自分は、三高山の頂上に行けたらそれでよかった。
ところが、頂上一帯は砲台跡。
公園になっており、車で見学者がやって来る。
土木遺産の観光地だった。
普通の山と違って、頂上はあっちですとかの標示は無い。
自分で探すしかない。
三角点があったので、そこかなと思って、そこで食事。
でも、近くにはもっと高い所があった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
江田島(えたじま)市です。

三高山は、能美島に。 江の島が近い。
車は沖見ふれあいセンターに置ける。 自分は、適当なところに置いて、出発。
ここに。 ふれあいセンターは少し向こう。

この道を行く。 今日も車道が登山道。 12時過ぎに出発。
今日は晴れだけど、靄(もや)がかかっていて、薄日が差したのは、11時半頃から。

森の中の道。 花は無い。 たまに、小さな花。 スミレのような。

中央の大きな建物が、沖見ふれあいセンター。

上の左。 両方に港。 ずっと昔は、向こうは島だった。 今はつながった。
勝手にそのように想像できる。 トンボロに集落。

弁当持って、水持って、少しのおやつ。
足取りは軽い。 いいことがあったわけではないけど。
元気に動き回れるのは、いいなって、幸せだなって思うわけ。
このこと以外は、みんな小さい。 小さなことで、悩んで悩んでなんだけど。

1時間近く歩いたら、山の上に何かが見えた。

道は尾根を越えて、反対側に回った。
真っ直ぐの古い道を行ってみる。 車道から離れて。

もう少し。

頂上一帯が砲台跡だから、いちおう着いたことに。
立派な土木遺産が残っている。

地下には見えないけど、地下。 屋根の上に木があるから、地下でいいか。

反対側を見た。

向こうは、火薬庫。 手前は炊事場。
煉瓦(レンガ)は、イギリス積み。

壁だけ残っていたのでしょうね。

いい風景。 登山口の右の方。

この下から、やって来た。 正面に宮島。 弥山が見える。
弥山(みせん)は、山岳信仰の修験道場だった。 山頂は、岩山。~廿日市市宮島~ 他 (2013/1/7)
ここから船が出てたら、行きたくなる。 近い。

上に行きます。

驚く風景。 砲台跡にしては、規模が大きい。 全国トップクラスと云うのは、本当かも。

上の写真の右の石段を上がった。 監視するところですね。

上は、何となく真っ平。

下りて進むと、この場所に。 砲台跡の中心の場所。
丸い円がある。

こんな大砲を設置する。 回転するように、円。
ここから撃った大砲の弾は、海に落ちるように計算されている。
※ ロシアの船が襲ってきたら、目の前の海を通ると予想。
それで、ここに砲台。 明治の話。
※ 弾はただの鉄の弾か。 今のように、弾が相手にぶつかったら、爆発したのだろうか。
本当に、船に当てることが出来たのか。
誰かが見ていて、もっと手前とか右とか、支持を出したのかな。

上の写真の右について。
ここは、三高山の頂上付近の北の部分。 南の方にも、砲台跡はある。 広い。
さらに行くと、同じのが又あった。

こうです。

ここでちょっと別の話。 石の上に、レンガがありますね。 その上に、土。
この石は、水に強くないのか。 水から守っているのか。
普通の煉瓦は水を吸う。 この煉瓦は、ガサガサした安いレンガではないと予想できる。
地下室に入ってみた。

上から見たらこう。
明治時代だから、飛行機から見られるわけではない。
この一帯が、なんとなく山に見えればいいのか。
磁器のかけらが落ちていた。

山の下には、集落。 段々畑ではなく、棚田。 大きな谷だから、水には不自由しない。

空気口か。

明治31年からとある。
赤の線は難しい言葉。
※ この文を書いた人は、素人なんですね。
ある文の一部を、書き写しただけ。
難しい言葉を、易しく直すには、力が必要。
播州煉瓦は、一般的な言葉でない。 赤穂の方で作られたのでしょうね。
薬焼も、普通には使われない。 これは、上薬を付けて焼いたと考えてよさそう。
そうすると、煉瓦の表面がガラスのようになる。
上の方で書いたけど、煉瓦に水は浸みこまなくなる。
掩蔽(えんぺい)という言葉は、隠すって云う意味なんですね。
煉瓦を敷いて、その上に土を盛って木を植えて、隠した。
調べてやっと意味が分かりました。
山を少し下って、南の山に来た。 こっちにも砲台跡。

こうです。

空気穴は、一番奥にあった。

歩きながら、山の頂上はどこなんだとなった。 分からない。

南への道を行ってみた。 ずっと奥まで。

ここかも知れない。 三角点があるので。 どこにも頂上の案内は無い。

はっきりしない道を、さらに行ってみた。
ここが高いかなと云う所に上がった。 道は無い。
昔、ここに何かがあった。 その石碑。
この場所は、さっきの三角点より、8㍍高い。
それでも、401.8㍍は、さっきの場所かなと思ってお終い。

東屋で弁当を食べた。
大きな山ではないので、少しのごはんの弁当。
この後、一気に下山。 急いだ。 (お風呂の後、買い物も洗濯もある。 いそがしい晩)

江戸幕府をやっと倒して、明治時代になった。
人々に幸せが来るかと思ったら、そうではなかった。
龍馬が願った国には、ならなかった。
明治政府は、戦争の時代のレールを敷いた。
人の命なんか、虫けらにしか思わなかった。
昭和20年まで、それは続いた。
日本の歴史上、こんなに多くの人が死んだ時代は無い。
時代が移っても、その責任はうやむや。
大好きな日本だけど、変なところもある。
砲台跡を残す価値はどこにあるのか。
平和な時代を作るためにある、と云うのが一番かな。
表現は、やわらかくていいから。
上からの風景は、絶景でした。
【今日の一句】 「 山の頂上を探す登山は 珍しい 」
【今日の歌】 Auld Lang Syne 久しぶりです。 ビビアン・リーです。
【停泊場所】 下の山の麓に。 奥小路駐車場。
【明日の予定】 古鷹山に登る。 400㍍程。 山の下の市街地の見学。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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公園になっており、車で見学者がやって来る。
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自分で探すしかない。
三角点があったので、そこかなと思って、そこで食事。
でも、近くにはもっと高い所があった。
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江田島(えたじま)市です。

三高山は、能美島に。 江の島が近い。
車は沖見ふれあいセンターに置ける。 自分は、適当なところに置いて、出発。


ここに。 ふれあいセンターは少し向こう。


この道を行く。 今日も車道が登山道。 12時過ぎに出発。
今日は晴れだけど、靄(もや)がかかっていて、薄日が差したのは、11時半頃から。


森の中の道。 花は無い。 たまに、小さな花。 スミレのような。

中央の大きな建物が、沖見ふれあいセンター。

上の左。 両方に港。 ずっと昔は、向こうは島だった。 今はつながった。
勝手にそのように想像できる。 トンボロに集落。


弁当持って、水持って、少しのおやつ。
足取りは軽い。 いいことがあったわけではないけど。
元気に動き回れるのは、いいなって、幸せだなって思うわけ。
このこと以外は、みんな小さい。 小さなことで、悩んで悩んでなんだけど。


1時間近く歩いたら、山の上に何かが見えた。

道は尾根を越えて、反対側に回った。
真っ直ぐの古い道を行ってみる。 車道から離れて。


もう少し。


頂上一帯が砲台跡だから、いちおう着いたことに。
立派な土木遺産が残っている。

地下には見えないけど、地下。 屋根の上に木があるから、地下でいいか。


反対側を見た。

向こうは、火薬庫。 手前は炊事場。
煉瓦(レンガ)は、イギリス積み。


壁だけ残っていたのでしょうね。


いい風景。 登山口の右の方。


この下から、やって来た。 正面に宮島。 弥山が見える。
弥山(みせん)は、山岳信仰の修験道場だった。 山頂は、岩山。~廿日市市宮島~ 他 (2013/1/7)
ここから船が出てたら、行きたくなる。 近い。

上に行きます。

驚く風景。 砲台跡にしては、規模が大きい。 全国トップクラスと云うのは、本当かも。

上の写真の右の石段を上がった。 監視するところですね。


上は、何となく真っ平。

下りて進むと、この場所に。 砲台跡の中心の場所。
丸い円がある。

こんな大砲を設置する。 回転するように、円。
ここから撃った大砲の弾は、海に落ちるように計算されている。
※ ロシアの船が襲ってきたら、目の前の海を通ると予想。
それで、ここに砲台。 明治の話。
※ 弾はただの鉄の弾か。 今のように、弾が相手にぶつかったら、爆発したのだろうか。
本当に、船に当てることが出来たのか。
誰かが見ていて、もっと手前とか右とか、支持を出したのかな。


上の写真の右について。
ここは、三高山の頂上付近の北の部分。 南の方にも、砲台跡はある。 広い。
さらに行くと、同じのが又あった。


こうです。

ここでちょっと別の話。 石の上に、レンガがありますね。 その上に、土。
この石は、水に強くないのか。 水から守っているのか。
普通の煉瓦は水を吸う。 この煉瓦は、ガサガサした安いレンガではないと予想できる。
地下室に入ってみた。


上から見たらこう。
明治時代だから、飛行機から見られるわけではない。
この一帯が、なんとなく山に見えればいいのか。
磁器のかけらが落ちていた。


山の下には、集落。 段々畑ではなく、棚田。 大きな谷だから、水には不自由しない。


空気口か。

明治31年からとある。
赤の線は難しい言葉。
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難しい言葉を、易しく直すには、力が必要。
播州煉瓦は、一般的な言葉でない。 赤穂の方で作られたのでしょうね。
薬焼も、普通には使われない。 これは、上薬を付けて焼いたと考えてよさそう。
そうすると、煉瓦の表面がガラスのようになる。
上の方で書いたけど、煉瓦に水は浸みこまなくなる。
掩蔽(えんぺい)という言葉は、隠すって云う意味なんですね。
煉瓦を敷いて、その上に土を盛って木を植えて、隠した。
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山を少し下って、南の山に来た。 こっちにも砲台跡。


こうです。

空気穴は、一番奥にあった。


歩きながら、山の頂上はどこなんだとなった。 分からない。

南への道を行ってみた。 ずっと奥まで。

ここかも知れない。 三角点があるので。 どこにも頂上の案内は無い。


はっきりしない道を、さらに行ってみた。
ここが高いかなと云う所に上がった。 道は無い。
昔、ここに何かがあった。 その石碑。
この場所は、さっきの三角点より、8㍍高い。
それでも、401.8㍍は、さっきの場所かなと思ってお終い。

東屋で弁当を食べた。
大きな山ではないので、少しのごはんの弁当。
この後、一気に下山。 急いだ。 (お風呂の後、買い物も洗濯もある。 いそがしい晩)


江戸幕府をやっと倒して、明治時代になった。
人々に幸せが来るかと思ったら、そうではなかった。
龍馬が願った国には、ならなかった。
明治政府は、戦争の時代のレールを敷いた。
人の命なんか、虫けらにしか思わなかった。
昭和20年まで、それは続いた。
日本の歴史上、こんなに多くの人が死んだ時代は無い。
時代が移っても、その責任はうやむや。
大好きな日本だけど、変なところもある。
砲台跡を残す価値はどこにあるのか。
平和な時代を作るためにある、と云うのが一番かな。
表現は、やわらかくていいから。
上からの風景は、絶景でした。
【今日の一句】 「 山の頂上を探す登山は 珍しい 」
【今日の歌】 Auld Lang Syne 久しぶりです。 ビビアン・リーです。
【停泊場所】 下の山の麓に。 奥小路駐車場。
【明日の予定】 古鷹山に登る。 400㍍程。 山の下の市街地の見学。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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午前中だけ天気がいい。 午後は雨。
予報通りになって、下山したら直ぐに降りだした。
夕方雨がやんで、鈴木三重吉の文学碑を見に。
今日は、山の上からの風景を見ながら、江田島市の地形を勉強した。
この町は、船を使えば、広島へは近い。
そう云う事も知った。
鈴木三重吉は、ある時期この島に来た。
面白いことを言ってるので、文学碑を見てきた。
三重吉は小説でうまくいかず、児童文学に関わった。
赤い鳥の創刊者。
彼は新美南吉の「ごんぎつね」を、勝手に直した人。
おかげで、物語は知られるが、余計なことをしてくれたと、自分は思っている。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
江田島(えたじま)市の、能美島にいる。 能美島と江田島は、干拓してくっ付いた。
中町港から出発。 江田島市で出してる登山マップで動いている。

中央の左側の山。 真道山。 じんどうやま。 286.8㍍。 ここから、3.7㌔。
今9時45分。 予定より遅くなった。 午後は雨。
ここは、中町港。 広島港への船が出ている。 片道、1000円ほど。

目の前の海は、江田島湾の中。 向こうが奥。 カキの養殖。 潮が満ちてきた。

ここから山に入る。 桜の咲くころが、一番のよう。
晩まで天気が良ければ、全部歩いてもいい。 今日歩いたら、ぬれねずみ。

こんな畑を見て。 楽しそうだけど、自分にはできそうない。 イノシシ対策が、たいへん。
サヤエンドウの花かなってのを、見た。
明日買い物に行く。 サヤエンドウがあったら買いましょうか。 いい匂いの味噌汁。

ずっと車道。 案内があると、不安がない。 江田島湾の奥の方が見えている。

寒くはない。 どこも痛くない。 快調。
向こうは江田島。 こっちは能美島。 少し右で、くっ付いている。

見えた。 あそこが頂上のよう。 道は真っ直ぐ行って、右に巻いている。

江田島市の能美町側。 市役所の庁舎はこっちに。 港の隣に。

茶色の建物が、市役所の庁舎。 その右が、中町港。

こっちは、反対側。 市街地の部分を、干拓したのかな。 大型の店は、みんなここにある。
江田島市の商店街の中心。 明日の夕方行く。

大きな店が並ぶと、その風景は、全国どこも同じ。 そこを歩いて感動してたら、ちょっと変。

もう少しです。 左を上がって。

階段を登って、振り返って。 いい風景です。

着きました。 11時過ぎ。
※ 左に石碑が見える。 五省(ごせい)の書が書いてある。
軍国時代の遺物かな。
一、至誠しせいに悖もとる勿なかりしか
一、言行げんこうに恥はづる勿なかりしか
一、気力きりょくに缺かくる勿なかりしか
一、努力どりょくに憾うらみ勿なかりしか
一、不精ぶしょうに亘わたる勿なかりしか

ここが頂上。 千本桜の碑。
右に、ぼろぼろの石像。
※ 変わった格好をしている。 右手、右足を上げている。
蔵王権現(ざおうごんげん)ではと思われる。
自分も、何回かしか見ていない。
(三朝町の三徳山で見た、蔵王権現)
三徳山三仏寺投入堂 ~三朝町~ 他 (2011/6/7)
どうしてここにあるのか。
ここから遠くない、四国の石鎚山の本尊が、蔵王権現。
その関係かも知れない。
西日本の最高峰、石鎚山に登る ~頂上は大きな岩の先っぽだった~ 他 (2011/5/25)
神仏混淆時代の像のようですね。
下への別の道があった。 不安だから、行けない。

能美町側。 見える山は、宇根山。 頂上近くは、登山道がはっきりしてない。 行かない。

上の写真の右。 左奥が、湾の出口。 江田島が見えていて、その向こうは、広島。
見えるテーブルで、食事をする。

さらに右。 下は、さっき紹介した、中心の商店街。
その向こうの左側は、本土。 右は、倉橋島。 〇で重なって見える。 音戸の瀬戸は、そこの隙間に。
手前の海をずっと右に行くと、早瀬瀬戸。 早瀬大橋がある。
頂上方向。 向こうに、倉橋島。 中央右に、うっすらと火山(ひやま)。
倉橋火山の頂上付近は、大きな岩が積み重なっていた。 瀬戸内の島々が、どこまでも。~呉市~ 他 (2016/2/22)
右の方に、陀峯山(だぼうざん)があるけど、木の陰。(別の場所から見えたのか)

お湯を沸かして、カップそば。 普段は、カップ麺は食べない。
時間がなくコンビニで寿司を買った。
随分と、しょっぱかった。
このコンロは、風が強いと、あまりよくない。
いつか、別なのを紹介。

食事が終わって下山。 いつ雨が来るか分からない。

こんな畑を見て。

こっちはミカン畑。 みかんは美味しい。 どんなのでも。

梅の花の背中を撮って。

着きました。

着替えていたら、ポツポツと雨。 次第に強くなる。
3時間ほど待つ。 寝てたんだけど。
江田島市の案内地図で、場所は分かる。
鈴木三重吉の文学碑へ。

江田島市の能美町の市街地。 雨は上がった。
山の上が見えた。 頂上は左。 別の階段を下ったら、戻って来られたよう。

途中で人に聞いた。 あそこだよって云われたら、見えた。
左奥に。 個人の家だから、挨拶に行って。

こう。

彼は体調を悪くして、この島にある時期来た。
この場所にあった家に、世話になって。
千鳥と云う小説を書き始めた。(残りは、広島に戻って)
彼の小説で認められているのは、これくらいか。
ここに来た理由が面白い。 それが書いてある。
「親のそばでは泣くにも泣けぬ 沖の小島へいって泣く」

石碑の裏にここに来たいきさつが。 明治38年のこと。

彼は、小説を書くのに挫折し、赤い鳥を創刊する。 児童文学を載せる。
自分の存在を確かなものにしたかったのか、送られてきた文に、手を入れ始めた。
新美南吉の「ごんぎつね」もそうだった。
三重吉を評価する人は、それがあったから、新美南吉は世に出たという。
でもそれは、結果的にそうなったという話で、やはり、余計なことをしている。
今は、そのことへの批判は小さくない。
「ごんぎつね」の主題に関する部分や、大事な部分の解釈が、微妙に変わってしまった。
鈴木三重吉には、それを理解するだけの力は無かったから、どうしようもない。
ごんぎつねの舞台・南吉のふるさとを歩く。 他 (2009/11/18)
ごんぎつね ~半田市 新美南吉記念館~ 他 (2009/11/17)
彼は、宮沢賢治の詩の価値も理解できなかった。 見いだせなかった。
そんなことはあったけど、彼は児童文学へのそれなりの貢献はしたと、評価されている。
下の写真は、鎌倉で撮影。
三重吉は左。 真ん中は、江口章子(あやこ)。 右は、北原白秋。 下の記事で使った。
若き日の白秋を支え、恋に生きた詩人、江口章子 ~彼女の故郷、香々地を訪ねて~ 他 (2010/4/15)

※ なお、「千鳥」の全文はここに。
石垣の一部がこうだった。 これは、雁木(がんぎ)だそう。
港にある石段。
昔はここまで、海だった。

※ 雁木は、鞆の浦(とものうら)にいっぱいある。
昔、能美島や江田島近辺を通って東に向かった船は、まず鞆の浦を目指した。
鞆の浦の港町めぐり ~龍馬がやって来ていた。 福山市~ 他 (2011/12/15)
下の歌に、雁木が。
雨を心配して、いそがしい登山でした。
山の上からの風景は、どこもいい。
江田島市の島の状態が、やっと分かって来たでしょうか。
※ 何せ、1つの島に2つの島があるわけですから。
(ほんとうは3つ。 能美島は、東と西に分けたりもする。 自分は最初、それに頭が混乱)
明日もまた山ですよ。
【今日の一句】 「 1つの島に 2つも3つも 島が 」
【今日の歌】 土井まさる カレンダー Photo to Movie セイ・ヤング 文化放送 いいですよ。
※ この歌を別の人が歌ったのがあった。 それはもっといい。 YouTubuから消えた。
今後もし載ったら、直ぐ保存する。
【停泊場所】 中町港の駐車場
【明日の予定】 三高山に登る。 大きな魅力があるよう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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予報通りになって、下山したら直ぐに降りだした。
夕方雨がやんで、鈴木三重吉の文学碑を見に。
今日は、山の上からの風景を見ながら、江田島市の地形を勉強した。
この町は、船を使えば、広島へは近い。
そう云う事も知った。
鈴木三重吉は、ある時期この島に来た。
面白いことを言ってるので、文学碑を見てきた。
三重吉は小説でうまくいかず、児童文学に関わった。
赤い鳥の創刊者。
彼は新美南吉の「ごんぎつね」を、勝手に直した人。
おかげで、物語は知られるが、余計なことをしてくれたと、自分は思っている。
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江田島(えたじま)市の、能美島にいる。 能美島と江田島は、干拓してくっ付いた。
中町港から出発。 江田島市で出してる登山マップで動いている。


中央の左側の山。 真道山。 じんどうやま。 286.8㍍。 ここから、3.7㌔。
今9時45分。 予定より遅くなった。 午後は雨。
ここは、中町港。 広島港への船が出ている。 片道、1000円ほど。


目の前の海は、江田島湾の中。 向こうが奥。 カキの養殖。 潮が満ちてきた。


ここから山に入る。 桜の咲くころが、一番のよう。
晩まで天気が良ければ、全部歩いてもいい。 今日歩いたら、ぬれねずみ。


こんな畑を見て。 楽しそうだけど、自分にはできそうない。 イノシシ対策が、たいへん。
サヤエンドウの花かなってのを、見た。
明日買い物に行く。 サヤエンドウがあったら買いましょうか。 いい匂いの味噌汁。

ずっと車道。 案内があると、不安がない。 江田島湾の奥の方が見えている。


寒くはない。 どこも痛くない。 快調。
向こうは江田島。 こっちは能美島。 少し右で、くっ付いている。


見えた。 あそこが頂上のよう。 道は真っ直ぐ行って、右に巻いている。

江田島市の能美町側。 市役所の庁舎はこっちに。 港の隣に。

茶色の建物が、市役所の庁舎。 その右が、中町港。

こっちは、反対側。 市街地の部分を、干拓したのかな。 大型の店は、みんなここにある。
江田島市の商店街の中心。 明日の夕方行く。

大きな店が並ぶと、その風景は、全国どこも同じ。 そこを歩いて感動してたら、ちょっと変。

もう少しです。 左を上がって。


階段を登って、振り返って。 いい風景です。


着きました。 11時過ぎ。
※ 左に石碑が見える。 五省(ごせい)の書が書いてある。
軍国時代の遺物かな。
一、至誠しせいに悖もとる勿なかりしか
一、言行げんこうに恥はづる勿なかりしか
一、気力きりょくに缺かくる勿なかりしか
一、努力どりょくに憾うらみ勿なかりしか
一、不精ぶしょうに亘わたる勿なかりしか

ここが頂上。 千本桜の碑。
右に、ぼろぼろの石像。
※ 変わった格好をしている。 右手、右足を上げている。
蔵王権現(ざおうごんげん)ではと思われる。
自分も、何回かしか見ていない。
(三朝町の三徳山で見た、蔵王権現)
三徳山三仏寺投入堂 ~三朝町~ 他 (2011/6/7)
どうしてここにあるのか。
ここから遠くない、四国の石鎚山の本尊が、蔵王権現。
その関係かも知れない。
西日本の最高峰、石鎚山に登る ~頂上は大きな岩の先っぽだった~ 他 (2011/5/25)
神仏混淆時代の像のようですね。
下への別の道があった。 不安だから、行けない。


能美町側。 見える山は、宇根山。 頂上近くは、登山道がはっきりしてない。 行かない。

上の写真の右。 左奥が、湾の出口。 江田島が見えていて、その向こうは、広島。
見えるテーブルで、食事をする。

さらに右。 下は、さっき紹介した、中心の商店街。
その向こうの左側は、本土。 右は、倉橋島。 〇で重なって見える。 音戸の瀬戸は、そこの隙間に。
手前の海をずっと右に行くと、早瀬瀬戸。 早瀬大橋がある。

頂上方向。 向こうに、倉橋島。 中央右に、うっすらと火山(ひやま)。
倉橋火山の頂上付近は、大きな岩が積み重なっていた。 瀬戸内の島々が、どこまでも。~呉市~ 他 (2016/2/22)
右の方に、陀峯山(だぼうざん)があるけど、木の陰。(別の場所から見えたのか)

お湯を沸かして、カップそば。 普段は、カップ麺は食べない。
時間がなくコンビニで寿司を買った。
随分と、しょっぱかった。
このコンロは、風が強いと、あまりよくない。
いつか、別なのを紹介。


食事が終わって下山。 いつ雨が来るか分からない。

こんな畑を見て。

こっちはミカン畑。 みかんは美味しい。 どんなのでも。


梅の花の背中を撮って。


着きました。


着替えていたら、ポツポツと雨。 次第に強くなる。
3時間ほど待つ。 寝てたんだけど。
江田島市の案内地図で、場所は分かる。
鈴木三重吉の文学碑へ。

江田島市の能美町の市街地。 雨は上がった。
山の上が見えた。 頂上は左。 別の階段を下ったら、戻って来られたよう。


途中で人に聞いた。 あそこだよって云われたら、見えた。
左奥に。 個人の家だから、挨拶に行って。


こう。

彼は体調を悪くして、この島にある時期来た。
この場所にあった家に、世話になって。
千鳥と云う小説を書き始めた。(残りは、広島に戻って)
彼の小説で認められているのは、これくらいか。
ここに来た理由が面白い。 それが書いてある。
「親のそばでは泣くにも泣けぬ 沖の小島へいって泣く」

石碑の裏にここに来たいきさつが。 明治38年のこと。


彼は、小説を書くのに挫折し、赤い鳥を創刊する。 児童文学を載せる。
自分の存在を確かなものにしたかったのか、送られてきた文に、手を入れ始めた。
新美南吉の「ごんぎつね」もそうだった。
三重吉を評価する人は、それがあったから、新美南吉は世に出たという。
でもそれは、結果的にそうなったという話で、やはり、余計なことをしている。
今は、そのことへの批判は小さくない。
「ごんぎつね」の主題に関する部分や、大事な部分の解釈が、微妙に変わってしまった。
鈴木三重吉には、それを理解するだけの力は無かったから、どうしようもない。
ごんぎつねの舞台・南吉のふるさとを歩く。 他 (2009/11/18)
ごんぎつね ~半田市 新美南吉記念館~ 他 (2009/11/17)
彼は、宮沢賢治の詩の価値も理解できなかった。 見いだせなかった。
そんなことはあったけど、彼は児童文学へのそれなりの貢献はしたと、評価されている。
下の写真は、鎌倉で撮影。
三重吉は左。 真ん中は、江口章子(あやこ)。 右は、北原白秋。 下の記事で使った。
若き日の白秋を支え、恋に生きた詩人、江口章子 ~彼女の故郷、香々地を訪ねて~ 他 (2010/4/15)

※ なお、「千鳥」の全文はここに。
石垣の一部がこうだった。 これは、雁木(がんぎ)だそう。
港にある石段。
昔はここまで、海だった。

※ 雁木は、鞆の浦(とものうら)にいっぱいある。
昔、能美島や江田島近辺を通って東に向かった船は、まず鞆の浦を目指した。
鞆の浦の港町めぐり ~龍馬がやって来ていた。 福山市~ 他 (2011/12/15)
下の歌に、雁木が。
雨を心配して、いそがしい登山でした。
山の上からの風景は、どこもいい。
江田島市の島の状態が、やっと分かって来たでしょうか。
※ 何せ、1つの島に2つの島があるわけですから。
(ほんとうは3つ。 能美島は、東と西に分けたりもする。 自分は最初、それに頭が混乱)
明日もまた山ですよ。
【今日の一句】 「 1つの島に 2つも3つも 島が 」
【今日の歌】 土井まさる カレンダー Photo to Movie セイ・ヤング 文化放送 いいですよ。
※ この歌を別の人が歌ったのがあった。 それはもっといい。 YouTubuから消えた。
今後もし載ったら、直ぐ保存する。
【停泊場所】 中町港の駐車場
【明日の予定】 三高山に登る。 大きな魅力があるよう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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