森の中に、美しく咲く一輪の花のように、八丁池はあった。
そこには、昭和天皇、今の皇太子が行っている。
自分が訪れてみて、魅力の大きさを知った。
天城山を縦走すれば、途中にある。
その方法を、調べきれなかったので、行って戻って来た。
天城山へは、別の日に、別方向から行くことに。
八丁池のほとりに座って見た、空と池と森は、格別の美しさだった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
八丁池は、伊豆の山中、奥深くにある。
車は昨日と同じ、水生地(すいしょうち)下のパーキング。
ここから、スタート。 旧道へ。 11時45分。 遅い時刻。
旧天城トンネルに向かう。
トンネルへまでの中間の位置。 1㌔ほど歩いて、ここ、水生地に。
地図の赤〇を歩く。 ここから、4.2㌔の登山。
しばらくは、林道を歩いた。 これで距離を稼ぐから、楽ちん。 暑い。 すっかり夏。
八丁池は、正面の山の向こうと、地図を見て分かる。
スタートから、50分ほどでここ。 登山道に入る。
杉林の中の道は、歩いて楽しくない。 この森では、鳥は生きていけない。
トカゲがいた。 尻尾は無い。 お腹が大きい。 もう少しで、卵を産む。
この登山道は、下り御幸歩道。 ※ ぎょうこう、と読むよう。 みゆき歩道でいいと思うが。
昭和の初め、昭和天皇が八丁池に行って、この道を下った。
※ 今日、私が下る道は、上り御幸歩道。
どこまでも、杉の森。 ブナ林は、遠い。
左遠くに、シカが見えた。 全体が見えなくても、しかたない。 どうしてって。 ・・・。
案内板。
あと2㌔。 地図では、この位置。 高く上がってきた。
ブナ林に入った。 うれしい。 空気が違う。 森林浴。 鳥も鳴く。
道には黒曜石が落ちている。 噴火の時、マグマがガラス質になって、出来る。
はるか昔の人は、これでナイフや、矢の先を。
疲れれても、楽しい道。 茶色の、裸の感じの木は、シャラの木。
何の木でしょう。 巨木。
歩き始めて2時間半。 着いたようだ。
今までの地図と、南北が反対。 地図から、少し歩いたら、見えた。 八丁池。
誰もいない。 左の方。
正面。 水面に空が映る。 森が映る。 花が映る。
この風景を見ながら、弁当を食べた。
自分は今、日本中で、一番美しい空を見ている人間かも知れない。
そんなことを思った。
この池は、天城山の噴火口と言われていたが、そうではなく、台地のずれで出来た窪地に水が溜まった。
日本列島の真ん中辺りは、構造線があるので、大地の動きが激しい。
その結果が、アルプスの山々。 ここも。
右の方。
水面が、ピンクに染まった。
離れた所に、東屋。 フナがいた。 ご飯をやった。
しばらくしたら、人がやってきた。 この人たちの前にも、2人。
みんな、縦走。 天城山からやってきた。
しばらく休んで、景色を眺めていた。
3時になって、戻ることに。 天城峠に向かう。 そこから、車まで、2.4㌔。
あと、8㌔歩く。 山道の8㌔は、少し遠い。
近くに展望台。 変わった木がある道を行く。
山に囲まれている。 水の出口があって、昨日見た河津七滝(ななだる)へと、流れていく。
八丁池は、知る人ぞ知る、人気の場所のよう。
向こうの岸にいた。
周りの山。 知ってる名前の山は、見えない。
左の写真の、正面の山の中を歩く。 この後。
ずっと山の斜面の道。 たまに、危険な所も。
木の実の殻が、かたまっていた。 上に、動物の巣があるかと思って、上を見た。
穴から、ムササビが顔を出してくれたら、最高。
水の音が聞こえたら、ワサビ田があった。
水生地(すいしょうち)の言葉は、ワサビ田から生まれたと、想像。
※ 水生地下駐車場は、最初、水生(みずなま)地下駐車場かと思った。 まさかとは、思ったけど。
一度下ったのに、また、上りだした。 峠越え。
木は死んで、やっと横になれる。 生きてる間は、ずっと立ったまま。 倒れた木には、お疲れ様。
天城峠は、旧天城トンネルの上にある。 そこまで、あと少し。
変わった状態。 黒い木が、シャラの木を、包もうとしている。
女の人が、逆さまになってるように、見える。 足をつかまれて。
シャラの木の大木。
着きました。 八丁池から、2時間。
一気に下る。 下まで、400㍍。
トンネルの前に出て来た。 ○の所から、降りてきた。
2㌔ほど歩いて、着きました。
八丁池は、行かなければならない所、と思っていました。
縦走でなかったので、両方の道を歩けました。
帰りは、遠かったけど、全部ブナ林。 いい道でした。
八丁池は、山の上の別天地でした。
【関連ブログ】 山の上の湖を紹介。
フンベの滝 黄金道路 豊似湖 襟裳岬 ~広尾町・えりも町~ 他 (2010/9/16)
タキタロウの棲む大鳥池 ~写真は、小さなタキタロウかもしれない。 鶴岡市~ 他 (2010/10/6)
【今日の歌】 Queen - Crazy Little Thing Called Love (Official Video)
【停泊場所】 河津町の海水浴場駐車場
【明日の予定】 バラ園を見る。 満開のよう。 天城山へは、明日か明後日。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
【拍 手】
そこには、昭和天皇、今の皇太子が行っている。
自分が訪れてみて、魅力の大きさを知った。
天城山を縦走すれば、途中にある。
その方法を、調べきれなかったので、行って戻って来た。
天城山へは、別の日に、別方向から行くことに。
八丁池のほとりに座って見た、空と池と森は、格別の美しさだった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
八丁池は、伊豆の山中、奥深くにある。
車は昨日と同じ、水生地(すいしょうち)下のパーキング。
ここから、スタート。 旧道へ。 11時45分。 遅い時刻。

旧天城トンネルに向かう。

トンネルへまでの中間の位置。 1㌔ほど歩いて、ここ、水生地に。
地図の赤〇を歩く。 ここから、4.2㌔の登山。


しばらくは、林道を歩いた。 これで距離を稼ぐから、楽ちん。 暑い。 すっかり夏。


八丁池は、正面の山の向こうと、地図を見て分かる。

スタートから、50分ほどでここ。 登山道に入る。


杉林の中の道は、歩いて楽しくない。 この森では、鳥は生きていけない。

トカゲがいた。 尻尾は無い。 お腹が大きい。 もう少しで、卵を産む。

この登山道は、下り御幸歩道。 ※ ぎょうこう、と読むよう。 みゆき歩道でいいと思うが。
昭和の初め、昭和天皇が八丁池に行って、この道を下った。
※ 今日、私が下る道は、上り御幸歩道。

どこまでも、杉の森。 ブナ林は、遠い。

左遠くに、シカが見えた。 全体が見えなくても、しかたない。 どうしてって。 ・・・。

案内板。


あと2㌔。 地図では、この位置。 高く上がってきた。


ブナ林に入った。 うれしい。 空気が違う。 森林浴。 鳥も鳴く。

道には黒曜石が落ちている。 噴火の時、マグマがガラス質になって、出来る。
はるか昔の人は、これでナイフや、矢の先を。

疲れれても、楽しい道。 茶色の、裸の感じの木は、シャラの木。

何の木でしょう。 巨木。

歩き始めて2時間半。 着いたようだ。

今までの地図と、南北が反対。 地図から、少し歩いたら、見えた。 八丁池。


誰もいない。 左の方。

正面。 水面に空が映る。 森が映る。 花が映る。
この風景を見ながら、弁当を食べた。
自分は今、日本中で、一番美しい空を見ている人間かも知れない。
そんなことを思った。

この池は、天城山の噴火口と言われていたが、そうではなく、台地のずれで出来た窪地に水が溜まった。
日本列島の真ん中辺りは、構造線があるので、大地の動きが激しい。
その結果が、アルプスの山々。 ここも。
右の方。

水面が、ピンクに染まった。

離れた所に、東屋。 フナがいた。 ご飯をやった。


しばらくしたら、人がやってきた。 この人たちの前にも、2人。
みんな、縦走。 天城山からやってきた。

しばらく休んで、景色を眺めていた。
3時になって、戻ることに。 天城峠に向かう。 そこから、車まで、2.4㌔。
あと、8㌔歩く。 山道の8㌔は、少し遠い。

近くに展望台。 変わった木がある道を行く。


山に囲まれている。 水の出口があって、昨日見た河津七滝(ななだる)へと、流れていく。

八丁池は、知る人ぞ知る、人気の場所のよう。
向こうの岸にいた。


周りの山。 知ってる名前の山は、見えない。

左の写真の、正面の山の中を歩く。 この後。


ずっと山の斜面の道。 たまに、危険な所も。

木の実の殻が、かたまっていた。 上に、動物の巣があるかと思って、上を見た。
穴から、ムササビが顔を出してくれたら、最高。


水の音が聞こえたら、ワサビ田があった。
水生地(すいしょうち)の言葉は、ワサビ田から生まれたと、想像。
※ 水生地下駐車場は、最初、水生(みずなま)地下駐車場かと思った。 まさかとは、思ったけど。


一度下ったのに、また、上りだした。 峠越え。
木は死んで、やっと横になれる。 生きてる間は、ずっと立ったまま。 倒れた木には、お疲れ様。

天城峠は、旧天城トンネルの上にある。 そこまで、あと少し。


変わった状態。 黒い木が、シャラの木を、包もうとしている。
女の人が、逆さまになってるように、見える。 足をつかまれて。

シャラの木の大木。


着きました。 八丁池から、2時間。

一気に下る。 下まで、400㍍。

トンネルの前に出て来た。 ○の所から、降りてきた。

2㌔ほど歩いて、着きました。

八丁池は、行かなければならない所、と思っていました。
縦走でなかったので、両方の道を歩けました。
帰りは、遠かったけど、全部ブナ林。 いい道でした。
八丁池は、山の上の別天地でした。
【関連ブログ】 山の上の湖を紹介。
フンベの滝 黄金道路 豊似湖 襟裳岬 ~広尾町・えりも町~ 他 (2010/9/16)
タキタロウの棲む大鳥池 ~写真は、小さなタキタロウかもしれない。 鶴岡市~ 他 (2010/10/6)
【今日の歌】 Queen - Crazy Little Thing Called Love (Official Video)
【停泊場所】 河津町の海水浴場駐車場
【明日の予定】 バラ園を見る。 満開のよう。 天城山へは、明日か明後日。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
【拍 手】
踊子たちが、天城峠を越えて着いた所は、湯ケ野温泉の福田屋。
今日は、峠の下から歩き出して、旧天城トンネルを抜け、福田屋まで歩いてみた。
距離は、16㌔程。 途中に、河津七滝(かわづななだる)。
通った道は、踊子歩道。
その道は、旧道だったり、古くからの下田街道だったりした。
いい道の風景だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
ここから、旧道に入る。 どっちも、国道414。 水生地下(すいちょうちした)駐車場から撮影。
右に橋。 200㍍程行くと、新天城トンネル。
少し歩くと、案内。 地図はこの近辺だけ。 今日は、行けるとこまで行く。
伊豆の踊子の碑。 冒頭の文が書いてある。
古いので読みにくい。 その文は、ブログの最後に出て来ます。
「道がつづら折りになって・・」で始まる。
この道は、実際は、つづら折れほどではない。
作者は、つづら折れの言葉が、好きだったんですね。
アサギマダラを、何回か見た。 人を恐れない。 やわらかく飛ぶ、美しい蝶。
踊子が通ったのは、大正7年。
その2年前に、バスが通り始めた。 他の車も。
下田への物の運搬は、まだまだ船が中心だった。
だからこの道は、昔の街道のように、人の行き来が主だった。
旧天城トンネルが、見えてきた。
石造り。 眼鏡橋を造るのに、似ている。 それを、100個ほど。 重要文化財。 石橋と同じ美しさ。
「隧(ずい)』という字自体に、地中の通路という意味があるよう。 特に、墓への。
全長、445㍍。 どうやって彫ったのでしょう。
輸入したダイナマイトを、使ったよう。 ※ 日本で作られたのは、明治38年から。
トンネルの中から、外を見た。 出た左に、茶屋があった。 踊子が寄っている。
涼しい。 風は、向こうから。
出ました。
しばらく歩いて、寒天橋。 左の道を行くと、八丁池に。 さらに行くと、天城山。 こっちからは遠い。
二階滝があったが、木で上の方が見えなかった。
2時間半経って、ここに。 少し向こうから、右に下る。 国道が近い。
ここで、弁当。 一休み。 座って撮った。 石の支柱は、玄武岩の柱。
細い道になった。 昔の街道のよう。
ワサビ畑でなく、ワサビ田とある。 こっちがいい。 畑の仕組みが、分かった。 土の中が違う。
人の顔に見えた。
宗太郎杉並木。 昔の街道。 石碑に、安永とある。 江戸時代の中ごろ。
伊豆は、天領だったこともあり、道が整備されたのは遅かった。 上の碑の頃。
深い谷に下りた。 河津七滝に着いた。 七滝は、ななだる、と読む。 だるは、たるで、垂(た)れるの意味。
滝の出来た仕組みが、分かり易い。 木の階段が、これの何倍もある。 ここを歩くだけでも、楽しい。
釜滝。 立派な滝。 伊豆の川は、水が、どこも澄み切っている。
こんな滝も。
川の向こうは、溶岩が固まって、柱状節理。 (玄武岩か、安山岩か)
ここは、河津七滝の入口。 そこに来た。 私は奥から見てきた。
踊子の像が見える。
まあ、いいでしょうかね。
今日歩いた地図。 踊子は、湯ヶ島から湯ケ野まで、歩いたのか。 修禅寺からなら、大変。
※ 私は、ちゃんと、読んでない。 テレビで見ただけ。
修禅寺の小さな橋で、踊り子と男の人は、初めて出会っている。 次は、天城峠の茶屋かな。
ここの滝は、観光地。
踊子歩道の終点、湯ケ野に向かった。 旧国道ではなく、古い街道だった。 下田街道。
会った人は、ここを踊子は通っているんですよと、言った。
※ 毛虫が、このように、よくぶら下がっている。 ブランコ毛虫と言ったりする。
目的が、難しい。 風に飛ばされて、どこかに行く。
敵から逃げるため、ぶら下がった。 そのうち、上がっていく。
はっきりしないけど、移動するためのよう。
ちっちゃな祠と、説明版。 祠の中に、宝篋印塔。
北条早雲は、戦国時代の始まりだぞ~って、名乗りを上げた人。
1490年ころのこと。 その取り組みの1つが、下に。
関戸吉信の関係者1000人程が、みんな打ち首。 見せしめ。
こうやって力を誇示して、戦国大名が生まれていく。
この時代は、応仁の乱(1467年~)の、後のこと。
最後をまとめるのが、家康。 そんな時代の始まりなんですね。
下田街道です。 踊子たちは、旧国道や下田街道など、目的地に近い道を通ったよう。
こんな道、大好き。 家があるのがいい。 家があると、花がある。 花があると、虫がいる。
虫がいると、鳥がいる。 鳥がいると、・・・。 どうしましょう。 焼き鳥が・・、だったら変だし。
もうすぐ。
最後の峠越え。
右の像は、きっと、馬頭観音。 ある馬が、この峠を越えられず、ここで亡くなった。
見えました。 湯ケ野の町並み。
町並みに入ってきた。 右に、踊り子たちが泊まった、福田屋が見えた。
ここを降りて、橋を渡る。
今日は、休みだった。
記念碑があった。 ここに、三日停まっているんですね。
川端康成は、ノーベル賞をとった。 でも彼は、自殺した。 幸せは手に入らなかったのか。
福田屋の前の風景。 旅芸人はぜいたくは出来ない。 庶民的な温泉旅館だったのでしょうね。
ここが、踊り子歩道の終点。 ここから、戻る。 最終バスの、15分前に着いた。
伊豆の踊子の、出だしの文がある。 どこの石碑も、この文。
バスの客は、私一人。 新天城トンネルを通って。
山の中の、生水地下(しょうすいちした)の停留場で、降りようとした。
運転手さんは、もうバスはありませんよ、と心配した。
この後の、自分の対応がまずい。 自分は、頭悪いなと思った。
実際は、あれって、キャンピングカーを指さした。
こうすればよかった。 わたしは、幽霊ですから、大丈夫、って。
※ こんな話が好きな人は、下を。
十勝岳望岳台 吹上温泉 ぜるぶの丘 他 (2009/07/27)
蜂屋のラーメン 美瑛の丘 他 (2009/07/28)
バスが出る時、お互い手を振って、サヨナラをした。
今日は、踊りの子の歩いた道を、追ってみました。
今の時代、1日20㌔を歩く人はいないけど、昔は普通だったようですね。
いい靴ではないのに。
昔の人は、歩くのも仕事、と思っていたかも知れない。
踊子は、何を夢見て、どんな喜びで、生きていたのでしょう。
【関連ブログ】 名作「雪国」を生んだ、高半旅館。 駒子の湯。 越後湯沢駅。~湯沢町~ 他 (2013/10/23)
【今日の歌】 伊豆の踊り子 峠の茶屋、福田屋が出て来ます。
【その他】 アクセス数が、たまたま、7が並んでいた。 Ⅰの方は、87万。 どっちが先に、100万でしょう。
【道の駅】 天城越え
【明日の予定】 八丁池を予定
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
【拍 手】
今日は、峠の下から歩き出して、旧天城トンネルを抜け、福田屋まで歩いてみた。
距離は、16㌔程。 途中に、河津七滝(かわづななだる)。
通った道は、踊子歩道。
その道は、旧道だったり、古くからの下田街道だったりした。
いい道の風景だった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
ここから、旧道に入る。 どっちも、国道414。 水生地下(すいちょうちした)駐車場から撮影。
右に橋。 200㍍程行くと、新天城トンネル。

少し歩くと、案内。 地図はこの近辺だけ。 今日は、行けるとこまで行く。


伊豆の踊子の碑。 冒頭の文が書いてある。
古いので読みにくい。 その文は、ブログの最後に出て来ます。
「道がつづら折りになって・・」で始まる。
この道は、実際は、つづら折れほどではない。
作者は、つづら折れの言葉が、好きだったんですね。

アサギマダラを、何回か見た。 人を恐れない。 やわらかく飛ぶ、美しい蝶。


踊子が通ったのは、大正7年。
その2年前に、バスが通り始めた。 他の車も。
下田への物の運搬は、まだまだ船が中心だった。
だからこの道は、昔の街道のように、人の行き来が主だった。

旧天城トンネルが、見えてきた。

石造り。 眼鏡橋を造るのに、似ている。 それを、100個ほど。 重要文化財。 石橋と同じ美しさ。
「隧(ずい)』という字自体に、地中の通路という意味があるよう。 特に、墓への。


全長、445㍍。 どうやって彫ったのでしょう。
輸入したダイナマイトを、使ったよう。 ※ 日本で作られたのは、明治38年から。


トンネルの中から、外を見た。 出た左に、茶屋があった。 踊子が寄っている。

涼しい。 風は、向こうから。

出ました。

しばらく歩いて、寒天橋。 左の道を行くと、八丁池に。 さらに行くと、天城山。 こっちからは遠い。


二階滝があったが、木で上の方が見えなかった。
2時間半経って、ここに。 少し向こうから、右に下る。 国道が近い。
ここで、弁当。 一休み。 座って撮った。 石の支柱は、玄武岩の柱。

細い道になった。 昔の街道のよう。
ワサビ畑でなく、ワサビ田とある。 こっちがいい。 畑の仕組みが、分かった。 土の中が違う。


人の顔に見えた。

宗太郎杉並木。 昔の街道。 石碑に、安永とある。 江戸時代の中ごろ。
伊豆は、天領だったこともあり、道が整備されたのは遅かった。 上の碑の頃。


深い谷に下りた。 河津七滝に着いた。 七滝は、ななだる、と読む。 だるは、たるで、垂(た)れるの意味。

滝の出来た仕組みが、分かり易い。 木の階段が、これの何倍もある。 ここを歩くだけでも、楽しい。


釜滝。 立派な滝。 伊豆の川は、水が、どこも澄み切っている。

こんな滝も。

川の向こうは、溶岩が固まって、柱状節理。 (玄武岩か、安山岩か)

ここは、河津七滝の入口。 そこに来た。 私は奥から見てきた。
踊子の像が見える。

まあ、いいでしょうかね。

今日歩いた地図。 踊子は、湯ヶ島から湯ケ野まで、歩いたのか。 修禅寺からなら、大変。
※ 私は、ちゃんと、読んでない。 テレビで見ただけ。
修禅寺の小さな橋で、踊り子と男の人は、初めて出会っている。 次は、天城峠の茶屋かな。


ここの滝は、観光地。

踊子歩道の終点、湯ケ野に向かった。 旧国道ではなく、古い街道だった。 下田街道。
会った人は、ここを踊子は通っているんですよと、言った。
※ 毛虫が、このように、よくぶら下がっている。 ブランコ毛虫と言ったりする。
目的が、難しい。 風に飛ばされて、どこかに行く。
敵から逃げるため、ぶら下がった。 そのうち、上がっていく。
はっきりしないけど、移動するためのよう。


ちっちゃな祠と、説明版。 祠の中に、宝篋印塔。

北条早雲は、戦国時代の始まりだぞ~って、名乗りを上げた人。
1490年ころのこと。 その取り組みの1つが、下に。
関戸吉信の関係者1000人程が、みんな打ち首。 見せしめ。
こうやって力を誇示して、戦国大名が生まれていく。
この時代は、応仁の乱(1467年~)の、後のこと。
最後をまとめるのが、家康。 そんな時代の始まりなんですね。


下田街道です。 踊子たちは、旧国道や下田街道など、目的地に近い道を通ったよう。


こんな道、大好き。 家があるのがいい。 家があると、花がある。 花があると、虫がいる。
虫がいると、鳥がいる。 鳥がいると、・・・。 どうしましょう。 焼き鳥が・・、だったら変だし。


もうすぐ。

最後の峠越え。

右の像は、きっと、馬頭観音。 ある馬が、この峠を越えられず、ここで亡くなった。


見えました。 湯ケ野の町並み。

町並みに入ってきた。 右に、踊り子たちが泊まった、福田屋が見えた。

ここを降りて、橋を渡る。

今日は、休みだった。

記念碑があった。 ここに、三日停まっているんですね。
川端康成は、ノーベル賞をとった。 でも彼は、自殺した。 幸せは手に入らなかったのか。


福田屋の前の風景。 旅芸人はぜいたくは出来ない。 庶民的な温泉旅館だったのでしょうね。

ここが、踊り子歩道の終点。 ここから、戻る。 最終バスの、15分前に着いた。

伊豆の踊子の、出だしの文がある。 どこの石碑も、この文。


バスの客は、私一人。 新天城トンネルを通って。


山の中の、生水地下(しょうすいちした)の停留場で、降りようとした。
運転手さんは、もうバスはありませんよ、と心配した。
この後の、自分の対応がまずい。 自分は、頭悪いなと思った。
実際は、あれって、キャンピングカーを指さした。
こうすればよかった。 わたしは、幽霊ですから、大丈夫、って。
※ こんな話が好きな人は、下を。
十勝岳望岳台 吹上温泉 ぜるぶの丘 他 (2009/07/27)
蜂屋のラーメン 美瑛の丘 他 (2009/07/28)

バスが出る時、お互い手を振って、サヨナラをした。
今日は、踊りの子の歩いた道を、追ってみました。
今の時代、1日20㌔を歩く人はいないけど、昔は普通だったようですね。
いい靴ではないのに。
昔の人は、歩くのも仕事、と思っていたかも知れない。
踊子は、何を夢見て、どんな喜びで、生きていたのでしょう。
【関連ブログ】 名作「雪国」を生んだ、高半旅館。 駒子の湯。 越後湯沢駅。~湯沢町~ 他 (2013/10/23)
【今日の歌】 伊豆の踊り子 峠の茶屋、福田屋が出て来ます。
【その他】 アクセス数が、たまたま、7が並んでいた。 Ⅰの方は、87万。 どっちが先に、100万でしょう。

【道の駅】 天城越え
【明日の予定】 八丁池を予定
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
【拍 手】