早池峰山の麓に行く。
そして、天気がよい日はいつでも登れるようにする。
途中、民俗資料館に寄った。
ある歌人に再度出会った。
西塔幸子(さいとうこうこ)。
彼女を紹介してる写真は、あまりよくない。
晩に探してみた。 産経新聞の記事にあった。
明暗やコントラストを調節したら、見やすくなった。 後で詳しく。
峠道を越えて、花巻側に下った。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
印が、花巻市川井。 そこに、北上山地民族資料館。

赤〇を走った。 右から。 緑〇は、江繋(えつなぎ)地区。 西塔幸子の亡くなった地。
青〇は、早池峰山の登山口。

道の駅やまだを出発。 吉里吉里(きりきり)地区。
※ 震災の時、ここの写真を撮ってほしいと頼まれたことが。

復興に向けて、道があちこちで造られている。 ダンプがひっきりなしに走っている。
海には養殖のいけすが、たくさん浮かんでいる。
魚は、驚くほど安い。 普通の3分の2か。

※ 前の晩、タコの足を買った。 まだ生きていた。 軽く茹でて、刺身で食べた。
宮古市に入っている。 プレハブのお店が並ぶ。

国道106。 盛岡に向かう道。

去年の8月末の台風で、橋が流された。 いたるところで、工事。

川井地区に入った。 少し前まで、川井村。

北上山地民族資料館の案内が、途中にあった。

珍しいと感じたものを、紹介。 子どものために、こんな工夫ですね。 初めて見る。

モチモチの木。 勇気は、優しさから生まれる。 そんなことを子供たちは学ぶ。
今日は、二十三夜待ちの夜です。 他 (2008年12月20日)

地域の人達の協力がすごい。

今いるのは、右上。 鉄道は、山田線。

江繋(えつなぎ)小学校とある。 西塔幸子は、この小学校での勤務が最後。

この地区の紹介。 右の方に、西塔幸子。

旧校舎は公民館になって、その一部に彼女の記念館。

彼女の紹介の写真は、左の2枚のどっちか。
ところが、右の写真がネットにはある。(産経新聞から)
知的だ。 歌人の雰囲気が漂っていますね。
これを使ってあげれば、彼女は喜ぶんではないかな。
彼女のことを広めるためにも、右の写真の方がいいのではと。
(花巻市が産経新聞に交渉して、使わせてもらう)
歌を1つ紹介。
「 澄み透る空の青さよ 掌(て)にくまむ水の清さよ 美しこの村 」
彼女については、下の記事の最後に。 ※ 下は、時期が遅かった。
ハヤチネウスユキソウは、美しい花だった。 早池峰山は今、花畑。 ナンブトラノオ、他。~花巻市~ 他 (2015/7/27)

山信仰は、山を大事にすることにつながりますね。 右のお産枕が分からない。

道具が生活を支えていた。 今の時代は、大した道具がなくても生きて行けそう。 何でも売っている。

ひらは、「わな」のことなんだけど、詳しく分からない。
エサに触れたら、バチンって、動物は挟まってしまう。

ここは、北上山地の真ん中辺り。

宮古街道。 この辺にも、南部牛追唄はあったのかな。
南部牛追歌の早坂峠は、1本北の道に。
南部牛追の面影を追って、早坂峠の旧小本街道を歩いてみた。~岩泉町~ 道の駅三田貝分校 (2012/10/13)
再び、ホタルかごがあった。 どこかに売ってたら、買いますからね。 いい形だ。

今、作れる人はいるのでしょうか。

玄関前から。 向こうに駅。 右写真は、盛岡方面。

途中で左折して、国道340に入った。

左に、旧道。

ここが江繋(えつなぎ)。 左少し奥に、小学校跡。
西塔幸子の記念館の案内があった。 今度近くを通ったら、寄ってみましょうか。
ここで、右の山道に。 県道25。

一度向こうから来たことが。 こんなに細いとは、忘れていた。

キャンプ場。 山が見えている。 宮古市側にも、このように施設が。
道は、花巻側は整備されている。 バスも大丈夫。

早池峰山。

山の真下のキャンプ場。 ここはネットの調子が良くないので、使えない。
以前は、ここから直登するコースがあった。 今は使えない。
ハヤチネウスユキソウ(早池峰薄雪草)の咲く、早池峰山 ~北上山地の最高峰~ 明日岩手山へ 他 (2010/7/26)

早池峰神社がある、岳地区。

近くにパーキング。 土日のシャトルバスは、ここから出る。
シャトルバスの出る日は、一般車はこの先走れない。

ハヤチネウスユキソウの写真を撮りたい。
ちゃんとしたのを。
花の写真をどう撮るか、考えています。
今までとは、違う撮り方を。
いい天気が続いています。
でも、まもなく崩れるよう。
【停泊場所】 上の写真の駐車場。
【明日の予定】 早池峰山は、明日か、明後日。 その後はずっと、天気が崩れる。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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そして、天気がよい日はいつでも登れるようにする。
途中、民俗資料館に寄った。
ある歌人に再度出会った。
西塔幸子(さいとうこうこ)。
彼女を紹介してる写真は、あまりよくない。
晩に探してみた。 産経新聞の記事にあった。
明暗やコントラストを調節したら、見やすくなった。 後で詳しく。
峠道を越えて、花巻側に下った。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
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( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
印が、花巻市川井。 そこに、北上山地民族資料館。


赤〇を走った。 右から。 緑〇は、江繋(えつなぎ)地区。 西塔幸子の亡くなった地。
青〇は、早池峰山の登山口。

道の駅やまだを出発。 吉里吉里(きりきり)地区。
※ 震災の時、ここの写真を撮ってほしいと頼まれたことが。


復興に向けて、道があちこちで造られている。 ダンプがひっきりなしに走っている。
海には養殖のいけすが、たくさん浮かんでいる。
魚は、驚くほど安い。 普通の3分の2か。


※ 前の晩、タコの足を買った。 まだ生きていた。 軽く茹でて、刺身で食べた。
宮古市に入っている。 プレハブのお店が並ぶ。

国道106。 盛岡に向かう道。

去年の8月末の台風で、橋が流された。 いたるところで、工事。

川井地区に入った。 少し前まで、川井村。

北上山地民族資料館の案内が、途中にあった。

珍しいと感じたものを、紹介。 子どものために、こんな工夫ですね。 初めて見る。


モチモチの木。 勇気は、優しさから生まれる。 そんなことを子供たちは学ぶ。
今日は、二十三夜待ちの夜です。 他 (2008年12月20日)


地域の人達の協力がすごい。

今いるのは、右上。 鉄道は、山田線。


江繋(えつなぎ)小学校とある。 西塔幸子は、この小学校での勤務が最後。

この地区の紹介。 右の方に、西塔幸子。

旧校舎は公民館になって、その一部に彼女の記念館。

彼女の紹介の写真は、左の2枚のどっちか。
ところが、右の写真がネットにはある。(産経新聞から)
知的だ。 歌人の雰囲気が漂っていますね。
これを使ってあげれば、彼女は喜ぶんではないかな。
彼女のことを広めるためにも、右の写真の方がいいのではと。
(花巻市が産経新聞に交渉して、使わせてもらう)
歌を1つ紹介。
「 澄み透る空の青さよ 掌(て)にくまむ水の清さよ 美しこの村 」
彼女については、下の記事の最後に。 ※ 下は、時期が遅かった。
ハヤチネウスユキソウは、美しい花だった。 早池峰山は今、花畑。 ナンブトラノオ、他。~花巻市~ 他 (2015/7/27)



山信仰は、山を大事にすることにつながりますね。 右のお産枕が分からない。

道具が生活を支えていた。 今の時代は、大した道具がなくても生きて行けそう。 何でも売っている。

ひらは、「わな」のことなんだけど、詳しく分からない。
エサに触れたら、バチンって、動物は挟まってしまう。

ここは、北上山地の真ん中辺り。

宮古街道。 この辺にも、南部牛追唄はあったのかな。
南部牛追歌の早坂峠は、1本北の道に。
南部牛追の面影を追って、早坂峠の旧小本街道を歩いてみた。~岩泉町~ 道の駅三田貝分校 (2012/10/13)
再び、ホタルかごがあった。 どこかに売ってたら、買いますからね。 いい形だ。


今、作れる人はいるのでしょうか。

玄関前から。 向こうに駅。 右写真は、盛岡方面。


途中で左折して、国道340に入った。

左に、旧道。

ここが江繋(えつなぎ)。 左少し奥に、小学校跡。
西塔幸子の記念館の案内があった。 今度近くを通ったら、寄ってみましょうか。
ここで、右の山道に。 県道25。


一度向こうから来たことが。 こんなに細いとは、忘れていた。

キャンプ場。 山が見えている。 宮古市側にも、このように施設が。
道は、花巻側は整備されている。 バスも大丈夫。

早池峰山。

山の真下のキャンプ場。 ここはネットの調子が良くないので、使えない。
以前は、ここから直登するコースがあった。 今は使えない。
ハヤチネウスユキソウ(早池峰薄雪草)の咲く、早池峰山 ~北上山地の最高峰~ 明日岩手山へ 他 (2010/7/26)

早池峰神社がある、岳地区。

近くにパーキング。 土日のシャトルバスは、ここから出る。
シャトルバスの出る日は、一般車はこの先走れない。

ハヤチネウスユキソウの写真を撮りたい。
ちゃんとしたのを。
花の写真をどう撮るか、考えています。
今までとは、違う撮り方を。
いい天気が続いています。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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はるか昔 日本は、鉄は砂鉄からつくられていた。
刀を作ったりする程度の、少量生産。
しかし、鉄鉱石からだと、大量生産が可能になる。
江戸時代、西洋はそうなっていた。
釜石の橋野鉄鉱山で、日本で最初に鉄鉱石から生産。
高炉というのを造って。
その価値が認められ、世界文化遺産に。
鉄はどう作られるか、大まかだけど、今日初めて知った。
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釜石市の山の中。 一度だけ、通ったことがある。

去年の8月末に、台風10号。 道はズタズタ。 笛吹峠は、通行止め。

2年前に世界遺産。 まだ新しい。

高炉跡などが、遺跡のように残ってる。

インフォメーションセンター。

大島高任(たかとう)は、盛岡(南部)藩主。

この方に質問した。

左は鉄鉱石。 約60㌫が鉄。 重い。 ※ 金は、ほんの少しなのに。
右は、銑鉄(せんてつ)。 不純物が混ざっている。 それでも見たら鉄だって分かりますね。
これは、地元の小学生が、昔のやり方(タタラ)で鉄鉱石からつくった。

世界文化遺産になったのは、2年前。
長崎のキリスト教関係が落っこちて、代わりに「明治日本の産業革命遺産」が入った。
※ どっちが良かったというより、政治的な匂いが。(情報源は内緒)
右は、半分以上行ったでしょうか。 最後にいくつか紹介。

ここでの製鉄は、幕末のこと。
急に鉄が必要になった。 それも、大量に。
何にかって、大砲ですね。 外国から船がやって来た。 大砲を積んで。
これは大変と、急いだ。

ここでつくった銑鉄は、どこに行ったか。 水戸藩。
大島高任は、水戸藩と関わりがあった。

水戸藩のその時の藩主は、徳川斉昭(なりあき)。 斉昭の子が、15代将軍慶喜(よしのぶ)。
慶喜が将軍になるのは、後のことで、斉昭は井伊直弼と権力争いで負ける。 蟄居(ちっきょ)させられる。
関鉄之助が中心になって起こした、井伊直弼暗殺の桜田門外の変は、こんな歴史の中で起きる。
※ 鉄之助たちは、水戸藩を脱藩して。 復讐。
水戸藩が負けたときに、大砲はつくれなくなったよう。 ここからの銑鉄は、行かなくなる。

どうしてここの場所で、となったのか。
昔から、薬草を採る人たちは、この山に入ると磁石が狂うと云われていた。
また、川からは、砂鉄がとれた。
そんなことがあって、鉄鉱石があると思われた。
鉄鉱石をどろどろの高温にすると、鉄は不純物より重いので下に落ちる。
その性質を利用して、銑鉄は取り出される。
いくつかのコツや石灰など必要なものはあるけど。

銑鉄からは、普通の鋼鉄や、南部鉄瓶などの鋳物もつくられる。
鉄道も鉄。 世の中鉄だらけ。
※ 余談 鉄鉱石は、地球上からなくならないのか。
地球の真ん中は、ほとんどが鉄だそう。 それに象徴されるように、無尽蔵にあるよう。

見学場所は、300㍍程奥に。 途中に民家が。

この向こうに。

ジオサイトは、大地と関わりあるものの感じ。

日本最古溶鉱炉記念碑、とある。

向こうは山の上。 ずっと奥から鉄鉱石を運んできた。 牛の背中に積んで。

水を使って冷やすから、水路が必要。

銑鉄をつくる高炉は3つ。 ※ 高炉は、溶鉱炉のことですね。

一番高炉。

完全に復元できない。 石が足りない。
ここの石は、花崗岩。 墓石でも何にでも使える。 持ち出された時代があった。
震災でも、倒れたり。

こんな仕組み。 鞴(ふいご)で強く風を送らないと、炭は高温にならない。

高炉は、高温になるから傷む。 3つのうち1つは、いつも修理。
2つが、常時使えた。

二番高炉。

ドロドロの銑鉄を、高炉からかき出す。 西洋の資料から、造り方は学んだ。

ずれないように、留めたのか。

下っている。

神社。 右写真の右の碑は、牛馬観世音碑。 馬も使ったのか。

3番高炉。

ここが最初につくられたとある。

タタラ製鉄では、その都度高炉は壊した。 これは、連続して使える。

送風のための穴か。

今は、奥は立ち入り禁止。 クマに糞かは、はっきりしない。 違うとすれば、イノシシか。

戻っていたら、中央の木の右に、アナグマ。 ただのクマなら、大変。

かわいい感じではない。 タヌキやキツネのように、童話に出て来ない。

橋野鉄鉱山で始まった鉄の生産方法は、明治に入って一気に広まるんですね。
鉄は、産業の発展を支えることに。
ここは、南部の南の端。(南部の最南部と書きたいところ)
南部は昔から南部鉄で栄えた。
日本の製鉄の幕開けの地は、鉄の南部の地にありました。
【記事の紹介】
軍艦島に上陸 ~長い眠りから覚め、新しい歴史を刻み始めた端島~ 他 (2010/3/17)
白秋生誕の地、南関 三池炭鉱万田坑跡 孫文を助けた宮崎滔天 ~南関町・荒尾市~ 城ヶ島の雨 他 (2012/2/9)
明治に作られた、三角西港。~宇城市~ 波乱の、女子ショートプログラム。 (2014/2/19)
討幕運動の中心、長州藩の本拠地の萩を歩く。 木戸孝允旧宅、他。~萩市~ 他 (2014/11/28)
【道の駅】 やまだ
【明日の予定】 三陸のどこかを。 そろそろ、早池峰山に向かうかな。
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しかし、鉄鉱石からだと、大量生産が可能になる。
江戸時代、西洋はそうなっていた。
釜石の橋野鉄鉱山で、日本で最初に鉄鉱石から生産。
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去年の8月末に、台風10号。 道はズタズタ。 笛吹峠は、通行止め。

2年前に世界遺産。 まだ新しい。

高炉跡などが、遺跡のように残ってる。


インフォメーションセンター。

大島高任(たかとう)は、盛岡(南部)藩主。


この方に質問した。

左は鉄鉱石。 約60㌫が鉄。 重い。 ※ 金は、ほんの少しなのに。
右は、銑鉄(せんてつ)。 不純物が混ざっている。 それでも見たら鉄だって分かりますね。
これは、地元の小学生が、昔のやり方(タタラ)で鉄鉱石からつくった。


世界文化遺産になったのは、2年前。
長崎のキリスト教関係が落っこちて、代わりに「明治日本の産業革命遺産」が入った。
※ どっちが良かったというより、政治的な匂いが。(情報源は内緒)
右は、半分以上行ったでしょうか。 最後にいくつか紹介。



ここでの製鉄は、幕末のこと。
急に鉄が必要になった。 それも、大量に。
何にかって、大砲ですね。 外国から船がやって来た。 大砲を積んで。
これは大変と、急いだ。



ここでつくった銑鉄は、どこに行ったか。 水戸藩。
大島高任は、水戸藩と関わりがあった。



水戸藩のその時の藩主は、徳川斉昭(なりあき)。 斉昭の子が、15代将軍慶喜(よしのぶ)。
慶喜が将軍になるのは、後のことで、斉昭は井伊直弼と権力争いで負ける。 蟄居(ちっきょ)させられる。
関鉄之助が中心になって起こした、井伊直弼暗殺の桜田門外の変は、こんな歴史の中で起きる。
※ 鉄之助たちは、水戸藩を脱藩して。 復讐。
水戸藩が負けたときに、大砲はつくれなくなったよう。 ここからの銑鉄は、行かなくなる。

どうしてここの場所で、となったのか。
昔から、薬草を採る人たちは、この山に入ると磁石が狂うと云われていた。
また、川からは、砂鉄がとれた。
そんなことがあって、鉄鉱石があると思われた。



鉄鉱石をどろどろの高温にすると、鉄は不純物より重いので下に落ちる。
その性質を利用して、銑鉄は取り出される。
いくつかのコツや石灰など必要なものはあるけど。



銑鉄からは、普通の鋼鉄や、南部鉄瓶などの鋳物もつくられる。
鉄道も鉄。 世の中鉄だらけ。
※ 余談 鉄鉱石は、地球上からなくならないのか。
地球の真ん中は、ほとんどが鉄だそう。 それに象徴されるように、無尽蔵にあるよう。



見学場所は、300㍍程奥に。 途中に民家が。


この向こうに。

ジオサイトは、大地と関わりあるものの感じ。


日本最古溶鉱炉記念碑、とある。

向こうは山の上。 ずっと奥から鉄鉱石を運んできた。 牛の背中に積んで。

水を使って冷やすから、水路が必要。


銑鉄をつくる高炉は3つ。 ※ 高炉は、溶鉱炉のことですね。

一番高炉。

完全に復元できない。 石が足りない。
ここの石は、花崗岩。 墓石でも何にでも使える。 持ち出された時代があった。
震災でも、倒れたり。

こんな仕組み。 鞴(ふいご)で強く風を送らないと、炭は高温にならない。


高炉は、高温になるから傷む。 3つのうち1つは、いつも修理。
2つが、常時使えた。

二番高炉。

ドロドロの銑鉄を、高炉からかき出す。 西洋の資料から、造り方は学んだ。


ずれないように、留めたのか。

下っている。

神社。 右写真の右の碑は、牛馬観世音碑。 馬も使ったのか。


3番高炉。

ここが最初につくられたとある。

タタラ製鉄では、その都度高炉は壊した。 これは、連続して使える。


送風のための穴か。

今は、奥は立ち入り禁止。 クマに糞かは、はっきりしない。 違うとすれば、イノシシか。


戻っていたら、中央の木の右に、アナグマ。 ただのクマなら、大変。

かわいい感じではない。 タヌキやキツネのように、童話に出て来ない。

橋野鉄鉱山で始まった鉄の生産方法は、明治に入って一気に広まるんですね。
鉄は、産業の発展を支えることに。
ここは、南部の南の端。(南部の最南部と書きたいところ)
南部は昔から南部鉄で栄えた。
日本の製鉄の幕開けの地は、鉄の南部の地にありました。
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明治に作られた、三角西港。~宇城市~ 波乱の、女子ショートプログラム。 (2014/2/19)
討幕運動の中心、長州藩の本拠地の萩を歩く。 木戸孝允旧宅、他。~萩市~ 他 (2014/11/28)
【道の駅】 やまだ
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「あの日、流される人たちを、ただ見ていただけなの?」
釜石湾を見守っていた観音様に、聞いてみたかった。
早いもので、6年が過ぎた。
釜石大観音。 丘の上に美しい姿で立っている。
中が見学でき、胸の展望台から、外の風景が見られる。
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町外れの、小さな半島に。

無料の広い駐車場。

拝観料は500円。

海抜120㍍の丘の上。

釜石大観音のHPからお借り。 右奥が釜石市の中心街。

中はらせん階段。 展望台の名前は、魚籃(ぎょらん)展望台。 籃(らん)は、竹かごの意味。
※ 観音様は、大きな魚を持っている。 魚を入れるカゴかと思ったんだが。
エスカレーターで。

エスカレーターの手前に、この石。 両石にあった石とある。

両石は釜石市街地のすぐ北に。
下の写真は、震災後2週間目の3月25日。 両石。
※ この日ボランティアの仕事がなく、大槌町まで写真を撮りに。
交通整理の人に入っていいよと言われ、ここまで来て撮影。
左奥に道は続き、上の写真はそこの風景。
大槌町を歩く 他に、釜石市両石・鵜住居、大槌町吉里吉里 ~被災者の声を聞く~ 他 (2011/3/25)

エレベータから出たら、見えた。 像だけの高さが、48.5㍍。

広場に出てきた。 仏舎利(ぶっしゃり)塔。 釈迦の骨が。

魚を持ってますね。 あの上に展望台。
※ 30年、40年前に、こんなのを作るのが流行った。
どこも傷み出したが、ここはまだ大丈夫。 廃墟の所も、珍しくない。

中の見学開始。

入った直ぐに、お寺の本堂の雰囲気。

らせん階段を上る。 なまめかしい像が。 琵琶を持ってるので、弁財天。

この階には、三十三観音。

七福神が続いた。

毘沙門天。 先日すごいのを見た。 必ず手に宝塔。 下は何だ?

上がってきた。 ここから出る。

ここが魚の上。

釜石の市街地方面。 津波は、釜石駅辺りまで襲った。 ネット上には、多くの動画が残っている。
釜石湾の中。 右は外海への出口。

南方面。 1つ1つの小さな湾全てを、津波は襲った。

上の写真の右。 津波の残骸は、分別してここに保管してますね。

上にいた。 観音様。 自分は押しつぶされそう。

こんな階段。

いい姿勢で立っている。

仏舎利塔を見学する。

仏教美術の見学。 自分はそんな感覚。 何を持っているのか。
どう写真を撮るかを考えるのは、楽しい。

ここに釈迦の骨があるのか。

人魚のような像。 なかなか。

仏画。 意味は分からなくても、美しい。

あいぞめみょうおう。 名前も姿にも、凄みが。

釜石大観音は、誰よりも早く津波を見た。
もし、巨大スピーカーでここから避難を呼びかける仕組みになっていれば、良かった。
みんな観音様のおかげで助かったと、感謝したはず。

戻る途中、交差点から後ろ姿を。

一度も見ていなかったので、見学しました。
お土産通りは、全滅ですが、像自体はちゃんとしていました。
巨大像の観光は、難しい時代ですね。
【今日の一句】 「 観音様は どんな思いで見ていたか 知りたい 」 震災のこと。
【記事の紹介】 奈良の大仏が掌に乗る、牛久大仏 ~牛久市~ 明日、筑波山へ 他 (2010/7/10)
北海道大観音、胎内巡り。 多くの菩薩像、観音像があり、信仰の場でもあった。~芦別市~ 他 (2012/9/29)
小豆島大観音は、日本の仏歯寺だった。 肥土山の石風呂。 宝篋印塔。 ~土庄町~ 他 (2012/12/7)
【道の駅】 釜石 新しい。 初めて。
【明日の予定】 山の中に世界遺産が。
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釜石湾を見守っていた観音様に、聞いてみたかった。
早いもので、6年が過ぎた。
釜石大観音。 丘の上に美しい姿で立っている。
中が見学でき、胸の展望台から、外の風景が見られる。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
町外れの、小さな半島に。


無料の広い駐車場。

拝観料は500円。

海抜120㍍の丘の上。


釜石大観音のHPからお借り。 右奥が釜石市の中心街。

中はらせん階段。 展望台の名前は、魚籃(ぎょらん)展望台。 籃(らん)は、竹かごの意味。
※ 観音様は、大きな魚を持っている。 魚を入れるカゴかと思ったんだが。
エスカレーターで。


エスカレーターの手前に、この石。 両石にあった石とある。



両石は釜石市街地のすぐ北に。
下の写真は、震災後2週間目の3月25日。 両石。
※ この日ボランティアの仕事がなく、大槌町まで写真を撮りに。
交通整理の人に入っていいよと言われ、ここまで来て撮影。
左奥に道は続き、上の写真はそこの風景。
大槌町を歩く 他に、釜石市両石・鵜住居、大槌町吉里吉里 ~被災者の声を聞く~ 他 (2011/3/25)



エレベータから出たら、見えた。 像だけの高さが、48.5㍍。



広場に出てきた。 仏舎利(ぶっしゃり)塔。 釈迦の骨が。

魚を持ってますね。 あの上に展望台。
※ 30年、40年前に、こんなのを作るのが流行った。
どこも傷み出したが、ここはまだ大丈夫。 廃墟の所も、珍しくない。


中の見学開始。


入った直ぐに、お寺の本堂の雰囲気。

らせん階段を上る。 なまめかしい像が。 琵琶を持ってるので、弁財天。


この階には、三十三観音。

七福神が続いた。

毘沙門天。 先日すごいのを見た。 必ず手に宝塔。 下は何だ?


上がってきた。 ここから出る。


ここが魚の上。

釜石の市街地方面。 津波は、釜石駅辺りまで襲った。 ネット上には、多くの動画が残っている。

釜石湾の中。 右は外海への出口。


南方面。 1つ1つの小さな湾全てを、津波は襲った。

上の写真の右。 津波の残骸は、分別してここに保管してますね。

上にいた。 観音様。 自分は押しつぶされそう。


こんな階段。


いい姿勢で立っている。


仏舎利塔を見学する。


仏教美術の見学。 自分はそんな感覚。 何を持っているのか。
どう写真を撮るかを考えるのは、楽しい。


ここに釈迦の骨があるのか。


人魚のような像。 なかなか。


仏画。 意味は分からなくても、美しい。


あいぞめみょうおう。 名前も姿にも、凄みが。


釜石大観音は、誰よりも早く津波を見た。
もし、巨大スピーカーでここから避難を呼びかける仕組みになっていれば、良かった。
みんな観音様のおかげで助かったと、感謝したはず。

戻る途中、交差点から後ろ姿を。

一度も見ていなかったので、見学しました。
お土産通りは、全滅ですが、像自体はちゃんとしていました。
巨大像の観光は、難しい時代ですね。
【今日の一句】 「 観音様は どんな思いで見ていたか 知りたい 」 震災のこと。
【記事の紹介】 奈良の大仏が掌に乗る、牛久大仏 ~牛久市~ 明日、筑波山へ 他 (2010/7/10)
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小豆島大観音は、日本の仏歯寺だった。 肥土山の石風呂。 宝篋印塔。 ~土庄町~ 他 (2012/12/7)
【道の駅】 釜石 新しい。 初めて。
【明日の予定】 山の中に世界遺産が。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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※ 追記の記事があります。 最後に。 白蓮洞の出口と、滝観洞の水の出口について。
ヘルメットに長靴。 時々しゃがんで、奥へ奥へと。
岩に頭を20回ほどぶつけたら、滝に着いた。 700㍍。
本当は、白蓮洞を見たかった。
前回、隣にあるって知らなくて、見忘れた。
もう見られない。 震災で壊れた。
復旧の見通しは無い。
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大変な思いをした釜石市が近い。

線路の下に。
お客は自分だけ。 鍾乳洞での観光は難しい。
滝観洞。 ろうかんどう。 むずかしい読み。
※ 滝は瀧とも書きますね。 那智の滝の前に神社がある。 そこの名前は、飛瀧(ひろう)神社。(8年前)
※ 余談 龍の部分が、「ろう」と読むよう。
籠はかご。 籠球(ろうきゅう)・印籠(いんろう)・蒸籠 (せいろう)・灯籠(とうろう)などが。

小さな見所がいっぱい。

白蓮さんのお弟子さんが、この地にいたんですね。 ※ やなぎわらが、正しい。
神の時代から隠されてきた滝が、この世に出る時が来た、って言ってるかな。
隠れていた天照大神みたいだから、滝の名前を「天の岩戸の滝」って。

左に入り口。

1050円。 ヘルメットと長靴姿になって。
白蓮洞を見たい。 黄色〇の入り口だけ、後で見に行く。 赤〇は、行ってない。

鍾乳洞の中は、川が流れている。
この穴は、そこに行く道。 人が掘った横穴。

ここから本物。 この川の出口を確かめなかった。 ※ いつも何かかにか、忘れる。
天井が時々低い。

昔映画の撮影があった。

危険。 落ちたら、下まで4~5㍍。 どこも濡れてる。 つるんと滑って落ちたら、大けが。
子どもは連れて来れない。 飾りが置いてある。

滝までの距離は、忘れていた。 700㍍だった。 頭をぶつけながらだから、遠い。
一番右は、洞窟サンゴ。 凸凹がいっぱい。

水の流れが、棚をつくった。 水滴は、岩に穴を。 穿(うが)つ、ですね。

ウミユリ。

観光というより、探検してるみたい。
車やドアのカギには、ミニ懐中電灯を付けている。
万一停電でも、大丈夫。 ※ ところどころに、電話が。

待っててくれた。 住田町で、炭か?

小さな滝。 コウモリは出て来ない。 白蓮洞にはいるよう。

広い空間に出た。 洞窟観音。

天井から岩が下がっている。 滝の水音が聞こえてきた。

少し行くと、見えた。

ここが一番広い空間。

音が洞内に響き渡る。

高い天井。 ロープがある。 登った人がいるということか。

滝の一番上は見えない。

動画。
※ 今度は、白蓮の蓮が違う。 連になってる。 白蓮の蓮は、日蓮の蓮。
高さ29㍍。 奥まで行った人がいる。 普通の登山より大変。

戻る。

近くに駅があるので、下から来た。

上有住駅。 かみありす。 左に、引き込み線がある。 木材を積んだ時代があったのか。

もどって、反対側の山に上がってきた。 車は通らない道。

白蓮洞の入り口だけでも見てくる。
こっちには滝は無いけど、鍾乳石がある。 本当の鍾乳洞。
閉鎖のままは、もったいない。
※ 白蓮さんの碑があるという。

電気関係は全部だめ。 錆びてしまった。
景気のいい時代が来ないと、復活はなさそう。(受付の人の話で)
看板には、右の図があった。(滝のHPから)

何かが見えた。

入ろうと思ったら、入れる。 迷っても大変。 どこかに落ちても・・。 骨折したら、1年棒に振る。
※ 碑は無い。 下で見た碑は、元々はここにあったんですね。

右に下りていくのか。 中は、右のようだった。

戻る時。 右遠くに、さっき行った駅が見える。
出口にも行けばよかったと、後で思う。(もう一度行ってくるか。釜石に行く途中)

そんなことで、滝観銅は2度目。 写真の撮り直し。
白蓮洞を、少しだけでもと。
気楽には入れないので、観光客は少ない。
※ 滝の近くに、近道のトンネルは掘れないか。
子供たちやお年寄りが、見に行けるように。
※ 追記 次の日の27日に行って来ました。
昨日は、真っ直ぐ行った。 そうしたら、白蓮洞の入り口があった。
反対側に上がっていく道が。

この道。 ずっと行って、左に上がる。

この道。

着いた。 右に、黒く穴が。

こうです。

観光鍾乳洞としては、穴の天井が低いというか狭い感じがする。

白蓮洞は、復興の予定はないという。
戻って来たら、滝観洞の入り口が見えた。 上に鉄道。
滝観洞の川の水は、どこから出てるのか。

橋の上から、下流を見た。 橋の下は水が少ない。 少し下流に水が見えている。 右から出ている。

この穴から出ていた。

事務所に行って聞いた。
鉄道が出来る時に、鍾乳洞の入り口は工事でふさがった。
水の出口は、上の写真。
当時の国鉄は、今の滝観洞の入り口であるトンネルを、掘ってくれた。
白蓮さんも、今の入り口から入った。
【今日の一句】 「 地底の奥深くは 地獄ではなく 水落ちる 神秘の世界だった 」
【記事の紹介】 伊倉洞は、鍾乳石豊富な水の流れる鍾乳洞だった。 高さ50㍍、地軸の滝。 水音が時を刻んで。~新見市~ 他 (2016/10/27)
滝観洞(ろうかんどう) 他 (2009/10/03)
【停泊場所】 遠野市の町外れ
【明日の予定】 釜石かな。 大きな観音様に。
※ 今週の土曜日に、早池峰山かなと。 まだ、ハヤチネウスユキソウは早い。
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※ 余談 龍の部分が、「ろう」と読むよう。
籠はかご。 籠球(ろうきゅう)・印籠(いんろう)・蒸籠 (せいろう)・灯籠(とうろう)などが。

小さな見所がいっぱい。


白蓮さんのお弟子さんが、この地にいたんですね。 ※ やなぎわらが、正しい。
神の時代から隠されてきた滝が、この世に出る時が来た、って言ってるかな。
隠れていた天照大神みたいだから、滝の名前を「天の岩戸の滝」って。


左に入り口。

1050円。 ヘルメットと長靴姿になって。
白蓮洞を見たい。 黄色〇の入り口だけ、後で見に行く。 赤〇は、行ってない。


鍾乳洞の中は、川が流れている。
この穴は、そこに行く道。 人が掘った横穴。


ここから本物。 この川の出口を確かめなかった。 ※ いつも何かかにか、忘れる。
天井が時々低い。

昔映画の撮影があった。


危険。 落ちたら、下まで4~5㍍。 どこも濡れてる。 つるんと滑って落ちたら、大けが。
子どもは連れて来れない。 飾りが置いてある。


滝までの距離は、忘れていた。 700㍍だった。 頭をぶつけながらだから、遠い。
一番右は、洞窟サンゴ。 凸凹がいっぱい。



水の流れが、棚をつくった。 水滴は、岩に穴を。 穿(うが)つ、ですね。


ウミユリ。



観光というより、探検してるみたい。
車やドアのカギには、ミニ懐中電灯を付けている。
万一停電でも、大丈夫。 ※ ところどころに、電話が。

待っててくれた。 住田町で、炭か?


小さな滝。 コウモリは出て来ない。 白蓮洞にはいるよう。


広い空間に出た。 洞窟観音。


天井から岩が下がっている。 滝の水音が聞こえてきた。

少し行くと、見えた。

ここが一番広い空間。

音が洞内に響き渡る。

高い天井。 ロープがある。 登った人がいるということか。

滝の一番上は見えない。


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※ 今度は、白蓮の蓮が違う。 連になってる。 白蓮の蓮は、日蓮の蓮。
高さ29㍍。 奥まで行った人がいる。 普通の登山より大変。



戻る。

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上有住駅。 かみありす。 左に、引き込み線がある。 木材を積んだ時代があったのか。

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観光鍾乳洞としては、穴の天井が低いというか狭い感じがする。


白蓮洞は、復興の予定はないという。
戻って来たら、滝観洞の入り口が見えた。 上に鉄道。
滝観洞の川の水は、どこから出てるのか。

橋の上から、下流を見た。 橋の下は水が少ない。 少し下流に水が見えている。 右から出ている。

この穴から出ていた。

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2つ目の坂は大きい。 一気に越えられる馬はいない。
途中で、停まって呼吸を整える。
引き手は、馬の表情を読む。
そして、こことばかりに、また鞭を打つ。
その姿は、人馬一体。 こんなポスター。
今日は、馬とSL銀河の見学。
馬力大会には、大勢の人が集まっていた。
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遠野市の西武。

馬の会場は、柏木平(かしわぎだいら)駅から近い。

SL銀河は駅で見るので、車はここに。 朝早くに来た。 会場は坂の下。 この時、11時過ぎ。

女性も子供も、みんな見に行く。

9時から開会式。 プログラムは進んでいる。

大型トラックで、たくさんの馬が来ている。

レースは、30分に1回ほど。 食べて飲んで、みんな楽しむ。

レースが始まる。

スタート。 橇(そり)の上には、700㌔とか800㌔のおもり。

人はソリに乗らない。 馬を引く。 最初の坂(第一障害)は、一気に越える。

この様に。

真ん中が抜け出した。

別のが始まる。 自分はプログラムは持っていない。 1回1回、お金をかけているようではない。

やって来た。

第2障害の前では、停まって一休み。 息を整えて。

馬は、両足で踏ん張る。 越えたら喜んでもらえる。 馬は必死。

次も来た。 重さはすべて、馬の肩にかかっている。

このレースは特別で、第2障害はオーナーが馬を引っ張ったのかな。

白い人がオーナーのよう。 離れた。

馬の体重は、1㌧近いのもいるよう。 競争馬の2倍だ。
※ ヒグマの巨大なのも、ここまでは大きくない。

美しい馬だ。

下は、お昼休み。 馬は、エサ入れをあっちにやったり、こっちに引っ張ったり、遊ぶ。

インタビュー。

食べ始めたら、いつまでも。

お洒落。 似合っている。

別のが始まる。

下は、第7レース。
上の後、駅に戻った。 2時20分頃やってくる。 花巻行き。

写真は動画から撮ればよかった。 そうすれば、写真も動画も両方。
やってきた。

C58239。 どこかで展示されていたのを復活。
運転士は、横からの方が見やすいのか。

人が乗っていた。 自分の横を、轟音をたてて通り過ぎた。

渾身の力を振り絞る、その姿に魅力があるのか、
多くの人が、遠くから来ていた。
SLは黒い鉄のかたまり。
今日は、力強いものを2つ見た。
【今日の一句】 「 渾身の力比べの馬力大会 東北にも夏が来た 」
【記事の紹介】 ばんえい競馬は、巨大な馬の力比べ。 帯広競馬場。~帯広市~ 東京五輪決定。 (2013/9/7)
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スタート。 橇(そり)の上には、700㌔とか800㌔のおもり。

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真ん中が抜け出した。

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やって来た。

第2障害の前では、停まって一休み。 息を整えて。

馬は、両足で踏ん張る。 越えたら喜んでもらえる。 馬は必死。

次も来た。 重さはすべて、馬の肩にかかっている。

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