飫肥(おび)の町並みは、九州最初の重伝建地区。
ここに住む人たちは、早くから町並みを大事にしていたと分かりますね。
古い家を何軒か見学。
詳しく紹介するというより、自分にとって面白いと感じたものを紹介。
水音のする九州の小京都。
そんな感じでもありました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
赤〇は、外之浦港。
佐賀の乱の江藤新平は、ここから四国の宇和島に逃げていた。
世話をしたのは、飫肥の人。
最後の方で出て来ます。

飫肥城は、伊東氏の居城でしたね。
幕藩時代に、町並みを整備。 今に残りました。

大手門通り。 昨日は向こうを紹介。

今日は反対側に行く。 地図は後ほど。

寄り道して歩いて、ここに。 広い道。 左に商家資料館。

610円で7ヶ所見学できる1つ。
商人が使う物を展示。
※ 女の人は、黒木華(はる)に似ている。
大河で西郷さんのの妻になる人を演じている。

小さな秤(はかり)を入れる入れ物。 いい形。

正面のは飫肥杉か。 柱や梁(はり)も。

柱時計。 下の部分は何でしょう。

古いお金。 右下は、見たことあります。 使ったことも?
※ 右は、ネットから。
昔、西南戦争のころ西郷隆盛は西郷札を発行した。 西郷が負けて紙切れに。
松本清張の処女作は、西郷札。 昔読んだことが。

百貫積みの自転車。 今と形は変わらない。 丈夫そう。
※ 百貫は375㌔。 たくさん積めると云う意味でしょうか。
こんな自転車に、エンジンを付けて走ってるのを、子どものころ見た。
バリバリバリって、うるさい音だった。

交差点で左に行けば、飫肥城。
近くに、山頭火の句碑があるけど見つけられない。
実際は左の店の前にあった。

探し戻った時に、見つけた。

「水の味も身にしむ秋となり」
「ここに白髪を剃りおとしてさる」
「誰もゐないで コスモスそよいでゐる」の3句。
昭和5年の旅です。 この時の旅のコース。 以前の記事から。
ここ(京町温泉)に来たことは、行乞記(ぎょうこつき)の1に、書いてある。
※ 行乞記(1)は、1930(昭和5)年9月9日から、その年の、12月27日の日記です。 全体はここ。
八代を出発して、人吉、都城、宮崎、鵜戸、飫肥、美々津、竹田、湯平、湯布院、山国、下関、
糸田、香春町、福岡、大牟田、熊本 など。
彼は酒と句作に夢中。 命を縮める。
酒におぼれていても、句を考え始めて気付いたら朝。

地図があった。 赤〇、オレンジ〇、緑〇の順に。

信号で、城の方を見た。 大手門通り。 右に、小町って見える。 後ほど。

あちこち歩いて、信号に反対方向から。 右の家を見学。

旧高橋家。

源次郎という人は、貴族院議員になっている。

部屋にこんな絵。 中国の故事にちなんだ絵でしょうか。

竈(かまど)の右が地盤沈下。
写真の左に井戸。
地下に水脈。 その関係で下がったのでしょうか。
こんなにご飯を炊くのか。 使用人がいたとしても。

このお店に入った。 小町とあった店。

アッカムイ神社の仲間入り。

大手門通りを行く。 次は、右の家。 旧山本家。

古い写真が。 昔の人の表情を見るのが好き。 何考えているんだろうって。

あちこちに、このように陶磁器。
管理人さんは、この陶磁器は当時からあったんですよと。
私は、当時から陶磁器ねって、返した。

飫肥杉のテーブル。 多雨地帯だから、木目が広い。

舟形の石。

ある部屋にこんなの。 誰でしょう。
考えられるのは、紫式部か小野小町。
隣の家の名前に、小町が付いていた。 もしかして、小町か。
読み物の中の字が、自分には読めない。

蔵の中の見学。

これで灯りか。 油を入れて、太い糸を出す。 そこに火。 初めて見る。

ペリーかな。
初め、お尻かと思った。 シャツが出てるのか。 植木鉢の鉢が、間違っている。

蔵の方から、主屋を。

右に入って、水路。 昔はお風呂の水にも使えたそう。 錦鯉がいた。

しばらく歩いて、山の上に。 右向こうにお城。
武家屋敷通り。 最後に行く。 まず、右の家に。

旧伊東家。

枯山水の庭。 武家屋敷に多い。

最後は藩校。 小村寿太郎も、ここで学んだ。

ここで。

奥に石碑。 小倉処平(おぐらしょへい)。

面白いことが、いくつか。
まず、陸奥宗光。 龍馬を尊敬していた。
京都の高島屋の少し北にあった近江屋で、龍馬は暗殺された。 中岡慎太郎と共に。
彼は、復讐に燃えた。
犯人は、紀州藩の者と考えた。 (紀州藩は、龍馬に痛い目に遭わされたことが。)
天満屋で酒を飲んでいた紀州藩の者達を襲った。(天満屋事件)
宗光は、その時の中心人物。 実際の犯人は、紀州藩ではなかったけど。
天満屋は、西本願寺のすぐ近くに。
天満屋跡の石碑がある。
そばに、寺関係のお店。
そこに、珍しい甘茶が安く売っている。 自分はよく行く。
次のことは、写真の下に。
小倉処平は、江藤新平を助けていた。
新平は、明治政府の中で力があったので、大久保利通に睨まれた。
追われて、殺される。
彼を九州から四国に逃がしたのが、処平だった。
逃がした港は、地図にあった外之浦。 少し前通った。
新平は、宇和島港に行って、そこから高知。
そして甲浦(かんのうら)に近づいた時に、捕まる。 江戸を目指していた。
※ 1874年3月1日、鰻温泉。 3月8日、飫肥。 3月25日、高知。 3月29日、甲浦。
もったいない人間が死んだ。
龍馬や彼が生きて、明治政府の中枢にいたら、戦争の時代にまっしぐら、ではなかったかも知れない。
司馬遼太郎も松本清張も、江藤新平を小説にした。
※ 睦宗光は、大久保利通を嫌っていた。
土佐の東の玄関口 甲浦 ~仏頂造りの家と、江藤新平が捕まった地 東洋町~ 他 (2011/1/3)
新平は、飫肥に来る前、鰻温泉で西郷さんに会っていた。
池田湖、菜の花と開聞岳。 枚聞神社の玉手箱。 西郷と江藤が会った、鰻温泉。~指宿市~ 他 (2014/2/1)
処平は、西南戦争に参加する飫肥軍の隊長だった。
※ 日南市は、小倉処平を西郷どんに出してもらえるように、NHKにお願いに行った。 結果は?
※ 処平が結婚する時の媒酌人は、小松帯刀(たてわき)。
帯刀は寺田屋で怪我をした龍馬を鹿児島に呼んで、世話をした。
龍馬や西郷さんや帯刀は、大政奉還の立役者。
新しい時代への扉をこじ開けた。
武家屋敷を行く。

途中に、小村寿太郎生家。 移築している。

大手門前に来た。

この道を下って、右に曲がれば駐車場。
※ 最後に、練り物の飫肥天を買った。 揚げたて。
車に来て、入れ物の裏を見たら、ソルビン酸の標示があった。
コンビニの食べ物にも、最近は保存料不使用の標示が多くなった。
その保存料の代表が、ソルビン酸。 (危険添加物のベスト3とも)
すぐ食べるのに、どうして入れるのでしょう。
全部は食べなかった。

今日は、飫肥の町並みを歩きました。
前回来た時は、1日で全部紹介。
今回は、2日間に分けました。
【今日の歌】 憂鬱デス 森田童子 明日(あした)に祈る気持ちもなく、明日に生きてみる、って。
【停泊場所】 飫肥城駐車場
【明日の予定】 サンメッセ日南。 復刻された7体のモアイ像が立っている。
観光施設だけど、一度だけ行ってみようと。
鵜戸神宮は詳しく紹介してるので、パス。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体、3位です。
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次の日のクリックも、また、1週間生きる。
【拍 手】 下に。
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ここに住む人たちは、早くから町並みを大事にしていたと分かりますね。
古い家を何軒か見学。
詳しく紹介するというより、自分にとって面白いと感じたものを紹介。
水音のする九州の小京都。
そんな感じでもありました。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。

( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
赤〇は、外之浦港。
佐賀の乱の江藤新平は、ここから四国の宇和島に逃げていた。
世話をしたのは、飫肥の人。
最後の方で出て来ます。


飫肥城は、伊東氏の居城でしたね。
幕藩時代に、町並みを整備。 今に残りました。

大手門通り。 昨日は向こうを紹介。

今日は反対側に行く。 地図は後ほど。

寄り道して歩いて、ここに。 広い道。 左に商家資料館。

610円で7ヶ所見学できる1つ。
商人が使う物を展示。
※ 女の人は、黒木華(はる)に似ている。
大河で西郷さんのの妻になる人を演じている。


小さな秤(はかり)を入れる入れ物。 いい形。

正面のは飫肥杉か。 柱や梁(はり)も。

柱時計。 下の部分は何でしょう。

古いお金。 右下は、見たことあります。 使ったことも?
※ 右は、ネットから。
昔、西南戦争のころ西郷隆盛は西郷札を発行した。 西郷が負けて紙切れに。
松本清張の処女作は、西郷札。 昔読んだことが。


百貫積みの自転車。 今と形は変わらない。 丈夫そう。
※ 百貫は375㌔。 たくさん積めると云う意味でしょうか。
こんな自転車に、エンジンを付けて走ってるのを、子どものころ見た。
バリバリバリって、うるさい音だった。

交差点で左に行けば、飫肥城。
近くに、山頭火の句碑があるけど見つけられない。
実際は左の店の前にあった。

探し戻った時に、見つけた。

「水の味も身にしむ秋となり」
「ここに白髪を剃りおとしてさる」
「誰もゐないで コスモスそよいでゐる」の3句。
昭和5年の旅です。 この時の旅のコース。 以前の記事から。
ここ(京町温泉)に来たことは、行乞記(ぎょうこつき)の1に、書いてある。
※ 行乞記(1)は、1930(昭和5)年9月9日から、その年の、12月27日の日記です。 全体はここ。
八代を出発して、人吉、都城、宮崎、鵜戸、飫肥、美々津、竹田、湯平、湯布院、山国、下関、
糸田、香春町、福岡、大牟田、熊本 など。
彼は酒と句作に夢中。 命を縮める。
酒におぼれていても、句を考え始めて気付いたら朝。

地図があった。 赤〇、オレンジ〇、緑〇の順に。

信号で、城の方を見た。 大手門通り。 右に、小町って見える。 後ほど。

あちこち歩いて、信号に反対方向から。 右の家を見学。

旧高橋家。


源次郎という人は、貴族院議員になっている。


部屋にこんな絵。 中国の故事にちなんだ絵でしょうか。


竈(かまど)の右が地盤沈下。
写真の左に井戸。
地下に水脈。 その関係で下がったのでしょうか。
こんなにご飯を炊くのか。 使用人がいたとしても。

このお店に入った。 小町とあった店。

アッカムイ神社の仲間入り。

大手門通りを行く。 次は、右の家。 旧山本家。


古い写真が。 昔の人の表情を見るのが好き。 何考えているんだろうって。


あちこちに、このように陶磁器。
管理人さんは、この陶磁器は当時からあったんですよと。
私は、当時から陶磁器ねって、返した。

飫肥杉のテーブル。 多雨地帯だから、木目が広い。


舟形の石。

ある部屋にこんなの。 誰でしょう。
考えられるのは、紫式部か小野小町。
隣の家の名前に、小町が付いていた。 もしかして、小町か。
読み物の中の字が、自分には読めない。

蔵の中の見学。

これで灯りか。 油を入れて、太い糸を出す。 そこに火。 初めて見る。

ペリーかな。
初め、お尻かと思った。 シャツが出てるのか。 植木鉢の鉢が、間違っている。

蔵の方から、主屋を。

右に入って、水路。 昔はお風呂の水にも使えたそう。 錦鯉がいた。


しばらく歩いて、山の上に。 右向こうにお城。
武家屋敷通り。 最後に行く。 まず、右の家に。


旧伊東家。


枯山水の庭。 武家屋敷に多い。

最後は藩校。 小村寿太郎も、ここで学んだ。


ここで。

奥に石碑。 小倉処平(おぐらしょへい)。

面白いことが、いくつか。
まず、陸奥宗光。 龍馬を尊敬していた。
京都の高島屋の少し北にあった近江屋で、龍馬は暗殺された。 中岡慎太郎と共に。
彼は、復讐に燃えた。
犯人は、紀州藩の者と考えた。 (紀州藩は、龍馬に痛い目に遭わされたことが。)
天満屋で酒を飲んでいた紀州藩の者達を襲った。(天満屋事件)
宗光は、その時の中心人物。 実際の犯人は、紀州藩ではなかったけど。
天満屋は、西本願寺のすぐ近くに。
天満屋跡の石碑がある。
そばに、寺関係のお店。
そこに、珍しい甘茶が安く売っている。 自分はよく行く。
次のことは、写真の下に。

小倉処平は、江藤新平を助けていた。
新平は、明治政府の中で力があったので、大久保利通に睨まれた。
追われて、殺される。
彼を九州から四国に逃がしたのが、処平だった。
逃がした港は、地図にあった外之浦。 少し前通った。
新平は、宇和島港に行って、そこから高知。
そして甲浦(かんのうら)に近づいた時に、捕まる。 江戸を目指していた。
※ 1874年3月1日、鰻温泉。 3月8日、飫肥。 3月25日、高知。 3月29日、甲浦。
もったいない人間が死んだ。
龍馬や彼が生きて、明治政府の中枢にいたら、戦争の時代にまっしぐら、ではなかったかも知れない。
司馬遼太郎も松本清張も、江藤新平を小説にした。
※ 睦宗光は、大久保利通を嫌っていた。
土佐の東の玄関口 甲浦 ~仏頂造りの家と、江藤新平が捕まった地 東洋町~ 他 (2011/1/3)
新平は、飫肥に来る前、鰻温泉で西郷さんに会っていた。
池田湖、菜の花と開聞岳。 枚聞神社の玉手箱。 西郷と江藤が会った、鰻温泉。~指宿市~ 他 (2014/2/1)
処平は、西南戦争に参加する飫肥軍の隊長だった。
※ 日南市は、小倉処平を西郷どんに出してもらえるように、NHKにお願いに行った。 結果は?
※ 処平が結婚する時の媒酌人は、小松帯刀(たてわき)。
帯刀は寺田屋で怪我をした龍馬を鹿児島に呼んで、世話をした。
龍馬や西郷さんや帯刀は、大政奉還の立役者。
新しい時代への扉をこじ開けた。
武家屋敷を行く。

途中に、小村寿太郎生家。 移築している。

大手門前に来た。

この道を下って、右に曲がれば駐車場。
※ 最後に、練り物の飫肥天を買った。 揚げたて。
車に来て、入れ物の裏を見たら、ソルビン酸の標示があった。
コンビニの食べ物にも、最近は保存料不使用の標示が多くなった。
その保存料の代表が、ソルビン酸。 (危険添加物のベスト3とも)
すぐ食べるのに、どうして入れるのでしょう。
全部は食べなかった。

今日は、飫肥の町並みを歩きました。
前回来た時は、1日で全部紹介。
今回は、2日間に分けました。
【今日の歌】 憂鬱デス 森田童子 明日(あした)に祈る気持ちもなく、明日に生きてみる、って。
【停泊場所】 飫肥城駐車場
【明日の予定】 サンメッセ日南。 復刻された7体のモアイ像が立っている。
観光施設だけど、一度だけ行ってみようと。
鵜戸神宮は詳しく紹介してるので、パス。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの.記事)

※ プロフィール・・・。 ⇒


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