地図をながめていたら、大川村。
人口387人。 島をのぞいた自治体で、一番少ない。
何もなくていいから、行ってみなければとなった。
場所は、四国の水がめ「早明浦ダム」のダム湖の奥に。 さめうらダム。
ダム湖の底から逃げるように、今の集落は出来ていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
印は、早明浦ダムの位置。

大川村が見えますね。 赤〇を行って、オレンジを戻る。
道の駅、土佐和紙工芸村から向かう。 仁淀(によど)川。 四国の西の方から流れてくる。
道の駅の施設は、みんな商業施設。

山の中を走ってたら、ラーメン屋。 自由軒。 ここは支店のよう。
広い駐車場が、車で埋まっている。 昼は過ぎている。
味噌ラーメンにした。 味噌だなって味の味噌ラーメン。
滅多に出会えない食べやすい味噌ラーメン。 チャーシューは油こっくてダメ。
昔札幌に、糸末という店があった。 最近復活。 それに似ていた。
川は本流から離れた。

大豊方面に行く。 こっちから西条には行ったことない。 いつかは走りますね。
国道は194(いくよ)。 佐田岬半島のは197(いくな)だった。

道の駅633美の里を素通りして。

一度通ってるので、時々風景を思い出す。 ずっと雨。

道の駅土佐さめうらで、道の確認。 出発。
ダム湖の橋を渡る。

道沿いに木が生えてるので、落っこちる不安は無い。 その代り、風景は見えない。

10㌔ほど走ったら、村の駅に。 ダム湖は、地図では吉野川になっている。
正面上に、小中学校。
少し行くと分岐。 左は、小中学校へ。 右は中心街。

平らな土地なんてない。 狭い所に、村の主要な施設が。

合併しないで、自立してやっていける力の元は、どこから来るのでしょう。
黒牛か。 郵便局も、診療所も、あるのは当たり前。

向こうから橋を渡って来た。 橋の向こうから左に入ると、昔の鉱山跡。
そこは、広い場所のようで、村の行事が行われる。
最後の動画も、そこで。 右向こうに、中心街。

航空写真。 YouTubeから。 右上に、小中学校。

橋を渡るとここに。 右を行くと学校。 行かなかった。 子供の数はこれだけ。
山村留学のシステムがあって、他から来てる子も。
都会でいじめられてる子は、ここに来たらいい。
大事にされる。
※ 普通の子たちは、いじめられる子も悪いと考えている。
親がそう考えるから、子供の考えが、そうなる。
日本は社会全体が、いつまでたっても、いじめの社会から抜け出せない。
社会が見本を示すから、どうしようもない。
ただ、学校は、担任次第でいじめの全くない学級は、時々生れる。
子供たちは幸せ。

航空写真。 右に学校。 自分は、左の道を向こうから来た。 帰りは右を行く。

あの橋の向こうに、中心街。 吉野川の本流。

支流の橋を渡る。

あの橋を渡って来た。

こっちの道は狭い。 石垣があって、墓も。 ダムが出来る前からですね。

戻りは遠かった。 支流の奥まで道は入り込んだので。
早明浦ダムについた。

黒部ダムのような、アーチ式ではない。
重力式コンクリートダム。 どっしりとした直線のダム。

ここは高知県。 だけどダムの水は、徳島県が主に使用。 香川県も。
※ 大川村の人達は、隣の県の人達のために我慢したのか。
ダムが出来ての恩恵の交付金などは、ダムのある町に下りる。
ここのダムの場所は、大川村ではなく、土佐町と本山町。
だから、大川村は猛反対した。

水しぶきは、霧になって舞い上がる。

雨だったので、外は歩きませんでした。
大川村の謝肉祭は、11月。
もし11月に四国に入っていたら、参加してみたい。
【サイトの紹介】 早明浦ダムに沈んだ村
【記事紹介】 四国の水がめ、早明浦ダム 義人、高橋安之丞 ~土佐町、いの町~ 他 (2011/5/26)
【今日の歌】 大川村の謝肉祭!(Okawa-mura's Shanikusai Festival)
【道の駅】 土佐さめうら
【明日の予定】 豊楽寺に。 国宝の薬師堂がある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.
人口387人。 島をのぞいた自治体で、一番少ない。
何もなくていいから、行ってみなければとなった。
場所は、四国の水がめ「早明浦ダム」のダム湖の奥に。 さめうらダム。
ダム湖の底から逃げるように、今の集落は出来ていた。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
印は、早明浦ダムの位置。


大川村が見えますね。 赤〇を行って、オレンジを戻る。

道の駅、土佐和紙工芸村から向かう。 仁淀(によど)川。 四国の西の方から流れてくる。
道の駅の施設は、みんな商業施設。


山の中を走ってたら、ラーメン屋。 自由軒。 ここは支店のよう。
広い駐車場が、車で埋まっている。 昼は過ぎている。
味噌ラーメンにした。 味噌だなって味の味噌ラーメン。
滅多に出会えない食べやすい味噌ラーメン。 チャーシューは油こっくてダメ。
昔札幌に、糸末という店があった。 最近復活。 それに似ていた。
川は本流から離れた。


大豊方面に行く。 こっちから西条には行ったことない。 いつかは走りますね。
国道は194(いくよ)。 佐田岬半島のは197(いくな)だった。


道の駅633美の里を素通りして。


一度通ってるので、時々風景を思い出す。 ずっと雨。

道の駅土佐さめうらで、道の確認。 出発。
ダム湖の橋を渡る。


道沿いに木が生えてるので、落っこちる不安は無い。 その代り、風景は見えない。


10㌔ほど走ったら、村の駅に。 ダム湖は、地図では吉野川になっている。
正面上に、小中学校。
少し行くと分岐。 左は、小中学校へ。 右は中心街。


平らな土地なんてない。 狭い所に、村の主要な施設が。


合併しないで、自立してやっていける力の元は、どこから来るのでしょう。
黒牛か。 郵便局も、診療所も、あるのは当たり前。


向こうから橋を渡って来た。 橋の向こうから左に入ると、昔の鉱山跡。
そこは、広い場所のようで、村の行事が行われる。
最後の動画も、そこで。 右向こうに、中心街。


航空写真。 YouTubeから。 右上に、小中学校。

橋を渡るとここに。 右を行くと学校。 行かなかった。 子供の数はこれだけ。
山村留学のシステムがあって、他から来てる子も。
都会でいじめられてる子は、ここに来たらいい。
大事にされる。
※ 普通の子たちは、いじめられる子も悪いと考えている。
親がそう考えるから、子供の考えが、そうなる。
日本は社会全体が、いつまでたっても、いじめの社会から抜け出せない。
社会が見本を示すから、どうしようもない。
ただ、学校は、担任次第でいじめの全くない学級は、時々生れる。
子供たちは幸せ。


航空写真。 右に学校。 自分は、左の道を向こうから来た。 帰りは右を行く。

あの橋の向こうに、中心街。 吉野川の本流。

支流の橋を渡る。


あの橋を渡って来た。


こっちの道は狭い。 石垣があって、墓も。 ダムが出来る前からですね。


戻りは遠かった。 支流の奥まで道は入り込んだので。
早明浦ダムについた。


黒部ダムのような、アーチ式ではない。
重力式コンクリートダム。 どっしりとした直線のダム。

ここは高知県。 だけどダムの水は、徳島県が主に使用。 香川県も。
※ 大川村の人達は、隣の県の人達のために我慢したのか。
ダムが出来ての恩恵の交付金などは、ダムのある町に下りる。
ここのダムの場所は、大川村ではなく、土佐町と本山町。
だから、大川村は猛反対した。

水しぶきは、霧になって舞い上がる。


雨だったので、外は歩きませんでした。
大川村の謝肉祭は、11月。
もし11月に四国に入っていたら、参加してみたい。
【サイトの紹介】 早明浦ダムに沈んだ村
【記事紹介】 四国の水がめ、早明浦ダム 義人、高橋安之丞 ~土佐町、いの町~ 他 (2011/5/26)
【今日の歌】 大川村の謝肉祭!(Okawa-mura's Shanikusai Festival)
【道の駅】 土佐さめうら
【明日の予定】 豊楽寺に。 国宝の薬師堂がある。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】
.