女神大橋は、斜張橋の中で、とびきり美しかった。
どうしてだろうって、理由を考えた。
分かった。
すっと立っている女神の足が、長かった。
長崎港の港口に、女神大橋はあった。
海の上、65㍍。
橋の上から、長崎の街並みが、見渡せた。
最初に問題。
通行料は、人は無料。
車は100円。
それでは、自転車はいくらでしょう。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
女神大橋は、海にかかっている。
湾に橋が。 たまにありますね。 川でも、島へ、でもない。
長崎港の出口(入口)に。 つまり、港口(こうぐち)に。
このように橋が。 (橋を管理している所のHPから)
駐車場から見える。
橋の下が、長い。 高い。 どんな大きな船でも、通れる。 こんなのも。
女神大橋の、大きな特徴。
※ 日本一大きな斜張橋の、多々羅大橋は、こう。 足が短い。 これが普通。
足の長さは、全体の3分の1ですね。 このバランスが、落ち着きを出すのでしょうか。
斜めのワイヤーは、ケーブルと呼んでいる。
ここのケーブルは、平行ではない。
最近、斜張橋が多い。 吊り橋より、経費が安いそう。
設計は難しい。 バランスよく引っ張り合うように。
両側に歩道がある。 ここは、無料。 普通車は、100円。
自転車は、10円。 問題の答え。
※ 女神に10円をはらいます。
だから、じゅうの女神。(自由の女神?)
もし、自転車の子供が通って、「10円落とした」って言ったら、何て答えるんだろう。
「おまけで無料」って、女神がほほ笑む。
どうして、10円を集めることにしたんだろう。
橋の長さ、1200㍍。 たての部分は、主塔。
橋から上は、約100㍍。 橋の下は、65㍍。
主塔は、引っ張られて、バランスよく立っているけど、どう引っ張られようが、自分で立つ力も強い。
港の中。
正面が、長崎市の中心街。
フェリーターミナルの向こうに、長崎駅。 写真の中央。
右側。 造船所でしょうか。
下の写真は、2010年に、高島に行った時に、撮影。
軍艦島から見えた、高島を歩く。~長崎港から、フェリーで40分~ 他 (2010/3/18)
福江島に行った時も、橋の下を通った。
福江を歩く(明人堂・U先生の歩いた道・武家屋敷通り・福江城跡 他)~長崎県五島市福江~ 他 (2010/3/14)
左側。 ここも、造船所か。
さらに左。 稲佐山。 昨日紹介した人は、稲佐お栄。
稲佐山の下は、稲佐地区。 彼女は、そこにあったホテルで働いていた。
ケーブル。 細い。 10㌢位に見える。 (実際は、直径115-180㍉のが使われている)
※ 上のケーブルは、どのくらい強いのか、調べてみました。
使われている金属の、引っ張り強度は、断面が1mm四方で、200kg以上。
直径が、12㎝とかあれば、2000㌧以上の力で引っ張っても、切れない。
そんな力。
※ どれだけの太さのケーブルが必要かは、コンピューターがなければ、計算できないそう。
斜張橋の引っ張る力は、難しい。
コンピューターが生まれて、この橋が登場。
おもちゃの様な、船。
女神大橋に、もう1つ特徴がある。
歩道が広く、2つの欄干が丈夫そう。
この橋なら、私は、不安なく走れる。
2つの欄干を突き破ることは、私の車では、出来ない。
そう感じた橋は、今までない。
風の強い時は、いつも不安。
真ん中まで来た。
主塔に入る、扉。 中は階段だろうか。 上まで100㍍。 大変。
右側の、山の陰が見えてきた。 中央右辺りに、グラバー邸か。(2010年)
この辺り。
対岸に着いた。
橋の下を通って、反対側に出た。
あれに物を乗せて、引っ張る。
三菱重工長崎造船所。 こんな豪華客船を作る能力がある。(サファイアプリンセス)
高島から戻って来た船。 私もこれに乗ったのかな。
神崎(こうさき)神社。 この神社は、昔は、女神神社だった。 橋の名前は、これとも関係がある。
見上げたら、首がいたい。 このところ、空が青くない。
長崎には、女神橋と眼鏡橋がある。
早口で、女神橋、眼鏡橋、女神橋、眼鏡橋、女神橋、眼鏡橋、って言いにくい。
言う必要ないが。
港の外。
向こうにも町は広がっている。 〇に、何かが。
昔、砲台があった。 港と造船所を守った。
伊王島大橋を渡って、伊王島へ。 行ってみたい。
この写真は、どうなっているのでしょう。
橋の向こうが、白っぽい。 海か、ガスか、何でしょう。
この感じが、何㌔も続く。
橋の伸び縮みは、ここで調節。
戻ってきました。
歩道が広いのがいい。 安全なのもいい。 そして、美しい。 さらに、名前も。
橋に続く道も良くなって、市内の車の混雑が、緩和されたそう。
目的はそこにあったけど、美しいというのはいいですね。
歩道を走っている人を、何人も見ました。
車のためだけでない、橋ですね。
女神大橋、いい橋です。
【今日の歌】 The Dock of the Bay(ドック・オブ・ベイ)
【停泊場所】 女神大橋駐車場
【明日の予定】 この近くを歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、3位。 旅行全体で、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
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ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
【拍 手】
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分かった。
すっと立っている女神の足が、長かった。
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海の上、65㍍。
橋の上から、長崎の街並みが、見渡せた。
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女神大橋は、海にかかっている。
湾に橋が。 たまにありますね。 川でも、島へ、でもない。
長崎港の出口(入口)に。 つまり、港口(こうぐち)に。

このように橋が。 (橋を管理している所のHPから)

駐車場から見える。
橋の下が、長い。 高い。 どんな大きな船でも、通れる。 こんなのも。
女神大橋の、大きな特徴。
※ 日本一大きな斜張橋の、多々羅大橋は、こう。 足が短い。 これが普通。

足の長さは、全体の3分の1ですね。 このバランスが、落ち着きを出すのでしょうか。

斜めのワイヤーは、ケーブルと呼んでいる。
ここのケーブルは、平行ではない。
最近、斜張橋が多い。 吊り橋より、経費が安いそう。
設計は難しい。 バランスよく引っ張り合うように。

両側に歩道がある。 ここは、無料。 普通車は、100円。
自転車は、10円。 問題の答え。
※ 女神に10円をはらいます。
だから、じゅうの女神。(自由の女神?)
もし、自転車の子供が通って、「10円落とした」って言ったら、何て答えるんだろう。
「おまけで無料」って、女神がほほ笑む。
どうして、10円を集めることにしたんだろう。

橋の長さ、1200㍍。 たての部分は、主塔。
橋から上は、約100㍍。 橋の下は、65㍍。
主塔は、引っ張られて、バランスよく立っているけど、どう引っ張られようが、自分で立つ力も強い。


港の中。

正面が、長崎市の中心街。
フェリーターミナルの向こうに、長崎駅。 写真の中央。

右側。 造船所でしょうか。

下の写真は、2010年に、高島に行った時に、撮影。
軍艦島から見えた、高島を歩く。~長崎港から、フェリーで40分~ 他 (2010/3/18)
福江島に行った時も、橋の下を通った。
福江を歩く(明人堂・U先生の歩いた道・武家屋敷通り・福江城跡 他)~長崎県五島市福江~ 他 (2010/3/14)

左側。 ここも、造船所か。

さらに左。 稲佐山。 昨日紹介した人は、稲佐お栄。
稲佐山の下は、稲佐地区。 彼女は、そこにあったホテルで働いていた。

ケーブル。 細い。 10㌢位に見える。 (実際は、直径115-180㍉のが使われている)

※ 上のケーブルは、どのくらい強いのか、調べてみました。
使われている金属の、引っ張り強度は、断面が1mm四方で、200kg以上。
直径が、12㎝とかあれば、2000㌧以上の力で引っ張っても、切れない。
そんな力。
※ どれだけの太さのケーブルが必要かは、コンピューターがなければ、計算できないそう。
斜張橋の引っ張る力は、難しい。
コンピューターが生まれて、この橋が登場。
おもちゃの様な、船。

女神大橋に、もう1つ特徴がある。
歩道が広く、2つの欄干が丈夫そう。
この橋なら、私は、不安なく走れる。
2つの欄干を突き破ることは、私の車では、出来ない。
そう感じた橋は、今までない。
風の強い時は、いつも不安。
真ん中まで来た。

主塔に入る、扉。 中は階段だろうか。 上まで100㍍。 大変。

右側の、山の陰が見えてきた。 中央右辺りに、グラバー邸か。(2010年)

この辺り。

対岸に着いた。

橋の下を通って、反対側に出た。

あれに物を乗せて、引っ張る。

三菱重工長崎造船所。 こんな豪華客船を作る能力がある。(サファイアプリンセス)

高島から戻って来た船。 私もこれに乗ったのかな。

神崎(こうさき)神社。 この神社は、昔は、女神神社だった。 橋の名前は、これとも関係がある。

見上げたら、首がいたい。 このところ、空が青くない。

長崎には、女神橋と眼鏡橋がある。
早口で、女神橋、眼鏡橋、女神橋、眼鏡橋、女神橋、眼鏡橋、って言いにくい。
言う必要ないが。
港の外。

向こうにも町は広がっている。 〇に、何かが。

昔、砲台があった。 港と造船所を守った。

伊王島大橋を渡って、伊王島へ。 行ってみたい。

この写真は、どうなっているのでしょう。
橋の向こうが、白っぽい。 海か、ガスか、何でしょう。

この感じが、何㌔も続く。

橋の伸び縮みは、ここで調節。

戻ってきました。

歩道が広いのがいい。 安全なのもいい。 そして、美しい。 さらに、名前も。

橋に続く道も良くなって、市内の車の混雑が、緩和されたそう。
目的はそこにあったけど、美しいというのはいいですね。
歩道を走っている人を、何人も見ました。
車のためだけでない、橋ですね。
女神大橋、いい橋です。
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【拍 手】
茂木(もぎ)は、ビワの一大産地。
茂木ビワと呼ばれ、江戸時代から栽培されている。
昔、天草への橋がなかったころ、多くの人が、茂木港から天草へ渡った。
林芙美子や、鉄幹たち5人も。
一口香(いっこっこう)という変わったお菓子が、この地にある。
中が空洞。
長崎では人気の商品だが、今日は、店が閉まっていた。
雨は午後になって小降り。
傘をさして、歩いた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
長崎半島の山を越えたら、長崎市街。 天気のいい日なら、歩けそう。
この地図で歩く。(茂木地区のHPから)
地図の左方面。 山の斜面には、ビワが。 このように。(2010年) 右に、墓地。
右にバス停。 以前来た時は、ここから長崎に通った。
※ 今回は、女神大橋のたもとのパーキングからと、考えている。
情報は、先日普賢岳でお会いした、諫早の方から。
※ 上の写真の野母崎(のもざき)は、長崎半島の先端。
井戸に住みつくオオウナギ 桜が満開 ~長崎半島野母崎 樺島~ 明日軍艦島へ 他 (2010/3/16)
長崎亜熱帯植物園 野母崎 海の健康村「陽の岬温泉」 ~長崎半島野母崎~ 他 (2010/3/15)
若菜川を渡って、地図の右方面に。
右に、古い蔵。 遠くの橋は、後で渡る。
昔は何をしていたのでしょう。 こんな家も。
堀切。 長崎と茂木の間に、鉄道建設の計画があった。
その時に、作ったもの。 鉄道は、敷かれなかった。
地図の植物化石層を探していた。 もっと行けばあったのかな。
フェリーターミナル。 長崎、天草ラインとある。
ただ、今はフェリーは航行していない。 人だけ運ぶ船。
茂木港と富岡港の間を。 (地図は、三和フェリーのHPからお借り)
※ 林芙美子が、フェリーに乗って天草に行った時のことを、天草灘という短編に書いている。
林芙美子、「天草灘」の全文。~話の舞台は、茂木港から富岡港、そして、岡野屋。~ (2013/2/3)
トンボロの町、富岡。 林芙美子、天草への旅。 乱の激戦地、富岡城。~苓北町~ 他 (2013/2/1)
※ 五足の靴(ごそくのくつ)は、与謝野寛が、太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を連れて旅した記録。
4人はまだ学生。 紀行文で、1907年に発表された。
みんな大物になる。
五足の靴、文学遊歩道。 鬼海浦、岩登り。 下田温泉、五足の足湯。~天草町~ ラ・ノビア 他 (2013/1/29)
十三仏公園。 与謝野夫妻の歌碑。 五足の靴、文学遊歩道。~天草市~ 他 (2013/1/27)
大江天主堂。 天草ロザリオ館。 五足の靴。 お万ヶ池の伝説~天草市天草町大江~ 他 (2013/1/26)
長崎を見て、そして天草、という旅のコースが、昔はあったんですね。
今は、多くの人は、橋を利用。
少し歩いて、裳着(もぎ)神社。 大きなイチョウの木。
茂木は、元々は、裳着だったんですね。 (神話の世界の皇后が、この地で衣装を着た、と説明が)
裳着の説明。
また、「道永えい」という人のことが。 この神社を厚く信奉していた。
下の人。 「稲佐お栄」とも。 調べてみました。
長崎商工会議所のHPに、彼女のことが。 こんな人。
長崎の女傑の一人に挙げられるのが、「稲佐のお栄さん」こと道永エイ。
明治13年(1880)のある日、諸岡マツの経営するロシア人相手のホテル・レストランの料亭
「ボルガ」を、天草生まれの20歳の娘が訪ねてきた。
12歳の時、両親を相次いで失い、遠縁を頼って茂木の旅館で働いていたというその娘の名こそ、
道永エイ(お栄)だ。
お栄はマツに近くの「ロシア将校集会所」を紹介され、住み込み家政婦として働くことになる。
お栄はここでロシア語を修得。
ロシア語が話せ、色白の美人で社交上手な彼女は将校達の人気者となり、その名は本国ロシアま
で聞こえるようになった。
21歳の時、ロシア艦隊戦艦「バルト号」の艦長に気に入られ、船長付のボーイとしてウラジオス
トックに渡り、ロシアで社交界の花形となるが、10年後に帰国。
再びマツの片腕となって「ボルガ」で働くようになる。
明治24年(1891)、ロシア皇太子ニコラス二世(のちの皇帝)がギリシア親王ジョージとともに
極東訪問の途中、艦隊を率いて8日間、長崎に立ち寄った。
22歳の若い皇太子はお忍びで上陸し、上野彦馬に写真を撮らせたり、街角で出会った少女にかんざ
しを買ってやったりと、愉快な数日を過ごしたという。
(さらに続きは、ここを)
上の文で、ニコライ2世を中心になって接待したのが、稲佐お栄。 彼女。
かなり親しく。 彼女の名を大きくしているのは、このことがあるから。
下は、ニコライ2世が、長崎に来た時。(Wikipediaより)
ニコライ2世が長崎に来たのは、1891年の4月。
5月に、大津で暴漢に襲われる。 怪我をする。 大津事件。
1894年に結婚。 1896年に、ロシア皇帝に即位。
1904年、日露戦争。
1918年、ロシアは崩壊し、家族全員処刑される。
以前紹介したことにある、アナスタシア・ニコラエヴナは、4女。
神社から見た、茂木市街地。
モクレンでしょうか。
玉台(ぎょくたい)寺。
島原の大災害は、津波のことですね。 山が崩れて、津波を起こした。
弾圧で功績があった、とある。
面白い表現。 弾圧は、普通、いいことではないのに。 いいことをしたときに、功績。
地図の左端。 潮見崎観音へ。
高灯篭ですね。 昔は、灯台の役目。
観音堂。 お地蔵さまが、いっぱい。 今日は雨なので、辛抱。
茂木港。 私の車も。
上の写真の右。 フェリーターミナル。
※ 雨に霞んで、天草は見えなかった。 晴れたら、このように見える。
いったい、どうしたって云うのでしょう。 振り上げた手も、どこかに。
水仙は、早くから咲く。
茂木には、銭湯が多いという。 あったら入ろうと、道具は持っていた。
今日は26日(水)。 6の付く日は、休み。
一口香(いっこっこう)のお店。 水曜日は、休みと。 何か、調子が悪い。
※ この後、もし、ラーメン屋さんに行ったら、臨時休業だな、と思った。
さらにどこかに行ったら、閉店。 さらに行ったら、・・・。
お菓子は、中が空洞だなと思って、見てください。
そうしたら、空洞に見えてきます。 分かり易い写真は、こんなの。
焼き菓子なので、香ばしい味がするそう。
※ 胡麻餅というお菓子があるそう。
これは、一口香と製法が酷似している。
大きく見えても、中身はがらんどう。
「ごまかす」の語源は2つあって、1つが、この説。
今日は、小さな港町、茂木を歩いてみました。
有名でなくても、何かがあれば、それでいいですね。
雨が降っても、風がなければいい。
今日は、最後に風。 傘は使えなかった。
【今日の歌】 「アナスタシア」の挿入歌「Once Upon a December」
悲しみを湛(たた)えた、メロディ。
【その他】 ウィンドウズ8を使っている。
ネットを利用して、8.1にした。
そうしたら、写真の大きさが自由にできるようになった。
元に戻った。
続くことを、願っています。
【停泊場所】 茂木港
【明日の予定】 長崎に。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)
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茂木ビワと呼ばれ、江戸時代から栽培されている。
昔、天草への橋がなかったころ、多くの人が、茂木港から天草へ渡った。
林芙美子や、鉄幹たち5人も。
一口香(いっこっこう)という変わったお菓子が、この地にある。
中が空洞。
長崎では人気の商品だが、今日は、店が閉まっていた。
雨は午後になって小降り。
傘をさして、歩いた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

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長崎半島の山を越えたら、長崎市街。 天気のいい日なら、歩けそう。
この地図で歩く。(茂木地区のHPから)

地図の左方面。 山の斜面には、ビワが。 このように。(2010年) 右に、墓地。

右にバス停。 以前来た時は、ここから長崎に通った。
※ 今回は、女神大橋のたもとのパーキングからと、考えている。
情報は、先日普賢岳でお会いした、諫早の方から。

※ 上の写真の野母崎(のもざき)は、長崎半島の先端。
井戸に住みつくオオウナギ 桜が満開 ~長崎半島野母崎 樺島~ 明日軍艦島へ 他 (2010/3/16)
長崎亜熱帯植物園 野母崎 海の健康村「陽の岬温泉」 ~長崎半島野母崎~ 他 (2010/3/15)
若菜川を渡って、地図の右方面に。
右に、古い蔵。 遠くの橋は、後で渡る。

昔は何をしていたのでしょう。 こんな家も。

堀切。 長崎と茂木の間に、鉄道建設の計画があった。
その時に、作ったもの。 鉄道は、敷かれなかった。
地図の植物化石層を探していた。 もっと行けばあったのかな。

フェリーターミナル。 長崎、天草ラインとある。
ただ、今はフェリーは航行していない。 人だけ運ぶ船。

茂木港と富岡港の間を。 (地図は、三和フェリーのHPからお借り)

※ 林芙美子が、フェリーに乗って天草に行った時のことを、天草灘という短編に書いている。
林芙美子、「天草灘」の全文。~話の舞台は、茂木港から富岡港、そして、岡野屋。~ (2013/2/3)
トンボロの町、富岡。 林芙美子、天草への旅。 乱の激戦地、富岡城。~苓北町~ 他 (2013/2/1)
※ 五足の靴(ごそくのくつ)は、与謝野寛が、太田正雄、北原白秋、平野万里、吉井勇の4人を連れて旅した記録。
4人はまだ学生。 紀行文で、1907年に発表された。
みんな大物になる。
五足の靴、文学遊歩道。 鬼海浦、岩登り。 下田温泉、五足の足湯。~天草町~ ラ・ノビア 他 (2013/1/29)
十三仏公園。 与謝野夫妻の歌碑。 五足の靴、文学遊歩道。~天草市~ 他 (2013/1/27)
大江天主堂。 天草ロザリオ館。 五足の靴。 お万ヶ池の伝説~天草市天草町大江~ 他 (2013/1/26)
長崎を見て、そして天草、という旅のコースが、昔はあったんですね。
今は、多くの人は、橋を利用。
少し歩いて、裳着(もぎ)神社。 大きなイチョウの木。
茂木は、元々は、裳着だったんですね。 (神話の世界の皇后が、この地で衣装を着た、と説明が)

裳着の説明。
また、「道永えい」という人のことが。 この神社を厚く信奉していた。

下の人。 「稲佐お栄」とも。 調べてみました。

長崎商工会議所のHPに、彼女のことが。 こんな人。
長崎の女傑の一人に挙げられるのが、「稲佐のお栄さん」こと道永エイ。
明治13年(1880)のある日、諸岡マツの経営するロシア人相手のホテル・レストランの料亭
「ボルガ」を、天草生まれの20歳の娘が訪ねてきた。
12歳の時、両親を相次いで失い、遠縁を頼って茂木の旅館で働いていたというその娘の名こそ、
道永エイ(お栄)だ。
お栄はマツに近くの「ロシア将校集会所」を紹介され、住み込み家政婦として働くことになる。
お栄はここでロシア語を修得。
ロシア語が話せ、色白の美人で社交上手な彼女は将校達の人気者となり、その名は本国ロシアま
で聞こえるようになった。
21歳の時、ロシア艦隊戦艦「バルト号」の艦長に気に入られ、船長付のボーイとしてウラジオス
トックに渡り、ロシアで社交界の花形となるが、10年後に帰国。
再びマツの片腕となって「ボルガ」で働くようになる。
明治24年(1891)、ロシア皇太子ニコラス二世(のちの皇帝)がギリシア親王ジョージとともに
極東訪問の途中、艦隊を率いて8日間、長崎に立ち寄った。
22歳の若い皇太子はお忍びで上陸し、上野彦馬に写真を撮らせたり、街角で出会った少女にかんざ
しを買ってやったりと、愉快な数日を過ごしたという。
(さらに続きは、ここを)
上の文で、ニコライ2世を中心になって接待したのが、稲佐お栄。 彼女。
かなり親しく。 彼女の名を大きくしているのは、このことがあるから。
下は、ニコライ2世が、長崎に来た時。(Wikipediaより)

ニコライ2世が長崎に来たのは、1891年の4月。
5月に、大津で暴漢に襲われる。 怪我をする。 大津事件。
1894年に結婚。 1896年に、ロシア皇帝に即位。
1904年、日露戦争。
1918年、ロシアは崩壊し、家族全員処刑される。
以前紹介したことにある、アナスタシア・ニコラエヴナは、4女。

神社から見た、茂木市街地。

モクレンでしょうか。

玉台(ぎょくたい)寺。

島原の大災害は、津波のことですね。 山が崩れて、津波を起こした。
弾圧で功績があった、とある。
面白い表現。 弾圧は、普通、いいことではないのに。 いいことをしたときに、功績。

地図の左端。 潮見崎観音へ。

高灯篭ですね。 昔は、灯台の役目。

観音堂。 お地蔵さまが、いっぱい。 今日は雨なので、辛抱。

茂木港。 私の車も。

上の写真の右。 フェリーターミナル。

※ 雨に霞んで、天草は見えなかった。 晴れたら、このように見える。
いったい、どうしたって云うのでしょう。 振り上げた手も、どこかに。

水仙は、早くから咲く。

茂木には、銭湯が多いという。 あったら入ろうと、道具は持っていた。
今日は26日(水)。 6の付く日は、休み。

一口香(いっこっこう)のお店。 水曜日は、休みと。 何か、調子が悪い。
※ この後、もし、ラーメン屋さんに行ったら、臨時休業だな、と思った。
さらにどこかに行ったら、閉店。 さらに行ったら、・・・。

お菓子は、中が空洞だなと思って、見てください。
そうしたら、空洞に見えてきます。 分かり易い写真は、こんなの。
焼き菓子なので、香ばしい味がするそう。


※ 胡麻餅というお菓子があるそう。
これは、一口香と製法が酷似している。
大きく見えても、中身はがらんどう。
「ごまかす」の語源は2つあって、1つが、この説。
今日は、小さな港町、茂木を歩いてみました。
有名でなくても、何かがあれば、それでいいですね。
雨が降っても、風がなければいい。
今日は、最後に風。 傘は使えなかった。
【今日の歌】 「アナスタシア」の挿入歌「Once Upon a December」
悲しみを湛(たた)えた、メロディ。
【その他】 ウィンドウズ8を使っている。
ネットを利用して、8.1にした。
そうしたら、写真の大きさが自由にできるようになった。
元に戻った。
続くことを、願っています。
【停泊場所】 茂木港
【明日の予定】 長崎に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
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【拍 手】
千々石(ちぢわ)という町(地域)にいる。
変わった読み方です。
昔、天正遣欧使節というのがあって、4人の若者が、ヨーロッパに行った。
その中の1人に、千々石ミゲルがいた。
彼の出身地が、ここ。
町の地図が手に入らなかったので、あっち見て、こっち見て、お終い。
地図なしで歩くのは、難しい。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
せっかく知らない町にいるので、歩いてみることに。
橘公園、そして、橘神社の入り口。
橘神社への、参道。 神社は、昨日見た。
昔は、千々石町だったが、合併して、雲仙市千々石町に。
千々石の読みについて調べてみたが、分からない。
どうして、「ちぢわ」と読むかについてです。
石は「いわ」とも読むので、「ちぢいわ」が「ちぢわ」に変化した、と想像します。
橋からの風景。 遠くに、橘湾。
城跡展望台に向かう。
真っ直ぐ上がってきて、右に曲がって、向こうに。
千々石ミゲル、とある。 天草で見た名前。
1582年に、イエズス会による天正遣欧使節の派遣があった。
4人の若者は、ヨーロッパに派遣された。
彼は、その中の1人。 この町の人。
戻ってきて、彼だけ、キリスト教から離れた。
※ ヨーロッパには、当時、すでに、奴隷がいた。
キリスト教は、認めていたよう。
他に植民地についても、ミゲルは不信を持った。
そんなことなどで、離れたよう。
天草コレジヨ館・津天主堂 ~天草市河浦町~ 他 (2010/2/5)
下の写真の、〇。
ミゲルの碑は、次の案内が見つからなく、どこにあるか分からなかった。
真ん中の道を行く。
明日から天気は、崩れる。 暖かい日の、最後。
道は、石段になった。 左に、お地蔵さん。
左のお地蔵さんは、悲しげに見える。
山の下には、棚田。 島原半島には、棚田が多い。
今の時期、ジャガイモを植えている所が多い。 長島のように。
ビニルが、光っている。
上に駐車場があって、展望台のようになっていた。
でも、木があって、下は見えなかった。
その上に、グランドがあったが、行かなかった。
よく分からないで、戻った。
別の道を歩いていたら、小さな天満宮。 花。
途中まで戻って、九州自然歩道を歩きだした。
しばらく歩いて、キリシタン遺物。
普通の石仏との違いは、何なんでしょう。 少し上を向いている。
道は山に行くので、戻った。
市役所の支所に行って、地図をいただこうとしたが、無かった。
仕方なく、また、適当に歩いた。
時々、何かの案内の表示があるけど、その後見つからないので、たどり着けない。
お寺の跡。 向こうに、湧水がある。
※ 上の文中に、満明寺とある。 この寺は、雲仙温泉にある。
千々石の地は、雲仙温泉の山の下にある。
湧水です。 柄杓(ひしゃく)があるので、飲めるよう。 飲まなかったが。
先日のもそうだが、池に貯めたのを使っている。
飲むなら、地中から出て来た直ぐのが、新鮮に感じる。
湧水があるから、上の寺の名前が、大泉寺か。
木の下から、湧き出ていた。
川に出た。
風景が、荒れていない。 限界集落になると、風景も荒れてくる。
最初に渡った橋。 駐車場のそばに。
変わったデザイン。 昔の、刎(は)ね橋に似ている。
刎ね橋を、3つ紹介。
左は、山梨県大月市にある猿橋。 三奇橋の1つ。 中は、雑炊橋。(長野県)。
右は、愛本刎橋(富山県)。 残っているのは、猿橋だけ。
日本三奇矯の一つ、猿橋 ~大月市~ 他 (2011/11/4)
川沿いの道を歩いたら、飛び石。 橋の変わり。
増水すると危険。 危険かどうかは、子供は、自分で判断するのかな。
温泉神社。 雲仙温泉に、同じ温泉神社がある。 (昨年春に撮影)
カッパが魚釣り。
見学はお終いにして、戻った。
枝垂(しだ)れ梅。
長崎に向かった。 途中の展望台から。 左に、千々石の町。
停泊できそうなところが見つからず、茂木まで来た。
茂木港。 この港から、林芙美子、五足の靴の与謝野鉄幹たちが、天草に渡った。
山を越えたら、長崎の町。 今晩は、ここ。
地図が無いと、歩くのは大変。
適当になってしまう。
長崎近辺に、10日はいるでしょうか。
細かな見所を、探します。
【ブログ紹介】 神代小路の町並み・鍋島邸 ~雲仙市国見神代小路歴史文化公園~ 他 (2010/3/19)
【今日の歌】 仰げば尊し
【停泊場所】 茂木港
【明日の予定】 1日雨の予定。 この地域を、少し歩きます。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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変わった読み方です。
昔、天正遣欧使節というのがあって、4人の若者が、ヨーロッパに行った。
その中の1人に、千々石ミゲルがいた。
彼の出身地が、ここ。
町の地図が手に入らなかったので、あっち見て、こっち見て、お終い。
地図なしで歩くのは、難しい。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
せっかく知らない町にいるので、歩いてみることに。
橘公園、そして、橘神社の入り口。

橘神社への、参道。 神社は、昨日見た。

昔は、千々石町だったが、合併して、雲仙市千々石町に。
千々石の読みについて調べてみたが、分からない。
どうして、「ちぢわ」と読むかについてです。
石は「いわ」とも読むので、「ちぢいわ」が「ちぢわ」に変化した、と想像します。
橋からの風景。 遠くに、橘湾。

城跡展望台に向かう。
真っ直ぐ上がってきて、右に曲がって、向こうに。
千々石ミゲル、とある。 天草で見た名前。


1582年に、イエズス会による天正遣欧使節の派遣があった。
4人の若者は、ヨーロッパに派遣された。
彼は、その中の1人。 この町の人。
戻ってきて、彼だけ、キリスト教から離れた。
※ ヨーロッパには、当時、すでに、奴隷がいた。
キリスト教は、認めていたよう。
他に植民地についても、ミゲルは不信を持った。
そんなことなどで、離れたよう。
天草コレジヨ館・津天主堂 ~天草市河浦町~ 他 (2010/2/5)
下の写真の、〇。

ミゲルの碑は、次の案内が見つからなく、どこにあるか分からなかった。
真ん中の道を行く。
明日から天気は、崩れる。 暖かい日の、最後。

道は、石段になった。 左に、お地蔵さん。

左のお地蔵さんは、悲しげに見える。

山の下には、棚田。 島原半島には、棚田が多い。
今の時期、ジャガイモを植えている所が多い。 長島のように。
ビニルが、光っている。

上に駐車場があって、展望台のようになっていた。
でも、木があって、下は見えなかった。
その上に、グランドがあったが、行かなかった。
よく分からないで、戻った。
別の道を歩いていたら、小さな天満宮。 花。

途中まで戻って、九州自然歩道を歩きだした。
しばらく歩いて、キリシタン遺物。
普通の石仏との違いは、何なんでしょう。 少し上を向いている。


道は山に行くので、戻った。

市役所の支所に行って、地図をいただこうとしたが、無かった。
仕方なく、また、適当に歩いた。
時々、何かの案内の表示があるけど、その後見つからないので、たどり着けない。
お寺の跡。 向こうに、湧水がある。

※ 上の文中に、満明寺とある。 この寺は、雲仙温泉にある。
千々石の地は、雲仙温泉の山の下にある。
湧水です。 柄杓(ひしゃく)があるので、飲めるよう。 飲まなかったが。
先日のもそうだが、池に貯めたのを使っている。
飲むなら、地中から出て来た直ぐのが、新鮮に感じる。

湧水があるから、上の寺の名前が、大泉寺か。
木の下から、湧き出ていた。

川に出た。
風景が、荒れていない。 限界集落になると、風景も荒れてくる。

最初に渡った橋。 駐車場のそばに。

変わったデザイン。 昔の、刎(は)ね橋に似ている。

刎ね橋を、3つ紹介。
左は、山梨県大月市にある猿橋。 三奇橋の1つ。 中は、雑炊橋。(長野県)。
右は、愛本刎橋(富山県)。 残っているのは、猿橋だけ。
日本三奇矯の一つ、猿橋 ~大月市~ 他 (2011/11/4)



川沿いの道を歩いたら、飛び石。 橋の変わり。
増水すると危険。 危険かどうかは、子供は、自分で判断するのかな。

温泉神社。 雲仙温泉に、同じ温泉神社がある。 (昨年春に撮影)
カッパが魚釣り。

見学はお終いにして、戻った。
枝垂(しだ)れ梅。

長崎に向かった。 途中の展望台から。 左に、千々石の町。

停泊できそうなところが見つからず、茂木まで来た。
茂木港。 この港から、林芙美子、五足の靴の与謝野鉄幹たちが、天草に渡った。

山を越えたら、長崎の町。 今晩は、ここ。

地図が無いと、歩くのは大変。
適当になってしまう。
長崎近辺に、10日はいるでしょうか。
細かな見所を、探します。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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そう言えば、数日前に、雪が降った。
その雪が、山に残っていた。
アイゼンは持たなかったので、あと350㍍地点で、引き返した。
3月に入って雪が消えたら、もう一度。
その時は、普賢岳の周辺、全体を歩く。
途中で諫早の方に会って、一緒に下山。
温泉にも。
長崎方面の情報を、いろいろ教えていただいた。
今日は、そんないいことがあった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
普賢岳は、島原半島の真ん中に。
隣に平成新山がある。 こっちの方が高いが、火山活動のため、行けない。
平成新山が、長崎県最高峰。
池ノ原園地の駐車場に停めた。
後で知ったが、今の時期は混まないので、仁田峠の駐車場が使えると知った。
そこに、ロープウェーの下の駅。
向こうに行く。 ロープウェーの上の駅が見える。
天気がいい。 気分は爽快。 足の調子はいい。
あららら。 上はもっと雪かな。 先日のだ。 アイゼンは、持って来ていない。
この時、頂上は無理だなって、感じた。
40分歩いて、仁田峠。
※ ここに駐車場は、1時間までとあった。 でも、この時期は、どうでもいいよう。
ミヤマキリシマが咲くと、混む。
島原市でしょうか。 中央の茶色の部分は、火砕流の跡。 平成3年。 死者、43名。
右端は、平成新山。 その左に、普賢岳。
ロープウェーの右のコースを、行ってみることに。
登山口。
快適な道。 暖かい。 遠くに、平成新山。
登らないで、この後下る。
あれ~、先行き不安。
珍しいことが書いてある。 いいですね。 ここでは、ヤッホ~とか、叫んだらダメ。
あざみ谷。 この後、一気に上がっていく。 弁当を半分食べた。
15分ほどして、出発。 ずっと、雪道。
ロープウェーに乗ったら、向こうの上に上がる。 そっちからの道もある。
登り道が続いたが、アイゼンがなくても、何とかなった。
30程歩いたろうか、紅葉茶屋に着いた。 ここから、普賢岳の頂上まで、400㍍。
地図の現在地にいる。 この後、〇の辺りまで行くが、引き返す。
この道を行ってみた。 途中、危険と感じて、戻った。
戻って、鬼人谷口(きじんだにぐち)に行ってみた。
風が吹いたら、樹氷が、サラサラと音を立て、落ちた。
ロープウェーの方への道を行ってみたが、樹氷の落ちた氷が、道を覆っていた。
下は、戻る時に撮影。
私を追い越して下山した人が、あざみ谷で、食事をしていた。
私も、残りの弁当を食べた。
その人は、諫早(いさはや)市から来ていた。
山のことなど話して、一緒に下山。
途中、振り返った。 普賢岳と、平成新山。
雪が消えたら、また来ようと思った。
雪があるからか、出会った登山者は、たったの2人。
仁田峠の駐車場。
諫早の人の車は、ここにある。 下の駐車場まで、乗せていただいた。
この後、「雲仙よか湯」に案内していただいた。
成分の濃い、温まる湯だった。 400円。
内湯は、こう。 外湯はこんなので、これがよかった。 向こう側のに、一緒に入った。
停泊場所は決まっていなかった。
橘(たちばな)公園の駐車場がいいよと、教えていただく。
そこに行って、公園を一緒に散歩した。
向こうから、上がって来た。
橘神社。 橘中佐を祀っているという。
公園の入り口の鳥居には、正月に、大きな門松が飾られるという。
諫早の方とは、3月に入ったら、一緒に多良岳に登ることにした。
別れる時、みかんをいただいた。
普賢岳の上は、見晴らしがきっといい。
今回、登山ルートも詳しく分かったので、長崎方面に来た時は、毎回登っていいかも知れない。
九重や大山のように。
天気が良く、人にも出会えて、いい一日でした。
【ブログの紹介】
白い噴気の、雲仙地獄。 小浜ちゃんぽんと温泉。~雲仙市~ 他 (2013/3/4)
梅の花の島原城。 水音の聞こえる城下町。 寒ざらし。~島原市~ 他 (2013/3/3)
【今日の歌】 Million Scarlet Roses 百万本のバラの舞台でもあった、ソチが終わりましたね。
【停泊場所】 橘公園駐車場
【明日の予定】 この近くを散策。
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温泉にも。
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そこに、ロープウェーの下の駅。
向こうに行く。 ロープウェーの上の駅が見える。

天気がいい。 気分は爽快。 足の調子はいい。

あららら。 上はもっと雪かな。 先日のだ。 アイゼンは、持って来ていない。
この時、頂上は無理だなって、感じた。

40分歩いて、仁田峠。
※ ここに駐車場は、1時間までとあった。 でも、この時期は、どうでもいいよう。
ミヤマキリシマが咲くと、混む。

島原市でしょうか。 中央の茶色の部分は、火砕流の跡。 平成3年。 死者、43名。

右端は、平成新山。 その左に、普賢岳。

ロープウェーの右のコースを、行ってみることに。

登山口。

快適な道。 暖かい。 遠くに、平成新山。

登らないで、この後下る。

あれ~、先行き不安。

珍しいことが書いてある。 いいですね。 ここでは、ヤッホ~とか、叫んだらダメ。

あざみ谷。 この後、一気に上がっていく。 弁当を半分食べた。

15分ほどして、出発。 ずっと、雪道。

ロープウェーに乗ったら、向こうの上に上がる。 そっちからの道もある。

登り道が続いたが、アイゼンがなくても、何とかなった。
30程歩いたろうか、紅葉茶屋に着いた。 ここから、普賢岳の頂上まで、400㍍。

地図の現在地にいる。 この後、〇の辺りまで行くが、引き返す。

この道を行ってみた。 途中、危険と感じて、戻った。

戻って、鬼人谷口(きじんだにぐち)に行ってみた。


風が吹いたら、樹氷が、サラサラと音を立て、落ちた。

ロープウェーの方への道を行ってみたが、樹氷の落ちた氷が、道を覆っていた。
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私を追い越して下山した人が、あざみ谷で、食事をしていた。
私も、残りの弁当を食べた。
その人は、諫早(いさはや)市から来ていた。
山のことなど話して、一緒に下山。

途中、振り返った。 普賢岳と、平成新山。
雪が消えたら、また来ようと思った。
雪があるからか、出会った登山者は、たったの2人。

仁田峠の駐車場。
諫早の人の車は、ここにある。 下の駐車場まで、乗せていただいた。

この後、「雲仙よか湯」に案内していただいた。
成分の濃い、温まる湯だった。 400円。
内湯は、こう。 外湯はこんなので、これがよかった。 向こう側のに、一緒に入った。
停泊場所は決まっていなかった。
橘(たちばな)公園の駐車場がいいよと、教えていただく。
そこに行って、公園を一緒に散歩した。
向こうから、上がって来た。

橘神社。 橘中佐を祀っているという。

公園の入り口の鳥居には、正月に、大きな門松が飾られるという。

諫早の方とは、3月に入ったら、一緒に多良岳に登ることにした。
別れる時、みかんをいただいた。
普賢岳の上は、見晴らしがきっといい。
今回、登山ルートも詳しく分かったので、長崎方面に来た時は、毎回登っていいかも知れない。
九重や大山のように。
天気が良く、人にも出会えて、いい一日でした。
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天気が回復して、暖かくなった。
いいもんです。 ありがたい。
湧水公園があったので、少し遊んだ。
そこには、江戸時代に作った上水道があった。
今も使っているというから、驚き。
宇土市を離れて、宇土市には、小袖餅があったことを知った。
面白い話がある。 食べてみたかった。
この次には。
島原半島に渡りました。
明日も、暖かいです。
山に向かいます。
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今日の目的地の轟泉(ごうせん)自然公園は、宇土市の中心街に近い。
朝になって、長部田海床路(ながべたかいしょうろ)を見たら、道の先は、海の中だった。
近くに温泉があるの。 寄った。 マッサージ器があると分かって。
宇土市健康福祉館、あじさいの湯。 400円。
カンヒザクラが咲いていた、
満開はこれから。 濃いピンク。 今年は、指宿で見ている。
花が、釣鐘っぽいのが多いが、ここのは少し開き気味。
桜の花が咲くと、暖かい印象。 そこが梅と違う。
温泉では、いつものように足のマッサージ。(手でするのは、指圧っぽく)
轟泉(ごうせん)自然公園への道は、不安なく通れる道。
1㌔ほど手前に、宇土城跡があった。
公園の中には、湧水があって、轟(とどろき)水源とあった。
森の中に、湧水の池。
ここの水は、江戸時代から、上水道として使われた。
5㌔程離れた市街地まで。
今も使われている。
今は、左の水道管。
人が水を汲んでいる。 その向こうに、湧水の池が。
池から流れ出てくるのを、汲んでいる。
池の水をこのように飲むのは、あまり見たことがない。 私も飲んだ。 16℃。 温かく感じた。
奥に見える池が、湧水の池。
公園の中を散歩。
和田の観音堂。
静かに、目を瞑(つむ)っていた。
少し歩いた。 この上に、昔は寺や御殿があったという。
熊本は、細川家。 宇土(うと)はその支藩で、宇土細川家と呼ばれた。 支藩と言っても、自立していたよう。
菩提寺があって、その跡。
寺の名前は、泰雲寺。
京都の大徳寺内、高桐院(こうとういん)の末寺とある。
※ 高桐院は、細川忠興(ほそかわ ただおき)が建てた。 妻は、細川ガラシャ。 明智光秀の娘。
忠興は、千利休に近かったため、大徳寺に寺がある。
2人の墓が、高桐院内のあった。
下の写真は、2011年に行った時に撮影。 墓は、このように。
※ 今は咲いていなかったが、肥後六花が咲く花園もあった。
肥後六花(ひごろっか)は、
肥後椿(ひごつばき) 肥後芍薬(ひごしゃくやく) 肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)
肥後朝顔(ひごあさがお) 肥後菊(ひごぎく) 肥後山茶花(ひごさざんか)
北海道の十勝には、十勝六花がある。 肥後六花を知って、決めた。
帯広の六花亭のお菓子の六花は、十勝六花のこと。
エゾリンドウ ハマナシ オオバナノエンレイソウ
カタクリ エゾリュウキンカ シラネアオイ
この上に、宇土細川家の墓。 行かなかったが。
晩に、宇土市を調べていたら、宇土市名物に、小袖餅があることを知った。
柔らかいのは、その日だけで、贈り物には出来ないという。
添加物を入れていないから。
小袖餅の話が面白い。 今も店はやってるので、いつか寄ってみましょう。
熊本港のフェリーターミナル。
4時過ぎのに乗った。 3500円。 乗用なら2500円。
出ました。 写ってないけど、カモメも一緒にやって来た。
ノリの養殖。
島原へは、去年も行った。 エアコンの調子が悪く、直ぐに鹿児島県の長島に戻った。 このフェリーで。
島原です。 高い山は、平成新山。 溶岩のかたまり。
着きました。 1時間ほどの短い船旅。
道の駅、みずなし本陣ふかえ から見た、平成新山。
あそこから、溶岩が流れてきた。
反対側。 この辺り一帯は、埋まった。
こんな噴火だった。 平成3年。
島原半島から長崎に向かって、その後は、福岡・柳川方面。
そんな旅でしょうか。
3月の末に、四国かな。
明日は天気が良くなりそう。
【今日の歌】 島原の子守歌。 ※ 出来た過程に、いろいろ問題がある歌。 曲も詩も、あっちこっちから。
【道の駅】 みずなし本陣ふかえ
【明日の予定】 普賢岳に。 行けるところまで。
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いいもんです。 ありがたい。
湧水公園があったので、少し遊んだ。
そこには、江戸時代に作った上水道があった。
今も使っているというから、驚き。
宇土市を離れて、宇土市には、小袖餅があったことを知った。
面白い話がある。 食べてみたかった。
この次には。
島原半島に渡りました。
明日も、暖かいです。
山に向かいます。
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今日の目的地の轟泉(ごうせん)自然公園は、宇土市の中心街に近い。
朝になって、長部田海床路(ながべたかいしょうろ)を見たら、道の先は、海の中だった。

近くに温泉があるの。 寄った。 マッサージ器があると分かって。
宇土市健康福祉館、あじさいの湯。 400円。
カンヒザクラが咲いていた、

満開はこれから。 濃いピンク。 今年は、指宿で見ている。

花が、釣鐘っぽいのが多いが、ここのは少し開き気味。
桜の花が咲くと、暖かい印象。 そこが梅と違う。

温泉では、いつものように足のマッサージ。(手でするのは、指圧っぽく)
轟泉(ごうせん)自然公園への道は、不安なく通れる道。
1㌔ほど手前に、宇土城跡があった。
公園の中には、湧水があって、轟(とどろき)水源とあった。
森の中に、湧水の池。

ここの水は、江戸時代から、上水道として使われた。
5㌔程離れた市街地まで。

今も使われている。

今は、左の水道管。

人が水を汲んでいる。 その向こうに、湧水の池が。
池から流れ出てくるのを、汲んでいる。
池の水をこのように飲むのは、あまり見たことがない。 私も飲んだ。 16℃。 温かく感じた。

奥に見える池が、湧水の池。

公園の中を散歩。
和田の観音堂。

静かに、目を瞑(つむ)っていた。

少し歩いた。 この上に、昔は寺や御殿があったという。

熊本は、細川家。 宇土(うと)はその支藩で、宇土細川家と呼ばれた。 支藩と言っても、自立していたよう。

菩提寺があって、その跡。

寺の名前は、泰雲寺。
京都の大徳寺内、高桐院(こうとういん)の末寺とある。

※ 高桐院は、細川忠興(ほそかわ ただおき)が建てた。 妻は、細川ガラシャ。 明智光秀の娘。
忠興は、千利休に近かったため、大徳寺に寺がある。
2人の墓が、高桐院内のあった。
下の写真は、2011年に行った時に撮影。 墓は、このように。

※ 今は咲いていなかったが、肥後六花が咲く花園もあった。
肥後六花(ひごろっか)は、
肥後椿(ひごつばき) 肥後芍薬(ひごしゃくやく) 肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)
肥後朝顔(ひごあさがお) 肥後菊(ひごぎく) 肥後山茶花(ひごさざんか)
北海道の十勝には、十勝六花がある。 肥後六花を知って、決めた。
帯広の六花亭のお菓子の六花は、十勝六花のこと。
エゾリンドウ ハマナシ オオバナノエンレイソウ
カタクリ エゾリュウキンカ シラネアオイ
この上に、宇土細川家の墓。 行かなかったが。

晩に、宇土市を調べていたら、宇土市名物に、小袖餅があることを知った。
柔らかいのは、その日だけで、贈り物には出来ないという。
添加物を入れていないから。

小袖餅の話が面白い。 今も店はやってるので、いつか寄ってみましょう。
熊本港のフェリーターミナル。

4時過ぎのに乗った。 3500円。 乗用なら2500円。

出ました。 写ってないけど、カモメも一緒にやって来た。

ノリの養殖。

島原へは、去年も行った。 エアコンの調子が悪く、直ぐに鹿児島県の長島に戻った。 このフェリーで。

島原です。 高い山は、平成新山。 溶岩のかたまり。

着きました。 1時間ほどの短い船旅。

道の駅、みずなし本陣ふかえ から見た、平成新山。
あそこから、溶岩が流れてきた。

反対側。 この辺り一帯は、埋まった。

こんな噴火だった。 平成3年。
島原半島から長崎に向かって、その後は、福岡・柳川方面。
そんな旅でしょうか。
3月の末に、四国かな。
明日は天気が良くなりそう。
【今日の歌】 島原の子守歌。 ※ 出来た過程に、いろいろ問題がある歌。 曲も詩も、あっちこっちから。
【道の駅】 みずなし本陣ふかえ
【明日の予定】 普賢岳に。 行けるところまで。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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