新しい重伝建地区があった。 2年ほど前に選定されて。
村田の蔵の町並み。
宮城県の重伝建地区は、ここだけ。
そんなことで見学してきた。
町並みの近くの神社に、大樹は藤の木があった。
コブのある巨木も。
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )























【今日の一句】
【今日の歌】
【道の駅】 村田
【明日の予定】 北に向かう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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宮城県の重伝建地区は、ここだけ。
そんなことで見学してきた。
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仙台城跡は、青葉城跡とも云われるだけあって、緑深い高台の森にあった。
仙台市内に入ると、雨は本降りになってきた。
ここまで来たら行くしかない。
傘をさして歩くことに。
天守はどこにあったのだろう。
仙台城に天守は、元々無かった。
建物は残ってなく、本丸跡が見所の中心。
そこに、正宗の像や晩翠の歌碑があった。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
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仙台は東北最大の都市。

数年前、城の北にある県立美術館の佐藤忠良記念館に行ったことが。
あの時は、城には来なかった。

駐車場は、何と城跡の中心にあった。 本丸跡に。
駐車場から見た、宮城県護国神社。
入っていったら、軍歌が流れていた。 戻った。

左に、お店。

これを見て、ここが本丸跡と分かった。
情報誌には、天守のような写真があった。
天守を探したが、無い。
※ その写真は、離れた所にある、形だけ復元した櫓だった。 本物の復元ではなく。
人に聞いて、天守は無いと知る。

お店の中に、下の所が。 700円なので、やめた。
観光施設にみんな入っていたら、旅は続けられない。 個人の施設は、いいとは限らない。

こっちは広く、仙台城跡。

どこを見学すればいいか、分かりにくい。
片倉小十郎の仙台の住居がある。 彼は、白石城の城主。 正宗が一番助けられた家臣。
仙台城は、伊達政宗が築いたとある。 江戸時代の初めに。

最初に、土井晩翠の碑を。

彼は荒城の月を作詞した。

詞をつくった明治の時は、まだ残ってる建物があったよう。 荒れてはいても。
後にすべて、仙台空襲で焼け落ちる。
それで、今は何もない。
作曲をした滝廉太郎には、触れていない。

直ぐ近くに、伊達政宗騎馬像。

兜の月が特徴。 ※ 弦月形前立六十二間筋鉢兜と呼ばれる。 弦月(げんげつ)が前に立って。

こんな人がいる。 正宗になり切って。 勝手にしてるのかどうかは、分からない。 サービスでこう。

雨でくもった仙台の町並み。


像の後ろに、礎石が並んでいた。

発掘した石を並べたかどうかは、この説明では分からない。 復元とある。
ここに大広間があった。 城の中心的な建物。

市の関係のHPに、下の写真。
これを見たら、本丸御殿とある。
本丸御殿は、黄色の建物全体。 その中心の建物が、大広間。
そんな風に考えていいよう。
赤〇は、天守の代わりをしていた、艮櫓(うしとらやぐら)。
城跡にあった説明の図には、出て来ない。 土台が崩れたのか。

上の右写真は、近くにあった。 神社が書いた。 高飛車な表現。
一番下に、青葉城の名は俗称とある。
Wikipediaは雅称。 ※ 雅称~雅な表現。
別名って云う言葉だってある。
※ 余談 明治に入って、城も寺も大変な目にあった。
明治政府が動いていた。
神社は、明治政府に協力的。 戦争を否定することは無かった。
ここの神社は、今も軍歌を流している。
城跡には、神社ばかり。
城が焼け落ちて、なくなって、一番もうけたのは神社。
そんなことを思います。
大広間跡のそばに、仙台城見聞館。 パッと撮ったら、パッと戸が開いた。 すみませんって撮りなおし。
※ 雨のおかげで傘を忘れる心配がない。 いっぱい忘れた。

壁に大きな絵。
ここは、大広間の説明の建物だった。

立派なものだったよう。

大広間は、当時の仙台における、建築、絵画・工芸などの集大成とある。

一部分を再現している。
こうだったと正確に分かっているわけではなく、あるものを参考にして作った。

これは本物。 発掘されたもの。

正宗は、仙台藩62万石の初代藩主。
20年早く生まれたら、天下を狙えたかも知れない。
天下を取る夢は、江戸時代に入っても捨ててはいなかったよう。
ただ、晩年になってから、若き3代将軍家光とは仲が良かった。 信頼された。

下への道があった。 右のように書いてあったので、行かなかった。

少し物足りないので、散策。 ここが、神社への入り口。 本丸跡への入り口でも。
バスで来た人たちは、ここから入る。
雨の日は、アジサイは生き生き。

振り返るとお店の方。 仙台の祭りと云えば、七夕まつり。 はるか昔に見たことが。

お店の様子。 ずんだ餅。 枝豆をすりつぶして。 食べたことない。
※ 余談 ウグイス豆は、エンドウ豆ですね。
少し前の大河ドラマで、正宗が餅をついて秀吉に、これを御馳走した。
正宗がいた地方は、これがよく食べられる。 米沢の方とか。

設計図が残っていればの話ですが、大広間だけでも復元できたらいいですね。
艮櫓(うしとらやぐら)の復元の話があった。
法的な問題で、難しかったよう。
文化財に関する物が、壊れるとかで。
いつかはと思っていた仙台城跡。
やっと見ることができました。
※ 北から向かうと、さんざん町の中を通る。 渋滞。
南に向かう時は、あっという間にすいすいと。
【今日の一句】 「 雨の中の仙台城跡 正宗の夢の跡でも 」
【今日の歌】
【道の駅】 村田
【明日の予定】 田村の町並みを見る。 最近重伝建地区になった。
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数年前、城の北にある県立美術館の佐藤忠良記念館に行ったことが。
あの時は、城には来なかった。


駐車場は、何と城跡の中心にあった。 本丸跡に。
駐車場から見た、宮城県護国神社。
入っていったら、軍歌が流れていた。 戻った。


左に、お店。

これを見て、ここが本丸跡と分かった。
情報誌には、天守のような写真があった。
天守を探したが、無い。
※ その写真は、離れた所にある、形だけ復元した櫓だった。 本物の復元ではなく。
人に聞いて、天守は無いと知る。


お店の中に、下の所が。 700円なので、やめた。
観光施設にみんな入っていたら、旅は続けられない。 個人の施設は、いいとは限らない。

こっちは広く、仙台城跡。

どこを見学すればいいか、分かりにくい。
片倉小十郎の仙台の住居がある。 彼は、白石城の城主。 正宗が一番助けられた家臣。
仙台城は、伊達政宗が築いたとある。 江戸時代の初めに。


最初に、土井晩翠の碑を。

彼は荒城の月を作詞した。

詞をつくった明治の時は、まだ残ってる建物があったよう。 荒れてはいても。
後にすべて、仙台空襲で焼け落ちる。
それで、今は何もない。
作曲をした滝廉太郎には、触れていない。


直ぐ近くに、伊達政宗騎馬像。


兜の月が特徴。 ※ 弦月形前立六十二間筋鉢兜と呼ばれる。 弦月(げんげつ)が前に立って。

こんな人がいる。 正宗になり切って。 勝手にしてるのかどうかは、分からない。 サービスでこう。


雨でくもった仙台の町並み。



像の後ろに、礎石が並んでいた。

発掘した石を並べたかどうかは、この説明では分からない。 復元とある。
ここに大広間があった。 城の中心的な建物。


市の関係のHPに、下の写真。
これを見たら、本丸御殿とある。
本丸御殿は、黄色の建物全体。 その中心の建物が、大広間。
そんな風に考えていいよう。
赤〇は、天守の代わりをしていた、艮櫓(うしとらやぐら)。
城跡にあった説明の図には、出て来ない。 土台が崩れたのか。


上の右写真は、近くにあった。 神社が書いた。 高飛車な表現。
一番下に、青葉城の名は俗称とある。
Wikipediaは雅称。 ※ 雅称~雅な表現。
別名って云う言葉だってある。
※ 余談 明治に入って、城も寺も大変な目にあった。
明治政府が動いていた。
神社は、明治政府に協力的。 戦争を否定することは無かった。
ここの神社は、今も軍歌を流している。
城跡には、神社ばかり。
城が焼け落ちて、なくなって、一番もうけたのは神社。
そんなことを思います。
大広間跡のそばに、仙台城見聞館。 パッと撮ったら、パッと戸が開いた。 すみませんって撮りなおし。
※ 雨のおかげで傘を忘れる心配がない。 いっぱい忘れた。

壁に大きな絵。

ここは、大広間の説明の建物だった。

立派なものだったよう。

大広間は、当時の仙台における、建築、絵画・工芸などの集大成とある。



一部分を再現している。
こうだったと正確に分かっているわけではなく、あるものを参考にして作った。


これは本物。 発掘されたもの。


正宗は、仙台藩62万石の初代藩主。
20年早く生まれたら、天下を狙えたかも知れない。
天下を取る夢は、江戸時代に入っても捨ててはいなかったよう。
ただ、晩年になってから、若き3代将軍家光とは仲が良かった。 信頼された。


下への道があった。 右のように書いてあったので、行かなかった。


少し物足りないので、散策。 ここが、神社への入り口。 本丸跡への入り口でも。
バスで来た人たちは、ここから入る。
雨の日は、アジサイは生き生き。


振り返るとお店の方。 仙台の祭りと云えば、七夕まつり。 はるか昔に見たことが。


お店の様子。 ずんだ餅。 枝豆をすりつぶして。 食べたことない。
※ 余談 ウグイス豆は、エンドウ豆ですね。
少し前の大河ドラマで、正宗が餅をついて秀吉に、これを御馳走した。
正宗がいた地方は、これがよく食べられる。 米沢の方とか。


設計図が残っていればの話ですが、大広間だけでも復元できたらいいですね。
艮櫓(うしとらやぐら)の復元の話があった。
法的な問題で、難しかったよう。
文化財に関する物が、壊れるとかで。
いつかはと思っていた仙台城跡。
やっと見ることができました。
※ 北から向かうと、さんざん町の中を通る。 渋滞。
南に向かう時は、あっという間にすいすいと。
【今日の一句】 「 雨の中の仙台城跡 正宗の夢の跡でも 」
【今日の歌】
【道の駅】 村田
【明日の予定】 田村の町並みを見る。 最近重伝建地区になった。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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今日は、オイル交換の予定。
3軒目に電話した宮城トヨタ大和店で、やってもらえることに。
夕方の6時からなので、近くにある吉岡宿を歩く。
重伝建地区とかではないから、大きな期待はしていない。
吉岡宿本陣案内所があった。
地図をいただいて、車を停めさせもらう。
案内所の中が、にぎやか。
映画のポスターとかが、いっぱい。
吉岡宿は、映画「殿、利息でござる!」の舞台だった。
初めて知る。
案内所の方に、いろいろ説明していただいた。
その後、映画にゆかりの場所を歩いた。
なかなか面白い。
また、ここ大和(たいわ)町は、佐藤忠良さんの出身地だという。
まほろばホールに、作品がある。
うれしいおまけがあった。
初めて見る、いい作品も。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
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大和町は仙台市の少し北に。

印の辺りが、吉岡宿。 赤〇は、お世話になった宮城トヨタ大和店。
吉岡宿観光の拠点、吉岡宿本陣案内所。 ここには昔、本陣があった。
※ 本陣他、吉岡宿には古い建物が残っていない。
江戸の終わると明治の初めに、大きな大火があった。
赤い道は、奥州街道。 地図の上の方を歩くことに。

案内所の中はこう。 これは何でしょうと思った。

「殿、利息でござる!」って映画なんですね。 自分は映画を最近見てないから、知らなかった。

吉岡宿で、これを書いた人がいる。 国恩記(こくおんき)。

江戸時代に、吉岡宿を救った人たちがいた。 それを記録したもの。
これを本に書いた人が、磯田道史。 いそだみちふみ。 歴史学者。「武士の家計簿」を書いている。

そして映画になるが、そこまで道のりは大変。 多くの人が動いた。 人のつながりが、力に。
上の作者は、このことを「感動のドミノ」と呼んでいる。 (人が人を、また人を動かして・・。
※ 詳しくは、右に。 殿、利息でござる!
下がポスター。
※ 中央に竹内結子がいる。 最初の時代劇だそう。
昨年撮影だから、真田丸は2作目か。

色紙があった。
中央は、作者。 右は監督の、中村義洋さん。
左は主人公の穀田屋十三郎を演じる、阿部サダヲ。
※ 余談 阿部サダヲの芸名は、阿部定事件の安倍定からとったそう。
津山事件を起こした都井睦雄は、阿部定事件よりどでかいことをやってやると、事件前人に言っていた。
津山事件の貝尾を歩く ~日本犯罪史上、最大の大量殺人(30名)~ 他 (2010/5/14)

散策開始。 主人公の穀田屋十三郎の家に向かう。
茶屋があった。 宿場一番の知恵者の家の跡。 当時から茶屋。
※ 余談 九条家にお茶を献上したとある。
上に書いた竹内結子は、真田丸で茶々を演じている。 後の淀殿。
浅井三姉妹の一番上ですね。
一番下が江(ごう)。 彼女は、最後に2代将軍秀忠に嫁ぐ。
その前に、完子(さだこ)を生んでいる。
完子は九条家に嫁ぐ。 その末裔が、大正天皇の皇后に。 今の天皇の祖母。
昨日の記事に書いたけど、大正天皇の母は、柳原白蓮の姪(めい)でしたね。 父の妹の子。
余談でした。

はす向かいの店はこう。 映画一色。 いい雰囲気。

ここが、穀田屋。 子孫が暮らしている。 今は酒屋。
穀田屋十三郎は、1000両を集めて仙台藩に貸し付けるプロジェクトの中心人物。

説明の後半にいい事が書いてある。 奢(おご)らず、・・・と。

ショウウインドウはこう。

戻って来た。 左に案内所。 向こうの、お寺に行く。

案内があった。 浅野屋という酒屋があった。 活躍する1人の、酒屋だった。
スケートの羽生が殿様を演じた。 最後の動画で。 酒の名前を3つプレゼント。

少し行ったら、酒屋。 浅野屋からのれん分けしてもらったとある。 殿さま命名の酒。

しばらく歩いて龍泉院。 ここの和尚が国恩記を書いたとある。

門を入った左に、集められた石碑や墓があった。

次は九品寺(くほんじ)。 左に大きな建物。
国恩記顕彰の碑建立之地とある。 行ってみる。

山門前に、地蔵さん。
一人だけ、横を向いている。 地震で横を向いたわけではないでしょうね。 そんなのが、どこかにあった。

門を入って左にあった。

吉岡宿は、仙台藩から伝馬役を命じられていた。 荷物を運ぶ役割。
幕府からの援助は無かった。 ただでさえ貧しいのに、宿場は一層苦しくなった。
それを何とかしようと知恵を絞った。
仙台藩に金を貸して、利息をもらう。 やり方を間違ったら大変。 お咎(とが)め。
プロジェクトを動かしたのは、9名。
そのことをいつまでも忘れないようにと、国恩記顕彰の碑。
義民の碑を見ることがある。 似ている。
末代まで恩を忘れないと。

戻って来た。 案内所でお礼を言った。 佐藤忠良さんの話は、その時に教えていただいた。

まほろばホール。 大きな公民館のかんじ。 右の植え込みの中に、忠良さんの像があった。

誰をモデルにしたかは、表情で分かった。 笹戸千津子さん。 帽子のモデルほか。
何がいいか、簡単に表現できない。

玄関にも、ポスター。
2階に、佐藤忠良ギャラリー。 彼は、この町で生まれた。
入り口に、新しい作品の案内。

これです。 演技性。 案内を撮った。 中は撮れない。 他の写真は、パンフレットから。
演技生が、今回一番気に入った。 この写真では、魅力が十分に伝わらない。
斜め左から見ると、表情が深く読み取れる。
忠良さんの顔の表情は、唇に特徴を感じる。
内に秘めた意志の強さや人間性が、見える。 しばらく見ていた。
この人なら絶対信用していい、そうも思わせてくれる。
女性としての魅力も。
似た女優さんはいるだろうかって、考えた。
この写真より、実際はもっと唇がうすい。
右は、母ですね。

98歳まで生きる。 震災の数日あとになくなる。
芸術についての文があった。
科学は社会をつくる。 芸術はつくれない。
でも、芸術は心を育てる。
その心が物を見る。 社会を見る。
そんな内容だった。

こんな絵も。

映画について、詳しくは勉強していないので、記事の中の説明を読んでくださいね。
大和町は、今後、この映画での町おこしを、どのように考えているのでしょう。
先達が吉岡宿を何とかしたように、今の人達も何とかするでしょうね。
見応えのある見学場所を、どこにするか。
どうつくるか。
観光は、佐藤忠良さんとセットでしょうか。
※ この後、買い物をして、オイル交換。
軽やかに走る感じ。
【関連ブログ】
旭川の街中を散歩。 野外彫刻を訪ねて。 佐藤忠良、若い女・夏、他。~旭川市~ 他 (2015/8/28)
(上の記事にある中島みゆきの北の旅人は、こんな曲。 最後の方に忠良さんの像が)
仙台 ~広瀬川・青葉通・定禅寺通・佐藤忠良記念館 ~ 他 (2009/10/09)
下の記事に、笹戸千津子さんの像が。 場所は夕張。 忠良さんは夕張にいたことが。
悲別ロマン座、今は喫茶店に。 歌志内は、三浦綾子の最初の赴任地。~歌志内市~ 他 (2013/8/17)
【動画】
【道の駅】 おおさと
【明日の予定】 青葉城に。 午後から雨が止む予定。 止まなかったら・・・。
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3軒目に電話した宮城トヨタ大和店で、やってもらえることに。
夕方の6時からなので、近くにある吉岡宿を歩く。
重伝建地区とかではないから、大きな期待はしていない。
吉岡宿本陣案内所があった。
地図をいただいて、車を停めさせもらう。
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吉岡宿は、映画「殿、利息でござる!」の舞台だった。
初めて知る。
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大和町は仙台市の少し北に。

印の辺りが、吉岡宿。 赤〇は、お世話になった宮城トヨタ大和店。


吉岡宿観光の拠点、吉岡宿本陣案内所。 ここには昔、本陣があった。
※ 本陣他、吉岡宿には古い建物が残っていない。
江戸の終わると明治の初めに、大きな大火があった。

赤い道は、奥州街道。 地図の上の方を歩くことに。


案内所の中はこう。 これは何でしょうと思った。


「殿、利息でござる!」って映画なんですね。 自分は映画を最近見てないから、知らなかった。


吉岡宿で、これを書いた人がいる。 国恩記(こくおんき)。


江戸時代に、吉岡宿を救った人たちがいた。 それを記録したもの。
これを本に書いた人が、磯田道史。 いそだみちふみ。 歴史学者。「武士の家計簿」を書いている。

そして映画になるが、そこまで道のりは大変。 多くの人が動いた。 人のつながりが、力に。
上の作者は、このことを「感動のドミノ」と呼んでいる。 (人が人を、また人を動かして・・。
※ 詳しくは、右に。 殿、利息でござる!
下がポスター。
※ 中央に竹内結子がいる。 最初の時代劇だそう。
昨年撮影だから、真田丸は2作目か。

色紙があった。
中央は、作者。 右は監督の、中村義洋さん。
左は主人公の穀田屋十三郎を演じる、阿部サダヲ。
※ 余談 阿部サダヲの芸名は、阿部定事件の安倍定からとったそう。
津山事件を起こした都井睦雄は、阿部定事件よりどでかいことをやってやると、事件前人に言っていた。
津山事件の貝尾を歩く ~日本犯罪史上、最大の大量殺人(30名)~ 他 (2010/5/14)


散策開始。 主人公の穀田屋十三郎の家に向かう。
茶屋があった。 宿場一番の知恵者の家の跡。 当時から茶屋。
※ 余談 九条家にお茶を献上したとある。
上に書いた竹内結子は、真田丸で茶々を演じている。 後の淀殿。
浅井三姉妹の一番上ですね。
一番下が江(ごう)。 彼女は、最後に2代将軍秀忠に嫁ぐ。
その前に、完子(さだこ)を生んでいる。
完子は九条家に嫁ぐ。 その末裔が、大正天皇の皇后に。 今の天皇の祖母。
昨日の記事に書いたけど、大正天皇の母は、柳原白蓮の姪(めい)でしたね。 父の妹の子。
余談でした。


はす向かいの店はこう。 映画一色。 いい雰囲気。

ここが、穀田屋。 子孫が暮らしている。 今は酒屋。
穀田屋十三郎は、1000両を集めて仙台藩に貸し付けるプロジェクトの中心人物。

説明の後半にいい事が書いてある。 奢(おご)らず、・・・と。


ショウウインドウはこう。

戻って来た。 左に案内所。 向こうの、お寺に行く。

案内があった。 浅野屋という酒屋があった。 活躍する1人の、酒屋だった。
スケートの羽生が殿様を演じた。 最後の動画で。 酒の名前を3つプレゼント。


少し行ったら、酒屋。 浅野屋からのれん分けしてもらったとある。 殿さま命名の酒。



しばらく歩いて龍泉院。 ここの和尚が国恩記を書いたとある。


門を入った左に、集められた石碑や墓があった。


次は九品寺(くほんじ)。 左に大きな建物。
国恩記顕彰の碑建立之地とある。 行ってみる。


山門前に、地蔵さん。
一人だけ、横を向いている。 地震で横を向いたわけではないでしょうね。 そんなのが、どこかにあった。



門を入って左にあった。

吉岡宿は、仙台藩から伝馬役を命じられていた。 荷物を運ぶ役割。
幕府からの援助は無かった。 ただでさえ貧しいのに、宿場は一層苦しくなった。
それを何とかしようと知恵を絞った。
仙台藩に金を貸して、利息をもらう。 やり方を間違ったら大変。 お咎(とが)め。
プロジェクトを動かしたのは、9名。
そのことをいつまでも忘れないようにと、国恩記顕彰の碑。
義民の碑を見ることがある。 似ている。
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戻って来た。 案内所でお礼を言った。 佐藤忠良さんの話は、その時に教えていただいた。

まほろばホール。 大きな公民館のかんじ。 右の植え込みの中に、忠良さんの像があった。

誰をモデルにしたかは、表情で分かった。 笹戸千津子さん。 帽子のモデルほか。
何がいいか、簡単に表現できない。


玄関にも、ポスター。
2階に、佐藤忠良ギャラリー。 彼は、この町で生まれた。
入り口に、新しい作品の案内。


これです。 演技性。 案内を撮った。 中は撮れない。 他の写真は、パンフレットから。
演技生が、今回一番気に入った。 この写真では、魅力が十分に伝わらない。
斜め左から見ると、表情が深く読み取れる。
忠良さんの顔の表情は、唇に特徴を感じる。
内に秘めた意志の強さや人間性が、見える。 しばらく見ていた。
この人なら絶対信用していい、そうも思わせてくれる。
女性としての魅力も。
似た女優さんはいるだろうかって、考えた。
この写真より、実際はもっと唇がうすい。
右は、母ですね。


98歳まで生きる。 震災の数日あとになくなる。
芸術についての文があった。
科学は社会をつくる。 芸術はつくれない。
でも、芸術は心を育てる。
その心が物を見る。 社会を見る。
そんな内容だった。


こんな絵も。


映画について、詳しくは勉強していないので、記事の中の説明を読んでくださいね。
大和町は、今後、この映画での町おこしを、どのように考えているのでしょう。
先達が吉岡宿を何とかしたように、今の人達も何とかするでしょうね。
見応えのある見学場所を、どこにするか。
どうつくるか。
観光は、佐藤忠良さんとセットでしょうか。
※ この後、買い物をして、オイル交換。
軽やかに走る感じ。
【関連ブログ】
旭川の街中を散歩。 野外彫刻を訪ねて。 佐藤忠良、若い女・夏、他。~旭川市~ 他 (2015/8/28)
(上の記事にある中島みゆきの北の旅人は、こんな曲。 最後の方に忠良さんの像が)
仙台 ~広瀬川・青葉通・定禅寺通・佐藤忠良記念館 ~ 他 (2009/10/09)
下の記事に、笹戸千津子さんの像が。 場所は夕張。 忠良さんは夕張にいたことが。
悲別ロマン座、今は喫茶店に。 歌志内は、三浦綾子の最初の赴任地。~歌志内市~ 他 (2013/8/17)
【動画】
【道の駅】 おおさと
【明日の予定】 青葉城に。 午後から雨が止む予定。 止まなかったら・・・。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


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先週の大河ドラマで、伊達政宗は上洛したが遅かった。
最後まで、北條氏を助けるか迷っていた。
それは、1590年のこと。
その時の正宗の城は、米沢城。
秀吉に恭順の意を示すのが遅かったことなどで、お仕置き。
米沢城72万石から、岩出山城58万石に、移された。
1591年のこと。
※ 米沢城には蒲生氏が入るが、後の1597年、会津に上杉景勝が。
米沢城は、家臣の直江兼続が任される。
10年後の1601年に、正宗は仙台城に移る。
関が原で家康に味方したご褒美。
正宗の後の岩出山城は、岩出山伊達氏の居城に。
そんな歴史があって、江戸時代の1691年に学問所が出来る。
それが有備館。
今日は、有備館と山の上の城跡を見た。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
国道47沿いに。 この道は、鳴子温泉を抜けて、新庄市に。

赤〇に城跡。
有備(ゆうび)館。 300円。

庭園は後に作られた。

中に入ってみる。

きれい。 新しい感じ。
実は、震災で崩壊して復元した。 新築でなく。 この春に、オープン。

旅に出て、広い畳の上で寝転がったことがない。
ここに机を並べて、若者が学んだ。
藩の未来は人材にかかっていると、藩主は考えたんですね。

池の周りを歩く。

松は好きなように伸びるから、支える。

神社。 右隣に石碑があった。 珍しいのが。
真ん中の石碑に、双子鬼子母神(ふたごきしぼじん)。 初めて見る。
子どもを守る神。 双子とあるから、特に双子は大事にか。
※ 鬼の漢字がある。 元々この神は子供を食べた。 釈迦に諭されて、今の神になった。

有備館の建物。

震災前は、このように。 右のようになった。 地震に弱かったのかな。 右は、何だったのか。

大きな桜の木。 冷泉家(れいぜいけ)から贈られたとある。
京都に冷泉家の建物があるよう。 いつか行かなければ。
吉野の桜とある。 吉野は昔から桜で有名。
吉野山を歩く。 金峯山寺。 吉野水分神社。 金峯神社。 西行庵。 義経隠れ塔。~吉野町~ 他 (2015/11/21)
下の方に藤原為綱とある。 この人の娘が、こっちに嫁いだとある。
※ 余談 為綱の子供が柳原(やなぎわら)家になる。
その子孫に、柳原白蓮がいる。 下の歌を。
「 鶯は大円院で今日も鳴く 一切煩悩皆空なりと 」
滝口入道と横笛の悲恋 他 ~滝口寺 祇王寺~ 他 (2010/11/26)
白蓮の父の妹の子は、大正天皇の母。
今の天皇も、藤原為綱の直系になる。

年代を感じる。

別の場所から。 今日は日曜日。

竹が美しい。

池には島が。

ショウブが一輪。 スイレンも咲いて。

橋が見えるけど、今は行けない。

柊(ひいらぎ)の木を初めて見た。 葉っぱにとげ。
節分の日に、玄関に飾る。 鬼は目を刺されるから入れない。

戻って来た。 数日ぶりに、いい天気。

この後城跡を見に行った。

岩出山城跡だけど、荒れていた。 震災の後の整備中か。 崖崩れも。
有備館のと同じ内容が書いてある。 一部読めない。

伊達正宗の像。 先週の大河で、20年早く生まれて来てたらって、叫んでいた。
若いために、秀吉と対等に戦えない。
※ 信玄は、生まれるのが20年早かったと悔やんだ。 勝頼は力不足だった。

岩出山の町並み。 今は大崎市だけど、以前は、単独の自治体かな。

伊達政宗は、気骨のある武将だった。 秀吉を恐れなかった。
上杉景勝や直江兼続も、同じ。
遥か昔の、平泉の藤原氏に似ている。
正宗は、知略を尽くして、戦国を生き延びる。
魅力いっぱい。
【ブログ紹介】 足利学校 ばん阿寺 渡良瀬橋 ~足利市~ 他 (2011/10/28)
【今日の一句】 「 知らない町を 旅するしかない 自分がいる 」 山頭火の真似。
【今日の歌】 浅田真央の新しい曲が決まった。 ショートもフリーも同じ曲。
バレエ組曲「恋は魔術師」より「Ritual Dance(リチュアル・ダンス)だそう。
確認できないけど、下の感じかなと。
August Rush - Playing in the park "Ritual Dance by Kaki King"
【道の駅】 あ・ら・伊達な道の駅
【明日の予定】 車のオイル交換をしたい。 時間があれば、正宗の仙台城に。
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最後まで、北條氏を助けるか迷っていた。
それは、1590年のこと。
その時の正宗の城は、米沢城。
秀吉に恭順の意を示すのが遅かったことなどで、お仕置き。
米沢城72万石から、岩出山城58万石に、移された。
1591年のこと。
※ 米沢城には蒲生氏が入るが、後の1597年、会津に上杉景勝が。
米沢城は、家臣の直江兼続が任される。
10年後の1601年に、正宗は仙台城に移る。
関が原で家康に味方したご褒美。
正宗の後の岩出山城は、岩出山伊達氏の居城に。
そんな歴史があって、江戸時代の1691年に学問所が出来る。
それが有備館。
今日は、有備館と山の上の城跡を見た。
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国道47沿いに。 この道は、鳴子温泉を抜けて、新庄市に。


赤〇に城跡。

有備(ゆうび)館。 300円。

庭園は後に作られた。


中に入ってみる。

きれい。 新しい感じ。
実は、震災で崩壊して復元した。 新築でなく。 この春に、オープン。


旅に出て、広い畳の上で寝転がったことがない。
ここに机を並べて、若者が学んだ。
藩の未来は人材にかかっていると、藩主は考えたんですね。

池の周りを歩く。

松は好きなように伸びるから、支える。

神社。 右隣に石碑があった。 珍しいのが。
真ん中の石碑に、双子鬼子母神(ふたごきしぼじん)。 初めて見る。
子どもを守る神。 双子とあるから、特に双子は大事にか。
※ 鬼の漢字がある。 元々この神は子供を食べた。 釈迦に諭されて、今の神になった。


有備館の建物。


震災前は、このように。 右のようになった。 地震に弱かったのかな。 右は、何だったのか。


大きな桜の木。 冷泉家(れいぜいけ)から贈られたとある。
京都に冷泉家の建物があるよう。 いつか行かなければ。
吉野の桜とある。 吉野は昔から桜で有名。
吉野山を歩く。 金峯山寺。 吉野水分神社。 金峯神社。 西行庵。 義経隠れ塔。~吉野町~ 他 (2015/11/21)
下の方に藤原為綱とある。 この人の娘が、こっちに嫁いだとある。
※ 余談 為綱の子供が柳原(やなぎわら)家になる。
その子孫に、柳原白蓮がいる。 下の歌を。
「 鶯は大円院で今日も鳴く 一切煩悩皆空なりと 」
滝口入道と横笛の悲恋 他 ~滝口寺 祇王寺~ 他 (2010/11/26)
白蓮の父の妹の子は、大正天皇の母。
今の天皇も、藤原為綱の直系になる。


年代を感じる。

別の場所から。 今日は日曜日。

竹が美しい。

池には島が。

ショウブが一輪。 スイレンも咲いて。


橋が見えるけど、今は行けない。

柊(ひいらぎ)の木を初めて見た。 葉っぱにとげ。
節分の日に、玄関に飾る。 鬼は目を刺されるから入れない。



戻って来た。 数日ぶりに、いい天気。

この後城跡を見に行った。

岩出山城跡だけど、荒れていた。 震災の後の整備中か。 崖崩れも。
有備館のと同じ内容が書いてある。 一部読めない。



伊達正宗の像。 先週の大河で、20年早く生まれて来てたらって、叫んでいた。
若いために、秀吉と対等に戦えない。
※ 信玄は、生まれるのが20年早かったと悔やんだ。 勝頼は力不足だった。


岩出山の町並み。 今は大崎市だけど、以前は、単独の自治体かな。

伊達政宗は、気骨のある武将だった。 秀吉を恐れなかった。
上杉景勝や直江兼続も、同じ。
遥か昔の、平泉の藤原氏に似ている。
正宗は、知略を尽くして、戦国を生き延びる。
魅力いっぱい。
【ブログ紹介】 足利学校 ばん阿寺 渡良瀬橋 ~足利市~ 他 (2011/10/28)
【今日の一句】 「 知らない町を 旅するしかない 自分がいる 」 山頭火の真似。
【今日の歌】 浅田真央の新しい曲が決まった。 ショートもフリーも同じ曲。
バレエ組曲「恋は魔術師」より「Ritual Dance(リチュアル・ダンス)だそう。
確認できないけど、下の感じかなと。
August Rush - Playing in the park "Ritual Dance by Kaki King"
【道の駅】 あ・ら・伊達な道の駅
【明日の予定】 車のオイル交換をしたい。 時間があれば、正宗の仙台城に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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温泉地と云っても、今風のホテルしかなかったら、行かない。
共同湯があって、そぞろ歩きが出来る雰囲気があれば、文句なし。
今日は、川渡(かわたび)温泉。
小さな、田舎っぽい温泉地。
歩けば、何か楽しいことが見つかる。
途中、共同浴場に入って。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
芭蕉の奥の細道は、この一帯から北は平泉。
西の方は鳥海山の北の象潟(きさかた)までですね。
象潟や 雨に西施が ねぶの花 他 (2009/09/21)

鳴子温泉郷の東に。

混み入った集落でないので、車は適当に停められる。 公民館でも大丈夫。
郵便局の隣から、向こうに向かう。 右は、豆腐屋さん。

豆腐屋さん。 向こうから来た。
豆腐の美味しい食べ方は無いかな。 冷ややっこで。
ここのくるみ豆腐は、こんなの。
どんな味がするんだろう。 買えばよかったか。
※ 以前、湯葉豆腐を食べたことがある。 美味しかったな。
赤穂御崎 ラドン温泉 牡蠣と湯葉豆腐 他 (2009/12/3)

立派な建物と松。

晩翠の碑とある。 土井晩翠(どいばんすい)のことか。 石の形から、あっちということか。

温泉石神社の説明。
※ 読みだけど、ゆのいしのじんじゃ、が正しいよう。
ネットには、おんせんいしじんじゃがいっぱい。
※ いわじんじゃと読ますこともできますね。
昔噴火があって、その後にできたとある。 この噴火はどの山の噴火かを調べてみた。
右地図だった。 近い。 火口湖がある。
火山活動が活発だから、温泉の恵みですね。

小路を入っていったら、まず晩翠の歌碑があった。
「千年の 歴史をほこる 川渡の いでゆの夕 なく杜鵑(ほととぎす)」 晩翠
※ 大正11年に、彼は川渡温泉に来ている。 彼は仙台の人。
藤島旅館に逗留の折り、頼まれて歌を色紙に書いた。(その書は藤島旅館所にある)
※ 彼は荒城の月の作詞者ですね。 詩が先にできて、曲があと。
「荒城の月」が生まれた岡城阯 瀧廉太郎記念館 殿町武家屋敷通り 他 (2010/3/25)

神社の石段の前に、これ。 変わった石碑。 初めて見る。
調べたら、馬歴神(ばれきじん)。 馬は隠れて見えない。 馬の神様。
セキレイと猿を持っている。 絵は北斎が書いたよう。(Pinterestからお借り。ネット上にはいくつかある)
※ セキレイは馬についてるアブなんかを食べてくれる。
猿は申で、水を表すとか(?)

これ以上行かなかったけど、石が祀られているから石神社ですね。 (マムシがいそう)
石の下から湯が出て。

ここが土井晩翠の書がある藤島旅館。

右に、この建物が続いている。 はしっこに、さっき見た説明板。

ここの旅館に大きなコイがいる。 110㌢だそう。
※ ここと関係ないけど、右写真は、105㌢。(KaakaChan's Worldからお借り)
これより、少し大きい。 いつか見てみましょう。

真っ直ぐ行ったら、橋を渡って国道。 少し行って左に。 共同湯がある。

見えました。 屋根で分かる。

川渡温泉浴場。 200円。 地元の人は、無料。

誰もいなかったので、写真が撮れた。

脚気(かっけ)に聞くそう。
脚気を直すのはビタミン。 B1不足でなる。
川渡温泉の食事が麦飯や玄米なら、脚気にいい。
温めて血行を良くして。

濁りがあると、成分が濃い。

高い天井。 湯の調節は出来ない。

こう。 この後入ったが、熱い熱い。 46度は間違いなくある。
那須の鹿の湯で47度に入った。 あの時と、同じくらいか。
湯の中では、動けない。 熱くて。
やせ我慢はやめて、1分ほどで出た。 湯から出ても、熱さは消えなかった。10秒ほど。

こうでした。

山の方に行ってみる。

旅館が2軒あった。

こっちが一番奥。

戻って来た。

熱い温泉に慣れたら、熱くないと物足りないのでしょうね。
自分も、そうなって来てるので。
温度計を持って歩いて、湯の温度を計ってみましょうか。
いつかまた行きましょう。
その時は、鯉も見て。 そこの温泉も200円だったかな。
【今日の一句】 「川渡温泉の熱い湯 鼻歌は歌えない アチチチチの歌だけ 」
【今日の歌】 復興支援ソング「虹を架けよう」
【道の駅】 あ・ら・伊達な道の駅
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共同湯があって、そぞろ歩きが出来る雰囲気があれば、文句なし。
今日は、川渡(かわたび)温泉。
小さな、田舎っぽい温泉地。
歩けば、何か楽しいことが見つかる。
途中、共同浴場に入って。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
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芭蕉の奥の細道は、この一帯から北は平泉。
西の方は鳥海山の北の象潟(きさかた)までですね。
象潟や 雨に西施が ねぶの花 他 (2009/09/21)

鳴子温泉郷の東に。


混み入った集落でないので、車は適当に停められる。 公民館でも大丈夫。
郵便局の隣から、向こうに向かう。 右は、豆腐屋さん。

豆腐屋さん。 向こうから来た。
豆腐の美味しい食べ方は無いかな。 冷ややっこで。
ここのくるみ豆腐は、こんなの。

※ 以前、湯葉豆腐を食べたことがある。 美味しかったな。
赤穂御崎 ラドン温泉 牡蠣と湯葉豆腐 他 (2009/12/3)

立派な建物と松。

晩翠の碑とある。 土井晩翠(どいばんすい)のことか。 石の形から、あっちということか。

温泉石神社の説明。
※ 読みだけど、ゆのいしのじんじゃ、が正しいよう。
ネットには、おんせんいしじんじゃがいっぱい。
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昔噴火があって、その後にできたとある。 この噴火はどの山の噴火かを調べてみた。
右地図だった。 近い。 火口湖がある。
火山活動が活発だから、温泉の恵みですね。


小路を入っていったら、まず晩翠の歌碑があった。
「千年の 歴史をほこる 川渡の いでゆの夕 なく杜鵑(ほととぎす)」 晩翠
※ 大正11年に、彼は川渡温泉に来ている。 彼は仙台の人。
藤島旅館に逗留の折り、頼まれて歌を色紙に書いた。(その書は藤島旅館所にある)
※ 彼は荒城の月の作詞者ですね。 詩が先にできて、曲があと。
「荒城の月」が生まれた岡城阯 瀧廉太郎記念館 殿町武家屋敷通り 他 (2010/3/25)


神社の石段の前に、これ。 変わった石碑。 初めて見る。
調べたら、馬歴神(ばれきじん)。 馬は隠れて見えない。 馬の神様。
セキレイと猿を持っている。 絵は北斎が書いたよう。(Pinterestからお借り。ネット上にはいくつかある)
※ セキレイは馬についてるアブなんかを食べてくれる。
猿は申で、水を表すとか(?)


これ以上行かなかったけど、石が祀られているから石神社ですね。 (マムシがいそう)
石の下から湯が出て。

ここが土井晩翠の書がある藤島旅館。

右に、この建物が続いている。 はしっこに、さっき見た説明板。

ここの旅館に大きなコイがいる。 110㌢だそう。
※ ここと関係ないけど、右写真は、105㌢。(KaakaChan's Worldからお借り)
これより、少し大きい。 いつか見てみましょう。


真っ直ぐ行ったら、橋を渡って国道。 少し行って左に。 共同湯がある。

見えました。 屋根で分かる。

川渡温泉浴場。 200円。 地元の人は、無料。


誰もいなかったので、写真が撮れた。


脚気(かっけ)に聞くそう。
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川渡温泉の食事が麦飯や玄米なら、脚気にいい。
温めて血行を良くして。

濁りがあると、成分が濃い。

高い天井。 湯の調節は出来ない。


こう。 この後入ったが、熱い熱い。 46度は間違いなくある。
那須の鹿の湯で47度に入った。 あの時と、同じくらいか。
湯の中では、動けない。 熱くて。
やせ我慢はやめて、1分ほどで出た。 湯から出ても、熱さは消えなかった。10秒ほど。

こうでした。

山の方に行ってみる。

旅館が2軒あった。

こっちが一番奥。

戻って来た。

熱い温泉に慣れたら、熱くないと物足りないのでしょうね。
自分も、そうなって来てるので。
温度計を持って歩いて、湯の温度を計ってみましょうか。
いつかまた行きましょう。
その時は、鯉も見て。 そこの温泉も200円だったかな。
【今日の一句】 「川渡温泉の熱い湯 鼻歌は歌えない アチチチチの歌だけ 」
【今日の歌】 復興支援ソング「虹を架けよう」
【道の駅】 あ・ら・伊達な道の駅
【明日の予定】 岩出山城跡かな。
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