は少ない。
白糸の滝は、いい滝でした。
感動の滝でした。
いつか、もう一度見ます。
新緑の頃が、ベストでしょうか。
【関連ブログ】
① 白糸の滝
碇ヶ関 関所資料館 白糸の滝 葛西善蔵文学碑 ~平川市~ 他 (2010/7/31)
白糸の滝 音止の滝 田貫湖 ~富士宮市~ 他 (2010/6/29)
最上川船下り ~五月雨を あつめて早し 最上川~ 稲刈り 他 (2009/09/29)
赤沢宿は、身延山と七面山を結ぶ道の、中間にあった。 白糸の滝。~早川町~ 他 (2013/6/4)
② 湧水(地下水)の滝
フンベの滝 黄金道路 豊似湖 襟裳岬 ~広尾町・えりも町~ 他 (2010/9/16)
高さ68㍍の吊橋から見る、神川大滝 小滝は裏見の滝 ~錦江町~ マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲) (2012/3/8) (大きな滝の横に)
上ホロカメットク山は、火山と花の山。 青い池は、本当に青かった。~上富良野・美瑛~ 他 (2013/8/13) (白ひでの滝)
奈曽の白滝 元滝伏流水 芭蕉追記 他 (2009/09/23)
【今日の曲】 昨日と同じ人です。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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浅間山が、一瞬光った。
と思った、その瞬間、真っ赤な火炎が、天に向かって吹きあがった。
同時に、灼熱の火砕流が、猛スピードで北斜面を襲った。
そこには、鎌原(かんばら)村。
村人477名は、必死で逃げた。 家族そして知人を、思いやりながら。
高台は、観音堂の場所しかない。 みんな、そこを目指した。
火砕流は、次から次と、人々を飲み込む。
石段の数は、50段。
登り切って、たどり着けたのは、たったの93名だった。
若い女性が、母親と思われる人を背負って、石段まで何とかたどり着いた。
最後の力を振り絞って、登り始めた。
でも、間に合わなかった。 力尽きた。
火砕流が収まった時、石段は、15段しかなかった。
35段は、埋まっていた。
十数分の、出来事だった。
天明3年(1783年)7月8日の、午前10時過ぎのこと。
火砕流の後、浅間山は、溶岩をさらに出した。
上で固まった溶岩は、山の斜面に、ずり落ちた。
今、その跡は、鬼押出し園として、公園になっていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
嬬恋村(つまごいむら)は、群馬県の西の端。
鎌原観音堂の位置。
※ 嬬恋カルタがあって、「嬬恋の由来は古し 吾嬬者耶(あずまはや)」というのが。
その解説は、こうだった。(嬬恋村文化協会)
日本武尊が碓日阪(今の鳥居峠)にお立ちになって、なき妻弟橘姫を追慕のあまり
「あづまはや」とおなげきになって、妻をいとしまれたという故事にちなんで、
嬬恋村と名づけられた。
妻と嬬の意味の違いが、難しい。 ネットで、見つからない。
気になったので、上を載せました。
鎌原観音堂。
※ かまはら、が、かんばら。 「ん」への変化は、最近3度目の出会い。
八ッ場(やんば)ダム。 向城(むこんじょう)。
橋の向こうに、15の石段。 この手前に、35段が、地面の下に。
右の建物に、人がいた。 今でも毎日、観音堂を守っている。
浅間山の噴火による火砕流は、このように、流れて来た。
鎌原村の人口は、570名。 観音堂に逃げられたのは、93名。
石段の数は、50段と、語り継がれていた。
実際に掘ってみた。 残りの35段が、出て来た。
そして、二人の骨。 骨の位置とかで、背負っていたと、考えられている。
※ 頭の位置は、分かりますね。
2つの手は、何を意味するでしょう。
負ぶっている、手か。 最後、抱きしめたのか。
2人の前の人は助かった。 石段に、他の骨はなかったから。
後ろの人は、助からなかった。
背負われた女性は、私を置いて、お前だけで行け、と言ったでしょうね。
でも、背負っていた女性は、離さなかった。
命(運命)を、共にした。
※ 嬬恋郷土資料館に、2人の女性の、復元した顔がある。
真っ赤な溶岩が、全ての飲み込んで、襲ってくる。
浅間山からここまでは、ほぼ、10㎞。
15分で来たとすれば、時速40㌔。 加速していたら、時速60㌔に。
※ 大正時代に起きた、上富良野の、十勝岳からの泥流は、時速60㌔。
下の説明も、資料として、載せます。
火砕流は、吾妻川をせき止め、それが破壊し、泥流となって下流の村を襲う。
多くの人が亡くなる。
赤い橋の下に、石段が見えた。
隣の石は、計りばばあ、とあった。 亡くなった人の服をはぎ取る、奪衣婆(だつえば)か。
15段から下は、地獄と考えて。
右は、「天明の 生死をわけた 15だん」
10秒早くて助かって、10秒遅れて火砕流につかまった。
そんな世界に、なっていた。
天明3年の、浅間山の噴火は、日本の空を曇らせた。
その前から不作は続いていたが、この噴火によって、天明の大飢饉を招くことになる。
※ 飢饉と、天明の大飢饉については、関連ブログで、最後に。
日本の人口が減ってしまう、大飢饉。
次は、浅間山の、鬼押出しをみる。
道は有料道路。 西武が昔作った。 鬼押出しの施設も、西武。
観光面で、邪魔な道。 当時、国はどうして、作ることに、許可を出したのでしょう。
※ 何があってもおかしくない政治が、日本で、続いていた時代かな。
1度だけ見ておこうと、やってきた。 異様な風景。
遊歩道が整備されている。 赤い門は、惣(そう)門。
鬼押出しの、鬼。
鎌原村への火砕流の後、火口から溶岩が出て来た。 それが固まって崩れて、ここに押し出されてきた。
押し出したのは鬼と考えて、鬼押出しの名前に。 それで、鬼がいる。
惣門の中に、二天尊像。
ガラスで、全体は撮れない。 お腹にも、顔があった。
ここには、浅間山観音堂がある。 東京上野の寛永寺の別院として。
このような灯篭も、持ってきた。
延宝九年は、1681年。 噴火より前に作られている。 五月八日も読める。
辛酉(かのととり)も、読める。(右から読んで)
※ 辛は、「甲、乙、丙、丁、・・・」の8番目。 全部で10個。
酉は、「子、丑、寅・・・・」の10番目。 全部で12個。
甲子、乙丑、丙寅、と順に組み合わせていくと、60通り。 そして、元に戻る。
辛酉は、上で組み合わせた、干支(えと)と呼ばれるものの、1つ。
60年に1度、同じのが、巡って来る。
石塔の年号の下に、たいてい書かさっている。
これが見えたら、年号の一部が見えなくても、何年かが分かる。
ちなみに、辛酉の年は、60で割ったら1余る年。
1681÷60=28あまり1。
2013年は、60で割ったら、33余る。 癸巳(みずのとみ)の年。
壬申の乱や、戊辰戦争の名前は、干支から取っている。
話がそれました。
固まった溶岩が、ごろごろ。 大きい。
それでも木は、たくましく生えて来る。
ヒカリゴケがあった。 少しだけ。
観音堂が近い。
温泉によくある、地獄の風景とも違う。
こんな岩が。
お金を、はさんでいる。 こんな、たまに見ます。
※ このお金を持ってきたら、泥棒になるんだろうか。
観音堂です。
寛永寺とありますね。
※ 寛永寺の開基は、天海僧正。
こんな話が、歴史の論争から消えません。 以前触れたことがあります。
この天海という人は、信長をやっつけた、明智光秀でないかと。
筆跡が似ていて、本人でないとしても、光秀に近い人ではと。
溶岩が、もこもこと山の上に出てきて、固まった。
それが、ずり落ちてきて、大きな岩だらけになった。 上でも触れたけど。
これが、現在の考え。
溶けたのが流れてきたら、大きな岩にならない。 岩手山の麓の、焼走りのようになる。
後ろから流れてきたが、今日は曇って、後ろの浅間山は見えない。
1時間ほど歩けば、みんな見られる。
ここは、奥之院。
岩の中に、仏様。 観音像。
小さな木の、紅葉。 終わったのかな。
ここの入園料は、600円。 道も有料だから、お金がかかる。
見える範囲、ずっと、大地は凸凹。
それでも、鎌原村の助かった93名は、他に行かないで、元の場所で、村を復活した。
※ これについては、上に書いた上富良野も同じです。
それを小説にしたのが、三浦綾子の泥流地帯。
上富良野の人たちは、泥流を災難と考えないで、試練と受け止めた。
そうして、ある人を中心に、立ち上がった。 関連ブログは、最後に。
もしかしたら、鎌原村の人たちも、同じように考えたかも知れない。

こんな道を、戻る。
花の紹介がある。 花の時期なら、もっと楽しめる。 ハクサンシャクナゲも咲く。
戻ってきました。 お土産の中心は、オニ。 大事にされている。
鬼押出しは、美しいというより、滅多に見られない風景。
自然にあったものだから、散策路だけ作って、無料で見られたら、一番。
そうしたら、この場所が、廃墟になることはない。
今の観光に失敗したら、鬼押出しは、悲惨な場所になってしまう。
鎌原村の人たちには、意志の強さを感じましたね。
村を復興させたことと、決して忘れることはないという姿勢に。
力尽きてしまった、あの女性に、心を打たれます。
【関連ブログ】 天明の大飢饉について、書いてあります。
家の周りの瓦礫の撤去。 東北は、今も昔も、大変な苦労をしている。 それでも、キム・ヨナを中心に動く。 他 (2011/4/30)
ブログの中で、さらに、ブログを紹介しています。 面白いのも、ありますよ。
ファーム富田 泥流地帯の舞台に・・。 他 (2009/07/26)
【今日の歌】 一昨日の人。 クラークって云う人。
【停泊場所】 国道沿いのパーキング。
【明日の予定】 白糸の滝 変わった滝です。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)
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と思った、その瞬間、真っ赤な火炎が、天に向かって吹きあがった。
同時に、灼熱の火砕流が、猛スピードで北斜面を襲った。
そこには、鎌原(かんばら)村。
村人477名は、必死で逃げた。 家族そして知人を、思いやりながら。
高台は、観音堂の場所しかない。 みんな、そこを目指した。
火砕流は、次から次と、人々を飲み込む。
石段の数は、50段。
登り切って、たどり着けたのは、たったの93名だった。
若い女性が、母親と思われる人を背負って、石段まで何とかたどり着いた。
最後の力を振り絞って、登り始めた。
でも、間に合わなかった。 力尽きた。
火砕流が収まった時、石段は、15段しかなかった。
35段は、埋まっていた。
十数分の、出来事だった。
天明3年(1783年)7月8日の、午前10時過ぎのこと。
火砕流の後、浅間山は、溶岩をさらに出した。
上で固まった溶岩は、山の斜面に、ずり落ちた。
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鎌原観音堂の位置。
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日本武尊が碓日阪(今の鳥居峠)にお立ちになって、なき妻弟橘姫を追慕のあまり
「あづまはや」とおなげきになって、妻をいとしまれたという故事にちなんで、
嬬恋村と名づけられた。
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鎌原観音堂。
※ かまはら、が、かんばら。 「ん」への変化は、最近3度目の出会い。
八ッ場(やんば)ダム。 向城(むこんじょう)。

橋の向こうに、15の石段。 この手前に、35段が、地面の下に。

右の建物に、人がいた。 今でも毎日、観音堂を守っている。

浅間山の噴火による火砕流は、このように、流れて来た。

鎌原村の人口は、570名。 観音堂に逃げられたのは、93名。

石段の数は、50段と、語り継がれていた。
実際に掘ってみた。 残りの35段が、出て来た。
そして、二人の骨。 骨の位置とかで、背負っていたと、考えられている。
※ 頭の位置は、分かりますね。
2つの手は、何を意味するでしょう。
負ぶっている、手か。 最後、抱きしめたのか。


2人の前の人は助かった。 石段に、他の骨はなかったから。
後ろの人は、助からなかった。
背負われた女性は、私を置いて、お前だけで行け、と言ったでしょうね。
でも、背負っていた女性は、離さなかった。
命(運命)を、共にした。

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真っ赤な溶岩が、全ての飲み込んで、襲ってくる。
浅間山からここまでは、ほぼ、10㎞。
15分で来たとすれば、時速40㌔。 加速していたら、時速60㌔に。
※ 大正時代に起きた、上富良野の、十勝岳からの泥流は、時速60㌔。

下の説明も、資料として、載せます。
火砕流は、吾妻川をせき止め、それが破壊し、泥流となって下流の村を襲う。
多くの人が亡くなる。

赤い橋の下に、石段が見えた。
隣の石は、計りばばあ、とあった。 亡くなった人の服をはぎ取る、奪衣婆(だつえば)か。
15段から下は、地獄と考えて。
右は、「天明の 生死をわけた 15だん」
10秒早くて助かって、10秒遅れて火砕流につかまった。
そんな世界に、なっていた。


天明3年の、浅間山の噴火は、日本の空を曇らせた。
その前から不作は続いていたが、この噴火によって、天明の大飢饉を招くことになる。
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日本の人口が減ってしまう、大飢饉。
次は、浅間山の、鬼押出しをみる。
道は有料道路。 西武が昔作った。 鬼押出しの施設も、西武。
観光面で、邪魔な道。 当時、国はどうして、作ることに、許可を出したのでしょう。
※ 何があってもおかしくない政治が、日本で、続いていた時代かな。
1度だけ見ておこうと、やってきた。 異様な風景。

遊歩道が整備されている。 赤い門は、惣(そう)門。

鬼押出しの、鬼。
鎌原村への火砕流の後、火口から溶岩が出て来た。 それが固まって崩れて、ここに押し出されてきた。
押し出したのは鬼と考えて、鬼押出しの名前に。 それで、鬼がいる。

惣門の中に、二天尊像。
ガラスで、全体は撮れない。 お腹にも、顔があった。

ここには、浅間山観音堂がある。 東京上野の寛永寺の別院として。
このような灯篭も、持ってきた。

延宝九年は、1681年。 噴火より前に作られている。 五月八日も読める。
辛酉(かのととり)も、読める。(右から読んで)

※ 辛は、「甲、乙、丙、丁、・・・」の8番目。 全部で10個。
酉は、「子、丑、寅・・・・」の10番目。 全部で12個。
甲子、乙丑、丙寅、と順に組み合わせていくと、60通り。 そして、元に戻る。
辛酉は、上で組み合わせた、干支(えと)と呼ばれるものの、1つ。
60年に1度、同じのが、巡って来る。
石塔の年号の下に、たいてい書かさっている。
これが見えたら、年号の一部が見えなくても、何年かが分かる。
ちなみに、辛酉の年は、60で割ったら1余る年。
1681÷60=28あまり1。
2013年は、60で割ったら、33余る。 癸巳(みずのとみ)の年。
壬申の乱や、戊辰戦争の名前は、干支から取っている。
話がそれました。
固まった溶岩が、ごろごろ。 大きい。

それでも木は、たくましく生えて来る。

ヒカリゴケがあった。 少しだけ。


観音堂が近い。

温泉によくある、地獄の風景とも違う。

こんな岩が。

お金を、はさんでいる。 こんな、たまに見ます。
※ このお金を持ってきたら、泥棒になるんだろうか。

観音堂です。

寛永寺とありますね。
※ 寛永寺の開基は、天海僧正。
こんな話が、歴史の論争から消えません。 以前触れたことがあります。
この天海という人は、信長をやっつけた、明智光秀でないかと。
筆跡が似ていて、本人でないとしても、光秀に近い人ではと。

溶岩が、もこもこと山の上に出てきて、固まった。
それが、ずり落ちてきて、大きな岩だらけになった。 上でも触れたけど。
これが、現在の考え。
溶けたのが流れてきたら、大きな岩にならない。 岩手山の麓の、焼走りのようになる。

後ろから流れてきたが、今日は曇って、後ろの浅間山は見えない。
1時間ほど歩けば、みんな見られる。

ここは、奥之院。

岩の中に、仏様。 観音像。

小さな木の、紅葉。 終わったのかな。

ここの入園料は、600円。 道も有料だから、お金がかかる。

見える範囲、ずっと、大地は凸凹。
それでも、鎌原村の助かった93名は、他に行かないで、元の場所で、村を復活した。
※ これについては、上に書いた上富良野も同じです。
それを小説にしたのが、三浦綾子の泥流地帯。
上富良野の人たちは、泥流を災難と考えないで、試練と受け止めた。
そうして、ある人を中心に、立ち上がった。 関連ブログは、最後に。
もしかしたら、鎌原村の人たちも、同じように考えたかも知れない。

こんな道を、戻る。

花の紹介がある。 花の時期なら、もっと楽しめる。 ハクサンシャクナゲも咲く。

戻ってきました。 お土産の中心は、オニ。 大事にされている。


鬼押出しは、美しいというより、滅多に見られない風景。
自然にあったものだから、散策路だけ作って、無料で見られたら、一番。
そうしたら、この場所が、廃墟になることはない。
今の観光に失敗したら、鬼押出しは、悲惨な場所になってしまう。
鎌原村の人たちには、意志の強さを感じましたね。
村を復興させたことと、決して忘れることはないという姿勢に。
力尽きてしまった、あの女性に、心を打たれます。
【関連ブログ】 天明の大飢饉について、書いてあります。
家の周りの瓦礫の撤去。 東北は、今も昔も、大変な苦労をしている。 それでも、キム・ヨナを中心に動く。 他 (2011/4/30)
ブログの中で、さらに、ブログを紹介しています。 面白いのも、ありますよ。
ファーム富田 泥流地帯の舞台に・・。 他 (2009/07/26)
【今日の歌】 一昨日の人。 クラークって云う人。
【停泊場所】 国道沿いのパーキング。
【明日の予定】 白糸の滝 変わった滝です。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位、 旅行全体、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。

※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
「草津よいとこ 一度はおいで」って言うから、行ってみた。
平日なのに、人でいっぱい。
草津温泉は、日本屈指の名湯と呼ばれている。
それは、湯量の豊富さと効能の高さが、あるから。
でも、日本でトップクラスの名湯にしたのは、草津の人々の知恵。
歩いていたら、随所に感じることができた。
どんな観光客をも、温かく迎える。
それは、草津の人々が考えた、基本姿勢だった。
長い間の取り組みが、今に実っていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
草津温泉は、群馬県だけど、生活圏は長野県でしょうか。
道の駅の案内所で、見所を教えてもらった。 湯畑が、メインと分かる。
歩道橋の上から。 温泉街は、向こうに行って、下がる。
坂道を下っていたら、足湯。 本を読んでいる。
こんな入り方があると知った。 いい風景というか、シーンですね。
ここを下ったら、草津温泉のシンボル、湯畑。
左に、ホテルや旅館の建物。 この不景気な時に、荒れてる建物がない。
湯畑に着いた。 この人です。 平日です。
旅番組の撮影をしていた。
真ん中の女性は、女優の大島さと子さんですね。
右の人は、何度も見たことあるけど、分からない。
※ 追記 藤田朋子(ともこ)さんでした。 ある人からの情報。
※ 2人は話している。 大まかな設定はあっても、アドリブで演じている。
そんな風に見えた。 どちらの方も、雰囲気が良かったですよ。 男は、?
広い湯畑は、こうです。 日本一の湯の量のよう。 毎分、4000㍑。
手前で、湧き出ている。
ここから、湧き出ている。
足湯で楽しんでいる。 寒くなって来たので、気持ちいい。
湯畑で、湯の温度を下げている。
そうすると、水を混ぜないで、源泉のまま、温泉に使える。 かけ流し。
下から撮影。 湯けむりの、湯畑。
滝になって、落ちて来る。 ここから、ホテルや旅館に、行くのかな。
温泉街に、観光客が集まれる場所を作った。
そこで楽しむことが出来、そこから、別の見どころに行く。
戻ってきて、別の所に。 例えば、共同湯とか。
どのように楽しんでもらうかの、基本の考えが、あるんですね。
反対側の上から下を。
別方向から。
共同湯、白旗の湯。
※ 共同湯は、いくつもある。 みんな無料。 足湯も。
これらは、草津温泉に来た観光客への、感謝の気持ちなんですね。
おもてなしの、心。
この取り組みは、草津温泉の大きな特徴。
湯畑の上に、御座之湯。 500円。 施設が充実している。
左に、白旗源泉。 頼朝が発見したと伝わる源泉。 上の共同湯も、これを使用。
※ ここで問題です。
草津温泉は、効能が高いと書きましたが、
御座之湯に入れば、どんな病気も、治るそうです。
でも、1つだけ治せない病(やまい)があるそうです。
それは、何の病でしょう。 漢字、1文字。
易しいかな。 答えは、右をクリック。
白旗源泉。 お金がいっぱい。 黒くなってる。 どうするんでしょう。
道に、こんなのが。 面白い。
白根は、知らね、の意味もあるのかな。 ここは、高原なので。
※ 道の駅で、トラックの運転手さんが、ここまで来ると寒いな、って言っていた。
ここは、熱の湯。
受付で、温泉に入れるんですかと聞いたら、入れません、と言われた。
湯もみの実演や、草津節の踊りを見る所だった。
3時半からのを、見ることにした。 時間があるので、西の河原公園に。
お土産屋さんの通りを歩いて。
お店の感じは、今の時代に通用するものに、変わりつつある。 そういう、状態でしょうか。
悪くないですね。
温泉卵。 65~68℃程度の湯に30分。 白身より黄身がやわらかい、半熟卵。
草津片岡鶴太郎美術館。 お店の方は無料なので、そっちを見た。
色鮮やかなのが、特徴。 例えば、こんなの。
西(さい)の河原。 昔は、賽の河原だったけど、いつの間にか、西に。
※ 西の河原の中に、地蔵さんがあって、子供を抱いていた。
確かに、賽の河原の時代があったと、分かる。
お湯が出ているので、鬼の茶釜。
工事をしていた。 全体に、少し物足りない。 何かを考えているのか。
奥に、西の河原露天風呂。 有料。 人が見えた。 見える。
急いで戻ってきて、熱の湯で、湯もみを見る。 500円。
歌いながら。 これで、少しでも、温度が下がるのだろうか。
2階席もある。 私も、2階から。
希望者は、お客さんも、やれる。
草津節です。
「草津よいとこ 一度は おいで どっこいしょ」の、出だしの歌詞が、あまりにも有名。
それにつられて、私もやって来た。
見たことない、流れるような振付。 湯を混ぜているのか。
湯を、跳ねあげている。 少しは、下がりそう。
階段の壁に、こんな絵。
共同湯を見る。 最後に入る。
旅館街の道。
千代の湯。
近くに、もう1つある。 そっちに。
道に案内。 地図を見て歩いているが、不安が消える。
地蔵の湯。 いい感じの建物。 もちろん、無料。 寄付の箱もない。
浴室の中に、靴置場と脱衣所。 物が無くなる心配はない。
こうです。 湯の量が多いので、湯がきれい。 少し熱め。 これがいい。
※ 外が寒いので、最初は、かなり熱く感じる。 でも、少し経って、少しの熱めと分かる。
出ていく人は、お先にと、みんな言った。
地元の人が、言ってるんですね。
挨拶する習慣が、広まってるよう。
ちょうど人がいなくなった時に、撮影。
湯畑に戻ってきたら、まだ撮影をしていた。 左側で。
同じところを、何度も行ったり来たりかな。
最後は、1回しか歩いていないように、するでしょうね。
放映されるのは、実際のが、前後していたり。
下を見たら、まだ、人がいっぱい。
坂道を上って、道の駅に戻った。
温泉街を、どう変えて行くかは、難しい。
必ず、昔はよかったという声が、出る。
でも、その声を尊重しすぎるのは、危険と思う。
若者に、どう思われるかが、大きなポイント。
歩いて楽しい温泉街。
新しい時代のセンスを、どう生かすかだと思う。
その部分を学ぶのなら、九州の黒川温泉が、参考になります。
草津温泉は、湯畑から出かけて楽しい所を、数か所作る。
それを、今は目指しているでしょうね。
西の河原と、共同湯と、あと、2~3ヶ所必要でしょうか。
新しい時代に乗り遅れている温泉街が多い中、草津温泉は、いい状態に見えました。
若者を中心とした、観光客の多さが、それを示しています。
おもてなしの心を、いつまでも大事にですね。
たくさんお金を使わなかった観光客も、いい所と知ったら、「いつか泊りに来たいね」、となります。
私も、いつか、また来ます。
【今日の歌】 草津節です。 踊りには、柔らかな独特の動きがあります。
【道の駅】 草津運動茶屋公園
【明日の予定】 浅間山の麓にある、鬼押出し。 火山流の跡。
悲しい話がある。 それを、詳しく知りたい。
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歩道橋の上から。 温泉街は、向こうに行って、下がる。

坂道を下っていたら、足湯。 本を読んでいる。
こんな入り方があると知った。 いい風景というか、シーンですね。

ここを下ったら、草津温泉のシンボル、湯畑。

左に、ホテルや旅館の建物。 この不景気な時に、荒れてる建物がない。

湯畑に着いた。 この人です。 平日です。

旅番組の撮影をしていた。
真ん中の女性は、女優の大島さと子さんですね。
右の人は、何度も見たことあるけど、分からない。
※ 追記 藤田朋子(ともこ)さんでした。 ある人からの情報。
※ 2人は話している。 大まかな設定はあっても、アドリブで演じている。
そんな風に見えた。 どちらの方も、雰囲気が良かったですよ。 男は、?

広い湯畑は、こうです。 日本一の湯の量のよう。 毎分、4000㍑。
手前で、湧き出ている。

ここから、湧き出ている。

足湯で楽しんでいる。 寒くなって来たので、気持ちいい。

湯畑で、湯の温度を下げている。
そうすると、水を混ぜないで、源泉のまま、温泉に使える。 かけ流し。
下から撮影。 湯けむりの、湯畑。

滝になって、落ちて来る。 ここから、ホテルや旅館に、行くのかな。

温泉街に、観光客が集まれる場所を作った。
そこで楽しむことが出来、そこから、別の見どころに行く。
戻ってきて、別の所に。 例えば、共同湯とか。
どのように楽しんでもらうかの、基本の考えが、あるんですね。
反対側の上から下を。

別方向から。

共同湯、白旗の湯。
※ 共同湯は、いくつもある。 みんな無料。 足湯も。
これらは、草津温泉に来た観光客への、感謝の気持ちなんですね。
おもてなしの、心。
この取り組みは、草津温泉の大きな特徴。

湯畑の上に、御座之湯。 500円。 施設が充実している。
左に、白旗源泉。 頼朝が発見したと伝わる源泉。 上の共同湯も、これを使用。

※ ここで問題です。
草津温泉は、効能が高いと書きましたが、
御座之湯に入れば、どんな病気も、治るそうです。
でも、1つだけ治せない病(やまい)があるそうです。
それは、何の病でしょう。 漢字、1文字。
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白旗源泉。 お金がいっぱい。 黒くなってる。 どうするんでしょう。

道に、こんなのが。 面白い。

白根は、知らね、の意味もあるのかな。 ここは、高原なので。
※ 道の駅で、トラックの運転手さんが、ここまで来ると寒いな、って言っていた。


ここは、熱の湯。
受付で、温泉に入れるんですかと聞いたら、入れません、と言われた。
湯もみの実演や、草津節の踊りを見る所だった。
3時半からのを、見ることにした。 時間があるので、西の河原公園に。

お土産屋さんの通りを歩いて。


お店の感じは、今の時代に通用するものに、変わりつつある。 そういう、状態でしょうか。
悪くないですね。

温泉卵。 65~68℃程度の湯に30分。 白身より黄身がやわらかい、半熟卵。

草津片岡鶴太郎美術館。 お店の方は無料なので、そっちを見た。
色鮮やかなのが、特徴。 例えば、こんなの。

西(さい)の河原。 昔は、賽の河原だったけど、いつの間にか、西に。
※ 西の河原の中に、地蔵さんがあって、子供を抱いていた。
確かに、賽の河原の時代があったと、分かる。

お湯が出ているので、鬼の茶釜。

工事をしていた。 全体に、少し物足りない。 何かを考えているのか。

奥に、西の河原露天風呂。 有料。 人が見えた。 見える。

急いで戻ってきて、熱の湯で、湯もみを見る。 500円。

歌いながら。 これで、少しでも、温度が下がるのだろうか。
2階席もある。 私も、2階から。

希望者は、お客さんも、やれる。

草津節です。
「草津よいとこ 一度は おいで どっこいしょ」の、出だしの歌詞が、あまりにも有名。
それにつられて、私もやって来た。

見たことない、流れるような振付。 湯を混ぜているのか。
湯を、跳ねあげている。 少しは、下がりそう。

階段の壁に、こんな絵。

共同湯を見る。 最後に入る。
旅館街の道。

千代の湯。

近くに、もう1つある。 そっちに。
道に案内。 地図を見て歩いているが、不安が消える。

地蔵の湯。 いい感じの建物。 もちろん、無料。 寄付の箱もない。

浴室の中に、靴置場と脱衣所。 物が無くなる心配はない。

こうです。 湯の量が多いので、湯がきれい。 少し熱め。 これがいい。
※ 外が寒いので、最初は、かなり熱く感じる。 でも、少し経って、少しの熱めと分かる。
出ていく人は、お先にと、みんな言った。
地元の人が、言ってるんですね。
挨拶する習慣が、広まってるよう。
ちょうど人がいなくなった時に、撮影。

湯畑に戻ってきたら、まだ撮影をしていた。 左側で。
同じところを、何度も行ったり来たりかな。
最後は、1回しか歩いていないように、するでしょうね。
放映されるのは、実際のが、前後していたり。

下を見たら、まだ、人がいっぱい。

坂道を上って、道の駅に戻った。

温泉街を、どう変えて行くかは、難しい。
必ず、昔はよかったという声が、出る。
でも、その声を尊重しすぎるのは、危険と思う。
若者に、どう思われるかが、大きなポイント。
歩いて楽しい温泉街。
新しい時代のセンスを、どう生かすかだと思う。
その部分を学ぶのなら、九州の黒川温泉が、参考になります。
草津温泉は、湯畑から出かけて楽しい所を、数か所作る。
それを、今は目指しているでしょうね。
西の河原と、共同湯と、あと、2~3ヶ所必要でしょうか。
新しい時代に乗り遅れている温泉街が多い中、草津温泉は、いい状態に見えました。
若者を中心とした、観光客の多さが、それを示しています。
おもてなしの心を、いつまでも大事にですね。
たくさんお金を使わなかった観光客も、いい所と知ったら、「いつか泊りに来たいね」、となります。
私も、いつか、また来ます。
【今日の歌】 草津節です。 踊りには、柔らかな独特の動きがあります。
【道の駅】 草津運動茶屋公園
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田舎の集落が、重伝建地区になるのは、珍しい。
赤岩地区は、養蚕農家の建物も、昔のまま残っている。
富岡製糸場との関係で、世界遺産の暫定リストに、入っている。
江戸末期、幕府を批判して投獄された、高野長英が、一時隠れ住んだという家があった。
※ このことを言ってるのは、中之条町だけ、という問題はあるけど。
神社や小さな祠(ほこら)が点在している風景は、懐かしい、日本の風景に見えた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
昨日いた吾妻渓谷からも、草津温泉へも、近いです。
下には、吾妻川の支流の、白砂川が流れている。
自慢してもいいくらいの、立派な渓谷。
川の向こうに、赤岩地区。 普通の集落に見えるので、ちょっと不安。
赤○の所を、歩くことになる。
駐車場があるようなので、集落に入ることに。 ※ 不安なら、ここから歩く。
右は、ふれあいの家。 ここで地図をいただいた。
水車小屋。 動いている。 実際に使える。
細い道を山に登ったら、上(かみ)の観音堂。
何気ないこの建物が、1764年の建物。 赤岩では、一番古い。
茅葺は、ここだけ。
中に仏像があるけど、見えなかった。 聖観音立像とか。
六面地蔵ですね。 たまに見ます。 六地蔵と同じ意味なんでしょうか。
住宅は、普通。 一目古くは見えないけど、古いのも。
家々の庭の隅には、このようなのが多い。
湯本家。 高野長英の隠れ家、と言われる家。
小説には、このように出て来る。 ※ いただいた資料に。
文中の、暮坂峠は、四万温泉に向かう途中、左の山に入ると、越える峠。
※ いつのことかですね。
高野長英や渡辺崋山は、幕府の鎖国的な考えに反対。
幕府は、言論を弾圧し、蛮社の獄で、彼らを捕まえて、投獄。
しかし、長英が入っていた伝馬町牢屋敷が、火事になる。 (長英の仕業とも)
1844年のこと。(弘化元年)
その翌年、逃亡の途中、この地の、湯本家に一時、かくまわれたという。
※ このことを言ってるのは、湯本家と、中之条町だけ。
第3者がどういっているか探したが、見つからない。
小説で言ってるので、可能性があるのかなと思う。
高野長英の研究者が言っていると、可能性は高いのだが。
※ なお、高野長英は、5年後の1850年に、江戸で捕まる。
その時の暴行で、亡くなったと言われる。
明治政府は、長英の名誉を回復している。
※ 湯本家には、長英の間が残されている。
ここは、少し歩いて、稚蚕飼育所跡。(ちさんしいくしょあと)
他にも、養蚕関係の建物は残っていて、これがあるので、世界遺産の候補に。
※ 世界遺産は、直ぐに登録されることはなく、一旦、候補に入ってから。
もし世界遺産になったら、ここは観光地。
重伝建地区としての整備が、一気に進む。
中の見学は出来ない。 ※ 出来る日はあるよう。
ポスターが貼ってあった。
人形の目に、物を言わすことが出来るんですね。 徳島で出会った浄瑠璃の人形は、私を見つめた。
上の所から、少し、山の上に、石垣があった。 諏訪神社跡。 立派な石垣。
明治の終わりに、他の神社と合わさって、赤岩神社として、山の上に。
後で行く。
青空に、柿の実。 柿が食べたくなってきた。 ※ ついでに、牡蠣(かき)も。 ポン酢で。 熱燗。
先に進む。 右に、はしご。 今は脚立だから、滅多に見ない。
赤岩全体を、この風景にする必要がありますね。 今は、全体の3分の1でしょうか。
寒くなって、菊の出番。 寒いから、押しくらまんじゅうのように、咲くのか。
枝道を、山の中腹に。 向城の観音堂。 むこんじょう。
元々の読みは、むこんではなく、むこうでないかな。
むこうが、むこんに。
※ そういえば、やつば(八つ場)は、やんば(八ッ場)になった。
似ている。
この地方は、言葉の発音が、「ん」に変化するのは、珍しくないのか。
1811年の建物。 昔は、茅葺だった。 中は、散乱していた。 小さな仏像が。
お堂の横に、転がっていた。 宝珠の形。 何の一部だろう。
石塔の上の部分かな。
今日の一番大変な所。 山の上に、赤岩神社。 ここから、15分。
荒れ気味。 昼なお、薄暗い。
供養塔。 四国 西国 坂東 秩父 供養塔。
四国以外は、巡礼地の数は、33。
全部お参りが終わって、それで、つくった。
宝暦11年の物。 1761年。 ※ 宝暦11年は、少し前にも出て来た。 北斎が1歳。
誰かが、柿を1つ。 右の石像が、変わっている。 後でまた会う。
山を上がって来た。 大変な状態。 工事中だった。
木の根は、力持ち。
紅葉です。
着きました。 ここは、木を切った。
ここは、世界遺産の候補。 このままなら、恥ずかしいということで。
下の谷に、集落がある。
この機械は、クレーン。 石段の石を持ち上げるのか。
山を下りた。 さっきの石仏の辺りで、柿を拾った。
上を見たら、大きな柿の木。 実がいっぱい。 周りにはたくさん落ちていた。
動物がかじったのもあった。 拾ったのは、飾っておく。
この花を、時々見た。 ※ 追記 アメジストセージって名前でした。 ある方に教えていただきました。
川の近くにある、東堂(ひがしどう)。 江戸時代の終わりか、明治の初めの建物。
よく見る、三界満霊塔。 右に、変わったのが。
念仏供養塔。 このお堂では、念仏を唱えていたんですね。
女人講中(こうじゅう)とあるので、女の人だけか。 ※ 講中は信者の集まり。
山の上で見た像と、同じ。 お堂の中。 中心に地蔵菩薩。 十王像も。
戻る途中に、毘沙門堂があった。
赤岩には、懐かしい風景や建物が、点在している。
工事していいる家が、数件。
少しずつ、元の昔に戻そうとしている。
数年後に来たら、きっと、今より良くなっている。
江戸時代の物が、当たり前にある。 そして、明治の養蚕の遺跡も。
懐かしい日本の風景が、残っている。
それは、赤岩の特徴でした。
【関連ブログ】 農村風景と言えば、ここでしょうか。 五箇山とか、白川郷もかな。
かやぶきの里 北村 ~南丹市~ 他 (2011/12/1)
【今日の歌】 昨日と同じ人。
【道の駅】 草津運動茶や公園
【明日の予定】 草津温泉
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赤岩地区は、養蚕農家の建物も、昔のまま残っている。
富岡製糸場との関係で、世界遺産の暫定リストに、入っている。
江戸末期、幕府を批判して投獄された、高野長英が、一時隠れ住んだという家があった。
※ このことを言ってるのは、中之条町だけ、という問題はあるけど。
神社や小さな祠(ほこら)が点在している風景は、懐かしい、日本の風景に見えた。
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昨日いた吾妻渓谷からも、草津温泉へも、近いです。
下には、吾妻川の支流の、白砂川が流れている。
自慢してもいいくらいの、立派な渓谷。
川の向こうに、赤岩地区。 普通の集落に見えるので、ちょっと不安。

赤○の所を、歩くことになる。
駐車場があるようなので、集落に入ることに。 ※ 不安なら、ここから歩く。

右は、ふれあいの家。 ここで地図をいただいた。

水車小屋。 動いている。 実際に使える。

細い道を山に登ったら、上(かみ)の観音堂。
何気ないこの建物が、1764年の建物。 赤岩では、一番古い。
茅葺は、ここだけ。
中に仏像があるけど、見えなかった。 聖観音立像とか。

六面地蔵ですね。 たまに見ます。 六地蔵と同じ意味なんでしょうか。

住宅は、普通。 一目古くは見えないけど、古いのも。

家々の庭の隅には、このようなのが多い。

湯本家。 高野長英の隠れ家、と言われる家。



小説には、このように出て来る。 ※ いただいた資料に。
文中の、暮坂峠は、四万温泉に向かう途中、左の山に入ると、越える峠。

※ いつのことかですね。
高野長英や渡辺崋山は、幕府の鎖国的な考えに反対。
幕府は、言論を弾圧し、蛮社の獄で、彼らを捕まえて、投獄。
しかし、長英が入っていた伝馬町牢屋敷が、火事になる。 (長英の仕業とも)
1844年のこと。(弘化元年)
その翌年、逃亡の途中、この地の、湯本家に一時、かくまわれたという。
※ このことを言ってるのは、湯本家と、中之条町だけ。
第3者がどういっているか探したが、見つからない。
小説で言ってるので、可能性があるのかなと思う。
高野長英の研究者が言っていると、可能性は高いのだが。
※ なお、高野長英は、5年後の1850年に、江戸で捕まる。
その時の暴行で、亡くなったと言われる。
明治政府は、長英の名誉を回復している。
※ 湯本家には、長英の間が残されている。
ここは、少し歩いて、稚蚕飼育所跡。(ちさんしいくしょあと)

他にも、養蚕関係の建物は残っていて、これがあるので、世界遺産の候補に。
※ 世界遺産は、直ぐに登録されることはなく、一旦、候補に入ってから。
もし世界遺産になったら、ここは観光地。
重伝建地区としての整備が、一気に進む。
中の見学は出来ない。 ※ 出来る日はあるよう。
ポスターが貼ってあった。
人形の目に、物を言わすことが出来るんですね。 徳島で出会った浄瑠璃の人形は、私を見つめた。


上の所から、少し、山の上に、石垣があった。 諏訪神社跡。 立派な石垣。
明治の終わりに、他の神社と合わさって、赤岩神社として、山の上に。
後で行く。

青空に、柿の実。 柿が食べたくなってきた。 ※ ついでに、牡蠣(かき)も。 ポン酢で。 熱燗。

先に進む。 右に、はしご。 今は脚立だから、滅多に見ない。

赤岩全体を、この風景にする必要がありますね。 今は、全体の3分の1でしょうか。

寒くなって、菊の出番。 寒いから、押しくらまんじゅうのように、咲くのか。

枝道を、山の中腹に。 向城の観音堂。 むこんじょう。


元々の読みは、むこんではなく、むこうでないかな。
むこうが、むこんに。
※ そういえば、やつば(八つ場)は、やんば(八ッ場)になった。
似ている。
この地方は、言葉の発音が、「ん」に変化するのは、珍しくないのか。
1811年の建物。 昔は、茅葺だった。 中は、散乱していた。 小さな仏像が。

お堂の横に、転がっていた。 宝珠の形。 何の一部だろう。
石塔の上の部分かな。

今日の一番大変な所。 山の上に、赤岩神社。 ここから、15分。

荒れ気味。 昼なお、薄暗い。

供養塔。 四国 西国 坂東 秩父 供養塔。
四国以外は、巡礼地の数は、33。
全部お参りが終わって、それで、つくった。
宝暦11年の物。 1761年。 ※ 宝暦11年は、少し前にも出て来た。 北斎が1歳。
誰かが、柿を1つ。 右の石像が、変わっている。 後でまた会う。

山を上がって来た。 大変な状態。 工事中だった。
木の根は、力持ち。

紅葉です。

着きました。 ここは、木を切った。
ここは、世界遺産の候補。 このままなら、恥ずかしいということで。

下の谷に、集落がある。

この機械は、クレーン。 石段の石を持ち上げるのか。

山を下りた。 さっきの石仏の辺りで、柿を拾った。
上を見たら、大きな柿の木。 実がいっぱい。 周りにはたくさん落ちていた。
動物がかじったのもあった。 拾ったのは、飾っておく。

この花を、時々見た。 ※ 追記 アメジストセージって名前でした。 ある方に教えていただきました。

川の近くにある、東堂(ひがしどう)。 江戸時代の終わりか、明治の初めの建物。

よく見る、三界満霊塔。 右に、変わったのが。

念仏供養塔。 このお堂では、念仏を唱えていたんですね。
女人講中(こうじゅう)とあるので、女の人だけか。 ※ 講中は信者の集まり。

山の上で見た像と、同じ。 お堂の中。 中心に地蔵菩薩。 十王像も。


戻る途中に、毘沙門堂があった。

赤岩には、懐かしい風景や建物が、点在している。
工事していいる家が、数件。
少しずつ、元の昔に戻そうとしている。
数年後に来たら、きっと、今より良くなっている。
江戸時代の物が、当たり前にある。 そして、明治の養蚕の遺跡も。
懐かしい日本の風景が、残っている。
それは、赤岩の特徴でした。
【関連ブログ】 農村風景と言えば、ここでしょうか。 五箇山とか、白川郷もかな。
かやぶきの里 北村 ~南丹市~ 他 (2011/12/1)
【今日の歌】 昨日と同じ人。
【道の駅】 草津運動茶や公園
【明日の予定】 草津温泉
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位、 旅行全体、1位です。
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八ッ場(やんば)ダムは、2020年完成予定。
あと、7年。
その時は、八ッ場地区も、川原湯(かわらゆ)温泉も、ダム湖に沈む。
八ッ場ダムの場所は、吾妻(あがつま)渓谷の、最上流部にあった。
渓谷を見ながら、そこへも、行ってみた。
川原湯温泉の共同浴場、王湯に入った。
地元の人と、話した。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
この辺りの川は、利根川の流域。 もしかして、群馬県のほとんどは、そうなのかな。
吾妻渓谷の全体。 八ッ場ダムの左に、あと少しある。 その部分が、ダムに沈む。
橋の上から、下流を。 数百㍍で、渓谷はお終い。
たてに。 渓谷の幅は、上流に行くと、狭くなる。 ここは、広い。
走っていて、小さなトンネルだなと思った。
後で知るが、日本一短い、鉄道のトンネルだった。
樽沢隧道(ずいどう)。 7.2㍍。 写真は、Wikipediaから。
どうして、岩を削らなかったんでしょう。 トンネルにした方が、落石がないかな。
※ 最長は、津軽海峡トンネル。 これは、鉄道でなくても、外国を入れても、全てで、1位。
ダムの下流だから、ダム湖には沈まない。 この線路は使われなくなる。
トロッコ列車を、ダムの下まで走らせればいい。 片道乗って片道歩けば、楽しい。
駐車場に車を置いて、鹿飛橋に向かっている。 少し戻る形。
国道沿いに、歩道。 ずっとある。 国道145には、バイパスもある。
振り返って、撮影。 渓谷が狭くなってきた。 峡谷に。
この谷の、左の斜面に、草津、そして信州へ抜ける、街道があった。
それは今、遊歩道として残っている。
右は、真下を見た。 吾妻川は、小さな川ではないけど、細い。 下へ下へと、削った。
久しぶりの青空なので、うれしい。
谷が狭くなったところに、鹿飛(しかとび)橋。
橋の上から、下流を。 雨のせいか、濁っている。
右は、上流。 瀧が見える。
八ッ場ダムは、もう少し上流に。
ダム出来たら、夏場の雨の少ない時は、水はダムに貯める。 川にはほとんどなくなる。
鹿飛橋を渡ると、道は、このように続く。 昔の街道。
分からないのは、街道時代、鹿飛橋はあったのかどうか。
こんな道を戻っている。 紅葉は、これからなのか。 それとも、よくないのか。
八ッ場ダムの場所に気づかないで、通り過ぎてしまった。
滝見橋に行く。
初め、鉄道の跡かなと思った。
橋の向こうに、白糸の滝。 岩の途中に滝つぼ。
吾妻川の川底と、白糸の滝の滝つぼが、同じ高さだった時が、あったかも知れない。
下流を見たら、コンクリートの建築物。 八ッ場ダムは、この少し下流と、後で知る。
上流。 八ッ場大橋。 鉄橋も、下に少し見える。
遠くに、ダム湖を渡る大きな橋。
写真が展示してあった。 木造の橋。 白糸の滝も。
右は、八ッ場大橋から見ている。 木造と分かる。
私も八ッ場大橋から。
直ぐ近くの、川原湯温泉駅のパーキングに、下の地図があった。
八ッ場ダムの場所が、分かった。 戻ることに。
滝見橋の駐車場に車を置いて、歩き出した。
さっき見た、コンクリートは、これだった。
列車が通り過ぎた。 この場所は、全てが、ダム湖に沈む。
同じものかな。
少し歩いたら、何かが、見えて来た。 ここが、ダムの建設地だった。
大きな工事が、これから。
赤線は、ダムの中心線。
こんな説明。 自分は今、ずいぶん下にいる。
ダムの大きさを貯水量で考えたら、八ッ場ダムは黒部ダムの半分。
日本最大の岐阜県にある徳山ダムの、6分の1。 そんな大きさ。
重力式、とある。 コンクリートの重さを利用した、ダム。
※ それにしても、八ッ場の読み方は、変わっている。
ダムの国道側が、八ッ場地区。 八ン場とは、書かない。
元々は、八ッ場と書いて、文字通り、やつば、と読んでいた。
いつの間にか、やつんば、になった。 この変化は、あってもおかしくないよう。
そうして、さらに変わって、やんば、に。
でも、表記は、昔のまま。
こういうことでした。
近くに、何かの工事の跡か。 穴を掘って、何したんだろう。 地質の調査か。
再び、川原湯温泉駅に。 多くの新しい道が、完成している。
案内地図で、共同浴場の場所を確認して、出発。
この辺り一帯、全てが、湖に沈む。 入っておこうか、となった。
共同湯、王湯。 普通は300円。
※ 温泉のスタンプラリーのようなのがあって、それをするって用紙をもらえば、200円。
新しい川原湯温泉は、代替地でスタートするよう。 泉質は違うけど、温泉は出た。
地元の人が3人いた。 言葉になまりが少ないので、全てわかる。
みんな、ダムには賛成。 仕方ないという部分はあっても。
私の話なんか、私にとって、どうでもいい。
相手は聞きたい。 いろいろ聞いてくる。
でも、ちょっとだけ答えて、私は話を戻す。
もう、出てしまった人もいる。
代替地は、埋まらないよう。
ダムには、莫大な予算が必要。 そこに利権が生まれる。
そのため、本当に必要かどうかの議論に、利権が影響を与える。
利権に絡んでる人間は、作りたくて仕方ない。
昔ほどは、露骨ではないにしても、見えない所で、今も続く。
民主党は、建設をいったん中止したり、いろいろやった。
利権から離れて考えているかに、見えた。
でも、民主党は、小沢や鳩山をはじめ、誰もが自分のことしか考えなかったから、
組織として動けず、空中分解。
国民の信用を、すっかり失って、今はダムのことには、口を出せない。
そうして、作ることが、再び決定。
2020年完成予定。
道の駅だって、出来ていた。 トイレの水は、温水。
全ては、ダムが嫌われないために。
東京の水が足りていれば、八ッ場ダムは必要ない。
足りてなかったら、必要。
基本は、そういうことでしょうか。
完成まで7年あるので、桜の時期とかに、また来ることが出来ます。
その時はまた、共同湯の王湯に入りたい。
【今日の歌】 聴き比べです。 村治佳織は、体調悪いみたい。 大丈夫かな。
編曲が違います。 いいですよ。
【道の駅】 道の駅八ッ場ふるさと館
【明日の予定】 赤岩地区。 山村の養蚕集落。 近くです。 伝建地区。
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あと、7年。
その時は、八ッ場地区も、川原湯(かわらゆ)温泉も、ダム湖に沈む。
八ッ場ダムの場所は、吾妻(あがつま)渓谷の、最上流部にあった。
渓谷を見ながら、そこへも、行ってみた。
川原湯温泉の共同浴場、王湯に入った。
地元の人と、話した。
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この辺りの川は、利根川の流域。 もしかして、群馬県のほとんどは、そうなのかな。
吾妻渓谷の全体。 八ッ場ダムの左に、あと少しある。 その部分が、ダムに沈む。

橋の上から、下流を。 数百㍍で、渓谷はお終い。

たてに。 渓谷の幅は、上流に行くと、狭くなる。 ここは、広い。

走っていて、小さなトンネルだなと思った。
後で知るが、日本一短い、鉄道のトンネルだった。
樽沢隧道(ずいどう)。 7.2㍍。 写真は、Wikipediaから。
どうして、岩を削らなかったんでしょう。 トンネルにした方が、落石がないかな。
※ 最長は、津軽海峡トンネル。 これは、鉄道でなくても、外国を入れても、全てで、1位。
ダムの下流だから、ダム湖には沈まない。 この線路は使われなくなる。
トロッコ列車を、ダムの下まで走らせればいい。 片道乗って片道歩けば、楽しい。

駐車場に車を置いて、鹿飛橋に向かっている。 少し戻る形。
国道沿いに、歩道。 ずっとある。 国道145には、バイパスもある。

振り返って、撮影。 渓谷が狭くなってきた。 峡谷に。
この谷の、左の斜面に、草津、そして信州へ抜ける、街道があった。
それは今、遊歩道として残っている。
右は、真下を見た。 吾妻川は、小さな川ではないけど、細い。 下へ下へと、削った。


久しぶりの青空なので、うれしい。

谷が狭くなったところに、鹿飛(しかとび)橋。

橋の上から、下流を。 雨のせいか、濁っている。
右は、上流。 瀧が見える。
八ッ場ダムは、もう少し上流に。
ダム出来たら、夏場の雨の少ない時は、水はダムに貯める。 川にはほとんどなくなる。


鹿飛橋を渡ると、道は、このように続く。 昔の街道。
分からないのは、街道時代、鹿飛橋はあったのかどうか。

こんな道を戻っている。 紅葉は、これからなのか。 それとも、よくないのか。

八ッ場ダムの場所に気づかないで、通り過ぎてしまった。
滝見橋に行く。

初め、鉄道の跡かなと思った。

橋の向こうに、白糸の滝。 岩の途中に滝つぼ。
吾妻川の川底と、白糸の滝の滝つぼが、同じ高さだった時が、あったかも知れない。


下流を見たら、コンクリートの建築物。 八ッ場ダムは、この少し下流と、後で知る。

上流。 八ッ場大橋。 鉄橋も、下に少し見える。
遠くに、ダム湖を渡る大きな橋。

写真が展示してあった。 木造の橋。 白糸の滝も。
右は、八ッ場大橋から見ている。 木造と分かる。


私も八ッ場大橋から。

直ぐ近くの、川原湯温泉駅のパーキングに、下の地図があった。
八ッ場ダムの場所が、分かった。 戻ることに。

滝見橋の駐車場に車を置いて、歩き出した。
さっき見た、コンクリートは、これだった。

列車が通り過ぎた。 この場所は、全てが、ダム湖に沈む。

同じものかな。

少し歩いたら、何かが、見えて来た。 ここが、ダムの建設地だった。
大きな工事が、これから。
赤線は、ダムの中心線。

こんな説明。 自分は今、ずいぶん下にいる。

ダムの大きさを貯水量で考えたら、八ッ場ダムは黒部ダムの半分。
日本最大の岐阜県にある徳山ダムの、6分の1。 そんな大きさ。
重力式、とある。 コンクリートの重さを利用した、ダム。


※ それにしても、八ッ場の読み方は、変わっている。
ダムの国道側が、八ッ場地区。 八ン場とは、書かない。
元々は、八ッ場と書いて、文字通り、やつば、と読んでいた。
いつの間にか、やつんば、になった。 この変化は、あってもおかしくないよう。
そうして、さらに変わって、やんば、に。
でも、表記は、昔のまま。
こういうことでした。
近くに、何かの工事の跡か。 穴を掘って、何したんだろう。 地質の調査か。


再び、川原湯温泉駅に。 多くの新しい道が、完成している。

案内地図で、共同浴場の場所を確認して、出発。
この辺り一帯、全てが、湖に沈む。 入っておこうか、となった。
共同湯、王湯。 普通は300円。
※ 温泉のスタンプラリーのようなのがあって、それをするって用紙をもらえば、200円。

新しい川原湯温泉は、代替地でスタートするよう。 泉質は違うけど、温泉は出た。

地元の人が3人いた。 言葉になまりが少ないので、全てわかる。
みんな、ダムには賛成。 仕方ないという部分はあっても。
私の話なんか、私にとって、どうでもいい。
相手は聞きたい。 いろいろ聞いてくる。
でも、ちょっとだけ答えて、私は話を戻す。
もう、出てしまった人もいる。
代替地は、埋まらないよう。

ダムには、莫大な予算が必要。 そこに利権が生まれる。
そのため、本当に必要かどうかの議論に、利権が影響を与える。
利権に絡んでる人間は、作りたくて仕方ない。
昔ほどは、露骨ではないにしても、見えない所で、今も続く。
民主党は、建設をいったん中止したり、いろいろやった。
利権から離れて考えているかに、見えた。
でも、民主党は、小沢や鳩山をはじめ、誰もが自分のことしか考えなかったから、
組織として動けず、空中分解。
国民の信用を、すっかり失って、今はダムのことには、口を出せない。
そうして、作ることが、再び決定。
2020年完成予定。
道の駅だって、出来ていた。 トイレの水は、温水。
全ては、ダムが嫌われないために。

東京の水が足りていれば、八ッ場ダムは必要ない。
足りてなかったら、必要。
基本は、そういうことでしょうか。
完成まで7年あるので、桜の時期とかに、また来ることが出来ます。
その時はまた、共同湯の王湯に入りたい。
【今日の歌】 聴き比べです。 村治佳織は、体調悪いみたい。 大丈夫かな。
編曲が違います。 いいですよ。
【道の駅】 道の駅八ッ場ふるさと館
【明日の予定】 赤岩地区。 山村の養蚕集落。 近くです。 伝建地区。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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