大井沢は、明治の初めまで大日寺があった。
ここは、出羽三山への参詣道、道智道(どうちみち)の途中。
山形の南方面のからの、白衣の行者が通った。
賑わいは、道が埋め尽くされるほどだったという。
大日寺の繁栄により、豊かな文化が育まれることに。
大井沢は、朝日連峰への登山基地。
清流 寒河江(さがえ)川が流れ、自然豊かな地。
今日は、大日寺の面影を求めて、今の地域に触れながら歩いてみた。
途中、女医「志田周子(ちかこ)」という人が、昭和初期にいたことを知った。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
大井沢は西川町の西南部に。

大日寺跡には、湯殿山神社が。(明治の廃仏毀釈で) 右は温泉にあった地図。

大井沢自然博物館と自然と匠の伝承館が、ここに。 案内所も。
昨日地図をいただいていた。 最後に見学。 車はここに。

歩き出したら、像が見えた。

ここを流れる寒河江川は月山湖に。 多くの人達の命の水に。
それで、像の名前が水神の子。
作者は笹戸千津子さん。 この人の像には何度も出会っている。
佐藤忠良さんの愛弟子。 若い頃は忠良さんの像のモデルにも。(仙台 忠良記念館 若い女)
子供の頃の笠戸さんをモデルに忠良さんがつくっても、こんな像になるのではと思った。

北に歩いている。 右に寒河江川。 遠くに月山。
後で出会う小学校の校歌の歌詞に、川の中の石がはっきり見えるとあった。

ここにかつて、小中学校があった。

大井沢の集落の中心に向かっている。 左に民宿。
地図を見たら、女医「志田周子」の歌碑がある。 右写真の近くと思ったけどなかった。
旧学校の校地内にあると、この後、畑で作業していた人に教えてもらう。 後で行く。

※ 上の右写真に日本一の大栗とある。 道が不安で行かなかった。 こんなの。
(月山朝日観光協会さんからお借り)
脇道に入った。 左に大日寺跡(湯殿山神社)。

広い道路に戻って、上がって行く。 大きな湯殿山碑。 江戸時代後期のもの。

両脇に子院というか僧坊の跡が続く。 参詣者が宿泊したのかなと。

※ 上の説明が読めない。 Wikipedeaで簡単に紹介。
この仁王門は、大日寺の遺構。

左に、大日寺跡。 本堂はここにありましたね。 今は礎石が残っているだけ。

多くの碑がある。 大日寺時代の物。
建物は湯殿山神社。 大日寺の山王堂だった。

上の右奥。 奥に稲荷堂。 これも、大日寺のものか。 焼けなかったのは、3つと云う。

四角い塔がいっぱい。 旧大日寺代参塔群と名前が。
信者がここにお参りしたら、寺では湯殿山の本山に派遣者を出して、代わりにお参りしてくれる。
多額の寄進額が必要だったよう。 その一部でこれを。
※ 余談 お寺はお金を集める仕組みを考えるのが上手。

これらも、代参塔群。

中興の祖道智上人の像。 1400年頃の人。
かつての参詣道は道智道(どうちみち)と呼ばれる。 それも造った。

右奥には、歴代住職さんの墓。 広い境内には、多くの大日寺時代の物が。
明治政府がひどいことをしなかったら、今もここは大日寺。

別の場所に芭蕉の句碑。 芭蕉は実際にはここには来てない。
湯殿山とここは一体だったので、あるのか。
「 かたられぬ 湯殿にぬらす たもと哉(かな)」
湯殿山の神秘は、他人に語ることができないが、感涙のあまり袂をぬらしてしまうほどである。
※ 芭蕉は1689年の6月6日に月山に登っている。 湯殿山はその麓に。
その日に詠った句。 同じ日に、有名な下の句も。
「 雲の峰 いくつ崩れて 月の山 」

この後、大井沢温泉 湯ったり館に。
いしゃ先生のポスター。 何だろう。 映画だった。 それも、先ほどの志田周子(ちかこ)の。
詳しくは、後で知る。 温泉は最後に。

戻って、学校跡で志田周子の歌碑を見る。 左が彼女の。

「 西山に オリオン星座 かヽるをみつヽ 患家に急ぐ 雪路をふミて 」 患家~かんか。
どんな時にも行ったんですね。

小中学校の校歌があった。 山と川の自然を詠っている。
地域の文化を取り入れるのは難しかったか。
それを引き継いで、賢く学び育つ内容で。

最後は、ここの見学。 200円。

まず自然博物館。 膨大な展示。 学校と地域で作り上げたという。 驚く内容。
受け付けの女性の方が説明してくれた。

朝日連峰の豊かな自然の中で暮らす生き物。 ムササビは大きい。 猫くらい。

そうして別の場所に、志田周子。

こんな人。 無医村のこの地域の医療に生涯を捧げる。

彼女は独身のまま。 自分の幸せを考えてもいいのに。

下は、ネットから。 いい表情のがある。

どんな人だったかは、下で。
平山あやが医者を熱演!映画『いしゃ先生』予告編
志田周子の生涯 分かりやすいですよ。
こちらは、地域の文化の展示。 自然と匠の伝承館。

こけしも作るのか。

ここでは、メノウを宝石に加工。 作業してる人がいた。
手を休めて、15分ほど説明してくれた。
メノウのこと、ヒスイのこと、黒曜石の話なども。 石を学んだ。 右のをいただいた。 ずっと車に飾る。

大井沢を離れる前に、大井沢温泉 湯ったり館に。 300円。
自分だけだったので、写真を。 豊富な湯。
帰りに乾燥のコゴミを買った。 作った人の苗字は、志田だった。 いしゃ先生と同じ。

自然豊かな環境、昔から伝わる文化が、大井沢にはあった。
何名かの方々と話すことが出来た。
やわらかな話し方から、大井沢の「人」を感じた。
ここに住む人たちの知恵によっての、大井沢の発展を願いますね。
心地よく見学出来たことに、感謝です。
【今日の一句】 「 豊かな自然につつまれた大井沢 大日寺の面影をもとめて 」
【記事の紹介】
羽黒山の石段は、2446段。 国宝五重塔。 山頂に、三神合祭殿。~鶴岡市~ 他 (2016/9/10)
出羽三山の主峰、月山に登る。 頂上に月山神社。 芭蕉は羽黒山から歩いた。~鶴岡市~ 他 (2016/9/11)
即身仏信仰の聖域 湯殿山 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/7)
湯殿山大日坊 真如海上人の即身仏 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/4)
【志田の苗字について】 志田の苗字の人は、全国に1万人以下。 とても少ない。
志田氏の一族には、上杉氏の家臣になった人が。
女優の志田未来は本名。 神奈川県生まれだが、志田氏の末裔でしょうね。
彼女が、いしゃ先生を演じてたら、どんな感じだったでしょう。
【命をささげた人】 今までの記事で、自分の人生を他の人に捧げた記事は思い出せない。
ただ、命を捧げた人のはあるので、それを紹介。
塩狩峠。 昔、自分が下敷きになって、暴走した客車を停めた男がいた。~和寒町~ 他 (2012/9/12)
【道の駅】 にしかわ
【明日の予定】 道の駅の近くか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.
ここは、出羽三山への参詣道、道智道(どうちみち)の途中。
山形の南方面のからの、白衣の行者が通った。
賑わいは、道が埋め尽くされるほどだったという。
大日寺の繁栄により、豊かな文化が育まれることに。
大井沢は、朝日連峰への登山基地。
清流 寒河江(さがえ)川が流れ、自然豊かな地。
今日は、大日寺の面影を求めて、今の地域に触れながら歩いてみた。
途中、女医「志田周子(ちかこ)」という人が、昭和初期にいたことを知った。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
大井沢は西川町の西南部に。


大日寺跡には、湯殿山神社が。(明治の廃仏毀釈で) 右は温泉にあった地図。


大井沢自然博物館と自然と匠の伝承館が、ここに。 案内所も。
昨日地図をいただいていた。 最後に見学。 車はここに。


歩き出したら、像が見えた。

ここを流れる寒河江川は月山湖に。 多くの人達の命の水に。
それで、像の名前が水神の子。
作者は笹戸千津子さん。 この人の像には何度も出会っている。
佐藤忠良さんの愛弟子。 若い頃は忠良さんの像のモデルにも。(仙台 忠良記念館 若い女)
子供の頃の笠戸さんをモデルに忠良さんがつくっても、こんな像になるのではと思った。


北に歩いている。 右に寒河江川。 遠くに月山。
後で出会う小学校の校歌の歌詞に、川の中の石がはっきり見えるとあった。


ここにかつて、小中学校があった。

大井沢の集落の中心に向かっている。 左に民宿。
地図を見たら、女医「志田周子」の歌碑がある。 右写真の近くと思ったけどなかった。
旧学校の校地内にあると、この後、畑で作業していた人に教えてもらう。 後で行く。


※ 上の右写真に日本一の大栗とある。 道が不安で行かなかった。 こんなの。

脇道に入った。 左に大日寺跡(湯殿山神社)。

広い道路に戻って、上がって行く。 大きな湯殿山碑。 江戸時代後期のもの。


両脇に子院というか僧坊の跡が続く。 参詣者が宿泊したのかなと。


※ 上の説明が読めない。 Wikipedeaで簡単に紹介。

この仁王門は、大日寺の遺構。

左に、大日寺跡。 本堂はここにありましたね。 今は礎石が残っているだけ。


多くの碑がある。 大日寺時代の物。
建物は湯殿山神社。 大日寺の山王堂だった。


上の右奥。 奥に稲荷堂。 これも、大日寺のものか。 焼けなかったのは、3つと云う。

四角い塔がいっぱい。 旧大日寺代参塔群と名前が。
信者がここにお参りしたら、寺では湯殿山の本山に派遣者を出して、代わりにお参りしてくれる。
多額の寄進額が必要だったよう。 その一部でこれを。
※ 余談 お寺はお金を集める仕組みを考えるのが上手。


これらも、代参塔群。

中興の祖道智上人の像。 1400年頃の人。
かつての参詣道は道智道(どうちみち)と呼ばれる。 それも造った。


右奥には、歴代住職さんの墓。 広い境内には、多くの大日寺時代の物が。
明治政府がひどいことをしなかったら、今もここは大日寺。


別の場所に芭蕉の句碑。 芭蕉は実際にはここには来てない。
湯殿山とここは一体だったので、あるのか。
「 かたられぬ 湯殿にぬらす たもと哉(かな)」
湯殿山の神秘は、他人に語ることができないが、感涙のあまり袂をぬらしてしまうほどである。
※ 芭蕉は1689年の6月6日に月山に登っている。 湯殿山はその麓に。
その日に詠った句。 同じ日に、有名な下の句も。
「 雲の峰 いくつ崩れて 月の山 」


この後、大井沢温泉 湯ったり館に。
いしゃ先生のポスター。 何だろう。 映画だった。 それも、先ほどの志田周子(ちかこ)の。
詳しくは、後で知る。 温泉は最後に。


戻って、学校跡で志田周子の歌碑を見る。 左が彼女の。


「 西山に オリオン星座 かヽるをみつヽ 患家に急ぐ 雪路をふミて 」 患家~かんか。
どんな時にも行ったんですね。


小中学校の校歌があった。 山と川の自然を詠っている。
地域の文化を取り入れるのは難しかったか。
それを引き継いで、賢く学び育つ内容で。

最後は、ここの見学。 200円。

まず自然博物館。 膨大な展示。 学校と地域で作り上げたという。 驚く内容。
受け付けの女性の方が説明してくれた。


朝日連峰の豊かな自然の中で暮らす生き物。 ムササビは大きい。 猫くらい。



そうして別の場所に、志田周子。


こんな人。 無医村のこの地域の医療に生涯を捧げる。

彼女は独身のまま。 自分の幸せを考えてもいいのに。


下は、ネットから。 いい表情のがある。

どんな人だったかは、下で。
平山あやが医者を熱演!映画『いしゃ先生』予告編
志田周子の生涯 分かりやすいですよ。
こちらは、地域の文化の展示。 自然と匠の伝承館。


こけしも作るのか。


ここでは、メノウを宝石に加工。 作業してる人がいた。
手を休めて、15分ほど説明してくれた。
メノウのこと、ヒスイのこと、黒曜石の話なども。 石を学んだ。 右のをいただいた。 ずっと車に飾る。



大井沢を離れる前に、大井沢温泉 湯ったり館に。 300円。

自分だけだったので、写真を。 豊富な湯。
帰りに乾燥のコゴミを買った。 作った人の苗字は、志田だった。 いしゃ先生と同じ。


自然豊かな環境、昔から伝わる文化が、大井沢にはあった。
何名かの方々と話すことが出来た。
やわらかな話し方から、大井沢の「人」を感じた。
ここに住む人たちの知恵によっての、大井沢の発展を願いますね。
心地よく見学出来たことに、感謝です。
【今日の一句】 「 豊かな自然につつまれた大井沢 大日寺の面影をもとめて 」
【記事の紹介】
羽黒山の石段は、2446段。 国宝五重塔。 山頂に、三神合祭殿。~鶴岡市~ 他 (2016/9/10)
出羽三山の主峰、月山に登る。 頂上に月山神社。 芭蕉は羽黒山から歩いた。~鶴岡市~ 他 (2016/9/11)
即身仏信仰の聖域 湯殿山 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/7)
湯殿山大日坊 真如海上人の即身仏 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/4)
【志田の苗字について】 志田の苗字の人は、全国に1万人以下。 とても少ない。
志田氏の一族には、上杉氏の家臣になった人が。
女優の志田未来は本名。 神奈川県生まれだが、志田氏の末裔でしょうね。
彼女が、いしゃ先生を演じてたら、どんな感じだったでしょう。
【命をささげた人】 今までの記事で、自分の人生を他の人に捧げた記事は思い出せない。
ただ、命を捧げた人のはあるので、それを紹介。
塩狩峠。 昔、自分が下敷きになって、暴走した客車を停めた男がいた。~和寒町~ 他 (2012/9/12)
【道の駅】 にしかわ
【明日の予定】 道の駅の近くか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、3位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.
羽黒山・湯殿山・月山、つまり出羽三山への人気は高かった。
南方面からの近道が、大井沢を通っていた。
大井沢にはかつて大日寺があった。
そこには、参詣人の宿坊もあって賑わっていた。
大井沢から月山への道は、白装束の人がずっと並んでいたという。
今日は、まず大井沢に向かう。
途中、山に登ったりして。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
大井沢を通るかつての道は、南北に。 自分は、右から向かった。

右地図。 赤〇の道は旧道。 赤〇は、大井沢峠。
黄色〇の大頭森山に登ることに。 だいずもりやま。
昨日紹介した、地蔵峠にも行く。 青〇の、神通(じんつう)峡へも。

昨日使った地図。
即身仏があったのが、蔵髙院。 今日は、地蔵峠の少し下まで行った。

道の駅おおえから向かった。
※ 何かの不具合で午前中、写真のアップが出来なかった。 それで、コインランドリーで洗濯。
柳川温泉と神通峡の案内。 県道だけど、快適。

変わった道祖神。 左が男で右が女。 想像してみると楽しい。 誰が見つけたのか。

カワセミの橋。 民家の前を通って。 道が細くなってきた。
途中神社があった。 石の鳥居と門はあったけど、拝殿はつぶれていた。
今年初めて、エゾハルゼミの鳴き声を聴いた。 初夏は過ぎたか。

左に入ると神通峡。

青苧は繊維でしたね。 上杉景勝が上越の方から、この地方に広めた。
昨日紹介した道は道知道(どうちみち)。 道知上人がつくった。
その道が、さっき紹介した、近道の月山への道。
この後、神通峡へ行こうとしたら、通行止めだった。
後で、右上から入り込むことに。

神通峡の後と思っていた温泉。 豊富な源泉が特徴。

いい環境。 のんびり過ごせば楽しい。 300円。

山の中を走っていたらここに着いた。 右は旧道。 どうしましょう。 展望台がある。

道の不安はあったけど、行ってしまえ。 旧道を。

大井沢峠に着いた。 右写真は、右向こうから上がってきた。 展望台へは、左上に。

距離が書いてないから、5分ほどで着くのかなと。 遠くに、木の隙間から何かが。
遠い。 後で知るが、800㍍。 展望台は、大頭森山の頂上だった。
ミニ登山の始まり。 食べ物は持ってない。

名前は分からない。 調べてない。

途中に広場。 壊れたトイレ。
※ 熊対策はこう。 忘れることは無い。 クマを見た瞬間、まず何をするかはシュミレーションしている。
ヘビが出てきたり。 ストックで尻尾を押さえつけてみたけど、ヘビには力があった。

20分で着いた。 鐘がある。

鳴らしてみた。 何かいいことあるべって。
下に、山の位置が書いてあった。 今は木が茂って、ここからは何も見えない。
大朝日岳、月山、蔵王などが見える。


大朝日岳かな。 左の方か。

名前は分からない。

蔵王がどこかに。 霞んでいる。 天気が良すぎて。

下る時軽トラに出会った。 倒木の処理など。
旧道は、反対側に行けると教えてもらった。
戻って来た。

大井沢峠を反対側に下る。 道は特に不安ない。 下りは景色がいい。

ナビでは、地蔵峠に来ている。 左から来た。 向こうからこっちへの道が、月山への参詣道。
地蔵が無い。 旧道のどこかにあったはず。
左上に、踏み分け道があった。 行ったら、このように。 今もお地蔵さま。
この後、向こうに行く。 こっちにずっと行くと、大井沢の中心に。 後で行く。

貫見という地域。

川沿いに左に入った。

神通峡に着いた。

さっき行きたかったのが、反対側の右の駐車場に。 遊歩道がずっとある。

さあ出発。 ダムの魚道は、使われていない。

きれいな水だ。

行けるとこまで、行ってみるか。

あれ! 道が荒れている。 整備はこれからか。

これを見て、引き返す。

途中で釣りをしたけど、魚はいなかった。
地蔵峠に戻って、さらに進んで、大井沢の集落に入った。

旧道に入ってみたら、神社。

この道は、朝日連峰への道。

家並は、旧道沿いに。 昔は陸の孤島って何かに。

県道に出て、案内所に。 この一帯を、明日歩く。

大井沢トンネルを見るのを忘れた。 戻った。 これを通って大井沢に。

トンネルを抜けて、この風景。

集落が見えた。

いつかはと思っていた、大井沢に来ました。
明日、昔の面影を感じることは出来るでしょうか。
今日は思わぬところで山登り。
おまけのプレゼントでした。
【今日の一句】 「 夏が来た 夏が来たと エゾハルゼミ 鳴く 」
「 新緑さわやかと カジカガエルの合唱 」
【道の駅】 にしかわ
【明日の予定】 大井沢を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、5位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.
南方面からの近道が、大井沢を通っていた。
大井沢にはかつて大日寺があった。
そこには、参詣人の宿坊もあって賑わっていた。
大井沢から月山への道は、白装束の人がずっと並んでいたという。
今日は、まず大井沢に向かう。
途中、山に登ったりして。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
大井沢を通るかつての道は、南北に。 自分は、右から向かった。


右地図。 赤〇の道は旧道。 赤〇は、大井沢峠。
黄色〇の大頭森山に登ることに。 だいずもりやま。
昨日紹介した、地蔵峠にも行く。 青〇の、神通(じんつう)峡へも。


昨日使った地図。
即身仏があったのが、蔵髙院。 今日は、地蔵峠の少し下まで行った。

道の駅おおえから向かった。
※ 何かの不具合で午前中、写真のアップが出来なかった。 それで、コインランドリーで洗濯。
柳川温泉と神通峡の案内。 県道だけど、快適。


変わった道祖神。 左が男で右が女。 想像してみると楽しい。 誰が見つけたのか。

カワセミの橋。 民家の前を通って。 道が細くなってきた。
途中神社があった。 石の鳥居と門はあったけど、拝殿はつぶれていた。
今年初めて、エゾハルゼミの鳴き声を聴いた。 初夏は過ぎたか。


左に入ると神通峡。

青苧は繊維でしたね。 上杉景勝が上越の方から、この地方に広めた。
昨日紹介した道は道知道(どうちみち)。 道知上人がつくった。
その道が、さっき紹介した、近道の月山への道。
この後、神通峡へ行こうとしたら、通行止めだった。
後で、右上から入り込むことに。


神通峡の後と思っていた温泉。 豊富な源泉が特徴。


いい環境。 のんびり過ごせば楽しい。 300円。

山の中を走っていたらここに着いた。 右は旧道。 どうしましょう。 展望台がある。

道の不安はあったけど、行ってしまえ。 旧道を。


大井沢峠に着いた。 右写真は、右向こうから上がってきた。 展望台へは、左上に。


距離が書いてないから、5分ほどで着くのかなと。 遠くに、木の隙間から何かが。
遠い。 後で知るが、800㍍。 展望台は、大頭森山の頂上だった。
ミニ登山の始まり。 食べ物は持ってない。


名前は分からない。 調べてない。


途中に広場。 壊れたトイレ。
※ 熊対策はこう。 忘れることは無い。 クマを見た瞬間、まず何をするかはシュミレーションしている。
ヘビが出てきたり。 ストックで尻尾を押さえつけてみたけど、ヘビには力があった。



20分で着いた。 鐘がある。


鳴らしてみた。 何かいいことあるべって。
下に、山の位置が書いてあった。 今は木が茂って、ここからは何も見えない。
大朝日岳、月山、蔵王などが見える。




大朝日岳かな。 左の方か。


名前は分からない。

蔵王がどこかに。 霞んでいる。 天気が良すぎて。


下る時軽トラに出会った。 倒木の処理など。
旧道は、反対側に行けると教えてもらった。
戻って来た。


大井沢峠を反対側に下る。 道は特に不安ない。 下りは景色がいい。

ナビでは、地蔵峠に来ている。 左から来た。 向こうからこっちへの道が、月山への参詣道。
地蔵が無い。 旧道のどこかにあったはず。
左上に、踏み分け道があった。 行ったら、このように。 今もお地蔵さま。
この後、向こうに行く。 こっちにずっと行くと、大井沢の中心に。 後で行く。


貫見という地域。

川沿いに左に入った。

神通峡に着いた。

さっき行きたかったのが、反対側の右の駐車場に。 遊歩道がずっとある。


さあ出発。 ダムの魚道は、使われていない。


きれいな水だ。

行けるとこまで、行ってみるか。

あれ! 道が荒れている。 整備はこれからか。


これを見て、引き返す。


途中で釣りをしたけど、魚はいなかった。
地蔵峠に戻って、さらに進んで、大井沢の集落に入った。

旧道に入ってみたら、神社。


この道は、朝日連峰への道。

家並は、旧道沿いに。 昔は陸の孤島って何かに。

県道に出て、案内所に。 この一帯を、明日歩く。

大井沢トンネルを見るのを忘れた。 戻った。 これを通って大井沢に。

トンネルを抜けて、この風景。

集落が見えた。


いつかはと思っていた、大井沢に来ました。
明日、昔の面影を感じることは出来るでしょうか。
今日は思わぬところで山登り。
おまけのプレゼントでした。
【今日の一句】 「 夏が来た 夏が来たと エゾハルゼミ 鳴く 」
「 新緑さわやかと カジカガエルの合唱 」
【道の駅】 にしかわ
【明日の予定】 大井沢を歩く。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、5位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.
即身仏だ、ミイラだと聞けば、ただそれだけで見たくなる。
お化けが見たい、幽霊が見たいに、自分にとって似ている。
山形県には即身仏が多い。
今日見るのは、その中で最後に発見されたものだという。
予約して、11時ということで向かった。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は朝日連峰にくっ付くように。 昔、山越えして北に向かう道があったとは。(のちほど)

一番奥の感じ。 でも集落はもっと奥にも。

車は、橋の近くに停められる。 ここまでの道はいい。

蔵髙院には住職がいない。 管理は、市街地の常安寺が。(0238-85-0107)
11時に開けてもらう予定だったが、今日は用事があって、早くから開いていた。
※ 市街地に鮎貝城があった。 鮎貝氏は、伊達市の家臣。
発掘した場所は、日影部落。
この部落には言い伝えが。 百年後に掘りだしてほしいという光明海上人の遺言。
記録はなかったけど、子から孫へと伝わった。
限界集落の日影部落から人がいなくなる時に、人は動いた。 昭和53年のこと。

本堂にはここから入る。

左奥に、ガラスケースに入ってあった。 写真は撮れない。 パンフレットを撮影。
自分も死んで骨と皮になったら、この表情。
ほとんど骨の状態で発見された。 髪の毛や皮膚は、ほんの少し。
それなら即身仏ではなく、ただの骨でないかと思う。
続きは写真の下に。
右に、即身仏になるのは厳しい修業が。
光明海上人は、ここから月山を日帰りしたという。 驚くこと。 後で地図で。

光明海上人は、即身仏でいいのかという問題。
彼は、座った姿勢のまま亡くなった。
最後は、頭蓋骨が落ちた形で発見。
発掘物の内容から、死んだと分かった時に、葬式をしたよう。
坐ったままの形で、ふたをする。
また彼は、即身仏になるための修行を積んだ。
頭の面も体の面も。
光明海上人の名前に、空が付いている。 空海の空。
即身仏になることを、認められた証拠。(住職さんの話)
そんなことがはっきりしているので、即身仏と認められた。
下は、発見時の写真。 上の右は、般若(はんにゃ)のように見える。

若い住職さんは、掘りだされた場所は、3㌔ほど山奥だという。
行けるかと聞いたら、道がはっきりしなくて、無理だという。
下の地図の道。 もっと上に。 奥に集落が見える。 そこには、行ってみればよかった。

掘りだした場所、つまり入定した場所を調べてみた。
バイクで走って、写真を撮った人がいた。 それでわかった。
下の地図の道は、月山の参詣道として賑わった時代があった。
紫の〇が、入定窟。 明日は、大井沢や地蔵峠に行く予定。

ここから下の写真と地図は、このサイトから。 感謝。 道なき道を良く走った。
今は、このように戻した。 歩いて行ってみたい。 3㌔ほど。

⑤に旧日影集落があって、入定窟はそこに。 道智(どうち)上人が開拓した、道智みち。
※ ずっと昔の古い記事に、山形ではなく、上の山から月山に行ける道があると書いたことが。
それがこの道と、初めて知った。

光明海上人は、今は掘りだされて、多くの人に手を合わせてもらえて、念願がかなったのかな。
その人にとっては、これも幸せ。
せっかく来たから、少し散歩。 東北のバラの最盛期はあと少し。 どこで見られるでしょう。

道の突き当り。 奥への道は、これでないのに。 カジカガエルが鳴いている。

戻って、寺を遠くから。 右は民宿。 遥か昔からでしょうか。 今は、釣?
廃仏毀釈で壊された。 壊した者の子孫が、このように。

集落の家は、朽ちていくのが多い。 ここは違う。

川向こうの家。 都会とは違う生活。 薪で焚いた風呂に入ってみたい。

ショウジョウバカマの花が終わった。 その向こうに青い、オダマキ。 右は? 何度も見たのに。

木の実を食べて、ウルシを飲んで。 死に向かう厳しい修業。
死んだらみんな消えるのに、と思うけど。
今までの即身仏を紹介しますね。
海向寺の即身仏を見る。 2体あるのは、この寺だけ。~酒田市~ 自分がいた上渚滑で、400㌔の巨大熊が・・。 (2015/10/12)
横蔵寺、妙心法師のミイラ。 重要文化財の仏像が、22体。~揖斐川町~ 他 (2014/5/8)
湯殿山大日坊 真如海上人の即身仏 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/4)
【今日の一句】 「 山奥の清流 カジカガエル 心地よく鳴く 」
【道の駅】 おおえ
【明日の予定】 大井沢に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.
お化けが見たい、幽霊が見たいに、自分にとって似ている。
山形県には即身仏が多い。
今日見るのは、その中で最後に発見されたものだという。
予約して、11時ということで向かった。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
場所は朝日連峰にくっ付くように。 昔、山越えして北に向かう道があったとは。(のちほど)


一番奥の感じ。 でも集落はもっと奥にも。

車は、橋の近くに停められる。 ここまでの道はいい。

蔵髙院には住職がいない。 管理は、市街地の常安寺が。(0238-85-0107)
11時に開けてもらう予定だったが、今日は用事があって、早くから開いていた。
※ 市街地に鮎貝城があった。 鮎貝氏は、伊達市の家臣。
発掘した場所は、日影部落。
この部落には言い伝えが。 百年後に掘りだしてほしいという光明海上人の遺言。
記録はなかったけど、子から孫へと伝わった。
限界集落の日影部落から人がいなくなる時に、人は動いた。 昭和53年のこと。


本堂にはここから入る。

左奥に、ガラスケースに入ってあった。 写真は撮れない。 パンフレットを撮影。
自分も死んで骨と皮になったら、この表情。
ほとんど骨の状態で発見された。 髪の毛や皮膚は、ほんの少し。
それなら即身仏ではなく、ただの骨でないかと思う。
続きは写真の下に。
右に、即身仏になるのは厳しい修業が。
光明海上人は、ここから月山を日帰りしたという。 驚くこと。 後で地図で。


光明海上人は、即身仏でいいのかという問題。
彼は、座った姿勢のまま亡くなった。
最後は、頭蓋骨が落ちた形で発見。
発掘物の内容から、死んだと分かった時に、葬式をしたよう。
坐ったままの形で、ふたをする。
また彼は、即身仏になるための修行を積んだ。
頭の面も体の面も。
光明海上人の名前に、空が付いている。 空海の空。
即身仏になることを、認められた証拠。(住職さんの話)
そんなことがはっきりしているので、即身仏と認められた。
下は、発見時の写真。 上の右は、般若(はんにゃ)のように見える。


若い住職さんは、掘りだされた場所は、3㌔ほど山奥だという。
行けるかと聞いたら、道がはっきりしなくて、無理だという。
下の地図の道。 もっと上に。 奥に集落が見える。 そこには、行ってみればよかった。

掘りだした場所、つまり入定した場所を調べてみた。
バイクで走って、写真を撮った人がいた。 それでわかった。
下の地図の道は、月山の参詣道として賑わった時代があった。
紫の〇が、入定窟。 明日は、大井沢や地蔵峠に行く予定。

ここから下の写真と地図は、このサイトから。 感謝。 道なき道を良く走った。
今は、このように戻した。 歩いて行ってみたい。 3㌔ほど。


⑤に旧日影集落があって、入定窟はそこに。 道智(どうち)上人が開拓した、道智みち。
※ ずっと昔の古い記事に、山形ではなく、上の山から月山に行ける道があると書いたことが。
それがこの道と、初めて知った。

光明海上人は、今は掘りだされて、多くの人に手を合わせてもらえて、念願がかなったのかな。
その人にとっては、これも幸せ。
せっかく来たから、少し散歩。 東北のバラの最盛期はあと少し。 どこで見られるでしょう。


道の突き当り。 奥への道は、これでないのに。 カジカガエルが鳴いている。

戻って、寺を遠くから。 右は民宿。 遥か昔からでしょうか。 今は、釣?
廃仏毀釈で壊された。 壊した者の子孫が、このように。


集落の家は、朽ちていくのが多い。 ここは違う。


川向こうの家。 都会とは違う生活。 薪で焚いた風呂に入ってみたい。

ショウジョウバカマの花が終わった。 その向こうに青い、オダマキ。 右は? 何度も見たのに。


木の実を食べて、ウルシを飲んで。 死に向かう厳しい修業。
死んだらみんな消えるのに、と思うけど。
今までの即身仏を紹介しますね。
海向寺の即身仏を見る。 2体あるのは、この寺だけ。~酒田市~ 自分がいた上渚滑で、400㌔の巨大熊が・・。 (2015/10/12)
横蔵寺、妙心法師のミイラ。 重要文化財の仏像が、22体。~揖斐川町~ 他 (2014/5/8)
湯殿山大日坊 真如海上人の即身仏 ~鶴岡市~ 他 (2010/10/4)
【今日の一句】 「 山奥の清流 カジカガエル 心地よく鳴く 」
【道の駅】 おおえ
【明日の予定】 大井沢に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、4位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.
白鷹町に来ている。 ※ しらたかまち
見所を探した。 小さな寺だけど、即身仏があった。
寺に普段人はいない。 別の寺が管理。
明日なら見学できるという。
そんなことで、今日は観音堂を見学。
田舎にあるけど、重要文化財。
帰り道、丈六地蔵を見た。
まんが日本昔話に登場していた。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
白鷹町は朝日連峰の隣に。 山形市まで遠くない。 鉄道がある。

観音寺観音堂は、深山にあるので、下のように。

道の駅から向かっていたら、何かあった。 見ることに。

キリシタンが認められていたときは、キリシタンは他の寺を追い出した。
禁教になって反撃して、生き埋め。
像に、はっきり十字は見えなかった。
弾圧の地は、東北には他にもあって、さらに北の函館近くにも。

深山地区に。 いい風景です。

途中で右に入った。 車を停めて歩いた。 奥に広い駐車場。
田植えが終わって。

観音寺の石段。 昔のまま。

この一帯は西置賜(にしおきたま)郡かな。 置賜のことばは、よく見る。 右に、庫裏など。

あれ! 工事中だ。

屋根のふき替え。 滅多に見られないから、これはこれでいいでしょうか。
右写真は、パレス松風さんのHPからお借り。

古いということと、いつ頃かが分かっている、そして状態がいい。
そんなことで、重要文化財ですね。
ここは、羽黒山と会津の、両方の仏教が入っていると。
観音堂は羽黒山。
本尊は立木観音。 これは会津が本家。 右は、会津の立木観音堂。
恵隆寺 立木千手観音。 本堂からの眺めが美しい、円蔵寺。 ~会津坂下町・柳津町~ 喜多方ラーメン (2012/10/23)
さらに右は、小さな建物にあった絵。
説明の舟肘木と円柱については、のちほど。

昔ここに、立木観音堂があった。
火災があって、本尊の下半分が焼けた。
観音堂の本尊は、それ。 ネットに写真は無い。 上で紹介した会津のに似てるでしょうね。

見る物無いからこれ。 大宮塔は小国町で見た。 神社で。 神仏混淆の時代ですね。
手前は、庚申塔かな。 文殊供養や金華山も。 高畠町に亀岡文殊があるので、文殊信仰もさかんなのか。
日本三文殊と云われる、亀岡文殊。 直江兼続が歌会を開催。 古鐘があったが今は無い。~高畠町~ 他 (2016/6/10)

文殊といっぱいあるけど、左から2番が読めない。

時代が古いからか、造りがあっさりしている。
舟肘木(ふなひじき)とあったのは、黄色の〇。 船の形をしてますね。
青〇が、説明にあった円柱。
虹梁(こうりょう)とかも説明にあったけど、見えない。(虹のように上に沿ったはり)

可愛い庚申塔が、一列に並んでる。

戻る時この花を見た。 先日は名前を思い出せなかった。
今日はすっと出た。 オダマキだって。
なぜ忘れるかは、名前のいわれを忘れていたからですね。 調べ直した。
オダマキは苧環と書く。
苧(お)は繊維をとる植物。 苧環は糸を巻く道具。 環の感じ。 まるい。
オダマキは「オダ」+「マキ」ではなく、「オ」+「ダマキ」なんですね。
花が苧環(おだまき)に似てたので、オダマキの名になった。
今度忘れたら、笑われそう。 好きな花。

向こうから来たら、この寺に何かある。 見ることに。 丈六地蔵。

丈六だから1丈6尺。 4.85㍍。

これだ。 大きいけど、そんなにない。
調べてみたら、坐ってたら半分でいいそう。 2.43㍍。

伝説に包まれたお地蔵さま。
※ ここの、まんが日本昔話は、YouTubにはない。 ここで見られます。 涙出そうになった。
道の駅には、ヤナ。 アユをつかまえる。 川は最上川。 芭蕉も歌った川。

道の駅。

白鷹町で見所が見つかってよかったです。
明日は、即身仏に会える。 発見されたのは、昭和53年。
どうして見つかったのかが面白い。
【道の駅】 白鷹ヤナ公園
【明日の予定】 小さなお寺で、即身仏を見る。 連絡は取ってある。 久しぶりです。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、8位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.
見所を探した。 小さな寺だけど、即身仏があった。
寺に普段人はいない。 別の寺が管理。
明日なら見学できるという。
そんなことで、今日は観音堂を見学。
田舎にあるけど、重要文化財。
帰り道、丈六地蔵を見た。
まんが日本昔話に登場していた。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
白鷹町は朝日連峰の隣に。 山形市まで遠くない。 鉄道がある。


観音寺観音堂は、深山にあるので、下のように。

道の駅から向かっていたら、何かあった。 見ることに。

キリシタンが認められていたときは、キリシタンは他の寺を追い出した。
禁教になって反撃して、生き埋め。
像に、はっきり十字は見えなかった。
弾圧の地は、東北には他にもあって、さらに北の函館近くにも。


深山地区に。 いい風景です。

途中で右に入った。 車を停めて歩いた。 奥に広い駐車場。
田植えが終わって。


観音寺の石段。 昔のまま。


この一帯は西置賜(にしおきたま)郡かな。 置賜のことばは、よく見る。 右に、庫裏など。


あれ! 工事中だ。

屋根のふき替え。 滅多に見られないから、これはこれでいいでしょうか。
右写真は、パレス松風さんのHPからお借り。


古いということと、いつ頃かが分かっている、そして状態がいい。
そんなことで、重要文化財ですね。
ここは、羽黒山と会津の、両方の仏教が入っていると。
観音堂は羽黒山。
本尊は立木観音。 これは会津が本家。 右は、会津の立木観音堂。
恵隆寺 立木千手観音。 本堂からの眺めが美しい、円蔵寺。 ~会津坂下町・柳津町~ 喜多方ラーメン (2012/10/23)
さらに右は、小さな建物にあった絵。
説明の舟肘木と円柱については、のちほど。



昔ここに、立木観音堂があった。
火災があって、本尊の下半分が焼けた。
観音堂の本尊は、それ。 ネットに写真は無い。 上で紹介した会津のに似てるでしょうね。


見る物無いからこれ。 大宮塔は小国町で見た。 神社で。 神仏混淆の時代ですね。
手前は、庚申塔かな。 文殊供養や金華山も。 高畠町に亀岡文殊があるので、文殊信仰もさかんなのか。
日本三文殊と云われる、亀岡文殊。 直江兼続が歌会を開催。 古鐘があったが今は無い。~高畠町~ 他 (2016/6/10)

文殊といっぱいあるけど、左から2番が読めない。


時代が古いからか、造りがあっさりしている。
舟肘木(ふなひじき)とあったのは、黄色の〇。 船の形をしてますね。
青〇が、説明にあった円柱。
虹梁(こうりょう)とかも説明にあったけど、見えない。(虹のように上に沿ったはり)

可愛い庚申塔が、一列に並んでる。

戻る時この花を見た。 先日は名前を思い出せなかった。
今日はすっと出た。 オダマキだって。
なぜ忘れるかは、名前のいわれを忘れていたからですね。 調べ直した。
オダマキは苧環と書く。
苧(お)は繊維をとる植物。 苧環は糸を巻く道具。 環の感じ。 まるい。
オダマキは「オダ」+「マキ」ではなく、「オ」+「ダマキ」なんですね。
花が苧環(おだまき)に似てたので、オダマキの名になった。
今度忘れたら、笑われそう。 好きな花。


向こうから来たら、この寺に何かある。 見ることに。 丈六地蔵。


丈六だから1丈6尺。 4.85㍍。

これだ。 大きいけど、そんなにない。
調べてみたら、坐ってたら半分でいいそう。 2.43㍍。

伝説に包まれたお地蔵さま。
※ ここの、まんが日本昔話は、YouTubにはない。 ここで見られます。 涙出そうになった。


道の駅には、ヤナ。 アユをつかまえる。 川は最上川。 芭蕉も歌った川。

道の駅。

白鷹町で見所が見つかってよかったです。
明日は、即身仏に会える。 発見されたのは、昭和53年。
どうして見つかったのかが面白い。
【道の駅】 白鷹ヤナ公園
【明日の予定】 小さなお寺で、即身仏を見る。 連絡は取ってある。 久しぶりです。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、8位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.
磨崖仏(まがいぶつ)は九州に多い。
その磨崖仏が、岩部山(いわぶやま)にあると云う。
江戸時代に、ある和尚が動いて作り上げた。
三十三観音の形で、山のあちこちに。
花を探しながら行ってくることにした。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
もう少し北に行くと、上山(かみのやま)市。

岩部山の下に、国道のトンネル。 黄色〇に駐車場。
左の〇辺りに、下りてきた。 3時間かかって。

山道とある。 現在地にあった案内。

駐車場。 左を行くけど、直ぐに山道に入る。
江戸時代、飢饉とかがあって大変。
人々を救うため、金毛(きんもう)和尚さんが動いた。 説明はこの後、少しずつ書きますね。

西国三十三観音を彫った。 33から見て行く。 これは金毛和尚さん。

山には巨石がごろごろ。 さっそく。

三十三番。 華厳寺。 表情が残っていますね。
西国33ヶ所の満願霊場、谷汲山 華厳寺。 広い境内と、たくさんのお店。~揖斐川町~ 他 (2014/5/7)

石切り場があった。 三十三観音とは別。 ※ 落石で立ち入り禁止。 なので、写真の出所は書けない。

平成5年作。 やわらかな表情。

和尚さんは、西国33の寺に行ってきた。 観音様の絵を描いてきた。
それを元に、彫った。
三十一番。 ※ 中には顔が見えないのも。 そんなのは飛ばして。
賑やかに手がいっぱい。

ヒメサユリの季節。 たくさん見た。

上がってきました。 トンネルは頂上の真下を通っている。 ここは手前。

二十八番。 微笑んでるのが分かりますね。 ほっとする。

ここを登る。 上にのんびりしている観音様が。

二十七番。 如意輪観音とある。
※ 円教寺にはいつかは行かなければと。 和泉式部が助けられた寺。

右写真は、中川駅の辺り。 駅から歩いてこられる。

和尚さんは、彫るのは専門の人に頼んだんですね。 地元の人も、それを助けた。
頂上付近。 雨は落ちて来ない。

二十六番。 キリッとした表情。 武将のよう。
根日女物語の玉丘古墳 兵庫フラワーセンター 一乗寺三重塔 ~加西市~ 他 (2011/12/6)

二十五番。 高い所にある。 行けない。 足場を組んで、彫りましたね。

千手観音。 それぞれの手は、何が得意かは決まってるよう。

二十三番。 突然現れた。 凝灰岩。 ノミの跡が見える。

上もそうだけど、雨のあたりにくい所に多い。 岩がかぶさって来る感じ。

正面から。 千手観音。 口元が欠けている。 表情に影響してますね。

向こうから来た。 穴があった。 ライトはいつも持っている。

二十番です。 やっと撮影 ※ 京都の善峯寺だけど、遠かった。
綱吉の母 桂昌院が再建した善峯寺は、アジサイの寺でもあった ~京都市~ 紫陽花(アリス) 他 (2912/6/26)
中にタヌキでもいたら大騒ぎ。

十九番。 これも手がいっぱい。 33番まで彫るのに、3年ほどかかった。 1つ、1ヶ月か。 冬は?

十七番。 厳しい表情だ。

高い所に。 十六番。 京都の清水寺。

清水寺の千手観音の写真は、一番右。 この像を和尚さんは絵に描いてきた。 そして下の像。 似てますね。
東山で、闇に浮かぶ夜桜を。 清水寺、他。 夜には、花散らしの雨が・・・。~京都市~ 他 (2015/4/4)
岩の上からの風景。

十五番。 那智の観音寺。 ふくよかな表情。

十四番。 三井寺。(この春、門まで) 手を膝についてるのは、如意輪観音かな。 さっきもあった。

十一番。 醍醐寺。 静かな表情。 大きな岩。
醍醐寺の境内は、450㍍の山の上まで広がっていた。~京都市~ 僕が僕であるために(尾崎豊) 他 (2012/5/4)

和尚さんは、遠い関西を歩き回った。 それだけでも、大変。
ここを登らないと、ちゃんと見られない。 5㍍程か。
岩につかまって登る。 ただ凝灰岩だから、滑らない。 行くしかない。
左は、ちゃんとしていた。 雨が当たると、よくないみたい。

上の左。 十三番、石山寺。 まったく傷んでいない。
石山寺。 日本最古の多宝塔・源氏の間・珪灰石。~大津市~ 他 (2013/11/14)

狭い所に。 十番。 三室戸寺。 岩が前のめり。 雨が当たらないから、像は完璧。
宇治を歩く。 興聖寺。 宇治上神社。 三室戸寺。 宇治十帖。~宇治市~ 他 (2014/4/26)

人々は、1つ1つまわって手を合わせた。 それで心おだやかになるのか。
九番。 興福寺南円堂。 興福寺と猿沢池を、少しだけ歩く。~奈良市~ 他 (2013/6/28)
場所がこうなので、風化してきた。

大きく削ってへこました。 そこに磨崖仏。 12番。 正法寺。

山を下りてきた。

今日の最後。

二十九番。 松尾寺。 馬頭観音。 真ん中の頭の上に馬。 珍しい。

下りてきました。 岩部山トンネル。 巨岩が見える。

和尚さんは、人々の心を救うしかできない。
それで、造ったのでしょうか。
※ 信玄でも上杉鷹山でも、暮らしを良くしたいとなったら、具体的に何かをしましたね。
そこが、宗教との違いでしょうか。
しかし、心がすさむと何をしてもうまくいかない。
そう言う面で、価値はあったのでしょうね。
※ 余談ですが、後半になって、道は荒れていた。 道が分からない所もあった。
最後は、草の茂った所から出てきた。 誰にも会わない。
【道の駅】 白鷹ヤナ公園
【明日の予定】 北に向かうか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、5位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓
ランキング
※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.
その磨崖仏が、岩部山(いわぶやま)にあると云う。
江戸時代に、ある和尚が動いて作り上げた。
三十三観音の形で、山のあちこちに。
花を探しながら行ってくることにした。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
もう少し北に行くと、上山(かみのやま)市。


岩部山の下に、国道のトンネル。 黄色〇に駐車場。
左の〇辺りに、下りてきた。 3時間かかって。

山道とある。 現在地にあった案内。


駐車場。 左を行くけど、直ぐに山道に入る。
江戸時代、飢饉とかがあって大変。
人々を救うため、金毛(きんもう)和尚さんが動いた。 説明はこの後、少しずつ書きますね。


西国三十三観音を彫った。 33から見て行く。 これは金毛和尚さん。

山には巨石がごろごろ。 さっそく。

三十三番。 華厳寺。 表情が残っていますね。
西国33ヶ所の満願霊場、谷汲山 華厳寺。 広い境内と、たくさんのお店。~揖斐川町~ 他 (2014/5/7)


石切り場があった。 三十三観音とは別。 ※ 落石で立ち入り禁止。 なので、写真の出所は書けない。

平成5年作。 やわらかな表情。


和尚さんは、西国33の寺に行ってきた。 観音様の絵を描いてきた。
それを元に、彫った。
三十一番。 ※ 中には顔が見えないのも。 そんなのは飛ばして。
賑やかに手がいっぱい。


ヒメサユリの季節。 たくさん見た。


上がってきました。 トンネルは頂上の真下を通っている。 ここは手前。

二十八番。 微笑んでるのが分かりますね。 ほっとする。


ここを登る。 上にのんびりしている観音様が。


二十七番。 如意輪観音とある。
※ 円教寺にはいつかは行かなければと。 和泉式部が助けられた寺。

右写真は、中川駅の辺り。 駅から歩いてこられる。


和尚さんは、彫るのは専門の人に頼んだんですね。 地元の人も、それを助けた。
頂上付近。 雨は落ちて来ない。

二十六番。 キリッとした表情。 武将のよう。
根日女物語の玉丘古墳 兵庫フラワーセンター 一乗寺三重塔 ~加西市~ 他 (2011/12/6)


二十五番。 高い所にある。 行けない。 足場を組んで、彫りましたね。

千手観音。 それぞれの手は、何が得意かは決まってるよう。


二十三番。 突然現れた。 凝灰岩。 ノミの跡が見える。


上もそうだけど、雨のあたりにくい所に多い。 岩がかぶさって来る感じ。

正面から。 千手観音。 口元が欠けている。 表情に影響してますね。


向こうから来た。 穴があった。 ライトはいつも持っている。


二十番です。 やっと撮影 ※ 京都の善峯寺だけど、遠かった。
綱吉の母 桂昌院が再建した善峯寺は、アジサイの寺でもあった ~京都市~ 紫陽花(アリス) 他 (2912/6/26)
中にタヌキでもいたら大騒ぎ。


十九番。 これも手がいっぱい。 33番まで彫るのに、3年ほどかかった。 1つ、1ヶ月か。 冬は?


十七番。 厳しい表情だ。


高い所に。 十六番。 京都の清水寺。

清水寺の千手観音の写真は、一番右。 この像を和尚さんは絵に描いてきた。 そして下の像。 似てますね。
東山で、闇に浮かぶ夜桜を。 清水寺、他。 夜には、花散らしの雨が・・・。~京都市~ 他 (2015/4/4)



岩の上からの風景。


十五番。 那智の観音寺。 ふくよかな表情。


十四番。 三井寺。(この春、門まで) 手を膝についてるのは、如意輪観音かな。 さっきもあった。


十一番。 醍醐寺。 静かな表情。 大きな岩。
醍醐寺の境内は、450㍍の山の上まで広がっていた。~京都市~ 僕が僕であるために(尾崎豊) 他 (2012/5/4)


和尚さんは、遠い関西を歩き回った。 それだけでも、大変。
ここを登らないと、ちゃんと見られない。 5㍍程か。
岩につかまって登る。 ただ凝灰岩だから、滑らない。 行くしかない。
左は、ちゃんとしていた。 雨が当たると、よくないみたい。


上の左。 十三番、石山寺。 まったく傷んでいない。
石山寺。 日本最古の多宝塔・源氏の間・珪灰石。~大津市~ 他 (2013/11/14)

狭い所に。 十番。 三室戸寺。 岩が前のめり。 雨が当たらないから、像は完璧。
宇治を歩く。 興聖寺。 宇治上神社。 三室戸寺。 宇治十帖。~宇治市~ 他 (2014/4/26)


人々は、1つ1つまわって手を合わせた。 それで心おだやかになるのか。
九番。 興福寺南円堂。 興福寺と猿沢池を、少しだけ歩く。~奈良市~ 他 (2013/6/28)
場所がこうなので、風化してきた。

大きく削ってへこました。 そこに磨崖仏。 12番。 正法寺。


山を下りてきた。


今日の最後。

二十九番。 松尾寺。 馬頭観音。 真ん中の頭の上に馬。 珍しい。


下りてきました。 岩部山トンネル。 巨岩が見える。

和尚さんは、人々の心を救うしかできない。
それで、造ったのでしょうか。
※ 信玄でも上杉鷹山でも、暮らしを良くしたいとなったら、具体的に何かをしましたね。
そこが、宗教との違いでしょうか。
しかし、心がすさむと何をしてもうまくいかない。
そう言う面で、価値はあったのでしょうね。
※ 余談ですが、後半になって、道は荒れていた。 道が分からない所もあった。
最後は、草の茂った所から出てきた。 誰にも会わない。
【道の駅】 白鷹ヤナ公園
【明日の予定】 北に向かうか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、5位です。
気に入った所がありましたら、クリックをよろしく。
※ クリックするバナーは、下のです。
ランキングが、見られます。
⇓

※ 最初は、国内旅行のランキングが。
旅行をクリックすると、旅行全体のが。
※ 1回のクリックで、10ポイント。 1週間生きます。
次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 .
.