浅間神社。 せんげん神社。
清水のKさんご夫妻の車で向かった。
浅間(せんげん)は、浅間山とは関係ない。
富士山本宮浅間大社が、総本社だという。
静岡は今川の後徳川が治めた。
そのせいか、きらびやかな東照宮の雰囲気があった。
久しぶりに、京都以外で大きな神社に出会った。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
静岡市の中心街にあった。

近くに、駿府城跡。
雨は止まない。

7つの神社が集まっている。
まとめて、浅間(せんげん)神社と呼んでいる。
大きなのが、浅間(あさま)と神社神部(かんべ)神社。 同じ建物。

楼門の近くに、神馬(しんめ)。 面白い伝説。
ここが火事になった時、2頭の神馬が逃げた。
三保の松原の方に。
1頭は戻ったけど、1頭は三保明神に残ったという。
確かに、以前三保明神で見た。 このように。
天女が羽衣をかけた松がある、三保の松原。 Kさん夫妻と、楽しいお酒。~静岡市清水区~ 他 (2013/6/5)

楼門(ろうもん)。 神社は普通は、神門かなと。
お寺の楼門の感じ。 ※ 楼門は、2階建て。
豪華な彫物。 神社だから、仁王でなく随身(ずいじん)ですね。
※ 随身がいたら随身門と呼ぶのを、多く見てきた。 神門の一種かな。

浅間神社と神部神社の建物。
手前に舞殿。 後に大拝殿。 本殿は見えなない。
大拝殿は、背が高い。 日本一のよう。 こんな姿の神社は、見たことない。
大きいですね。

こんな舞殿。

下は、稚児舞の写真。 近くにあった。 ここの舞殿で舞って、奉納する。
実は昨日天皇陛下が清水市に来た。 ここでの稚児舞を見学。 スペイン国王夫妻と。

どうして静岡市に来たかが気になる。 静岡新聞に下の写真。(上の右も)
時計を見ている。
実は、約400年前に千葉沖でスペインの船が遭難した。
日本は、遭難者を助けた。
そのお礼に、スペイン国王は、家康に時計を贈った。
家康の洋時計と呼ばれている。
徳川慶喜公屋敷跡「浮月楼」に、久能山東照宮から持って来て、見学。
右写真は、自分が久能山に行って見学したとき、パンフレットを撮ったもの。
田子の浦 日本平 久能山東照宮 三保の松原 他 (2009/11/7)

※ 上の遭難事故は、どんなものだったのか。 久能山東照宮のHPからお借り。
※ 場所は下の地図。 印に、碑がある。
※ 御宿(おんじゅく)海岸は、月の沙漠の舞台。
博物館に行ってれば、上の遭難のことを知ることが出来ていた。
月の沙漠の舞台、御宿海岸。 2人は、どこに行こうと・・。 月の沙漠記念館。~御宿町~ 他 (2015/7/5)
大拝殿。 本殿が霞む大きさ。

城の櫓(やぐら)のよう。 2階部分は何に利用するのでしょう。 調べてみました。
浅間造(せんげんづくり)と呼ぶ。 全国に4社。
2階には、神坐があるよう。 (神坐はふつう本殿ですね。 ?。)
富士山本宮浅間大社のは、こんなの。
(Wikipedia) ここは、本殿がこの形。
彫刻など、見事なものが。 色の使いは、久能山や日光の東照宮に似ていますね。

左隣に、八千戈神社 (やちほこじんじゃ)。 祭神は、大国主命。

次は長い石段を上がって。 大変なので、自分だけで行く。

麓山(はやま)神社。

浅間(あさま)神社の祭神は、コノハナサクヤヒメでした。
ここの祭神は、その父。 ※ 海幸彦・山幸彦の母が、コノハナサクヤヒメでしたね。

次は、境内図の左端にある、大歳御祖神社 (おおとしみおやじんじゃ)。

桜はこの後、一気に満開になります。

大きな建物の神社は、浅間(あさま)神社と神部神社でした。
ここを合わせた3つが、浅間(せんげん)神社の、主要な神社だそう。
どの神社も朱の色が多い。

隣に、庭園。

池に鯉。 Kさんの奥様が、人面魚だって。 何となく、そう見える。 ※ ネットには、こんなのが。

これは、八重の紅枝垂(べにしだれ)。 大木になったら、人が集まる。
右は小さいけど、淡墨桜。 岐阜県の淡墨桜の子供でしょうね。 ※ 淡墨桜
(Wikipedia)

境内の一番右に、少彦名神社 (すくなひこなじんじゃ) 明治の前は、お寺だった。

最後はおまけのように、玉鉾神社 (たまほこじんじゃ) 国学者を祭神にしている。

浅間(あさま)神社・神部神社の本殿。 少ししか見えない。

浅間(せんげん)神社は、大きな神社でした。
荘厳と云っていいほどの。
雨に煙っていい雰囲気。
また、桜が社殿を引き立てていました。
【今日の歌】 静岡市歌
【停泊場所】 昨日と同じ。 清見寺の近く。
【明日の予定】 駿府城。 興津駅から電車で。 午後は雨がやみそう。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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清水のKさんご夫妻の車で向かった。
浅間(せんげん)は、浅間山とは関係ない。
富士山本宮浅間大社が、総本社だという。
静岡は今川の後徳川が治めた。
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久しぶりに、京都以外で大きな神社に出会った。
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静岡市の中心街にあった。


近くに、駿府城跡。

雨は止まない。

7つの神社が集まっている。
まとめて、浅間(せんげん)神社と呼んでいる。
大きなのが、浅間(あさま)と神社神部(かんべ)神社。 同じ建物。


楼門の近くに、神馬(しんめ)。 面白い伝説。
ここが火事になった時、2頭の神馬が逃げた。
三保の松原の方に。
1頭は戻ったけど、1頭は三保明神に残ったという。
確かに、以前三保明神で見た。 このように。

天女が羽衣をかけた松がある、三保の松原。 Kさん夫妻と、楽しいお酒。~静岡市清水区~ 他 (2013/6/5)


楼門(ろうもん)。 神社は普通は、神門かなと。
お寺の楼門の感じ。 ※ 楼門は、2階建て。

豪華な彫物。 神社だから、仁王でなく随身(ずいじん)ですね。
※ 随身がいたら随身門と呼ぶのを、多く見てきた。 神門の一種かな。



浅間神社と神部神社の建物。
手前に舞殿。 後に大拝殿。 本殿は見えなない。
大拝殿は、背が高い。 日本一のよう。 こんな姿の神社は、見たことない。
大きいですね。

こんな舞殿。

下は、稚児舞の写真。 近くにあった。 ここの舞殿で舞って、奉納する。
実は昨日天皇陛下が清水市に来た。 ここでの稚児舞を見学。 スペイン国王夫妻と。


どうして静岡市に来たかが気になる。 静岡新聞に下の写真。(上の右も)
時計を見ている。
実は、約400年前に千葉沖でスペインの船が遭難した。
日本は、遭難者を助けた。
そのお礼に、スペイン国王は、家康に時計を贈った。
家康の洋時計と呼ばれている。
徳川慶喜公屋敷跡「浮月楼」に、久能山東照宮から持って来て、見学。
右写真は、自分が久能山に行って見学したとき、パンフレットを撮ったもの。
田子の浦 日本平 久能山東照宮 三保の松原 他 (2009/11/7)


※ 上の遭難事故は、どんなものだったのか。 久能山東照宮のHPからお借り。

※ 場所は下の地図。 印に、碑がある。

※ 御宿(おんじゅく)海岸は、月の沙漠の舞台。
博物館に行ってれば、上の遭難のことを知ることが出来ていた。
月の沙漠の舞台、御宿海岸。 2人は、どこに行こうと・・。 月の沙漠記念館。~御宿町~ 他 (2015/7/5)
大拝殿。 本殿が霞む大きさ。

城の櫓(やぐら)のよう。 2階部分は何に利用するのでしょう。 調べてみました。
浅間造(せんげんづくり)と呼ぶ。 全国に4社。
2階には、神坐があるよう。 (神坐はふつう本殿ですね。 ?。)
富士山本宮浅間大社のは、こんなの。

彫刻など、見事なものが。 色の使いは、久能山や日光の東照宮に似ていますね。


左隣に、八千戈神社 (やちほこじんじゃ)。 祭神は、大国主命。


次は長い石段を上がって。 大変なので、自分だけで行く。


麓山(はやま)神社。

浅間(あさま)神社の祭神は、コノハナサクヤヒメでした。
ここの祭神は、その父。 ※ 海幸彦・山幸彦の母が、コノハナサクヤヒメでしたね。


次は、境内図の左端にある、大歳御祖神社 (おおとしみおやじんじゃ)。

桜はこの後、一気に満開になります。


大きな建物の神社は、浅間(あさま)神社と神部神社でした。
ここを合わせた3つが、浅間(せんげん)神社の、主要な神社だそう。
どの神社も朱の色が多い。


隣に、庭園。

池に鯉。 Kさんの奥様が、人面魚だって。 何となく、そう見える。 ※ ネットには、こんなのが。



これは、八重の紅枝垂(べにしだれ)。 大木になったら、人が集まる。
右は小さいけど、淡墨桜。 岐阜県の淡墨桜の子供でしょうね。 ※ 淡墨桜



境内の一番右に、少彦名神社 (すくなひこなじんじゃ) 明治の前は、お寺だった。


最後はおまけのように、玉鉾神社 (たまほこじんじゃ) 国学者を祭神にしている。

浅間(あさま)神社・神部神社の本殿。 少ししか見えない。

浅間(せんげん)神社は、大きな神社でした。
荘厳と云っていいほどの。
雨に煙っていい雰囲気。
また、桜が社殿を引き立てていました。
【今日の歌】 静岡市歌
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静岡は、家康が治める前は、今川氏の拠点。
家康が今川氏の人質だった時、清見寺で学んでいた。(他の寺でも)
山下清が来ており、絵を描いている。
山門前の鉄道を気にしていた。
清見寺は古くからの寺。 歴史にも登場。
そんな清見寺を、見学した。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は静岡市清水区の興津(おきつ)。

興津は、昔は興津宿。 東海道五十三次の17番目の宿場町。

手前に、国道1号線。 ほとんどの車は、別のバイパスを通る。
左に総門。 右からも行ける。 踏切を渡って。

総門の後に、東海道本線。 山門は、鉄道の向こう。
説明には、朝鮮通信使が宿泊したことなどが。

自分は、踏切の方から入ってみる。

ちょうど列車が来た。
鉄道が出来る前、列車の辺りに、山門へに石段があった。 今は跨(こ)線橋が。

裏門。 五百羅漢と、国の名勝の庭園のことも。

本堂。 写真中央左に、臥竜梅(がりゅうばい)。 臥(ふ)せたように低いからこの名前。 家康の手植えと。
本堂向こうに、仏殿。

山門を出て。 正面奥に、仏殿。

仏殿。 見学はできなかった。
朝鮮通信使がここで休んだ。 宿泊も。
そんなことで、国の史跡に。 同じような史跡は、他に2つの寺があると下の方に。
牛窓本蓮寺もその1つ。 牛窓の「しおまち唐琴通り」を歩く ~瀬戸内市~ 他 (2011/12/9)

右に本堂。 正面に庫裏。 見学の入り口。
手前右に石碑。 咸臨丸(かんりんまる)殉難碑。 咸臨丸は幕府の軍艦。 こんな船。
(Wiipediaから)
この船は明治4年に、函館の西のサラキ岬近くに座礁し沈没した。
全員助かったことになっているが、はっきりしない部分が。
清水次郎長がここに殉難碑を建てた。
北海道に行ったときは、輸送船として使われ、仙台藩の片倉小十郎の家臣401名が乗っていた。
戊辰戦争で負けて、北海道の開拓のために。 北海道に・・。 サラキ岬(咸臨丸) 他 2009/07/15)

※ 余談 上の片倉小十郎のずっと先代にも片倉小十郎が。
真田信繁のこどもの阿(お)梅が嫁いでいる。 夏の陣で大阪城から助け出された。
白石城は、木造での復元。 片倉小十郎の妻は、真田幸村の娘、阿梅(おうめ)姫。~白石市~ 他 (2014/10/12)
なお、咸臨丸に乗っていた人たちは、札幌の今の白石(しろいし)に入る。 上の記事の白石。
仏殿の左に、羅漢像。 釈迦の弟子。

受付して、堂内の見学。 300円。

本堂に向かう。

本堂。 この扁額は、琉球王朝に関係する人が書いた。
ここ清見寺は、琉球王朝の具志頭王子朝盛のという人の墓がある。

国の史跡の墓。 本堂後の廊下。 すぐ右に、小さな部屋。
庭には、家康や常宮が植えた木がある。
※ 常宮は、明治天皇の長女。 彼女の子孫にテレビに出てくる竹田恒泰がいる。

ここで家康が学んだという。 説明に詳しく。

こっちは書院。

奥の右に王座。 天皇が来たらここに。 明治天皇や大正天皇が来ている。

庭。 奥に仏殿。

貴重なものは、書院にはない。 蔵に保管しているのか。 ※ 東照宮で保管しているものも多い。

清見寺のお宝を3つ紹介。 見学は出来ない。 清見寺のHPから。 他にもいっぱい。

玄関に戻った。 2階に。 潮音閣。

調音閣から。 三保の松原や清水区の市街地。 霧雨で霞んでいる。 下に鉄道。

1960年代の後半に、山下清は来ている。
東海道五十三次を描くために。 ※ 下は、足立区綾瀬美術館からお借り。
面白い言葉を残した。 考えさせられる。

本堂など。

山門を出て、跨線橋の上から。

この様に。 鉄道は、1889年にできた。 明治22年。 この後戻る。

清見寺は、多くの歴史を秘めた寺でした。
宝物や仏殿の公開があったら、また来たいかなと。
今日は朝からの雨。 夕方やっと陽が差してきた。
晩は、Kさんご夫妻にごちそうしていただいた。
【今日の歌】 つまさき坂
【その他】 清水の市街地の料理屋さんでした。



【停泊場所】 イオンの裏。 近い。 清見寺まで歩いた。
【明日の予定】 静岡市中心部に。 Aさんご夫妻と一緒に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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家康が今川氏の人質だった時、清見寺で学んでいた。(他の寺でも)
山下清が来ており、絵を描いている。
山門前の鉄道を気にしていた。
清見寺は古くからの寺。 歴史にも登場。
そんな清見寺を、見学した。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は静岡市清水区の興津(おきつ)。


興津は、昔は興津宿。 東海道五十三次の17番目の宿場町。

手前に、国道1号線。 ほとんどの車は、別のバイパスを通る。
左に総門。 右からも行ける。 踏切を渡って。

総門の後に、東海道本線。 山門は、鉄道の向こう。
説明には、朝鮮通信使が宿泊したことなどが。



自分は、踏切の方から入ってみる。

ちょうど列車が来た。
鉄道が出来る前、列車の辺りに、山門へに石段があった。 今は跨(こ)線橋が。

裏門。 五百羅漢と、国の名勝の庭園のことも。


本堂。 写真中央左に、臥竜梅(がりゅうばい)。 臥(ふ)せたように低いからこの名前。 家康の手植えと。
本堂向こうに、仏殿。


山門を出て。 正面奥に、仏殿。

仏殿。 見学はできなかった。
朝鮮通信使がここで休んだ。 宿泊も。
そんなことで、国の史跡に。 同じような史跡は、他に2つの寺があると下の方に。
牛窓本蓮寺もその1つ。 牛窓の「しおまち唐琴通り」を歩く ~瀬戸内市~ 他 (2011/12/9)


右に本堂。 正面に庫裏。 見学の入り口。
手前右に石碑。 咸臨丸(かんりんまる)殉難碑。 咸臨丸は幕府の軍艦。 こんな船。

この船は明治4年に、函館の西のサラキ岬近くに座礁し沈没した。
全員助かったことになっているが、はっきりしない部分が。
清水次郎長がここに殉難碑を建てた。
北海道に行ったときは、輸送船として使われ、仙台藩の片倉小十郎の家臣401名が乗っていた。
戊辰戦争で負けて、北海道の開拓のために。 北海道に・・。 サラキ岬(咸臨丸) 他 2009/07/15)


※ 余談 上の片倉小十郎のずっと先代にも片倉小十郎が。
真田信繁のこどもの阿(お)梅が嫁いでいる。 夏の陣で大阪城から助け出された。
白石城は、木造での復元。 片倉小十郎の妻は、真田幸村の娘、阿梅(おうめ)姫。~白石市~ 他 (2014/10/12)
なお、咸臨丸に乗っていた人たちは、札幌の今の白石(しろいし)に入る。 上の記事の白石。
仏殿の左に、羅漢像。 釈迦の弟子。


受付して、堂内の見学。 300円。

本堂に向かう。


本堂。 この扁額は、琉球王朝に関係する人が書いた。
ここ清見寺は、琉球王朝の具志頭王子朝盛のという人の墓がある。



国の史跡の墓。 本堂後の廊下。 すぐ右に、小さな部屋。
庭には、家康や常宮が植えた木がある。
※ 常宮は、明治天皇の長女。 彼女の子孫にテレビに出てくる竹田恒泰がいる。


ここで家康が学んだという。 説明に詳しく。


こっちは書院。


奥の右に王座。 天皇が来たらここに。 明治天皇や大正天皇が来ている。


庭。 奥に仏殿。

貴重なものは、書院にはない。 蔵に保管しているのか。 ※ 東照宮で保管しているものも多い。

清見寺のお宝を3つ紹介。 見学は出来ない。 清見寺のHPから。 他にもいっぱい。



玄関に戻った。 2階に。 潮音閣。

調音閣から。 三保の松原や清水区の市街地。 霧雨で霞んでいる。 下に鉄道。

1960年代の後半に、山下清は来ている。
東海道五十三次を描くために。 ※ 下は、足立区綾瀬美術館からお借り。
面白い言葉を残した。 考えさせられる。



本堂など。


山門を出て、跨線橋の上から。

この様に。 鉄道は、1889年にできた。 明治22年。 この後戻る。

清見寺は、多くの歴史を秘めた寺でした。
宝物や仏殿の公開があったら、また来たいかなと。
今日は朝からの雨。 夕方やっと陽が差してきた。
晩は、Kさんご夫妻にごちそうしていただいた。
【今日の歌】 つまさき坂
【その他】 清水の市街地の料理屋さんでした。







【停泊場所】 イオンの裏。 近い。 清見寺まで歩いた。
【明日の予定】 静岡市中心部に。 Aさんご夫妻と一緒に。
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