昨夜は「山き」でお酒を飲んだ。
今日になって、ブログを書き終えたのは午後3時。
恐山は間に合わない。
斗南(となみ)藩に関係ある道の駅があるので、そこを書くことに。
(写真をクリックして一瞬で大きくならない時が。 再度開き直したら大丈夫な時があります。 改善に時間を)
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に )
朝、八戸市から三沢市に移動。

道の駅みさわ。

道の駅の建物。 変わった道の駅で、午後7時になったら追い出される。
国道のそばに駐車場があって、そこも道の駅になっている。

右の方に、馬がいる。

左には、こんな像。 人と馬。

大きな建物も。

駐車場には、昼になっても車は数台。 珍しい道の駅。
説明があった。 ここは斗南藩紀念観光村でもあった。
斗南藩ってどこのあるか知らなかったけど、ここだったんだ。
そう思って調べてみた。 三沢市のHPに斗南藩の地図があった。
ここは、斗南藩ではない。 頭が混乱。
こうだった。
戊辰戦争で会津藩は幕府側の味方。
新政府軍に負けて、会津から追い出される。
やって来た地につくった藩が、斗南藩。
しかし、明治4年に廃藩置県があった。 斗南藩はなくなった。
斗南藩にいた人たちの一部が、この地に移住した。
そして、洋式牧場をつくった。
下にはわが国最初とある。 ※ 他でも日本最初と名乗ってる所がある。
ここは、斗南藩の人達が、後にやって来た場所。
そういうことですね。
中心人物が、広沢安任(ひろさわやすとう)。
下は、3日のネットのニュース。
斗南(となみ)の語源が、今まではっきりしていなかった。
新しい資料が見つかって、今後議論される。 はっきりするかも知れない。
※ 余談 語源はいろいろあったとして、なぜ「斗南」にしたのか。
斗南に、隠された願いとかがあったのか。
斗は図の中にある字と同じ。 斗は図(はか)るの意味。
何を図りたいのか。
それは、斗南の南に再度戻ること。
つまり、元いた会津に帰ること。
そんな願いが、斗南には隠されていた。
ネットにあった、ある考えです。 面白いですね。
広い敷地に、立派な施設。

外人さんの協力があったんですね。 説明にもあった。

2人の外人さんは、どんな夢があってやって来たのでしょう。

先人記念館。 どうしてこんな立派な施設があるのあ、ネットで調べても分からない。
道の駅の案内にも書いてない。
先人記念館のパンフレットに書いてあった。
総工事費は、約10億。
お金はどこから出たのか。
旧電源立地促進交付金事業からの交付金。
調べてみた。 三沢市の北に、六ヶ所村がある。
そこには、原子燃料サイクル施設がある。 使用済み核燃料を埋設したり。
それがあるために、周辺の市町村は、交付金がもらえる。
そのお金で作ったのが、斗南藩紀念観光村。
(交付金は、こんな施設をつくる業者にも流れていく、ということなんですね)
右は、開祖堂。

入館料は100円。

文書などは、直接撮影できない。

広沢安任(やすとう)のことが。
彼は、会津藩が負けた段階で、普通は斬首。
新政府は人材不足だった。 そんなこともあって、助かる。
※ 助かったのは、他にもいて、榎本武揚なども。 彼は函館戦争で最後まで新政府と戦った。

この人が広沢安任。 命を助けるよう進言した外人さんがいた。
右の説明が、分かりやすいです。

会津藩は、幕府を裏切ることは出来なかったんですね。
江戸時代の初め、保科正之が幕府の家光に大事にされた。
正之は、家光の隠し子。 殺されたら困るから高遠藩に預ける。
そこから会津藩に。 幕府にかわいがられ、名君として活躍。
会津藩は、その恩を末代まで忘れることはなかった。

上で見た像は、この2人の外人さんですね。
右は太田広城(ひろき)。 彼は後に、北海道に渡っている。(奥尻島) 武士の表情。

会津に比べたら、下北は貧しい土地。 苦労する。

人は来ないけど、立派な施設。

北に走った。 小川原湖。

広い湖。 向こう遠くにも、道の駅がある。
青森県最大の湖、小川原湖。 玉代・勝世姫像。 大塚甲山 ~東北町~ 他 (2012/10/10)

右に湿原があるんだが、消えかけていた。

ここが六ヶ所村の、原子燃料サイクル施設。

人はいないけど、立派な施設を今日は見ました。
夜になったら出てくださいという道の駅は、他にあったでしょうか。
それでも、斗南藩のことがここに来たら分かります。
明治の初めに、一時輝いた藩ですね。
会津藩の面影を残して。
【記事の紹介】
青森県立三沢航空科学館。 ゼロ戦、太平洋を渡ったミス・ビードル号、他。~三沢市~ 御嶽山、爆発 (2014/9/27)
鶴ヶ城 さざえ堂 白虎隊士の墓 ~会津若松市~ 明日 吾妻山へ 他 (2010/7/20)
【道の駅】 よこはま
【明日の予定】 恐山 夕方には大間に。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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朝、八戸市から三沢市に移動。


道の駅みさわ。

道の駅の建物。 変わった道の駅で、午後7時になったら追い出される。
国道のそばに駐車場があって、そこも道の駅になっている。

右の方に、馬がいる。

左には、こんな像。 人と馬。

大きな建物も。

駐車場には、昼になっても車は数台。 珍しい道の駅。
説明があった。 ここは斗南藩紀念観光村でもあった。
斗南藩ってどこのあるか知らなかったけど、ここだったんだ。
そう思って調べてみた。 三沢市のHPに斗南藩の地図があった。
ここは、斗南藩ではない。 頭が混乱。
こうだった。
戊辰戦争で会津藩は幕府側の味方。
新政府軍に負けて、会津から追い出される。
やって来た地につくった藩が、斗南藩。
しかし、明治4年に廃藩置県があった。 斗南藩はなくなった。
斗南藩にいた人たちの一部が、この地に移住した。
そして、洋式牧場をつくった。
下にはわが国最初とある。 ※ 他でも日本最初と名乗ってる所がある。
ここは、斗南藩の人達が、後にやって来た場所。
そういうことですね。
中心人物が、広沢安任(ひろさわやすとう)。


下は、3日のネットのニュース。
斗南(となみ)の語源が、今まではっきりしていなかった。
新しい資料が見つかって、今後議論される。 はっきりするかも知れない。

※ 余談 語源はいろいろあったとして、なぜ「斗南」にしたのか。
斗南に、隠された願いとかがあったのか。
斗は図の中にある字と同じ。 斗は図(はか)るの意味。
何を図りたいのか。
それは、斗南の南に再度戻ること。
つまり、元いた会津に帰ること。
そんな願いが、斗南には隠されていた。
ネットにあった、ある考えです。 面白いですね。
広い敷地に、立派な施設。

外人さんの協力があったんですね。 説明にもあった。


2人の外人さんは、どんな夢があってやって来たのでしょう。

先人記念館。 どうしてこんな立派な施設があるのあ、ネットで調べても分からない。
道の駅の案内にも書いてない。
先人記念館のパンフレットに書いてあった。
総工事費は、約10億。
お金はどこから出たのか。
旧電源立地促進交付金事業からの交付金。
調べてみた。 三沢市の北に、六ヶ所村がある。
そこには、原子燃料サイクル施設がある。 使用済み核燃料を埋設したり。
それがあるために、周辺の市町村は、交付金がもらえる。
そのお金で作ったのが、斗南藩紀念観光村。
(交付金は、こんな施設をつくる業者にも流れていく、ということなんですね)
右は、開祖堂。


入館料は100円。

文書などは、直接撮影できない。


広沢安任(やすとう)のことが。
彼は、会津藩が負けた段階で、普通は斬首。
新政府は人材不足だった。 そんなこともあって、助かる。
※ 助かったのは、他にもいて、榎本武揚なども。 彼は函館戦争で最後まで新政府と戦った。


この人が広沢安任。 命を助けるよう進言した外人さんがいた。
右の説明が、分かりやすいです。


会津藩は、幕府を裏切ることは出来なかったんですね。
江戸時代の初め、保科正之が幕府の家光に大事にされた。
正之は、家光の隠し子。 殺されたら困るから高遠藩に預ける。
そこから会津藩に。 幕府にかわいがられ、名君として活躍。
会津藩は、その恩を末代まで忘れることはなかった。


上で見た像は、この2人の外人さんですね。
右は太田広城(ひろき)。 彼は後に、北海道に渡っている。(奥尻島) 武士の表情。

会津に比べたら、下北は貧しい土地。 苦労する。

人は来ないけど、立派な施設。

北に走った。 小川原湖。

広い湖。 向こう遠くにも、道の駅がある。
青森県最大の湖、小川原湖。 玉代・勝世姫像。 大塚甲山 ~東北町~ 他 (2012/10/10)


右に湿原があるんだが、消えかけていた。

ここが六ヶ所村の、原子燃料サイクル施設。

人はいないけど、立派な施設を今日は見ました。
夜になったら出てくださいという道の駅は、他にあったでしょうか。
それでも、斗南藩のことがここに来たら分かります。
明治の初めに、一時輝いた藩ですね。
会津藩の面影を残して。
【記事の紹介】
青森県立三沢航空科学館。 ゼロ戦、太平洋を渡ったミス・ビードル号、他。~三沢市~ 御嶽山、爆発 (2014/9/27)
鶴ヶ城 さざえ堂 白虎隊士の墓 ~会津若松市~ 明日 吾妻山へ 他 (2010/7/20)
【道の駅】 よこはま
【明日の予定】 恐山 夕方には大間に。
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(2008年4月~2010年9月までの.記事)

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