今日から、札幌に向かうことに。
昨日から、大雨だった。 警報が出たりして。
上川盆地に降った雨は、すべて、石狩川に集まる。
盆地の出口は、神居古潭(かむいこたん)。
行ってみたら、激流になって、通り抜けていた。
また、神居古潭には、九条武子の歌碑があった。
※ 彼女は、柳原白蓮と共に、大正3美人と云われた。
2人には交流があり、一緒の写真も。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
神居古潭(かむいこたん)は、旭川市の出口。
国道12号線から、少し入る。 12号線からも、流れは見えるが。
水位が急に増えないか、不安。 道が、崩れるのも。
ここが、神居古潭。 旭川市の、小さな観光地。 昔は、中くらいの観光地。
普段の水位は、下と違って、こう。 この近辺の、普段の深さは、60㍍。 信じられない深さ。
この家族は、ここより先には、行かなかった。
でも、私は行く。 いつだか、大雨の時に来た。 その時は、通行止めだった。
今日は、大丈夫、ということに。
下を見たら、吸い込まれそう。
大雪山に降った雨も、美瑛に降った雨も、比布(ぴっぷ)に降った雨も、みんなここに。
先を急ぐように、海に向かう。
ここの水量は、川幅200㍍でも、深さ10㍍はきっとある。
激流。 全てを流して。 この部分は、渕。
木につかまってる人はいないか、一応見た。
上流。 1晩降り続けた雨が、やっと小降りになって来た。
魚は、一斉に支流に入った。 上って上って、濁りの少ない所に行く。
神居古潭は、普段だって、激流。
橋を渡って来た。 右に、九条武子の歌碑がある。 以前も、見ている。
今日の波は、荒れ狂うような、たぎつ波。 歌のように、白くはない。
彼女が、今日来ていたら、どう歌ったろう。
「たぎつ波 怒涛のごとく われ先と 嵐の後の 神居古潭」
むずかしい。
彼女が来る14年前の、明治41年の1月に、啄木は列車でここを通っている。
旧根室本線にあった、新内(にいない)駅。 日本三大車窓は、霧の中。~新得町~ 他 (2014/7/18)
九条武子は、歌人であり、大正3美人の1人とも。
柳原白蓮も、歌人であり、大正3美人。 ※ やなぎわら
左は、九条武子。 右は、柳原白蓮。 2人並んだ写真は、これ。
※ 武子は、西本願寺の管長(法主)の娘。 白蓮は、仏教を武子から学ぶ。
歌の師匠は、2人とも、佐々木信綱。
※ 2人は、大正天皇と関係がある。
九条武子は、大正天皇の皇后の弟に、嫁ぐ。 大正天皇は、義理の兄。
柳原白蓮の、父の妹の子が、大正天皇。 大正天皇は、いとこ。
※ 昨日の大河ドラマで、柴田勝家が死んだ。(福井市にあった北ノ庄城で)
浅井3姉妹は、助け出された。
その中に、江(ごう)がいた。 後の話だが、江の娘に完子(さだこ)がいた。
九条家に嫁ぐ。 九条武子は、その九条家に嫁いでいた。
賤ヶ岳 余呉湖 ~秀吉と柴田勝家が戦った地~ 他 (2011/7/1)
※ 九条武子が旭川に来た目的ですが、昭和2年については、分かっている。
仏教婦人会総会が、旭川であった。 彼女は、その総裁としてやってきた。
浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺~末寺数・信者数、日本最大~ Rain(Jose Feliciano) 他 (2012/6/2)
※ 柳原白蓮は、いい歌をつくる。 旅で、何度も出会っている。
坂・寺・文学の街、尾道を歩く。 林芙美子、千光寺、文学のこみち、など。~尾道市~ 他 (2012/12/31)
こんな歌を作った。 だいすき。
「 鶯は大円院で今日も鳴く 一切煩悩皆空なりと 」
滝口入道と横笛の悲恋 他 ~滝口寺 祇王寺~ 他 (2010/11/26)
神居古潭駅。 小学校5年の見学旅行で、ここを通った。 美瑛から増毛まで。
1969年に、新しいトンネルが出来て、ここは通らなくなった。
先頭は、9600形蒸気機関車。
調べたら、1917年に、小倉で作られていた。
D50やD51が出る前の、機関車。
プラットホーム。 線路跡は、サイクリングロードになっている。 学生の頃、旭川市街から一度来た。
他の人も、いた。 散策道がある。 いつか歩いてみましょうか。
神居古潭石。 磨かなくても、ツルツル。 変成岩の一種。
雨でたくさんは歩けないので、神居古潭に行ってみました。
【その他】 昨日は、病院に行ってきた。 皮膚科と外科。
ダニに刺されて、頭が、めり込んだまま。 取れない。
市内の皮膚科に行ったら、外科だと云われた。
その部分を、虫ごと取ってしまうという。
麻酔して、ミニ手術。 初めての経験。
不安。 看護師さんが、力を抜いてという。
注射針だって見られないのに、・・・・。
少し痛かったのは、麻酔の注射だけだった。
縫ったのは、1針。 短くても、長い時間。
無事に終わった。
病院に縁なく、暮らしたい。
【今日の動画】 手紙/柳原白蓮
【道の駅】 ライスランド ふかがわ
【明日の予定】 札幌に近づく。 雨竜町か。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、3位。 旅行全体で、4位です。
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ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
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昨日から、大雨だった。 警報が出たりして。
上川盆地に降った雨は、すべて、石狩川に集まる。
盆地の出口は、神居古潭(かむいこたん)。
行ってみたら、激流になって、通り抜けていた。
また、神居古潭には、九条武子の歌碑があった。
※ 彼女は、柳原白蓮と共に、大正3美人と云われた。
2人には交流があり、一緒の写真も。
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神居古潭(かむいこたん)は、旭川市の出口。
国道12号線から、少し入る。 12号線からも、流れは見えるが。
水位が急に増えないか、不安。 道が、崩れるのも。

ここが、神居古潭。 旭川市の、小さな観光地。 昔は、中くらいの観光地。

普段の水位は、下と違って、こう。 この近辺の、普段の深さは、60㍍。 信じられない深さ。

この家族は、ここより先には、行かなかった。

でも、私は行く。 いつだか、大雨の時に来た。 その時は、通行止めだった。
今日は、大丈夫、ということに。

下を見たら、吸い込まれそう。
大雪山に降った雨も、美瑛に降った雨も、比布(ぴっぷ)に降った雨も、みんなここに。
先を急ぐように、海に向かう。

ここの水量は、川幅200㍍でも、深さ10㍍はきっとある。

激流。 全てを流して。 この部分は、渕。
木につかまってる人はいないか、一応見た。

上流。 1晩降り続けた雨が、やっと小降りになって来た。
魚は、一斉に支流に入った。 上って上って、濁りの少ない所に行く。

神居古潭は、普段だって、激流。
橋を渡って来た。 右に、九条武子の歌碑がある。 以前も、見ている。

今日の波は、荒れ狂うような、たぎつ波。 歌のように、白くはない。
彼女が、今日来ていたら、どう歌ったろう。
「たぎつ波 怒涛のごとく われ先と 嵐の後の 神居古潭」
むずかしい。


彼女が来る14年前の、明治41年の1月に、啄木は列車でここを通っている。
旧根室本線にあった、新内(にいない)駅。 日本三大車窓は、霧の中。~新得町~ 他 (2014/7/18)
九条武子は、歌人であり、大正3美人の1人とも。
柳原白蓮も、歌人であり、大正3美人。 ※ やなぎわら
左は、九条武子。 右は、柳原白蓮。 2人並んだ写真は、これ。
※ 武子は、西本願寺の管長(法主)の娘。 白蓮は、仏教を武子から学ぶ。
歌の師匠は、2人とも、佐々木信綱。


※ 2人は、大正天皇と関係がある。
九条武子は、大正天皇の皇后の弟に、嫁ぐ。 大正天皇は、義理の兄。
柳原白蓮の、父の妹の子が、大正天皇。 大正天皇は、いとこ。
※ 昨日の大河ドラマで、柴田勝家が死んだ。(福井市にあった北ノ庄城で)
浅井3姉妹は、助け出された。
その中に、江(ごう)がいた。 後の話だが、江の娘に完子(さだこ)がいた。
九条家に嫁ぐ。 九条武子は、その九条家に嫁いでいた。
賤ヶ岳 余呉湖 ~秀吉と柴田勝家が戦った地~ 他 (2011/7/1)
※ 九条武子が旭川に来た目的ですが、昭和2年については、分かっている。
仏教婦人会総会が、旭川であった。 彼女は、その総裁としてやってきた。
浄土真宗本願寺派の本山、西本願寺~末寺数・信者数、日本最大~ Rain(Jose Feliciano) 他 (2012/6/2)
※ 柳原白蓮は、いい歌をつくる。 旅で、何度も出会っている。
坂・寺・文学の街、尾道を歩く。 林芙美子、千光寺、文学のこみち、など。~尾道市~ 他 (2012/12/31)
こんな歌を作った。 だいすき。
「 鶯は大円院で今日も鳴く 一切煩悩皆空なりと 」
滝口入道と横笛の悲恋 他 ~滝口寺 祇王寺~ 他 (2010/11/26)
神居古潭駅。 小学校5年の見学旅行で、ここを通った。 美瑛から増毛まで。
1969年に、新しいトンネルが出来て、ここは通らなくなった。

先頭は、9600形蒸気機関車。
調べたら、1917年に、小倉で作られていた。
D50やD51が出る前の、機関車。

プラットホーム。 線路跡は、サイクリングロードになっている。 学生の頃、旭川市街から一度来た。

他の人も、いた。 散策道がある。 いつか歩いてみましょうか。


神居古潭石。 磨かなくても、ツルツル。 変成岩の一種。

雨でたくさんは歩けないので、神居古潭に行ってみました。
【その他】 昨日は、病院に行ってきた。 皮膚科と外科。
ダニに刺されて、頭が、めり込んだまま。 取れない。
市内の皮膚科に行ったら、外科だと云われた。
その部分を、虫ごと取ってしまうという。
麻酔して、ミニ手術。 初めての経験。
不安。 看護師さんが、力を抜いてという。
注射針だって見られないのに、・・・・。
少し痛かったのは、麻酔の注射だけだった。
縫ったのは、1針。 短くても、長い時間。
無事に終わった。
病院に縁なく、暮らしたい。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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幌新温泉に行く目的は、2つ。
1つは、ホタルが見られるかも知れない。
もう1つは、タウシュベツ川橋梁の記事で、コメントを頂いていたことに関して。
コメントの方は、沼田町にあるダムの、ダム湖に沈んだ町に、住んでいたことがある、と。
行ってみたら、分かるかも知れないと、思って。
幌新温泉は、ホタルで確かに有名だった。
でも、そのホタルは、ゲンジボタル。
北海道のブルーリストに入っている。(育ててはいけないことに)
自治体が進めているので、やっかい。
可愛い機関車があった。
炭鉱があった時代に、使われた。
劉 連仁(りゅう れんじん)という中国人がいた。
戦前に、連れて来られて、沼田町の炭鉱で働かされた。
でも、逃げた。 13年間、、戦争が終わったとは知らず、山の中で暮らした。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
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幌新温泉はここ。 ここを見学したら、札幌に近づくことに。
この一帯は、昔、留萌炭田があった。 今日知ったこと。
北海道の炭田。 石狩炭田が、一番大きい。 夕張も、この中に。 (北海道ファンマガジンからお借り)
最初に、沼田ダムを見た。 ここのダムの谷は、深くない。
ダムの近くは、土が貯まったのか、山になっている。 集めたのか。 水はない。
少し走って、展望所から。 水が見える。
上流の方。 ダムが出来る前、この谷には、炭鉱が2つあった。 一部は、ダム湖(ポロピリ湖)の底に。
湖に下りてみることに。 クマ対策はしていない。 歌を歌って。
歩いていて、左手が、左太ももに触れた。
違和感を感じた。 見てみた。 ダニがくっ付いていた。 こんな感じで。(ネットの写真)
頭は完全に、めり込んでいた。
手で取ろうとしたら、千切れた。 見学の後、車で取ることに。
少ないけど、水はある。
ここの水は、田んぼや畑に使う。
車に戻って、取ることに。 針を、ライターの火で焼いた。
先っぽで、ひっかいて取ろうとした。 とげぬきも、使って。
顔との距離が、30㌢はある。 はっきり見えない。 取れない。
今日は、旭川に戻ることにした。 旅の日程の変更。
展望台に、記念碑などが。 昭和地区の地図。
この谷の奥に、昭和炭鉱があった。
鉄道が見える。 住宅街。
今いる場所の、少し向こうに、浅野炭鉱があった。 留萌炭田では、一番大きかった。
この炭田は、全体ではないが、ダム湖に沈んだ。
※ コメントを頂いた方の集落は、浅野炭鉱のことと思われる。
全景。 昭和43年11月20日まで操業していた。 数千人が、暮らしていた。
炭鉱の町には、全てがあった。 病院だって、映画館だって、学校だって。
貧しくはないから、活気もあった。
昭和40年代に入ったら、石炭は、石油に代わっていく。
まだ、どこも砂利道の時代。
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今いる場所はここ。
ダム湖の奥に、行ってみた。 ※ 昭和炭鉱跡への道は、行かれないよう。
温泉に戻って来た。 近くに、いくつかの施設が。
沼田町化石体験館。 有料。
可愛い機関車。 建物は、さっきの炭鉱の建物に、似ている。
個性的な形。
クラウス15号とある。 恵比島と昭和の間に、鉄道があった。 留萌線。 (Website 61℃ からお借り)
この機関車は、九州で働いたり、ここの後も、他へ行ったり。
最後は、戻って来た。
明治22年に、ドイツで作られた。
左の方で、暗くなったら、ホタルが飛ぶ。
駐車場で、少し調べたら、ゲンジボタルだった。
元々は、北海道にはいない。
本来、放すのは、まずい。 生態系を壊すので。
北海道ブルーリストに、入っている。
自治体がしているので、止めるのは、難しいのか。
もし、そうだとしたら、おかしな話。
そんなことだったので、暗くなっての見学は、やめにした。
炭鉱資料館の見学。
明日萌駅。 モデルは、留萌線の起点の、恵比島駅。
浅野炭鉱の閉山。
機関車が見える。 番号は、17。 これは現在、那珂川清流鉄道保存会で、保存している。
15が見える。 運ばれるところかな。
ほろしん温泉。 ダニに刺されて、入れない。
こんな新聞記事が。 中国の新聞の日本語訳か。
山の中で、どうやって暮らしたのか。
逃げたら、捕まる。
もし、強制連行でなかったら、やめたい時に、やめていい。
みんな命がけで逃げたのは、強制連行の証拠か。
実際はそうであっても、強制連行はなかったとする考えがある。
歴史の真実は、今の時代に、どれだけ正確に、伝わっているのでしょう。
ホタルは、ヘイケボタルに出来ないのか。
これなら、昔から、北海道にいた。
先日、西神楽で見たのは、ヘイケボタルだった。
自治体がやってることに、大きな問題を感じるでしょうか。
今日は、北海道の炭鉱について、少し学びました。
【今日の歌】 この歌の時代に、炭鉱は消えていったのかな。
【停泊場所】 姉の家の前。
【明日の予定】 病院に行く。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)
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もう1つは、タウシュベツ川橋梁の記事で、コメントを頂いていたことに関して。
コメントの方は、沼田町にあるダムの、ダム湖に沈んだ町に、住んでいたことがある、と。
行ってみたら、分かるかも知れないと、思って。
幌新温泉は、ホタルで確かに有名だった。
でも、そのホタルは、ゲンジボタル。
北海道のブルーリストに入っている。(育ててはいけないことに)
自治体が進めているので、やっかい。
可愛い機関車があった。
炭鉱があった時代に、使われた。
劉 連仁(りゅう れんじん)という中国人がいた。
戦前に、連れて来られて、沼田町の炭鉱で働かされた。
でも、逃げた。 13年間、、戦争が終わったとは知らず、山の中で暮らした。
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幌新温泉はここ。 ここを見学したら、札幌に近づくことに。
この一帯は、昔、留萌炭田があった。 今日知ったこと。
北海道の炭田。 石狩炭田が、一番大きい。 夕張も、この中に。 (北海道ファンマガジンからお借り)

最初に、沼田ダムを見た。 ここのダムの谷は、深くない。
ダムの近くは、土が貯まったのか、山になっている。 集めたのか。 水はない。

少し走って、展望所から。 水が見える。

上流の方。 ダムが出来る前、この谷には、炭鉱が2つあった。 一部は、ダム湖(ポロピリ湖)の底に。

湖に下りてみることに。 クマ対策はしていない。 歌を歌って。
歩いていて、左手が、左太ももに触れた。
違和感を感じた。 見てみた。 ダニがくっ付いていた。 こんな感じで。(ネットの写真)
頭は完全に、めり込んでいた。
手で取ろうとしたら、千切れた。 見学の後、車で取ることに。
少ないけど、水はある。

ここの水は、田んぼや畑に使う。

車に戻って、取ることに。 針を、ライターの火で焼いた。
先っぽで、ひっかいて取ろうとした。 とげぬきも、使って。
顔との距離が、30㌢はある。 はっきり見えない。 取れない。
今日は、旭川に戻ることにした。 旅の日程の変更。
展望台に、記念碑などが。 昭和地区の地図。


この谷の奥に、昭和炭鉱があった。

鉄道が見える。 住宅街。


今いる場所の、少し向こうに、浅野炭鉱があった。 留萌炭田では、一番大きかった。
この炭田は、全体ではないが、ダム湖に沈んだ。
※ コメントを頂いた方の集落は、浅野炭鉱のことと思われる。

全景。 昭和43年11月20日まで操業していた。 数千人が、暮らしていた。

炭鉱の町には、全てがあった。 病院だって、映画館だって、学校だって。
貧しくはないから、活気もあった。


昭和40年代に入ったら、石炭は、石油に代わっていく。

まだ、どこも砂利道の時代。

今いる場所はここ。

ダム湖の奥に、行ってみた。 ※ 昭和炭鉱跡への道は、行かれないよう。

温泉に戻って来た。 近くに、いくつかの施設が。
沼田町化石体験館。 有料。

可愛い機関車。 建物は、さっきの炭鉱の建物に、似ている。

個性的な形。

クラウス15号とある。 恵比島と昭和の間に、鉄道があった。 留萌線。 (Website 61℃ からお借り)
この機関車は、九州で働いたり、ここの後も、他へ行ったり。
最後は、戻って来た。
明治22年に、ドイツで作られた。


左の方で、暗くなったら、ホタルが飛ぶ。
駐車場で、少し調べたら、ゲンジボタルだった。
元々は、北海道にはいない。
本来、放すのは、まずい。 生態系を壊すので。
北海道ブルーリストに、入っている。
自治体がしているので、止めるのは、難しいのか。
もし、そうだとしたら、おかしな話。
そんなことだったので、暗くなっての見学は、やめにした。

炭鉱資料館の見学。

明日萌駅。 モデルは、留萌線の起点の、恵比島駅。


浅野炭鉱の閉山。

機関車が見える。 番号は、17。 これは現在、那珂川清流鉄道保存会で、保存している。

15が見える。 運ばれるところかな。

ほろしん温泉。 ダニに刺されて、入れない。

こんな新聞記事が。 中国の新聞の日本語訳か。
山の中で、どうやって暮らしたのか。
逃げたら、捕まる。
もし、強制連行でなかったら、やめたい時に、やめていい。
みんな命がけで逃げたのは、強制連行の証拠か。
実際はそうであっても、強制連行はなかったとする考えがある。
歴史の真実は、今の時代に、どれだけ正確に、伝わっているのでしょう。

ホタルは、ヘイケボタルに出来ないのか。
これなら、昔から、北海道にいた。
先日、西神楽で見たのは、ヘイケボタルだった。
自治体がやってることに、大きな問題を感じるでしょうか。
今日は、北海道の炭鉱について、少し学びました。
【今日の歌】 この歌の時代に、炭鉱は消えていったのかな。
【停泊場所】 姉の家の前。
【明日の予定】 病院に行く。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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