1年が終わります。
※ お酒を飲みながら、少しずつ書きますね。
夏の北海道を歩いていたのは、ずっと前なのに、少し前。
1年が、駈足。
奥秩父の、むつばあちゃんの言葉を思い出す。
「人生なんか、あっという間。」
むつばあちゃんの、太田部楢尾 他 (2009/10/21)
正月は早く来なくていい。
そう思うようになってから、なおさら早い。
こんな調子だから、むつばあちゃんの言葉。
年末に風邪をひいて、今日久しぶりに、普通の食事。
味噌汁を作って、納豆。
これが、一番おいしい。
大晦日の御馳走は、刺身と焼肉。
刺身を途中まで食べたら、満足。
※ テレビは、BSで、間宮海峡と辻井伸行の演奏を。

今年1年の、いくつかを紹介しますね。
多良岳は、信仰と花の山だった。 金泉寺。 マンサクの花。~諫早市~ 他 (2014/3/8)
第61回けしけし祭。 青木繁が好きだった、兜山(けしけし山)の頂上で。~久留米市~ 他 (2014/3/23)
伊島は、四国最東端の島。 イシマササユリ。 カベヘラ 他。~阿南市~ 他 (2014/4/11)
龍馬脱藩の道、茶や谷から、韮ヶ峠までを歩く。 迷いそうな、6㌔の道。~梼原町~ 他 (2014/4/3)
第4回オールドカー in K'z ROAD。 往年の名車が、春野に集まる。~浜松市~ 他 (2014/5/25)
竹生島は、信仰と歴史の島だった。 宝厳寺。 面向不背の玉。~長浜市~ 他 (2014/5/3)
タウシュベツ川橋梁は、士幌線の歴史の面影か。 朽ちるままに。~上士幌町~ 他 (2014/7/8)
ウトロから根室まで。 知床五湖、羅臼、熊の湯、野付半島、他。~羅臼町他~ 他 (2014/7/22)
長島町のみなさん、花と動物園を楽しむ。 他に、就実の丘と夜の美瑛駅。~美瑛町他~ 他 (2014/7/26)
沼の原湿原は、大雪連峰の奥深くに。 目の前に、トムラウシ。~上川町~ 他 (2014/8/28)
八戸市、長横町れんさ街 「山き」に、再び。 旅人と地元の人が、肩を並べて。~八戸市~ 他 (2014/9/30)
※ 1月14日 BS11 よる10:00~「ふらり旅」で、山きが紹介されます。
南禅寺塔頭、光雲寺の庭。 江(ごう)の5女、東福門院和子(まさこ)の菩提寺。~京都市~ 他 (2014/11/20)
(上のブログに、写真を載せ終わっていない。 来年、まずしなければならないこと)
地獄谷野猿公苑のサルは、露天風呂で湯ったり。 地獄谷噴泉。 湯田中温泉。~山ノ内町~ 他 (2014/10/21)
忘れてるのが、ありそうです。
来年こそはと思っていることを、少しだけ書きますね。
① 未知の所を見つけて行く。
② 今より、少しでも、切れ味のいい文を。
③ 時々、句を載せる。 今年こそは。
④ ブログの点検方法を決める。
(悪口を言ってないか。 ユーモアがどこかにあるか。 自分勝手でないか。 迷惑かかっていないか、など)
③ 体重を57㌔にする。(あと、2.5㌔)
④ 毎日運動。 メニューを決めて。
⑤ 規則正しい食事。
⑥ 10日に1度は、山に。
※ ③~⑤によって、レベルの高い山に登りたい。
筋肉を元に戻して、さらに。
⑦ 毎日酒を飲まない。 ひとりで飲まない。
禁酒できたら一番。
(健康と、時間のため)
書いた方が、自分を縛ることになって、少しでもいいかなと。
大事な1年が、明日から、始まります。
明日は、早く起きます。
【ありがとう】 今年の、最終ランキングが、国内も全体も、1位で終わりました。
旅行全体のブログの登録は、22127人です。
こんな日が来るとは、思ってもいませんでした。
感謝です。
ありがとうございます。
【今日の曲】 Nobuyuki Tsujii - La Campanella - BBC Proms 2013 辻井伸行
【道の駅】 喜入
※ すぐそばに、石油備蓄基地があります。
日本最大。 ENEOS です。
原油735万㌔㍑。 日本の、2週間分。(石油とか、ガソリン)

※ ENEOSは、石油元売りで、日本で1位。
2位は、出光。 最初にタンカーで輸入したのは、出光。 これには、ドラマが。
門司港レトロさんぽ。 夜景も。 日章丸事件。 カボチャドキヤ国立美術館。~北九市門司区~ 他 (2014/11/29)
【明日の予定】 少し北に動きます。 新しい年の、旅のスタート。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
※ お酒を飲みながら、少しずつ書きますね。
夏の北海道を歩いていたのは、ずっと前なのに、少し前。
1年が、駈足。
奥秩父の、むつばあちゃんの言葉を思い出す。
「人生なんか、あっという間。」
むつばあちゃんの、太田部楢尾 他 (2009/10/21)
正月は早く来なくていい。
そう思うようになってから、なおさら早い。
こんな調子だから、むつばあちゃんの言葉。
年末に風邪をひいて、今日久しぶりに、普通の食事。
味噌汁を作って、納豆。
これが、一番おいしい。
大晦日の御馳走は、刺身と焼肉。
刺身を途中まで食べたら、満足。
※ テレビは、BSで、間宮海峡と辻井伸行の演奏を。

今年1年の、いくつかを紹介しますね。
多良岳は、信仰と花の山だった。 金泉寺。 マンサクの花。~諫早市~ 他 (2014/3/8)
第61回けしけし祭。 青木繁が好きだった、兜山(けしけし山)の頂上で。~久留米市~ 他 (2014/3/23)
伊島は、四国最東端の島。 イシマササユリ。 カベヘラ 他。~阿南市~ 他 (2014/4/11)
龍馬脱藩の道、茶や谷から、韮ヶ峠までを歩く。 迷いそうな、6㌔の道。~梼原町~ 他 (2014/4/3)
第4回オールドカー in K'z ROAD。 往年の名車が、春野に集まる。~浜松市~ 他 (2014/5/25)
竹生島は、信仰と歴史の島だった。 宝厳寺。 面向不背の玉。~長浜市~ 他 (2014/5/3)
タウシュベツ川橋梁は、士幌線の歴史の面影か。 朽ちるままに。~上士幌町~ 他 (2014/7/8)
ウトロから根室まで。 知床五湖、羅臼、熊の湯、野付半島、他。~羅臼町他~ 他 (2014/7/22)
長島町のみなさん、花と動物園を楽しむ。 他に、就実の丘と夜の美瑛駅。~美瑛町他~ 他 (2014/7/26)
沼の原湿原は、大雪連峰の奥深くに。 目の前に、トムラウシ。~上川町~ 他 (2014/8/28)
八戸市、長横町れんさ街 「山き」に、再び。 旅人と地元の人が、肩を並べて。~八戸市~ 他 (2014/9/30)
※ 1月14日 BS11 よる10:00~「ふらり旅」で、山きが紹介されます。
南禅寺塔頭、光雲寺の庭。 江(ごう)の5女、東福門院和子(まさこ)の菩提寺。~京都市~ 他 (2014/11/20)
(上のブログに、写真を載せ終わっていない。 来年、まずしなければならないこと)
地獄谷野猿公苑のサルは、露天風呂で湯ったり。 地獄谷噴泉。 湯田中温泉。~山ノ内町~ 他 (2014/10/21)
忘れてるのが、ありそうです。
来年こそはと思っていることを、少しだけ書きますね。
① 未知の所を見つけて行く。
② 今より、少しでも、切れ味のいい文を。
③ 時々、句を載せる。 今年こそは。
④ ブログの点検方法を決める。
(悪口を言ってないか。 ユーモアがどこかにあるか。 自分勝手でないか。 迷惑かかっていないか、など)
③ 体重を57㌔にする。(あと、2.5㌔)
④ 毎日運動。 メニューを決めて。
⑤ 規則正しい食事。
⑥ 10日に1度は、山に。
※ ③~⑤によって、レベルの高い山に登りたい。
筋肉を元に戻して、さらに。
⑦ 毎日酒を飲まない。 ひとりで飲まない。
禁酒できたら一番。
(健康と、時間のため)
書いた方が、自分を縛ることになって、少しでもいいかなと。
大事な1年が、明日から、始まります。
明日は、早く起きます。
【ありがとう】 今年の、最終ランキングが、国内も全体も、1位で終わりました。
旅行全体のブログの登録は、22127人です。
こんな日が来るとは、思ってもいませんでした。
感謝です。
ありがとうございます。
【今日の曲】 Nobuyuki Tsujii - La Campanella - BBC Proms 2013 辻井伸行
【道の駅】 喜入
※ すぐそばに、石油備蓄基地があります。
日本最大。 ENEOS です。
原油735万㌔㍑。 日本の、2週間分。(石油とか、ガソリン)


※ ENEOSは、石油元売りで、日本で1位。
2位は、出光。 最初にタンカーで輸入したのは、出光。 これには、ドラマが。
門司港レトロさんぽ。 夜景も。 日章丸事件。 カボチャドキヤ国立美術館。~北九市門司区~ 他 (2014/11/29)
【明日の予定】 少し北に動きます。 新しい年の、旅のスタート。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
先日紹介した小松帯刀は、喜入肝付家の子として、鹿児島の屋敷で生まれた。
※ こまつたてわき。 きいれ きもつき。
喜入が領地だから、喜入で暮らすことも多かった。
暮らした建物は、肝付家仮屋。 ※ きもつきけ かりや
今は、そこに、小学校が建っていた。
仮屋跡一帯は、喜入麓と呼ばれる、武家屋敷通り。
昔の名残の道を、歩いてみた。
いろんなものに出会いながら、最後は、病院に行ってきた。
薬が無くなったので。
今年は、あと2日。
体調は戻ってきたので、何とか、ソバを食べて酒が飲めそう。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
喜入には、道の駅。 300円の温泉がある。 近くに、スーパーも。
2年前に風邪を引いた時も、ここで治した。
左の地図に、根占(ねじめ)とある。 禰寝(ねじめ)と同じ。
江戸時代前に、禰寝氏は、先日紹介した、薩摩半島の西の吉利に移った。
江戸時代の中頃に、小松氏に変名。 ※ 理由は、後で追加。
喜入肝付家で生まれた小松帯刀は、上の小松家に養子に行っていた。
小松帯刀の墓。 帯刀(たてわき)は、薩長連合で活躍。 小松氏は禰寝氏でも・・。~日置市~ 他 (2014/12/24)
肝付(きもつき)も、見える。
分家が、江戸時代前に喜入に来た。 喜入肝付家になった。
そんなことで、ちょっと、ごちゃごちゃ。

温泉とかの施設を、道の駅にもした。 駐車場は、左奥。

さあ出発。 川は、八幡川。 右の方を行く。

道の駅には、地図はなかった。 役場は休み。
適当に歩いて、小学校に着いた。

一帯が、喜入麓。 武家屋敷が集まっていた。 今も、それなりに。
上の写真の、右の家の門。

小学校の石垣。

積み方が、2種類。

喜入小学校の正門。 ここに、肝付家の仮屋があった。
仮屋と云っても、領地にある屋敷。
小松帯刀は、幕末に、肝付兼戈として、鹿児島の肝付家の屋敷で生まれた。
※ 後に、尚五郎。 兼戈の読みは? かねとも、かねかた、か。
育った場所が、屋敷と、ここの仮屋。
※ 篤姫が育った今和泉は、喜入の南隣。

裏の山は、高野山。 キイレツチトリモチが、日本で最初に、ここで見つかった。
キノコに似た、寄生植物。 こんな植物。(11月に長崎の伊王島で)
詳しくは、下のブログで。 鳥餅(とりもち)の意味も。
長崎半島の主峰、八郎岳に。 爆風で壊れた伊王島灯台。 キイレツチトリモチは、まるでキノコドキヤ。~長崎市~ 他 (2014/12/3)
旧麓から、ここに移ったとある。 帯刀が生まれる、ずっと前。
ここより山の中。 そっちに、肝付家の墓がある。
以前、歩いている。
喜入を歩いてみました。(その2) 他 (2010/1/11)

門の上から。 仮屋の敷地にグランドも。 広い。
正月の準備。 帯刀は、右の木を見ている。

先に進む。 左の横道。 奥に、病院があった。 行ってみたら、2時からの診察。
1時間ほど歩いて、来ることに。

病院から戻っている。 門をくぐって、塾。

喜入麓に住む人の先祖は、武士。
想像ですが、プライドの高い人もいるでしょうね。
周りの人が、平民に見える感じで。
これと同じことを、出水市の野田町で聞きました。

木の剪定(せんてい)にお金がかかりますね。 自分でするとしても、大変。
後ろの山は、高野山。 キイレツチトリモチ。
石垣の上に、生垣。 それが特徴。

ここは、管理する人がいなくなった。 家も壊れた。

いざという時、命を懸けて戦う代わりに、ここに住めた。

指宿枕崎線。 喜入駅。
※ 喜入の名前は、肝付氏の前、喜入氏が治めていたから。

木が恐竜。

喜入麓も、そろそろお終いの感じ。

「透かし」ってう剪定かな。 さっぱりした感じで、私は好きかな。
※ 昔、剪定の講習を、1度だけ受けたことがある。 分かるのは、ちょっとだけ。

ポンプ。 懐かしい。 普通見るのと、違う。 上がふさがっている。
津田式とある。 広島方面から、広がった。 これの方が、深くから汲めるよう。

※ 普通の、ガチャポンと言われるのは、こう。
私の家に昔あったのは、これのよう。 姉に電話して聞いた。
お風呂の水もこれ。 苦労して入るから、気持ちいい。
※ 津田式は、中が見えない。
少し歩いて、宮坂神社。

刀工(刀匠)のことが、書いてある。 玉置一平安代。(たまおき いっぺい やすよ)
重要文化財クラスの刀剣を作るよう。 薩摩刀ですね。

神社の説明にもある。

※ 玉置一平安代について、調べてみた。
この人の刀が、オークションに出ていた。
150万円で落札。 高いのか安いのか。

※ 上の刀は、長さ93.6㌢。 重さ、1589㌘。
普通は、70㌢ほどで、1000㌘前後。
ずいぶん長いですね。 そして重い。
※ 玉置家の墓は、近くにある。
喜入の町を歩いてみました。 他 (2010/1/10)
薩摩は、示顕流(じげんりゅう)とか、薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)。
なお、薬丸示顕流の薬丸家は、肝付家から分かれた家。
幕末の桜田門外の変は、水戸の浪士が主だが、1人だけ薩摩藩士がいた。
それが、有村 次左衛門(ありむら じざえもん)。
彼の剣が、薬丸示顕流。
「キエーイ」の声のもと、老中井伊直弼の首を、切り落とした。
彼は、40秒過ぎに登場。 (この映画は、見てきました)
下は示顕流。 声が独特。
下は、薬丸示顕流
※ 示顕流は、最初の一撃で倒すのが基本。
相手が刀で受けても、長く重い刀で、相手の刀を、ぶち壊して切り倒す。
人間の胴を、切り分けた記録があるという。
※ 示顕流の発祥の地は、下に。
吾平山上陵(あいらさんりょう) 圧倒的な本数の、くにの松原 ~鹿屋市・大崎町~ 雨に消えたあなた 他 (2012/3/12)
※ 薬丸裕英の両親は、鹿児島県の出身。 もしかして・・・。 それ以上は分からない。
※ 喜入には、中村家もあった。 中村家から、玉置家が出る。
下は、薩摩刀のHPからお借り。

※ 右のブログに、中村家が。 自現坊瀑と磨崖仏 ~喜入町渕田~
いい雰囲気の、小さな坂。

ちょっと寄り道。 里山です。

今も収穫。 農薬を気にしなくていい。 店で買うのは、気になる。

病院に寄って、ここを通って戻る。

※ 忘れてました。
禰寝(ねじめ)家を、小松家にした理由。
禰寝家の先祖は、平清盛の子の重盛と考えられている。
重盛の家は、京都の小松谷にあった。
それで、重盛は小松殿と呼ばれることがあった。
印のところが、六波羅小松第。 そこに住んでいた。
右の、正林寺の所に別邸があった。
清水寺が近い。 一帯が、小松谷。
歩いたのは1時間半ほど。
いっぱい着て。
【今日の歌】 悲しみは雪に眠る
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
※ こまつたてわき。 きいれ きもつき。
喜入が領地だから、喜入で暮らすことも多かった。
暮らした建物は、肝付家仮屋。 ※ きもつきけ かりや
今は、そこに、小学校が建っていた。
仮屋跡一帯は、喜入麓と呼ばれる、武家屋敷通り。
昔の名残の道を、歩いてみた。
いろんなものに出会いながら、最後は、病院に行ってきた。
薬が無くなったので。
今年は、あと2日。
体調は戻ってきたので、何とか、ソバを食べて酒が飲めそう。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
喜入には、道の駅。 300円の温泉がある。 近くに、スーパーも。
2年前に風邪を引いた時も、ここで治した。
左の地図に、根占(ねじめ)とある。 禰寝(ねじめ)と同じ。
江戸時代前に、禰寝氏は、先日紹介した、薩摩半島の西の吉利に移った。
江戸時代の中頃に、小松氏に変名。 ※ 理由は、後で追加。
喜入肝付家で生まれた小松帯刀は、上の小松家に養子に行っていた。
小松帯刀の墓。 帯刀(たてわき)は、薩長連合で活躍。 小松氏は禰寝氏でも・・。~日置市~ 他 (2014/12/24)
肝付(きもつき)も、見える。
分家が、江戸時代前に喜入に来た。 喜入肝付家になった。
そんなことで、ちょっと、ごちゃごちゃ。


温泉とかの施設を、道の駅にもした。 駐車場は、左奥。

さあ出発。 川は、八幡川。 右の方を行く。

道の駅には、地図はなかった。 役場は休み。
適当に歩いて、小学校に着いた。

一帯が、喜入麓。 武家屋敷が集まっていた。 今も、それなりに。
上の写真の、右の家の門。

小学校の石垣。

積み方が、2種類。

喜入小学校の正門。 ここに、肝付家の仮屋があった。
仮屋と云っても、領地にある屋敷。
小松帯刀は、幕末に、肝付兼戈として、鹿児島の肝付家の屋敷で生まれた。
※ 後に、尚五郎。 兼戈の読みは? かねとも、かねかた、か。
育った場所が、屋敷と、ここの仮屋。
※ 篤姫が育った今和泉は、喜入の南隣。

裏の山は、高野山。 キイレツチトリモチが、日本で最初に、ここで見つかった。
キノコに似た、寄生植物。 こんな植物。(11月に長崎の伊王島で)
詳しくは、下のブログで。 鳥餅(とりもち)の意味も。
長崎半島の主峰、八郎岳に。 爆風で壊れた伊王島灯台。 キイレツチトリモチは、まるでキノコドキヤ。~長崎市~ 他 (2014/12/3)
旧麓から、ここに移ったとある。 帯刀が生まれる、ずっと前。
ここより山の中。 そっちに、肝付家の墓がある。
以前、歩いている。
喜入を歩いてみました。(その2) 他 (2010/1/11)

門の上から。 仮屋の敷地にグランドも。 広い。
正月の準備。 帯刀は、右の木を見ている。


先に進む。 左の横道。 奥に、病院があった。 行ってみたら、2時からの診察。
1時間ほど歩いて、来ることに。


病院から戻っている。 門をくぐって、塾。

喜入麓に住む人の先祖は、武士。
想像ですが、プライドの高い人もいるでしょうね。
周りの人が、平民に見える感じで。
これと同じことを、出水市の野田町で聞きました。

木の剪定(せんてい)にお金がかかりますね。 自分でするとしても、大変。
後ろの山は、高野山。 キイレツチトリモチ。
石垣の上に、生垣。 それが特徴。

ここは、管理する人がいなくなった。 家も壊れた。

いざという時、命を懸けて戦う代わりに、ここに住めた。

指宿枕崎線。 喜入駅。
※ 喜入の名前は、肝付氏の前、喜入氏が治めていたから。

木が恐竜。

喜入麓も、そろそろお終いの感じ。

「透かし」ってう剪定かな。 さっぱりした感じで、私は好きかな。
※ 昔、剪定の講習を、1度だけ受けたことがある。 分かるのは、ちょっとだけ。

ポンプ。 懐かしい。 普通見るのと、違う。 上がふさがっている。
津田式とある。 広島方面から、広がった。 これの方が、深くから汲めるよう。

※ 普通の、ガチャポンと言われるのは、こう。
私の家に昔あったのは、これのよう。 姉に電話して聞いた。
お風呂の水もこれ。 苦労して入るから、気持ちいい。
※ 津田式は、中が見えない。
少し歩いて、宮坂神社。

刀工(刀匠)のことが、書いてある。 玉置一平安代。(たまおき いっぺい やすよ)
重要文化財クラスの刀剣を作るよう。 薩摩刀ですね。



神社の説明にもある。

※ 玉置一平安代について、調べてみた。
この人の刀が、オークションに出ていた。
150万円で落札。 高いのか安いのか。

※ 上の刀は、長さ93.6㌢。 重さ、1589㌘。
普通は、70㌢ほどで、1000㌘前後。
ずいぶん長いですね。 そして重い。
※ 玉置家の墓は、近くにある。
喜入の町を歩いてみました。 他 (2010/1/10)
薩摩は、示顕流(じげんりゅう)とか、薬丸自顕流(やくまるじげんりゅう)。
なお、薬丸示顕流の薬丸家は、肝付家から分かれた家。
幕末の桜田門外の変は、水戸の浪士が主だが、1人だけ薩摩藩士がいた。
それが、有村 次左衛門(ありむら じざえもん)。
彼の剣が、薬丸示顕流。
「キエーイ」の声のもと、老中井伊直弼の首を、切り落とした。
彼は、40秒過ぎに登場。 (この映画は、見てきました)
下は示顕流。 声が独特。
下は、薬丸示顕流
※ 示顕流は、最初の一撃で倒すのが基本。
相手が刀で受けても、長く重い刀で、相手の刀を、ぶち壊して切り倒す。
人間の胴を、切り分けた記録があるという。
※ 示顕流の発祥の地は、下に。
吾平山上陵(あいらさんりょう) 圧倒的な本数の、くにの松原 ~鹿屋市・大崎町~ 雨に消えたあなた 他 (2012/3/12)
※ 薬丸裕英の両親は、鹿児島県の出身。 もしかして・・・。 それ以上は分からない。
※ 喜入には、中村家もあった。 中村家から、玉置家が出る。
下は、薩摩刀のHPからお借り。

※ 右のブログに、中村家が。 自現坊瀑と磨崖仏 ~喜入町渕田~
いい雰囲気の、小さな坂。

ちょっと寄り道。 里山です。

今も収穫。 農薬を気にしなくていい。 店で買うのは、気になる。

病院に寄って、ここを通って戻る。

※ 忘れてました。
禰寝(ねじめ)家を、小松家にした理由。
禰寝家の先祖は、平清盛の子の重盛と考えられている。
重盛の家は、京都の小松谷にあった。
それで、重盛は小松殿と呼ばれることがあった。
印のところが、六波羅小松第。 そこに住んでいた。
右の、正林寺の所に別邸があった。
清水寺が近い。 一帯が、小松谷。

歩いたのは1時間半ほど。
いっぱい着て。
【今日の歌】 悲しみは雪に眠る
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、2位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
今回、薩摩半島を下った目的は、「シーオン・インターネットサービス」、という会社に寄ること。
ブログなどに宣伝を載せたいが、自分ではうまくいかない。
以前、一度、別の件でお世話になっている。
今回は、上のことをお願いする。
その会社は、南九州市の頴娃(えい)にある。
古い家並みがあるので、少しだけ、歩いてみた。
それと、開聞岳が美しく見える、海岸線も。
頴娃(えい)の読みが難しい。
調べたら、読み方と、その意味が不思議。
これを書いているのは、28日午後。
27日は、寝ていた。
やっと体が軽くなって、29日から、歩き出す。
今は、喜入の道の駅にいる。
喜入は、先日のブログの、小松帯刀ゆかりの地。
彼は、喜入領主、肝付(きもつき)家の三男として生まれた。
※ 領主の自宅は鹿児島市内にもあって、帯刀は、そちらで生まれたよう。
喜入は、領地であるから、こちらの別邸で暮らすことは、もちろん多かった。
また、篤姫が育った別邸は、ここから近い。
10㌔ほど離れた、今和泉。 (指宿の方に)
2人は、同じ年に生まれている。 (龍馬も同じ年)
篤姫 ゆかりの地を訪ねて 池田湖の大ウナギ 他 (2009年5月13日)
喜入には、帯刀が育った時代の、石垣などの雰囲気が残っている。
喜入麓と、呼ばれる。
明日、歩いてみましょうか。
※ 以前、喜入は何となく歩いてはいる。 肝付家の墓があった。
喜入を歩いてみました。(その2) 他 (2010/1/11)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
頴娃(えい)町は、今は、合併して、南九州市頴娃町。
※ 南九州市は、頴娃町と、知覧町と、川辺町が合併。
知覧町には、武家屋敷や特攻平和会館がある。
知覧、武家屋敷通り。 武家屋敷庭園。 高田磨崖仏。~南九州市~ 他 (2014/1/31)
知覧特攻平和会館 ~平和に寄与するとは~ 他 (2010/1/6)
ホタル館 富屋食堂 ~飛び立って、戻った人はいるのか~
川辺町には、日本最大規模の、磨崖仏群が。
清水磨崖仏群。 日本一の大五輪塔、月輪大梵字、他。~南九州市~ 他 (2014/1/30)

お世話になる店は、ここ。 シーオン・インターネットサービス。
支店が、鹿児島市内にもある。
※ 店のHPは、右に。 シーオン・インターネットサービス。
作業は、この日と次の日に、行った。
登録を待って、次に進む作業もある。

こんな手続きもした。
こまった時に、ある方法で、この会社が私のパソコンに、入り込んで作業する。
北海道にいても、それは出来る。
今後、最後に頼る所として、お世話になる。
下は、前回来た時のブログ。
九州も雪、動けません。 パソコン完全復活。 他 (2010/1/13)

頴娃の見どころを教えてもらって、海に行った。 まず、 戸柱自然公園に。
開聞(かいもん)岳が見えた。 いつ見ても、いい姿。
標高924㍍。
百名山の中では、2番目に低い。 一番低いのは筑波山で、877㍍。
※ 海の近くから登るから、登る標高差は、山の高さに近い。
百名山の半分は、楽しようとすれば、開聞岳より楽。
車道やロープウェーがあるので。

港の前に、ライオン岩。 左向き。

後で、家並みの中を歩く。

男の人が、あっちにも行ったかいと、ここに連れて来てくれた。
100㍍ほど歩いて。 戸柱自然公園。

この方が、案内人。 親切。
丁寧に説明してくれる。 ところが、何言ってるか、さっぱりわからない。
鹿児島弁は、だいたい分かると思っていたのに。
小さな神社。

そういえば、さっきの会社のシーオンの人が、頴娃の言葉は、難しいと言った。
「えい語」と言われることも。
例えば、こう。 (頴娃町の方言より)
「また みごとな 景色ですね」 は、普通。 これが、下になる。
「マダ ミゴデ ケシッ ヂャッドナー」
濁音が多く、最後に、ヂャッドナー では、めちゃくちゃ。
「えい語」でなく「英語」なら、「It's the excellent scenery」のように、なりますね。(訳はネットで)
excellentは、エクセレント。 sceneryは、シーナリーで、シーンに関係する言葉ですね。
まだ、英語の方が、分かりやすいですよ。
下は、土地の人の会話。 病院のことを言ってるよう。
※ 頴娃の港で、島津藩は密貿易をしていた。
それで、幕府に分からない暗号の言葉が入り込んだ。
また、南の方の言葉の影響もうけた。
こんなことが、頴娃の方言を難しくしたようです。(シーオンの方といくつかのネットの情報)
変わった石が。
こうです。 お金みたい。 見ない表情の、像。

隣に、石碑。 遣唐使が、この港に着いたという。 はるか昔の話。

鑑真の日本への船は、4隻。 第2船に鑑真がのった。 ここより北に、漂着。
第3船は、紀伊半島に。 第4船が、この港に着いた。 第1船は、日本には来れなくて、海南島。
第2船以外は、難破船のように、たどり着いた。
このことについては、後ほど。

岩礁の浜が続く。

車は、適当に停めて、歩くことに。
この道は、昔のメインストリートか。 左に、昔は豪商の家。

再び、遣唐使船の説明。 鑑真のことが。

鑑真が着いたのは、下の場所。 左。
漂着した、秋目の港。 小さな船。 命がけ。

※ 遣唐使は、何回もあった。 長島にも、漂着した場所があった。
多くの文化がもたらされ、日本は変わっていく。
杜氏の里、笠沙黒瀬 鑑真和上上陸地に、鑑真記念館 河津桜が咲いていた~ 他 (2012/2/28)

下の言葉が。 藤田と云う画家かな。

雰囲気のいい坂道。

お蔵ん坂。

貿易で栄えた時代が、あったんですね。
横を見た。

この地区には、昔の名残が、少しだけ残っている。

昔を活かした街づくりをするのは、難しい取り組み。
それでも、どこかに、可能性は潜んでいる。

この日は、戸柱自然公園に、停泊。
この一帯は、頴娃町の石垣地区。
次の日、少し走って、番所鼻自然公園に。 鼻は、岬の意味。
遠くに、開聞岳。

向こうから来た。

右方面。 タツノオトシゴは、向こうの方で。

開聞岳と、釣り人。

正面遠くに、島。 知らない島。 黒島かな。

タツノオトシゴ、観光養殖場。 魚も。

タツノオトシゴは、変わっている。
普通の生き物の受精は、精子が雌に行く。
タツノオトシゴは、卵子が雄に行く。
だから、雄が、生むことになる。
生れる時から、この格好。

下のようなビデオがあった。
この後、再度、シーオンに行った。
雑談でも、自分にとっては勉強になる。
せっかく頴娃に来たので、この町を少しだけ、歩いてみました。
丁寧に歩けば、他にも見所はある。
いつかまた、シーオンに来る。
その時また、歩きましょう。
※ 忘れてました。 頴娃の読みについて。
頴の字は、それだけで、エイと読める。 稲のコメのからの部分。(琵琶湖・堅田・デジカメ絵図より)
娃の字は、アイ、エ、ワ、と読めるよう。 美しいという意味。
圭は、こういうもので、権威の象徴だそう。(中国のあるHP)
そのことから、娃の美しさのイメージは、立ち姿のいい美しさ、と考えられる。
頴娃の地は、元々は、入江だった。 つまり、江。
江から、頴娃に変化したのではという説が有力。
今の頴娃の辺りは、深く海が入り込んでいたよう。
昔の頴娃は、浜一帯だったのでは。
ここからは、想像。
開聞岳は、昔は島だったかも。
それが、砂でつながって、陸繋島に。
頴娃は、その砂地にあった。
江の名前で。
そうでなかったとしても、開聞岳は、半島っぽかったでしょうね。
池田湖は、海に近くて。
元に戻って。
頴娃の読みは、頴だけで、えいと読むそう。
娃の字は、ただ、くっ付いているだけ。(南薩摩観光情報より)
【今日の歌】 Il Volo - 'O Sole Mio
【停泊場所】 25日 戸柱公園 26・27日 道の駅、喜入

【今後の予定】 29日は、喜入麓を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
ブログなどに宣伝を載せたいが、自分ではうまくいかない。
以前、一度、別の件でお世話になっている。
今回は、上のことをお願いする。
その会社は、南九州市の頴娃(えい)にある。
古い家並みがあるので、少しだけ、歩いてみた。
それと、開聞岳が美しく見える、海岸線も。
頴娃(えい)の読みが難しい。
調べたら、読み方と、その意味が不思議。
これを書いているのは、28日午後。
27日は、寝ていた。
やっと体が軽くなって、29日から、歩き出す。
今は、喜入の道の駅にいる。
喜入は、先日のブログの、小松帯刀ゆかりの地。
彼は、喜入領主、肝付(きもつき)家の三男として生まれた。
※ 領主の自宅は鹿児島市内にもあって、帯刀は、そちらで生まれたよう。
喜入は、領地であるから、こちらの別邸で暮らすことは、もちろん多かった。
また、篤姫が育った別邸は、ここから近い。
10㌔ほど離れた、今和泉。 (指宿の方に)
2人は、同じ年に生まれている。 (龍馬も同じ年)
篤姫 ゆかりの地を訪ねて 池田湖の大ウナギ 他 (2009年5月13日)
喜入には、帯刀が育った時代の、石垣などの雰囲気が残っている。
喜入麓と、呼ばれる。
明日、歩いてみましょうか。
※ 以前、喜入は何となく歩いてはいる。 肝付家の墓があった。
喜入を歩いてみました。(その2) 他 (2010/1/11)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
頴娃(えい)町は、今は、合併して、南九州市頴娃町。
※ 南九州市は、頴娃町と、知覧町と、川辺町が合併。
知覧町には、武家屋敷や特攻平和会館がある。
知覧、武家屋敷通り。 武家屋敷庭園。 高田磨崖仏。~南九州市~ 他 (2014/1/31)
知覧特攻平和会館 ~平和に寄与するとは~ 他 (2010/1/6)
ホタル館 富屋食堂 ~飛び立って、戻った人はいるのか~
川辺町には、日本最大規模の、磨崖仏群が。
清水磨崖仏群。 日本一の大五輪塔、月輪大梵字、他。~南九州市~ 他 (2014/1/30)


お世話になる店は、ここ。 シーオン・インターネットサービス。
支店が、鹿児島市内にもある。
※ 店のHPは、右に。 シーオン・インターネットサービス。
作業は、この日と次の日に、行った。
登録を待って、次に進む作業もある。

こんな手続きもした。
こまった時に、ある方法で、この会社が私のパソコンに、入り込んで作業する。
北海道にいても、それは出来る。
今後、最後に頼る所として、お世話になる。
下は、前回来た時のブログ。
九州も雪、動けません。 パソコン完全復活。 他 (2010/1/13)

頴娃の見どころを教えてもらって、海に行った。 まず、 戸柱自然公園に。
開聞(かいもん)岳が見えた。 いつ見ても、いい姿。
標高924㍍。
百名山の中では、2番目に低い。 一番低いのは筑波山で、877㍍。
※ 海の近くから登るから、登る標高差は、山の高さに近い。
百名山の半分は、楽しようとすれば、開聞岳より楽。
車道やロープウェーがあるので。

港の前に、ライオン岩。 左向き。

後で、家並みの中を歩く。

男の人が、あっちにも行ったかいと、ここに連れて来てくれた。
100㍍ほど歩いて。 戸柱自然公園。

この方が、案内人。 親切。
丁寧に説明してくれる。 ところが、何言ってるか、さっぱりわからない。
鹿児島弁は、だいたい分かると思っていたのに。
小さな神社。

そういえば、さっきの会社のシーオンの人が、頴娃の言葉は、難しいと言った。
「えい語」と言われることも。
例えば、こう。 (頴娃町の方言より)
「また みごとな 景色ですね」 は、普通。 これが、下になる。
「マダ ミゴデ ケシッ ヂャッドナー」
濁音が多く、最後に、ヂャッドナー では、めちゃくちゃ。
「えい語」でなく「英語」なら、「It's the excellent scenery」のように、なりますね。(訳はネットで)
excellentは、エクセレント。 sceneryは、シーナリーで、シーンに関係する言葉ですね。
まだ、英語の方が、分かりやすいですよ。
下は、土地の人の会話。 病院のことを言ってるよう。
※ 頴娃の港で、島津藩は密貿易をしていた。
それで、幕府に分からない暗号の言葉が入り込んだ。
また、南の方の言葉の影響もうけた。
こんなことが、頴娃の方言を難しくしたようです。(シーオンの方といくつかのネットの情報)
変わった石が。

こうです。 お金みたい。 見ない表情の、像。


隣に、石碑。 遣唐使が、この港に着いたという。 はるか昔の話。

鑑真の日本への船は、4隻。 第2船に鑑真がのった。 ここより北に、漂着。
第3船は、紀伊半島に。 第4船が、この港に着いた。 第1船は、日本には来れなくて、海南島。
第2船以外は、難破船のように、たどり着いた。
このことについては、後ほど。

岩礁の浜が続く。

車は、適当に停めて、歩くことに。
この道は、昔のメインストリートか。 左に、昔は豪商の家。

再び、遣唐使船の説明。 鑑真のことが。


鑑真が着いたのは、下の場所。 左。

漂着した、秋目の港。 小さな船。 命がけ。


※ 遣唐使は、何回もあった。 長島にも、漂着した場所があった。
多くの文化がもたらされ、日本は変わっていく。
杜氏の里、笠沙黒瀬 鑑真和上上陸地に、鑑真記念館 河津桜が咲いていた~ 他 (2012/2/28)


下の言葉が。 藤田と云う画家かな。

雰囲気のいい坂道。

お蔵ん坂。

貿易で栄えた時代が、あったんですね。
横を見た。

この地区には、昔の名残が、少しだけ残っている。

昔を活かした街づくりをするのは、難しい取り組み。
それでも、どこかに、可能性は潜んでいる。

この日は、戸柱自然公園に、停泊。
この一帯は、頴娃町の石垣地区。
次の日、少し走って、番所鼻自然公園に。 鼻は、岬の意味。


遠くに、開聞岳。

向こうから来た。

右方面。 タツノオトシゴは、向こうの方で。

開聞岳と、釣り人。

正面遠くに、島。 知らない島。 黒島かな。

タツノオトシゴ、観光養殖場。 魚も。


タツノオトシゴは、変わっている。
普通の生き物の受精は、精子が雌に行く。
タツノオトシゴは、卵子が雄に行く。
だから、雄が、生むことになる。
生れる時から、この格好。

下のようなビデオがあった。
この後、再度、シーオンに行った。
雑談でも、自分にとっては勉強になる。
せっかく頴娃に来たので、この町を少しだけ、歩いてみました。
丁寧に歩けば、他にも見所はある。
いつかまた、シーオンに来る。
その時また、歩きましょう。
※ 忘れてました。 頴娃の読みについて。
頴の字は、それだけで、エイと読める。 稲のコメのからの部分。(琵琶湖・堅田・デジカメ絵図より)
娃の字は、アイ、エ、ワ、と読めるよう。 美しいという意味。
圭は、こういうもので、権威の象徴だそう。(中国のあるHP)
そのことから、娃の美しさのイメージは、立ち姿のいい美しさ、と考えられる。
頴娃の地は、元々は、入江だった。 つまり、江。
江から、頴娃に変化したのではという説が有力。
今の頴娃の辺りは、深く海が入り込んでいたよう。
昔の頴娃は、浜一帯だったのでは。
ここからは、想像。
開聞岳は、昔は島だったかも。
それが、砂でつながって、陸繋島に。
頴娃は、その砂地にあった。
江の名前で。
そうでなかったとしても、開聞岳は、半島っぽかったでしょうね。
池田湖は、海に近くて。
元に戻って。
頴娃の読みは、頴だけで、えいと読むそう。
娃の字は、ただ、くっ付いているだけ。(南薩摩観光情報より)
【今日の歌】 Il Volo - 'O Sole Mio
【停泊場所】 25日 戸柱公園 26・27日 道の駅、喜入

【今後の予定】 29日は、喜入麓を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
その男がいなかったら、薩長連合は、どうなったか分からない。
名前は、小松帯刀(こまつわてわき)。
薩摩藩士。
彼は、龍馬が仲介した薩長連合の密談に参加していた。
もし、若くして亡くならなかったら、当然、明治の新政府の中心にいた。
新政府を動かした大久保利通は、彼の配下だった。
お世話になっていた長島町を、離れた。
指宿(いぶすき)に向かって、南下。
風邪が抜けないので、見学は少し。
途中で、小松帯刀の墓に寄った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
道沿いに案内があった。
通り過ぎたけど、戻った。 この辺りに、帯刀の墓があることは、知らなかった。

駐車場とトイレがあって、小さな公園になっていた。

下に彼の説明が。
島津藩の家老になったとある。
討幕で活躍。 「幻の宰相」と呼ばれている、など。

小松氏は、元々は禰寝(ねじめ)氏だった。 これについては、後ほど。

園林寺(おんりんじ)があったけど、廃仏毀釈で破壊。
復興できる寺もあるけど、ここのように、それでお終い、という寺も。
坂を上がって、奥に小松一族、そして帯刀の墓が。

石の祠の中に、墓がある。 珍しい。
奥に、夫人のお近さんの墓。 ※ 大河で演じたのは、ともさかりえ。
彼は、子供のころから病弱だったんだが、それとは別に、昼夜を惜しんで勉強した。
後に、家老になる。 ( 家老になって過労、って書きたいところ。 こんなことばかり・・。)

禰寝(ねじめ)家から、小松家になる。
家柄から考えて、島津家の家老になるのは、難しくない。 力があったし。
今も、花が絶えない。

小松氏(禰寝氏)の墓は、最初は、南大隅町の根占(ねじめ)という所にあった。
下がその墓。 残っている墓。
大隅半島を横断 祢寝氏累代の墓 ~肝付町他~ 百万本のバラ、そして、東日本大震災~未来への鎮魂~ (2012/3/11)
※ 禰寝家が小松家になり、そこから分かれて、池端家が生れる。
池端家の子孫に、池端 清亮(きよあき)。 この人は、往年の映画スター上原 謙。(Wikipedia)
その子が、加山雄三。(アサヒコム) (このことは、間違いないようだが、家系図で示せれない)

小松帯刀は、幻の宰相と言われる。 その根拠は、龍馬の言葉なんですね。
「坂本龍馬の新政府の人事構想では、西郷や大久保、桂らを抑えて、筆頭に挙げられていた。」(Wikipedia)
下の建物は、山口市にある。 この建物で、薩長連合を目指した密談が行われた。
仲介したのは龍馬。 薩摩藩の代表に、西郷さんと帯刀がいた。
※ 西郷さんは、年下の帯刀に、1目おいている。 身分が上であることと、人間性。
国宝 瑠璃光寺五重塔は、いつ見ても美しい ~山口市~ Mot Coi Di Ve - Trinh Cong Son 他 (2012/4/20)

彼が生きていれば、大久保利通は好きなことは出来なかった。
つまり、大久保の政敵の江藤新平は、殺されずにすんだ。
新平も、帯刀も、大久保も、維新十傑。

墓地から。 遠くに海。 薩摩半島の、里山の風景。

仏像は、壊された。 悲しみを堪(こら)えている。 こうして墓を守って。

夢の跡でしょうか。

小さな建物に、資料が展示。 大河ドラマの篤姫で、小松帯刀を演じたのは、瑛太。(刀の諏訪工芸さんのHP)

小松帯刀については、調べたことがなかったので、少しだけ勉強しました。
この人と、江藤新平と、そして龍馬が生きていたら、明治はどうなったでしょう。
私利私欲の少ない、生きていてほしい人が、先に死ぬ。
【余談】 帯刀が、どうして、たてわき、と読めるのか。
帯ですが、この漢字は、帯(は)く、と読むことが出来るんですね。
くつしたを履く、と意味は似ています。
自分の体に、近づける、なんですね。 携帯の帯も、同じ。
刀は、太刀でもあり、たち、と読みますね。
そうだとしたら、元々は、帯刀は、刀(たち)を帯(は)く、の意味。
刀を、脇に差すですね。
それが、刀(たち)帯(は)き、になって、たちはき。
最後は、「たてわき」に、変化するんですね。
そんなことで、帯刀を、たてわきと、読む。
漢字は、前後したけど。
辞書の情報が7割、私の想像が、3割です。
【余談 ②】 禰寝(ねじめ)氏について。
禰は祢で、ねと読む。
山口県に美祢(みね)市がある。 同じ読み。
秋芳洞のある町。 この秋通った。
寝は、寝室の寝(しん)。 しんと読むけど、「しむ」と読めそう。
それで、禰寝は、「ねしむ」で、「ねじめ」に変化。
【今日の歌】 つまさき坂 永井龍雲
【道の駅】 きんぽう木花館
日本三大砂丘の一つ、吹上浜 万世特高平和祈念館 ~南さつま市~ ショートプログラムは、明後日。 (2010/2/22)

【明日の予定】 頴娃(えい)のどこかを。
※ 頴娃は指宿の手前。
そこに、パソコン関係のお店がある。
修理とか、何でも。 以前お世話になった。
今回そこで、ブログとYouTubeの動画に、宣伝を載せるのを、お願いする。
自分でやろうとしたけど、難しい。
明日、25日にする。
このブログは、26日に書きおわったので、その時点で、左に宣伝が載った。
YouTubeは、1022の動画のうち、載せ終わったのは、250くらい。
今後、写真の販売の準備もしていく。
どのくらいの稼ぎになるかは、分からない。
もうちょっと、品のいい宣伝がいいかな。
楽しんで読んでもらうブログから、儲かるブログに路線変更。
読者に分からないように、できるんだろうか。
どっちも叶えば、いいんですね。
いくら儲かったか、書ける日が来たら、書きましょうか。
世の中、生活しにくくなってきたので、上のことをしました。
【その他】 今日、病院に行って来ました。 長島町。
早く治ればいいなって。 咳。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
名前は、小松帯刀(こまつわてわき)。
薩摩藩士。
彼は、龍馬が仲介した薩長連合の密談に参加していた。
もし、若くして亡くならなかったら、当然、明治の新政府の中心にいた。
新政府を動かした大久保利通は、彼の配下だった。
お世話になっていた長島町を、離れた。
指宿(いぶすき)に向かって、南下。
風邪が抜けないので、見学は少し。
途中で、小松帯刀の墓に寄った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
道沿いに案内があった。
通り過ぎたけど、戻った。 この辺りに、帯刀の墓があることは、知らなかった。


駐車場とトイレがあって、小さな公園になっていた。

下に彼の説明が。
島津藩の家老になったとある。
討幕で活躍。 「幻の宰相」と呼ばれている、など。



小松氏は、元々は禰寝(ねじめ)氏だった。 これについては、後ほど。

園林寺(おんりんじ)があったけど、廃仏毀釈で破壊。
復興できる寺もあるけど、ここのように、それでお終い、という寺も。
坂を上がって、奥に小松一族、そして帯刀の墓が。

石の祠の中に、墓がある。 珍しい。
奥に、夫人のお近さんの墓。 ※ 大河で演じたのは、ともさかりえ。
彼は、子供のころから病弱だったんだが、それとは別に、昼夜を惜しんで勉強した。
後に、家老になる。 ( 家老になって過労、って書きたいところ。 こんなことばかり・・。)

禰寝(ねじめ)家から、小松家になる。
家柄から考えて、島津家の家老になるのは、難しくない。 力があったし。
今も、花が絶えない。

小松氏(禰寝氏)の墓は、最初は、南大隅町の根占(ねじめ)という所にあった。
下がその墓。 残っている墓。
大隅半島を横断 祢寝氏累代の墓 ~肝付町他~ 百万本のバラ、そして、東日本大震災~未来への鎮魂~ (2012/3/11)
※ 禰寝家が小松家になり、そこから分かれて、池端家が生れる。
池端家の子孫に、池端 清亮(きよあき)。 この人は、往年の映画スター上原 謙。(Wikipedia)
その子が、加山雄三。(アサヒコム) (このことは、間違いないようだが、家系図で示せれない)

小松帯刀は、幻の宰相と言われる。 その根拠は、龍馬の言葉なんですね。
「坂本龍馬の新政府の人事構想では、西郷や大久保、桂らを抑えて、筆頭に挙げられていた。」(Wikipedia)
下の建物は、山口市にある。 この建物で、薩長連合を目指した密談が行われた。
仲介したのは龍馬。 薩摩藩の代表に、西郷さんと帯刀がいた。
※ 西郷さんは、年下の帯刀に、1目おいている。 身分が上であることと、人間性。
国宝 瑠璃光寺五重塔は、いつ見ても美しい ~山口市~ Mot Coi Di Ve - Trinh Cong Son 他 (2012/4/20)

彼が生きていれば、大久保利通は好きなことは出来なかった。
つまり、大久保の政敵の江藤新平は、殺されずにすんだ。
新平も、帯刀も、大久保も、維新十傑。


墓地から。 遠くに海。 薩摩半島の、里山の風景。

仏像は、壊された。 悲しみを堪(こら)えている。 こうして墓を守って。


夢の跡でしょうか。

小さな建物に、資料が展示。 大河ドラマの篤姫で、小松帯刀を演じたのは、瑛太。(刀の諏訪工芸さんのHP)

小松帯刀については、調べたことがなかったので、少しだけ勉強しました。
この人と、江藤新平と、そして龍馬が生きていたら、明治はどうなったでしょう。
私利私欲の少ない、生きていてほしい人が、先に死ぬ。
【余談】 帯刀が、どうして、たてわき、と読めるのか。
帯ですが、この漢字は、帯(は)く、と読むことが出来るんですね。
くつしたを履く、と意味は似ています。
自分の体に、近づける、なんですね。 携帯の帯も、同じ。
刀は、太刀でもあり、たち、と読みますね。
そうだとしたら、元々は、帯刀は、刀(たち)を帯(は)く、の意味。
刀を、脇に差すですね。
それが、刀(たち)帯(は)き、になって、たちはき。
最後は、「たてわき」に、変化するんですね。
そんなことで、帯刀を、たてわきと、読む。
漢字は、前後したけど。
辞書の情報が7割、私の想像が、3割です。
【余談 ②】 禰寝(ねじめ)氏について。
禰は祢で、ねと読む。
山口県に美祢(みね)市がある。 同じ読み。
秋芳洞のある町。 この秋通った。
寝は、寝室の寝(しん)。 しんと読むけど、「しむ」と読めそう。
それで、禰寝は、「ねしむ」で、「ねじめ」に変化。
【今日の歌】 つまさき坂 永井龍雲
【道の駅】 きんぽう木花館
日本三大砂丘の一つ、吹上浜 万世特高平和祈念館 ~南さつま市~ ショートプログラムは、明後日。 (2010/2/22)

【明日の予定】 頴娃(えい)のどこかを。
※ 頴娃は指宿の手前。
そこに、パソコン関係のお店がある。
修理とか、何でも。 以前お世話になった。
今回そこで、ブログとYouTubeの動画に、宣伝を載せるのを、お願いする。
自分でやろうとしたけど、難しい。
明日、25日にする。
このブログは、26日に書きおわったので、その時点で、左に宣伝が載った。
YouTubeは、1022の動画のうち、載せ終わったのは、250くらい。
今後、写真の販売の準備もしていく。
どのくらいの稼ぎになるかは、分からない。
もうちょっと、品のいい宣伝がいいかな。
楽しんで読んでもらうブログから、儲かるブログに路線変更。
読者に分からないように、できるんだろうか。
どっちも叶えば、いいんですね。
いくら儲かったか、書ける日が来たら、書きましょうか。
世の中、生活しにくくなってきたので、上のことをしました。
【その他】 今日、病院に行って来ました。 長島町。
早く治ればいいなって。 咳。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体で、1位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
温る温泉が好き。
でも、意外に少ない。
出水市の野田に、いい温泉がある。
湯温が高めで、成分が濃いので、ジンジンと責められる。
温まった体が元に戻るには、しばらくかかる。
名前は、十三奉行温泉。
じゅうさんぶぎょう、ではない。
じゅさぶろ温泉。
どうしてこうなったのか、気になる。
源泉かけ流し。
余るほどの湯。
湯の成分がくっ付いた、湯船。
小さな温泉だけど、これ程贅沢な湯は、少ない。
いい温泉を見つけました。
温泉のそばに、疱瘡(ほうそう)墓があった。
調べたら、面白い。
晩は、Aくんのお家で、ふたたび御馳走になった。
22日は、風邪で1日寝てました。
まだ治りません。
こまりました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
野田郷駅から、歩いて行ける。 少し前に行った、感応寺(感応禅寺)が見える。
出水市野田町(野田郷)は、薩摩・島津家発祥の地だった。 初代島津忠久の墓所、感応寺。~出水市~ 再会して、みんなで食事会。 (2014/12/13)

なだらかな坂を上ると、あった。

じゅさぶろ温泉。

十三奉行温泉。


温泉の受付の人が、この辺りは昔、十三奉行と云ってた、と。 つまり、地名。
証拠を探して探して、やっと見つかったのは、たった1つ。
確かに、野田町にあった。
字 十三奉行 迫、とある。 迫は、谷と云う意味で、読みは「さこ」でしょうか。
じゅうさんぶぎょうは言い難い。
土地の人は、じゅさぶろ、と言うようになった。

そのじゅさぶろを、温泉の名前に。
じゅさ風呂って書けるので、温泉の名前にちょうど良かったかも。
湯船は、こう。 昨年撮影。 今回は、人がずっといたので。
子供には、少し熱い温度。 私には、ちょうどいい。
ラジウムとかは、言ってないけど、とにかく温まる。
塩分を含んだ、濃い成分の湯。

湯が通る管の中は、直ぐに細くなると言う。 湯の成分がくっ付くので。
休みの日は、いつもそれを取る作業。
帰る時、みかんを頂いた。
そう云えば、昨年も頂いていた。 右の写真のを。

道を挟んだ向かい側に、こんな看板。 向こうに墓。
戦国時代の話ですね。 病気で多くの人が亡くなったので、墓をつくった。

※ 島津忠兼が殺されたとある。 兄の子に殺されたのかな。
この、島津忠兼は、肥後から長島を奪い取った人。
忠兼がいなかったら、長島は、今も天草。
長島の今の発展は、忠兼あってのことかも知れない。
長島の堂崎城の説明にも、同じことが書いてある。
道の駅長島から、道の駅黒之瀬戸だんだん市場まで歩く ~あっちこっちに寄りながら。 長島町~ 他 (2012/2/21)

※ 上の説明の、お八日踊りは、下のです。
今日は、見学は出来なかったので、温泉の紹介です。
【今日の歌】 Queen - Crazy Little Thing Called Love
【停泊場所】 A・Zの駐車場
【今後の予定】 指宿の方に、南下する。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
でも、意外に少ない。
出水市の野田に、いい温泉がある。
湯温が高めで、成分が濃いので、ジンジンと責められる。
温まった体が元に戻るには、しばらくかかる。
名前は、十三奉行温泉。
じゅうさんぶぎょう、ではない。
じゅさぶろ温泉。
どうしてこうなったのか、気になる。
源泉かけ流し。
余るほどの湯。
湯の成分がくっ付いた、湯船。
小さな温泉だけど、これ程贅沢な湯は、少ない。
いい温泉を見つけました。
温泉のそばに、疱瘡(ほうそう)墓があった。
調べたら、面白い。
晩は、Aくんのお家で、ふたたび御馳走になった。
22日は、風邪で1日寝てました。
まだ治りません。
こまりました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
野田郷駅から、歩いて行ける。 少し前に行った、感応寺(感応禅寺)が見える。
出水市野田町(野田郷)は、薩摩・島津家発祥の地だった。 初代島津忠久の墓所、感応寺。~出水市~ 再会して、みんなで食事会。 (2014/12/13)


なだらかな坂を上ると、あった。

じゅさぶろ温泉。


十三奉行温泉。


温泉の受付の人が、この辺りは昔、十三奉行と云ってた、と。 つまり、地名。
証拠を探して探して、やっと見つかったのは、たった1つ。
確かに、野田町にあった。
字 十三奉行 迫、とある。 迫は、谷と云う意味で、読みは「さこ」でしょうか。
じゅうさんぶぎょうは言い難い。
土地の人は、じゅさぶろ、と言うようになった。


そのじゅさぶろを、温泉の名前に。
じゅさ風呂って書けるので、温泉の名前にちょうど良かったかも。
湯船は、こう。 昨年撮影。 今回は、人がずっといたので。
子供には、少し熱い温度。 私には、ちょうどいい。
ラジウムとかは、言ってないけど、とにかく温まる。
塩分を含んだ、濃い成分の湯。

湯が通る管の中は、直ぐに細くなると言う。 湯の成分がくっ付くので。
休みの日は、いつもそれを取る作業。
帰る時、みかんを頂いた。
そう云えば、昨年も頂いていた。 右の写真のを。


道を挟んだ向かい側に、こんな看板。 向こうに墓。
戦国時代の話ですね。 病気で多くの人が亡くなったので、墓をつくった。


※ 島津忠兼が殺されたとある。 兄の子に殺されたのかな。
この、島津忠兼は、肥後から長島を奪い取った人。
忠兼がいなかったら、長島は、今も天草。
長島の今の発展は、忠兼あってのことかも知れない。
長島の堂崎城の説明にも、同じことが書いてある。
道の駅長島から、道の駅黒之瀬戸だんだん市場まで歩く ~あっちこっちに寄りながら。 長島町~ 他 (2012/2/21)

※ 上の説明の、お八日踊りは、下のです。
今日は、見学は出来なかったので、温泉の紹介です。
【今日の歌】 Queen - Crazy Little Thing Called Love
【停泊場所】 A・Zの駐車場
【今後の予定】 指宿の方に、南下する。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体で、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.