寅さんが、こう言う。 七谷川の桜が満開だって。
昨日行ってきたという。 桜を見ながら、ビールを飲んだという。
夢のような生活。
道を教えてもらって、向かった。 途中で、分からなくなった。
出雲神社があったので、ここを見ることにした。
徒然草に出会った。 面白い。
近くに桜の森が見えた。 行ったら、そこが七谷川の桜だった。
あと1つ。 昨日、錦天満宮で、御神籤(おみくじ)を買った。
見るのを忘れていた。
夜遅く、思い出して、見てみた。 小吉だった。
良くないことがきっとある。 気を付けよう、と思った。
遅かった。 大事なものが、消えていた。
akkamui(アッカムイ・エゾモモンガ)の、木彫りのペンダントが、無くなっていた。
ひもが切れて、どこかに落とした。
私の守り神で、どこに行くのも一緒だった。 残念。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
出雲神社は、道の駅から、数㌔。 すぐ下に、七谷川。
走っていたら、たまたま、神社の案内があった。
いい雰囲気で、池の向こうにある。
亀岡市の西方面の、市街地。 京都から離れて、静かな田園地帯。 山沿いは、里山の雰囲気。
出雲大神宮。 神様は、出雲大社からやってきた。
ここは、昔は、丹波(たんば)の国。
お店があるくらいだから、それなりの神社。
桜の花びらが、池に浮いている。 明日は風が吹くから、桜は今日でお終いかも。
この近くには、寺もいっぱいある。 家は少ない。 昔の街道沿いなのかな。
何か面白いものはないかなと、探していたら、あった。
徒然草(つれづれぐさ)に、この神社が登場していた。
《 原文 》
丹波に出雲と云ふ所あり。 大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海
上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、
各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。 この
獅子の立ち様、いとめづらし。 深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。
無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、
上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ
様、定めて習ひある事に侍らん。 ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。 さがなき童どもの仕
りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
《 現代語訳 》 ※ 訳は、吾妻利秋という人。
京都の亀岡にも出雲がある。 出雲大社の分霊を祀った立派な神社だ。 志田の何とかという人の領土で、
秋になると、「出雲にお参り下さい。そばがきをご馳走します」と言って、聖海上人の他、大勢を連れ
出して、めいめい拝み、その信仰心は相当なものだった。
神前にある魔除けの獅子と狛犬が、後ろを向いて背中合わせに立っていたので、聖海上人は非常に感動した。
「何と素晴らしいお姿か。 この獅子の立ち方は尋常ではない。 何か深い由縁があるのでしょう」と、ボロ
ボロ泣き出した。「皆さん、この恍惚たるお姿を見て鳥肌が立ちませんか。 何も感じないのは非道いです」
と言うので、一同も不審に思い、「本当に不思議な獅子狛犬だ」とか、「都に帰って土産話にしよう」など
と言い出した。 上人は、この獅子狛犬についてもっと詳しく知りたくなった。 そこで、年配のいかにも詳
しく知っていそうな神主を呼んで、「この神社の獅子の立ち方は、私などには計り知れない由縁があるとお
見受けしました。 是非教えて下さい」と質問した。
神主は、「あの獅子狛犬ですか。近所の悪ガキが悪戯したのですよ。困ったガキどもだ」と言いながら、
もとの向きに戻して立ち去った。 果たして、聖海上人の涙は蒸発したのだった。
面白いですね。 知ったかぶっていたら、こうなるのかな。
徒然草の52段も面白い。 こんな話。 昔、教科書にあった。
仁和寺の僧侶が年をとるまで石清水八幡宮を参拝したことがなかったので、情けないことだと思い、ある
とき思い立って、たったひとりで徒歩で参詣した。
極楽寺や高良(こうら・極楽寺とともに石清水八幡宮の末社)などを拝んで、こんなものかと思って帰っ
てしまった。
そして周囲の仲間に「長らく思い続けてきたことをやり遂げてきた。
聞きしに勝るとも劣らぬ尊さだった。
それにしても参拝客が皆、山へ登って行くのは何かあったのだろうか。
見てみたくはあったが、石清水八幡宮に詣でることが主旨だと思って山までは見なかったのだ」
と言ったそうだ。
※ 極楽氏寺は、この地図の右上に。
高良は、この地図の右近くに。 どっちも、本殿から離れている。
出雲神社には、湧水があって、多くの人が汲みに来ていた。
七谷川の桜です。
駐車場はあったが、1000円。 少し離れた所の、空き地に停めた。
散り始めている。
京都で見たのより、規模が大きいですよ。
せっかくの桜だけど、人は少ない。
桜並木は、ずっと続いている。 全部歩くのは大変。
9時まで、ライトアップ。
散る花びらを受けているのか。 手のひらに花びらを載せて、撮ればよかった。
焼肉ができるよう。 鉄板を持ってる人がいた。
川には小さな魚がいっぱい。 すくっている子がいた。
灯りがともった。
昨日今日と天気がいい。 掘ったねぎを干していた。 以前も見た。
今日は、少しだけ、亀岡を散歩してみました。
※ 昨夜は、今朝まで起きていたので、眠い一日。
今日の写真は、2つのカメラのが混ざっています。
当たり前だけど、小さいカメラの写真は、透明感が足りない。
でも、思ったより、悪くないかな。
大きいので撮れないとき、小さいのを使う。
そんな使い方になるでしょうか。
【今日の歌】 船の上のピアニストのテーマ曲。 久しぶりに聞きました。
自分の生きる場所は、船の上しかないって、後に気付く。
足元に大地を感じてみたいと、船を下りてみたが。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 昼に、歯科医院。 午後から、雨が降らなかったら、近くのどこか。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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昨日行ってきたという。 桜を見ながら、ビールを飲んだという。
夢のような生活。
道を教えてもらって、向かった。 途中で、分からなくなった。
出雲神社があったので、ここを見ることにした。
徒然草に出会った。 面白い。
近くに桜の森が見えた。 行ったら、そこが七谷川の桜だった。
あと1つ。 昨日、錦天満宮で、御神籤(おみくじ)を買った。
見るのを忘れていた。
夜遅く、思い出して、見てみた。 小吉だった。
良くないことがきっとある。 気を付けよう、と思った。
遅かった。 大事なものが、消えていた。
akkamui(アッカムイ・エゾモモンガ)の、木彫りのペンダントが、無くなっていた。
ひもが切れて、どこかに落とした。
私の守り神で、どこに行くのも一緒だった。 残念。
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出雲神社は、道の駅から、数㌔。 すぐ下に、七谷川。
走っていたら、たまたま、神社の案内があった。
いい雰囲気で、池の向こうにある。

亀岡市の西方面の、市街地。 京都から離れて、静かな田園地帯。 山沿いは、里山の雰囲気。

出雲大神宮。 神様は、出雲大社からやってきた。
ここは、昔は、丹波(たんば)の国。
お店があるくらいだから、それなりの神社。

桜の花びらが、池に浮いている。 明日は風が吹くから、桜は今日でお終いかも。

この近くには、寺もいっぱいある。 家は少ない。 昔の街道沿いなのかな。

何か面白いものはないかなと、探していたら、あった。

徒然草(つれづれぐさ)に、この神社が登場していた。


《 原文 》
丹波に出雲と云ふ所あり。 大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海
上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、
各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。 この
獅子の立ち様、いとめづらし。 深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。
無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、
上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ
様、定めて習ひある事に侍らん。 ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。 さがなき童どもの仕
りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。
《 現代語訳 》 ※ 訳は、吾妻利秋という人。
京都の亀岡にも出雲がある。 出雲大社の分霊を祀った立派な神社だ。 志田の何とかという人の領土で、
秋になると、「出雲にお参り下さい。そばがきをご馳走します」と言って、聖海上人の他、大勢を連れ
出して、めいめい拝み、その信仰心は相当なものだった。
神前にある魔除けの獅子と狛犬が、後ろを向いて背中合わせに立っていたので、聖海上人は非常に感動した。
「何と素晴らしいお姿か。 この獅子の立ち方は尋常ではない。 何か深い由縁があるのでしょう」と、ボロ
ボロ泣き出した。「皆さん、この恍惚たるお姿を見て鳥肌が立ちませんか。 何も感じないのは非道いです」
と言うので、一同も不審に思い、「本当に不思議な獅子狛犬だ」とか、「都に帰って土産話にしよう」など
と言い出した。 上人は、この獅子狛犬についてもっと詳しく知りたくなった。 そこで、年配のいかにも詳
しく知っていそうな神主を呼んで、「この神社の獅子の立ち方は、私などには計り知れない由縁があるとお
見受けしました。 是非教えて下さい」と質問した。
神主は、「あの獅子狛犬ですか。近所の悪ガキが悪戯したのですよ。困ったガキどもだ」と言いながら、
もとの向きに戻して立ち去った。 果たして、聖海上人の涙は蒸発したのだった。
面白いですね。 知ったかぶっていたら、こうなるのかな。
徒然草の52段も面白い。 こんな話。 昔、教科書にあった。
仁和寺の僧侶が年をとるまで石清水八幡宮を参拝したことがなかったので、情けないことだと思い、ある
とき思い立って、たったひとりで徒歩で参詣した。
極楽寺や高良(こうら・極楽寺とともに石清水八幡宮の末社)などを拝んで、こんなものかと思って帰っ
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それにしても参拝客が皆、山へ登って行くのは何かあったのだろうか。
見てみたくはあったが、石清水八幡宮に詣でることが主旨だと思って山までは見なかったのだ」
と言ったそうだ。
※ 極楽氏寺は、この地図の右上に。
高良は、この地図の右近くに。 どっちも、本殿から離れている。
出雲神社には、湧水があって、多くの人が汲みに来ていた。
七谷川の桜です。
駐車場はあったが、1000円。 少し離れた所の、空き地に停めた。

散り始めている。

京都で見たのより、規模が大きいですよ。

せっかくの桜だけど、人は少ない。

桜並木は、ずっと続いている。 全部歩くのは大変。

9時まで、ライトアップ。

散る花びらを受けているのか。 手のひらに花びらを載せて、撮ればよかった。

焼肉ができるよう。 鉄板を持ってる人がいた。

川には小さな魚がいっぱい。 すくっている子がいた。

灯りがともった。

昨日今日と天気がいい。 掘ったねぎを干していた。 以前も見た。

今日は、少しだけ、亀岡を散歩してみました。
※ 昨夜は、今朝まで起きていたので、眠い一日。
今日の写真は、2つのカメラのが混ざっています。
当たり前だけど、小さいカメラの写真は、透明感が足りない。
でも、思ったより、悪くないかな。
大きいので撮れないとき、小さいのを使う。
そんな使い方になるでしょうか。
【今日の歌】 船の上のピアニストのテーマ曲。 久しぶりに聞きました。
自分の生きる場所は、船の上しかないって、後に気付く。
足元に大地を感じてみたいと、船を下りてみたが。
【道の駅】 ガレリアかめおか
【明日の予定】 昼に、歯科医院。 午後から、雨が降らなかったら、近くのどこか。
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(2008年4月~2010年9月までの記事)

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