白糸の滝は、全国に、たくさんある。
その中で、軽井沢の白糸の滝は、トップクラスの美しさでしょうか。
ここの滝は、川が流れ落ちているのではなく、岩の隙間から、水が噴き出して、落ちていた。
美しさには秘密があった。
水は、昔は、岩の隙間から落ちていた。
でも、今のように、美しく流れ落ちては、いなかった。
それで、人工的に手を加え、滝のように落ちるように、した。
池を作って、庭園のようにも。
だから、本物でないと言えば、そうかも知れない。
でも、元々あったものを生かして、美しい滝にしたのだから、いいかなって思う。
自然のままと言って、悲惨な状態を見ることがあるので。
絹糸と言っていいほどの、繊細さを持った部分もありました。
市街地へ抜ける途中に、軽井沢の鹿鳴館と言われた、旧三笠ホテルがありました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
白糸ハイランドウェイを走る。 ひどい舗装の、有料道路。
観光地だった。 店の前を、左に行く。
○を通って、軽井沢の市街地へ。
前を歩くのは、バスで来た人たち。 台湾かなって、感じの人たちも。
登ったところに、まるい池。 その周りに、小さな滝がいっぱい。
手前の部分も、人工的なもの。
この川の源流点は、上にある、白糸の滝。
山の上に登ってきて、全体を。
この池も、掘ったもの。
元の状態の写真は、見つからない。
想像だけど、一部は滝で、なんとなく斜面を流れている部分が多かった。
今は、全体が滝。
ここは、長野県。 川は、千曲川に。 最後は信濃川。
先日までいた群馬県の川は、利根川に。
滝の上が、ずいぶんあります。
いい風景です。 右に、倒れた木。 取り除くでしょうね。
同じ3㍍程の高さから、水が出ている。 横幅は、70㍍。
水が出ている所の、下の地盤は、水を通さない。 はるか昔、湖の底だったそう。
上の部分は、噴火による、軽石層。
軽石層の中を、均等に流れているのではなく、流れやすくなっている所がある。
滴(したた)り落ちている所も。
水量はいつも同じ。 濁ることはない。
浅間山に降った雨が、ここに出るまで、6年だという。(説明版)
それは、どうやって、調べることが出来るのでしょう。
※ どこかの学者が、想像で言ったのが、広まってる場合もある。
これぞ、白糸の滝。 絹糸の滝と言っても、言い過ぎではない。
黄色い地盤と、上の軽石層の間に、隙間があるのように、見える。
実際は、どうなんでしょう。
この水を飲んでみたい。
口を開けて、上を向いて。 暑い時は、服が濡れたっていい。
水温は、年間通して、11.8℃。
説明で地熱のため高めとあったが、湧水の温度はこんなものかなと。
山を下って、竜返しの滝。
道からどのくらい歩くか、調べていなかった。
案内板の地図では、白糸の滝と、同じ大きさで載っていた。
でも、こっちは、人っ子1人いない。
※ 人っ子一人いないは、全くいないという感じ。
人っ子って、どうして、子なんでしょう。
大人だけでなく、子供だっていない、という意味かな。
大人の半分を、子供と考えて。
橋が見えて来た。 滝までの距離は、分からない。 表示はない。
4時を過ぎて、谷は、薄暗くなるのが早い。 クマが動き出す。
橋まで行って、戻るかどうするか、考えていた。
そうしたら、川の上流の、木の隙間に、白く滝が見えた。
着きました。 小さな滝。
感動するって滝ではないけど、これを見るために、自然に入り込むのがいいのかな。
この高さは、魚にとっては、無理ですね。 昇るのが。
※ 3㍍の高さなら、昇りますね。 滝つぼに、スピードを付ける広さがあって。
このように。 北海道の、さくら滝。 魚は、サクラマス。(2010年)
戻る。 本当に、この道でよかったかなと、夕方だと、不安になることも。
軽井沢市街の、入り口に、旧三笠ホテルはあった。
門を閉める直前。 建物だけ、撮らせてもらった。
開業は、明治39年。 日本で2番目に古い、木造の洋風のホテルだそう。
軽井沢の、鹿鳴館とまで言われた。 そんな時代が。 使われたのは、昭和45年まで。
デザインに、味がありますね。
豪快な滝は多いが、美しい滝は少ない。
白糸の滝は、いい滝でした。
感動の滝でした。
いつか、もう一度見ます。
新緑の頃が、ベストでしょうか。
【関連ブログ】
① 白糸の滝
碇ヶ関 関所資料館 白糸の滝 葛西善蔵文学碑 ~平川市~ 他 (2010/7/31)
白糸の滝 音止の滝 田貫湖 ~富士宮市~ 他 (2010/6/29)
最上川船下り ~五月雨を あつめて早し 最上川~ 稲刈り 他 (2009/09/29)
赤沢宿は、身延山と七面山を結ぶ道の、中間にあった。 白糸の滝。~早川町~ 他 (2013/6/4)
② 湧水(地下水)の滝
フンベの滝 黄金道路 豊似湖 襟裳岬 ~広尾町・えりも町~ 他 (2010/9/16)
高さ68㍍の吊橋から見る、神川大滝 小滝は裏見の滝 ~錦江町~ マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲) (2012/3/8) (大きな滝の横に)
上ホロカメットク山は、火山と花の山。 青い池は、本当に青かった。~上富良野・美瑛~ 他 (2013/8/13) (白ひでの滝)
奈曽の白滝 元滝伏流水 芭蕉追記 他 (2009/09/23)
【今日の曲】 昨日と同じ人です。
【停泊場所】 雲場池の駐車場
【明日の予定】 軽井沢を歩きます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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その中で、軽井沢の白糸の滝は、トップクラスの美しさでしょうか。
ここの滝は、川が流れ落ちているのではなく、岩の隙間から、水が噴き出して、落ちていた。
美しさには秘密があった。
水は、昔は、岩の隙間から落ちていた。
でも、今のように、美しく流れ落ちては、いなかった。
それで、人工的に手を加え、滝のように落ちるように、した。
池を作って、庭園のようにも。
だから、本物でないと言えば、そうかも知れない。
でも、元々あったものを生かして、美しい滝にしたのだから、いいかなって思う。
自然のままと言って、悲惨な状態を見ることがあるので。
絹糸と言っていいほどの、繊細さを持った部分もありました。
市街地へ抜ける途中に、軽井沢の鹿鳴館と言われた、旧三笠ホテルがありました。
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白糸ハイランドウェイを走る。 ひどい舗装の、有料道路。
観光地だった。 店の前を、左に行く。

○を通って、軽井沢の市街地へ。

前を歩くのは、バスで来た人たち。 台湾かなって、感じの人たちも。

登ったところに、まるい池。 その周りに、小さな滝がいっぱい。
手前の部分も、人工的なもの。
この川の源流点は、上にある、白糸の滝。

山の上に登ってきて、全体を。
この池も、掘ったもの。
元の状態の写真は、見つからない。
想像だけど、一部は滝で、なんとなく斜面を流れている部分が多かった。
今は、全体が滝。

ここは、長野県。 川は、千曲川に。 最後は信濃川。
先日までいた群馬県の川は、利根川に。

滝の上が、ずいぶんあります。

いい風景です。 右に、倒れた木。 取り除くでしょうね。

同じ3㍍程の高さから、水が出ている。 横幅は、70㍍。

水が出ている所の、下の地盤は、水を通さない。 はるか昔、湖の底だったそう。
上の部分は、噴火による、軽石層。
軽石層の中を、均等に流れているのではなく、流れやすくなっている所がある。

滴(したた)り落ちている所も。

水量はいつも同じ。 濁ることはない。

浅間山に降った雨が、ここに出るまで、6年だという。(説明版)
それは、どうやって、調べることが出来るのでしょう。
※ どこかの学者が、想像で言ったのが、広まってる場合もある。

これぞ、白糸の滝。 絹糸の滝と言っても、言い過ぎではない。

黄色い地盤と、上の軽石層の間に、隙間があるのように、見える。
実際は、どうなんでしょう。

この水を飲んでみたい。
口を開けて、上を向いて。 暑い時は、服が濡れたっていい。

水温は、年間通して、11.8℃。
説明で地熱のため高めとあったが、湧水の温度はこんなものかなと。

山を下って、竜返しの滝。
道からどのくらい歩くか、調べていなかった。

案内板の地図では、白糸の滝と、同じ大きさで載っていた。
でも、こっちは、人っ子1人いない。
※ 人っ子一人いないは、全くいないという感じ。
人っ子って、どうして、子なんでしょう。
大人だけでなく、子供だっていない、という意味かな。
大人の半分を、子供と考えて。
橋が見えて来た。 滝までの距離は、分からない。 表示はない。
4時を過ぎて、谷は、薄暗くなるのが早い。 クマが動き出す。

橋まで行って、戻るかどうするか、考えていた。
そうしたら、川の上流の、木の隙間に、白く滝が見えた。

着きました。 小さな滝。

感動するって滝ではないけど、これを見るために、自然に入り込むのがいいのかな。

この高さは、魚にとっては、無理ですね。 昇るのが。
※ 3㍍の高さなら、昇りますね。 滝つぼに、スピードを付ける広さがあって。
このように。 北海道の、さくら滝。 魚は、サクラマス。(2010年)

戻る。 本当に、この道でよかったかなと、夕方だと、不安になることも。

軽井沢市街の、入り口に、旧三笠ホテルはあった。

門を閉める直前。 建物だけ、撮らせてもらった。

開業は、明治39年。 日本で2番目に古い、木造の洋風のホテルだそう。
軽井沢の、鹿鳴館とまで言われた。 そんな時代が。 使われたのは、昭和45年まで。
デザインに、味がありますね。

豪快な滝は多いが、美しい滝は少ない。
白糸の滝は、いい滝でした。
感動の滝でした。
いつか、もう一度見ます。
新緑の頃が、ベストでしょうか。
【関連ブログ】
① 白糸の滝
碇ヶ関 関所資料館 白糸の滝 葛西善蔵文学碑 ~平川市~ 他 (2010/7/31)
白糸の滝 音止の滝 田貫湖 ~富士宮市~ 他 (2010/6/29)
最上川船下り ~五月雨を あつめて早し 最上川~ 稲刈り 他 (2009/09/29)
赤沢宿は、身延山と七面山を結ぶ道の、中間にあった。 白糸の滝。~早川町~ 他 (2013/6/4)
② 湧水(地下水)の滝
フンベの滝 黄金道路 豊似湖 襟裳岬 ~広尾町・えりも町~ 他 (2010/9/16)
高さ68㍍の吊橋から見る、神川大滝 小滝は裏見の滝 ~錦江町~ マーラが与えた人生(百万本のバラの原曲) (2012/3/8) (大きな滝の横に)
上ホロカメットク山は、火山と花の山。 青い池は、本当に青かった。~上富良野・美瑛~ 他 (2013/8/13) (白ひでの滝)
奈曽の白滝 元滝伏流水 芭蕉追記 他 (2009/09/23)
【今日の曲】 昨日と同じ人です。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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浅間山が、一瞬光った。
と思った、その瞬間、真っ赤な火炎が、天に向かって吹きあがった。
同時に、灼熱の火砕流が、猛スピードで北斜面を襲った。
そこには、鎌原(かんばら)村。
村人477名は、必死で逃げた。 家族そして知人を、思いやりながら。
高台は、観音堂の場所しかない。 みんな、そこを目指した。
火砕流は、次から次と、人々を飲み込む。
石段の数は、50段。
登り切って、たどり着けたのは、たったの93名だった。
若い女性が、母親と思われる人を背負って、石段まで何とかたどり着いた。
最後の力を振り絞って、登り始めた。
でも、間に合わなかった。 力尽きた。
火砕流が収まった時、石段は、15段しかなかった。
35段は、埋まっていた。
十数分の、出来事だった。
天明3年(1783年)7月8日の、午前10時過ぎのこと。
火砕流の後、浅間山は、溶岩をさらに出した。
上で固まった溶岩は、山の斜面に、ずり落ちた。
今、その跡は、鬼押出し園として、公園になっていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
嬬恋村(つまごいむら)は、群馬県の西の端。
鎌原観音堂の位置。
※ 嬬恋カルタがあって、「嬬恋の由来は古し 吾嬬者耶(あずまはや)」というのが。
その解説は、こうだった。(嬬恋村文化協会)
日本武尊が碓日阪(今の鳥居峠)にお立ちになって、なき妻弟橘姫を追慕のあまり
「あづまはや」とおなげきになって、妻をいとしまれたという故事にちなんで、
嬬恋村と名づけられた。
妻と嬬の意味の違いが、難しい。 ネットで、見つからない。
気になったので、上を載せました。
鎌原観音堂。
※ かまはら、が、かんばら。 「ん」への変化は、最近3度目の出会い。
八ッ場(やんば)ダム。 向城(むこんじょう)。
橋の向こうに、15の石段。 この手前に、35段が、地面の下に。
右の建物に、人がいた。 今でも毎日、観音堂を守っている。
浅間山の噴火による火砕流は、このように、流れて来た。
鎌原村の人口は、570名。 観音堂に逃げられたのは、93名。
石段の数は、50段と、語り継がれていた。
実際に掘ってみた。 残りの35段が、出て来た。
そして、二人の骨。 骨の位置とかで、背負っていたと、考えられている。
※ 頭の位置は、分かりますね。
2つの手は、何を意味するでしょう。
負ぶっている、手か。 最後、抱きしめたのか。
2人の前の人は助かった。 石段に、他の骨はなかったから。
後ろの人は、助からなかった。
背負われた女性は、私を置いて、お前だけで行け、と言ったでしょうね。
でも、背負っていた女性は、離さなかった。
命(運命)を、共にした。
※ 嬬恋郷土資料館に、2人の女性の、復元した顔がある。
真っ赤な溶岩が、全ての飲み込んで、襲ってくる。
浅間山からここまでは、ほぼ、10㎞。
15分で来たとすれば、時速40㌔。 加速していたら、時速60㌔に。
※ 大正時代に起きた、上富良野の、十勝岳からの泥流は、時速60㌔。
下の説明も、資料として、載せます。
火砕流は、吾妻川をせき止め、それが破壊し、泥流となって下流の村を襲う。
多くの人が亡くなる。
赤い橋の下に、石段が見えた。
隣の石は、計りばばあ、とあった。 亡くなった人の服をはぎ取る、奪衣婆(だつえば)か。
15段から下は、地獄と考えて。
右は、「天明の 生死をわけた 15だん」
10秒早くて助かって、10秒遅れて火砕流につかまった。
そんな世界に、なっていた。
天明3年の、浅間山の噴火は、日本の空を曇らせた。
その前から不作は続いていたが、この噴火によって、天明の大飢饉を招くことになる。
※ 飢饉と、天明の大飢饉については、関連ブログで、最後に。
日本の人口が減ってしまう、大飢饉。
次は、浅間山の、鬼押出しをみる。
道は有料道路。 西武が昔作った。 鬼押出しの施設も、西武。
観光面で、邪魔な道。 当時、国はどうして、作ることに、許可を出したのでしょう。
※ 何があってもおかしくない政治が、日本で、続いていた時代かな。
1度だけ見ておこうと、やってきた。 異様な風景。
遊歩道が整備されている。 赤い門は、惣(そう)門。
鬼押出しの、鬼。
鎌原村への火砕流の後、火口から溶岩が出て来た。 それが固まって崩れて、ここに押し出されてきた。
押し出したのは鬼と考えて、鬼押出しの名前に。 それで、鬼がいる。
惣門の中に、二天尊像。
ガラスで、全体は撮れない。 お腹にも、顔があった。
ここには、浅間山観音堂がある。 東京上野の寛永寺の別院として。
このような灯篭も、持ってきた。
延宝九年は、1681年。 噴火より前に作られている。 五月八日も読める。
辛酉(かのととり)も、読める。(右から読んで)
※ 辛は、「甲、乙、丙、丁、・・・」の8番目。 全部で10個。
酉は、「子、丑、寅・・・・」の10番目。 全部で12個。
甲子、乙丑、丙寅、と順に組み合わせていくと、60通り。 そして、元に戻る。
辛酉は、上で組み合わせた、干支(えと)と呼ばれるものの、1つ。
60年に1度、同じのが、巡って来る。
石塔の年号の下に、たいてい書かさっている。
これが見えたら、年号の一部が見えなくても、何年かが分かる。
ちなみに、辛酉の年は、60で割ったら1余る年。
1681÷60=28あまり1。
2013年は、60で割ったら、33余る。 癸巳(みずのとみ)の年。
壬申の乱や、戊辰戦争の名前は、干支から取っている。
話がそれました。
固まった溶岩が、ごろごろ。 大きい。
それでも木は、たくましく生えて来る。
ヒカリゴケがあった。 少しだけ。
観音堂が近い。
温泉によくある、地獄の風景とも違う。
こんな岩が。
お金を、はさんでいる。 こんな、たまに見ます。
※ このお金を持ってきたら、泥棒になるんだろうか。
観音堂です。
寛永寺とありますね。
※ 寛永寺の開基は、天海僧正。
こんな話が、歴史の論争から消えません。 以前触れたことがあります。
この天海という人は、信長をやっつけた、明智光秀でないかと。
筆跡が似ていて、本人でないとしても、光秀に近い人ではと。
溶岩が、もこもこと山の上に出てきて、固まった。
それが、ずり落ちてきて、大きな岩だらけになった。 上でも触れたけど。
これが、現在の考え。
溶けたのが流れてきたら、大きな岩にならない。 岩手山の麓の、焼走りのようになる。
後ろから流れてきたが、今日は曇って、後ろの浅間山は見えない。
1時間ほど歩けば、みんな見られる。
ここは、奥之院。
岩の中に、仏様。 観音像。
小さな木の、紅葉。 終わったのかな。
ここの入園料は、600円。 道も有料だから、お金がかかる。
見える範囲、ずっと、大地は凸凹。
それでも、鎌原村の助かった93名は、他に行かないで、元の場所で、村を復活した。
※ これについては、上に書いた上富良野も同じです。
それを小説にしたのが、三浦綾子の泥流地帯。
上富良野の人たちは、泥流を災難と考えないで、試練と受け止めた。
そうして、ある人を中心に、立ち上がった。 関連ブログは、最後に。
もしかしたら、鎌原村の人たちも、同じように考えたかも知れない。

こんな道を、戻る。
花の紹介がある。 花の時期なら、もっと楽しめる。 ハクサンシャクナゲも咲く。
戻ってきました。 お土産の中心は、オニ。 大事にされている。
鬼押出しは、美しいというより、滅多に見られない風景。
自然にあったものだから、散策路だけ作って、無料で見られたら、一番。
そうしたら、この場所が、廃墟になることはない。
今の観光に失敗したら、鬼押出しは、悲惨な場所になってしまう。
鎌原村の人たちには、意志の強さを感じましたね。
村を復興させたことと、決して忘れることはないという姿勢に。
力尽きてしまった、あの女性に、心を打たれます。
【関連ブログ】 天明の大飢饉について、書いてあります。
家の周りの瓦礫の撤去。 東北は、今も昔も、大変な苦労をしている。 それでも、キム・ヨナを中心に動く。 他 (2011/4/30)
ブログの中で、さらに、ブログを紹介しています。 面白いのも、ありますよ。
ファーム富田 泥流地帯の舞台に・・。 他 (2009/07/26)
【今日の歌】 一昨日の人。 クラークって云う人。
【停泊場所】 国道沿いのパーキング。
【明日の予定】 白糸の滝 変わった滝です。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)
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と思った、その瞬間、真っ赤な火炎が、天に向かって吹きあがった。
同時に、灼熱の火砕流が、猛スピードで北斜面を襲った。
そこには、鎌原(かんばら)村。
村人477名は、必死で逃げた。 家族そして知人を、思いやりながら。
高台は、観音堂の場所しかない。 みんな、そこを目指した。
火砕流は、次から次と、人々を飲み込む。
石段の数は、50段。
登り切って、たどり着けたのは、たったの93名だった。
若い女性が、母親と思われる人を背負って、石段まで何とかたどり着いた。
最後の力を振り絞って、登り始めた。
でも、間に合わなかった。 力尽きた。
火砕流が収まった時、石段は、15段しかなかった。
35段は、埋まっていた。
十数分の、出来事だった。
天明3年(1783年)7月8日の、午前10時過ぎのこと。
火砕流の後、浅間山は、溶岩をさらに出した。
上で固まった溶岩は、山の斜面に、ずり落ちた。
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鎌原観音堂の位置。
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日本武尊が碓日阪(今の鳥居峠)にお立ちになって、なき妻弟橘姫を追慕のあまり
「あづまはや」とおなげきになって、妻をいとしまれたという故事にちなんで、
嬬恋村と名づけられた。
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鎌原観音堂。
※ かまはら、が、かんばら。 「ん」への変化は、最近3度目の出会い。
八ッ場(やんば)ダム。 向城(むこんじょう)。

橋の向こうに、15の石段。 この手前に、35段が、地面の下に。

右の建物に、人がいた。 今でも毎日、観音堂を守っている。

浅間山の噴火による火砕流は、このように、流れて来た。

鎌原村の人口は、570名。 観音堂に逃げられたのは、93名。

石段の数は、50段と、語り継がれていた。
実際に掘ってみた。 残りの35段が、出て来た。
そして、二人の骨。 骨の位置とかで、背負っていたと、考えられている。
※ 頭の位置は、分かりますね。
2つの手は、何を意味するでしょう。
負ぶっている、手か。 最後、抱きしめたのか。


2人の前の人は助かった。 石段に、他の骨はなかったから。
後ろの人は、助からなかった。
背負われた女性は、私を置いて、お前だけで行け、と言ったでしょうね。
でも、背負っていた女性は、離さなかった。
命(運命)を、共にした。

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真っ赤な溶岩が、全ての飲み込んで、襲ってくる。
浅間山からここまでは、ほぼ、10㎞。
15分で来たとすれば、時速40㌔。 加速していたら、時速60㌔に。
※ 大正時代に起きた、上富良野の、十勝岳からの泥流は、時速60㌔。

下の説明も、資料として、載せます。
火砕流は、吾妻川をせき止め、それが破壊し、泥流となって下流の村を襲う。
多くの人が亡くなる。

赤い橋の下に、石段が見えた。
隣の石は、計りばばあ、とあった。 亡くなった人の服をはぎ取る、奪衣婆(だつえば)か。
15段から下は、地獄と考えて。
右は、「天明の 生死をわけた 15だん」
10秒早くて助かって、10秒遅れて火砕流につかまった。
そんな世界に、なっていた。


天明3年の、浅間山の噴火は、日本の空を曇らせた。
その前から不作は続いていたが、この噴火によって、天明の大飢饉を招くことになる。
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日本の人口が減ってしまう、大飢饉。
次は、浅間山の、鬼押出しをみる。
道は有料道路。 西武が昔作った。 鬼押出しの施設も、西武。
観光面で、邪魔な道。 当時、国はどうして、作ることに、許可を出したのでしょう。
※ 何があってもおかしくない政治が、日本で、続いていた時代かな。
1度だけ見ておこうと、やってきた。 異様な風景。

遊歩道が整備されている。 赤い門は、惣(そう)門。

鬼押出しの、鬼。
鎌原村への火砕流の後、火口から溶岩が出て来た。 それが固まって崩れて、ここに押し出されてきた。
押し出したのは鬼と考えて、鬼押出しの名前に。 それで、鬼がいる。

惣門の中に、二天尊像。
ガラスで、全体は撮れない。 お腹にも、顔があった。

ここには、浅間山観音堂がある。 東京上野の寛永寺の別院として。
このような灯篭も、持ってきた。

延宝九年は、1681年。 噴火より前に作られている。 五月八日も読める。
辛酉(かのととり)も、読める。(右から読んで)

※ 辛は、「甲、乙、丙、丁、・・・」の8番目。 全部で10個。
酉は、「子、丑、寅・・・・」の10番目。 全部で12個。
甲子、乙丑、丙寅、と順に組み合わせていくと、60通り。 そして、元に戻る。
辛酉は、上で組み合わせた、干支(えと)と呼ばれるものの、1つ。
60年に1度、同じのが、巡って来る。
石塔の年号の下に、たいてい書かさっている。
これが見えたら、年号の一部が見えなくても、何年かが分かる。
ちなみに、辛酉の年は、60で割ったら1余る年。
1681÷60=28あまり1。
2013年は、60で割ったら、33余る。 癸巳(みずのとみ)の年。
壬申の乱や、戊辰戦争の名前は、干支から取っている。
話がそれました。
固まった溶岩が、ごろごろ。 大きい。

それでも木は、たくましく生えて来る。

ヒカリゴケがあった。 少しだけ。


観音堂が近い。

温泉によくある、地獄の風景とも違う。

こんな岩が。

お金を、はさんでいる。 こんな、たまに見ます。
※ このお金を持ってきたら、泥棒になるんだろうか。

観音堂です。

寛永寺とありますね。
※ 寛永寺の開基は、天海僧正。
こんな話が、歴史の論争から消えません。 以前触れたことがあります。
この天海という人は、信長をやっつけた、明智光秀でないかと。
筆跡が似ていて、本人でないとしても、光秀に近い人ではと。

溶岩が、もこもこと山の上に出てきて、固まった。
それが、ずり落ちてきて、大きな岩だらけになった。 上でも触れたけど。
これが、現在の考え。
溶けたのが流れてきたら、大きな岩にならない。 岩手山の麓の、焼走りのようになる。

後ろから流れてきたが、今日は曇って、後ろの浅間山は見えない。
1時間ほど歩けば、みんな見られる。

ここは、奥之院。

岩の中に、仏様。 観音像。

小さな木の、紅葉。 終わったのかな。

ここの入園料は、600円。 道も有料だから、お金がかかる。

見える範囲、ずっと、大地は凸凹。
それでも、鎌原村の助かった93名は、他に行かないで、元の場所で、村を復活した。
※ これについては、上に書いた上富良野も同じです。
それを小説にしたのが、三浦綾子の泥流地帯。
上富良野の人たちは、泥流を災難と考えないで、試練と受け止めた。
そうして、ある人を中心に、立ち上がった。 関連ブログは、最後に。
もしかしたら、鎌原村の人たちも、同じように考えたかも知れない。

こんな道を、戻る。

花の紹介がある。 花の時期なら、もっと楽しめる。 ハクサンシャクナゲも咲く。

戻ってきました。 お土産の中心は、オニ。 大事にされている。


鬼押出しは、美しいというより、滅多に見られない風景。
自然にあったものだから、散策路だけ作って、無料で見られたら、一番。
そうしたら、この場所が、廃墟になることはない。
今の観光に失敗したら、鬼押出しは、悲惨な場所になってしまう。
鎌原村の人たちには、意志の強さを感じましたね。
村を復興させたことと、決して忘れることはないという姿勢に。
力尽きてしまった、あの女性に、心を打たれます。
【関連ブログ】 天明の大飢饉について、書いてあります。
家の周りの瓦礫の撤去。 東北は、今も昔も、大変な苦労をしている。 それでも、キム・ヨナを中心に動く。 他 (2011/4/30)
ブログの中で、さらに、ブログを紹介しています。 面白いのも、ありますよ。
ファーム富田 泥流地帯の舞台に・・。 他 (2009/07/26)
【今日の歌】 一昨日の人。 クラークって云う人。
【停泊場所】 国道沿いのパーキング。
【明日の予定】 白糸の滝 変わった滝です。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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