知覧(ちらん)は、薩摩の小京都と云われる。
京都と云うから、軽やかな日本風をイメージしたくなる。
でも、知覧の武家屋敷通りには、ごつさを感じる。
生け垣の刈込だって、西郷さんの眉毛のように、力強い。
個人の庭が見学できる。
これがいい。
立派な武家屋敷に住めるのなら、殿様にならなくても、上級武士で十分。
知覧に行く途中、小さな規模の、磨崖仏を見た。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
知覧は、薩摩半島の内陸に。
駐車場が有料なので、町外れから歩き出した。 歩くのは、1㌔程。
いっぱい歩いて、足を、開聞(かいもん)岳に間に合わせたい。
豊玉姫陵は、後で見ることに。
気づかなかったが、左遠くに、写っていた。
10分ほど歩いたら、石橋が見えた。
歩くと、このようにおまけで、何かが見られる。
矢櫃(やびつ)橋。 昨日いた川辺と知覧を結ぶ街道の橋。
左上の山には、亀甲(きっこう)城跡がある。 ※ 知覧城の出城。(出張所の感じ)
見晴らしはよくないと聞いたので、行かなかった。
石橋には、2つの穴。 右に小さく。 こんなの初めて見る。
武家屋敷通りの、西の端。
このそばに、無料駐車場があった。 知らなかった。 他はすべて有料。
家並みは、1㌔ほど続く。
通りを歩くだけなら無料。 7つの庭園を見るのが、有料。
薩摩藩は、藩を113に分けた。 そこに、武士の集団を住まわせた。 外城(とじょう)と呼ばれる。
知覧の武家屋敷通りは、その代表的な1つ。
私の後ろにお店があって、そこで、見学料を払った。
昔はこの辺りに、豊玉姫神社があった。
お店で、知覧茶を御馳走になった。
※ 知覧茶の特徴は、透き通った若緑色とさわやかな香り。高い評価。(Wikipedia)
緑のお茶の方が、お茶って感じがする。 美味しかった。
知覧茶は、私は知らなかった。
知ってますかと聞かれたら、〇〇〇って答えるしかない。
これが、知覧の武家屋敷通り。 他では見られない。
この写真は、普通に撮った写真の一部を、引き伸ばしたもの。
こんな写真は、望遠レンズで撮ると、いいんですね。
遠近の詰まった、味のある写真に。
今日は撮ってて、望遠レンズがあればって、思った。
※ 明るくいいレンズのが、近々登場します。(富士フィルム)。
でも、高いですね。
7軒の家の庭が、見学できる。 入口からして、ごっつい。 薩摩の雰囲気。
向こうから来た。 豊玉姫神社跡は、正面にあった。 梅が咲き始めた。
あるお家の庭。 枯山水の庭が多い。 梅の花。
天気がいい。 まぶしいねって、花に言いたくなる。
知覧の家並みは、江戸時代の中頃に作られた。
戦いはない。
武士は、毎日何をしていたのでしょう。 剣の鍛錬と、畑の作業か。
石垣と、刈りこまれた生垣。
あっちのぞいて、こっちのぞいて。
台湾からの人が多い。
石の並びには、きっと、意味がありますね。
これは鶴、これは亀ってのもあった。
薩摩の武士は、いざとなったら、命をかけて戦うのは、平気。
激しい剣。 刀ごとぶった切る、っていう感じ。 キエ~って、声をあげて。
桜田門外の変で、井伊直弼の首を一刀で切ったのも、薩摩の剣。
休める所も。 ここ数日、薩摩には春が来ている。 20度を越えている。
道を、向こうから、曲がって曲がって、来た。
正面に、魔よけの石。
刈込は、1つのまとまった、大きな形。 大刈り込み、と呼ぶよう。
繊細とは違う。 西郷さんの眉(まゆ)のイメージ。
武士は、縁側に座って、何をしゃべったのでしょう。
住まいは立派でも、裕福だったかどうかは、別でしょうね。
食べ物とかは、意外に質素だったかも。
この美しさは、繊細ですね。 小京都と言ってるのは、この感じか。
庭を眺めながらのビール、そんな経験は、記憶ない。
テレビの野球を見ながら、が多かったか。
薩摩の島津家は、徳川をよく思っていなかった。
それなのに、どうして、篤姫を徳川家に嫁がせたのでしょう。
徳川を攻める薩摩藩を、篤姫はどう思っていたのでしょう。
薩摩に戻ることはなかった。
あの西郷さんと、関係あるのでしょうか。(調べても、分かりません)
庭園の説明。 名勝に指定されている。
反対側に出て来た。 このように、市街地が。
正面の入り口は、こっち。
へっぴり腰を、撮ってみた。
右の人は、それを見て、最初笑っていた。 そして、撮りだした。
感じよく人を撮るのは、難しい。
最後に、振り返って撮影。
出て来ました。 左奥に、無料の駐車場。 やっと分かった。
左に石橋が、小さく。 山の上に、亀甲城跡。
畑の中に、豊玉姫陵。 神武天皇のおばさん。 神話の世界の人。
この人には、小豆島の豊島(てしま)と、嬉野温泉で会っています。 どちらも神社。
知覧の武家屋敷通りは、見応えがありました。
古い物を壊さないで、よく残したなって、感じました。
薩摩の時代を大事にしているんですね。
【その他】
高田の磨崖仏があると分かった。
道の駅で、道を聞いた。
丁寧に地図を描いて教えてくれた。
行くと決めてなかったけど、行かないと失礼なので、行ってみた。
場所は、この辺り。 少し遠回りして、知覧に。
道路沿いにあって、これで、全部。
江戸時代に彫られたもの。
彫った人は、鹿児島の石工久保田太右衛門。
それと、頴娃(えい)の脇七兵衛。 ※ 頴娃(えい)は、今は、南九州市。
大黒様がいる。
1つだけ、大きく。 保存状態がいいですね。 何を願ったのでしょう。
【今日の歌】 見える山は、ベスビオ山。 噴火で、ポンペイの町が、灰の下に。
メロディに、悲しみがあるような・・・。
【道の駅】 喜入
【明日の予定】 指宿に近づくか・・。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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京都と云うから、軽やかな日本風をイメージしたくなる。
でも、知覧の武家屋敷通りには、ごつさを感じる。
生け垣の刈込だって、西郷さんの眉毛のように、力強い。
個人の庭が見学できる。
これがいい。
立派な武家屋敷に住めるのなら、殿様にならなくても、上級武士で十分。
知覧に行く途中、小さな規模の、磨崖仏を見た。
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知覧は、薩摩半島の内陸に。
駐車場が有料なので、町外れから歩き出した。 歩くのは、1㌔程。
いっぱい歩いて、足を、開聞(かいもん)岳に間に合わせたい。
豊玉姫陵は、後で見ることに。
気づかなかったが、左遠くに、写っていた。

10分ほど歩いたら、石橋が見えた。
歩くと、このようにおまけで、何かが見られる。
矢櫃(やびつ)橋。 昨日いた川辺と知覧を結ぶ街道の橋。
左上の山には、亀甲(きっこう)城跡がある。 ※ 知覧城の出城。(出張所の感じ)
見晴らしはよくないと聞いたので、行かなかった。
石橋には、2つの穴。 右に小さく。 こんなの初めて見る。

武家屋敷通りの、西の端。
このそばに、無料駐車場があった。 知らなかった。 他はすべて有料。

家並みは、1㌔ほど続く。
通りを歩くだけなら無料。 7つの庭園を見るのが、有料。

薩摩藩は、藩を113に分けた。 そこに、武士の集団を住まわせた。 外城(とじょう)と呼ばれる。
知覧の武家屋敷通りは、その代表的な1つ。


私の後ろにお店があって、そこで、見学料を払った。
昔はこの辺りに、豊玉姫神社があった。

お店で、知覧茶を御馳走になった。
※ 知覧茶の特徴は、透き通った若緑色とさわやかな香り。高い評価。(Wikipedia)
緑のお茶の方が、お茶って感じがする。 美味しかった。
知覧茶は、私は知らなかった。
知ってますかと聞かれたら、〇〇〇って答えるしかない。

これが、知覧の武家屋敷通り。 他では見られない。

この写真は、普通に撮った写真の一部を、引き伸ばしたもの。
こんな写真は、望遠レンズで撮ると、いいんですね。
遠近の詰まった、味のある写真に。
今日は撮ってて、望遠レンズがあればって、思った。
※ 明るくいいレンズのが、近々登場します。(富士フィルム)。
でも、高いですね。

7軒の家の庭が、見学できる。 入口からして、ごっつい。 薩摩の雰囲気。

向こうから来た。 豊玉姫神社跡は、正面にあった。 梅が咲き始めた。

あるお家の庭。 枯山水の庭が多い。 梅の花。

天気がいい。 まぶしいねって、花に言いたくなる。

知覧の家並みは、江戸時代の中頃に作られた。
戦いはない。
武士は、毎日何をしていたのでしょう。 剣の鍛錬と、畑の作業か。

石垣と、刈りこまれた生垣。

あっちのぞいて、こっちのぞいて。

台湾からの人が多い。

石の並びには、きっと、意味がありますね。
これは鶴、これは亀ってのもあった。

薩摩の武士は、いざとなったら、命をかけて戦うのは、平気。
激しい剣。 刀ごとぶった切る、っていう感じ。 キエ~って、声をあげて。
桜田門外の変で、井伊直弼の首を一刀で切ったのも、薩摩の剣。
休める所も。 ここ数日、薩摩には春が来ている。 20度を越えている。

道を、向こうから、曲がって曲がって、来た。
正面に、魔よけの石。


刈込は、1つのまとまった、大きな形。 大刈り込み、と呼ぶよう。
繊細とは違う。 西郷さんの眉(まゆ)のイメージ。

武士は、縁側に座って、何をしゃべったのでしょう。
住まいは立派でも、裕福だったかどうかは、別でしょうね。
食べ物とかは、意外に質素だったかも。

この美しさは、繊細ですね。 小京都と言ってるのは、この感じか。

庭を眺めながらのビール、そんな経験は、記憶ない。
テレビの野球を見ながら、が多かったか。

薩摩の島津家は、徳川をよく思っていなかった。
それなのに、どうして、篤姫を徳川家に嫁がせたのでしょう。
徳川を攻める薩摩藩を、篤姫はどう思っていたのでしょう。
薩摩に戻ることはなかった。
あの西郷さんと、関係あるのでしょうか。(調べても、分かりません)

庭園の説明。 名勝に指定されている。

反対側に出て来た。 このように、市街地が。

正面の入り口は、こっち。

へっぴり腰を、撮ってみた。
右の人は、それを見て、最初笑っていた。 そして、撮りだした。

感じよく人を撮るのは、難しい。

最後に、振り返って撮影。

出て来ました。 左奥に、無料の駐車場。 やっと分かった。

左に石橋が、小さく。 山の上に、亀甲城跡。

畑の中に、豊玉姫陵。 神武天皇のおばさん。 神話の世界の人。
この人には、小豆島の豊島(てしま)と、嬉野温泉で会っています。 どちらも神社。


知覧の武家屋敷通りは、見応えがありました。
古い物を壊さないで、よく残したなって、感じました。
薩摩の時代を大事にしているんですね。
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道の駅で、道を聞いた。
丁寧に地図を描いて教えてくれた。
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場所は、この辺り。 少し遠回りして、知覧に。
道路沿いにあって、これで、全部。

江戸時代に彫られたもの。
彫った人は、鹿児島の石工久保田太右衛門。
それと、頴娃(えい)の脇七兵衛。 ※ 頴娃(えい)は、今は、南九州市。

大黒様がいる。

1つだけ、大きく。 保存状態がいいですね。 何を願ったのでしょう。

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磨崖仏(まがいぶつ)と云えば、大分県の臼杵(うすき)磨崖仏。
時の権力者が作り、国宝に指定されている。
一方、清水磨崖仏は、小さな権力者、また庶民の願いが岩に刻まれた、磨崖仏。
平安時代末期から明治までのが、あった。
五輪塔や梵字(ぼんじ)などの、線刻が多いのが、特徴。
大きな五輪塔も。
岩にへばりついて彫ったんだろうけど、どんな願いがあったのでしょう。
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南九州市は、合併してできた、新しい市。
ここは、その中の、川辺町。
一帯は、清水(きよみず)岩屋公園になっている。 広い駐車場。 近くに道の駅。
公園の中に、磨崖仏と清水の湧水がある。
向こうの橋を渡って、左奥に磨崖仏。
花園橋。 山茶花の木が、まるい。
万之瀬川(まのせがわ)。
昔は、万之瀬川のこの辺りは、清水(きよみず)川、と呼んでいた。
それで、今も、清水の磨崖仏。 湧水は、清水の湧水。 清水という地名も。
正面の崖に、磨崖仏。
こうです。 左にずっと続く。 左に行くほど、古い。
清水川のほとり。 200基。 平安時代の初めの、文字が。
さあ見るぞ、と思ったら、通行止め。 せっかく来たのに。
川の対岸から見学できると、あった。 近くでは見られない。
磨崖仏の写真が、ちゃんと撮れないかも知れないから、公園の写真を撮りだした。
金閣寺に似ている。
花壇の花は元気だけど、自然の花は、まだまだ。
橋に戻って来た。 渡ってすぐに、右に行く。
川のこっちから見ている。 何とか、写真は撮れる。
肉眼では、少し遠い。
〇の部分の、説明があった。
一番新しい磨崖仏の紹介。 吉田知山という人が彫った。 明治。
右端のが、どこにあるか、分からなかった。
宝篋印塔と、十一面観音像(中央右)。 十一面観音は、奈良の長谷寺のと同じと説明に。
仏像を彫ってるのは少ない。 仏像には表情があるので、難しいのでしょうか。
16枚の板碑。 鎌倉時代の物。 亡くなった人の供養のためにと。
右です。 四角の中。
左の3枚が、はっきりしている。
次は、大きな梵字(ぼんじ)。 直径は、人の背丈ほど。
下から、10㍍程。 足場を作ったのでしょうか。 梯子(はしご)の上では、不安。
梵字を彫るのは、仏を彫るのと同じこと。 それで彫るんですね。
※ 月輪の意味ですが、辞書では、こう。
完全に円形の月。
仏の智徳が欠けることなく円満であること,衆生の菩提心などの象徴とされることが多い。
がつりん。げつりん。
京都の愛宕山の麓に、月輪(つきのわ)寺があった。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
今はお墓にすることが多いけど、昔は、お経を収めていた。 和泉式部の墓も、宝篋印塔。(京都誠心院)
中央です。 小さな仏塔も、いっぱい。
※ なぜ宝篋印塔を彫るかですね。
供養で彫ったんですが、輪廻転生(りんねてんせい)の考えがあったんですね。
死んでも、また生まれて来ることが出来る。 死ぬことと生まれることの繰り返し。
またこの世に戻って来られると考えたら、死ぬ不安は、小さくなりますね。
今だって昔だって、死ぬということは、大きな不安であり、大変なこと。
川沿いの道を行きます。
大五輪塔。 高さ11㍍。 日本一。
中央左の岩。 大きな板碑の中に、五輪塔。 周りには、墨で梵字が書いてあったそう。
読めないけど、赤外線では読めると言う。
このようなものは、亡くなった人の、供養にためにつくる。
先祖を思う気持ちは、昔と今は、違いがあるのでしょうか。
※ 私なんか、旭川に戻った時、おやじの墓に行くのを、忘れることが多い。
磨崖仏は、対岸に、ずっと続く。
五輪塔が並ぶ。 これなら、誰でもが彫れそう。
石橋を渡って、向こうに。 石橋だけど、手作り感がない。
橋の上から。 あっちの崖を眺めてきた。
古いからか、消えかかっている。
岩の質が違うのか、鮮明。
彫る間所を決めたら、そこを、まっ平らにするんですね。
そうして、掘り始める。
今見てきたのは、鎌倉時代。
初期のは、そんなに高い場所でない。
この宝篋印塔は、見つからなかった。 木の陰か。
さっきの宝篋印塔もそうだけど、平家幸という人が、彫らせていますね。
鎌倉時代だから、壇ノ浦の後。
平家の落人でしょうか。 九州は多いですから、あってもおかしくはないですね。
久連子古代の里。 鬼山御前の祠。 伝説は、歴史の残り火か。~八代市五家荘~ 他 (2013/2/27)
五家荘、平家の里。 鬼山御前。 梅の木轟の滝。~八代市泉町五家荘~ 他 (2013/2/25)
平家落人伝説の里、五家荘。 末裔の屋敷、緒方家。 樅木の吊橋。~八代市~ 他 (2013/2/24)
橋の下に、清水の湧水。
飲んでみたら、冷たさが弱く感じた。 甘露水と呼ばれる感じの水。
明日、汲む。
岩の切り立つ谷に、岩を打つ金槌の音が、響いた時代があった。
どんな風景だったでしょう。
彫り終わった時、これで願いが叶うと、満足したでしょうね。
願うしか方法がなかった時代。
それが、昔かな。
願うことは、優しさでもあるか。
【今日の歌】 いそがしい踊り。
【道の駅】 川辺やすらぎの里
【明日の予定】 知覧で武家屋敷を見ます。
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時の権力者が作り、国宝に指定されている。
一方、清水磨崖仏は、小さな権力者、また庶民の願いが岩に刻まれた、磨崖仏。
平安時代末期から明治までのが、あった。
五輪塔や梵字(ぼんじ)などの、線刻が多いのが、特徴。
大きな五輪塔も。
岩にへばりついて彫ったんだろうけど、どんな願いがあったのでしょう。
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一帯は、清水(きよみず)岩屋公園になっている。 広い駐車場。 近くに道の駅。
公園の中に、磨崖仏と清水の湧水がある。
向こうの橋を渡って、左奥に磨崖仏。

花園橋。 山茶花の木が、まるい。

万之瀬川(まのせがわ)。
昔は、万之瀬川のこの辺りは、清水(きよみず)川、と呼んでいた。
それで、今も、清水の磨崖仏。 湧水は、清水の湧水。 清水という地名も。
正面の崖に、磨崖仏。

こうです。 左にずっと続く。 左に行くほど、古い。

清水川のほとり。 200基。 平安時代の初めの、文字が。

さあ見るぞ、と思ったら、通行止め。 せっかく来たのに。
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磨崖仏の写真が、ちゃんと撮れないかも知れないから、公園の写真を撮りだした。
金閣寺に似ている。


花壇の花は元気だけど、自然の花は、まだまだ。

橋に戻って来た。 渡ってすぐに、右に行く。

川のこっちから見ている。 何とか、写真は撮れる。
肉眼では、少し遠い。
〇の部分の、説明があった。

一番新しい磨崖仏の紹介。 吉田知山という人が彫った。 明治。
右端のが、どこにあるか、分からなかった。

宝篋印塔と、十一面観音像(中央右)。 十一面観音は、奈良の長谷寺のと同じと説明に。
仏像を彫ってるのは少ない。 仏像には表情があるので、難しいのでしょうか。


16枚の板碑。 鎌倉時代の物。 亡くなった人の供養のためにと。

右です。 四角の中。

左の3枚が、はっきりしている。

次は、大きな梵字(ぼんじ)。 直径は、人の背丈ほど。

下から、10㍍程。 足場を作ったのでしょうか。 梯子(はしご)の上では、不安。
梵字を彫るのは、仏を彫るのと同じこと。 それで彫るんですね。

※ 月輪の意味ですが、辞書では、こう。
完全に円形の月。
仏の智徳が欠けることなく円満であること,衆生の菩提心などの象徴とされることが多い。
がつりん。げつりん。
京都の愛宕山の麓に、月輪(つきのわ)寺があった。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)。
今はお墓にすることが多いけど、昔は、お経を収めていた。 和泉式部の墓も、宝篋印塔。(京都誠心院)

中央です。 小さな仏塔も、いっぱい。

※ なぜ宝篋印塔を彫るかですね。
供養で彫ったんですが、輪廻転生(りんねてんせい)の考えがあったんですね。
死んでも、また生まれて来ることが出来る。 死ぬことと生まれることの繰り返し。
またこの世に戻って来られると考えたら、死ぬ不安は、小さくなりますね。
今だって昔だって、死ぬということは、大きな不安であり、大変なこと。
川沿いの道を行きます。

大五輪塔。 高さ11㍍。 日本一。

中央左の岩。 大きな板碑の中に、五輪塔。 周りには、墨で梵字が書いてあったそう。
読めないけど、赤外線では読めると言う。


このようなものは、亡くなった人の、供養にためにつくる。
先祖を思う気持ちは、昔と今は、違いがあるのでしょうか。
※ 私なんか、旭川に戻った時、おやじの墓に行くのを、忘れることが多い。
磨崖仏は、対岸に、ずっと続く。

五輪塔が並ぶ。 これなら、誰でもが彫れそう。


石橋を渡って、向こうに。 石橋だけど、手作り感がない。

橋の上から。 あっちの崖を眺めてきた。

古いからか、消えかかっている。

岩の質が違うのか、鮮明。
彫る間所を決めたら、そこを、まっ平らにするんですね。
そうして、掘り始める。

今見てきたのは、鎌倉時代。

初期のは、そんなに高い場所でない。


この宝篋印塔は、見つからなかった。 木の陰か。
さっきの宝篋印塔もそうだけど、平家幸という人が、彫らせていますね。
鎌倉時代だから、壇ノ浦の後。
平家の落人でしょうか。 九州は多いですから、あってもおかしくはないですね。
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五家荘、平家の里。 鬼山御前。 梅の木轟の滝。~八代市泉町五家荘~ 他 (2013/2/25)
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橋の下に、清水の湧水。

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明日、汲む。


岩の切り立つ谷に、岩を打つ金槌の音が、響いた時代があった。
どんな風景だったでしょう。
彫り終わった時、これで願いが叶うと、満足したでしょうね。
願うしか方法がなかった時代。
それが、昔かな。
願うことは、優しさでもあるか。
【今日の歌】 いそがしい踊り。
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