五分(ごぶ)の戦いで2日目に入った。
チャンスはある。
ネットで何度も進行状況を確認。
夕方、木村九段有利な状態になった。
暗くなって、走っている時コンビに寄って確認。
もう逆転はないと感じた。
乾杯のビールを買って戻った。
豊島名人が投了していた。
木村王位誕生。 おめでとう、となった。
・ ・ ・ ・ ・
新庄城の跡が最上公園と分かって見学することに。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
山形県の北部、最上地方。
※ 余談 山形城の城主は、最上義光(よしあき)。
戦国時代の前、今の山形市より北部は、今の最上地方を含めて、最上郡と呼ばれていた。
最上氏はその範囲で力を持っていたので、最上氏の名前に。
最上義光は、上杉景勝と戦ったことも。 勇敢な武将。
娘の駒姫の死で、悲しい思いをする。
山形専称寺は駒姫の菩提寺。 彼女は最上義光の次女。 秀吉に京都三条河原で殺された。 関ヶ原に影響。~山形市~ 他 (2019/6/4)
悲運の駒姫、あと20秒早く・・・。 瑞泉寺、豊臣秀次他供養塔。 側室達30余名が三条河原で打ち首。~京都市~ 他 (2019/2/7)

小さな駐車場に停めた。

お堀で釣り。

中に入ったら広い駐車場。

左を見たら、茅葺の神社。 こち吹かば・・ってある。 太宰府天満宮の真似?
梅咲きほころぶ太宰府天満宮は、人・人・人。 大宰府政庁跡。 日本最古の梵鐘。~太宰府市~ 他 (2015/2/28)

新庄藩主の戸沢家の氏神。 味のある拝殿。 後ろに本殿。

隣にも神社。
※ 明治に入って城の役割は終わった。
同じ時期に廃仏毀釈。 神社が大事にされた。 城跡にはどこも神社が。 ・・・。

お堀のふちは高くなっている。 子どもが歩くのは危険。

城の建物は残っていない。

ここに石垣。 石垣の上に建物があった。 真ん中が門になっていて通れた。 櫓(やぐら)門。

絵図。

上で紹介した櫓門は、右端の橋の所の門。 天守は早い時期に焼失。
※ 新庄藩は明治の初めの戊辰戦争で、元々は幕府側だった。
久保田(秋田)藩が新政府についたので、そっちに変えた。
庄内藩が怒って攻めてきた。 城も町もみんな焼かれた。 今もきっと恨んでいる。
※ 城を造ったのは鳥居忠政。 関ヶ原の戦いで伏見城を守った鳥居元忠の次男。
父の活躍で徳川幕府に大事にされる。 山形藩は最上氏の後、彼が継ぐ。

ここも藩主戸沢氏の神社。 向こう一帯に本丸があった。 城の中心。

神社を背にして。 少し先に、お堀の橋。

公園だけど人は少ない。

神社の横に庭園。 心の字の形の池はたまに見ます。
右の人の作品は京都方面にない。 見たことない。

太鼓橋。 庭園の向こうに広くアジサイが。 今年は終わり。

和風の建物。 藤嵐閣。 とうらんかく。

これと同じのが二条城にあったとあるけど、確認できない。 他の説も。
右写真は、横浜にある同じ建物の内部。

入った場所の反対側。

太鼓橋を渡って。

神社の裏にお堀はない。 埋められた。
最初に見た天満宮を横から。

戻ってきた。 ちょうど釣れた。 ヘラブナか。 すぐに放した。

新庄城跡の紹介でした。
【その他】 これに勝てばタイトルが取れる。
そんな戦いを8回負けた。 9回目に勝った。
中年の星。 将棋の強いおじさん。 とにかくファンが多い棋士。
藤井ブームで、タイトル戦は大きなニュース。 (30日に藤井7段の対局が。王将戦。注目されてる一局)
【コメ付】第60期王位戦 感想戦後のインタビュー
山口女流初段が木村八段の奥様を「歩」よばわり
【道の駅】 むらやま
【明日の予定】 村山市の楯岡地区を散歩。 市街地の中心でも。 道の駅も楯岡の端っこの方。
楯岡が、自分の曾祖父(ひいおじいちゃん)の住所。
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は3700ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
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山形県の北部、最上地方。
※ 余談 山形城の城主は、最上義光(よしあき)。
戦国時代の前、今の山形市より北部は、今の最上地方を含めて、最上郡と呼ばれていた。
最上氏はその範囲で力を持っていたので、最上氏の名前に。
最上義光は、上杉景勝と戦ったことも。 勇敢な武将。
娘の駒姫の死で、悲しい思いをする。
山形専称寺は駒姫の菩提寺。 彼女は最上義光の次女。 秀吉に京都三条河原で殺された。 関ヶ原に影響。~山形市~ 他 (2019/6/4)
悲運の駒姫、あと20秒早く・・・。 瑞泉寺、豊臣秀次他供養塔。 側室達30余名が三条河原で打ち首。~京都市~ 他 (2019/2/7)


小さな駐車場に停めた。

お堀で釣り。


中に入ったら広い駐車場。

左を見たら、茅葺の神社。 こち吹かば・・ってある。 太宰府天満宮の真似?
梅咲きほころぶ太宰府天満宮は、人・人・人。 大宰府政庁跡。 日本最古の梵鐘。~太宰府市~ 他 (2015/2/28)


新庄藩主の戸沢家の氏神。 味のある拝殿。 後ろに本殿。


隣にも神社。
※ 明治に入って城の役割は終わった。
同じ時期に廃仏毀釈。 神社が大事にされた。 城跡にはどこも神社が。 ・・・。


お堀のふちは高くなっている。 子どもが歩くのは危険。


城の建物は残っていない。

ここに石垣。 石垣の上に建物があった。 真ん中が門になっていて通れた。 櫓(やぐら)門。

絵図。

上で紹介した櫓門は、右端の橋の所の門。 天守は早い時期に焼失。
※ 新庄藩は明治の初めの戊辰戦争で、元々は幕府側だった。
久保田(秋田)藩が新政府についたので、そっちに変えた。
庄内藩が怒って攻めてきた。 城も町もみんな焼かれた。 今もきっと恨んでいる。
※ 城を造ったのは鳥居忠政。 関ヶ原の戦いで伏見城を守った鳥居元忠の次男。
父の活躍で徳川幕府に大事にされる。 山形藩は最上氏の後、彼が継ぐ。


ここも藩主戸沢氏の神社。 向こう一帯に本丸があった。 城の中心。


神社を背にして。 少し先に、お堀の橋。

公園だけど人は少ない。


神社の横に庭園。 心の字の形の池はたまに見ます。
右の人の作品は京都方面にない。 見たことない。


太鼓橋。 庭園の向こうに広くアジサイが。 今年は終わり。

和風の建物。 藤嵐閣。 とうらんかく。

これと同じのが二条城にあったとあるけど、確認できない。 他の説も。
右写真は、横浜にある同じ建物の内部。


入った場所の反対側。

太鼓橋を渡って。

神社の裏にお堀はない。 埋められた。
最初に見た天満宮を横から。

戻ってきた。 ちょうど釣れた。 ヘラブナか。 すぐに放した。


新庄城跡の紹介でした。
【その他】 これに勝てばタイトルが取れる。
そんな戦いを8回負けた。 9回目に勝った。
中年の星。 将棋の強いおじさん。 とにかくファンが多い棋士。
藤井ブームで、タイトル戦は大きなニュース。 (30日に藤井7段の対局が。王将戦。注目されてる一局)

【コメ付】第60期王位戦 感想戦後のインタビュー
山口女流初段が木村八段の奥様を「歩」よばわり
【道の駅】 むらやま
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楯岡が、自分の曾祖父(ひいおじいちゃん)の住所。
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