早池峰山の麓に行く。
そして、天気がよい日はいつでも登れるようにする。
途中、民俗資料館に寄った。
ある歌人に再度出会った。
西塔幸子(さいとうこうこ)。
彼女を紹介してる写真は、あまりよくない。
晩に探してみた。 産経新聞の記事にあった。
明暗やコントラストを調節したら、見やすくなった。 後で詳しく。
峠道を越えて、花巻側に下った。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
印が、花巻市川井。 そこに、北上山地民族資料館。

赤〇を走った。 右から。 緑〇は、江繋(えつなぎ)地区。 西塔幸子の亡くなった地。
青〇は、早池峰山の登山口。

道の駅やまだを出発。 吉里吉里(きりきり)地区。
※ 震災の時、ここの写真を撮ってほしいと頼まれたことが。

復興に向けて、道があちこちで造られている。 ダンプがひっきりなしに走っている。
海には養殖のいけすが、たくさん浮かんでいる。
魚は、驚くほど安い。 普通の3分の2か。

※ 前の晩、タコの足を買った。 まだ生きていた。 軽く茹でて、刺身で食べた。
宮古市に入っている。 プレハブのお店が並ぶ。

国道106。 盛岡に向かう道。

去年の8月末の台風で、橋が流された。 いたるところで、工事。

川井地区に入った。 少し前まで、川井村。

北上山地民族資料館の案内が、途中にあった。

珍しいと感じたものを、紹介。 子どものために、こんな工夫ですね。 初めて見る。

モチモチの木。 勇気は、優しさから生まれる。 そんなことを子供たちは学ぶ。
今日は、二十三夜待ちの夜です。 他 (2008年12月20日)

地域の人達の協力がすごい。

今いるのは、右上。 鉄道は、山田線。

江繋(えつなぎ)小学校とある。 西塔幸子は、この小学校での勤務が最後。

この地区の紹介。 右の方に、西塔幸子。

旧校舎は公民館になって、その一部に彼女の記念館。

彼女の紹介の写真は、左の2枚のどっちか。
ところが、右の写真がネットにはある。(産経新聞から)
知的だ。 歌人の雰囲気が漂っていますね。
これを使ってあげれば、彼女は喜ぶんではないかな。
彼女のことを広めるためにも、右の写真の方がいいのではと。
(花巻市が産経新聞に交渉して、使わせてもらう)
歌を1つ紹介。
「 澄み透る空の青さよ 掌(て)にくまむ水の清さよ 美しこの村 」
彼女については、下の記事の最後に。 ※ 下は、時期が遅かった。
ハヤチネウスユキソウは、美しい花だった。 早池峰山は今、花畑。 ナンブトラノオ、他。~花巻市~ 他 (2015/7/27)

山信仰は、山を大事にすることにつながりますね。 右のお産枕が分からない。

道具が生活を支えていた。 今の時代は、大した道具がなくても生きて行けそう。 何でも売っている。

ひらは、「わな」のことなんだけど、詳しく分からない。
エサに触れたら、バチンって、動物は挟まってしまう。

ここは、北上山地の真ん中辺り。

宮古街道。 この辺にも、南部牛追唄はあったのかな。
南部牛追歌の早坂峠は、1本北の道に。
南部牛追の面影を追って、早坂峠の旧小本街道を歩いてみた。~岩泉町~ 道の駅三田貝分校 (2012/10/13)
再び、ホタルかごがあった。 どこかに売ってたら、買いますからね。 いい形だ。

今、作れる人はいるのでしょうか。

玄関前から。 向こうに駅。 右写真は、盛岡方面。

途中で左折して、国道340に入った。

左に、旧道。

ここが江繋(えつなぎ)。 左少し奥に、小学校跡。
西塔幸子の記念館の案内があった。 今度近くを通ったら、寄ってみましょうか。
ここで、右の山道に。 県道25。

一度向こうから来たことが。 こんなに細いとは、忘れていた。

キャンプ場。 山が見えている。 宮古市側にも、このように施設が。
道は、花巻側は整備されている。 バスも大丈夫。

早池峰山。

山の真下のキャンプ場。 ここはネットの調子が良くないので、使えない。
以前は、ここから直登するコースがあった。 今は使えない。
ハヤチネウスユキソウ(早池峰薄雪草)の咲く、早池峰山 ~北上山地の最高峰~ 明日岩手山へ 他 (2010/7/26)

早池峰神社がある、岳地区。

近くにパーキング。 土日のシャトルバスは、ここから出る。
シャトルバスの出る日は、一般車はこの先走れない。

ハヤチネウスユキソウの写真を撮りたい。
ちゃんとしたのを。
花の写真をどう撮るか、考えています。
今までとは、違う撮り方を。
いい天気が続いています。
でも、まもなく崩れるよう。
【停泊場所】 上の写真の駐車場。
【明日の予定】 早池峰山は、明日か、明後日。 その後はずっと、天気が崩れる。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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印が、花巻市川井。 そこに、北上山地民族資料館。


赤〇を走った。 右から。 緑〇は、江繋(えつなぎ)地区。 西塔幸子の亡くなった地。
青〇は、早池峰山の登山口。

道の駅やまだを出発。 吉里吉里(きりきり)地区。
※ 震災の時、ここの写真を撮ってほしいと頼まれたことが。


復興に向けて、道があちこちで造られている。 ダンプがひっきりなしに走っている。
海には養殖のいけすが、たくさん浮かんでいる。
魚は、驚くほど安い。 普通の3分の2か。


※ 前の晩、タコの足を買った。 まだ生きていた。 軽く茹でて、刺身で食べた。
宮古市に入っている。 プレハブのお店が並ぶ。

国道106。 盛岡に向かう道。

去年の8月末の台風で、橋が流された。 いたるところで、工事。

川井地区に入った。 少し前まで、川井村。

北上山地民族資料館の案内が、途中にあった。

珍しいと感じたものを、紹介。 子どものために、こんな工夫ですね。 初めて見る。


モチモチの木。 勇気は、優しさから生まれる。 そんなことを子供たちは学ぶ。
今日は、二十三夜待ちの夜です。 他 (2008年12月20日)


地域の人達の協力がすごい。

今いるのは、右上。 鉄道は、山田線。


江繋(えつなぎ)小学校とある。 西塔幸子は、この小学校での勤務が最後。

この地区の紹介。 右の方に、西塔幸子。

旧校舎は公民館になって、その一部に彼女の記念館。

彼女の紹介の写真は、左の2枚のどっちか。
ところが、右の写真がネットにはある。(産経新聞から)
知的だ。 歌人の雰囲気が漂っていますね。
これを使ってあげれば、彼女は喜ぶんではないかな。
彼女のことを広めるためにも、右の写真の方がいいのではと。
(花巻市が産経新聞に交渉して、使わせてもらう)
歌を1つ紹介。
「 澄み透る空の青さよ 掌(て)にくまむ水の清さよ 美しこの村 」
彼女については、下の記事の最後に。 ※ 下は、時期が遅かった。
ハヤチネウスユキソウは、美しい花だった。 早池峰山は今、花畑。 ナンブトラノオ、他。~花巻市~ 他 (2015/7/27)



山信仰は、山を大事にすることにつながりますね。 右のお産枕が分からない。

道具が生活を支えていた。 今の時代は、大した道具がなくても生きて行けそう。 何でも売っている。

ひらは、「わな」のことなんだけど、詳しく分からない。
エサに触れたら、バチンって、動物は挟まってしまう。

ここは、北上山地の真ん中辺り。

宮古街道。 この辺にも、南部牛追唄はあったのかな。
南部牛追歌の早坂峠は、1本北の道に。
南部牛追の面影を追って、早坂峠の旧小本街道を歩いてみた。~岩泉町~ 道の駅三田貝分校 (2012/10/13)
再び、ホタルかごがあった。 どこかに売ってたら、買いますからね。 いい形だ。


今、作れる人はいるのでしょうか。

玄関前から。 向こうに駅。 右写真は、盛岡方面。


途中で左折して、国道340に入った。

左に、旧道。

ここが江繋(えつなぎ)。 左少し奥に、小学校跡。
西塔幸子の記念館の案内があった。 今度近くを通ったら、寄ってみましょうか。
ここで、右の山道に。 県道25。


一度向こうから来たことが。 こんなに細いとは、忘れていた。

キャンプ場。 山が見えている。 宮古市側にも、このように施設が。
道は、花巻側は整備されている。 バスも大丈夫。

早池峰山。

山の真下のキャンプ場。 ここはネットの調子が良くないので、使えない。
以前は、ここから直登するコースがあった。 今は使えない。
ハヤチネウスユキソウ(早池峰薄雪草)の咲く、早池峰山 ~北上山地の最高峰~ 明日岩手山へ 他 (2010/7/26)

早池峰神社がある、岳地区。

近くにパーキング。 土日のシャトルバスは、ここから出る。
シャトルバスの出る日は、一般車はこの先走れない。

ハヤチネウスユキソウの写真を撮りたい。
ちゃんとしたのを。
花の写真をどう撮るか、考えています。
今までとは、違う撮り方を。
いい天気が続いています。
でも、まもなく崩れるよう。
【停泊場所】 上の写真の駐車場。
【明日の予定】 早池峰山は、明日か、明後日。 その後はずっと、天気が崩れる。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


【ランキング】 国内旅行、2位。 旅行全体、5位です。
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.
はるか昔 日本は、鉄は砂鉄からつくられていた。
刀を作ったりする程度の、少量生産。
しかし、鉄鉱石からだと、大量生産が可能になる。
江戸時代、西洋はそうなっていた。
釜石の橋野鉄鉱山で、日本で最初に鉄鉱石から生産。
高炉というのを造って。
その価値が認められ、世界文化遺産に。
鉄はどう作られるか、大まかだけど、今日初めて知った。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
釜石市の山の中。 一度だけ、通ったことがある。

去年の8月末に、台風10号。 道はズタズタ。 笛吹峠は、通行止め。

2年前に世界遺産。 まだ新しい。

高炉跡などが、遺跡のように残ってる。

インフォメーションセンター。

大島高任(たかとう)は、盛岡(南部)藩主。

この方に質問した。

左は鉄鉱石。 約60㌫が鉄。 重い。 ※ 金は、ほんの少しなのに。
右は、銑鉄(せんてつ)。 不純物が混ざっている。 それでも見たら鉄だって分かりますね。
これは、地元の小学生が、昔のやり方(タタラ)で鉄鉱石からつくった。

世界文化遺産になったのは、2年前。
長崎のキリスト教関係が落っこちて、代わりに「明治日本の産業革命遺産」が入った。
※ どっちが良かったというより、政治的な匂いが。(情報源は内緒)
右は、半分以上行ったでしょうか。 最後にいくつか紹介。

ここでの製鉄は、幕末のこと。
急に鉄が必要になった。 それも、大量に。
何にかって、大砲ですね。 外国から船がやって来た。 大砲を積んで。
これは大変と、急いだ。

ここでつくった銑鉄は、どこに行ったか。 水戸藩。
大島高任は、水戸藩と関わりがあった。

水戸藩のその時の藩主は、徳川斉昭(なりあき)。 斉昭の子が、15代将軍慶喜(よしのぶ)。
慶喜が将軍になるのは、後のことで、斉昭は井伊直弼と権力争いで負ける。 蟄居(ちっきょ)させられる。
関鉄之助が中心になって起こした、井伊直弼暗殺の桜田門外の変は、こんな歴史の中で起きる。
※ 鉄之助たちは、水戸藩を脱藩して。 復讐。
水戸藩が負けたときに、大砲はつくれなくなったよう。 ここからの銑鉄は、行かなくなる。

どうしてここの場所で、となったのか。
昔から、薬草を採る人たちは、この山に入ると磁石が狂うと云われていた。
また、川からは、砂鉄がとれた。
そんなことがあって、鉄鉱石があると思われた。
鉄鉱石をどろどろの高温にすると、鉄は不純物より重いので下に落ちる。
その性質を利用して、銑鉄は取り出される。
いくつかのコツや石灰など必要なものはあるけど。

銑鉄からは、普通の鋼鉄や、南部鉄瓶などの鋳物もつくられる。
鉄道も鉄。 世の中鉄だらけ。
※ 余談 鉄鉱石は、地球上からなくならないのか。
地球の真ん中は、ほとんどが鉄だそう。 それに象徴されるように、無尽蔵にあるよう。

見学場所は、300㍍程奥に。 途中に民家が。

この向こうに。

ジオサイトは、大地と関わりあるものの感じ。

日本最古溶鉱炉記念碑、とある。

向こうは山の上。 ずっと奥から鉄鉱石を運んできた。 牛の背中に積んで。

水を使って冷やすから、水路が必要。

銑鉄をつくる高炉は3つ。 ※ 高炉は、溶鉱炉のことですね。

一番高炉。

完全に復元できない。 石が足りない。
ここの石は、花崗岩。 墓石でも何にでも使える。 持ち出された時代があった。
震災でも、倒れたり。

こんな仕組み。 鞴(ふいご)で強く風を送らないと、炭は高温にならない。

高炉は、高温になるから傷む。 3つのうち1つは、いつも修理。
2つが、常時使えた。

二番高炉。

ドロドロの銑鉄を、高炉からかき出す。 西洋の資料から、造り方は学んだ。

ずれないように、留めたのか。

下っている。

神社。 右写真の右の碑は、牛馬観世音碑。 馬も使ったのか。

3番高炉。

ここが最初につくられたとある。

タタラ製鉄では、その都度高炉は壊した。 これは、連続して使える。

送風のための穴か。

今は、奥は立ち入り禁止。 クマに糞かは、はっきりしない。 違うとすれば、イノシシか。

戻っていたら、中央の木の右に、アナグマ。 ただのクマなら、大変。

かわいい感じではない。 タヌキやキツネのように、童話に出て来ない。

橋野鉄鉱山で始まった鉄の生産方法は、明治に入って一気に広まるんですね。
鉄は、産業の発展を支えることに。
ここは、南部の南の端。(南部の最南部と書きたいところ)
南部は昔から南部鉄で栄えた。
日本の製鉄の幕開けの地は、鉄の南部の地にありました。
【記事の紹介】
軍艦島に上陸 ~長い眠りから覚め、新しい歴史を刻み始めた端島~ 他 (2010/3/17)
白秋生誕の地、南関 三池炭鉱万田坑跡 孫文を助けた宮崎滔天 ~南関町・荒尾市~ 城ヶ島の雨 他 (2012/2/9)
明治に作られた、三角西港。~宇城市~ 波乱の、女子ショートプログラム。 (2014/2/19)
討幕運動の中心、長州藩の本拠地の萩を歩く。 木戸孝允旧宅、他。~萩市~ 他 (2014/11/28)
【道の駅】 やまだ
【明日の予定】 三陸のどこかを。 そろそろ、早池峰山に向かうかな。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)
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しかし、鉄鉱石からだと、大量生産が可能になる。
江戸時代、西洋はそうなっていた。
釜石の橋野鉄鉱山で、日本で最初に鉄鉱石から生産。
高炉というのを造って。
その価値が認められ、世界文化遺産に。
鉄はどう作られるか、大まかだけど、今日初めて知った。
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釜石市の山の中。 一度だけ、通ったことがある。


去年の8月末に、台風10号。 道はズタズタ。 笛吹峠は、通行止め。

2年前に世界遺産。 まだ新しい。

高炉跡などが、遺跡のように残ってる。


インフォメーションセンター。

大島高任(たかとう)は、盛岡(南部)藩主。


この方に質問した。

左は鉄鉱石。 約60㌫が鉄。 重い。 ※ 金は、ほんの少しなのに。
右は、銑鉄(せんてつ)。 不純物が混ざっている。 それでも見たら鉄だって分かりますね。
これは、地元の小学生が、昔のやり方(タタラ)で鉄鉱石からつくった。


世界文化遺産になったのは、2年前。
長崎のキリスト教関係が落っこちて、代わりに「明治日本の産業革命遺産」が入った。
※ どっちが良かったというより、政治的な匂いが。(情報源は内緒)
右は、半分以上行ったでしょうか。 最後にいくつか紹介。



ここでの製鉄は、幕末のこと。
急に鉄が必要になった。 それも、大量に。
何にかって、大砲ですね。 外国から船がやって来た。 大砲を積んで。
これは大変と、急いだ。



ここでつくった銑鉄は、どこに行ったか。 水戸藩。
大島高任は、水戸藩と関わりがあった。



水戸藩のその時の藩主は、徳川斉昭(なりあき)。 斉昭の子が、15代将軍慶喜(よしのぶ)。
慶喜が将軍になるのは、後のことで、斉昭は井伊直弼と権力争いで負ける。 蟄居(ちっきょ)させられる。
関鉄之助が中心になって起こした、井伊直弼暗殺の桜田門外の変は、こんな歴史の中で起きる。
※ 鉄之助たちは、水戸藩を脱藩して。 復讐。
水戸藩が負けたときに、大砲はつくれなくなったよう。 ここからの銑鉄は、行かなくなる。

どうしてここの場所で、となったのか。
昔から、薬草を採る人たちは、この山に入ると磁石が狂うと云われていた。
また、川からは、砂鉄がとれた。
そんなことがあって、鉄鉱石があると思われた。



鉄鉱石をどろどろの高温にすると、鉄は不純物より重いので下に落ちる。
その性質を利用して、銑鉄は取り出される。
いくつかのコツや石灰など必要なものはあるけど。



銑鉄からは、普通の鋼鉄や、南部鉄瓶などの鋳物もつくられる。
鉄道も鉄。 世の中鉄だらけ。
※ 余談 鉄鉱石は、地球上からなくならないのか。
地球の真ん中は、ほとんどが鉄だそう。 それに象徴されるように、無尽蔵にあるよう。



見学場所は、300㍍程奥に。 途中に民家が。


この向こうに。

ジオサイトは、大地と関わりあるものの感じ。


日本最古溶鉱炉記念碑、とある。

向こうは山の上。 ずっと奥から鉄鉱石を運んできた。 牛の背中に積んで。

水を使って冷やすから、水路が必要。


銑鉄をつくる高炉は3つ。 ※ 高炉は、溶鉱炉のことですね。

一番高炉。

完全に復元できない。 石が足りない。
ここの石は、花崗岩。 墓石でも何にでも使える。 持ち出された時代があった。
震災でも、倒れたり。

こんな仕組み。 鞴(ふいご)で強く風を送らないと、炭は高温にならない。


高炉は、高温になるから傷む。 3つのうち1つは、いつも修理。
2つが、常時使えた。

二番高炉。

ドロドロの銑鉄を、高炉からかき出す。 西洋の資料から、造り方は学んだ。


ずれないように、留めたのか。

下っている。

神社。 右写真の右の碑は、牛馬観世音碑。 馬も使ったのか。


3番高炉。

ここが最初につくられたとある。

タタラ製鉄では、その都度高炉は壊した。 これは、連続して使える。


送風のための穴か。

今は、奥は立ち入り禁止。 クマに糞かは、はっきりしない。 違うとすれば、イノシシか。


戻っていたら、中央の木の右に、アナグマ。 ただのクマなら、大変。

かわいい感じではない。 タヌキやキツネのように、童話に出て来ない。

橋野鉄鉱山で始まった鉄の生産方法は、明治に入って一気に広まるんですね。
鉄は、産業の発展を支えることに。
ここは、南部の南の端。(南部の最南部と書きたいところ)
南部は昔から南部鉄で栄えた。
日本の製鉄の幕開けの地は、鉄の南部の地にありました。
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軍艦島に上陸 ~長い眠りから覚め、新しい歴史を刻み始めた端島~ 他 (2010/3/17)
白秋生誕の地、南関 三池炭鉱万田坑跡 孫文を助けた宮崎滔天 ~南関町・荒尾市~ 城ヶ島の雨 他 (2012/2/9)
明治に作られた、三角西港。~宇城市~ 波乱の、女子ショートプログラム。 (2014/2/19)
討幕運動の中心、長州藩の本拠地の萩を歩く。 木戸孝允旧宅、他。~萩市~ 他 (2014/11/28)
【道の駅】 やまだ
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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