春日野のAさんに、2日間お世話になった。
今日は、南下して静岡県に近づく。
目的地は、道の駅 三河三石。 みかわさんごく。
そこは、大河ドラマの舞台 井伊谷(いいのや)に近い。
今が旬なので、行ってみようかと。
今日は、80㌔程走る。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
濃尾平野の、右の山沿いを走る。 多少田舎っぽいので、走りやすい。

途中から国道1号線。 岡崎市、豊川市を通って。

藤川宿。 岡崎市の中心街を過ぎて。
藤川宿は、東海道五十三次の37番目。 町並みの外れに、松並木。 むらさき麦。~岡崎市~ 他 (2016/4/13)

名鉄名古屋本線。
この後、豊川市に。
豊川稲荷はお寺だった。 でも、鳥居があって神社のようでも。 きつねの尻尾は稲穂。~豊川市~ 他 (2016/4/14)

国道151を走って。 新城(しんしろ)市に入っている。 長篠城が。
長篠の戦い。 長篠城。 決戦の地、設楽原。 鳥居 強右衛門。~新城市~ 他 (2013/6/12)

国道257。 飯田線をくぐって。 この鉄道は、途中から天竜川沿いに。
奇勝絶景、天竜峡。 善光寺の本尊は、最初、元善光寺にあった。~飯田市~ ああモンテンルパの夜は更けて (2012/11/7)

高い山は無い。 ずっと山地。 あと少し。

着きました。 好きな道の駅。 落ち着く。

右上に、満光寺。 山の上に、柿本城址。

満光寺を少し紹介。

何度か来ている。 お地蔵さま。

本堂。 後に庭。

〇の中に、ニワトリ。 ちゃんとは見えなかった。
家康がここのニワトリに助けられた伝説が。

こんな話。 以前の記事から。
家康は、1573年の三方ヶ原の戦いで信玄に負けた。
岡崎城に逃げ帰るとき、ここを通ったそうだ。
※ 家康は、一旦浜松城に逃げるが、その後と考えていいのか。
この場所は、岡崎城までの途中にあたる。
家康は、この時まだ若く、30才だ。
夕方やってきて、この寺に泊る。
詳しくは下に書いてあるが、ニワトリの泣き声で、危機一髪助かることになる。
家康は、ここでの恩を忘れることはなかった。
後に、寺領三石(さんごく)を、この寺に与えることになる。 ※ 家光の時代に、更に20石。
ここの道の駅の名前は、鳳来三河三石だ。 意味が分かった。
下の写真は、以前撮ったもの。 右は本尊。
満光寺 ~鶏が家康を救った伝説と小堀遠州流庭園の寺~ 他 (2009/11./12)

柿本城の説明。 大河に出てるのは、鈴木重勝の息子の重時。
※ 余談 直虎は虎松(直政)の後見人になる。
寅松の父は、亀之丞の井伊直親(なおちか)。
直親の父は、下に見える井伊直満。
直満の妻、つまり直親の母は、ここの城の重勝の娘。
母の名前は分からないが、重時の姉でも。

相関図の中に、直親の母は出て来ない。 井伊直満や、鈴木重時は見える。 井伊谷三人衆。
(図は、しゃぼんだまニュースからお借り)
秋本城址はここを行く。 明日行ってみましょうか。(今日は疲れた)

※ 追記 次の日に行って来ました。
上でも紹介した、井伊谷三人衆と。

この辺の地図。 井伊谷は静岡県の浜松市。 だから載ってない。
ここは、三河と遠江(とおとうい)の境目(国境)近くにある。

伝説が、分かりやすく書いてある。
鈴木家は徳川の時代になっても、大事にされる。
何せ、直虎が育てた虎松(直政)は、徳川四天王になりますからね。

日本の真ん中辺りは、幅が広くなる。
南の方を見る時の拠点は、Kさんのいる清水市。
北の信州方面は、東風さんのいる須坂が拠点。
今年は桜を追っかけてるので、ちょっと急ぎ足。
それでも、井伊谷は素通りできない。
【今日の一句】 「 桜便りにさそわれて こんどはどこを 観ましょうか 」
【今日の歌】 男と女の余白 NSP
【道の駅】 鳳来三河三石
【明日の予定】 井伊谷に。 龍潭寺や城跡。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
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今日は、南下して静岡県に近づく。
目的地は、道の駅 三河三石。 みかわさんごく。
そこは、大河ドラマの舞台 井伊谷(いいのや)に近い。
今が旬なので、行ってみようかと。
今日は、80㌔程走る。
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
濃尾平野の、右の山沿いを走る。 多少田舎っぽいので、走りやすい。


途中から国道1号線。 岡崎市、豊川市を通って。

藤川宿。 岡崎市の中心街を過ぎて。
藤川宿は、東海道五十三次の37番目。 町並みの外れに、松並木。 むらさき麦。~岡崎市~ 他 (2016/4/13)

名鉄名古屋本線。
この後、豊川市に。
豊川稲荷はお寺だった。 でも、鳥居があって神社のようでも。 きつねの尻尾は稲穂。~豊川市~ 他 (2016/4/14)

国道151を走って。 新城(しんしろ)市に入っている。 長篠城が。
長篠の戦い。 長篠城。 決戦の地、設楽原。 鳥居 強右衛門。~新城市~ 他 (2013/6/12)

国道257。 飯田線をくぐって。 この鉄道は、途中から天竜川沿いに。
奇勝絶景、天竜峡。 善光寺の本尊は、最初、元善光寺にあった。~飯田市~ ああモンテンルパの夜は更けて (2012/11/7)

高い山は無い。 ずっと山地。 あと少し。

着きました。 好きな道の駅。 落ち着く。

右上に、満光寺。 山の上に、柿本城址。


満光寺を少し紹介。


何度か来ている。 お地蔵さま。



本堂。 後に庭。

〇の中に、ニワトリ。 ちゃんとは見えなかった。
家康がここのニワトリに助けられた伝説が。


こんな話。 以前の記事から。
家康は、1573年の三方ヶ原の戦いで信玄に負けた。
岡崎城に逃げ帰るとき、ここを通ったそうだ。
※ 家康は、一旦浜松城に逃げるが、その後と考えていいのか。
この場所は、岡崎城までの途中にあたる。
家康は、この時まだ若く、30才だ。
夕方やってきて、この寺に泊る。
詳しくは下に書いてあるが、ニワトリの泣き声で、危機一髪助かることになる。
家康は、ここでの恩を忘れることはなかった。
後に、寺領三石(さんごく)を、この寺に与えることになる。 ※ 家光の時代に、更に20石。
ここの道の駅の名前は、鳳来三河三石だ。 意味が分かった。
下の写真は、以前撮ったもの。 右は本尊。
満光寺 ~鶏が家康を救った伝説と小堀遠州流庭園の寺~ 他 (2009/11./12)


柿本城の説明。 大河に出てるのは、鈴木重勝の息子の重時。
※ 余談 直虎は虎松(直政)の後見人になる。
寅松の父は、亀之丞の井伊直親(なおちか)。
直親の父は、下に見える井伊直満。
直満の妻、つまり直親の母は、ここの城の重勝の娘。
母の名前は分からないが、重時の姉でも。

相関図の中に、直親の母は出て来ない。 井伊直満や、鈴木重時は見える。 井伊谷三人衆。
(図は、しゃぼんだまニュースからお借り)


秋本城址はここを行く。 明日行ってみましょうか。(今日は疲れた)


※ 追記 次の日に行って来ました。



上でも紹介した、井伊谷三人衆と。


この辺の地図。 井伊谷は静岡県の浜松市。 だから載ってない。
ここは、三河と遠江(とおとうい)の境目(国境)近くにある。

伝説が、分かりやすく書いてある。
鈴木家は徳川の時代になっても、大事にされる。
何せ、直虎が育てた虎松(直政)は、徳川四天王になりますからね。



日本の真ん中辺りは、幅が広くなる。
南の方を見る時の拠点は、Kさんのいる清水市。
北の信州方面は、東風さんのいる須坂が拠点。
今年は桜を追っかけてるので、ちょっと急ぎ足。
それでも、井伊谷は素通りできない。
【今日の一句】 「 桜便りにさそわれて こんどはどこを 観ましょうか 」
【今日の歌】 男と女の余白 NSP
【道の駅】 鳳来三河三石
【明日の予定】 井伊谷に。 龍潭寺や城跡。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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