龍馬には、姉が3人。
一番上は、千鶴。 千鶴には、2人が子供。
次男の直寛(なおひろ)が、北海道の開拓にやって来る。
このことが、龍馬の夢を叶えたと、表現される。
どんな証拠があって、そう言うのかなって、思っていた。
浦臼町には、「龍馬家」の墓がある。
郷土史料館で話を聞いて、墓を見に行った。
史料館では、大きなヒントをもらった。
車で調べたら、分かった。
龍馬の夢は、確かだった。
今日は、龍馬の夢は、どのように実現したかを、整理してみようかな、と。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
今日の一番の収穫は、下が分かったこと。
龍馬の妻は、お龍さん。 ※ おりょうさん。
証拠は、これ。 (小説の孵化場のサイトから。 全文は、ここに)
坂本龍馬の妻のおりょうさんはアイヌ語を勉強していた。
晩年、彼女はこう回想している。
「北海道ですが、アレはずッと前から、海援隊で開拓すると云って居りました。
私も行く積りで、北海道の言葉を一々手帳に書き付けて、毎日、稽古して居りました。
或日、望月さん等が白の陣幕を造って来ましたから、戦争も無いのに幕を造って何(ど)うすると聞けば、
北海道は義経を尊むから、此幕へ笹龍桐の紋を染ぬひて持って行くと云って居りました」(『千里駒後日譚』)
池田屋事件で死んだ望月亀弥太の名が出てくるが、龍馬らが北海道開拓(むろん当時は蝦夷地開拓)をめざして
盛り上がっていたのは、池田屋事件の直前であった。
※ アレは、龍馬のこと。 笹龍桐は、笹竜胆(ささりんどう)のことかな。 義経の家紋。
※ お龍さんは、望月亀弥太から、本を借りたよう。
彼は、池田屋から脱出は出来たが、新選組に追いつかれ、自刃。
土方歳三(ひじかたとしぞう)は、この事件で、名を上げる。
この事件の恨みのように、禁門の変が起きる。
池田屋事件がなかったら、明治維新は、別の年に。
歴史に大きな影響を与えたと、司馬遼太郎は言った。
龍馬が指導者で来たら、アイヌに、阿漕(あこぎ)なことは、しなかったでしょうね。
証拠は、他にも見つかったので、後ほど。
石狩川をはさんで、国道12号線がある。 どっちの道も、囚人が作った。
浦臼(うらうす)は、石狩平野の北の方に。
浦臼町郷土資料館。 北の龍馬とある。
館長さんと思われる人が、説明してくれた。 詳しい。
写真は撮れないので、パンレットを撮影。
龍馬の夢の証拠を、1つ、紹介してくれていた。
龍馬の夢を追って、北海道に来たのは、坂本直寛。
系図で分かるように、龍馬の一番上の、千鶴の次男。 千鶴は、龍馬より、19歳年上。
苗字は高松だったが、龍馬の兄の、坂本権平の養子になって、坂本を名乗る。
※ 坂本直寛は、明治30年、北見の訓子府に入植する。
北光社という、組織で。 この写真は、後の、北光社の人たち。
ピアソン記念館~北見市~ 他 (2011/9/7)
その前に、武市安哉(あんさい)が、浦臼に入植していた。 こっちも、組織で。
明治31年に、武市が死んだ。
北見の方は、見通しがついたので、浦臼に家族みんなで、移った。
下は、坂本直寛の孫。 坂本直行。 なおゆき、ちょっこう、どちらでも。
この人は、何度か紹介。 画家。
六花の森は、北海道ガーデン街道の南の端。 坂本直行記念館。~中札内村~ 他 (2013/9/5)
やわらかな、笑顔。 今の時代の雰囲気。 この赤ちゃんは、現在77才かな。
ツルさんも、健在のよう。 90を越えて。
この人は、坂本直寛の、兄。 坂本直。 長男。
龍馬の養子になって、龍馬家を継ぐ。 妻は留、子どもは直衛。
2人は、坂本直が亡くなった後、坂本直寛を頼って、浦臼に来る。
今日見る墓は、この2人の墓。
この人は、坂本直寛の長男。
上に書いた、坂本家の直衛には、子供がいなかった。
龍馬の家系が途切れるので、養子になって行く。
龍馬の家系は、頭がいい。
まず、直寛が後ろに、いますね。
ここに墓のある、留が右後ろ。 直衛は、左端。
後に、直もいる。 前の直恵は、直行の母。 直道は、直寛の長男。子どもの顔つきでない。
坂本龍馬の一族の多くが、北海道に来た。
龍馬関係の遺品も、持ってきた。
貴重なものが多いため、現在は、博物館に行っている。
ここの資料館には、龍馬直筆の文書が、1つだけあった。
いつの日にか、重要文化財になる。
昼間だけ展示。 閉館後は、耐火金庫に仕舞う。
どれも、墓から、遠くない。 今回行かなかったので、今度通ったら、寄る。
右は、聖園教会。 みんな、クリスチャン。
※ アイヌの知里幸恵は、クリスチャンを、悪くは思っていなかったよう。
ピアソンさんと、交流があった。 ピアソンさんが、旭川にいた時。
この写真の左端に。 右の方に、ピアソンさん。
クリスチャンは、アイヌを、人間として認めていたのか。
坂本家、ゆかりの地。
※ 直寛は旭川に牧師になっていく。 聖園(せいえん)農場を離れて。
旭川に、聖園中学校がある。 関係あるかは、確認していない。 この学校に私は、実習で3週間ほど行った。
この町の地図。
墓は、札的(さってき)駅の裏の方に。
上で触れた、武市安哉。 この地に最初に入った。 倒れた後、坂本直寛が。
武市安哉は、武市半平太(瑞山)の、分家の人。
龍馬と半平太は、下の系図で、親類と分かる。
※ 武市半平太は、大きな人だった。
土佐藩を支えていた、吉田東洋を、暗殺する指示を出す。
実行したのは、龍馬の脱藩を助けた、那須信吾たち。
龍馬脱藩の道、茶や谷から、韮ヶ峠までを歩く。 迷いそうな、6㌔の道。~梼原町~ 他 (2014/4/3)
龍馬は、梼原から韮ヶ峠を越えて、脱藩した。 維新の門、他。~梼原町~ 他 (2014/4/2)
これが、龍馬家を継いだ、坂本直の妻と息子の墓。
山の方。 山の向こうは、日本海。 今は、登山道はないそう。
山には、熊がいる。
昔、クマがいる山の中を、真夜中、懐中電灯1つで歩いた。
釣りのため。 木には、クマのひっかき傷があった。
それ以来、夜中、墓地を歩くのは、平気になった。
幽霊より、クマや人間の方が、恐ろしい。
向こうの山との間が、石狩平野。 向こうの山には、昔、炭鉱があった。
坂本直寛たちの聖園農場は、坂を下った、左向こうに広がっていた。
龍馬の夢の、他の証拠を、1つ。
北海道の開拓には、屯田兵(とんでんへい)が活躍した。
この屯田兵のことを言いだしたのは、西郷隆盛。
ただ、その前に、坂本龍馬が言っている。 Wikipediaでは、こう。
慶応3年(1867年)、坂本龍馬は大政奉還で武士が職を失うことを予想し、武士の力を北海道開拓に活かすことを考え、
同志にエゾ(北海道)に渡り、新しい国をつくることを述べていた。
龍馬は、開拓だけでなく、商売も考えていたよう。(管長さんの話)
長崎の、亀山社中の経験で、儲けるコツは分かっていた。
龍馬の夢は、この春、下田で、この石碑の文を見てから、気になっていた。
下田の町を、道の駅から玉泉寺まで散策。 龍馬の夢。 爪木埼灯台。~下田市~ 他 (2014/6/2)
龍馬の夢は、本当に、北海道の開拓だった。
それが、分かりましたね。
【今日の歌】 雨の日ばかりなので。
【道の駅】 しんしのつ
【明日の予定】 どこかを見学して、Tさん宅に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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一番上は、千鶴。 千鶴には、2人が子供。
次男の直寛(なおひろ)が、北海道の開拓にやって来る。
このことが、龍馬の夢を叶えたと、表現される。
どんな証拠があって、そう言うのかなって、思っていた。
浦臼町には、「龍馬家」の墓がある。
郷土史料館で話を聞いて、墓を見に行った。
史料館では、大きなヒントをもらった。
車で調べたら、分かった。
龍馬の夢は、確かだった。
今日は、龍馬の夢は、どのように実現したかを、整理してみようかな、と。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
今日の一番の収穫は、下が分かったこと。
龍馬の妻は、お龍さん。 ※ おりょうさん。
証拠は、これ。 (小説の孵化場のサイトから。 全文は、ここに)
坂本龍馬の妻のおりょうさんはアイヌ語を勉強していた。
晩年、彼女はこう回想している。
「北海道ですが、アレはずッと前から、海援隊で開拓すると云って居りました。
私も行く積りで、北海道の言葉を一々手帳に書き付けて、毎日、稽古して居りました。
或日、望月さん等が白の陣幕を造って来ましたから、戦争も無いのに幕を造って何(ど)うすると聞けば、
北海道は義経を尊むから、此幕へ笹龍桐の紋を染ぬひて持って行くと云って居りました」(『千里駒後日譚』)
池田屋事件で死んだ望月亀弥太の名が出てくるが、龍馬らが北海道開拓(むろん当時は蝦夷地開拓)をめざして
盛り上がっていたのは、池田屋事件の直前であった。
※ アレは、龍馬のこと。 笹龍桐は、笹竜胆(ささりんどう)のことかな。 義経の家紋。
※ お龍さんは、望月亀弥太から、本を借りたよう。
彼は、池田屋から脱出は出来たが、新選組に追いつかれ、自刃。
土方歳三(ひじかたとしぞう)は、この事件で、名を上げる。
この事件の恨みのように、禁門の変が起きる。
池田屋事件がなかったら、明治維新は、別の年に。
歴史に大きな影響を与えたと、司馬遼太郎は言った。
龍馬が指導者で来たら、アイヌに、阿漕(あこぎ)なことは、しなかったでしょうね。
証拠は、他にも見つかったので、後ほど。
石狩川をはさんで、国道12号線がある。 どっちの道も、囚人が作った。
浦臼(うらうす)は、石狩平野の北の方に。
浦臼町郷土資料館。 北の龍馬とある。
館長さんと思われる人が、説明してくれた。 詳しい。

写真は撮れないので、パンレットを撮影。
龍馬の夢の証拠を、1つ、紹介してくれていた。


龍馬の夢を追って、北海道に来たのは、坂本直寛。
系図で分かるように、龍馬の一番上の、千鶴の次男。 千鶴は、龍馬より、19歳年上。
苗字は高松だったが、龍馬の兄の、坂本権平の養子になって、坂本を名乗る。


※ 坂本直寛は、明治30年、北見の訓子府に入植する。
北光社という、組織で。 この写真は、後の、北光社の人たち。
ピアソン記念館~北見市~ 他 (2011/9/7)
その前に、武市安哉(あんさい)が、浦臼に入植していた。 こっちも、組織で。
明治31年に、武市が死んだ。
北見の方は、見通しがついたので、浦臼に家族みんなで、移った。
下は、坂本直寛の孫。 坂本直行。 なおゆき、ちょっこう、どちらでも。
この人は、何度か紹介。 画家。
六花の森は、北海道ガーデン街道の南の端。 坂本直行記念館。~中札内村~ 他 (2013/9/5)
やわらかな、笑顔。 今の時代の雰囲気。 この赤ちゃんは、現在77才かな。
ツルさんも、健在のよう。 90を越えて。


この人は、坂本直寛の、兄。 坂本直。 長男。
龍馬の養子になって、龍馬家を継ぐ。 妻は留、子どもは直衛。
2人は、坂本直が亡くなった後、坂本直寛を頼って、浦臼に来る。
今日見る墓は、この2人の墓。

この人は、坂本直寛の長男。
上に書いた、坂本家の直衛には、子供がいなかった。
龍馬の家系が途切れるので、養子になって行く。
龍馬の家系は、頭がいい。

まず、直寛が後ろに、いますね。
ここに墓のある、留が右後ろ。 直衛は、左端。
後に、直もいる。 前の直恵は、直行の母。 直道は、直寛の長男。子どもの顔つきでない。

坂本龍馬の一族の多くが、北海道に来た。
龍馬関係の遺品も、持ってきた。
貴重なものが多いため、現在は、博物館に行っている。
ここの資料館には、龍馬直筆の文書が、1つだけあった。
いつの日にか、重要文化財になる。
昼間だけ展示。 閉館後は、耐火金庫に仕舞う。

どれも、墓から、遠くない。 今回行かなかったので、今度通ったら、寄る。
右は、聖園教会。 みんな、クリスチャン。


※ アイヌの知里幸恵は、クリスチャンを、悪くは思っていなかったよう。
ピアソンさんと、交流があった。 ピアソンさんが、旭川にいた時。
この写真の左端に。 右の方に、ピアソンさん。
クリスチャンは、アイヌを、人間として認めていたのか。
坂本家、ゆかりの地。
※ 直寛は旭川に牧師になっていく。 聖園(せいえん)農場を離れて。
旭川に、聖園中学校がある。 関係あるかは、確認していない。 この学校に私は、実習で3週間ほど行った。

この町の地図。


墓は、札的(さってき)駅の裏の方に。

上で触れた、武市安哉。 この地に最初に入った。 倒れた後、坂本直寛が。

武市安哉は、武市半平太(瑞山)の、分家の人。
龍馬と半平太は、下の系図で、親類と分かる。


※ 武市半平太は、大きな人だった。
土佐藩を支えていた、吉田東洋を、暗殺する指示を出す。
実行したのは、龍馬の脱藩を助けた、那須信吾たち。
龍馬脱藩の道、茶や谷から、韮ヶ峠までを歩く。 迷いそうな、6㌔の道。~梼原町~ 他 (2014/4/3)
龍馬は、梼原から韮ヶ峠を越えて、脱藩した。 維新の門、他。~梼原町~ 他 (2014/4/2)
これが、龍馬家を継いだ、坂本直の妻と息子の墓。

山の方。 山の向こうは、日本海。 今は、登山道はないそう。
山には、熊がいる。
昔、クマがいる山の中を、真夜中、懐中電灯1つで歩いた。
釣りのため。 木には、クマのひっかき傷があった。
それ以来、夜中、墓地を歩くのは、平気になった。
幽霊より、クマや人間の方が、恐ろしい。

向こうの山との間が、石狩平野。 向こうの山には、昔、炭鉱があった。
坂本直寛たちの聖園農場は、坂を下った、左向こうに広がっていた。

龍馬の夢の、他の証拠を、1つ。
北海道の開拓には、屯田兵(とんでんへい)が活躍した。
この屯田兵のことを言いだしたのは、西郷隆盛。
ただ、その前に、坂本龍馬が言っている。 Wikipediaでは、こう。
慶応3年(1867年)、坂本龍馬は大政奉還で武士が職を失うことを予想し、武士の力を北海道開拓に活かすことを考え、
同志にエゾ(北海道)に渡り、新しい国をつくることを述べていた。
龍馬は、開拓だけでなく、商売も考えていたよう。(管長さんの話)
長崎の、亀山社中の経験で、儲けるコツは分かっていた。
龍馬の夢は、この春、下田で、この石碑の文を見てから、気になっていた。
下田の町を、道の駅から玉泉寺まで散策。 龍馬の夢。 爪木埼灯台。~下田市~ 他 (2014/6/2)
龍馬の夢は、本当に、北海道の開拓だった。
それが、分かりましたね。
【今日の歌】 雨の日ばかりなので。
【道の駅】 しんしのつ
【明日の予定】 どこかを見学して、Tさん宅に。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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