口を開けて、しずかに、息を吐いた。
しかし、再び吸うことは、出来なかった。
横蔵寺のミイラは、少し前かがみで、力が抜けた姿だった。
妙心法師は、200年前、36歳で即身成仏してミイラに。
このミイラは、間違いなく本物なのか。
それが、知りたかった。
田舎の小さな寺に、重要文化財の仏像が22体。
そんな寺、見たことあるだろうか。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
昨日の華厳寺の、西の方にある。
ここへの道は、中山道から来る場合、先日の赤坂宿から来る。
分岐点があって、谷汲(たにぐみ)への道があった。
あと400㍍で、広い駐車場。 迷わないで、ここに停める。
少し歩いて、門前の家並みを見るのが、好き。
正面の谷に行くのかなと思った。 違って、少し左に行って、右に曲がる。
ここから見たら、左の奥。
この道の終点に寺があった。 あと、200㍍。 ここは、横蔵(よこくら)と云う集落。
少し行って、右に駐車場。 正面の森に、建物(伽藍)が点在している。
突き当りを右に曲がって、仁王門に行く。
谷汲(たにぐみ)と呼ばれる地域の、観光案内。
ミイラは、左の舎利堂にある。
昔の横蔵寺は、左向こうの山の上にあった。 ここから、1.5㌔。
※ 上の図で、熊谷直実(くまがい なおざね)の墓がある。
これは、信じられないが、
熊谷直実は、平治の乱で源義平の家臣として、働いた。
一昨日のブログで、義平はその乱の後捕まって、打ち首と書いた。
直実は、その前は、平家方にいたことも。
一ノ谷では、義経と一緒に、敵陣に坂を下って突入。 一番乗り。
そして、平敦盛を組み伏して、首を刎(は)ねる。
刎ねる時は、敦盛とは知らなかった。
敦盛は、青葉の笛を持っていた。
彼は、後で敦盛と知って、後悔する。
仏門に入る、きっかけの1つに。
横蔵寺の中興の祖ということで、墓がある。(寺伝かな)
上に書いた、熊谷直実が仕えた、源義平にも青葉の笛の伝説がある。(一昨日紹介)
直実は、2人の青葉の笛の主と、関わった。
駐車場から、赤い橋を渡って、ここに来た。 正面に、仁王門。
最初の石段を上がったら、右に、この門。 寺門とある。 奥に、庫裏。
大きな門。 江戸時代の物。 山の上のは、信長に焼かれた。
信長は比叡山を焼いた。 だから、後に天台宗のこの寺も。
大きな草鞋。
※ 門の中に、仁王様はいなかった。
重要文化財なので、瑠璃殿という宝物館に置いてある。 後で見た。 こんなの。 写真はダメ。
肥後別当定慶(ひごべっとうじょうけい)という人が、1256年に彫ったと分かっている。
かれは、運慶の子供のよう。
右で工事をしていた。 三重塔の修復工事。 今年の秋に完成。
こんな塔。 良さそうですよ。 ※ 写真は、Wikipediaからお借り。
赤いのもいいが、これはこれですね。 新しいのは、赤くなるのか。
本堂です。 本尊は、木造薬師如来坐像。
元々の本尊は、運ばれてる途中、動かなくなった。 それで、この地にお寺。
昨日の華厳寺と同じ。 伝説も、同じのがいっぱいあると、真実味がなくなる。
また、元々の本尊は、延暦寺が焼けた時、向こうに行った。
今の本尊は、その後のもの。(寺伝) 本尊は、こんな像。 見られるのは、60年に1度。
本尊は、この奥に。 重要文化財になってるので、鑑定されている。
前の部分に、前に流れてる屋根がある。 向拝(こうはい)と云うのかな。
1671年に完成。 状態がいい感じがします。 修復が終わっているよう。
坂を下って、谷の反対側に行く。 観音堂。 昔の本堂などは、向こうの山の上にあった。
ツツジでしょうか。
舎利殿。 妙心上人舎利仏、とある。 これが、ミイラのこと。 ここにある。
向き合って、こっちは瑠璃殿。 宝物館。 こっちを先に見る。
いくつか紹介。 左は、深沙大将(じんじゃだいしょう)。
玄奘三蔵がインドへ行く途中、砂の中から現れ、玄奘を守護したと伝えられる。
そんな神。 腕にヘビが巻き付いている。 向かって左の手にも、ヘビ。
管理人は、おばあちゃん。 この仏像が一番願いを叶えてくれると言った。
それを信じて、賽銭を出してお参り。 叶ったらまた来る。
おばあちゃんは、質問しても、聞こえなかった振りをして、たくみに、自分の知ってる話に持っていく。
どのお客さんにも、同じことを話していた。
拝観料は、ミイラと合わせて、300円。 領収書になる、券は無い。 薄い説明の紙が1枚。
券は無いのと聞くと、土日はあると答えてお終い。
中は、大日如来。 部屋の中、三方に、重要文化財が並んでいた。
右は、板彫法華曼荼羅、というもの。 読みは、いたほりほっけまんだら、か。 仏さんがいっぱい。
舎利殿。 ミイラはこの中。 右奥に。
200年前ですね。 上に、学界でも謎、とある。 ※ この言葉については、後ほど。
※ 写真は撮れない。 岐阜県のHPから。 使っても大丈夫。 写真が悪くならないなら、加工も可能。
説明には、自然のままにこうなったとある。 食べ物とかは、工夫してたんだけど。
ミイラになると、永遠の命が手に入るので、挑戦する者が出る。
修行の中では、一番大変。
人は、息を吐いて、吸えなかった時が、死ぬとき。
その瞬間の姿に見える。 足の骨も見える。 小柄な感じ。 この人は、四国も西国も、全て歩いた。
自然のままにこうなったの説明は、もちろん、真実ではない。
どこか、不自然な所はないか、探した。
目ですね。 目の玉は大きいのに、乾燥したあと、あまり凹んでいない。
どのように作ったか記録がないと言うことは、不十分だったミイラを、加工したのかも。
カッパでもなんでも、ミイラのようなのは、いっぱい作った時代があった。
中が、木ということは、ないよう。
学会でも謎とあったが、この言葉は、少し引っかかる。
ネットでの情報ですが、調べてみたら、このミイラは、昭和25年に調査されている。
でも、その結果を書いた文書は、寺にはないと言う。
ある組織が、このミイラの学術調査のお願いを、寺に何度もしているが、寺側は決して了承しない。
このようなことは、よくあること。
はっきりするのを恐れる理由が、寺側にはありそう。
仏像は、すべて、調査が終わっているが、このミイラの正体は、分からない。
寺伝では、甲府の方でミイラになったとある。
明治に入って、甲府で、ミイラになり切れなくて、死んでしまった人がいる。
もしかしたら、この人をミイラにしたかも知れない。(ネットの情報は、日本珍スポット100景)
ミイラにはなっていなかったから、ミイラに見えるように、手を加えた。
寺側は、このことを知っているので、学術調査を拒むのかなと。
偽のミイラと分かったら、この寺には、誰も来なくなる。
今は、ミイラは、打ち出の小槌。
真実が分かる時が来るでしょうか。
下は、山形県の湯殿山の近くの大日坊で見た、即身仏です。 ミイラと言ってもいいでしょうか。
湯殿山大日坊 真如海上人の即身仏 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/4)
外に、ボタンの花。
おばあちゃんが、白がきれいと言った。
花を咲かしたので、石で囲った。 毎年咲くそう。
新緑の、モミジ。 小さな種が出来ていた。 プロペラみたいのが。 2㌢無い。
秋になったら、大きくなって、くるくる回って落ちる。
この後、戻る。 橋を越えたら、駐車場。
ネギ坊主。
この花は、終わったのか。 これから開くのか。
この川には、蛍が棲むという。
今日は、ゆっくり、古い仏像を見ました。
焼き討ちにあうと云う情報が入ったら、みんなで担いで、山の中に隠したそう。
横蔵寺は、村人総出で、それを徹底したのでしょうね。
だから、これだけの仏像が残った。
見応えありました。
ミイラと仏像は、300円という良心的な金額で、見学できている。
これがあって、もし本物でなくても、腹は立たない。
人間、骨と皮になったら、こんな姿。
妙心上人さんは、永遠の命は手に入ったんでしょうか。
どこで何してるんだろう。
【今日の歌】 青葉の笛 動画の中の花は、アツモリソウですね。 敦盛の背中の袋に似ている。
【道の駅】 富有柿の里 いときぬ
【明日の予定】 大野町バラ公園かな。 咲きだした状態だけど。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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しかし、再び吸うことは、出来なかった。
横蔵寺のミイラは、少し前かがみで、力が抜けた姿だった。
妙心法師は、200年前、36歳で即身成仏してミイラに。
このミイラは、間違いなく本物なのか。
それが、知りたかった。
田舎の小さな寺に、重要文化財の仏像が22体。
そんな寺、見たことあるだろうか。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
昨日の華厳寺の、西の方にある。
ここへの道は、中山道から来る場合、先日の赤坂宿から来る。
分岐点があって、谷汲(たにぐみ)への道があった。
あと400㍍で、広い駐車場。 迷わないで、ここに停める。
少し歩いて、門前の家並みを見るのが、好き。
正面の谷に行くのかなと思った。 違って、少し左に行って、右に曲がる。
ここから見たら、左の奥。

この道の終点に寺があった。 あと、200㍍。 ここは、横蔵(よこくら)と云う集落。

少し行って、右に駐車場。 正面の森に、建物(伽藍)が点在している。
突き当りを右に曲がって、仁王門に行く。

谷汲(たにぐみ)と呼ばれる地域の、観光案内。

ミイラは、左の舎利堂にある。
昔の横蔵寺は、左向こうの山の上にあった。 ここから、1.5㌔。

※ 上の図で、熊谷直実(くまがい なおざね)の墓がある。
これは、信じられないが、
熊谷直実は、平治の乱で源義平の家臣として、働いた。
一昨日のブログで、義平はその乱の後捕まって、打ち首と書いた。
直実は、その前は、平家方にいたことも。
一ノ谷では、義経と一緒に、敵陣に坂を下って突入。 一番乗り。
そして、平敦盛を組み伏して、首を刎(は)ねる。
刎ねる時は、敦盛とは知らなかった。
敦盛は、青葉の笛を持っていた。
彼は、後で敦盛と知って、後悔する。
仏門に入る、きっかけの1つに。
横蔵寺の中興の祖ということで、墓がある。(寺伝かな)
上に書いた、熊谷直実が仕えた、源義平にも青葉の笛の伝説がある。(一昨日紹介)
直実は、2人の青葉の笛の主と、関わった。
駐車場から、赤い橋を渡って、ここに来た。 正面に、仁王門。

最初の石段を上がったら、右に、この門。 寺門とある。 奥に、庫裏。

大きな門。 江戸時代の物。 山の上のは、信長に焼かれた。
信長は比叡山を焼いた。 だから、後に天台宗のこの寺も。
大きな草鞋。

※ 門の中に、仁王様はいなかった。
重要文化財なので、瑠璃殿という宝物館に置いてある。 後で見た。 こんなの。 写真はダメ。
肥後別当定慶(ひごべっとうじょうけい)という人が、1256年に彫ったと分かっている。
かれは、運慶の子供のよう。
右で工事をしていた。 三重塔の修復工事。 今年の秋に完成。

こんな塔。 良さそうですよ。 ※ 写真は、Wikipediaからお借り。
赤いのもいいが、これはこれですね。 新しいのは、赤くなるのか。

本堂です。 本尊は、木造薬師如来坐像。
元々の本尊は、運ばれてる途中、動かなくなった。 それで、この地にお寺。
昨日の華厳寺と同じ。 伝説も、同じのがいっぱいあると、真実味がなくなる。
また、元々の本尊は、延暦寺が焼けた時、向こうに行った。
今の本尊は、その後のもの。(寺伝) 本尊は、こんな像。 見られるのは、60年に1度。

本尊は、この奥に。 重要文化財になってるので、鑑定されている。

前の部分に、前に流れてる屋根がある。 向拝(こうはい)と云うのかな。
1671年に完成。 状態がいい感じがします。 修復が終わっているよう。

坂を下って、谷の反対側に行く。 観音堂。 昔の本堂などは、向こうの山の上にあった。

ツツジでしょうか。

舎利殿。 妙心上人舎利仏、とある。 これが、ミイラのこと。 ここにある。

向き合って、こっちは瑠璃殿。 宝物館。 こっちを先に見る。

いくつか紹介。 左は、深沙大将(じんじゃだいしょう)。
玄奘三蔵がインドへ行く途中、砂の中から現れ、玄奘を守護したと伝えられる。
そんな神。 腕にヘビが巻き付いている。 向かって左の手にも、ヘビ。
管理人は、おばあちゃん。 この仏像が一番願いを叶えてくれると言った。
それを信じて、賽銭を出してお参り。 叶ったらまた来る。
おばあちゃんは、質問しても、聞こえなかった振りをして、たくみに、自分の知ってる話に持っていく。
どのお客さんにも、同じことを話していた。
拝観料は、ミイラと合わせて、300円。 領収書になる、券は無い。 薄い説明の紙が1枚。
券は無いのと聞くと、土日はあると答えてお終い。
中は、大日如来。 部屋の中、三方に、重要文化財が並んでいた。
右は、板彫法華曼荼羅、というもの。 読みは、いたほりほっけまんだら、か。 仏さんがいっぱい。



舎利殿。 ミイラはこの中。 右奥に。


200年前ですね。 上に、学界でも謎、とある。 ※ この言葉については、後ほど。

※ 写真は撮れない。 岐阜県のHPから。 使っても大丈夫。 写真が悪くならないなら、加工も可能。
説明には、自然のままにこうなったとある。 食べ物とかは、工夫してたんだけど。
ミイラになると、永遠の命が手に入るので、挑戦する者が出る。
修行の中では、一番大変。
人は、息を吐いて、吸えなかった時が、死ぬとき。
その瞬間の姿に見える。 足の骨も見える。 小柄な感じ。 この人は、四国も西国も、全て歩いた。


自然のままにこうなったの説明は、もちろん、真実ではない。
どこか、不自然な所はないか、探した。
目ですね。 目の玉は大きいのに、乾燥したあと、あまり凹んでいない。
どのように作ったか記録がないと言うことは、不十分だったミイラを、加工したのかも。
カッパでもなんでも、ミイラのようなのは、いっぱい作った時代があった。
中が、木ということは、ないよう。
学会でも謎とあったが、この言葉は、少し引っかかる。
ネットでの情報ですが、調べてみたら、このミイラは、昭和25年に調査されている。
でも、その結果を書いた文書は、寺にはないと言う。
ある組織が、このミイラの学術調査のお願いを、寺に何度もしているが、寺側は決して了承しない。
このようなことは、よくあること。
はっきりするのを恐れる理由が、寺側にはありそう。
仏像は、すべて、調査が終わっているが、このミイラの正体は、分からない。
寺伝では、甲府の方でミイラになったとある。
明治に入って、甲府で、ミイラになり切れなくて、死んでしまった人がいる。
もしかしたら、この人をミイラにしたかも知れない。(ネットの情報は、日本珍スポット100景)
ミイラにはなっていなかったから、ミイラに見えるように、手を加えた。
寺側は、このことを知っているので、学術調査を拒むのかなと。
偽のミイラと分かったら、この寺には、誰も来なくなる。
今は、ミイラは、打ち出の小槌。
真実が分かる時が来るでしょうか。
下は、山形県の湯殿山の近くの大日坊で見た、即身仏です。 ミイラと言ってもいいでしょうか。
湯殿山大日坊 真如海上人の即身仏 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/4)

外に、ボタンの花。

おばあちゃんが、白がきれいと言った。


花を咲かしたので、石で囲った。 毎年咲くそう。

新緑の、モミジ。 小さな種が出来ていた。 プロペラみたいのが。 2㌢無い。
秋になったら、大きくなって、くるくる回って落ちる。

この後、戻る。 橋を越えたら、駐車場。
ネギ坊主。

この花は、終わったのか。 これから開くのか。

この川には、蛍が棲むという。

今日は、ゆっくり、古い仏像を見ました。
焼き討ちにあうと云う情報が入ったら、みんなで担いで、山の中に隠したそう。
横蔵寺は、村人総出で、それを徹底したのでしょうね。
だから、これだけの仏像が残った。
見応えありました。
ミイラと仏像は、300円という良心的な金額で、見学できている。
これがあって、もし本物でなくても、腹は立たない。
人間、骨と皮になったら、こんな姿。
妙心上人さんは、永遠の命は手に入ったんでしょうか。
どこで何してるんだろう。
【今日の歌】 青葉の笛 動画の中の花は、アツモリソウですね。 敦盛の背中の袋に似ている。
【道の駅】 富有柿の里 いときぬ
【明日の予定】 大野町バラ公園かな。 咲きだした状態だけど。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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