1918年、雪の降る師走の朝に、ちひろは三姉妹の長女として生まれた。
いわさきちひろの、Wikipedia の、人物紹介の1行目。
「雪の降る」なんて、筆者は、どうしてそこまで、書いたのでしょう。
何がそうさせたのか、知りたいところです。
下の絵は、いわさきちひろの絵。
「おにたのぼうし」の挿絵(さしえ)の1つ。

大好きな絵です。
花の森公園から動けず ~佐世保市~ 今日は節分、追われた鬼はどこに・・。 他 (2012/2/3)
彼女は、子供の絵を描いた。
絵に不思議な力があって、どれを見ても、子供が愛(いと)おしくなってくる。
武生(たけふ)の町に、「ちひろの生まれた家」があった。
今日は、そこを見て、武生の古い町並みを歩いた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
越前市は、福井市の南に。

ここは、越前市の中心街。
※ そうなんだけど、地元の人は、旧武生市と思っている人が、多いよう。
合併して越前市になったが、市民の声が生かされなかったという経緯がある。
法的に決め直せるのなら、そうせばいい。 (越前町・南越前町も不満だし)
そんなことで、武生の町並みを歩くとした。 (マップルの情報誌も、武生で紹介)

ちひろの生れた家 記念館。 ※ 近くに、駐車場がある。
1918年に、この家で、いわさきちひろは生まれた。
家の基本は、昔のまま。 2階の低い、町屋風。

女性の方が、案内してくれた。 入館料、200円。
中は、改築されている。 壁に、絵が展示されている。
※ 入って、正面からの写真を、撮り忘れた。 正面から撮ると、右の写真。(BIGLOBEから、お借り)
左に、入り口。 右奥に、通路。 右手前は、部屋。
いわさきちひろは、こんな人。 笑顔の人。 ※ 最後に紹介するお孫さんも、笑顔の人。
正面上に、赤い帽子の絵。 赤い帽子も。

赤い毛糸帽の女の子。 よく知られ、また親しまれている絵。 人気も高い。
「ゆきのひのたんじょうび」と云う絵本の中の絵。
彼女は、お母さんから、
「しんしんと雪の降り積もる日に生まれた」、と聞かされていた。
だから、この絵は、彼女自身。
この作品があるために、Wikipedia の紹介が、
1918年、雪の降る師走の朝に、ちひろは三姉妹の長女として生まれた。
となった。 正面から見たら、こんな絵。 表紙。
ほんのりと笑顔で、うれしそう。 理由は、右を読むと分かります。 こんな感じのお話。面白い。

この奥の離れに、彼女の母親、岩崎文江は、住んでいた。
当時の部屋は、今はないけど。
右の部屋は、昔の雰囲気に。 ちょっとした家具が、高級そう。 武生は、家具(タンス)の町でも。
家全体は、古い柱を残して、改築。 2階から。
左は、ぶどうを持つ少女。
真ん中は、立てひざの少年。
こんな写真を、どこかで見た。 1人息子の、猛さん。 同じポーズ。 (最後に紹介する、春野さんは、この人の子供かな)

絵は本物ではなく、リトグラフの作品。 そう、説明していただいた。
版画に似ている。 緻密(ちみつ)。 本物そっくり。
左の絵は、はなぐるま。

2階の廊下は、資料室。 右に部屋。

中央に、母の岩崎文江がいる。 現在の奈良女子大の、1期生。
しゃきっとした、いい表情。 彼女は、スポーツ万能だったよう。
元々、文江は、長野県の松本の人。
武生には、教師として、6年間いることになる。
6年目の、12月15日に、ちひろを生む。
次の年の3月に、武生を離れる。 ちひろを抱いて、東京へ。

※ 余談 上の文に、母の文江は、松本高等女学校を出たとある。
東洋のマタハリと言われた、川島芳子も、この学校。
文江より、10年ほど早くに。 浅間温泉から、馬で通った。
松本城は黒かった。 あゝ野麦峠の山本茂実 男装の麗人川島芳子 他 (2010/6/23)
2階の踊り場に。

1階。 奥への途中。 商品。
※ そういえば昔、ちひろのカレンダーを教室に下げることが、多かった。
一休みして、本を読んだりできる。
奥に小さな庭があって、その向こうに離れがあった。 母はそこに住んだ。
来たのは、ちひろが生まれる3ヶ月ほど前の、9月。
それまでは、寄宿舎にいた。 学生を監督する立場で。

左端が、文江。 ヘアスタイルを変えたら、感じよくなる。
右の写真。 〇が、いわさきちひろ。 聡明と分かる。 子供の表情を、越えている。
井戸。 産湯(うぶゆ)はこの水ですねって、説明の方が。
年表。 彼女の人生は、いそがしい。 55さいで、なくなる。
後、10年でも生きていたら、どれだけの絵を描いたでしょう。 詳しくは、ここに。(Wikipedia)

説明していただいたのは、この方。 素敵な方。
※ 観光協会から、派遣されていたんだったかな。
箱階段の上の、赤い帽子と手袋は、誰が編んだか聞かなかった。
もしかしたら彼女かなって、後で、思ったんだが・・。

最初の写真には、自転車があった。 じゃまでしたねと、移動してくれた。
それで、記念に1枚。

上の石碑の文は、読みにくい。(石の材質の関係) だいたい、書いた内容です。
映画になっているんですね。 予告編。
※ 彼女の周りにいる人は、私の好きな人ばかり。
駐車場を使わせてもらって、町並みを歩くことに。
左に見える広い一角を、蔵の辻と呼んでる。
この交差点が、古くから、武生の中心の交差点のよう。 それで、ここが辻。 説明もあった。
向こう隣の家に、「うだつ」が見える。
そで壁の感じ。 時々、出会った。 うだつについては、下のブログに。
うだつの町並みの元祖 脇町を歩く ~美馬市脇町~ 他 (2010/12/26)

お店です。 いい感じ。

車道から入り込んだところに、白壁の家並みがあった。

ずっと入って行って、右を見た。 いいですね。

入った突き当りの家。 家が下がっているのがいい。 少し小さく。
家の前の雰囲気もいい。 狭い空間も、工夫次第で、こうなるんですね。
カゴを洗っていた。 何に使うのかな。

武生のこの町並みは、重伝建地区にはなっていない。
町並みの貴重さに気付くのが、20年ほど遅かったかも知れない。
左の方。

花嫁行列。 今度の日曜日。 来るのが、少し早かった。 写真を撮りたい。
昭和の花嫁ちょうちん行列 (馬曲温泉開湯30周年記念)~木島平村~ 阿弥陀堂 他 (2012/10/27)

この道を通り抜けて行く。

エンジェル・トランペット。
こんな小路の奥に、小さな雑貨屋があっても面白い。 歩きたくなる道にして。

振り返って。 左には、コイ。

紫式部の石碑。
降り積みていとむつかしき雪を、掻き捨てて山のやうにしなしたるに、人々登りて、「猶、これ出でて見給へ」といへば
ふる里に帰る山路のそれならば心や行(ゆく)とゆきも見てまし
(都に帰る途中の「かへる山」の雪ならば、心も晴れるだろうかと出ていって見るでしょう。)
※ 解釈は、このサイトに。 紫式部と、武生。

宇治を歩く。 興聖寺。 宇治上神社。 三室戸寺。 宇治十帖。~宇治市~ 他 (2014/4/26)
※ 式部の父は、国司として、越前にやってきた。 式部も一緒に。
律令時代、越前の中心は、武生だった。
柴田勝家が、今の福井市に、北ノ庄城を作ってから、越前の中心はそっちになる。
(北ノ庄城で、浅井3姉妹は育つ。 茶々・初・江)
寺町通りに向かう。 総社大神宮。
この神社には、越前にある神社の神様が、みんなあると書いてある。
式部の父も、ここに来た。
※ 来た時に、神様がみんないなかったら、国中の神社に行かなければならない。
それが大変だから、こうした。

武生の中心の神社。 昔は、越前の中心。

寺町通りです。 昔栄えた町は、寺が多い。

このように、寺。

面白いことが書いてないかなって、読む。
あった。 妙覚寺。 この寺の本山。 京都の、御所の少し北にある。
本能寺の変があったが、あの時、信長は本能寺に。
長男の信忠は、妙覚寺にいた。(今の場所とは違う)
本能寺に向かったが、明智軍に反撃されて、二条城に逃げる。
どうしようもなく、切腹。
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
寺は、戦いにも使われた。 兵の宿泊場所とかにも。 だから、敵は焼きたくなる。

引接寺(いんじょうじ)。 大きい。

山門の彫り物が、見事。

羅漢像ですね。

石大仏堂。 高さ4㍍の石仏。 反射して、顔だけ。 全体は、こう。

寺の横に、幼稚園。 この建物は、旧福井県警察部庁舎。 そう書いてあった。 屋根に望楼。 眺める。

この道を歩いて、突き当りを右に。

渡辺洪基という人は、東大の初代総長。 政治家でも。
タンス町通りに、向かう

宮崎童安は、詩人。 初めて見る。 1つ紹介。
必然に従う
生命の必然に随(したが)って動く その良さを知った
花がひらくように 雲が動くように 水が流れるように
私は私の生命の 必然に従おう
私の必然は、何なんだろう。
タンス町通りに入った。

向こうから来た。

越前タンスとある。 鉄製金具や漆塗りで装飾されるのが大きな特徴のよう。 重厚な感じ。
たとえば、こんなの。 越前武生の箪笥(タンス)。

こんな説明。 下は店で、作業場は2階のよう。

武生は、2日に分けて見学してもよかった。
2日目に、町並みと菊人形。 菊人形は、別の機会に。
8号線が近いから、来易い。 新しい道の駅もあるし。 花嫁行列の日がいいかな。
いわさきちひろは、ここで生まれて、いたのは3ヶ月ほど。
でも、生まれた地の重さは、大きい。
※ 逸話 ちひろの息子さんの猛さんは、生まれた後、事情があって、安曇野にいた ちひろの両親に預けられた。
ちひろさんは、乳が張った。 それで、近所の子に飲ませた。 その子は、三宅裕司。(Wikipedia)
【その他】 下の動画は、松本春野さん。 いわさきちひろさんの、お孫さん。 猛さんの子。 絵本作家。
笑顔が素敵。 ※ ちひろさんの本名は、岩崎知弘。 結婚して、松本知弘。
下のポスターの絵も、松本春野さん。 (アマゾンから、お借り)
おばあちゃんの影響を受けている感じ。 真似でなく、本質の部分。
右の題字も、彼女が。 みんな好きな俳優。
※ 対談 山田洋次×松本春野 映画と絵本の『おとうと』を語る
【道の駅】 若狭おばま

【今後の予定】 町並みを歩く。 海沿いもいい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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次の日のクリックも、また、1週間生きる。
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いわさきちひろの、Wikipedia の、人物紹介の1行目。
「雪の降る」なんて、筆者は、どうしてそこまで、書いたのでしょう。
何がそうさせたのか、知りたいところです。
下の絵は、いわさきちひろの絵。
「おにたのぼうし」の挿絵(さしえ)の1つ。

大好きな絵です。
花の森公園から動けず ~佐世保市~ 今日は節分、追われた鬼はどこに・・。 他 (2012/2/3)
彼女は、子供の絵を描いた。
絵に不思議な力があって、どれを見ても、子供が愛(いと)おしくなってくる。
武生(たけふ)の町に、「ちひろの生まれた家」があった。
今日は、そこを見て、武生の古い町並みを歩いた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
越前市は、福井市の南に。

ここは、越前市の中心街。
※ そうなんだけど、地元の人は、旧武生市と思っている人が、多いよう。
合併して越前市になったが、市民の声が生かされなかったという経緯がある。
法的に決め直せるのなら、そうせばいい。 (越前町・南越前町も不満だし)
そんなことで、武生の町並みを歩くとした。 (マップルの情報誌も、武生で紹介)

ちひろの生れた家 記念館。 ※ 近くに、駐車場がある。
1918年に、この家で、いわさきちひろは生まれた。
家の基本は、昔のまま。 2階の低い、町屋風。

女性の方が、案内してくれた。 入館料、200円。
中は、改築されている。 壁に、絵が展示されている。
※ 入って、正面からの写真を、撮り忘れた。 正面から撮ると、右の写真。(BIGLOBEから、お借り)


左に、入り口。 右奥に、通路。 右手前は、部屋。
いわさきちひろは、こんな人。 笑顔の人。 ※ 最後に紹介するお孫さんも、笑顔の人。
正面上に、赤い帽子の絵。 赤い帽子も。


赤い毛糸帽の女の子。 よく知られ、また親しまれている絵。 人気も高い。
「ゆきのひのたんじょうび」と云う絵本の中の絵。
彼女は、お母さんから、
「しんしんと雪の降り積もる日に生まれた」、と聞かされていた。
だから、この絵は、彼女自身。
この作品があるために、Wikipedia の紹介が、
1918年、雪の降る師走の朝に、ちひろは三姉妹の長女として生まれた。
となった。 正面から見たら、こんな絵。 表紙。
ほんのりと笑顔で、うれしそう。 理由は、右を読むと分かります。 こんな感じのお話。面白い。

この奥の離れに、彼女の母親、岩崎文江は、住んでいた。
当時の部屋は、今はないけど。
右の部屋は、昔の雰囲気に。 ちょっとした家具が、高級そう。 武生は、家具(タンス)の町でも。


家全体は、古い柱を残して、改築。 2階から。
左は、ぶどうを持つ少女。
真ん中は、立てひざの少年。
こんな写真を、どこかで見た。 1人息子の、猛さん。 同じポーズ。 (最後に紹介する、春野さんは、この人の子供かな)

絵は本物ではなく、リトグラフの作品。 そう、説明していただいた。
版画に似ている。 緻密(ちみつ)。 本物そっくり。
左の絵は、はなぐるま。

2階の廊下は、資料室。 右に部屋。


中央に、母の岩崎文江がいる。 現在の奈良女子大の、1期生。
しゃきっとした、いい表情。 彼女は、スポーツ万能だったよう。
元々、文江は、長野県の松本の人。
武生には、教師として、6年間いることになる。
6年目の、12月15日に、ちひろを生む。
次の年の3月に、武生を離れる。 ちひろを抱いて、東京へ。


※ 余談 上の文に、母の文江は、松本高等女学校を出たとある。
東洋のマタハリと言われた、川島芳子も、この学校。
文江より、10年ほど早くに。 浅間温泉から、馬で通った。
松本城は黒かった。 あゝ野麦峠の山本茂実 男装の麗人川島芳子 他 (2010/6/23)
2階の踊り場に。


1階。 奥への途中。 商品。
※ そういえば昔、ちひろのカレンダーを教室に下げることが、多かった。
一休みして、本を読んだりできる。
奥に小さな庭があって、その向こうに離れがあった。 母はそこに住んだ。
来たのは、ちひろが生まれる3ヶ月ほど前の、9月。
それまでは、寄宿舎にいた。 学生を監督する立場で。


左端が、文江。 ヘアスタイルを変えたら、感じよくなる。
右の写真。 〇が、いわさきちひろ。 聡明と分かる。 子供の表情を、越えている。



井戸。 産湯(うぶゆ)はこの水ですねって、説明の方が。
年表。 彼女の人生は、いそがしい。 55さいで、なくなる。
後、10年でも生きていたら、どれだけの絵を描いたでしょう。 詳しくは、ここに。(Wikipedia)


説明していただいたのは、この方。 素敵な方。
※ 観光協会から、派遣されていたんだったかな。
箱階段の上の、赤い帽子と手袋は、誰が編んだか聞かなかった。
もしかしたら彼女かなって、後で、思ったんだが・・。

最初の写真には、自転車があった。 じゃまでしたねと、移動してくれた。
それで、記念に1枚。


上の石碑の文は、読みにくい。(石の材質の関係) だいたい、書いた内容です。
映画になっているんですね。 予告編。
※ 彼女の周りにいる人は、私の好きな人ばかり。
駐車場を使わせてもらって、町並みを歩くことに。
左に見える広い一角を、蔵の辻と呼んでる。
この交差点が、古くから、武生の中心の交差点のよう。 それで、ここが辻。 説明もあった。
向こう隣の家に、「うだつ」が見える。
そで壁の感じ。 時々、出会った。 うだつについては、下のブログに。
うだつの町並みの元祖 脇町を歩く ~美馬市脇町~ 他 (2010/12/26)

お店です。 いい感じ。


車道から入り込んだところに、白壁の家並みがあった。


ずっと入って行って、右を見た。 いいですね。

入った突き当りの家。 家が下がっているのがいい。 少し小さく。
家の前の雰囲気もいい。 狭い空間も、工夫次第で、こうなるんですね。
カゴを洗っていた。 何に使うのかな。


武生のこの町並みは、重伝建地区にはなっていない。
町並みの貴重さに気付くのが、20年ほど遅かったかも知れない。
左の方。

花嫁行列。 今度の日曜日。 来るのが、少し早かった。 写真を撮りたい。
昭和の花嫁ちょうちん行列 (馬曲温泉開湯30周年記念)~木島平村~ 阿弥陀堂 他 (2012/10/27)


この道を通り抜けて行く。

エンジェル・トランペット。
こんな小路の奥に、小さな雑貨屋があっても面白い。 歩きたくなる道にして。


振り返って。 左には、コイ。


紫式部の石碑。
降り積みていとむつかしき雪を、掻き捨てて山のやうにしなしたるに、人々登りて、「猶、これ出でて見給へ」といへば
ふる里に帰る山路のそれならば心や行(ゆく)とゆきも見てまし
(都に帰る途中の「かへる山」の雪ならば、心も晴れるだろうかと出ていって見るでしょう。)
※ 解釈は、このサイトに。 紫式部と、武生。

宇治を歩く。 興聖寺。 宇治上神社。 三室戸寺。 宇治十帖。~宇治市~ 他 (2014/4/26)
※ 式部の父は、国司として、越前にやってきた。 式部も一緒に。
律令時代、越前の中心は、武生だった。
柴田勝家が、今の福井市に、北ノ庄城を作ってから、越前の中心はそっちになる。
(北ノ庄城で、浅井3姉妹は育つ。 茶々・初・江)
寺町通りに向かう。 総社大神宮。
この神社には、越前にある神社の神様が、みんなあると書いてある。
式部の父も、ここに来た。
※ 来た時に、神様がみんないなかったら、国中の神社に行かなければならない。
それが大変だから、こうした。


武生の中心の神社。 昔は、越前の中心。

寺町通りです。 昔栄えた町は、寺が多い。


このように、寺。

面白いことが書いてないかなって、読む。
あった。 妙覚寺。 この寺の本山。 京都の、御所の少し北にある。
本能寺の変があったが、あの時、信長は本能寺に。
長男の信忠は、妙覚寺にいた。(今の場所とは違う)
本能寺に向かったが、明智軍に反撃されて、二条城に逃げる。
どうしようもなく、切腹。
亀岡市から、明智越を通って、水尾へ。 保津川沿いの風景。~亀岡市~ 他 (2014/4/27)
寺は、戦いにも使われた。 兵の宿泊場所とかにも。 だから、敵は焼きたくなる。


引接寺(いんじょうじ)。 大きい。

山門の彫り物が、見事。

羅漢像ですね。



石大仏堂。 高さ4㍍の石仏。 反射して、顔だけ。 全体は、こう。


寺の横に、幼稚園。 この建物は、旧福井県警察部庁舎。 そう書いてあった。 屋根に望楼。 眺める。

この道を歩いて、突き当りを右に。


渡辺洪基という人は、東大の初代総長。 政治家でも。
タンス町通りに、向かう


宮崎童安は、詩人。 初めて見る。 1つ紹介。
必然に従う
生命の必然に随(したが)って動く その良さを知った
花がひらくように 雲が動くように 水が流れるように
私は私の生命の 必然に従おう
私の必然は、何なんだろう。
タンス町通りに入った。


向こうから来た。

越前タンスとある。 鉄製金具や漆塗りで装飾されるのが大きな特徴のよう。 重厚な感じ。
たとえば、こんなの。 越前武生の箪笥(タンス)。

こんな説明。 下は店で、作業場は2階のよう。


武生は、2日に分けて見学してもよかった。
2日目に、町並みと菊人形。 菊人形は、別の機会に。
8号線が近いから、来易い。 新しい道の駅もあるし。 花嫁行列の日がいいかな。
いわさきちひろは、ここで生まれて、いたのは3ヶ月ほど。
でも、生まれた地の重さは、大きい。
※ 逸話 ちひろの息子さんの猛さんは、生まれた後、事情があって、安曇野にいた ちひろの両親に預けられた。
ちひろさんは、乳が張った。 それで、近所の子に飲ませた。 その子は、三宅裕司。(Wikipedia)
【その他】 下の動画は、松本春野さん。 いわさきちひろさんの、お孫さん。 猛さんの子。 絵本作家。
笑顔が素敵。 ※ ちひろさんの本名は、岩崎知弘。 結婚して、松本知弘。
下のポスターの絵も、松本春野さん。 (アマゾンから、お借り)
おばあちゃんの影響を受けている感じ。 真似でなく、本質の部分。
右の題字も、彼女が。 みんな好きな俳優。


※ 対談 山田洋次×松本春野 映画と絵本の『おとうと』を語る
【道の駅】 若狭おばま

【今後の予定】 町並みを歩く。 海沿いもいい。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
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東の空が白みがかった頃、修行僧の読経の声が、山内に響く。
永平寺の1日は、こうやって始まる。
倶利伽羅(くりから)峠は、歩くのに時間がかかる。
急ぐ用事があって、今回はあきらめ。
永平寺の写真を撮ることにした。
90㌔ほど走って、3時過ぎに着いた。
※ 晴れでない日は、ソーラーで生まれる電気は少ない。
たくさん走っても、無駄にならない。 電気をつくる。
深山幽谷の地にある寺で、これ程人の集まる寺は、他にあるだろうか。
さすが、曹洞宗の本山と、思わせてくれる。
紅葉は、色づき始めていた。
それはそれで、またいい。
別の魅力。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
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那谷(なた)寺の紅葉も、考えた。 まだ早かった。
いつかは、再度永平寺にと、思っていた。
石川県を通り抜けて、福井県に入った。 ※ 能登半島は、遠くない将来に、再度。

山の中に。

無料駐車場があった。 知らなかった。
機嫌よく歩いた。 町並みに。 朝倉氏遺跡が近い。
正面奥に、建物が見える。 永平寺。

着きました。 右を、上がって行く。

小さな建物を入れると、70程。
昔はあったという寺はよく聞く。 今70ある寺は、地方では聞かない。
7つの赤い建物が、7堂伽藍(がらん)。 中心になる建物。
右から、入る。 500円。

傘松閣(さんしょうかく)。 222畳の大広間。 天井画が、見どころ。

一流画家の絵も。 私は、知らない人。 床の間を、背にして見る。
団体さんの方が、多い。

建物は、斜面に並んでいる。 そっちに行く。
少し下に、山門が見えた。 最後に行く。
※ 昔、こんな番組を見た。
あの門の前で、若い僧が、入門を願って立っている。 何かを叫んで。
寺側は、簡単に入門させない。 入れさせない。
意志の強さを、何らかの形で、確認する。
あの時の若い僧は、雪の降る中、一晩立ってたような気がする。
これについては、最後に。 (動画を探している)

仏殿。 寺の中心。 本尊がある。

長い階段が、永平寺の特徴。 山門の屋根が見える。
横への廊下。 どこの場所かな・・・。(混乱)
修行僧が、すっと下りて行った。 修行の場所に、入り込んでいる。

永平寺は、鎌倉時代に、道元が開いた。
その道元の墓がある所が、承陽殿(じょうようでん)。
一番上に行って、左に行く。
門が見えた。 その左に、上がってきた階段がある。
ここです。

正面の承陽の額は、明治天皇が贈ったとある。
廃仏毀釈の嵐は、終わったのか。 (明治の初めだけで、4年ごろには終わったよう)

永平寺が、なぜこの地にあるかですが、
上の説明に、波多野義重の像があると、ある。
この人が、この地に、道元を呼んだ。 そして、永平寺を作った。
※ 彼と道元については、「朔北(さくほく)の雲」という本に、載っているよう。
朔北は、都から離れている意味。 オホーツクの舟歌に、出てくる。
このブログの最後に、触れた。 港の見えるカフェテラス 山 (2008年9月25日)
※ 上のブログは、働いてたときの。 勤務中に、半分遊んでいる。 サケ釣りを見た。
少し戻って、ここは、一番上にある、法堂(はっとう)。 ※ 法の読みは、法被(はっぴ)と同じですね。
講義を受けたり、法要に使ったり。 中央に、聖観世音菩薩。 像は見えないけど、顔はこう。

白獅子の狛犬(こまいぬ)が、可愛い。

下の動画の最初に、法堂での修行僧の様子が、映ります。 他、いろいろと。 全体が分かるかな。
法堂は、広い。 部屋の左に、三界万霊塔。 過去・現在・未来の全ての霊を、供養する。

法堂の前から下を。 階段の廊下は、両側に。 下の、左右への廊下は、絵地図になかった。
さっき、どこか分からなかったのは、ここだ。

※ 永平寺の冬は、寒い。 この場所の冬は、こう。
法堂の説明が、あった。 ここは、法堂の前。 1本の木の紅葉が始まった。

法堂を、もう一度、覗(のぞ)いて。 ここが一番大きな建物。
右は、法堂の右にある建物。(下の方から見て。 絵図に、名前はない)

下から見て、右の、階段。 この廊下が、楽しい。

窓は、平行四辺形。

仏殿と、仏殿の上の廊下。(名前は、一文字廊)

一文字廊の中間から、法堂を見上げた。
紅葉の木を撮りに、法堂に戻った。 側から見たら、美しくなかった。 お日様が、当たっていなかった。
法堂の角に、護美箱。 本当に入れていいか、不安。 木は、たたかれて、凹んだ。
※ ゴミの漢字は、難しい。 正式なのは内容。 間違い、無いよう、です。
ずっと昔は、木の葉が、ゴミだったよう。 ネットでは、分からない。
ゴミのゴは、木(コ)なのか。
それとも、葉っぱが混み入ったように集まったから、コミで、ゴミになったのか。

瑞雲閣(ずいうんかく)とある。 お客様の、接待所。

仏殿の中。 4時半を過ぎたので、人はいない。 見学は、5時まで。

像は、見えにくいけど、3つ並んでいた。
須弥壇(しゅみだん)中央に、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。
※ 牟尼(むに)は、サンスクリット語 muni のことで、聖者とかの意味。 釈迦の、尊称だそう。
左に阿弥陀仏(あみだぶつ)。 右に弥勒仏(みろくぶつ)。
左から、過去・現在・未来・を表しているそう。
つまり、三界万霊の三界か。

中雀(ちゅうじゃく)門の向こうに、山門。

仏殿の前から。 見える門は、中雀門。
左の大きな建物は、庫院(くいん)。 ここで、食事を作る。
普通の僧は、4時起き。 庫院の僧は、2時起き。

庫院の前の、廊下。 右は、仏殿。

永平寺の修行僧は、3年ほど、ここにいるそう。
寺の息子が多いと思うけど、大変な修行。
朝の食事は、こう。(上の方の、動画にもあった)。 お腹空きそう。
空腹を我慢、冬の寒さを我慢。 我慢も修行のうちか。
中雀門。 後ろに、山門。

庫院(くいん)にあった像。 韋駄尊(いだそん)天。
そう云えば、高岡市の瑞龍寺の厨房にも、この像があった。

すりこぎ棒。 最初の部屋で、寺の説明を少し聞いた。 こう言った。
男の人が触ると、ごますりが上手になる。
女の人が触ると、料理が上手になる。
話がつまらない。 面白いのを考えればいいのに。 遊びなんだから。

山門を、後ろの正面から。

中雀門。 色づき始めた、モミジの木。 見ごろは、間もなく。
ぽっと、頬(ほお)が薄く染まった感じ。 ※ 頬は、ほほと読んでもいいよう。

仏殿を、正面から。

修行僧は、戸締りなど、後始末に入っている。 山の上への石段。

山門に入ってきた。 下から見た、中雀門。 美しい。

庫院(くいん)と、モミジの木。

山門。 向こうから来た。

山門の四天王。 山門にはふつう2人。 ここは、4人。


右の額を先に。 宝治2年(1248)に、山号を吉祥山(きちじょうざん)と改めた。 それが書いてある。
その3年前に、永平寺の名前に。

上の左の写真に、柱がある。 そこに、聯(れん)と云う、木が下がっている。
そこに書いてあることが、厳しいので、ここから入るのが、大変。
こうある。 むずかしい。
右側 【家庭厳峻 不容陸老従真門入】 かていげんしゅん りくろうのしんもんよりいるをゆるさず
左側 【鎖鑰放閑 遮莫善財進一歩来】 さやくほうかん、さもあらばあれ、ぜんざいのいっぽをすすめきたるに
この人の解説が、分かりやすい。 厳しい表情。
鐘楼。 除夜の鐘は、これが鳴る。 納経堂。 永平寺で書いた写経は、ここに納める。

ここには、人がいっぱいいた。 この人たちは、3泊4日の修行に来た人のよう。

出口に、ふれあい観音。

別の道を、下った。

ここを通って。 駐車場まで、5分ほど。 5時過ぎ。 日が短くなった。

曹洞宗の寺には、時々出会う。
永平寺の紹介が必要な時がある。
そんなことがあって、写真を多くしました。
忘れてましたが、私の家は、曹洞宗でした。
私の信心深さの程度が、分かってしまう。
【雲水の生活】 禅宗の修行僧を、雲水と呼ぶようです。 写真は、パンフレットから。
修業は厳しい。 休めるのは、トイレの中だけ。
だから、しょっちゅうトイレに行く僧が、いる僧。 (ある修行僧の、手記から)

【ブログ紹介】
山中温泉を歩く。 山中漆器祭。 菊の湯。~加賀市~ 他 (2013/5/3)
一乗谷朝倉氏遺跡 越前大野城~福井市・大野市~ 他 (2013/5/4)
白山に登る ~日本三名山、深田久弥のふるさとの山 白山市~ 他 (2011/7/6)
紅葉の那谷寺 ~芭蕉も来ていた。 小松市~ 世界のガラス館 他 (2010/11/13)
金沢ひがし茶屋街・主計町茶屋街 ~金沢市~ 他 (2010/11/12)
【今日の曲】 Cartas de Amor (ラブレター) ※ Cartas は、手紙・カード。 Amor は、愛。
【道の駅】 パークイン丹生(にゅう)ヶ丘

【今後の予定】 武生の町かな。 蔵の辻ってのが、ある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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永平寺の1日は、こうやって始まる。
倶利伽羅(くりから)峠は、歩くのに時間がかかる。
急ぐ用事があって、今回はあきらめ。
永平寺の写真を撮ることにした。
90㌔ほど走って、3時過ぎに着いた。
※ 晴れでない日は、ソーラーで生まれる電気は少ない。
たくさん走っても、無駄にならない。 電気をつくる。
深山幽谷の地にある寺で、これ程人の集まる寺は、他にあるだろうか。
さすが、曹洞宗の本山と、思わせてくれる。
紅葉は、色づき始めていた。
それはそれで、またいい。
別の魅力。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
那谷(なた)寺の紅葉も、考えた。 まだ早かった。
いつかは、再度永平寺にと、思っていた。
石川県を通り抜けて、福井県に入った。 ※ 能登半島は、遠くない将来に、再度。

山の中に。

無料駐車場があった。 知らなかった。
機嫌よく歩いた。 町並みに。 朝倉氏遺跡が近い。
正面奥に、建物が見える。 永平寺。


着きました。 右を、上がって行く。


小さな建物を入れると、70程。
昔はあったという寺はよく聞く。 今70ある寺は、地方では聞かない。
7つの赤い建物が、7堂伽藍(がらん)。 中心になる建物。
右から、入る。 500円。


傘松閣(さんしょうかく)。 222畳の大広間。 天井画が、見どころ。

一流画家の絵も。 私は、知らない人。 床の間を、背にして見る。
団体さんの方が、多い。




建物は、斜面に並んでいる。 そっちに行く。
少し下に、山門が見えた。 最後に行く。
※ 昔、こんな番組を見た。
あの門の前で、若い僧が、入門を願って立っている。 何かを叫んで。
寺側は、簡単に入門させない。 入れさせない。
意志の強さを、何らかの形で、確認する。
あの時の若い僧は、雪の降る中、一晩立ってたような気がする。
これについては、最後に。 (動画を探している)


仏殿。 寺の中心。 本尊がある。

長い階段が、永平寺の特徴。 山門の屋根が見える。


横への廊下。 どこの場所かな・・・。(混乱)
修行僧が、すっと下りて行った。 修行の場所に、入り込んでいる。


永平寺は、鎌倉時代に、道元が開いた。
その道元の墓がある所が、承陽殿(じょうようでん)。
一番上に行って、左に行く。
門が見えた。 その左に、上がってきた階段がある。
ここです。


正面の承陽の額は、明治天皇が贈ったとある。
廃仏毀釈の嵐は、終わったのか。 (明治の初めだけで、4年ごろには終わったよう)


永平寺が、なぜこの地にあるかですが、
上の説明に、波多野義重の像があると、ある。
この人が、この地に、道元を呼んだ。 そして、永平寺を作った。
※ 彼と道元については、「朔北(さくほく)の雲」という本に、載っているよう。
朔北は、都から離れている意味。 オホーツクの舟歌に、出てくる。
このブログの最後に、触れた。 港の見えるカフェテラス 山 (2008年9月25日)
※ 上のブログは、働いてたときの。 勤務中に、半分遊んでいる。 サケ釣りを見た。
少し戻って、ここは、一番上にある、法堂(はっとう)。 ※ 法の読みは、法被(はっぴ)と同じですね。
講義を受けたり、法要に使ったり。 中央に、聖観世音菩薩。 像は見えないけど、顔はこう。

白獅子の狛犬(こまいぬ)が、可愛い。


下の動画の最初に、法堂での修行僧の様子が、映ります。 他、いろいろと。 全体が分かるかな。
法堂は、広い。 部屋の左に、三界万霊塔。 過去・現在・未来の全ての霊を、供養する。


法堂の前から下を。 階段の廊下は、両側に。 下の、左右への廊下は、絵地図になかった。
さっき、どこか分からなかったのは、ここだ。

※ 永平寺の冬は、寒い。 この場所の冬は、こう。
法堂の説明が、あった。 ここは、法堂の前。 1本の木の紅葉が始まった。


法堂を、もう一度、覗(のぞ)いて。 ここが一番大きな建物。
右は、法堂の右にある建物。(下の方から見て。 絵図に、名前はない)


下から見て、右の、階段。 この廊下が、楽しい。

窓は、平行四辺形。


仏殿と、仏殿の上の廊下。(名前は、一文字廊)


一文字廊の中間から、法堂を見上げた。
紅葉の木を撮りに、法堂に戻った。 側から見たら、美しくなかった。 お日様が、当たっていなかった。
法堂の角に、護美箱。 本当に入れていいか、不安。 木は、たたかれて、凹んだ。
※ ゴミの漢字は、難しい。 正式なのは内容。 間違い、無いよう、です。
ずっと昔は、木の葉が、ゴミだったよう。 ネットでは、分からない。
ゴミのゴは、木(コ)なのか。
それとも、葉っぱが混み入ったように集まったから、コミで、ゴミになったのか。


瑞雲閣(ずいうんかく)とある。 お客様の、接待所。

仏殿の中。 4時半を過ぎたので、人はいない。 見学は、5時まで。

像は、見えにくいけど、3つ並んでいた。
須弥壇(しゅみだん)中央に、釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。
※ 牟尼(むに)は、サンスクリット語 muni のことで、聖者とかの意味。 釈迦の、尊称だそう。
左に阿弥陀仏(あみだぶつ)。 右に弥勒仏(みろくぶつ)。
左から、過去・現在・未来・を表しているそう。
つまり、三界万霊の三界か。


中雀(ちゅうじゃく)門の向こうに、山門。

仏殿の前から。 見える門は、中雀門。
左の大きな建物は、庫院(くいん)。 ここで、食事を作る。
普通の僧は、4時起き。 庫院の僧は、2時起き。


庫院の前の、廊下。 右は、仏殿。


永平寺の修行僧は、3年ほど、ここにいるそう。
寺の息子が多いと思うけど、大変な修行。
朝の食事は、こう。(上の方の、動画にもあった)。 お腹空きそう。
空腹を我慢、冬の寒さを我慢。 我慢も修行のうちか。
中雀門。 後ろに、山門。

庫院(くいん)にあった像。 韋駄尊(いだそん)天。
そう云えば、高岡市の瑞龍寺の厨房にも、この像があった。


すりこぎ棒。 最初の部屋で、寺の説明を少し聞いた。 こう言った。
男の人が触ると、ごますりが上手になる。
女の人が触ると、料理が上手になる。
話がつまらない。 面白いのを考えればいいのに。 遊びなんだから。


山門を、後ろの正面から。

中雀門。 色づき始めた、モミジの木。 見ごろは、間もなく。
ぽっと、頬(ほお)が薄く染まった感じ。 ※ 頬は、ほほと読んでもいいよう。


仏殿を、正面から。

修行僧は、戸締りなど、後始末に入っている。 山の上への石段。


山門に入ってきた。 下から見た、中雀門。 美しい。


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山門。 向こうから来た。


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ここには、人がいっぱいいた。 この人たちは、3泊4日の修行に来た人のよう。


出口に、ふれあい観音。

別の道を、下った。


ここを通って。 駐車場まで、5分ほど。 5時過ぎ。 日が短くなった。

曹洞宗の寺には、時々出会う。
永平寺の紹介が必要な時がある。
そんなことがあって、写真を多くしました。
忘れてましたが、私の家は、曹洞宗でした。
私の信心深さの程度が、分かってしまう。
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白山に登る ~日本三名山、深田久弥のふるさとの山 白山市~ 他 (2011/7/6)
紅葉の那谷寺 ~芭蕉も来ていた。 小松市~ 世界のガラス館 他 (2010/11/13)
金沢ひがし茶屋街・主計町茶屋街 ~金沢市~ 他 (2010/11/12)
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寺の鐘が、ゴ~ンって鳴り響く。
美しい音色だったら、それは、高岡市で作られた梵鐘(ぼんしょう)。
シェアは、70㌫。
この町は、高岡銅器の町。
以前、一度歩いている。
今回は、国宝の寺と、城跡を見た。
加賀百万石って、聞く。
中心は、金沢市。
加賀藩の藩祖は、戦国時代を生き抜いた、前田利家。
江戸時代になっての加賀藩の初代藩主は、前田利長。
この人、隠居した後、金沢から離れて、高岡市を整備した。
立派な城も作った。
最後は、この町で亡くなる。
だから、菩提寺の瑞龍(ずいりゅう)寺が。
利長は、高岡の町の、発展の祖。
上のことは、初めて知った。
寺を見て、城を見て、最後に高岡大仏。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
高岡市は、富山県で2番目に大きな町。

駐車場が広いので、瑞龍寺は、観光寺院なんだと分かる。
拝観料は、500円。

総門。 普通ある山門は、次。
※ 総門は、禅宗の寺院にあるよう。 ここは、禅宗で曹洞(そうとう)宗。
曹洞宗の本山、永平寺は、遠くない。
曹洞宗大本山 永平寺 越前竹人形 他 (4月13日)
※ 上のブログ、写真少ない。 もう一度、行くか。
前田利長を、加賀藩2代藩主とある。
※ 一般的には、初代藩主。 父の前田利家は、加賀藩主の祖。(Wikipedia)
江戸時代に入ってからの領地が、藩なので。
書いてないが、総門も重要文化財。

次は、山門。 そこまでが、広い。
山門の後ろに、仏殿。 そして、法堂(はっとう)。 3つが、国宝。

※ 山門の2階部分は、下のように。 中に、宝冠釈迦如来と十六羅漢像。 窓が開いて、見える時がある。

江戸時代の、代表的禅宗建築、ということで国宝。
3代藩主は、利常。 2代藩主利長の子ではない。
この立派さは、自分を藩主に指名してくれたお礼ですね。

仁王像。

仏殿。 普通は本堂とか金堂。 中心の建物。

右に、大庫裏(おおくり)。 台所は、そこに。
山門から、廊下を通って、左に行った。

烏芻沙摩(うすさま)明王。 東司(とうす)、つまり、トイレの神様。
トイレは、悪魔や悪霊の出入口と、考えたので。
※ 烏芻沙摩は、Ucchuṣma(ウッチュシャマ)を、漢字で書いた。 インド神話に出てくる、火の神。

曲がって、禅堂に。

一度、座禅をしてみたい。 バシッと、肩をたたかれて。

外に出た。 山門を反対側から。

境内図の右の方に来た。 鐘楼。
仏殿の入り口は、山門の反対側に。 入ったら、この像。

本尊です。 高い天井。

広い空間。 天井の造りを、わざと見せている。

釈迦三尊像。 中央、釈迦如来像。 左、普賢(ふげん)菩薩像。 右、文殊菩薩像。
板の模様が雲のようだと、説明の人が行った。

文殊菩薩は、獅子の上に。 普賢菩薩は、ゾウの上に。 そして、釈迦如来像。

団体さんには、このように説明。 一緒に聞いても、かまわない。

仏殿から、出てきた。

法堂(はっとう)。 講義を受ける場所。

法堂の正面。 お話を聞いている。
話している人は、物真似が好き。 誰かになり切って、時々話す。 女性の声も。

ここで、映画の撮影。 黒田官兵衛かと思った。

大きな部屋の前の廊下。

石廟(せきびょう)と云う。 石の建物の中に、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の墓。

仏殿。 後ろに、山門。
仏殿の屋根は、鉛瓦(なまりがわら) 瓦の形をした木に、鉛の板を張り付けてある。 約42トン分。
※ いざという時、鉄砲の弾(たま)が作れるとか。 本当の目的は、屋根の雪が落ちやすいように。
※ 2階の屋根の雪は、落ちる時、1階の屋根にぶつかる。
山門の2階の屋根が大きい。 落ちた雪が、1階の屋根にぶつからないように。 ここの山門の特徴。
山門は、1階と2階の屋根の間隔が大きいから、そうしたのかな。 衝撃が大きいから。

長い廊下の右に、延命地蔵。
※ お願いする前に、飲みすぎない、食べ過ぎない、運動する、いっぱい寝る。 することいっぱい。
※ 食べたいだけ食べて、やせますようにってお願いしても、神様、きっと困る。

大庫裏に来た。 韋駄尊天(いだそんてん)。 中国にある像に、似ている。 厨房を守る神。
大きな釜。 向拝(こうはい)戻してくれたという話。 こんなの初めて聞く。
向拝は、建物から出っ張った部分。
この建物で言えば、ここ。⇒

浴室の神。 やわらかな目の表情。
ここを見終わって、次は、高岡古城公園。 駐車場がある。
広い芝生。

全体が、少し高くなっている。 市民の憩いの場になっている。 人が多い。

多くの像がある。

周りは堀。 何ヶ所か、入り込んでいる。

お店もあって、いい感じ。 用事がなくたって、歩いていい。
金沢から遠いこの地に、城が必要と考えたんですね。

無料の小さな動物園。 子供が楽しめる公園かな。

射水(いみず)神社。 左に、立派な梅の木。 咲くと、このように。

別の広場。 像が並んでいる。 像の女性は、姿勢がいい。 この辺りに、本丸があった。

前田利長像。
昔の人は、作ったものの半分を税として取られても、尊敬したんだろうか。

与謝野鉄幹と晶子。 鉄幹の五足の靴を、思い出す。
五足の靴、文学遊歩道。 鬼海浦、岩登り。 下田温泉、五足の足湯。~天草町~ ラ・ノビア 他 (2013/1/29)
晶子の歌の中に、羅津(らじん)とある。 今は羅先(らそん)。 北朝鮮の町。 ここ。⇒
歌に、どうして登場したかが、分からない。 彼女と、何か関係があるのかも、分からない。

噴水。

朝陽の滝。

朝陽橋。

ここで、高岡大仏を思い出して、見に行った。 公園から200㍍。 以前見ている。
お寺は、大仏寺。

入り口の像。 今風。

坐像の高さ、 7m43cm。 分かりやすい造り方の説明は、ネット上にはない。
何段かに分けて作ったと思うんだが。

説明の、焼型重ね吹きの意味が、分からない。
キリークは、像の頭の上に見える。 中に入れる。
鎌を持った男。 上に僧。 仏の力で、助けられるか。

戻ってきた。 駐春橋。 渡らないで、堀の外を歩く。
本丸橋。 遊覧船の乗り場。 船は、このように。

高岡市は、これで、2度目。
他に、まだ見るところがありそう。
富山県には、国宝の建物が3つ。
その3つが、今日見た、瑞龍寺にあった。
【関連ブログ】 銅器鋳物の町、高岡を歩く ~高岡古城公園、高岡大仏、金谷町 高岡市~ 他 (2010/11/6)
【その他】 25日の晩、滑川市の道の駅の隣で、「あかりがナイトin滑川」をやっていた。
写真を紹介。


【今日の歌】 1つのギターを、2人で演奏。
【道の駅】 万葉の里 高岡

【今後の予定】 倶利伽羅峠かな。 さがしています。
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以前、一度歩いている。
今回は、国宝の寺と、城跡を見た。
加賀百万石って、聞く。
中心は、金沢市。
加賀藩の藩祖は、戦国時代を生き抜いた、前田利家。
江戸時代になっての加賀藩の初代藩主は、前田利長。
この人、隠居した後、金沢から離れて、高岡市を整備した。
立派な城も作った。
最後は、この町で亡くなる。
だから、菩提寺の瑞龍(ずいりゅう)寺が。
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駐車場が広いので、瑞龍寺は、観光寺院なんだと分かる。
拝観料は、500円。

総門。 普通ある山門は、次。
※ 総門は、禅宗の寺院にあるよう。 ここは、禅宗で曹洞(そうとう)宗。
曹洞宗の本山、永平寺は、遠くない。
曹洞宗大本山 永平寺 越前竹人形 他 (4月13日)
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※ 一般的には、初代藩主。 父の前田利家は、加賀藩主の祖。(Wikipedia)
江戸時代に入ってからの領地が、藩なので。
書いてないが、総門も重要文化財。


次は、山門。 そこまでが、広い。
山門の後ろに、仏殿。 そして、法堂(はっとう)。 3つが、国宝。

※ 山門の2階部分は、下のように。 中に、宝冠釈迦如来と十六羅漢像。 窓が開いて、見える時がある。

江戸時代の、代表的禅宗建築、ということで国宝。
3代藩主は、利常。 2代藩主利長の子ではない。
この立派さは、自分を藩主に指名してくれたお礼ですね。

仁王像。


仏殿。 普通は本堂とか金堂。 中心の建物。

右に、大庫裏(おおくり)。 台所は、そこに。
山門から、廊下を通って、左に行った。


烏芻沙摩(うすさま)明王。 東司(とうす)、つまり、トイレの神様。
トイレは、悪魔や悪霊の出入口と、考えたので。
※ 烏芻沙摩は、Ucchuṣma(ウッチュシャマ)を、漢字で書いた。 インド神話に出てくる、火の神。


曲がって、禅堂に。



一度、座禅をしてみたい。 バシッと、肩をたたかれて。


外に出た。 山門を反対側から。

境内図の右の方に来た。 鐘楼。
仏殿の入り口は、山門の反対側に。 入ったら、この像。


本尊です。 高い天井。


広い空間。 天井の造りを、わざと見せている。

釈迦三尊像。 中央、釈迦如来像。 左、普賢(ふげん)菩薩像。 右、文殊菩薩像。
板の模様が雲のようだと、説明の人が行った。

文殊菩薩は、獅子の上に。 普賢菩薩は、ゾウの上に。 そして、釈迦如来像。



団体さんには、このように説明。 一緒に聞いても、かまわない。


仏殿から、出てきた。

法堂(はっとう)。 講義を受ける場所。

法堂の正面。 お話を聞いている。
話している人は、物真似が好き。 誰かになり切って、時々話す。 女性の声も。


ここで、映画の撮影。 黒田官兵衛かと思った。


大きな部屋の前の廊下。

石廟(せきびょう)と云う。 石の建物の中に、宝篋印塔(ほうきょういんとう)の墓。



仏殿。 後ろに、山門。
仏殿の屋根は、鉛瓦(なまりがわら) 瓦の形をした木に、鉛の板を張り付けてある。 約42トン分。
※ いざという時、鉄砲の弾(たま)が作れるとか。 本当の目的は、屋根の雪が落ちやすいように。
※ 2階の屋根の雪は、落ちる時、1階の屋根にぶつかる。
山門の2階の屋根が大きい。 落ちた雪が、1階の屋根にぶつからないように。 ここの山門の特徴。
山門は、1階と2階の屋根の間隔が大きいから、そうしたのかな。 衝撃が大きいから。

長い廊下の右に、延命地蔵。
※ お願いする前に、飲みすぎない、食べ過ぎない、運動する、いっぱい寝る。 することいっぱい。
※ 食べたいだけ食べて、やせますようにってお願いしても、神様、きっと困る。


大庫裏に来た。 韋駄尊天(いだそんてん)。 中国にある像に、似ている。 厨房を守る神。


大きな釜。 向拝(こうはい)戻してくれたという話。 こんなの初めて聞く。
向拝は、建物から出っ張った部分。
この建物で言えば、ここ。⇒



浴室の神。 やわらかな目の表情。



ここを見終わって、次は、高岡古城公園。 駐車場がある。
広い芝生。

全体が、少し高くなっている。 市民の憩いの場になっている。 人が多い。


多くの像がある。


周りは堀。 何ヶ所か、入り込んでいる。

お店もあって、いい感じ。 用事がなくたって、歩いていい。
金沢から遠いこの地に、城が必要と考えたんですね。


無料の小さな動物園。 子供が楽しめる公園かな。

射水(いみず)神社。 左に、立派な梅の木。 咲くと、このように。

別の広場。 像が並んでいる。 像の女性は、姿勢がいい。 この辺りに、本丸があった。


前田利長像。
昔の人は、作ったものの半分を税として取られても、尊敬したんだろうか。

与謝野鉄幹と晶子。 鉄幹の五足の靴を、思い出す。
五足の靴、文学遊歩道。 鬼海浦、岩登り。 下田温泉、五足の足湯。~天草町~ ラ・ノビア 他 (2013/1/29)
晶子の歌の中に、羅津(らじん)とある。 今は羅先(らそん)。 北朝鮮の町。 ここ。⇒

歌に、どうして登場したかが、分からない。 彼女と、何か関係があるのかも、分からない。


噴水。

朝陽の滝。


朝陽橋。


ここで、高岡大仏を思い出して、見に行った。 公園から200㍍。 以前見ている。
お寺は、大仏寺。

入り口の像。 今風。


坐像の高さ、 7m43cm。 分かりやすい造り方の説明は、ネット上にはない。
何段かに分けて作ったと思うんだが。

説明の、焼型重ね吹きの意味が、分からない。
キリークは、像の頭の上に見える。 中に入れる。
鎌を持った男。 上に僧。 仏の力で、助けられるか。



戻ってきた。 駐春橋。 渡らないで、堀の外を歩く。

本丸橋。 遊覧船の乗り場。 船は、このように。


高岡市は、これで、2度目。
他に、まだ見るところがありそう。
富山県には、国宝の建物が3つ。
その3つが、今日見た、瑞龍寺にあった。
【関連ブログ】 銅器鋳物の町、高岡を歩く ~高岡古城公園、高岡大仏、金谷町 高岡市~ 他 (2010/11/6)
【その他】 25日の晩、滑川市の道の駅の隣で、「あかりがナイトin滑川」をやっていた。
写真を紹介。












【今日の歌】 1つのギターを、2人で演奏。
【道の駅】 万葉の里 高岡

【今後の予定】 倶利伽羅峠かな。 さがしています。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
昔、山奥にお婆ちゃんは、捨てられた。
死ぬのはいやだって、生きた人がいた。
山姥は、そのお婆ちゃんかも知れない。
観光地でない所を、歩いてみたい。
道の駅 中条(なかじょう)に、地域の詳しい絵地図があった。
何かがありそう。
道の不安を抱えて、出発。
小さな見所がいっぱいあった。
山姥(やまんば)伝説、不動滝、ハコネサンショウウオ、二十三夜塔、観音堂、他、他。
集落は、虫倉(むしくら)山の斜面にあった。
抱かれるように。
虫倉山の向こうは、鬼女伝説の鬼無里(きなさ)。
山姥は、鬼女とも呼ばれる。
関係あるんだろうか。
信州中条の人々の生活は、都会とは縁のないように見えた。
また、道端にたたずむ、古い石碑や石塔を見ると、
今もまだ、遠い歴史とともに、生きているようにも。
廃校の校舎があった。
校歌の石碑に、都はなれし山里は、とあった。
鬼無里を知らなければ、この文は書けないようにも。
面白い。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
中条は、長野市から白馬に行く道の、途中。

印の場所が、今日行った中心地。 水車小屋があった。
虫倉山の北は、鬼無里(きなさ)。
紅葉(鬼女)伝説 鬼無里 他 (2009/06/20)
鬼無里の紅葉伝説 青鬼集落 ~長野市・白馬村~ 明日、黒部ダムへ 他 (2010/10/30)

中条は、以前は、中条村。 中条の名前は、道の駅の名前で、残った。
道の駅から見た中条地区の、家並み。 左と真ん中方向。

少し、右方向。 今日は、向こうに上がって行く。 虫倉山は、見えない。
この地図を見て、行きたくなった。
赤〇の、左の道を行って、⑥に向かう。

斜面を曲がりながら登った。 停車出来たので、写真。 深い谷。

下の方。 斜面に家。 硬い岩盤の上に、土。 地面が、ずれ易い。

少し走って、ここに。 こんな道。 不安はない。 斜面に家。

大きな谷の、上に出た。 空が広くなった。
家は、谷の斜面にある。 虫倉山に抱(いだ)かれるように。

栃倉(とちくら)の棚田。 収穫は終わった。 標高が高いので、涼しい。 美味しい米が出来る。

水車小屋に着いた。 道の分岐点。
山姥(やまんば)伝説の里、とある。
左にずっと行くと、小川村に入って、少し太い道に出る。 その道を北に行くと、鬼無里(きなさ)。 以前走った。

変わった山姥伝説。 「ととっ毛」という言葉は、この地域でしか使われない。
ここの山姥は、やさしい。
※ 虫倉山の向こうの山姥は、鬼女とよばれて、最後は退治される。
赤〇の所に行く。

※ ととっ毛の「とと」の意味が分からない。 調べても。
想像では、ニワトリの幼児語が「とと」とか「とっと」。
ニワトリの尻尾の毛のようだから、その名前か。 当たってそうな気がする。
左は、同じ話。 右は、別。 たくさん出てくる徳利もいいな。
少し歩いた。 下の方に、さっき見た、栃倉の棚田。
棚田は、先祖が残してくれた、財産。 少なくても、江戸時代にはあった。

向こうから来た。 車が少し見える。
さらに行くと、右の写真。 集落の中心。 戻って車で行く。

移動したら、虫倉山は、このように。 山の手前に、不動滝があるという。
道は細いと、地元の人が。 行けないことないと言うので、行くことに。 対向車はないと決めた。
二十三夜塔が、道端に。

※ 月が、信仰の対象だった。 月に、いろいろ、お願いした。
月は、勢至菩薩の化身であるとも、考えていた。 (勢至菩薩は、冠が大きい)
だから、勢至菩薩の像が、二十三夜塔のそばにあることも。 こんな塔も、たまには。
夕方から、何かをみんなで食べて、月の出るのを待った。
だから、二十三夜待ち。 ※ 考えたら、今日は、23日。
娯楽の少ない時代だから、信仰も、楽しめるものに、したのでしょうね。
月は、至勢菩薩は、集まった人たちを守ってくれた。
地獄に行かないようにも。
少し登ってきて、下を。

左方面。 山の上に向かう。

道は細い。 脱輪しないように、それだけを注意した。
車5台ほどの、駐車場に着いた。 2台、車があった。 きっと、虫倉山への登山。
下に行って、左に不動滝。

ハコネサンショウウオが、いるという。 このサンショウウオだけが、肺がない。 いつも、水の中。
何を飲んだら、ダメなんでしょう。

小さな滝。 落差、10㍍程か。
ハコネサンショウウオを探したが、見つからなかった。

滝の前の道を通って、奥に。 道は、さらに狭くなった。
星のきらめく公園に着いた。 近くに、トイレもある。

少し高い所に、銀河の館。 木が育って、遠くは見えなかった。
ここに泊まって、酒を飲んで、次の日に登山。 楽しそう。
夜には、星を見て。
※ 昨年、大原で、東風さんと夜酒を飲んで、星がきれいだねって空を見た。
足元を見なかった。 1㍍ちょっと暗闇に、落っこちた。 このまま地獄かと、思った。
右足を骨折。 2ヶ月京都で、足止め。
あのお蔭で、より用心深くなった。 臆病ではなく、と自分では思っているが、・・。
クマには、注意している。 地域の放送で、クマが出たとあった。 道にいたら、聞こえた。

戻る途中。 滝の近くに、虫倉山への、登山道。 1時間で着くのかな。
山を下るとき、家の前に、右のを見た。 初めて。

無事に下って、ホッとした。 広福寺に向かう。 途中で、下を撮った。
いい風景。 風景だけでは、飯は食えないと言ったりする人が・・。

赤〇は、左。 黄色の〇は、右。

右下に、駐車場。 上がってきた。 5分ほど、おばあちゃんとお話。
耳が遠かったので、私は、大声。 中央に、おばあちゃん。 畑の帰り。

さらに行くと、見えた。 観音堂みたい。

ここのお家の、男の人とも、お話。 1人暮らしが多いという。 若い人がいないとも。
上の方に、また、二十三夜塔があった。

文政7年とある。 二十三夜待ちは、この頃から、盛んになったよう。
※ 待つは、元々は、仏と一緒という意味だった。 月と一緒ということ。
後に、普通の意味にも。
この年は、1824年。 勝海舟とか、幕末を動かす者たちが、生まれ始める。 龍馬はまだ。

上の写真の右は、全部読める。
文久元 辛酉(かのととり)年
馬頭観世音
六月吉日 願主 定右エ門 ※ 願主は、これを作った人。 石屋でなく。
※ 文久元年は、1861年。 龍馬、27才。 次の年に脱藩。
龍馬は、梼原から韮ヶ峠を越えて、脱藩した。 維新の門、他。~梼原町~ 他 (2014/4/2)
前年の1860年に、桜田門外の変。 こんなの。(映画の一部 出てくる滝は、茨城県の袋田の滝)
広福寺。 小さな観音堂。

ここは、ずっと昔、伊折村だった。

伊折学校発祥の地とある。 この一帯で、最初にできた学校。 明治7年のこと。

像の説明。 分かりにくい。
① 聖観音立像は、右の写真。 端正な顔。 市のHPからお借り。
お堂の中は暗く、像は見えなかった。
② 内刳の読みは、うちぐり。 内側を、刳(えぐ)るように、削り取った。
③ 俯瞰の読みは、ふかん。 俯瞰する眼差しは、見下ろすような視線。
④ 条帛は、じょうはく。 たすきのようにかける、薄い絹の布。 帛(はく)は、絹のこと。
⑤ 衣文は、えもん。 えもんかけの、えもん。
⑥ 煩瑣は、はんさ。 こまごまして、わずらわしいこと。
何とか分かりました。 すっきりとした像ですね。
補修をしたために、室町後期の特徴が薄れた。 壊れた。
それがなければ、重要文化財になりますね。 後に手を加えると、価値が半分以下に。
手に持っているのは、ハスのつぼみでしょうか。

はるか昔から、この地域は、寺が持てるだけの、集落だった。
長い歴史の中で、今が一番、寂しいかもしれない。
この後、地図の右の方に行った。 御山里小学校跡。
御山里の読みは、みやまさ。 里を、「さ」と読ませる。 鬼無里(きなさ)と同じですね。

この学校のスタートは、伊折学校とある。 さっき、寺で見た。 明治7年に。
この場所には、明治36年に。 中学校も一緒になったりして、昭和38年に、御山里小学校。
昭和53年に、閉校。
学校を作ることを決めた「学制」は、明治5年。 2年後に、出来たんですね。
ここの校舎は、見晴らしのいいところに作った。 今は、木が生えたけど。

上の校歌について。
都はなれし山里が、面白い。 信州は、どこの地だって、都から離れている。
だから、当たり前。
でも信州に、離れていると意識した地があった。 となりの、鬼無里。
この地に、中央から、ある女性が流された。
都を懐かしんで、鬼無里には、西京(にしのきょう)など、都の地名がいっぱい。
歌詞の作者は、このことが頭にあって、この表現をしたと思う。 ※ 関連ブログは、上の方に。
6つの教えは、左の石碑に。 つづむればは、約むればと書く。 短くすること。
この校歌の精神を、短く表現すれば、下になりますね。 校訓にしてもいい。 中学の方が合うか。
「凌(しの)げ 虫倉の嶺(みね)」
子供たちの声が、ここからいつも、谷に響いた。
40年前までのこと。
なお、作詞者は、浅井 洌(あさい れつ)という人。
長野県歌「信濃の国」を、作詞している。 長野県人は、誰でも知ってるそう。
この後、下の写真の方に向かうが、停車できるところがない。
道が細く、そのまま山を下りた。 小谷(おたり)村を通って、海に向かった。

※ 行けなかったが、行きたかった所があった。
清兵衛の義民の碑。 浅間山の噴火で、飢饉になった。
村人は、一揆をおこすが、彼は精神的な柱だったよう。
多くが捕まったが、彼だけ、釈放されなかった。
このサイトの、下の方に、彼のことが。
中条地区は、朝早くから、太い道は車、細い道は歩く、そうすればちゃんと見られそう。
バイクがあれば、なおいいか。
見所は、まだまだありそう。 いつの日か。
この地域は、テレビとだけ、今の時代とつながってる。
おおげさだが、そんな感じが。
それが、私は、いやではない。
旅が飽きたら、こんな所に住んでみるか。
(無理、無理って声が、聞こえてくる。・・・。)
【その他】 この日の朝は、須坂の動物園の駐車場で、東風さんと別れた。
たくさん、お世話になった。 来月、また、京都で会う。
【ブログ紹介】
姨捨の棚田。 田毎の月。 姨捨伝説。~千曲市~ 他 (2013/7/4)
雨の似合う、雨飾山に登る ~小谷村~ 他 (2011/7/11)
雨飾温泉露天風呂 鎌池・鉈池 ~小谷村~ 明日、雨飾山へ 他 (2011/7/10)
【今日の歌】 鬼無里の道 西島三重子
【道の駅】 越後市振の関
23日の晩は、親不知の道の駅。 山の中は寒いので、海に出た。
山の陰なので、朝になっても、お日様が出てこない。
市振の関に移動した。

ここの名物は、たら汁定食。 晩に、食べた。
モンベルのカードがあったら、100円引き。 美味しい。 働く人の感じも好き。

朝、目玉焼きを作った。 小さな卵なので、2つ。 1つの卵に、黄身が2つ。
いいことありそう。 少し前、道の駅で買った卵。

【今後の予定】 高岡市かな。
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死ぬのはいやだって、生きた人がいた。
山姥は、そのお婆ちゃんかも知れない。
観光地でない所を、歩いてみたい。
道の駅 中条(なかじょう)に、地域の詳しい絵地図があった。
何かがありそう。
道の不安を抱えて、出発。
小さな見所がいっぱいあった。
山姥(やまんば)伝説、不動滝、ハコネサンショウウオ、二十三夜塔、観音堂、他、他。
集落は、虫倉(むしくら)山の斜面にあった。
抱かれるように。
虫倉山の向こうは、鬼女伝説の鬼無里(きなさ)。
山姥は、鬼女とも呼ばれる。
関係あるんだろうか。
信州中条の人々の生活は、都会とは縁のないように見えた。
また、道端にたたずむ、古い石碑や石塔を見ると、
今もまだ、遠い歴史とともに、生きているようにも。
廃校の校舎があった。
校歌の石碑に、都はなれし山里は、とあった。
鬼無里を知らなければ、この文は書けないようにも。
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中条は、長野市から白馬に行く道の、途中。

印の場所が、今日行った中心地。 水車小屋があった。
虫倉山の北は、鬼無里(きなさ)。
紅葉(鬼女)伝説 鬼無里 他 (2009/06/20)
鬼無里の紅葉伝説 青鬼集落 ~長野市・白馬村~ 明日、黒部ダムへ 他 (2010/10/30)


中条は、以前は、中条村。 中条の名前は、道の駅の名前で、残った。
道の駅から見た中条地区の、家並み。 左と真ん中方向。


少し、右方向。 今日は、向こうに上がって行く。 虫倉山は、見えない。
この地図を見て、行きたくなった。
赤〇の、左の道を行って、⑥に向かう。


斜面を曲がりながら登った。 停車出来たので、写真。 深い谷。

下の方。 斜面に家。 硬い岩盤の上に、土。 地面が、ずれ易い。

少し走って、ここに。 こんな道。 不安はない。 斜面に家。

大きな谷の、上に出た。 空が広くなった。
家は、谷の斜面にある。 虫倉山に抱(いだ)かれるように。

栃倉(とちくら)の棚田。 収穫は終わった。 標高が高いので、涼しい。 美味しい米が出来る。

水車小屋に着いた。 道の分岐点。
山姥(やまんば)伝説の里、とある。
左にずっと行くと、小川村に入って、少し太い道に出る。 その道を北に行くと、鬼無里(きなさ)。 以前走った。


変わった山姥伝説。 「ととっ毛」という言葉は、この地域でしか使われない。
ここの山姥は、やさしい。
※ 虫倉山の向こうの山姥は、鬼女とよばれて、最後は退治される。
赤〇の所に行く。


※ ととっ毛の「とと」の意味が分からない。 調べても。
想像では、ニワトリの幼児語が「とと」とか「とっと」。
ニワトリの尻尾の毛のようだから、その名前か。 当たってそうな気がする。
左は、同じ話。 右は、別。 たくさん出てくる徳利もいいな。


少し歩いた。 下の方に、さっき見た、栃倉の棚田。
棚田は、先祖が残してくれた、財産。 少なくても、江戸時代にはあった。

向こうから来た。 車が少し見える。
さらに行くと、右の写真。 集落の中心。 戻って車で行く。


移動したら、虫倉山は、このように。 山の手前に、不動滝があるという。
道は細いと、地元の人が。 行けないことないと言うので、行くことに。 対向車はないと決めた。
二十三夜塔が、道端に。


※ 月が、信仰の対象だった。 月に、いろいろ、お願いした。
月は、勢至菩薩の化身であるとも、考えていた。 (勢至菩薩は、冠が大きい)
だから、勢至菩薩の像が、二十三夜塔のそばにあることも。 こんな塔も、たまには。
夕方から、何かをみんなで食べて、月の出るのを待った。
だから、二十三夜待ち。 ※ 考えたら、今日は、23日。
娯楽の少ない時代だから、信仰も、楽しめるものに、したのでしょうね。
月は、至勢菩薩は、集まった人たちを守ってくれた。
地獄に行かないようにも。
少し登ってきて、下を。

左方面。 山の上に向かう。


道は細い。 脱輪しないように、それだけを注意した。
車5台ほどの、駐車場に着いた。 2台、車があった。 きっと、虫倉山への登山。
下に行って、左に不動滝。

ハコネサンショウウオが、いるという。 このサンショウウオだけが、肺がない。 いつも、水の中。
何を飲んだら、ダメなんでしょう。

小さな滝。 落差、10㍍程か。
ハコネサンショウウオを探したが、見つからなかった。


滝の前の道を通って、奥に。 道は、さらに狭くなった。
星のきらめく公園に着いた。 近くに、トイレもある。

少し高い所に、銀河の館。 木が育って、遠くは見えなかった。
ここに泊まって、酒を飲んで、次の日に登山。 楽しそう。
夜には、星を見て。
※ 昨年、大原で、東風さんと夜酒を飲んで、星がきれいだねって空を見た。
足元を見なかった。 1㍍ちょっと暗闇に、落っこちた。 このまま地獄かと、思った。
右足を骨折。 2ヶ月京都で、足止め。
あのお蔭で、より用心深くなった。 臆病ではなく、と自分では思っているが、・・。
クマには、注意している。 地域の放送で、クマが出たとあった。 道にいたら、聞こえた。


戻る途中。 滝の近くに、虫倉山への、登山道。 1時間で着くのかな。
山を下るとき、家の前に、右のを見た。 初めて。


無事に下って、ホッとした。 広福寺に向かう。 途中で、下を撮った。
いい風景。 風景だけでは、飯は食えないと言ったりする人が・・。

赤〇は、左。 黄色の〇は、右。


右下に、駐車場。 上がってきた。 5分ほど、おばあちゃんとお話。
耳が遠かったので、私は、大声。 中央に、おばあちゃん。 畑の帰り。

さらに行くと、見えた。 観音堂みたい。

ここのお家の、男の人とも、お話。 1人暮らしが多いという。 若い人がいないとも。
上の方に、また、二十三夜塔があった。

文政7年とある。 二十三夜待ちは、この頃から、盛んになったよう。
※ 待つは、元々は、仏と一緒という意味だった。 月と一緒ということ。
後に、普通の意味にも。
この年は、1824年。 勝海舟とか、幕末を動かす者たちが、生まれ始める。 龍馬はまだ。


上の写真の右は、全部読める。
文久元 辛酉(かのととり)年
馬頭観世音
六月吉日 願主 定右エ門 ※ 願主は、これを作った人。 石屋でなく。
※ 文久元年は、1861年。 龍馬、27才。 次の年に脱藩。
龍馬は、梼原から韮ヶ峠を越えて、脱藩した。 維新の門、他。~梼原町~ 他 (2014/4/2)
前年の1860年に、桜田門外の変。 こんなの。(映画の一部 出てくる滝は、茨城県の袋田の滝)
広福寺。 小さな観音堂。

ここは、ずっと昔、伊折村だった。


伊折学校発祥の地とある。 この一帯で、最初にできた学校。 明治7年のこと。


像の説明。 分かりにくい。
① 聖観音立像は、右の写真。 端正な顔。 市のHPからお借り。
お堂の中は暗く、像は見えなかった。
② 内刳の読みは、うちぐり。 内側を、刳(えぐ)るように、削り取った。
③ 俯瞰の読みは、ふかん。 俯瞰する眼差しは、見下ろすような視線。
④ 条帛は、じょうはく。 たすきのようにかける、薄い絹の布。 帛(はく)は、絹のこと。
⑤ 衣文は、えもん。 えもんかけの、えもん。
⑥ 煩瑣は、はんさ。 こまごまして、わずらわしいこと。
何とか分かりました。 すっきりとした像ですね。
補修をしたために、室町後期の特徴が薄れた。 壊れた。
それがなければ、重要文化財になりますね。 後に手を加えると、価値が半分以下に。
手に持っているのは、ハスのつぼみでしょうか。


はるか昔から、この地域は、寺が持てるだけの、集落だった。
長い歴史の中で、今が一番、寂しいかもしれない。
この後、地図の右の方に行った。 御山里小学校跡。
御山里の読みは、みやまさ。 里を、「さ」と読ませる。 鬼無里(きなさ)と同じですね。


この学校のスタートは、伊折学校とある。 さっき、寺で見た。 明治7年に。
この場所には、明治36年に。 中学校も一緒になったりして、昭和38年に、御山里小学校。
昭和53年に、閉校。
学校を作ることを決めた「学制」は、明治5年。 2年後に、出来たんですね。
ここの校舎は、見晴らしのいいところに作った。 今は、木が生えたけど。


上の校歌について。
都はなれし山里が、面白い。 信州は、どこの地だって、都から離れている。
だから、当たり前。
でも信州に、離れていると意識した地があった。 となりの、鬼無里。
この地に、中央から、ある女性が流された。
都を懐かしんで、鬼無里には、西京(にしのきょう)など、都の地名がいっぱい。
歌詞の作者は、このことが頭にあって、この表現をしたと思う。 ※ 関連ブログは、上の方に。
6つの教えは、左の石碑に。 つづむればは、約むればと書く。 短くすること。
この校歌の精神を、短く表現すれば、下になりますね。 校訓にしてもいい。 中学の方が合うか。
「凌(しの)げ 虫倉の嶺(みね)」
子供たちの声が、ここからいつも、谷に響いた。
40年前までのこと。
なお、作詞者は、浅井 洌(あさい れつ)という人。
長野県歌「信濃の国」を、作詞している。 長野県人は、誰でも知ってるそう。
この後、下の写真の方に向かうが、停車できるところがない。
道が細く、そのまま山を下りた。 小谷(おたり)村を通って、海に向かった。

※ 行けなかったが、行きたかった所があった。
清兵衛の義民の碑。 浅間山の噴火で、飢饉になった。
村人は、一揆をおこすが、彼は精神的な柱だったよう。
多くが捕まったが、彼だけ、釈放されなかった。
このサイトの、下の方に、彼のことが。
中条地区は、朝早くから、太い道は車、細い道は歩く、そうすればちゃんと見られそう。
バイクがあれば、なおいいか。
見所は、まだまだありそう。 いつの日か。
この地域は、テレビとだけ、今の時代とつながってる。
おおげさだが、そんな感じが。
それが、私は、いやではない。
旅が飽きたら、こんな所に住んでみるか。
(無理、無理って声が、聞こえてくる。・・・。)
【その他】 この日の朝は、須坂の動物園の駐車場で、東風さんと別れた。
たくさん、お世話になった。 来月、また、京都で会う。
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姨捨の棚田。 田毎の月。 姨捨伝説。~千曲市~ 他 (2013/7/4)
雨の似合う、雨飾山に登る ~小谷村~ 他 (2011/7/11)
雨飾温泉露天風呂 鎌池・鉈池 ~小谷村~ 明日、雨飾山へ 他 (2011/7/10)
【今日の歌】 鬼無里の道 西島三重子
【道の駅】 越後市振の関
23日の晩は、親不知の道の駅。 山の中は寒いので、海に出た。
山の陰なので、朝になっても、お日様が出てこない。
市振の関に移動した。


ここの名物は、たら汁定食。 晩に、食べた。
モンベルのカードがあったら、100円引き。 美味しい。 働く人の感じも好き。



朝、目玉焼きを作った。 小さな卵なので、2つ。 1つの卵に、黄身が2つ。
いいことありそう。 少し前、道の駅で買った卵。

【今後の予定】 高岡市かな。
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【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
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温泉に入る気持ちよさは、人もサルも、一緒のよう。
サルの顔を見たら、それが分かった。
サルが入る露天風呂は、地獄谷温泉の奥にあった。
駐車場から、30分ほど歩いて。
東風さんが、面白い所があると、連れて行ってくれた。
少し下った、湯田中温泉を歩いた。
昔ながらの温泉街。
改革に無関心なら、直ぐに取り残される。
もう、手遅かも知れないって、感じた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
長野県のずっと北にいる。 千曲川は、新潟県に入ったら、信濃川。

志賀高原が近い。 昔ほど、今の人はスキーをしない。
そのことも、温泉街に影響を与えたよう。

向こうから上がってきた。 今日も、東風さんのジムニーで。 私の車は、BSのアンテナの修理中。
店の下に、公共駐車場。 無料。 ここは、店の駐車場。
帰りに何か食べることにして、ここに駐車。
お店のママさんという感じの人と、少しおしゃべり。
この店のラーメン、最近テレビに出たよねって、東風さんとママさんが、会話。

ここから、1.6㌔。 近くに有料の駐車場があるって、後で知る。

このくらいなら、歩く方が楽しい。 サルがいた。
人に全く関心を示さない。 逃げないし、こっちを見ない。 こんな動物って、他に知らない。
人との関わりの中で、こうなったのか。

地獄谷温泉に着いた。

温泉が噴き出していたので、行ってみた。
※ 説明の中の「ひん岩」は、今は使われないそう。 火山活動で生まれる、火成岩の一種だそう。
岩漿は、がんしょうと読んで、マグマのこと。(Wikipedia)
長野県は、列島の中で、特に火山活動が活発。 地殻変動が激しい。 それで、高い山が多い。
この一帯は、マグマが、地表面に近づいている。

野猿公苑は、少し奥に。

入苑料500円を払った。 美しい谷。

露天風呂がある。 サルが入っている。 檻(おり)がないから、野猿ですね。
160頭ほどの、1つの群れ。

こんなに毛深くて、猛暑の時は、どうするんだろう。
傘がじゃまだからここにかけた。 子ザルがすぐにやってきた。 置いとけない。

160頭みんなは、入らない。 入るのは、50~60頭。 3分の1。 湯温、41度。

混浴だけど、入るのは、メスと子供だそう。 極楽っていう表情。

水を飲んでいる。 子ザルは、泳いだりもぐったり。
子ザルは、好奇心旺盛。
子ザルが、温泉の露天風呂に入ったのを見て、この風呂を思いついた。

いっつも、毛づくろいをする。 爪の形が、人間に似ている。

管理している人には、顔の形がみんな違って見えるという。

子ザルの顔は、人間のおじいさんの顔に・・。

この子ザルも、これから、20数年生きる。

湯冷めはしない。 毛の奥までは、お湯が入らないそう。

少しの、虫歯。 磨かない割には、いい歯。

温泉に入らないサルは、崖のあちこちに。
夜は山に戻る。 その日その日、寝る場所は違う。

こんな注意が。 失礼な表現がある。 そのことに、きっと、気づいていない。

子ザルを背に、川を跳んだ。

もし、子ザルを落としたら、どうやって助けるのだろう。 子ザルは、泳ぐか。

一度休憩所に、戻った。 谷の奥に、霧が出た。

エサやりがあると知って、戻った。 エサは、オオムギ。

温泉の中にも、ばらまいた。

お腹いっぱい食べるのは、大変。
手は、交互に。 エサをもらえるから、サルはやってくる。
湯田中温泉を歩くことに。 車は、廃屋の前の空き地に。
梅翁寺(ばいおうじ)。
小林一茶ゆかりの寺のよう。 雪深い、温泉地。

感じのいいところを撮りながら、東風さんと歩いた。 人はいない。
閉鎖している旅館や店も。

公衆浴場があるけど、地元の人と、宿泊客でないと、入れないよう。

古い湯田中温泉駅。 使ってる駅は、線路を挟んで、反対側に。
ここは、長野線の終点駅。 長野駅から、ここまで。 私鉄。
東風さんが、ここを走る電車は、東京の方から来ていると。 池上線かも、と。

※ 調べてみたら、この電車は、東京メトロと呼ばれる、東京地下鉄から買ったものだった。
1993年のことで、長野オリンピックの5年前。
池上線の電車については、最後に。
駅そばの、湯田中温泉の入り口。

隣の渋温泉も見ようかと行ったが、駐車場が有料だったので、歩くのは止めに。
※ 車では、通って見た。 湯田中温泉よりは、少しいいかな。

※ 人が集まる温泉地には、共通の取り組みがある。
若い人が来やすいように。 日帰り客を大事に。 無料駐車場。 歩いて楽しい温泉街。
安く入れる、温泉。
若い人に気に入ってもらえたら、いつの日か、宿泊で来るのが期待できる。
若い人が離れたら、今の利益だけを考えたら、将来は期待できない。
先日行った山田温泉は、上手だなって感じた。 小さな温泉地なのに。
木島平村の、馬曲(まぐせ)温泉もいい。 最後に紹介。
全国的な見本は、黒川温泉、湯布院温泉、草津温泉、など。
改革を考える温泉地は、そこを見学に行って、学ぶ。
野猿公苑のサルは、冬にも温泉に入る。 寒い冬の方が、好きなよう。
スノーモンキーと呼ばれる。
あのサルたちは、あそこで暮らすから、人家には下りないという。
そんなプラスもあるよう。
【その他①】 温泉に入るサルは、野猿公苑が世界で唯一とかの表現が、ネット上にある。
でも間違い。 函館の植物園のサルが、冬に温泉に入る。
秋に寄った時には、まだ入っていなかったが。
【ブログ紹介】 今日の近くの。
外湯文化が息づく、情緒あふれる湯の町、野沢温泉。~野沢温泉村~ 他 (2012/10/28)
昭和の花嫁ちょうちん行列 (馬曲温泉開湯30周年記念)~木島平村~ 阿弥陀堂 他 (2012/10/27)
中山晋平記念館 ~信州 中野市~ 他 (2011/7/14)
北斎ゆかりの町 信州小布施 ~小布施町(おぶせまち)~ 他 (2010/10/27)
蔵造りの白壁の町並み、信州須坂を歩く。 忠治地蔵。~須坂市~ 他 (2010/10/26)
秋山郷最奥の切明で、アッカムイの足湯に入る。~栄村、津南町~ 他 (2010/10/26)
朧月夜が生まれた町 無料掛け流し温泉 他 (2009/06/21)
【今日の歌】 池上線 西島三重子
※ 池上線は、東急池上線。
上の歌は、1976年に発売。 この頃走っていた、池上線の電車は、下の。
東急3000系と呼ばれる。 あと10年ちょっとで、使われなくなる。
だから、当時は、古い電車。 隙間風が入っても、おかしくない。

【停泊場所】 動物園横の、駐車場。
【その他2】 BSのアンテナは直った。 電気がうまく流れていなかった。
【明日の予定】 須坂を離れます。 富山県に向かいます。 途中どこかに寄って。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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サルの顔を見たら、それが分かった。
サルが入る露天風呂は、地獄谷温泉の奥にあった。
駐車場から、30分ほど歩いて。
東風さんが、面白い所があると、連れて行ってくれた。
少し下った、湯田中温泉を歩いた。
昔ながらの温泉街。
改革に無関心なら、直ぐに取り残される。
もう、手遅かも知れないって、感じた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

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長野県のずっと北にいる。 千曲川は、新潟県に入ったら、信濃川。

志賀高原が近い。 昔ほど、今の人はスキーをしない。
そのことも、温泉街に影響を与えたよう。

向こうから上がってきた。 今日も、東風さんのジムニーで。 私の車は、BSのアンテナの修理中。
店の下に、公共駐車場。 無料。 ここは、店の駐車場。
帰りに何か食べることにして、ここに駐車。
お店のママさんという感じの人と、少しおしゃべり。
この店のラーメン、最近テレビに出たよねって、東風さんとママさんが、会話。

ここから、1.6㌔。 近くに有料の駐車場があるって、後で知る。

このくらいなら、歩く方が楽しい。 サルがいた。
人に全く関心を示さない。 逃げないし、こっちを見ない。 こんな動物って、他に知らない。
人との関わりの中で、こうなったのか。


地獄谷温泉に着いた。

温泉が噴き出していたので、行ってみた。
※ 説明の中の「ひん岩」は、今は使われないそう。 火山活動で生まれる、火成岩の一種だそう。
岩漿は、がんしょうと読んで、マグマのこと。(Wikipedia)
長野県は、列島の中で、特に火山活動が活発。 地殻変動が激しい。 それで、高い山が多い。
この一帯は、マグマが、地表面に近づいている。


野猿公苑は、少し奥に。

入苑料500円を払った。 美しい谷。

露天風呂がある。 サルが入っている。 檻(おり)がないから、野猿ですね。
160頭ほどの、1つの群れ。


こんなに毛深くて、猛暑の時は、どうするんだろう。
傘がじゃまだからここにかけた。 子ザルがすぐにやってきた。 置いとけない。


160頭みんなは、入らない。 入るのは、50~60頭。 3分の1。 湯温、41度。

混浴だけど、入るのは、メスと子供だそう。 極楽っていう表情。


水を飲んでいる。 子ザルは、泳いだりもぐったり。
子ザルは、好奇心旺盛。
子ザルが、温泉の露天風呂に入ったのを見て、この風呂を思いついた。


いっつも、毛づくろいをする。 爪の形が、人間に似ている。


管理している人には、顔の形がみんな違って見えるという。

子ザルの顔は、人間のおじいさんの顔に・・。


この子ザルも、これから、20数年生きる。


湯冷めはしない。 毛の奥までは、お湯が入らないそう。

少しの、虫歯。 磨かない割には、いい歯。


温泉に入らないサルは、崖のあちこちに。
夜は山に戻る。 その日その日、寝る場所は違う。


こんな注意が。 失礼な表現がある。 そのことに、きっと、気づいていない。

子ザルを背に、川を跳んだ。


もし、子ザルを落としたら、どうやって助けるのだろう。 子ザルは、泳ぐか。


一度休憩所に、戻った。 谷の奥に、霧が出た。

エサやりがあると知って、戻った。 エサは、オオムギ。

温泉の中にも、ばらまいた。

お腹いっぱい食べるのは、大変。
手は、交互に。 エサをもらえるから、サルはやってくる。
湯田中温泉を歩くことに。 車は、廃屋の前の空き地に。
梅翁寺(ばいおうじ)。
小林一茶ゆかりの寺のよう。 雪深い、温泉地。



感じのいいところを撮りながら、東風さんと歩いた。 人はいない。
閉鎖している旅館や店も。

公衆浴場があるけど、地元の人と、宿泊客でないと、入れないよう。


古い湯田中温泉駅。 使ってる駅は、線路を挟んで、反対側に。
ここは、長野線の終点駅。 長野駅から、ここまで。 私鉄。
東風さんが、ここを走る電車は、東京の方から来ていると。 池上線かも、と。


※ 調べてみたら、この電車は、東京メトロと呼ばれる、東京地下鉄から買ったものだった。
1993年のことで、長野オリンピックの5年前。
池上線の電車については、最後に。
駅そばの、湯田中温泉の入り口。

隣の渋温泉も見ようかと行ったが、駐車場が有料だったので、歩くのは止めに。
※ 車では、通って見た。 湯田中温泉よりは、少しいいかな。

※ 人が集まる温泉地には、共通の取り組みがある。
若い人が来やすいように。 日帰り客を大事に。 無料駐車場。 歩いて楽しい温泉街。
安く入れる、温泉。
若い人に気に入ってもらえたら、いつの日か、宿泊で来るのが期待できる。
若い人が離れたら、今の利益だけを考えたら、将来は期待できない。
先日行った山田温泉は、上手だなって感じた。 小さな温泉地なのに。
木島平村の、馬曲(まぐせ)温泉もいい。 最後に紹介。
全国的な見本は、黒川温泉、湯布院温泉、草津温泉、など。
改革を考える温泉地は、そこを見学に行って、学ぶ。
野猿公苑のサルは、冬にも温泉に入る。 寒い冬の方が、好きなよう。
スノーモンキーと呼ばれる。
あのサルたちは、あそこで暮らすから、人家には下りないという。
そんなプラスもあるよう。
【その他①】 温泉に入るサルは、野猿公苑が世界で唯一とかの表現が、ネット上にある。
でも間違い。 函館の植物園のサルが、冬に温泉に入る。
秋に寄った時には、まだ入っていなかったが。
【ブログ紹介】 今日の近くの。
外湯文化が息づく、情緒あふれる湯の町、野沢温泉。~野沢温泉村~ 他 (2012/10/28)
昭和の花嫁ちょうちん行列 (馬曲温泉開湯30周年記念)~木島平村~ 阿弥陀堂 他 (2012/10/27)
中山晋平記念館 ~信州 中野市~ 他 (2011/7/14)
北斎ゆかりの町 信州小布施 ~小布施町(おぶせまち)~ 他 (2010/10/27)
蔵造りの白壁の町並み、信州須坂を歩く。 忠治地蔵。~須坂市~ 他 (2010/10/26)
秋山郷最奥の切明で、アッカムイの足湯に入る。~栄村、津南町~ 他 (2010/10/26)
朧月夜が生まれた町 無料掛け流し温泉 他 (2009/06/21)
【今日の歌】 池上線 西島三重子
※ 池上線は、東急池上線。
上の歌は、1976年に発売。 この頃走っていた、池上線の電車は、下の。
東急3000系と呼ばれる。 あと10年ちょっとで、使われなくなる。
だから、当時は、古い電車。 隙間風が入っても、おかしくない。

【停泊場所】 動物園横の、駐車場。
【その他2】 BSのアンテナは直った。 電気がうまく流れていなかった。
【明日の予定】 須坂を離れます。 富山県に向かいます。 途中どこかに寄って。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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