昨日、東吉野村に向かう時、道端に寺の案内があった。
そこにお姫様の絵があった。 簡単な説明も。 見たのは一瞬。
※ 帰りは、別の道で戻っていた。
気になるので行ってみた。 同じ案内が見つからない。
ただ、お姫様の絵がある案内があった。
道に不安はあったが、中学生が、行けると教えてくれた。
今日は、たくさん調べなくてもいい、時間のかからないブログを書くつもりでいた。
山奥にある寺に行ってみたら、そうはいかなくなった。
お姫様は、中将姫だった。 彼女には、昨年、当麻寺で会っていた。
話は、どんどん膨らんだ。
※ ※ ※ ※ ブログタイトル一覧は、右をクリック。
宇太水分神社 まで、道の駅宇陀路大宇陀から、6~7分ほど。
旧道を少し歩く。 ちょっとした古い町並みは、どこにでもある。 左に見えてきた。
こうです。 あ! 丹波佐吉の狛犬だ、と直ぐに分かった。
正面に拝殿。 その後ろに、国宝の本殿。
毛並みが複雑なのが特徴。 後で調べたら、はっきりはしていないが、丹波佐吉のものと言われていた。
左の3つが国宝。 右の2つは、重要文化財。
1320年に建てられた。
隅木入 春日造で、建立年代の明らかなものとしては、最古だそう。 それで国宝。
左の写真の、○の木が、隅木(すみき)。
水分神社だが、みくまり神社、と読む。 意味は、水を配る。
ずっと昔、「くばり」は「くまり」だった。 似てる。
左は、重要文化財の方。
灯篭にも、佐吉が作ったのがあるようだ。 手前のかな。 凝ってる。
参道は、はるか向こうからだった。 私は、右の方から来た。
頼朝杉があったが、頼朝がどんな理由でこっち方面に来たかが、書いてあるといい。
史実と合うようにすると、真実味が出てくる。
この後、昨日見た案内を探した。 同じものは見つからない。
似たのがあった。 案内に、お姫様の絵があった。
大きな期待はしていない。 何か伝説があるのかなと、向かった。
寺の名前は、青蓮寺(せいれんじ)。
何か理由があれば、山道を歩ける。 理由は、何でもいい。
道が急に細くなった。 あと、800㍍。 歩くことに。
杉林の道は、歩いて楽しくない。 山は荒れている。 小川には木が倒れて。
こんな道。 お地蔵さん。
何を意味しているのでしょう。 女の人同士か。
※ 男と女の人の、こんな像を見ることがある。 男の人の手がおかしい時がある。 たたいてやりたい感じで。
ブログには、載せたことない。 何もかも、おおらかな時代があった。
15分ほど歩いて駐車場。 寺は、山の上のよう。 ○の所に、石碑。
「なかなかに 山の奥こそ すみよけれ 草木は人の さがを言わねば」
※ 「さが」は、人のどこがいいとか悪いとか。 そのことかな。
この時、作者は分からない。 後で、今日の主人公の作と云われていることが、分かった。
5分ほど登った。
山の奥にしては、立派。 荒寺ではなかった。
見える看板で、お姫様は、中将姫のことと分かった。
左は、阿弥陀堂。 右は、開山堂。
青蓮寺は、中将姫と、大きな関わりがあった。
ここに書いてあることは、一般的に認められている話。
中将姫は伝説の人と言われるが、生まれた時、亡くなった時が分かっている。
奈良時代の人。 奈良時代は、すべてが、伝説のようなもの。
まったくの伝説では、ないかも知れない。
※ 概略 継母(ままはは)に殺されそうになる。
家来は、姫を殺すのは忍びなく、この山に連れてくる。
この場所で、土地の人の世話になり、くらす。
2年後、右大臣の父が、この地に狩りにやってくる。
偶然に出会う。 父は、話の全てを知る。
そうして、戻る。
彼女は、当麻寺に入り、曼荼羅を織る。
※ キャラクターは、蓮花(れんか)ちゃん。 中将姫。 葛城市の公式のマスコットキャラクター。
下は、当麻寺にある、中将姫の像。(昨年撮影)
右に、曼荼羅と、墓のこと。
墓と、曼荼羅。
開山堂。 中には、中将姫の像などがあるよう。 この写真の左。
※ 後の世に作られたと、考えられているが。
中将湯とある。 何のことか、この時は、分からなかった。 こうだった。
津村順天堂の創業者の津村重舎(つむらじゅうしゃ)は、この地方の人。
彼の母の実家は、藤村家。 藤村家は、青蓮寺の檀家。
藤村家は、中将姫を最初に面倒を見た家。
中将姫から、薬のことを学ぶ。
湯に溶かして飲む薬で、中将湯と呼ばれるようになる。 藤村家伝来の薬となる。
津村順天堂は、明治の中過ぎに売り出す。
下の広告は、明治39年のもの。
※ 中将湯を作っていたら、作る過程で、副産物が出てくる。
それを風呂に入れたら、温まる。
1897年に、「くすり湯 浴剤中将湯」として、売り出す。
ところが、夏に使うと温まりすぎる。 夏向けの爽やかなのが欲しいとなった。
そこで開発したのが、芳香浴剤「バスクリン」。 1930年のこと。 こんな宣伝。
ということでした。 入浴剤の生みの親は、中将姫でした。
飲む方の中将湯は、今も売られている。
阿弥陀堂。
中将姫の面倒を見た、松井嘉藤太夫婦の墓。 桜はこれから。 姫桜ならいい。
こんな道を戻りました。
たまたま行ってみただけなのに、面白いことがいっぱい。
中将姫伝説の中には、きっと、事実がありますよ。
【動画①】 中将姫の織ったされる 蓮糸曼荼羅を見た折口信夫は、1つの小説を書いた。
大津皇子と結び付けて。 死者の書。
【動画②】 中将姫物語 5分過ぎから
【道の駅】 宇陀路室生
【明日の予定】 時間があれば、山奥に。 なければ、室生寺かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)
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そこにお姫様の絵があった。 簡単な説明も。 見たのは一瞬。
※ 帰りは、別の道で戻っていた。
気になるので行ってみた。 同じ案内が見つからない。
ただ、お姫様の絵がある案内があった。
道に不安はあったが、中学生が、行けると教えてくれた。
今日は、たくさん調べなくてもいい、時間のかからないブログを書くつもりでいた。
山奥にある寺に行ってみたら、そうはいかなくなった。
お姫様は、中将姫だった。 彼女には、昨年、当麻寺で会っていた。
話は、どんどん膨らんだ。

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宇太水分神社 まで、道の駅宇陀路大宇陀から、6~7分ほど。
旧道を少し歩く。 ちょっとした古い町並みは、どこにでもある。 左に見えてきた。

こうです。 あ! 丹波佐吉の狛犬だ、と直ぐに分かった。
正面に拝殿。 その後ろに、国宝の本殿。

毛並みが複雑なのが特徴。 後で調べたら、はっきりはしていないが、丹波佐吉のものと言われていた。


左の3つが国宝。 右の2つは、重要文化財。

1320年に建てられた。
隅木入 春日造で、建立年代の明らかなものとしては、最古だそう。 それで国宝。

左の写真の、○の木が、隅木(すみき)。


水分神社だが、みくまり神社、と読む。 意味は、水を配る。
ずっと昔、「くばり」は「くまり」だった。 似てる。
左は、重要文化財の方。
灯篭にも、佐吉が作ったのがあるようだ。 手前のかな。 凝ってる。


参道は、はるか向こうからだった。 私は、右の方から来た。
頼朝杉があったが、頼朝がどんな理由でこっち方面に来たかが、書いてあるといい。
史実と合うようにすると、真実味が出てくる。


この後、昨日見た案内を探した。 同じものは見つからない。
似たのがあった。 案内に、お姫様の絵があった。
大きな期待はしていない。 何か伝説があるのかなと、向かった。
寺の名前は、青蓮寺(せいれんじ)。
何か理由があれば、山道を歩ける。 理由は、何でもいい。
道が急に細くなった。 あと、800㍍。 歩くことに。

杉林の道は、歩いて楽しくない。 山は荒れている。 小川には木が倒れて。
こんな道。 お地蔵さん。

何を意味しているのでしょう。 女の人同士か。
※ 男と女の人の、こんな像を見ることがある。 男の人の手がおかしい時がある。 たたいてやりたい感じで。
ブログには、載せたことない。 何もかも、おおらかな時代があった。


15分ほど歩いて駐車場。 寺は、山の上のよう。 ○の所に、石碑。

「なかなかに 山の奥こそ すみよけれ 草木は人の さがを言わねば」
※ 「さが」は、人のどこがいいとか悪いとか。 そのことかな。
この時、作者は分からない。 後で、今日の主人公の作と云われていることが、分かった。
5分ほど登った。


山の奥にしては、立派。 荒寺ではなかった。
見える看板で、お姫様は、中将姫のことと分かった。

左は、阿弥陀堂。 右は、開山堂。

青蓮寺は、中将姫と、大きな関わりがあった。
ここに書いてあることは、一般的に認められている話。
中将姫は伝説の人と言われるが、生まれた時、亡くなった時が分かっている。
奈良時代の人。 奈良時代は、すべてが、伝説のようなもの。
まったくの伝説では、ないかも知れない。
※ 概略 継母(ままはは)に殺されそうになる。
家来は、姫を殺すのは忍びなく、この山に連れてくる。
この場所で、土地の人の世話になり、くらす。
2年後、右大臣の父が、この地に狩りにやってくる。
偶然に出会う。 父は、話の全てを知る。
そうして、戻る。
彼女は、当麻寺に入り、曼荼羅を織る。


※ キャラクターは、蓮花(れんか)ちゃん。 中将姫。 葛城市の公式のマスコットキャラクター。
下は、当麻寺にある、中将姫の像。(昨年撮影)
右に、曼荼羅と、墓のこと。


墓と、曼荼羅。


開山堂。 中には、中将姫の像などがあるよう。 この写真の左。
※ 後の世に作られたと、考えられているが。

中将湯とある。 何のことか、この時は、分からなかった。 こうだった。
津村順天堂の創業者の津村重舎(つむらじゅうしゃ)は、この地方の人。
彼の母の実家は、藤村家。 藤村家は、青蓮寺の檀家。
藤村家は、中将姫を最初に面倒を見た家。
中将姫から、薬のことを学ぶ。
湯に溶かして飲む薬で、中将湯と呼ばれるようになる。 藤村家伝来の薬となる。
津村順天堂は、明治の中過ぎに売り出す。
下の広告は、明治39年のもの。


※ 中将湯を作っていたら、作る過程で、副産物が出てくる。
それを風呂に入れたら、温まる。
1897年に、「くすり湯 浴剤中将湯」として、売り出す。
ところが、夏に使うと温まりすぎる。 夏向けの爽やかなのが欲しいとなった。
そこで開発したのが、芳香浴剤「バスクリン」。 1930年のこと。 こんな宣伝。
ということでした。 入浴剤の生みの親は、中将姫でした。
飲む方の中将湯は、今も売られている。

阿弥陀堂。


中将姫の面倒を見た、松井嘉藤太夫婦の墓。 桜はこれから。 姫桜ならいい。


こんな道を戻りました。

たまたま行ってみただけなのに、面白いことがいっぱい。
中将姫伝説の中には、きっと、事実がありますよ。
【動画①】 中将姫の織ったされる 蓮糸曼荼羅を見た折口信夫は、1つの小説を書いた。
大津皇子と結び付けて。 死者の書。

【動画②】 中将姫物語 5分過ぎから
【道の駅】 宇陀路室生
【明日の予定】 時間があれば、山奥に。 なければ、室生寺かな。
※ 「キャンピングカーで放浪の旅」は、下をクリックすると出ますよ。
(2008年4月~2010年9月までの記事)

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コメント
見かけましたよ
Re: 見かけましたよ
声をかけてくれればよかったのに。
北海道のことを話したら、きっと、止まらなくなりましたよ。
北海道のことを話したら、きっと、止まらなくなりましたよ。
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さすがにこの辺で北見ナンバーは珍しいのでまじまじ見てしまいました。
自分は転職で関西に来て15年の道産子なので北海道のナンバーの車を見かけると
なんか嬉しくなります。気を付けて旅を続けてください。