楢原民之助のおかげで、島の人に出会うことに。
楽しい島の旅になりました。
・ ・ ・ ・ ・
Hさんは元は役場の職員だった。(東野町時代)
だから、島の人は誰でも知っている。
島のあちこちを案内していただく。
山の中も、軽がやっと通れる小路も。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
もっと広い緑〇を走ったかも。

東野小学校。 昔の資料などが展示しある。 校長先生と連絡は取ってある。
校長先生と教頭先生に挨拶して。 さわやかな雰囲気。 廊下で会う子供たちは明るい。

このように展示。 学校で整理して展示。 昔を大事にして今の教育でしょうか。
広い廊下。 教室も開放的。 Hさんの説明。

疎開の列車かな。 ※ 中頓別町から贈られた、大きなアンモナイトの化石があった。

大崎上島町の役場に。

楢原民之助の碑。
※ 民之助は、島から広い世界に飛び出しました。 北の海へと。
そして、海から北の大地に。 砂金を追ったのは、どんな夢だったのでしょう。
そこで培った自然と戦う力が、その後の頓別原野の開拓につながります。
子供が生まれて、豊かな成長を願う。 そのことが、学校の敷地の寄付、資金援助となっていきます。
だが、奥様と娘さん2人を失うことは、試練というにはつら過ぎました。
※ 今の時代になっても、中頓別町の皆さんからこんなに感謝されるなんて、想像できなかったでしょうね。
楢原民之助の生き方に、Hさんのように感動する人が多く現れ、姉妹都市になり交流が生まれました。
彼の生きた証が整理され、昨年立派な冊子が出来上がりました。
歴史の中で、彼は報われました。

国立広島商船高専に。 情報分野の勉強が主なようです。(Hさんのお話)
見晴らしのいいところに立って。

海が見えます。 遠くは竹原市。

学校の船。

この後、山の中を。

昔の道を。

Hさんのお宅。 どの部屋からもいい風景。

2台の車で、清風館へ。 温泉。

Hさんは私に、昼食と温泉をプレゼントしてくれた。 自分の気持ちだと言って。

遠くに橋。 しまなみ海道。

下に中ノ鼻灯台。

体も心も温まって、明石港に向かう。

明石港。

橋が見える。 左は岡村島。 橋の向こうに、大崎下島。 御手洗がある。

時間があったので少し散歩。

3時20分。 小さなフェリーが来た。

直ぐに乗り込んだ。 前まで行く。 自分の後ろに大型トラック。

遠くに安芸灘大橋。 あれを渡ると安芸灘諸島から出る。 本土に。

この橋の下でなく、右隣の橋の下を。

橋を過ぎたら、小長港。
御手洗に向かった。 山の上の公園で停泊。

大崎上島では、Hさんをはじめ、多くの方のお世話になりました。
感謝です。 またいつの日か、訪れたいです。
【停泊場所】 歴史の見える丘公園。
【明日の予定】 御手洗の見学。 重伝建地区です。 風待ち潮待ちの港。 龍馬も来ています。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 タムロン 18~300
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。
(放浪の旅Ⅱと放浪の旅Ⅰの両方です。 記事の総数は4300ほど。)
※ プロフィール・・・。 ⇒
今までの記事には、この2枚だけ。
2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。
【ランキング】 国内旅行、1位。 旅行全体、3位です。
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ランキング
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楽しい島の旅になりました。
・ ・ ・ ・ ・
Hさんは元は役場の職員だった。(東野町時代)
だから、島の人は誰でも知っている。
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山の中も、軽がやっと通れる小路も。
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もっと広い緑〇を走ったかも。


東野小学校。 昔の資料などが展示しある。 校長先生と連絡は取ってある。
校長先生と教頭先生に挨拶して。 さわやかな雰囲気。 廊下で会う子供たちは明るい。

このように展示。 学校で整理して展示。 昔を大事にして今の教育でしょうか。
広い廊下。 教室も開放的。 Hさんの説明。


疎開の列車かな。 ※ 中頓別町から贈られた、大きなアンモナイトの化石があった。


大崎上島町の役場に。

楢原民之助の碑。
※ 民之助は、島から広い世界に飛び出しました。 北の海へと。
そして、海から北の大地に。 砂金を追ったのは、どんな夢だったのでしょう。
そこで培った自然と戦う力が、その後の頓別原野の開拓につながります。
子供が生まれて、豊かな成長を願う。 そのことが、学校の敷地の寄付、資金援助となっていきます。
だが、奥様と娘さん2人を失うことは、試練というにはつら過ぎました。
※ 今の時代になっても、中頓別町の皆さんからこんなに感謝されるなんて、想像できなかったでしょうね。
楢原民之助の生き方に、Hさんのように感動する人が多く現れ、姉妹都市になり交流が生まれました。
彼の生きた証が整理され、昨年立派な冊子が出来上がりました。
歴史の中で、彼は報われました。


国立広島商船高専に。 情報分野の勉強が主なようです。(Hさんのお話)
見晴らしのいいところに立って。

海が見えます。 遠くは竹原市。


学校の船。

この後、山の中を。


昔の道を。

Hさんのお宅。 どの部屋からもいい風景。

2台の車で、清風館へ。 温泉。


Hさんは私に、昼食と温泉をプレゼントしてくれた。 自分の気持ちだと言って。

遠くに橋。 しまなみ海道。

下に中ノ鼻灯台。


体も心も温まって、明石港に向かう。


明石港。

橋が見える。 左は岡村島。 橋の向こうに、大崎下島。 御手洗がある。

時間があったので少し散歩。


3時20分。 小さなフェリーが来た。


直ぐに乗り込んだ。 前まで行く。 自分の後ろに大型トラック。

遠くに安芸灘大橋。 あれを渡ると安芸灘諸島から出る。 本土に。

この橋の下でなく、右隣の橋の下を。

橋を過ぎたら、小長港。
御手洗に向かった。 山の上の公園で停泊。


大崎上島では、Hさんをはじめ、多くの方のお世話になりました。
感謝です。 またいつの日か、訪れたいです。
【停泊場所】 歴史の見える丘公園。
【明日の予定】 御手洗の見学。 重伝建地区です。 風待ち潮待ちの港。 龍馬も来ています。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 タムロン 18~300
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2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。

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島を1周する予定でいた。
古江で楢原民之助の墓を探すなかで、旅は別の方向へ。
・ ・ ・ ・ ・
楢原民之助(ならはらたみのすけ)は、明治時代この島から、北海道へ。
船乗り、漁業、砂金に関わって、最後は今の中頓別町の開拓に。
誰も入ってない原野に、一人で入り開墾。
民之助39歳の時。
晩年故郷に戻る。 海を見下ろす丘に墓が。
その墓を探しに。
※ ※ ※ ※ ランキング
ブログタイトル一覧は、右をクリック。
( 写真の上にカーソルを置いて、open になってクリックしたら、一瞬に大きく。 再度クリックしたら、元に)
印に墓。 緑〇に墓の案内。 オレンジ〇に神社。 紫〇に、お世話になったHさんのお宅。

島の北部を走る写真等は最後に。
近くに車を置いて、ここから歩く。 900㍍。
中頓別町開墾の先駆者とある。

この道を真っすぐ向かった。 古江地区。

ここで、右に人がいて聞いた。 ずっと行って左だよって教えていただく。
墓は、道の左と考えた。 実際の意味は、分岐があったら左、の意味だったよう。
山ほどの柿。 クマはいないから寄ってこない。

昔は、みかん畑の山だった。 ずっと行く。

途中右に曲がったら、こっちに来た。 1㌔はとっくに過ぎた。 それらしい案内はない。
向う側の山のよう。

下から来て左に行けば、あっちだった。

途中まで来たら、軽の車が見えた。 さっきの人がいた。
不安になってやって来たという。 この奥。
民之助は、妻と2人の子供を病気で失い、失意のうちに故郷に戻る。
大正7年、53歳。 昭和7年68歳で亡くなる。

この方がここだよって。 ここの左奥に。 ※ イノシシが掘り返した岩。

楢原家の墓地。 安政3年(1856年)とか読めるのも。
奥に2つの墓。

故楢原民之助・夫人の墓、でいいでしょうか。 右は、民之助子供の墓。(女の子2人)

この後、民之助について詳しい人がいるという。 連れて行ってくれた。

その前に神社。

古社八幡神社。 歴史が古いので、この呼び方でしょうか。

絵馬があるという。 天井に隙間なく。

どれも意味は分からない。 これだけ何となく。(そして後で調べた)
ヒントは福嶋市松。 これは福島正則のことですね。
賤ケ岳七本槍の7人の武将がいます。 加藤清正とか。
福島正則は広島藩の藩主。 幕府にああだこうだ言われ、失意の中信州へ。 高山村で没します。

神社の後、Hさんのお宅に。 Hさんは、民之助のことに深くかかわっている。
中頓別のお話をしたり。 奥様が料理を。 里芋とタコの煮物は初めて食べました。
途中で阪神の優勝。 料理とお酒で楽しいお話、民之助と阪神。 忘れられない夜に。

大崎上島町と中頓別町は、民之助が縁で姉妹都市に。
昨年、下の冊子が出来た。 3人の世話人で作成。 Hさんはその中に。

Hさんのお家からの眺めは抜群。 下の家々と瀬戸内の海が見える。
民之助が戻って住んだ家は、近くにあった。
突然お邪魔して、すっかりお世話になりました。
案内していただいた人にも。
【島の北部を】 島を1周するつもりで出発。
見える金剛寺は、神峰山(かんのみねやま)の登山口。 先日登った。

こまらないで走れる道。
垂水港。 この直ぐ後に、民之助の墓の案内が。

【停泊場所】 Hさん宅の駐車場。
【明日の旅】 Hさんに旧東野町を案内していただき、その後、自分は御手洗のある大崎下島に渡ります。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 タムロン 18~300
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2021年夏のを1枚プラス。 美瑛川上流で釣り。
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古江で楢原民之助の墓を探すなかで、旅は別の方向へ。
・ ・ ・ ・ ・
楢原民之助(ならはらたみのすけ)は、明治時代この島から、北海道へ。
船乗り、漁業、砂金に関わって、最後は今の中頓別町の開拓に。
誰も入ってない原野に、一人で入り開墾。
民之助39歳の時。
晩年故郷に戻る。 海を見下ろす丘に墓が。
その墓を探しに。
※ ※ ※ ※ ランキング


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印に墓。 緑〇に墓の案内。 オレンジ〇に神社。 紫〇に、お世話になったHさんのお宅。


島の北部を走る写真等は最後に。
近くに車を置いて、ここから歩く。 900㍍。
中頓別町開墾の先駆者とある。


この道を真っすぐ向かった。 古江地区。

ここで、右に人がいて聞いた。 ずっと行って左だよって教えていただく。
墓は、道の左と考えた。 実際の意味は、分岐があったら左、の意味だったよう。
山ほどの柿。 クマはいないから寄ってこない。


昔は、みかん畑の山だった。 ずっと行く。

途中右に曲がったら、こっちに来た。 1㌔はとっくに過ぎた。 それらしい案内はない。
向う側の山のよう。

下から来て左に行けば、あっちだった。

途中まで来たら、軽の車が見えた。 さっきの人がいた。
不安になってやって来たという。 この奥。
民之助は、妻と2人の子供を病気で失い、失意のうちに故郷に戻る。
大正7年、53歳。 昭和7年68歳で亡くなる。


この方がここだよって。 ここの左奥に。 ※ イノシシが掘り返した岩。

楢原家の墓地。 安政3年(1856年)とか読めるのも。
奥に2つの墓。

故楢原民之助・夫人の墓、でいいでしょうか。 右は、民之助子供の墓。(女の子2人)

この後、民之助について詳しい人がいるという。 連れて行ってくれた。

その前に神社。

古社八幡神社。 歴史が古いので、この呼び方でしょうか。


絵馬があるという。 天井に隙間なく。

どれも意味は分からない。 これだけ何となく。(そして後で調べた)
ヒントは福嶋市松。 これは福島正則のことですね。
賤ケ岳七本槍の7人の武将がいます。 加藤清正とか。
福島正則は広島藩の藩主。 幕府にああだこうだ言われ、失意の中信州へ。 高山村で没します。
福島正則の菩提寺、岩松院。 北斎の八方睨み鳳凰図。 高杜神社御柱祭。 美味しいお蕎麦。~小布施市・高山村~ 他 (2016/4/29)

神社の後、Hさんのお宅に。 Hさんは、民之助のことに深くかかわっている。
中頓別のお話をしたり。 奥様が料理を。 里芋とタコの煮物は初めて食べました。
途中で阪神の優勝。 料理とお酒で楽しいお話、民之助と阪神。 忘れられない夜に。

大崎上島町と中頓別町は、民之助が縁で姉妹都市に。
昨年、下の冊子が出来た。 3人の世話人で作成。 Hさんはその中に。

Hさんのお家からの眺めは抜群。 下の家々と瀬戸内の海が見える。
民之助が戻って住んだ家は、近くにあった。
突然お邪魔して、すっかりお世話になりました。
案内していただいた人にも。
【島の北部を】 島を1周するつもりで出発。
見える金剛寺は、神峰山(かんのみねやま)の登山口。 先日登った。


こまらないで走れる道。
垂水港。 この直ぐ後に、民之助の墓の案内が。


【停泊場所】 Hさん宅の駐車場。
【明日の旅】 Hさんに旧東野町を案内していただき、その後、自分は御手洗のある大崎下島に渡ります。
【カメラ・レンズ】 フジフイルム X-S10 タムロン 18~300
※ 都道府県別のブログタイトル一覧表は、右をクリック。

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※ プロフィール・・・。 ⇒


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